はてなキーワード: その男とは
酒飲んで、死のうとしたのをとめたら、暴れて、手を挙げてきた彼氏と離れて4日たつけど…
なのに隣にいないことが寂しいって言う矛盾した感情に疲れて、あの日のことは忘れて、何も無かったことにしたい。一緒にいたい。って思ってしまう。
当たり前だけど、友達には絶対復縁するな。って言われてる。したら友達の縁を切るとまで言われた。
それでも、はじめての事だし、彼だって後悔してるみたいだし…、と、彼を擁護したくなる。
【追記】
コメがつくとは思ってなくてびっくりしてる。
DVを許して、復縁して、ボロボロになった頃には全てを失っている未来が見えてきているのにも関わらず… 3月終わりを待たずに元サヤしそうだと思ってる今日この頃。
メンヘラをヤリ捨てる時はストーカー化しないように身分証等は持たずに会うことをすすめる。
酔って暴れる男、それでもその男には私しかいないのと付き合い続ける女。ってわりとテンプレ感あるように思うけど、時代は変わったらしい。
人は誰でも過ちを犯すものだと思う。
それをどのタイミングで正すかで、“常識”“非常識”が変わってくるだけではないのかと思う。
人に手を挙げてはいけないなんて事は、10代になる前に教えなければいけない事だと私は思うが、何を教育していたのか。と疑問に思う。
だから、彼は、気に入らないことがあって暴れる幼児なんだと思ったら許してしまいそうになってる。
仮に、精神が幼児だったとして、内外を傷つけられた私が「人のことは叩いちゃ駄目なんだよー。」と教えてあげる必要があるのかと言えば、まったくないのだが…
なんだか、親の教育が行き届いていないが故に、こんなことになっている彼が不憫で哀れに思う。
そんな気持ちが生まれて、毎日謝罪されていると、「もう十分に過ちを理解しただろう。」と思って、もういいよ。と言ってあげたくなってしまう。
私は甘いな。私はこのまま助けたい症候群で今よりもストレスを感じて傷ついて、彼は何も成長しないまま人生を終えるんだろうな。
時代のせいかもしれないけど、バブルを生きちゃった両親を持ったから今に来てのシワ寄せがすごい
バブル当時20代半ばだった母は4年続けた不倫をやめて大手企業の会社員と結婚した
将来安泰だと思って私を産んだものの、父は結婚3年でがっつり不倫
それがバレて離婚となった
高卒で手に職のない母は見た目が美しいけど頭の良くない人だった
そんなある日、母に高校時代から片思いしていた男が、祖母と母と私の暮らす家に押しかけてまで婚姻を申し出たという
幼い私を抱えながら夜に働くのは限界があった
その男は胸から腕、ひざ下までカラフルな和彫の入った正真正銘のヤクザだった
ホステスをやめた母は、うつ病になってベッドから起きれなくなった
それでも、母もヤクザの父も私をよく育ててくれたと思う
虐待は何一つなかった
長い夫婦生活の中で、あの二人は殴り合いの喧嘩をすることもあったし、
元サヤに戻ったのも最近の話だ
それは本当に良かったと思う
そんな両親を持つ自分は、きっと将来的にこの二人に使うお金が必要だなと思った
自分の人生のための退職金や、10年後に出世して大金を得れるような大企業では遅い
自営業でなんとか金を作った
ヘビースモーカーで、酒好き、睡眠もうまくとれないあの二人は、私が20代半ばの時に予想通り大きな病気をした
私がなんとか仕送りをして、食いつないでいくことになると思う
親を憎むわけでもない
誰かが悪いわけではない
全部時代のせいだと思う
それでもたまに、「実父が不倫しなければ」「次の父がヤクザでさえなければ」「母がもっと、」と思ってしまう
こんなこと思いたくない
あの二人は、私をよく育ててくれたのだ
思いたくないのに、銀行口座から減るお金を見ると頭に少しだけよぎってしまう
そんな自分が、情けない
コンビニのバイトをしているんだが、クソ女が加わったせいでバイト先の汚染がひどい。愚痴らせてくれ。
クソ女って何回も書くのは良くないと思うのでA子とする。去年の4月にA子が新しいバイトとして加わった。A子が来るまでのバイト仲間は幸い心根が優しい人ばかりで、深夜帯の変更を頼まれる⇆深夜帯の変更を頼むといった等価交換が正常に機能していた。誰かを助けたらいつか助けてもらえる人情に富んだ職場だと、俺はどのバイト先よりも気に入っていた。
A子は深夜帯の勤務は絶対NGである。理由は社会人の彼氏が何かあったら困ると怒るからだという。それに加えてA子は土日の勤務もしたがらない、社会人の彼氏が土日休みなのでデートの予定が入ってる、土日にシフト入れたら彼氏に怒られるからだとさ。彼氏彼氏彼氏彼氏…毎月のシフト表提出の度、会ったこともない彼氏を言い訳に自分のシフトをごり押してくるA子にげんなりするようになってきた。そもそも何かあったら困るってどういうことだ?強盗とかそういう話?俺たちはどうなってもいいってこと?俺だって身体のことだけ考えたら昼勤帯だけしてぇよ、そもそも深夜帯できねぇならコンビニバイトなんか応募するなよって話じゃないの?店長になんて言って面接通ったか知らないけど厚顔無恥過ぎない?
で、夏に新規開業準備のために1日人を貸してくれって言われて2人出すことになったんだよね。その話し合いの時にA子が言うわけ。「ごめんなさ~い!彼氏と旅行入れちゃっててぇその日はどうしても行けないんです」って。旅行キャンセルとかさすがに強要するわけにはいかないし、今回は俺たちでなんとかするよってその時もしかたなくA子以外から人を出して残ったメンバーで3勤務帯埋める羽目になった。A子はその時「次回イベントの時は私が行きます」ってLINEに書いたから、言質取れたし次回は絶対あいつにやらせるって考えてた。
そんで1月、今度はうちの改装があったから土日のイベント勤務やる人を決めることになった。1人はA子で決まりだよなと思ってたのに、A子のやつ「そんな突然言われてももう彼氏と予定が入ってます、彼氏に怒られるから行けないです」とか土壇場で言い出しやがった。イベントいつやるかなんて事前に公表されてたし、夏に迷惑かけた分お前がやるって話だったじゃねぇか!と頭にカッと血が上った。周りもA子のわがままにはもううんざりでみんな眉間にシワ寄せてんの。結局A子がやるって話だったんだからってみんなで圧かけて予定通りA子に行かせた。A子には仁義とか義理とかそういうの通じないんだなと思ってはいたんだけどさ。衝撃だったわ。こいつを助けてもこいつだけがおいしい思いして後で恩が帰ってこないんだなって。俺、そこまでお人好しじゃねぇからA子を助けるのは金輪際やめることにした。
そう思った矢先の勤務であいつおかしくね?って笑うやつがいて話聞いたんだよ。その話もほんと酷くて。うちのシフト表はA→B→C→...→Fで3回埋めたら、もう1周してA→B→C→...→Fで3回埋める、来月はF→A→B→...→E、の順で回してくシステムなんだけど、この説明で分かってもらえるかな。A子のやつ、1周目に5回入れてるんだと。手書きのシフト表なんて見づらいし誰が何回入れてるなんて数えねぇじゃん、普通。あのA子がルール守ってシフト入れてるわけなかった、性善説を信じてた俺たちが馬鹿だったんだわ。気づいたそいつがA子5回入ってるよって注意したら「ごめんなさい!うっかりしてた」って謝ったらしいんだけど、翌月も5回入れてたんだとwwwwwほんと何この女。
それからはずーっとその男がシフト表をそれとなく監視して不正がある度注意しているらしい。自分が5回入れたら他の人にその分負担がかかるとか考えないんだろうか、考えないんだろうな。
そしてA子の度重なる暴虐武人な振る舞いに対してB子が苛立っている。B子はA子同様彼氏持ちだけど、シフトについては土日も深夜帯も柔軟に働くしシフト交換も頼めば出来る範囲でやってくれる。しかし最近はA子のせいで貧乏くじばかりを引かされているため、A子に対してイライラが募っている様子なのだ(前述のA子のシフトの件も知っている)が、A子はこの通り空気が読めない上自分がそこまで嫌われているとは思いもせず、自分の企みがバレていることも知らないので、4月のシフトについてB子に交換を申し出た。明らかにB子に不利な条件で。当然B子は要求を突っぱねたんだが、このやりとり、バイトのグループLINEでやってたから、俺はこの後A子どうすんのかなって観察してた。そしたらA子のやつ「じゃあ増田くん頼めるかなぁ」とか書いてきたやがった!!俺は驚いたね、だって俺もうその日シフト入ってんだもん、深夜勤のあと昼勤やれっておかしくない?なんでそんな頭のおかしいこと言えるのこいつ?って一周回って笑ったよ。人間じゃねーわ、こいつ。
対応するのも馬鹿らしくて俺LINE返さなかったんだけどさ。そのLINEのやりとり見てバイトで一緒になった時俺に同情してくれるやつもいたしA子に怒るやつもいたよ。こんなにかき乱す馬鹿が来る前はもっと楽しい話しながらバイトしてたんだけど、最近はA子の話題ばっかりだよ。A子の頭の悪い行動を聞いて最初はやっぱり自己中心クソ女だなwwwwってゾクゾクしたけどもう飽きたし、そもそもつまんねぇんだよ、そんな話。
バイトなんて所詮バイトなんだから自己中心に振る舞ったって構やしないって考えのやつもいると思うんだけどさ、A子が入ってくるまで俺のバイト先にはそんなやつはいなくて、お互い助け合いの文化があったし、人を悪く言う必要もなくてすごくいい職場だったんだ。なのにA子に引っ張られて俺もバイト仲間もどんどん汚くて悪い奴に近づいてるのがたまらなく嫌だ。B子も笑顔が減った。A子が入るまではよく笑うし仕事もさっさとこなしてくれるいい子だったのにな。
最近のバイト仲間は繁忙期のGWシフト決めの際、またA子が「ごめんなさい~!彼氏と旅行入れちゃってぇ…」って舌を出しながら報告してくるのではないかと懸念している。去年はバイト入りたてで分かってなかったんだろうなと見逃したんだが、今年同じ様なことをやったらさすがに許せない。これがA子を除くバイト仲間の総意だが、A子が入る前はしかたねーなー、じゃおみやげ買ってこいよ!で後腐れなく済んだことをバイト全員のイライラに変えてくれたA子。俺、お前のこと大嫌いだよ。
俺もすっかり嫌な人間になっちまったなー。A子はやめる気がないみたいなのでこのままこれが続くなら俺がやめるしかないんだけど、ただなんかいい感じのA子撃退法があれば試してみてから辞めたいと思ってるからなんか名案あったら書いてほしい!
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。
AbemaTVのアニメチャンネル平日の夜に「声優と夜遊び」という生放送番組が放送されている。
月~金の日替わりレギュラーの声優が色々な企画やゲームに挑戦するトーク番組だ。
金曜日レギュラーが大河元気と関智一なのだが、この関さんのセクハラがかなりヒドいのである。
例えば先日2/14、バレンタインデーの放送では生放送中に港区にチョコを持ってくる人を募集する、という企画があった。
中継先のアナウンサー(というかアシスタント)から「一番最初に来られた方がいます!」と連絡が入ると
カメラが女性の足元を映し「女性の方です~!」と言うと「え、顔は?かわいい?え顔見せてよ!」とはしゃいでいた。
ちなみにその女性は失礼ながらアニメイトでよく見るような典型的な中年のオタク女子というような野暮ったい風貌をしており
カメラがその顔を映した瞬間関さんのテンションはガタ落ち。「あ、そうなんだチョコ持ってきてくれてありがとうね~」と
露骨に当たり障りのない対応をし始め、中継をやり過ごそうとしてい(るように見え)た。
その後中継は一度切れたが、次に中継がつながったときは3人組の女性が来ていた。
2人は顔出しの女性だったのだが先ほどと打って変わって若いきれいな女性だったためテンションがあがったらしく
「可愛いね、え、彼氏はいるの?」や「(大河元気と自分の)どっちのファン?」等とキャバクラでオッサンがやっている言動のオンパレード。
もう1人の顔出しNGの女性に対しても「おっぱい大きいね~」や「(カメラに)胸映してよ胸!」など気持ち悪い言動を繰り返していた。
スタッフもこのままでは良くないと思ったのか「あ、男性の方も来ていますよ!」と男性にチェンジ。
しかし関智一は止まらない。その男性が既婚男性で嫁の代わりに来た(嫁さんが2人のファンだったらしい)と知るや否や
「奥さんはキレイ?芸能人で言うと誰似?」「最後に奥さんを抱いたのっていつ?」と本当に下卑た事しか言っていなかった。
これは一例で、ゲストの声優に対して若い時に苦労した話を聞くコーナーなのに初体験の事を聞いたり
キャバクラではしゃぐセクハラおやじを想定した時の言動そのものなのであり、それが毎週酷さを増しているのである。
fateのギルガメッシュはじめ声優としての関智一はかけがえのないモノだと思うのでこのような事で評価を落としたくない。
幸い、目で見て分かるものではないため今の所フェミニストにやり玉に挙げられていないのが救いだが
(ちなみに大河氏は毎回「関さん!それはマズいです!」となんとか修正しようとしているのだが後輩のため強くは言えていない。苦労人だ)
事の発端は、私が連絡を返していなかったから。
元々急ぎの連絡がきたときとか話がノッたとき以外は、連絡が来ていることに気付いていても1時間おいて返事をしたり、平日は日を跨いで返事をすることもあった。
街コンで出会った男ともそんな感じで、連絡がきても1日おいたり下手すりゃ2〜3日おいた日もあった。
連絡をすぐに返さないのは私の悪いところだと自覚はあるので、これに関する指摘はひとまず置いてほしい。
で、だ。その男とは2回ほどご飯に行った後、「◯日に出かけませんか」という旨の連絡をもらっていた。言われた日付は1ヶ月以上先だ。提示された日にちの都合が微妙だったのと日頃の連絡不精なのも相まって2日ほど連絡を返していなかった。
そしたら突然、その男から電話がかかってきた。電話がかかってきたときは気付かなかったので、後から履歴をみて「あれ?」となり、まあでも用事があるならまた連絡がくるだろうと思って電話は折り返さなかった。
そして、そのまま連絡を返さず4日目に入った日、電話がかかってきていた。
電話に気付いたのは4時代のときで、なんとなく電話はでてないけない気がしたので無視をして二度寝をした。
すると6時にもう一度電話がかかってきた。さすがに見過ごせなくて、でも電話は出たくなかったので切れたのを待って「連絡返してなかったのはごめん。電話なんだった?」と聞いた。
すると「既読つかないし何かあったのかと思った、ごめん」ときた。
内心としては「嘘つけ」だ。なんでか分からないがそれは嘘だと思った。
先述のとおり私の連絡不精が発端なので元はといえば私が悪いのだけど、彼女でもない女に夜中に、夜中にだ! 7件も電話するか!? 常識はどこにいった!?
なんだかな〜と思って「気遣ってくれたのはいいけど夜中に電話は普通に迷惑だし怖かった」と言ったら「もうしません」と。この時点で もうこの人は無理 の判定が私の中ででたので、もうしないもなにも次はないと思って「連絡はこれきりにしてください」と言って連絡を絶った。絶った、といってもその次に「わかりました。すみませんでした」と謝罪をもらい、私としてもご飯に行ったときは奢ってもらっていたので「その件についてはありがとうございました」と言って終わらせた。
街コンで出会った男なので、あわよくば付き合えたらという目的で出会った人である。なので、今後こんな重い(私の中では)人は私には扱えないと思って切った次第だ。
きっとこれで正解だったと思う。次からは連絡をマメにして、こんな人と出会わないようにしたい。いや、人としてはいい人だったと思うので、ドライめな関係を望む私とは相容れなかっただけだ。
切って正解だったよね…? 世の中はこれが普通だったりするのか?
「歩道上で出くわしたところで、ぱっと視線を向けられたので、私は目礼しました。その男性は走りながら、何度も私のほうを振り返ったので、そのたびに目礼しました。国会図書館前の交差点で立ち止まると『小西か?』と声を掛けられました」
「はい、小西です」と答えると、いきなり「おまえ、ちゃんと仕事しろ!」などと絡んできたというのだ。
「一般の方からもよく路上で声を掛けられ、励ましだけでなくご批判の言葉を頂くことがあります。ご批判の時は、私はいつも『信念に基づいて、国会議員として仕事をさせて頂いております。集団的自衛権の解釈変更について憲法違反であることを証明してきました』などとお伝えするようにしてきました」
この時も小西氏はそう答えると、男性は「俺は自衛官なんだよ。おまえは国民の敵だ!」と言い放ったという。
小西氏は驚きながらも話を続けた。
「憲法違反の戦争で、あなたがた自衛隊員が戦地に送られるのを阻止するために、政治生命を掛けて闘っています」
それでも男性は威圧的な態度で「おまえ、気持ち悪いんだよ」「国民の敵だ」「国会議員に意見して何が悪い?」などと罵り続けてきた。
だれがいつどこで男性だと名乗ったの?
藁人形に「男性」って紙貼ってひたすら殺す殺すって勢いで殴ったあげくドヤ顔してみせる人がいたら女性でも見苦しいとおもいますよ
少し前になるが、小学校卒業後も中高と仲良くしていた男と同窓会で再会した。
懐かしさもあり、久しぶりに二人でご飯にでも行こうかという話になった。
私立の小学校だったので、学年の全員が中学受験をした。その男は第一志望の御三家に落ち、私は第一志望の御三家に受かった。
今は私は医師になり、相手は東大から外銀?に就職したようだ。就活をしたことがないので企業名は聞いたが忘れた。横文字だった。
店を探すように言われ前もって予約したが、当日向こうが仕事が早く終わるようで予約を他の店に急遽変えた。直前に店を探すように言われて慌てて探したが、金夜で予約が割と埋まっていた。
メニュー表を眺めながら、
「ここ、潰れると思うわ。」
とそいつは何度か言った。
あぁ、みたいに曖昧な返事でごまかしながら、どういう常識の持ち主?と内心思った。
「俺さ、今タクシー通勤だわw電車とか時間がもったいないし、タクシーの金額ぐらい、タクシーの中で仕事すればペイできるし。」
「え、それ全部自分で出してるの?」
「いや、全部経費だよw」
「(経費かよ!!!)」
店員が飲み物の追加オーダーを取りに来て、そいつは二杯目を断って水を頼んだ。オイオイマジかよと思ったが、なんとなく私も断った。
「俺さ、最近外出たときの隙間時間とか、叙々苑で仕事してるからねw」
「へー、いいねー。」
「叙々苑の店員さんもびっくりしてると思うわw普通仕事してると思わないじゃん?オーダー取りに来たらパソコン開いて仕事してるってヤバイよねw」
「そうかもねwそれも自腹なの?」
「いや経費だよwうち経費緩いからw」
「でも立て替えとか大変そうだね」
「(え、お前会社の金でタダで叙々苑食ってるだけじゃね?てかお前の会社の人が叙々苑で仕事しすぎて絶対店員は慣れてると思うな...)そっかー」
この辺で正直帰りたくなったのだが、彼は止まらない。
「(えっとご実家は埼玉県のさいたま市の辺りでは...?実家が金持ちと自称できるレベルの金持ちは港区などにお住まいなのでは...?ていうか普通実家が金持ちとか他人に言う...?)そうだねー」
「てか俺、ほんと御三家とか行かなくてよかったわw男子校とか無理。共学がいいもん」
「(それを落ちた人が言うのは.......てかもしかして今日言いたかったのってそれか...?)そうかもね」
そして会計の段になり、男のクレカが今時流行の『SPGアメックス』であり、私のクレカも同じものだったのだが、そいつは会計時に黙って自分のクレカで払ってマイルをつけた上に、
「そんなんもってると男引くよ。」
と仰ったのである。
アメックス センチュリオンならまだしも、たかだか3万の年会費のクレカで引く男はいないだろうと思うのだが、ご実家がお金持ちの方の感覚はやはり庶民とは違うようだ。
更には店を出た後に、
「この立地でこのクオリティの飯でこの値段って、絶対この店潰れるわw」
ともう一度言った。
そうだね、確かに、あなたのように二杯目から水を頼むような人間がたくさん来店すると潰れるでしょう。
そもそもあなたの当日の突然の予定の前倒しのせいでこの店なんだけどね。
と思ったが、私は笑ってごまかした。
別れ際、「また連絡してw」と言われたが、次に連絡するなら少なくとも30年後あたりだろう。
私の友人の間では伝説の人物として語り継がれ、どんな女子でも笑いとツッコミを呼ぶ最高の物語として君臨しているため、時間は無駄ではなかったと思っている。
私は男に対していわゆる「さしすせそ」は言わないのだが、言わないと男はムキになってマウンティングを始めるので、こうした伝説の会合が時たま開かれることになる。
ぜひ、世の男性には、自分のコンプレックスを他人にマウンティングすることなく、己と向き合うことで解消して頂きたい。
他人からの「いいね」「すごいね」を集めても、何も変わらない。
他人の心を搾取しても、いつまで経っても満たされないと思うのだが。
更に言うと、評価されたいのであれば、自分が有能かもしれないと言うわずかな望みにかけるより、自分が平凡だと自覚して誰よりも努力するとカッコいいと思う。
今から約1年半前、清純でもないけどそこまでビッチでもない私は初めて会った男とはセックスしないというモットーの元、tinderで出会った男とたまに遊んだり飲みに行ったりしていた。
顔、めちゃくちゃ好き。
その男もまたヤリモクだった。
が、私は身体を差し出してでも会ってみたいと思ったので人生で初めて、セックスする為に人と会うことになった。
会ってみても超好きだった。
とにかく会話がめちゃくちゃ楽しかった。
向こうも私に悪い感情は抱かなかったみたいで、私たちは定期的に会う関係になった。
1年くらい関係が続いた。
好きだったからそれなりに辛かった。
何回も好きと伝えた。
誤魔化され、流され、出会ってからもうすぐ1年と言う時に俺も好き、と言って貰えた。
本当に嬉しかった。
手を繋いで地元を歩けるようになった。
忙しいのかな、と思い何日か待ってみたけどやっぱり返事がない。
余計返ってこなくなると思いつつ、昨日ついに追撃の連絡を送ってしまった。私の怒りと不安が詰まった長文ライン。
自然消滅なんじゃない?と人に言われて納得した。
https://toyokeizai.net/articles/-/327948
どの40女も振らせようとしてるように読めた
気がない相手への態度だと思う、自分の生活を一切譲らないのって
女にとって条件は良くてもこちらから好きにはなれない相手なんだと思う
5年は結婚する気がない、ってのはこの男に対してであって、思った相手ならすぐ結婚したいっていうんだろうと思うわ
自分で仕事してて慰謝料あって30万もらえてる、それを維持したいから男の方が通ってくれば、男の給料もあるし自分の収入も下がらない、結果的に多くの収入になり家計も助かると考えるのは不自然ではないと思う
事実婚は嫌だ・俺の仕事は地元を離れられない・おまえは仕事も慰謝料も今の生活環境も全部捨てて自分のところに親子3人で来い、生活費は払ってやる、って
相手は今の時点で生活するだけの収入はあって仕事も持ってて、地元を離れられないのは同じだろうに、子供2人の環境もあるし変えたくないのも分かる気がする
遅刻と高級店の食事をたかる女はさすがにひどいと思ったけど、それもまあ気がないから意図してやってるところあるんじゃ
40過ぎの女が濃い性格とかじゃなく、この男とは無いかな〜と判断した上でのまったく譲歩しない態度なんじゃないかなあ
変な女が多い、嫌な女が多い、とかじゃなく
その男の前ではそういった嫌われてもいい態度をとる女ばかり、なんじゃないの
もう20年くらい前の話。
ある時期、青いジャンバーを着た集団が博多駅でチラシを配っていたことがあった。
自分が見たのは博多口だったけど、筑紫口にもいたらしい。二週間ぐらい、自分が知る限り少なくとも平日は毎朝立ってチラシを配っていた。配られていたそのチラシは行方不明者を探すチラシで、眼鏡をかけた30〜40代くらいの男性の写真が載っていた。
通っていた高校でもそのチラシはちょっとした話題で、不謹慎な話だけど、そのチラシの顔の部分を切り抜いて友達の机や鞄の中に入れる遊びが流行っていた。中には職員室のコピー機を使って拡大してお面にする馬鹿もいた。自分たちの間では、その男の写真は『小須田部長』と呼ばれていた。当時流行っていた『笑う犬の生活』というコント番組のキャラに酷似していたからだ。そしてコピー機で小須田部長を増やすことを『小須田補完計画』と呼んでいた。先生に小須田部長を破り捨てられた時「私が死んでも変わりはいるもの」と小声で呟いた奴がいてその呼称が広まった。
そんなふざけたブームも終わり、それから一年以上が過ぎた頃、テレビでその男の人が放映されていた。笑う犬ではない。失踪者を探す真面目な番組だ。番組によると、その男性はある日突然前触れもなく謎の失踪を遂げたらしい。奥さん曰く、子供も産まれたばかりの出来事で、思いつめて失踪するような要素は見あたらなかったとのこと。そんな背景があるとはつゆ知らず、悪いことをしたなぁと思いながらテレビを眺めていたが、あることに気がついて血の気がひいた。
その男の人は、半年前に失踪したらしい。番組では具体的な日付まで公表されていたので間違いない。
でも自分たちがあのチラシで悪ふざけしていたのは、一年以上前だ。
じゃああのチラシは誰が何の目的で配っていたのだろう。
想像すると寒気がする。
友達が、十人くらいの男とお近づきになって、全員をそういうタイミングで振ったといって愚痴ってたことがあった。
なんだかすごく些細なことが気に入らないって言ってたな。一番印象的だったのは、男の部屋に誘われるがままに上がって、したことが男がスノーボードやってる映像を観ることだったんだって。その人スノーボーダーだったんだよね。それで、そんなナルシストはキモいって思って、トイレ行くふりして逃げ帰ったって言ってた。
その子は、初めて付き合った彼氏が、「結婚しよう」って常に言いまくってる男だったんだけど、何の前触れもなく「他に好きな人が出来た」ってんで彼女を振って、バイト仲間の一歳年下の女の子(彼女の後輩でもある)と付き合い始めたという。
それで、振られた悔しさからすぐ新しい彼氏を作ってやる!と思って、変な男にもホイホイついて行っては品定めして切り捨てるのを繰り返した。
最終的に、彼女は上司から紹介という名の押し付けをされた、四つ上でブラック企業に安くこき使われてた男と付き合って、わりとすぐに結婚したな。その男は彼女と付き合い初めてすぐ食らいにブラック企業辞めて大企業に就職して給料アップ。しかも実家がすごい金持ちなので、親から家を買ってもらったりしてた。
「歩道上で出くわしたところで、ぱっと視線を向けられたので、私は目礼しました。その男性は走りながら、何度も私のほうを振り返ったので、そのたびに目礼しました。国会図書館前の交差点で立ち止まると『小西か?』と声を掛けられました」
「はい、小西です」と答えると、いきなり「おまえ、ちゃんと仕事しろ!」などと絡んできたというのだ。
「一般の方からもよく路上で声を掛けられ、励ましだけでなくご批判の言葉を頂くことがあります。ご批判の時は、私はいつも『信念に基づいて、国会議員として仕事をさせて頂いております。集団的自衛権の解釈変更について憲法違反であることを証明してきました』などとお伝えするようにしてきました」
私には長年付き合っているかなり年上の男性がいる。しかし、彼が不特定多数の女性の関係を持ってきたことが最近になって明るみになった。
心が耐えられなくなった私はふとしたきっかけでそれを同僚の女性に話してしまった。彼女は、私に「そんな奴はやめて別の人を探せばいい」とさらりとアドバイスした。そして、スマホでさくさくっとLINEの操作をしたと思ったら知人の男性を紹介すると言ってくれた。なんというスピード感だろうか。私は圧倒されてしまい、あれよあれよという間に1人の男性を紹介してもらうことになった。
数週間後、その男性を交えた食事会をセッティングしてもらった。彼は私と同い年で、寡黙だが誠実そうな印象を受けた。比較的小柄ではあったが、精悍な顔立ちをしており、私には十分すぎるくらいの容姿だった。私を紹介されてしまった彼が気の毒であった。
連絡先を交換し、一度夕食に行った。正直食事の味は覚えていない。同い年でこんなにしっかりした男性と話すのは今までほとんどなかったので、彼を目の前にして私はたじたじになってしまった。数週間後にどこかに出かけようということになった。
私は彼からお誘いをいただいたことに、ただただ不思議な気持ちしかいだかなかった。なぜこんなに冴えない地味な女に声をかけてくれるのだと。知人からの紹介だったので、その厚意を無下にすまいときっと気を遣って誘ってくれているのだろう。
…どんどん彼に対する申し訳なさが募っていった。
本当は今日がデート(と言っていいのかわからないが)の日だった。結論から言うと、私は直前で都合が悪くなったと嘘をつき、約束を断ってしまった。理由は、嫌な夢を前日に見てしまったからだ。
こんな夢だ。
彼とデートに行ったら、いつの間にか身体の関係を持つ場面に移っていた。
彼は前回あった時よりも高圧的で、横柄な態度を取っているように思えた。
私が服を脱ぐと、「太っているね」と言った。まだ数回しか会っていない女に対して、なんという男であろうか。確かに太っているけれど。私はアトピーのケがあり、冬の時期になると乾燥も相まって身体中がかゆくなりあちこちがかさぶただらけになる。夢の中の彼はそこもあざとく見つけ、「肌が汚い」と私のことを罵っていた。
しかし、私と年齢も変わらないのに、私よりもはるかに上層の社会階層を生きている彼から、悪意を向けられても私はなにも言えなかった。そう言われて当然だからと。夢の中の私はひたすらに劣等感と屈辱感を噛み締めていた。
私は対等に付き合おうとした自分を恥じ、1万4千円で彼に自分の身体を売ると持ちかけた。突然援助交際の申し出をする私は頭がイカれていると思うが、自分にはその程度の価値しかない女だと降参したのだと思う。
薄いビニール袋のようなコンドームを彼の隠部につけてあげた場面を、今も生々しく覚えている。
なんという忌々しい夢だろうか!
私はなんて卑猥な女なんだ!
夢が覚めてから私は酷い自己嫌悪に陥り、彼と会うことが怖くなってしまった。もうだめだと思い、ドタキャンしてしまった。
確かに、彼と会うのは気が進まなかった。それは、彼の反応が淡々としていることとか、なにを考えてるかわからないとか、スペックが高すぎることとか、そういうことが理由じゃない。
私が自分に強いコンプレックスがあり、自分と相手の立場を比較しては彼に対して卑屈になってしまうからだ。夢の中で彼が横柄に見えたのは、私のなかの無意識を彼に投影していたのだ。
>>古代の北方少数民族を漢族と称し、その男子を'漢子'と称していました。後世そこから転じて男子を漢と呼ぶようになる。
少し昔の話だが、田舎の高校生1年生だった俺は、人気の少ないバスに乗って帰宅していた。
一番後ろの席で、部活帰りだったこともあり、汗まみれのジャージ姿でうとうとしながら眠っていた。
ふと気付いたら、20代前半くらいのスーツの女性が隣に座っていた。
いまでも覚えている!俺はうとうとしながら隣に座ってきた女性の肩に寄りかかっていたのだ。
小声で、わ!ごめんなさい...!と俺が言ったのを覚えている。
一瞬びっくりしたけど、相手もびっくりしただろうなぁとか思いながら、また眠りかけていたその時だった。
男性諸君ならわかると思うが、俺に、眠勃起現象が起きていたのだ。
16歳の勃起、そらもうビンビンだ!しかもジャージだから丸わかりなのだ!
ごめんなさい...!とまた小声で言って、鞄で隠した。足を組んだ。また足を組み直した。勃起を隠すための最適なチンポジに移動させようとしているのだ。
恥ずかしさと眠気で、顔をそらして必死に寝てるふりをしてやり過ごそうとしていた。
そうこうしていると、女の人がそっと俺の手を触ってきた。覚えている!嬉しかった!興奮した!
俺は必死に眠いフリをしながら、”これは俺の意志じゃありませんよ?”と主張しつつも、触れてきた手を握って、女の人も握ってきて、握り返して、またそれを握り返して、くんずほぐれつな状態になった。
そんな状態から、女の人は俺の手を自分の股間に誘導していったのだ!触ってもいいんだよ?と言わんばかりの誘導だ!興奮した!俺は、はじめて大人の女性の股間を触った!湿っていた!触れば触るだけ湿りが、濡れに変わるのを感じた!興奮した!灰色の俺のジャージにも我慢汁でシミがついていった!
”触っていいんだよ?”って小声で言われたのを覚えている!
一生懸命触った!興奮した!理性が保てない!うおおお!永遠を感じた!
そんなこんなしてたら、バスは目的地についたのか、女の人は、”ありがとね”と小声で言って立ち去っていった。
***
さて、本題に戻ろう。
いまでも覚えているが、翌日学校の友達に”逆痴漢にあった!”と鼻息荒く何回も説明したものだ。それから数ヶ月、馬鹿みたいにそのバスに乗った!(田舎だから2時間に一本も走っていません)高校生の俺にとって、バスに乗るのは疲れた時だけの贅沢だったからお金にも困った!
そして、現代。
なぜ”漢”ベースなのか?!
違う職場にいる男性のことが気になっている。かなり年上の先輩で、わたしとは性格も体格もぜんぜん違う。かなり年上といっても、わたしが社会人の中ではかなり若い方(大卒未満)なので、そんなにおっさんというわけでもない。肌の感じは20代くらいかな。
会話をするチャンスはほぼないけど、話しかけられると顔を斜めに向けながら、そっけない返事をしてると思う。
その男性Kさんは、会社での評判がよくない。仕事はできるけど、なんか業務中の態度が悪いみたい。わたしにはそんなことないけど。
同じ部署の先輩もKさんの悪口を言ってるのを聞いたことがある。「偉そうで、自己中で、社会性がない」んだって。そういえば思い当たる節がある。
わたしの鈍い脳みそで考えても、どうでもいい人のカテゴリーに入れるべきだと思う。
できない自分に腹が立っている。2週間に1回くらいしか会話しないのに。忘れても、ある時フッと思い出して、今来たらどうしよう、という思いがよぎって、髪型を直そうとしている自分に気が付く。
嫌だ。なんとかしたい。できれば年内には。
こんなに悩んだことはない。増田の皆さんに相談したいので時系列にまとめる。もちろんぼかしてるよ。
半年以上前、会社のイベントに動員された。パイプ椅子を運んだり、大きい机を運んだり、子どもがバルーンの中に入って遊ぶ装置を組み立てたり、射的の道具をセットしたり…同じ職場の後輩Mちゃん(でも年上)と一緒にイベント会場を回って手伝いをしてたんだけど、手持ち無沙汰になった。
みんな一生懸命に動いてるのに、わたし達だけ暇な感じでどうしようとか思ってると、Mちゃんがわたしを引っ張ってくれて、券のようなものを仕分けている男の人のところに行った。
それがKさんなんだけど、わたし達を見ると、何も言わずに引換券の整理のやり方を教えてくれて、自分はサッとどこかに行った。
いい人なんだな、とその時思った。Mちゃんも同じこと言ってた。
半年前、Kさんが職場の窓口に来た。うちの職場はいろんな課で使う情報を取り扱っているので、他部署の人がそれを求めてやってくる。Kさんが来たのは初めてだった。後でわかったけど、異動したばかりだった。それで、「○○を印刷して欲しいんですが」と声をかけられた。はい、と答えて顔を上げた。
病気かと思った。わたしの心臓が痛くなって、ちょっとの間、声が出なかった。Kさんの手にあった地図を受け取ってもう一度、顔を見上げた。もうダメだった。
手馴れた作業のはずなのに、何度も何度も聞きなおした。プリンタで印刷された物を手に取ったわたしは、「個人情報なので慎重に取り扱ってください」というルール通りの言葉と一緒に手渡した。顔は見なかった。倒れるかもしれなかった。
それから数週間置きにKさんが来るようになった。心臓はだいぶ楽になった。一度だけ、倉庫で二人きりになったことがあったけど、その時は会話にならなかった。小学生みたいな片言しか喋れなかったよ……
またちょっと後、Kさんがやって来た。今度は隣の席にいるMちゃんに声をかけて、参考の地図を渡していた。
Mちゃんは颯爽とパソコンに向かったけど、苦戦しているようだった。声をかけたかったけど、接客中だったのでそれもできず。
結局、宿題になった。Kさんは「お願いします」と言って帰った。
「無理だ」と思った。わたしでも2時間はかかる。Mちゃんがやると途方もない時間がかかると思ったので、わたしがやるよと言ったけど、Mちゃんは譲らなかった。
翌日、夕方までかかって作業を終えたMちゃんは、Kさんの部署まで届けに行った。すごく満面の笑顔で帰ってきたのを覚えてる。帰る時、Kさんの職場をちらっと眺めた。Kさんが廊下を歩いている後ろ姿が見えた。
なんとなく観てると、いきなり振り返ってUターンした。驚きすぎて固まってしまった。いや、歩いてたけど。ぶつかりそうになった時、「お疲れ様です」と言われた。無視した。
5ヶ月前、Kさんが用事でうちの職場に来た。今度は誰かに依頼するんじゃなく、自分が直接パソコンを操作するか、台帳を見て欲しい情報を書き留めていくパターン。
わたしは髪を切っていた。バッサリと。今思えばとかじゃなく、Kさんに気付いて欲しかった。今までが地味すぎたんだなって思ったから。
それで、斜め向かいの位置に座ったKさんが操作を始めてからちょっと経つと、視線を感じた。Kさんの視線。わたしをちょっと見ると、またパソコンの画面に視線を戻す。それで、またわたしを見る。
ドキドキしてた。それで、ああ、やっぱりそうなるのかなと思って目線を下にした時、「○○さん」とわたしの名前を呼んだ。
もの凄い勢いで立ち上がって、Kさんのところに行った。すると、基本的なところが分からない様子だったので、手短かに教えて席に戻った。
また時間が経った。4分くらい? またKさんがわたしを見た。悪戦苦闘している様子だった。どうしよう、自分の仕事をやめにして、声が掛かるのを待ってた方がいいかな、と思った。
でも、時が経つうちに心臓の鼓動も大きくなって、ああもうどうしようってなって、席を立ってトイレに行った。髪を直して、二重になってるかとか、唇も大丈夫なのを確かめて職場に戻った。
KさんがMちゃんと仲良くしていた。そう見えただけかもしれない。知りたい情報の検索方法を聞いているようだった。
でも、Kさんが変だった。すごく笑顔でMちゃんと話していた。わたしの時と違って、おどけた感じでMちゃんの説明に関心してた。
席に着いて、自分が今やっている業務に心を向ける。しばらくキーボードを打っていると、まただ。またKさんがわたしを見ている。ドキドキが戻ってきた。え、これからどうなるの、って思った。
「○○さん」て呼ばれた時、人生で一番飛び上がるような勢いで席を立った。Kさんのところに行って、質問を聞いた。
自分の席で、その質問に答えるために必死でキーボードを打つ。たくさん打って、たくさんの画面を開いた。
わからなかった。どうしても。え、なんで? なんで、って思った。簡単そうなのに。わたしならできるはずだって思って、何度もチャレンジした。
休憩のチャイムが鳴った。Kさんがわたしの席に来て、慰めの言葉をかけてくれた。
Kさんを睨んでいた。涙が滲んでいたかもしれない。それからなんて言葉を返したのかは覚えてない。
しばらく、Kさんが毎週のようにうちの職場に来るようになった。あの時と同じ目的で情報を取りにきてるらしい。
ある日、またKさんはわたしを呼んだ。質問の内容は……こないだと一緒だった。追加のヒントもなし。そんな、誰が作ったのかもしれない文書見せられてもわかんないし。こっちの身にもなってよ。
結局、頑張って調べたけどダメだった。か細い声でKさんに声をかけて、すいませんと謝った。すると、「いいよいいよ」って感じで、わたしから文書を回収した。
こいつクソ野郎だなって思った。
それからも、Kさんは何度もわたしに質問をした。例の件以外にも、いろいろなことをわたしに尋ねるようになった。態度がおかしかった。最初はもっと堂々としていたのに、急に窮屈そうな態度になって。言葉もたどたどしい。
あ、この人、あの連中と一緒だったんだって思った。身体が目当てで接してくるあいつらと一緒なんだって。そういう人って、態度でわかるから。おどおどしながら懐に入ってくる感じ。気持ち悪い。
Mちゃんが居なくなった。わけは言えないけど、とにかく居なくなった。
なんで? って思って、知らされた次の日に職場で塞ぎこんでいた。すると、その日に限ってKさんが来た。
それで、また何度も質問をしてくる。
気持ちが悪い。そういう嫌悪感を込めて接した。とにかく、あなたが嫌いっていう気持ちを込めた。
チャイムが鳴った後だった。こっそりと、アドレスを教えてと言われたのは。
死ね、と思った。どうやら大きな仕事が終わったみたいで、あなたのお蔭だよって言われた後だったから、余計に腹が立った。
……Mちゃんが居ないのに。それでこんなに苛々してるのに。あなたが彼女がいた位置に立って、そんなふざけたことしないでって、そう思った。
次の週、わたしはさらに塞ぎ込んでいた。Mちゃんがいないうえに新しい人も来ないので、仕事がそのままぜんぶわたしに降ってきていた。
深夜帰りの生活になった。帰りの風は冷たかった。家に帰って毎日泣いた。
その月末だった。Kさんが職場に足を踏み入れたのは。まっすぐにわたしのところに来て、仕事の依頼をした。1分で終わる仕事だ。
さっと終わらせて、プリンタから出てきた用紙を彼に渡すと、会話が始まった。
ごめん、ほかの人達にも聞かれてたから、ここで話すことはできないんだ。
でも、それが終わる頃には、ちょっと自信を取り戻していた。自分は必要とされてるんだ、わたしを応援してる人がいるんだ、頑張ってこの苦難を乗り切ろうって思えた。
ありがとうございますって言った。自分の職場に帰るKさんの後ろ姿を見送った。
そんな気分はあっという間に醒めた。
やっぱり、毎週とまでは言わないけどKさんが来る。
不自然な笑顔で「あれを借りてもいいですか?」なんて言いながらわたしの席に来る。
それで、パソコンを操作した帰りに、たまにわたしに声をかける。
その頃には、職場の中で、わたしとKさんのことが噂になりつつあった。
ある先輩は、「Kさんのこと好きなの? 彼があなたを褒めてたよ」と密かに伝えてくる。
また別の先輩は、(わたしを心配して?)Kさんが過去にした悪いことを教えてくれた。前の部署で暴力事件を起こしたことがあるとか、反りが合わない先輩をわざを煽り続けて心を病ませ、病院送りにしたとか、いろいろと聞いた。
でも、ちょっとだけ思ったんだ。そういう悪いことが堂々とできるKさんがカッコいいかもって。その病院送りになったという先輩はわたしの近くに座っている人で、口が立つ感じで、よく後輩にマウンティングするし、嫌な人だと思ってたのもある。
数日前のこと。
最近は来てないな、と思って彼の顔を見た。
笑ってた。わたし。何も考えずに、笑顔で「お疲れ様です」って言った。
珍しくスーツだった。一般入札をする時にそういう格好をするんだ、と以前に彼から聞いた。
「髪型変えた?」て聞かれた。「はい、変わりました」って答えた。口の形が変だったのは間違いない。
明け方が近い。
とりとめのない長文でごめんなさい。
でも、本当にどうしたらいいのかわからない。
年が15も離れてるのに、恋愛なんてできるの? というか、そもそも相手のことが全然理解できてない。
理解しようにもチャンスがない。
どうすればいいの?
・うんち
そうだね、うんちだね(泣)
・超怖い。 暴力と人を入院させるほどの言葉の暴力を平気で使う男と付き合ったら死ぬ思いをするだろうけど、死ぬ思いをしたいなら止めない。 Mちゃんが消えたのはその人関係なの?
彼の関係かはわかりませんが、Mちゃんは彼のことが好きだったかもしれません。視線の感じでそう感じたのと、職場の年配の人がそういう噂をしてました。Mちゃんは辞めてません。病気なので、いつか帰ってくると信じてます。彼のことがわからないんです。わたしには優しいけど、あれはクズっていう人もいます。でも、彼が前にいた職場がブラックなところで、これまで何人も心の病気になっているみたいです。今年入った新人がもう辞めています。そういう部署に何年も居たら、クズにならないとやっていけなかったのかな、と思うこともあります。でも、彼がどういう人なのか分かろうとしても、そもそも接点がない……