はてなキーワード: 近代社会とは
youtuberとして売れたいプペルが麻薬を燻製にしようとチャレンジして煙突から様々な気体を垂れ流しにしているせいか、ハロー効果は捕まっていないだけの詐欺師でも使えるほど強力だからか、コロナウイルスが遠慮するくらいに若者がプぺプぺ言って楽しそうなので、自民党は高齢者枠でワクチン接種する令和おじさんより10年間毎日2時間睡眠という高校生並み体力を誇る教祖様をあてにしたほうがよいと思う今日この頃だけど、この手の話は地方創生においても見受けられる。
マクロに言えば、政府は政府にとって都合のよい自治体が増えるよう、都合の良いことをする自治体に地方創生交付金を流す。(間違えた、取組を啓発し交付金によって実施を奨励する)
ミクロに言えば、政府にとって都合の良いことをする自治体は政府や地方にとって都合のよいことをする個人や法人が増えるよう、都合のよい住民をファシリテーターやスピーカーとする講演会を開催する。(交付金は出ないから承認欲求の満足で我慢してね)
ゆりかごから墓場まで貴族の与党が現実離れしたキラキラした方針を出せば、官僚レベルではチンケな娑婆と折り合いをつけるために法的に落とし込み、ギラギラした目で残業しながら財務省や予算委員会と掛け合う。自治体レベルでは、部長クラスが交付金と我が老後に目をキラキラさせて指示を出す。我が20年後に目をキラキラ・ギラギラさせる者や、煙突にこびりつくすすのように黒ずんだ眼を見せる者は、交付金獲得のための書類作成や実績を残すための事業運営に精を出す。起業家育成、女性支援、空き家・空き店舗の利活用。勝てる農林水産業、六次産業化、産官学の連携。都合のよい未来をもたらすためのキラキラした事業たち。
ここまでくると、誰かがキラキラしているのは一瞬だ。講演中の講師や、夢を思い描き事業に参加したくなる人、チラシに使われる笑顔くらいなもの。キラキラを追いたいがために、あるいは美しい素朴な心で誰かのために何かをしようと、しょっぱい補助金等各種支援()施策を頼りにして、現実と毎日格闘して疲れ切り、プぺプぺ信者からチケットを買う代わりに、異教の信徒からヒトモノカネを買わされているかもしれない。ちなみにこのレベルでも生まれながらの貴族に事業委託すると、素晴らしい実績の代わりに人生の自由を損なった信徒が量産されるぞ。そうすると生まれながらの貴族は実態経済と離れた資本市場でさらに貴族力を高めるぞ。
無理してもみんなキラキラとプぺりたい。しかしキラキラした光をよく観察すると、こちらに向かっているのではなく、中心にある無限の穴、つまり素晴らしく現実化するのが困難なアイデアに吸い込まれているのかもしれない。キラキラを追わねばキラキラできない、モテる教祖様と持たざる信者とその他何者にもなれなかった者による近代社会を令和になってもやめられない。
まず、何があっても人は殺すな。
*
人生の意味とか考えちゃうよね。多分真面目で責任感が強いひとだから、なおさら
自分が産んだという事実に対して、何らかの意味や成果を考えてしまうんだとおもう。
*
(その方が結局みんなの得になると判断したし、支える余裕を皆で捻出することにした)ので、
今あなたが利用しているサービスを含め、あなたが他の人と同じくらいに心やすくなるまで
他人に頼っていい。というか、心の余裕ができるまでとことんそうしたらいい。
*
お子さんが普通にくらす、社会に貢献するかどうかについては気に病まないでいい。
普通だとか、社会にプラスとかマイナスとか、なんとなく幻想で言ってるだけで測りようもなければ、実態もない。
*
メッチャ頭よくて大統領になって自分の信念に基づいて大衆を導いた結果、全員に地獄を見せるひとは
プラスなんかマイナスなんか、大統領になるまではプラスで地獄みせたあとはマイナスなんか。いつ決算すればいいんや?
*
お子さんはしばらくの間みんなに助けてもらう側かもしれん。もしかしたら助けてもらうだけで老いて死ぬかもしれん。
それでも、いいんです。もしかしたら、誰かの手助けになることもあるかもしれないし。
その可能性があるというだけで、誰でも生きていっておっけーっていう事に近代社会はなったんだよ。
*
まず、何があっても人は殺すな。
殺す必要もないし、殺したあなたが損するだけだ。 <h3>o- *</h3>
人生の意味とか考えちゃうよね。多分真面目で責任感が強いひとだから、なおさら
自分が産んだという事実に対して、何らかの意味や成果を考えてしまうんだとおもう。 <h3>o- *</h3>
(その方が結局みんなの得になると判断したし、支える余裕を皆で捻出することにした)ので、
今あなたが利用しているサービスを含め、あなたが他の人と同じくらいに心やすくなるまで
他人に頼っていい。というか、心の余裕ができるまでとことんそうしたらいい。 <h3>o- *</h3>
お子さんが普通にくらす、社会に貢献するかどうかについては気に病まないでいい。
普通だとか、社会にプラスとかマイナスとか、なんとなく幻想で言ってるだけで測りようもなければ、実態もない。 <h3>o- *</h3>
メッチャ頭よくて大統領になって自分の信念に基づいて大衆を導いた結果、全員に地獄を見せるひとは
プラスなんかマイナスなんか、大統領になるまではプラスで地獄みせたあとはマイナスなんか。いつ決算すればいいんや? <h3>o- *</h3>
お子さんはしばらくの間みんなに助けてもらう側かもしれん。もしかしたら助けてもらうだけで老いて死ぬかもしれん。
それでも、いいんです。もしかしたら、誰かの手助けになることもあるかもしれないし。
その可能性があるというだけで、誰でも生きていっておっけーっていう事に近代社会はなったんだよ。 <h3>o- *</h3>
インターネットには説明しろおじさんが多い。ブコメやTwitterでよく観られる。対象は政治家とか企業、有名な人。いろんな人に説明しろと罵倒気味に命じる。発祥は国会の質疑だと思われる。いつの間にか説明責任とかいう謎概念ができている。ただ、困ったことに説明をしても、説明しろと言った人は聞いちゃいない。説明を理解する能力がないか、あえて無視している。個人的にダサいと思うのは、質問する側が問いを練り上げてない点だ。ただ漠然と説明しろと言うのは知性に欠ける。何が問題であるのか練り上げて質問したほうが効率的だし楽しい。ただ、曖昧な問いしか投げられないのは、言語化能力の問題かもしれない。研ぎ澄ました本質的な問い、質問された人が簡単には答えられないような問いを投げるのが、かっこいい在りかただと思うのだが、言語化できない人は質問をするだけで満足しているのだろう。権力を持っているのはわれわれ有権者なので質問はしていい。だが、薄っぺらい問いを投げて満足しているのは残念な姿だと思う。
近代社会は言語化できない人に厳しい。国家的な教育を通して国語能力を磨かせているはずなのに、読み書きできる人は少ない。しかし、言語能力が高くないと困る社会にも問題がある。認知特性には人によって偏りがあり、言語より図やイラストによる表現が得意な人もいる。音楽だってそうだ。これだけ国語をやっても変わらないのだから、人によって得意分野が違うとして諦めるしかない。一部のエリートは何も苦労せず読み書きができている。彼らは制度を作る側なので、当たり前のように読み書きを重視する。残念ながら、この構造は変えられない。思考を固定化するには文字が効率的なのだ。新しいシリアライズ形式が出ない限りはこのままだろう。
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)読了。
面白い。三条が理解できたことで、この時期の政権の本質についても理解が深まった。三条を「有徳の為政者」と位置づけ、最後にそれを「知の政治家」(瀧井一博の伊藤評)とつなげるのは見事だなあ。
「封建制社会/儒教道徳/徳治/属人的」→「近代社会/議会制原理/法治/属制的」。高貴な出自なのに革新志向、清廉無私の人柄、この二つの特徴を持った三条実美という人物が当該期の政権運営には必要だったということだ。
興味深いのは、手腕でなく徳で政府を治める太政官制(あるいはそのような政治文化)とその後に樹立された明治憲法体制を比較すれば、前者がより属人的、後者がより属制的といえるが、さらにその後の昭和戦前期と比較すれば初期の明治憲法体制も属人的要素に頼る所が大きかったことだ。伊藤らの意図は立憲制度の確立、つまり天皇や閣僚が入れ替わっても立憲政治の根幹が失われないよう制度化することにある。言い換えれば属人から属制への転換を図ることだ。(ちなみに、神棚に祀ることで天皇に政治勢力を接近させずまた天皇の権力を事実上制限したのが、まさに伊藤(井上伊東)の深謀遠慮というものだ。この賢察を思うにつけ、天皇機関説排撃とかバカジャネーノとしか言えん。天皇を機関にするのが憲法だろ!)。
しかしそれでも、憲法に明記されない微妙な問題、あるいは高度な政治的判断が求められる局面になると、個人のパーソナリティーや個人間の特別な関係がものを言うことが多い。要するに、当面の政敵でも共に維新回天の荒波を潜り抜けてきたという同志的な感覚とそれに基づく信頼・敬意・連帯感があり、最後の最後ではその琴線に訴えかけることで複雑な問題の調整が図られているように思える。制度に足りない部分を人情が補っている、草創期ならではの危うい立憲制。
そして明治の元勲が皆世を去ってしまうと、憲法は輝かしいけれど文字になり、制度は要塞になり、縦割り・現場無視・党利党略・悪い意味での官僚的態度等々が前面に出てしまい、それが政権運営の不安定さや政党政治の機能不全につながった……のではないか。日中戦争前後の政府・官僚・軍・政党を見ていて感じるのは、よく「彼は調整型の人物で…」というが、政治的調整とは調整役が何とかしてくれるということではなく、また調整役とは八方美人の意味であるはずがない。
三条は近代立憲政治にふさわしいリーダーではないが、ある時期には彼のような調整役が必要で、それは彼が出自や人徳という計画的に習得できるようなものではない要素を備えていたからで、そういう意味で代えのきかない存在だった(武器として装備しました、ではなく、元々そういう人だ(あるいはそのように見える)という点こそが重要)。その後の政府や現代の組織に於いて三条的人物が三条のような高い地位を占めるべきかと言われれば疑問だが、組織運営(特に責任者の周囲)に於いて三条的な役割が不要と成る事は決してない。三条に合理的積極的な存在意義を見出すという著者の意図は十分成功しているし、その存在意義はそのようなことをも示唆しているのではないか。
まあ、比喩としたら何かを足して、より、麻婆豆腐から何かを抜けと言われてるような話ってことだろね。その味苦手な人が増えたから、ちょっと配慮して、みたいな。
料理によってはそれが致命傷になる場合もあるだろうから、増田が言ってることも分かる。けど、大枠としては「そのスパイスは禁止になったので」がそもそもの趣旨じゃなくて「その味苦手な人が増えたから」って話なんだよね。だからたとえば「いやいや、カレーからターメリックとクミン抜いたらもうカレーじゃないですやん?」って場合には、つまりもうカレーが求められない時代になったってことを意味してるんだと思うよ。
例を挙げれば、近代社会で私的報復が違法になると、だんだん「敵討ち」ものが流行らなくなり、やがて「相手にも相手の事情があったんだ、許そう」みたいなドラマが主流になるみたいな話。「敵討ちが禁止だからそういう話はダメ」じゃなくて、「もう敵討ちものなんてリアリティないし売れないんだよ」ってこと。先生、時の流れってそんなもんなんすかねぇ。
かつてのフェミニズムは、家父長制からの離脱と、女性の権利の拡張、自由な恋愛やセックスを目指すものであった。
しかし、現在フェミニストと称する人々の主張をみると、イスラム教や家父長制と深いつながりを持っていることがわかる。
・イスラームでは、原則として女性は親族男性以外に触れられてはならない(うぃきぺぢあ)
・女性は顔と手以外を隠し、近親者以外には目立たないようにしなけらばならない(うぃきぺぢあ)
フェミニズムは、日本をイスラム社会に改造することを目指しているように見える。
おそらく、かつてのフェミニズムは、家父長制やお見合い結婚などの制度を背景として、そのなかでさらなる権利を獲得できる主張であった。
ところが、家父長制もお見合いも消滅し、残ったのは女性も会社で奴隷労働し、自分で結婚相手を狩り、自己責任で離婚する社会になった。
別に嫌いなのはいいんだけどそのせいでむしろ偏った見方してないかと思う
そもそも実名公表したのは警察だし、それを拡声器のように広めたのがマスコミ
じゃあなんでそれを別にいいと思うのかなんだけど
あっ、今マスコミは報道じゃなくて金儲けしたいだけって思ったでしょ?
それがまず偏ってるって自覚してほしいんだよね
君たちがこの事件を知れたのも報道機関たるマスメディアが存在しているからだし
全国、世界で日々起きてることを情報として得られているのもマスメディアの活動によるものなんだよ
その情報がなければ我々は事実すら何も知ることが出来ないってことをまず理解してほしい
SNSがあるじゃないかって言うけど、SNSなんてそもそも主観でしか物事を伝えられない
それを除いたら政府発表だけになるわけで そんなもんただの大本営発表だわな
マスコミ各社の傾向を把握した上で自分なりに吸収して考えりゃいいだけの話で
話はそれたけど、つまり事実を広く人々に知らしめるのがマスメディアの役割であって
じゃあその事実は何に裏付けられてるのかと言ったらリアリティなんだよね
実名じゃなくて男性(24)、男性(36)、女性(28)が亡くなりましたなんて言ってもさ
被害者遺族は安寧が守られるからいいかもしれないけど、それはリアリティとしてこちらに伝えられてこないんだよね
そこを「想像力のないバカ」って切り捨てるのは簡単だけど、近代社会においてそういうリアリティって秩序の維持のためにすごく大事
最近親が子供を虐待して殺してニュースになりがちだけど、そこで虐待されてた子供が何を感じてたかってのは全て国民が事実として共有すべきこと
虐待は悪だ、子供は守られるべきだっていう社会通念上必要な情報の共有は常に維持されていなければならない
じゃあ何でそれを担保するか?報道っていうのはそこを担ってるわけなのよ 事実を伝えることを担保として秩序を保ってるってわけ
人間なんか本来暴力的なんだから気をつけて対応しなきゃいけない
だからそこに必要なファクターである実名の報道っていうのはされなきゃならないわけ
被害者遺族のプライバシーは守られなければならないのは確かだとは思うよ
でも、それは報道の仕方が問題なだけで、実名報道とそれに関連するエピソードの紹介等は前述した通りあるべき姿なわけよ
社会的に必要なことだと思わないってのはな それこそ視野を広くして全体のことを見て「想像力を働かせて」先を見るべきだと思うよ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190428-00124121/
捜査に不備があったら事実に関係なく無罪、というのなら納得できるが、だったら「無罪の理由は捜査の不備です」って前面に押し出して言うべきだよね。「抵抗できたはずだから」なんて妄言吐くから批判されるんで。
すごい良い記事と思う。けどそれとは別に、抗拒不能ではなかったと判断した裁判官に、司法に絶対納得がいかない。強く言えない性格の人は犯されても泣き寝入りしてくださいねってどう考えても厳しすぎるだろ
嫌がっていた、同意してなかった事を立証するために、被害を回避できていた事例や時期を証拠として挙げたら、それに基づいて「必ずしも断れなかったわけではない」と判断されるの、やる方に有利すぎでは。
みんな絶対、「抗拒不能」と「抵抗できなかった」を混同してるでしょ!
あなたたちが言ってるのは、強制性交罪の「暴行又は脅迫」にあたるかどうかって話だよね?
第177条
十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。
今回父親から振るわれた暴力は、当たり前だけどここで言われる「暴行又は脅迫」に該当しますよ。
しかも被害者は性的虐待を嫌がって逃げようとしていた。これは確実な有罪の証拠になるでしょう。もしも強制性交罪で起訴されていたなら、ね。
第178条
(省略)
ここでの「抗拒不能」って意味わかります? 「心神喪失」とセットになってるのがポイントね。
要するに、この条文は、「お酒でぐでんぐでんになってる」「睡眠薬で眠りこけてる」「心の病気でまともな判断能力がない」状態の人をレイプする罪なわけ。
意識がはっきりしている状態、正常な判断能力がある状態に決まっているじゃないですか。
日常用語の「抵抗できない」とは全然意味が違うの、わかります?
「でも嫌がって逃げようとしてたじゃん!」って反応はおかしいわけですよ。逃げようとしたってことは、意識ははっきりしてたんでしょ? じゃあ「抗拒不能」じゃないよね、ってだけの話。
じゃあレイプし放題ってこと? もちろんそんなわけはない! だって、意識が正常な人をレイプした人は、強制性交罪に問われるわけですからね。
その場合は、「殴られた」「脅迫された」という事実でもって「なるほどこれは日常用語でいうところの抵抗はできなかったですね。有罪」ってことになるはず。
でも、検察は今回「意識がはっきりしてない人をレイプした罪」である準強制性交罪で起訴したわけ。
とすると、強制性交罪にあたっては有罪の証拠になるはずの「嫌がっていた」「殴られていた」という事実は、どれも無罪の証拠になりうる。
なぜなら、それは全部、「抗拒不能ではなかった」=「意識ははっきりしていた」ことの証明になるから。
「意識がはっきりしていない人をレイプした罪」で起訴された以上、被害者の意識がはっきりしていることがわかったなら無罪にすべきでしょう。
「あんパンを盗んだ罪で起訴された男が盗んだのは実はジャムパンだった」みたいなものです。あんパンを盗んだ罪で起訴されてしまった以上は無罪を言い渡すしかない。
繰り返すけど、意識がはっきりしている人をレイプする罪は別にあります。だから、これで性犯罪し放題とか言ってるコメントはまったくもっておかしい。
「被告人が盗んだのはジャムパンだったから『あんパンを盗んだ罪』に関しては無罪」という判決に「あんパンなら盗んでいいのか!」「パンが盗み放題になるじゃないか!」って言ってるようなもの。的外れにもほどがある。そりゃ、こんなこと言ってたら専門家から呆れられますわな。
こういうときはどうすればいいか? 訴因変更という手続きがあります(これは控訴せずとも一審の途中とかでもできます)。
要するに、検察側が、「ごめんごめん、起訴するときはあんパンって言ってたけどやっぱりジャムパンだったわ。『ジャムパンを盗んだ罪』に変更します」と言えばいい。
なので、上訴審では訴因変更する可能性もあるんじゃないでしょうか。というか、控訴した以上はそうすると思う。
じゃあなんで検察は最初に準強制性交罪で起訴したかっていうと、これは江川さんの記事にもある通り「長いあいだ親に支配されていてまともな判断能力がなかった」という点をもって「抗拒不能」と主張したかったんだろうなあと思います。
酒やら睡眠薬やらの影響じゃなくても、正常な判断能力が壊れている、あるいは壊されている場合というのはありうるので、それに該当すると言いたかったんじゃないかと。
ところが今回の被害者さんは、親から逃げようと準備するとか、そういうまっとうな判断力が残されていたわけですね。
とすると、「まともな判断能力がない」という、罪を成り立たせる前提が疑わしいわけですよ。前提に疑いが生じたのなら無罪にするほかないでしょう。
どんな極悪人でも、起訴状に書いていないこと、検察官が主張していないことに基づいて有罪判決が下されるべきではない。
私も、今回の被害者さんの振る舞いを見る限り、彼女にはまともな判断能力はあったし、レイプを続けた父親は本当にクソ野郎だなと思うわけですが、だからこそ、この事案は無罪にしないといけないんですよ。
なぜなら、父親は「まともな判断能力のない人をレイプした罪」で起訴されてしまったから。
レイプされた被害者にまともな判断能力があることが明らかにされたなら、「まともな判断能力のない人をレイプした罪」に問うことはできない。
当たり前ですね?
「検察は『まともな判断能力がある人をレイプした罪』で起訴しろよ」うんうん、その通り。
「そもそもなんでその2つの罪を分けてるんだろ。どっちもレイプだろ」お説ごもっとも。
「裁判長はおかしい! こいつを有罪にしろ!」いやそのりくつはおかしい。
何度も言うけど、この件は無罪になるべきなんです。
裁判官が「起訴事実は多少不正確だけど、こいつ悪いやつだから有罪」なんて言う世界は嫌でしょ?
今回の事件は、どちらにせよ非常に胸くそ悪い事案で、有罪だろうが無罪だろうがこの被告人が極悪人であることに変わりはない。
でも、だからといってこれで有罪にすることを認めてしまったらどうなるか?
もっと微妙な事案で、事件の成立の有無を分けるようなディテールの部分で、「うーん、細かいところはよくわかんないけど有罪!」になってしまうかもしれない。
そんな世界、望ましくないでしょ? え? 望ましい? そんな馬鹿な。
あなた本人が、あなたの親兄弟や恋人が、テキトーな事実認定で有罪にされても同じことが言えますか。
繰り返すけど、文句を言う相手は検察や立法です。「準強制性交罪じゃなくて強制性交罪で起訴しろよ」「そもそもその2つの罪がなんで別なんだよ。統合しろよ」そういう主張は正当だし支持します。
でも、裁判官はおかしい! 裁判官に性教育を! なんて、矛先を間違えた主張にはまったくもって賛同できません。そういうの魔女狩りって言うと思うんですが。正しい判決を下しただけなのに訴追請求しろとまで言われてるの気の毒すぎるでしょ。
ということで何が言いたいかというと、
ってことです。
「学習性無気力症」は正常な判断がある状態と言えるか問題じゃね? 洗脳と言い換えてもいい。そりゃ酩酊や昏睡ではないが、かと言って。
そういう理路で批判するなら理解できるんですが(検察もそういう判断から準強制性交罪で起訴に踏み切ったんだと思いますし、無茶な考えというわけではないと思う)、明らかに「抗拒不能」の意味を「抵抗できない」って意味だと勘違いしてる人多すぎなんですよね。この増田はそういう勘違いへのカウンターなので、「抗拒不能」を正しく理解した上で文句を言うならご自由にどうぞと思います(でもその文句、つける意味あります? 準強制性交罪でも強制性交罪でも法定刑は同じなのに)。
過去の継続的な暴力、脅しは認定できても、「その」性交に向けた直接の暴行脅迫が裏付けられないからこそじゃん?学部生なら努力賞だな。これに喜びを隠さない半可通ども↓は人間だったら反省しろ。
補足。起訴された2性交(事務所とラブホ記録で特定可能だった件)に対する直接の暴行脅迫はなく「暴行又は脅迫を用いて」の要件を満たさない。177条なら有罪になったはずとの増田の論は誤り。
そういう懸念はありえるところだと思います(検察が準強制性交罪を適用したのもそういう懸念があるからかも)。ただ、滝本太郎弁護士が紹介されていた判例(https://sky.ap.teacup.com/takitaro/2545.html)によれば、強制性交罪も成立しそうに思えます。
リンク先の内容を簡単に紹介すると、「2周間前に脅迫された女性が、脅迫してきた男に自分から連絡して性交した」という事例で、男は強姦罪で有罪になっています。とすると脅迫や暴行が時間的に近接していなくとも構わないという理解になり、以前に暴力を振るわれていたから怖くて抵抗できなかった、もじゅうぶんに177条が成立しそうな気がするのですが、いかがでしょうか。
強い酒飲ませて泥酔させたとか、飲み物に睡眠薬仕込んで眠らせたとか、そういう事例はたまに聞きますが、軒並み準強制性交罪が適用されます。
それは別にして、今回のケースでも法律が必ずしも犯罪に至るまでの過程までは拾えてないんだ。ってことで、これからはどうしようね。って話をしてる人も多いと思うんですけど。
ちょっと前に性犯罪関係の法律が変わって、強姦罪が強制性交罪になり、監護者等性交罪が新設されたので、けっこう拾えるようになっているのでは? 少なくとも、現在において18歳未満の娘と性交した父親はそれだけで罪に問われます。
今回の件は、18歳未満での性交があったのは法改正前だから新法が適用されず、18歳以降の性交のみに絞って起訴するほかなかったというだけです。でも、これは性犯罪だろうが他の犯罪だろうが変わらない、近代社会の大原則ですよね。
正直、今回の騒動でビックリしたのが、まるで性犯罪関係では司法はちっとも変わってないみたいな主張をしている人の存在です。2017年の刑法改正で性犯罪に関して議論を経て改正がなされたのは、性犯罪に多少なりとも興味があればジョーシキでしょ、って思ってました。まだ改革が足りない、という主張は賛否は別として理解できるんですが(不同意性交罪を作ろう、という議論はこれですよね)、これまで行われてきた改革を知らずに発言してるっぽい人はいったい何なの、と思います……好意的に解釈すると2年前は性犯罪に特に関心がなかったってことなんでしょうね。
やっぱ「逃げる」をどう処理すりゃいいんだという暗い気持ちがわく。多種多様な暴力から逃げようと必死なのを、今は未来からひっ捕まえて正常だねと呼ぶしかない。背後に増田の威を借りてマウント連中が通る中で
逃げようと思えるくらいにはマトモな判断力が生きていた人を無理やり犯したのだから、上訴して強制性交罪に訴因変更して有罪判決を出してもらえばそれでよいのでは。
ただ、検察の捜査方法がマズかったという話も出ているので、仮に訴因変更しても無罪判決になる可能性はありますね。それはもうどう考えても検察が悪いので仕方ない。今回の検察は録画・録音していたという点で相対的にいえばかなりマトモな部類に入ると思いますが、そんな人たちでも調書の捏造とかやっちゃうんだ……と慄然としました。じゃあマトモじゃない警察や検察に捕まったらいったいどんな調書を作られちゃうの? 怖すぎでしょ。
正直、誰がどう考えても悪いやつだけど警察や検察が捜査過程で色々やらかしている、という案件については、積極的に無罪を出していくべきだと思っています。これって冤罪なんじゃ……? というケースで無罪判決が出るのは当然だと思われてしまいますが、どう考えても真犯人でひどい犯行をしている、という人が捜査手法を理由に無罪になるような案件が続けば危機感も生まれるでしょう。まあ、これは本題とは関係のない余談ですが。
増田の言うことは最も。どっちの罪に該当するか微妙なとき(横領と窃盗とか)で、検察がどっちの罪に該当するかを間違えたら無罪ってのは制度の瑕疵じゃないかと思う。裁判官の責任ではないけど。
だから予備的訴因というものが認められているし、必要なら訴因変更もできるわけですよね。別に一発勝負というわけではないので被告人の人権を侵害しない範囲で訴因を変更するなり追加するなりすればよいのでは(むちゃくちゃな訴因変更もありますけどね。過去の冤罪事件だと、おいおいそりゃないだろ、というのが結構あります……最近だとオウム真理教事件の菊地直子さんの裁判なんかがそれ)。
法律解釈的にはそうかもしれないし、大衆が法律わかってないのもそうなんだが、「法治国家」が法をすり抜ける悪や、被害者の理不尽な敗北がまかり通る世界であってはいけないし、法の正当性が揺らぐと思う。
高校生のときに冤罪問題を知って以来、「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」が法治国家の原則であり法の理念だと強く信じています。私は、私が無実の罪で裁判にかけられたときに、圧倒的な力を持つ検察官からなるべく守られる社会の方がいい。たとえそのために、真犯人が無罪放免になったとしても。
法知識の解説はありがたいし司法の役割や冤罪の問題は最もだが、暴力行為があったことは明らかな事件の解説で「10人の真犯人を逃すとも」と持ち出すのは心ない言葉に思える。支持はできない。
何をおっしゃっているのかよくわからなかったんですが、ひょっとしてこの事件の被告人が「一人の無辜」だと思ってます? そのフレーズは「一人の無辜を有罪にしないためには十人の真犯人が無罪になる仕組みであってもやむを得ない」という意味なんですが……
犯罪者の必罰と冤罪防止はトレードオフですね。裁判官を訴追しろとか無罪判決許さないとか言ってる皆様は性犯罪者は必罰にせよって言ってるんでしょ? それは冤罪防止と矛盾します。
んで、準強制性行罪は無罪なのはわかった、疑わしきは被告人の有利にもわかった。んで被害者の人権はだれが、どうやって守るんだ?身の回りで同じ事がら起きたら自分はどうすればいいかわからん。
じゃあなんで検察はリスキーな準強制性交罪を使ったのかと、そういう状況でいったいどうやって被害女性を助ければよかったのか。
刑事裁判は「被害者の人権を守る場」でも「被害者を救済する場」でもないので……「被告人を有罪にするかどうか決める場」であって、対決の構図は「圧倒的有利な国家権力である検察官vs.無力な一般人である被告人」なので……被害者の人権を守ったり救済したりするのはシェルターとか医療とか警察の早期介入とかなので……
「まともな判断力がない」「まともな判断力があるが死ぬ気で抵抗した」場合は罪に問えるけど、まともな判断力をもって抵抗を諦めた場合は罪に問えないのかしら/検察に厳しい立証責任が課せられてるのは分かった
たのむから にほんごを よんでください
どうやればこの増田から前段のような理解が出てくるのかマジで理解不能ですわ。 Permalink | 記事への反応(24) | 10:22
近代社会で筋力の優位なんてあるんか
東京医科大で、女性の受験生が一律に点数を引かれていたことが差別的だと話題になっている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20180801-OYT1T50132.html
この件は、医療関係者のあいだから、「結婚や出産での離職率が高い女性を敬遠するのは必要悪だ」という反応が出てきている。
女性の医師からも、男性の学生を増員したほうがいい、という主張もみられた。 anond:20180630150652
統計的に、ある集団に好ましくない振る舞いをする人が一定数いるならば、彼らをまとめて不利に扱う。
部屋を汚したり騒いだりする外国人が多いから、外国人には部屋を貸さない。
ドタキャンする外国人観光客が多いから、外国人観光客からの電話予約は受けない。 http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65827465.html
ゲイカップルは部屋を汚すことが多いから、男性同士でのラブホテル宿泊はお断り。 anond:20180122125425
上に挙げたような事例と、今回の医科大の事例はまったく同じだ。典型的な統計的差別といっていい。
私は、これは性差別であり、たとえ女性医師に早期退職したり産休を取得する者が多くなったとしても、性差別は認めるべきではないと思う。
医者の不足は、全体的に医者を増員することで解決すべきだし、医者の勤務体系と女性のライフコースが合っていない問題は、医者の勤務体系を改善することによって解決すべきだ。
しかしそれらはコストがかかることは誰だって予想がつく。言っている私だってわかっている。差別はコストの低い解決法なのだ。
外国人の店子希望者と面談し、彼らの人柄を見極めるよりも。クレカを導入してデポジットを取るよりも。ラブホの精算時に面倒な手続きを導入するよりも。医者の働き方改革をするよりも。
しかしそれは差別なので、認めるべきではない――これが基本となる考え方のはずだ。自由を重んじる近代社会においては。
ところで、はてなでは半年ほど前に「女性専用車両は差別か」問題が熱く燃え盛っていた。 anond:20180225105423
「痴漢をする男性が一定数いるから、女性専用車両を設ける」は、上で挙げたような事例と相似形であり、誰がどう見ても統計的差別である。
あのとき、そもそもこれは差別じゃない、という主張をした人が大勢いたが、その人たちは今回の医科大のニュースにどう反応しているんだろうか?
確かに差別だが、必要悪だから仕方ない、という元増田の主張に賛同する人も大勢いた。
必要悪ならば統計的差別を認めるのもしょうがない、という主張をした人たちは、今回、必要悪だと弁明する大学関係者をどう思っているんだろうか?
半年前には「統計的差別は必要なら認めていい」という論調だったのに、今やまるでその逆だ。もちろん差別反対の私としては歓迎すべき変節ではあるのだが、ということはまさか今後「統計的差別は必要なら認めていい」派に転向したりはしないよね? とは釘を差しておきたい。
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外務省が、在日朝鮮人の北鮮帰国希望者に対して、帰国の便宜をはかる方針を決め、とりあえず国際赤十字に調査を依頼し、その報告をまってこれを実施に移したい意向だといわれる。まだその間いろいろ問題があり、今後政府と与党との間で慎重に検討した上でなければ、最終的な結論を見るにはいたるまい。
われわれは、北鮮への帰国を望む人たちに対しては、その切なる希望をかなえるのが当然(不明)あると考えて来た。在日朝鮮人の総数は約六十万人といわれ、そのうち北鮮への(不明)望んでいる人たちは在日朝鮮人総連合会の調査によると、十一万七千人にのぼっていると発表されている。この人数については、いずれ正確な調査を必要としようが、これらの人たちの大部分が生活苦に悩んでいるので、北鮮政府が帰国のための船舶や費用を配慮するとあれば、その希望を満すために日本政府として帰国の便宜をはかるのはまさしく当然のことであろう。
ただここで問題なのは韓国側の態度で、北鮮を韓国領土の一部としている建前上、北鮮を日本が相手とすることは許せないと主張し、また北鮮帰国は韓国に敵対する陣営を利するものだとして強く反対しているのである。
しかし周知の通り「人権に関する世界宣言」の第十三条二項には、「何ぴとも、自国をふくむいずれの国をも去り、また自国に帰る権利を有する」と明記されている。さらに一昨年のニューデリーにおける赤十字国際会議でも、外国に居住するものが、その故国に帰ることを望む場合は、その国の政府は出国を許さねばならず、本国はこれを受入れねばならぬ、と決議されたのである。いわば、北鮮帰国問題は基本的人権にかかわる問題であることが明白である。
藤山外相が、日韓会談の続行中に韓国側の反対するこの北鮮帰国問題をとりあげたこと(以下不明)
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北鮮帰国希望者の問題は、ほおかぶりしているべきことではない。北鮮系の在日居留民団体である朝鮮総連にいわせると、七万人が北鮮に帰ることを希望しているという。その理由は日本にいては食えないからだという。北鮮政府も引取りたがって、旅費も船賃ももつとまでいっている。日本としても彼らに対する生活保護費の増加、貧困を主因とする犯罪の横行に手を焼いている。帰ってもらえればそれに越したことはない。そればかりでなく大きな大義名分として、居住地選択の自由は、近代社会においては何人にも奪われることのない基本的人権なのである。北鮮へ帰りたいと言う朝鮮人を、日本に引止めておくという根拠はない。人道上の重大問題である。
それにもかかわらず、政府が北鮮帰国を許さずにいるのはなぜか。日韓会談の決裂を恐れるからである。これは日韓会談を進めるための条件の一つとして韓国側から要請されたことである。行政当局のなかには共産側の謀略だから警戒すべしと言う意見もあるが、帰国させるべきだという考え方の方が強いようだ。しかし日韓会談を決裂させたくないという岸首相らの考えが、帰国を許させずにいる。
我々はもちろん日韓会談を成功させたい。しかしいままでの情勢から見ると日韓会談は日本側が全面的に譲歩して、無理でも何でも先方の主張をいれない限り、早急には妥結しない形勢にある。しかし全面譲歩などは、許されるべきことではない。おそらく日韓会談は、二十六日に再開されても、その後決裂しないまでも、とぎれとぎれて長びくであろうと思われる。そのあ(以下不明)
増田はある企業で人事に関わってたことがある。その中で、新規事業を立ち上げる時に人事として考慮していたことを書いてみる。
これは鉄則。将来の幹部候補であるエース級社員を、成功の可能性が低い新規事業に放り込んで、彼等のキャリアに失敗の烙印をつけるような事になるのはご法度。
かと言って、会社で存在をもて余してるローパー(所謂ダメな)社員を投入してはならない。なんだかんだ言って新規事業担当は社外に出る機会が多くなるため、会社の看板を背負わせても問題がないレベルの社員を投入する必要がある。
エース級もローパーもダメとなると、次に考えられるのは中途採用者を入れることだ。実際、キャリア求人情報をあさると、山のように新規事業担当の求人が出てくる。
これは、中途採用者ならまだ自社でのキャリアが始まったばかりだし、仮に失敗続きで新規事業を止めた場合は閑職に回せば勝手に転職してくれる可能性が高く、ローパー化して会社の荷物になる危険性が低いからだ。
全くないのもNGだが、強すぎるのもダメである。これだけ成熟した近代社会では、新規事業が成功するのは交通事故に遭う確率よりも低い。例のマツダの技術者のように、成功体験が得られないことに一抹のむなしさを感じながらも給料もらえるからいいか、と思える人でないと色々厳しい。
http://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00134/030600024/
そう見られても仕方がない。リストラ手法の一つに「新規事業部門を立ち上げてそこにリストラ対象者を放り込む」事例は10年以上前から存在する。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100520/92301/
その後、会社は新規事業部門を立ち上げるよりも、すでに新規事業をやっているベンチャーを買収したほうがリスクとコストが低いことに会社が気づいたので、今はそちらにシフトした。いわゆるオープンイノベーションって手法だ。これなら成功すれば丸儲けだし、失敗しても自社の人材を毀損することなく損切りできる。オープンイノベーションとは上手い言い方を考えてくれたものだ。
…「悪事だが責めない」と「良い」の区別がつかないとすれば、それは問題では?
と煽り気味に書きかけたが、まあ言いたいことは分かる。「生活に支障をきたすことのみを責めよ」という意見は、容易に「生活に支障をきたさない浮気ならどうか?(よい(=構わない)のではないか?)」という意見に流れそうだという不安があるのだろう。だがちょっと待って欲しい。
現実問題として、『恋愛感情を伴う浮気』なら、生活に支障をきたさないというのはほぼ不可能である。遠からず「あの人と私とどっちが大切なのか」という二択を迫られる場面が生じるだろうから。そのことは、パートナーからの信頼感、子供がいる場合子供の感情など影響を与える部分が多々あることを意味する。従って、現実には一般の「浮気」はおおむね肯定され得ない。パートナーの浮気は婚姻を継続しがたい理由と見なされうるし、継続が難しくなったときその対価は当然「慰謝料」という形で償われなくてはならない。ただし、その人が倫理的に裁かれる訳ではない。これは今日の日本社会における運用とおおむね一致する。「生活に支障をきたさない」ケースとは、たとえばポリアモリーの夫婦が別のポリアモリーの夫婦(いずれも子無しで作る予定も無し)と共同で周囲に秘密にそういうことをしている場合などがこれに当たるだろう。そういう人は勝手にやってくださいとしか言いようがないし、この人たちを道徳的に裁くのは無理だと思う。
また、『恋愛感情を伴わない(一般に「プロ」相手の行為など)』場合、生活に支障をきたす割合は相当少ないことも考えられる(たとえばおっちゃんが小遣いの範囲でこっそり風俗行くとかそういうケース)。これが、一般に「プロ」相手の行為を許容する余地になっているのだろう。だが、それもまた「浮気」であることを私は否定しないし、パートナーがそれも含めて嫌悪感を示すなら当然配慮すべき(でないと生活に支障をきたす)と考える。当然のように風俗に行く「権利」などがあるわけではない。
つまり、原理主義的に「良い/悪い」という善悪論にすることが、かえって「俺は(浮気が)悪いこととは思わない。価値観は人それぞれ(だから浮気してもOK)」とか「風俗は浮気じゃないからOK」といった言い訳を成立させてしまう余地があることを考えてみた方がいいと思う、という話なのだ。現実社会の運用を考えてみれば、結局「生活に実際的な支障をきたす」案件について、その「支障」を問題にする、というスタンスの方が理にかなっているように思う。一夫一婦制を推奨するかの宗教がある程度近代社会の基盤になっている以上、この社会をトラブル無く運営していく上では「みんな悪い。ゆえに罪を憎んで人を憎まず」というその運営指針にも真摯に耳を傾けるべきであると思う。