流刑地だった、っていう事実には別の表現もあって、近代社会論ではそれを「不要になってしまった人間を開発地に送り込んで再利用した」みたいに分析するわけ。日本にそれがなかったというのは誤解で、満洲国やブラジルでやった。
現代に存在しなくなったのは、流刑地ではなく、余った人間の簡単な活用策なのよ。だから国内でどうにか人材をリサイクルリユースしていかないといけないよな開発地に投げ出すより手間かかるけど。福祉だ就職支援だとやってるのは、それが理由だよ。
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