はてなキーワード: 私たちとは
休日。六畳の寝室。ダブルベッドの上。アラームが鳴っては消して、鳴っては消してを繰り返している妻は、一向に布団から出てくる気配がない。先に起きては負けだと思い寝返りを繰り返していたが、安いカーテン越しに外が明るくなっているのを感じて、ついにはスマホで時間を確認する。朝9時前。普段なら職場にいる時間だ。
溜息と共に起き上がる。負けだ。
「目玉焼き食べる?」
クーラーの暖房をつけ、電気ストーブをつける。テレビをつける。祝日の朝。何を見たら良いのか分からず、結局、BSでニュースを流す。
小さなフライパンをコンロに乗せる。ウインナーと玉子のパックを冷蔵庫から出す。玉子は最後の二個だった。「サイズ不揃い色々玉子」。パックに残った紙切れにはそんな言葉が躍っている。近所の格安スーパーでいつも売っている玉子だった。
「玉子、高くなってた」
最近、妻は買い物へ行く度に、食料品の値上げ報告をしてくる。愚痴なのか、ただの報告なのか、微妙な声音で。「うん」とか「そうか」とか言って応えると、学生のころからの付き合いである妻はたいてい、こう続ける。
「私たちの学生時代は、玉子なんて週に一回100円で売ってたのにね」
「私たち」の学生時代ではない。「俺」の学生時代で、「貴方」の学生時代だ、と。
そう思う。そう思うが、言葉にして伝えるには、残酷すぎる気がする。
フライパンに油をひいて、ウインナーを炒める。次いで、慎重に玉子を割って、フライパンに落とす。
大学を卒業して今年で十年になる。結婚して五年目。未だに、まったくの他人である妻が、隣の布団で寝ていることにドキリとすることがある。
大学の実験終わりに一緒にスーパーに行き、適当に食材を買い込み、適当な鍋を作って過ごしていた頃のことが、夢の中の出来事のような気がする。俺も妻も、とても遠くまで来てしまった。しかしそのスーパー、玉子が週に一度100円になっていたと妻が言うスーパーで流れていた呼び込み君の音だけは、やけに鮮明に耳に残って離れない。
玉子を割り入れたフライパンに、大匙2杯の水を入れ、フタをする。フタは透明なので、中身が見える。蒸気が満ちて、透明だった白身があっという間に白濁する。
トースターでパンを焼く。コーヒーを淹れていないことを思い出す。インスタントでいいかと思い直す。テレビでは成人式のニュースが流れている。俺も妻も成人式には出なかった。
黄身に薄く膜が張った時点で火を止める。これで半熟になる。妻が好きな黒コショウを思いっきり振った。
妻がいつの間にか起きていた。
「おはよう」
「おはよう」
これが昨日の朝の話。目玉焼きを焼くだけの話。
https://www.lovepiececlub.com/column/19213.html
アンチフェミによる集団監視も社会的な暴力として定義し対策を取るべきだと思う。
あんたらそのポテンシャルで国家権力監視しろよと言いたいが、そうではなく性搾取社会と戦う一人の女性を叩く構図に日本のミソジニー体質が集約されてる。
このようなハラスメントに対して、あたかも主張に正当性があるかのように吹聴しデマに加担する政治家にも絶望するし、まるでプロレス観戦を実況中継するかのような報じ方でPV数を稼ぐメディアにも絶望する。
こうやってデマが流通することで、「ヤバい団体」みたいなネガティブなイメージが先行して、本来繋がれたはずの少女たちが接続を阻まれる可能性について考えたことはないのだろうか。あるいは、接続を阻まれた少女たちが性産業に吸収されることを期待してColaboの活動を潰そうとしてるのだとしたら、それは最早フェミサイドにも相当する女性への暴力だろう。
アンチフェミでもないしミソジニーでもないしハラスメントでもないし女性への暴力でもない。今の大多数は公金の行方だし。
全部被害妄想としか言いようがないんだけどなんでこんな結論になるの?あなた方が勝手にそう認定しているだけですよね?ってしかいいようが無いのだけれど。
会計という男女関係ない社会のルールの横紙破りしたら怒られるという前提を無視したら何にもならない。
それを無視して女性は立場が弱いんだ、私たちを攻めるのは差別だなんていうのは今まで戦って男女同権を勝ち取ってきた過去のフェミニストたちを愚弄する行為では?
不正が行われないよう、正しく政治が行われるよう今まで戦ってきたすべての人が勝ち取ってきた権利を捨てさせて独裁政治を許したいと言うこと以外の何者でもない。
幾ら何回読んでも、私達の邪魔をするのは許せない意外の何者でもなくて、なぜこのような雑な話を公表して理解が求められると思うのか心底理解できない。
贅沢なんて言っている人はいなくて、立場を利用した政治的活動はだめだと言っている。
暇そうにする姿勢は重要かもだけど最終的な結果のアウトリーチ数や保護件数の数値に表れないのであれば数千万の価値はなくただのサボリでしかない。
といった至って普通の会話ができないのであれば(ツイ)フェミニストは仕事のできないお気持ちを喚くだけという誹りから逃れられない。コレを本気で言っているのだとしたら怒りすら覚える。迷惑なのでフェミニストという看板下げてもらってポリコレ利権団体ですって看板にしてもらえませんかね。
だい
@ianfu_memorial
表現の不自由展KOBEのお礼を言いに兵庫県民会館訪問した。すると驚いたことに、当時の館長はすでに退職していた。聞けば、不自由展が終わったあとも毎週末に街宣車がやってきて、耳がおかしくなるほどの大音量で「館長やめろ」と連呼。館長は眠れなくなり、うつ状態で退職に追い込まれたそうだ。↓
だい
@ianfu_memorial
·
1月8日
返信先:
@ianfu_memorial
さん
不自由展実行委と会館側に協力関係があったわけではなく、会館側は利用規定に従って会場を貸出し、施設管理責任者としてやるべきことをやっただけ。会場の安全について何度も打ち合わせしたが、それは主催者の安全ではなく来館者の安全のことだ。会館側が私たちの立場に立ったことなど、当然ない。↓
ふむふむ、最初館長は渋ったけど規則通りだと言って脅したわけですね。
だい
@ianfu_memorial
1月8日
私(たち)が悪いわけではないとはいえ、穏やかな気持ちではいられない。少なからずショックだし、責任の一端も感じる。けれどそれは「やらなければよかった」というものでもなく。
だい
@ianfu_memorial
私たちが望んだのは、「普通」に美術鑑賞すること。その代償が「精神的に追い込まれた館長の退職」であっていいはずがない。嬉しいか、卑怯なウヨども?!弱い人間にたかって叩く卑怯なヤツラを、私は絶対に許さない。
嘘ばっかり
慰安婦利権を広めるために過ぎない。
既に尹美香が法廷に立っている。寄付金を全て着服してるようだ。
こういう騒ぎを起こして人のせい。
どこまで卑劣なのか。
正義連は詐欺だと知らなければ応援してたけど。今は無理です。鑑賞なら韓国に行けばいい。普通の人はそう考えます。二度とやるな。
こういう被害者ビジネスをやるインチキ団体の仲間ですねコラボって。
[声明] 被害者支援のために努力してきた民間団体と個人に対する陰謀と暴力行為を止めろ!(編注:うるさいだまってろ泥棒どもが)
被害者支援のために努力してきた民間団体や個人に対する陰謀と暴力行為を止めろ!
日本政府は、被害者を支援する団体や個人、また自分の被害を証言する人々の安全を責任を負う!
青少年性搾取被害者、成人性売買被害者、AV被害者など日本の巨大な性産業による被害者と支援団体の声を聞いて!
性産業の搾取的で抑圧的なシステムを強力に遮断し、被害者を支援する制度と政策を制定せよ!
国際連盟の性搾取のための女性人身売買に対する懸念の中で、1921年植民地だった朝鮮と台湾の工廠は維持し続けるという条件で、自国の共創制度を廃止した日本は以後、日本軍慰安婦として自国の女性をもちろん朝鮮の女性たちを動員し、これまでもこれに対して「自発的性売買」であり、植民帝国の責任はなかったと主張してきた。日本は女性に対するビハと嫌悪を主な内容とするポルノインAVを含む性産業が15兆-34兆ウォンに達し、さらに深刻なのは青少年に対する性搾取産業としてこれをJKビジネスと呼んでいる。(編注:セックスワーカーヘイト)
現在の状況は決して自然なものではなく、共創制を行い、すべての女性たちの接客サービスを「風俗」という名で当然視してきて、植民地にこれを移植した歴史的な脈絡の中に作られたのだ。韓国の性売買問題だけでなく、韓国から日本に人身売買された多くの女性が日本性売買産業の反人権的搾取行動を証言してきた。(ぱっぷすのやらせ)
性売買経験当事者ネットワーク「束」が<無限発説>とその他様々なメディアを通じて知らせてきた性産業の搾取構造と性売買自体の破壊的本質のほかに、日本の性売買業者は広報のために女性たちのプロフィール写真を撮り、性購入者たちは性売買女性を不法撮影することが日常化され、これらの写真と映像が別のお金稼ぎになってオンラインに流通する。これにより、日本の性売買女性は脱性売買に関係なく、生涯を性売買に利用されるのだ。日本の性産業の構造と規模にもかかわらず、日本の性売買女性のための公式化された制度がないことを我々は知っている。性搾取被害を受けた女性たちを支援してきた夢野ニトと彼女が属している<コラボ>は、難しい状況の中でも民間基金と自治体のプロジェクトを通じて受けた公的基金などで国家がしない難しいことをしてきた。また、この団体を通じて安全な空間を支援された経験当事者の女性たちが彼らの組織である「等化」を作った。彼らとの連帯を通じて、私たちはより確実に日本の性売買女性たちの被害状況を共に共有し、日本と韓国の性売買問題の深刻性を広く知らせる活動を約束した。ところが日本で絶対に起きてはいけないことが起きている。
難しい中でも被害者を支援してきた団体が、陰害と脅威を受ける深刻な状況が起きているのだ。このような状況が起きたのはあまりにも自明にも、これまで国家と社会が性産業の搾取的状況にきちんと対応せず、被害者を無視し、こうしたシステムを利用して富を蓄積してきた勢力が権力を持つようになったからだ。
すべての差別と暴力はつながっており、性売買/性搾取被害者を保護し、支援しない社会は決して誰も安全にはできないことを我々は知っている。
被害者を支援する団体と個人に対する安全を担当し、すべての陰謀と暴力行為に強力対応しなさい。
日本政府は、被害者を支援する団体と個人、また自身の被害を証言する人々に対する安全を責任を負わなければならない。
青少年性搾取被害者、成人性売買被害者、AV被害者など日本の巨大な性産業による被害者と支援団体の声を聞き、性産業の搾取的で抑圧的なシステムを強力に遮断し、被害者を支援する制度と政策を制定しなければならない。
性売買問題解決のための全国連帯(慶南女性会付設女性人権相談所、光州女性の電話敷設ハンオルジギ、光州女性人権支援センター、大邱女性人権センター、木浦女性人権支援センターディディム、エビ、水原女性人権の拡大人権支援センターサリム、女性人権ティウム、人権希望カンガンスルレ、全北女性人権支援センター、済州女性人権連帯)売春経験当事者ネットワーク'別れ'、大田'白駒田'、大邱'イェグリナ') [性売買常識をブラックホール]著者
メアリー: 「今日のパーティーでお酒を買ってきたのに、どこに置いたか忘れてしまった。探しても見つからないわ。」
アリス: 「私も探してみるわ。お酒が見つかるといいね。それより、僕、レズビアンなんだ。今まで隠してたんだけど、君に言いたかった。」
メアリー: 「私もレズビアンなんだ。僕たち、同じ性的指向を持つ人間だったんだね。もっと仲良くしよう。」
(二人の足元に隕石が墜落する)
メアリー: 「あれ、何だったんだろう。それとも、お酒を置いた場所が分かった?」
宇宙人: 「私もレズビアンです。宇宙では、性的指向には決して偏見はありません。皆が平等に尊重されます。」
宇宙人: 「それは嬉しいオファーです。一緒に旅しましょう。」
アリス: 「こんなにも広い宇宙、まだまだ見ることができると思うわ。」
メアリー: 「そうね。どこまでも続く旅、楽しみだね。」
宿屋の主人: 「ここは有名な宿屋です。お客様のお部屋はこちらです。」
メアリー: 「ありがとうございます。このようなお部屋、初めて見るわ。」
(二人は夜、宇宙人とおしゃべりをする)
宇宙人: 「宇宙では、様々な星々があります。それぞれの特色があり、面白いですよ。」
メアリー: 「そうですね。ぜひ、いろんな星を見てみたいです。」
アリス: 「そうよ。いろんな新しい出会いがあるかもしれないしね。」
二人は宇宙人とともに、様々な星々を巡り、多くの新しい出会いを持つことができる。そして、やがて二人はお酒を飲むために地球に戻ることになる。そして、そのとき、二人はお酒を置いた場所を思い出し、お酒を手に入れることができる。やがて、二人は再び宇宙旅行をすることを決意する。そして、そのとき、再びお酒を忘れてしまうことになるが、それはもう問題ではなかった。宇宙には、様々な発見が待っているのだった。
メアリー: 「今度はどこに行こうかしら。」
アリス: 「宇宙人が言ってたように、あの赤い星に行ってみるのはどう?」
宇宙人: 「これが赤い星です。この星は、素晴らしい景色を見ることができます。」
メアリー: 「本当にきれいですね。こんなところに住んでみたいです。」
アリス: 「私もそう思います。でも、地球にも家族がいるので、ちょっと難しいかもしれませんね。」
メアリー: 「そうね。でも、宇宙旅行は楽しいし、地球に帰っても、いろんな思い出を持って帰ることができるわ。」
(二人は赤い星を見て回り、それからまた新しい旅をすることになる。)
メアリー: 「次はどこに行こうかしら。」
アリス: 「宇宙人が言ってたように、あの青い星に行ってみるのはどう?」
宇宙人: 「これが青い星です。この星は、美味しいものをたくさん食べることができます。」
メアリー: 「そうですね。早速、青い星の美味しいものを食べてみたいです。」
アリス: 「私もそう思います。でも、お腹がすいてしまったので、まずはお酒を飲んでリフレッシュしようと思います。」
+ コラボとぱっぷす、ボンドプロジェクト、若草プロジェクト、Springの闇を追求せよ。以下、いかなる条件もつけてはならない。
+ パワハラやセクハラは不問にする。どうせフェミの妨害だ。そんなことはどうでもいい。9兆円泥棒するかどうか。そっちが大事。
+ セックスワーカー、AV女優に詫びろ。その上でAV新法廃案、困難女性支援法を廃案に公約にせよ。萌え絵規制とか経済にマイナス。二度と口にするな。したものは粛清せよ。
+ ジェンダーとかLGBTとか同性婚とか選択的夫婦別姓とか関係のない公約をするな。国連なんて詐欺師だ。
無論これでも足りないが、やらないよりマシ。
https://twitter.com/kingbiscuitSIU/status/1611712901626351616
king-biscuit
@kingbiscuitSIU
共産党、組織全部ワヤにしたくないなら、とっとと事態収拾に動かにゃあかんと思うぞ。
king-biscuit
@kingbiscuitSIU
·
21時間
返信先:
@kingbiscuitSIU
さん
まず横並び定型能書きで湧いとるcolabo擁護論者を、少なくとも制御できる範囲は発言させんようにすることだが……
……でけんだろうな(´・ω・`)
できない場合、壊滅する。フェミやLGBTとともに地獄に墜ちる。統一教会も笑いが止まらないだろう。
@sangituyama
それから萌え絵に関してですが。①公共空間の萌え絵については、日本は他国に比べてかなり自由である②とはいえ四半世紀前に比べたら、自主規制はかなり強化されている、ということを共通認識にした上で論争したら、殲滅戦にはならないと思いますよ。
ブラックタイド(BLACK H.T.T.)
@BlackHTT
返信先: @sangituyamaさん
前までなら「ネトウヨがよくわからん事なんか言ってるわ」くらいの印象でしたが、ここ最近(自分の中では萌え絵に関する事)は野党支持者がカルト化して、周りが見えなくなってるという印象を抱いています
自主規制を命令できると思っているから殲滅する気ですね。嘘つき。
@amajaamajaaanal
声だけデカい超少数派の声を聞いて何の成果が出たんや?野党支持されてる方々、特に立憲の支持者の方々は本当に学んで欲しい、そして、一番の敵は、そういう声デカ少数派の過激で不寛容な発信だ、ってことを本当に理解して欲しい。それだけでイメージ変わるよ、本当に( ˇωˇ ) ワイを信じるんや
https://twitter.com/amajaamajaaanal/status/1611307744497373184
@shiikazuo
第7回中央委員会総会の報告 https://youtu.be/ZXHDe2EvN3w
私たちは来年1月の党大会までに、「前大会比130%の党」―36万の党員、130万の読者への前進をめざす方針を決めました。
いま日本共産党を強く大きくすることに日本の未来がかかっています。どうかご協力を、心からお願いするものです。
@sangituyama
志位さんはこれから一年で党員と機関紙を1.3倍に増やせという、100%実現不可能な方針を提起し、それが200人以上の中央委員全会一致で決まるというのは、異様ですよね。
これでいいのかな?
1.3倍に増やしたければ、コラボを擁護するのを辞めないと無理。この最後通牒を無視すれば共産党ほかは完全に終わる。もっとも自分たちをリベラルエリートと勘違いしているので聞こえないしせせら笑うのだろう。
はい、そうですね
しかし私たちは民主主義国家に暮らしている以上はプラットフォーム、国政、及び世論に働きかけることができ、それをあなたに否定される理由もありません
でも「共同体への貢献」とか古い考えなわけじゃん
少なくともこの国でリベラルを自認するなら、そういうのは真っ先に捨て去るべき発想だったはずだ
ところが女子供に優しい顔ができるとなると、急に出産子育てをまるで「私たち社会貢献でやってます」みたいに言い出すから笑えるんだよな
そんな考えで産み育ててる奴なんかもういないのに
ずっと一緒にいたいなって思ってるし、相手も思ってくれています。きっとふたりが死ぬまで友だちで居続けるんだろーなーって考えているし、それが何だかしっくり来ます。
本当に私にとって一番の大切なお友達です。
出会って10年以上が経ちますが、LINEで3日以上やり取りしないことはないし、通話もお互いが眠くなるまで何時間も、それどころか朝起きてから寝るまでずっとできます。作業音だけでも全然気まずくありません。よく遊びに行くし、二人きりでお泊まり会もします。あくびは必ず伝染します。
本当に大好きです。
お互いに、お互いが喜びそうなことを知ってるからお互いにやり合うし、
お互いに、お互いが嫌がりそうなことを知っているからそれはやらないし、困っていたら絶対フォローするし、支えたいし、支えてくれるし。
本題ですが、相手は「同性パートナー」に興味があるらしくて少し複雑です。だって、その子と人生を歩く同性がいるとしたら私は、私しか想像ができない。謎の女の人が来たら私は「誰よその女?」って思ってしまう。
でも、あくまで私たちは「1番の友だち」だから、しかもそれがクソガキのころからずっとずっと続いてる落ち着く距離感だから、「同性パートナー」を連れてきたときに「私じゃだめ?」なんて言えないよ。トイレとかで泣くと思うけど。
クソガキの頃からふざけて「結婚してください」とか「付き合ってください」とかいう内容をメッセージでよく送ってました。
考えてみたらクソガキの時は「は?」とか「((((((((((殴」みたいな反応が来るのがおなじみでゲラゲラ笑ってたんですが、最近はそういうのをネタで送るのも少し緊張するし、なんて言うか本当のプロポーズを茶化してる気持ちになっちゃって送りづらくなりました。恋愛的にその子のことを好きではないはずなのに。
で、通話しながら久しぶりにそういうノリになって、スタンプで送ってみたんです。そうしたら、相手は「嫌」とか、「は?」とか、断るようなことを全く言わなかった。でも、昔みたいにネタでゲラゲラ笑う感じでもなかった。彼女が持ってるかわいい「嫌」ってスタンプを送ることも、躊躇われるような感じだった。
そうしたらなんだか、不思議と、恋愛的に好きではないはずなのに、やっぱり茶化してしまったような、相手を少し困らせてしまったような気がして、ごめんねって思った。
腰が曲がっても、しわしわのおばあちゃんになっても、合う入れ歯が無くっても、あなたにサプライズをし続けたい。驚いて笑っているあなたの横にわたしはいたい。
って考えながら、お昼は茹ですぎたうどんを食べた。
物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。
しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサンや解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分のレベルを物語っていると思う。
成人以降、文字を書くようになった。
文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたものを推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Twitterに壁打ち。
良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。
亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかいう武勇伝を良く聞かされていた。
事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶるものだと思う。
恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。
『自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。
つまり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。
要は才能のない人間が努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。
文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することなく自分の気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。
近年人の持つ気質や運動神経の良し悪しがかなりの割合で遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかいう抽象的なものは、自分が想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。
字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。
これは別に悲観しているわけではない。
肌感覚でその事実を理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。
自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。
自分にできることは自分の努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略は必要だろう。ただ私の場合は趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力を淡々と行うだけなのだ。
幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分の努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ。
多分、私は今日も1人絵を描くだろう。
一般女性と風俗嬢がバランスシート上でどのように計上されるかを考えてみたい
この際の評価について「歳をとったからといって評価を下げるのはおかしい。簿価会計とすべきだ」という意見が一部の女性からあるようだが
IFRS(国際会計基準)では時価会計とすることが求められているので、女性の棚卸資産としての評価は毎年洗い替えすることが必須である
資産評価については個人差があり、人によっては歳をとって評価が上がる人もいるが、通常は年を経る毎に右肩下がりとなるのが一般的である
評価の具体的な算出方法については、専業主婦モデルや共働きモデル、一生おひとりさまモデルなど各モデルによって計算方法が異なってくるのだが、
こちらについてはシカゴ大学 サンショク・ヒルネツキー教授の論文「女性の働き方の考察について」に詳しいのでこちらでは割愛する
とりあえず例として結婚後に専業主婦になるケースで評価を算定してみよう
とある女性が年収800万円(定年までの生涯賃金約3億円)の会社員と結婚するとしよう。この場合算定の基礎となるのは
生涯賃金3億円であるが、当然のことながら今すぐに貰える1000万円と10年後に貰える1000万円に同等の価値は無い
(利子率を7%と仮定すると、10年後に貰える1000万円は今すぐに貰える500万円と同一価値となる)
将来得られるであろうCFを利子率で割り引くDCF法によって計算された生涯賃金が2億5千万円であるとしよう
ここから必要な生活費等を差し引いた可処分所得が1億円となれば、妻の取り分はその2分の1となるので、棚卸資産の評価は5000万円となるわけだ
この相手との結婚を見送り、更に高い年収の相手を探すことも可能だが、歳をとるごとに自身の評価は下がるので時間との戦いにもなってしまう
この場合、「自らの資産評価を少しでも高め、評価が下がる前に売買を成立させる」という手法が一番有効な戦略と成り得る
一方でパパ活女子やデリヘル嬢、セクシー女優などといった人たちについても考えてみる
彼女たちはバランスシート上は流動資産ではなく、固定資産の機械・設備に計上される
働く形態(キャバクラ、ソープ、ピンサロ)などによって法定耐用年数は異なるが、一般的なモデルケースでは20歳から働きはじめた風俗嬢の耐用年数は15年となる
一般女性と異なる点として、風俗嬢の場合は機械・設備なので毎年減価償却を行う必要があり、定率で価値が逓減していくという点が挙げられる
一般女性の有効的な戦略は「自らの商品価値の最大化」であったのに対し、風俗嬢が取るべき戦略は「自らの肉体を使って得られるキャッシュフローの最大化」となるわけである。
さて、ここまで読んで頂ければ賢明なるはてなーの皆様には「私たちは買われた」という表現が会計学上は全くもって誤りだということが分かって頂けたのではないかと思う
日曜日にあなたたちが家族連れで遊園地に行き、1人1000円払ってジェットコースターに乗ったとする
この1000円でジェットコースターを購入したのであれば「私たちは買われた」という表現が正しいのだろうが、あくまで1000円はジェットコースターに乗る対価でしかない
そしてジェットコースターは大勢に乗られることで摩耗するので、毎年減価償却を行い価値が逓減していく
私は一部フェミニストの人たちの議論に参加するつもりはないし、そもそもそういった議論自体に興味が無いのだが会計学を学ぶものとして誤った表現がまかり通っている
現状を看過することは出来ないので、表現の間違いについてだけは指摘させて頂きたい
1ー1:スレッタ側からは辿り着けないがミオリネ側からは可能、ということでミオリネがエアリアルを取りに行く。問題は二人分のノーマルスーツをどこで手に入れるか、ということ。
1ー1ー1:78番ハンガーにはプロスペラがいる。ここで7話以来の嫁姑戦争勃発。エアリアルに誰が乗るかでいざこざを起こす。
1ー1ー1ー1:プロスペラがエアリアルのパーメットスコア促進のために自分が乗ってスレッタの元に行く。当然エリーとお話するためスレッタバイパスの複座仕様。スレッタ連れて戦闘の最中アクシデントにより地球へ落下。
1ー1ー1ー1ー1スレッタは地球でオックスアース、ヴァナディース、自身の出生の秘密を13話以降で知ることに。
1ー2ー1ー1:ミオリネが姑と口論の末エアリアルに乗ってスレッタを助けに行く。10話のスレッタによる「私たちでミオリネさん助けるよ」があるので今度はエアリアルも協力してくれる。ミオリネが助けに行った場合スレッタの地球降下はなくなる&メタ的にベネリットグループ崩壊の危機&株式会社ガンダムがあるのでミオリネは地球に下りない。
彼女が興味を抱いているのは水星の魔女としてのスレッタなので、エアリアルがない今はとりあえず放置、ってことでスレッタのいる展望テラスに何かぶち込んで危機感煽って放置。スレッタ死にそう。1ー1ー1ー1か1ー2ー1ー1のどちらかでもエアリアルがやってくる。
2ー1:1ー1ー1ー2を経てソフィとやり合ってスレッタ敗北。連行されて1ー1ー1ー1ー1イベント発生。
3カシタンカの中にグエルがいる。どうもノーマルスーツ着てるっぽい。
3ー1:乗組員の身柄を人質に取られ、グエルがフォルドの夜明けに協力させられてモビルスーツに乗る。
3ー1ー1:ドミニコス隊に捕まってジェターク社に強制送還。元ネタになったカシタンカの話から察するにこっちかも。
3ー1ー1ー1:シャディクの裏切りによりヴィム死亡。ジェターク社を継がざるを得なくなり、ジェターク社のバランスシートがやばい状態なのを知ってしまう。13話以降でジェターク社の存続&(シャディクによるグループ解体を防ぐため)ジェターク社からの投票と引き換えにミオリネに協力を仰ぐ。
3ー1ー2:テロリストの仲間として扱われ、やむなく逃亡。フォルドの夜明けとともに地球へ行かざるを得なくなる。
4ー1:発信器が付いているのは護衛。これを知ってか知らずかデリングと護衛が離れて護衛は死亡。デリングは行方不明に。エアリアルのネットワーク構築データを持っているのでメタ的には死なないと思われる。
4ー1ー1デリング行方不明により総裁選発動。グループを急遽まとめざるを得なくなり、ミオリネはグエルと手を結ぶ。下手すると偽装結婚もあり。
4ー1ー1ー1:スレッタが地球に行った場合、ミオリネの結婚を知ってなんとかして宇宙に上がろうとするイベント発生。
4ー1ー2:デリング行方不明により総裁選発動。グループを急遽まとめざるを得なくなり、御三家以外の関連各社を束ねるべくミオリネが13話以降で奮闘。
4ー1ー3:デリング行方不明により総裁選発動。グループを急遽まとめざるを得なくなり、10話で出た「株主比率の希薄化」そのほか諸々を使ってミオリネが13話以降奮闘。
4ー1ー4:デリング行方不明により総裁選発動。グループを急遽まとめざるを得なくなり、シャディクに結婚を持ち掛けられる。1ー2ー1ー1イベントが発生していた場合、4ー1ー1ー1イベントに続く。
4ー1ー4ー2:エアリアルが欲しいペイルの裏切りにより、シャディクは孤立。グラスレーから見放され地球に降下してフォルドの夜明けとともに反撃開始。
4ー1ー4ー2ー1:スレッタがいないことにより株式会社ガンダムはエラン&ファラクト召喚。4号死亡を知ってミオリネが悩む。
4ー2:デリング行方不明、シャディクのクーデター成功によりグループ解体&ホルダー制度の消失。花婿花婿ではなくなってスレッタとミオリネの関係性に変化。スレッタは11話で「私は花婿ですから」と返しているので、花婿でなくなった場合彼女が何を選択するかが焦点に。
4ー2ー1:ベネリットグループ消失により株式会社ガンダムの後ろ盾がなくなってミオリネ&地球寮ピンチ。
4ー2ー1ー1:サリウスを抹殺してシャディクがグラスレーのトップに。新たなガンダムを開発する。
5ー1:ヴィム死亡。グエルが後を継がざるを得なくなり、3ー1ー1のイベント発生。4ー1ー1ー1イベントに続く。新たなガンダム、シュヴァルゼッテ開発。
5ー2:ヴィムかろうじて生き残るがデリング暗殺の件を押し付けられて社会的に死亡。3ー1ー1のイベント発生。新たなガンダム、シュヴァルゼッテ開発。
地球寮生はミオリネorスレッタが戻ってこれないと動けない&別ブロックにいるみたいなのでとりあえずメタ的には無事。チュチュのデミトレーナーを持ってきているかどうかで分岐発生。
根負けはしそうにない一方のツイを紹介します
ここ数ヶ月キモいを何回叫んでも足りない毎日!キモすぎてキモすぎる。15歳でおじさんたちに買われてこういう人たちのキモさを知って性搾取の構造に気づいて抗い続けて18年🤮私たちを黙らせたい人はその正体が暴かれるのが嫌なんだと思うけど今年も頑張る💪
……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……
prologue
いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャルの可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界の価値を刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないものの価値が、目に見えるものの価値に負けてしまったことを意味しているのだ。微調整
人生のシンボル世界とアレゴリーの冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神の本来の豊かさの立体的構成について)
「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“
このうわべは月並な文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」
—ミラン・クンデラ『不滅』
1 - verse
宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。
それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである。
感情は字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しかし実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一の感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。
映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物の感情をひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。
人間は存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。
そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまうものである。
ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。
たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のものを発明する必要はなくなる。
それと同様に、世の中の九割以上のものが面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり、物語が面白いと思えなくなってから、しかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。
トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単なゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。
人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。
もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているからである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である。
最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。
往々にして悪魔は自分自身を天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然と哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものはSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。
探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任の肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。
自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。
日本人のモラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。
日本では個性的なことをやると嫌われる。日本でオリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現の範疇でしか成立しない。
一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在そのもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプット)からである。
今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しかし自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである。
安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会的人生の流通権力は、結局、人間を排除する社会の固さにひれ伏し続けているからである。安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。
たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。
物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品のこちら側こそが物語だからである。あなたが人生という言葉を使う時、その人生は乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活をイメージするだろうか。乾パンと乾パンが出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安を払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉も欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉の意味が乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなたの脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である。段落
芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないから不快ではない、として表面を見るのである。
今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないからいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代の限界だったのだ。段落改訂
そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである。思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である。段落改訂
そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものである。ポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂
趣味的だからだ。趣味というのは自己満足だから、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものだからだ。趣味は危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂
ほとんどがニューヨークやパリや海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。
これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである。
ゴッホの絵画は生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢である。しかし、人生を理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。
本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である。段落
人間の生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。
ピカソはシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶はシステムだ。このように、この世のすべてのものは「システム」である。システムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである。
システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分と区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。
イチローがホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。
イチローがホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットにボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである。
食べ物でいえば、ハンバーガーそのものは固体であるが、ハンバーガーの牛肉パテ一枚は液体である。ハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマト、レタス、ピクルス、ソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである。
では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。
飲み物の場合であれば、それ自体がすでに液体である。いくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉からの抽出の仕方もわからない。
そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり、感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである。
もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。
世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである。遠近法(パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。
実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たちの思考に弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整
この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのものの本質のポテンシャルを判断することが不可能になる。言うなれば、開封されないゲームソフトのパッケージのようでもある。段落改訂
沸騰していく社会
小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂
なぜなら大多数にとっては、矛盾を解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面からは矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。
ある人間が、自分の生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分の生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身の生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデントの連続から成っているのだから。段落
このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである。
社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒や批判にいたっては悪いイメージが自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒や批判は良いものである。
歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったとき、あの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41