はてなキーワード: 生活費とは
新卒でこけると、キャリアも積めず、派遣とか非正規で働き続け、
最近は業種によるけど、エリアマネージャー(課長)クラスまで行かないと正社員になれないことが多い。
失業保険が受けられない人のためにある職業訓練受講給付金はあるものの
訓練校としても再就職できそうな
別の業界でキャリアを積んだ人とか、似た業種で業績上げてた人を採用しがちで
フリーターやひきこもりは定員割れしたところでもないとチャンスが少ない。
まだ実家暮らしだから年収170万そこらでも何万か貯金できて、
連帯保証人になれないので借りるのにすら一苦労する。
街頭で演説したとしてもほとんど誰も相手にしてくれないんだろうと思う。
将来を考えると死にたくなる。
お子さんの疑問は真っ当で、問題は以下の2つに切り分けられると思う。
②従業員はなぜ何十年も働いても働かなくてもいいほど豊かになれないのか。
このテーマは150年も前にマルクスが悩んだテーマで、これを考える上で(その考えに賛同するかどうかはともかくとして)『資本論』に触れないわけにはいかない。マルクスとかいうとソ連とか共産党のイメージで、めちゃくちゃアレルギーある人が多いと思うけど、マルクスもそんなに間違いばっかり言っていたわけではないので、まぁ話だけでも聞いてくれ。
ということで、以下お節介ながら、この問題についてマルクスがどう言っているのか書いていく。
まず①の問題だけれども、その答えは「会社が金儲けを目的とする限り、その事業に終わりはない」ということになる。なぜなら、
からだ。つまり会社はいくら金を稼いでもそれをやめることはないし、その手段である事業もやめることはないということだ。
ではなぜ貨幣蓄蔵の欲望が無際限かの理由は2つあって、(ⅰ)ひとつは他の商品(車、電化製品、衣服、食料品などなど)に比べたときに現れる貨幣の特殊性にある。
想像してみてほしいのだけれど、これらの商品はいくら溜め込んだところで自分が使うにも持て余す(ベンツが百台あっても置き場所や維持費で大変)し、他の商品と交換するのにも限界がある(ベンツ百台を売りさばくにはそのためのお店や人員やらを用意しなくちゃいけなくて大変)。
しかし、貨幣についてはいくらあっても困らない(銀行に預ければ利子まで付いてくる!)し、他の商品といくらでも交換できてしまうのだ。
そして、(ⅱ)理由のもうひとつは、貨幣自体に社会的権力が固着していることにある。これはいちいち具体例を示さなくても分かると思う。
以上2つの理由から、会社は金儲けをやめないし、そのための手段である事業も可能な限り永久に続くことになる。
この問題についてはマルクスが資本論第1巻を全部費やしているテーマなので、とてもそれをまとめる能力も、専門家じゃない人にそれをわかりやすく伝える能力も俺にはないのだが、ポイントは2つある。
ひとつは、資本家(ここでは会社)は従業員を豊かにするために事業を行っているのではないということだ(それなら何のため?と思った人は上のマルクスの言葉を見よう!)。
そのため会社は利潤を上げるため、従業員に支払う給与をどんどん下げるインセンティブが働く。究極的には、従業員が一日中働いて、次の日また元気に出社するのに必要な額(つまり食費や睡眠をとるための費用)さえ支払えばいいという発想が生まれる。
「労働者を24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働することを妨げはしない。それゆえ、労働力の価値と、労働過程において労働力が増殖させる価値とは、2つのまったく違った量なのである。この違いこそ、資本家が労働力を買った時にすでに彼の念頭にあったものである」(『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕254頁)
つまり、給料が低く抑えられがちな以上、従業員はいくら働いたところで豊かになんかなりっこないわけだね。
もちろんこれには例外があって、最近話題になったカルビー会長の言葉(「従業員はただの道具ではない」「給料を増やし社員の待遇を良くするのは一番大事」)が思い浮かんだ人もいるかもしれない。マルクスはこういう良い資本家すらばっさり切り捨てるのだけど、問題が複雑になりすぎるのでここでは触れない。気になる人は『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕の353頁を読んでくれ。さらに興味のある人は、「モンドラゴン協同組合企業」でぐぐるとちょっと面白いかもしれない。
従業員がいくら働いても豊かになれない理由の2つ目は、従業員は通常、資本を持たない点にある。
つまり普通のその辺の人は金を稼ぐのに自分の労働力を売るしかなくて、そこから得られる給料も上に書いたように低くなりがち。そしてそこから生活費や子供の養育費を差っ引くと、もうほとんど手許に金は残らない。運よく給料が人より高かったり、奥さんが家計のやりくりのできる人で貯金が出来たとしても、それを増やす手段は資本家に比べれば全然ない。
中には株式投資をすればいいんじゃない?とか会社を興せばいいんじゃない?と思う人もいるかもしれないけれど、投資に成功する人が少ないことや、会社を興すにしても起業に多大なお金が必要(参入障壁)なことに思いを致せば、そう簡単じゃないことが分かると思う。
以上2つのポイント(もちろんマルクスは他にも色々言っているんだけど)から、従業員はいくら働いても豊かになれないし、働くことを止めることなんてできないんだね。
ちなみにトラバの中に、
というコメントがあったが、これもマルクス的には間違い。なぜなら、
だからだ。つまり、機械は資本家(ここでは会社)が利益を上げるためにしか使用されず、労働を軽減するために使用されるのではないということだ。歴史的事実としても、産業革命以来さんざん技術革新が進んできたのに、人が一切仕事をしなくて済むようにはならなかったでしょ?
以上長々と書いてきたけど、冒頭に書いたようにお子さんの疑問は至極真っ当で、これまで哲学者や経済学者が延々悩んできたテーマでもある。
上に書いてきた(というか俺が強引にまとめた)マルクスの主張については異論も色々あって、明らかに間違いだと分かっている点もあるのだけど、考えの取っ掛かりとしてはいいと思う(解決策も一応示されているしね)。
そこから最近話題になったピケティ『21世紀の資本』なんかを読むと考えがより深まると思う。
というわけで、こんな長い文章を読んでくれてありがとう!そういうもんだと割り切らず、がんばって考えて、お子さんによりよい将来を作ってやってくれ!
私の本年度の確定申告による還付金について
「差し押さえる」旨の通知が来ました。
私がそれを滞納していたのは、
2013年から収入が月収10万円以下に激減、生活に余裕がまったくなくなったからです。
そして、余裕がなくなった2013年以降、私の家はずっと非課税世帯です。
ここ数年の月収はずっと5~9万円くらいです。
そういう状態。
還付金は、もちろん当てにしていたとても大切な生活費です。
ギリギリの非課税世帯であることを知っているはずの新宿区長および新宿区税務課から
現在の無縁社会の貧困は、以前の日本社会の貧困とは、切迫の度合いがまるで違うのです。
大学院を中退する人のブログを読んだ。ブログ作者は新しい場所で良い人生が送れると良いと思う。
私は運よく大学院を修了できることになって、数日後に博士の学位を授与される予定である。
件のブログの人に比べたらはるかに温い環境だったので、修了できたのだと思うが、それであっても学位審査はこれまでの人生で一番つらかった。博士の審査とは、ストレス耐性の審査だと感じた。
大学院生とは、この現代日本において、年間54万も払って奴隷労働しに行く種類の人間である。まあこれは分野によって違うが、私は分子生物学分野だったので日々単純労働を長時間続ける毎日を送った。どれだけ長時間実験をしても、良い結果が出るかどうかは運に依る部分が大きい。テーマが良くなかったら、優秀な人でも結果は出せない。テーマの問題で結果が出なくても、責められるのはテーマを設定したボスではなくて、結果を出せない大学院生である。そのテーマが無理だとボスに理解させるために、ネガティブデータを出し続けるような状況になると疲弊が加速する。良い結果が出てれば心が落ち着くかというとそうでもない。いい結果が出たら、次の結果を早急に出すように求められる。結果が出れば出るほどプレッシャーはきつくなる。結果が遅かったり、途中で壁にぶつかったりしたらまた叱責である。自身が大きな業績を上げたような教授はかなりの割合で、某居酒屋チェーン創業者と同じメンタルである。自分が出来たことなのだから、自分の下にいる人も出来ると思っているし、出来なかったら出来ないやつが悪いのである。
研究だけなら、自分が好きでやっていることなので、それでもまだ納得できるかもしれない。しかし、大学教員は「教育の一環」という言葉を使えば、どのような仕事も大学院生に割り振ることができる。私の分野では生き物や共通試薬の維持・管理に始まり、共同研究の実験、大学のイベント(オープンキャンパスなど)、セミナー・シンポジウムの数合わせ、セミナー・シンポジウムの運営手伝いなどである。このうちのイベント・セミナー系は休日に行われることが多い。職員は休日に出勤すれば代休が取れるが、大学院生は「自主的に」参加させていただいている身分なので代休は無いし、もちろん給料も発生しない。時間のかかる実験をやる場合、このような仕事で時間を分断されると、思うように実験が進まない。そしてまた結果が出ていないと叱責される。
そんなに叱るようなボスのところを離れて別のラボに移れば良い、というアドバイスも見かけるが、そう簡単な話ではない。早めに見きれればいいが、博士後期課程の途中でラボを移るのは、それはそれで賭けである。件のブログの人の場合、あと一年という状況だったということなので、そこでラボを移るのは難しいだろう。良い環境に移れば、時間をかければ学位は取れる。だがそれは、奨学金の貸与を打ち切られた上で学費と生活費を払える程度にお金を持っている人に限られる。
研究室にいると精神が疲弊する。研究室のドアをくぐった瞬間、体が重くなるというのは複数のラボの人間から聞いた。私もそういう感覚を覚えるときがある。疲れて家に帰って、ネットで愚痴を書くこともあるだろう。そうしたら、研究の世界はやりがい搾取だとわかっているのだから進学した人の自己責任だの、休みがとれない程度のことで愚痴をいう人は研究者に向いてないからやめろだの言われる。コメント数の少ない記事だと、はてブでも厳しいことを言われていることが多いように感じる。将来の不安について語ったら、それが「ボンボンの甘えにしか見えない理由」などをリストアップされる。作家や芸能人と同じ枠だと主張する人に出会う。
ネットに疲れて実家に帰ったらば、家にやってくる親戚から穀潰しだと思われる。実際、何をやってるか知らない人が見たら、借金までして毎年54万も博打に使ってるだけなので仕方ない。そしてその結果得る博士号は、日本では足の裏の米粒である。これは取っても食えないという意味であるが、それに加えて、周りの人から何も思われないということでもある。私が今年学位をとることなど誰も気にしない。
そして、このような状況で日本は「科学技術創造立国」を目指しているそうである。どこかで日本人研究者が華々しい結果を出したら、政府関係者や多くの国民はそれを褒め称えるだろう。その裏には何人もの大学院生やポスドクの屍が転がってるかもしれないが、そんなところ誰も見てはいない。
まずはこれを見てください。
見ての通り、
など、かなりヤバイ状況です。
先の資料を見ても分かるように、国債費、社会保障費、文教科学振興費だけでも約60兆なので、無駄な歳出を削るだけでは解決しません。
無駄に見える公共事業費も、下手に削ると所得税や法人税の現象に繋がります。
なぜか税率が低く、課税対象が「所得」の一部から捻出される生活費他の「消費額」である消費税の方が、税収の額が大きくなっています。
負担が重いと景気が悪くなるという理由で消費税に反対するなら、所得税や法人税に対する課税はもっとあり得ないのではないでしょうか。
先に挙げた所得税率・法人税率をかけた額しか税収にならないので、低コストで絶大な効果のある策でもなければ却って赤字を拡大させるだけです。
最初はちょびちょび毎月1.3万円ずつ返してた。
返済の恐ろしさを甘く見て適当にしてた。
今思うと最初こそ頑張ってまとまった額を払うべきだった。
これで毎月の返済額を上げるというのはしたくても無理な状況。
そこで初めて、奨学金を完済しなければと思うようになった。
今まではダラダラ毎月払ってればいいやーと思っていたが、
結婚となると、例えば子供ができて働けなくなったら相手の金で払うことになってしまう。
結局私の奨学金の返し方は、稼いだ金を全部奨学金にぶちこんだ。
奨学金の返済が数百万あるというのを打ち明けるのもだいぶ恥ずかしかった。
これがま〜〜〜〜大変だった。胃炎になりながらも給料は良かった。新入社員なのにボーナスも50万出た。
生活費などは全部彼の稼ぎでやりくりし、私の給料は全部繰上げ返済。
そして半年で完済。仕事を辞めて晴れて子作り解禁、今はめでたく母親です。
結局結婚した彼のおかげで完済できたけど、
てか学生時代借りすぎだった。
家族間のモラハラは被害者が『これはモラハラだ』と自覚しない限りモラハラとは(私からは)言えないんです。
と、相談した時にそう言われた。
とまで言われた。
生活費は全額相方が持ち、通帳も自分の実印も相方が押さえ、サイフの中の現金は300円ほど。買い物をしたければ相方に言って必要額だけもらう。
何かあると私が悪いと言われ、相方は私をずっと支えてきた、頑張ってきたと言う。
夫婦生活を円満にするためには、相手の言うことも聞く必要があると思い、言われることに「うんうん」と耳を傾けていた。
相方が調子が悪い時は私が食事を作ったり、家事全部をやったり。お互いに支え合っているものだと思って過ごしていた。
それが我が家、家族5人の過ごし方だと、これが普通だと思って過ごしていた。
先々月、家計が10万円足りないと言われた。それからは毎日ものすごく私を責め立てる。
自分の正しさと家計の苦しさ、私のだらしなさを指摘する。私が口を挟む暇もない。
そのお金は私が怠慢だから足りないそうだ。相方は削れるだけ生活を削っているそうだ。なので、その10万円を用意するのは私の役割なんだそうだ。
先月、「この生活レベルを続けたかったら毎月10万足りないから」と言われて目の前が真っ暗になった。
外食してない。散髪も自分でしてる。家族5人の食費は1日1200円まで。おやつも買わない。服もこの1年、まともに買った覚えがない。趣味も捨てた。残っているのはインターネットくらい。
「あなたは自分の領域は削ろうとしない。私はここまで削っているのに」
そう言われて、じゃあ、ネットも削ろうか。と言うと
「今更そんなレベルじゃない。もう遅い」
と怒られた。
と優しい声で言ってくれた。うれしかった。
実家で休んでいると相方から私の実母に電話。様子を見るだけで動悸が速くなる。
電話口で私に言っていたことと同じ事(自分は頑張っているなど)をまくし立てているらしい。
20分、電話を聞き続け、実母が「少し落ち着きなさい」と言って電話を切って、私に「モラハラ受けてるんじゃない?」と言った。
まさかー。ウチは夫婦円満で。と言いたかったが頭の中で警報が。
「ちょっと休む」と言って客間で横になる。
何げにツイッターで相方を検索。深い意味はなかった。単に相方の様子が見たかっただけだった。
死にたくなった。
そうか、新しい人とよろしくしたいけれど、私がいたら邪魔なので、それを排除しようとしているのか。で、自分は悪くないとしたいので、私を責めていたのか。
そう思うとすごく理解できた。
家計が厳しいと言いながら、自分は新しい服を3万円分も買う。時計を買い換える。メガネを買い換える。ヘアセットを美容院でする。
http://anond.hatelabo.jp/20160314202843
気持ちは分かるんだ。私も親に出してもらえなかったし、途中からパチンコの予算に当てられて生活費の仕送りもなくなったから、使わなくていいはずの第二種も使いこんじゃったし。
でも全部自分がやりたかったことだからさ。残高が減っていくたびにため息つきたくなるし、車も欲しいし友達と旅行にだって行きたいし。
貯金なんて月1万とかそんくらい。でも大学時代を考えると、やっぱり行ってよかったなあって思う。
1000万円の借金だけど、それでもずっと付き合っていきたい友人や、学びたかったことを沢山学んできた。本当に楽しかった。
悲観的にずっと考えてちゃどうにもならないよ。五万も貯金してるのすごいじゃん。こちとら男の歯牙にもかからんブスの喪女だぜ。
そもそも返済を直ぐにしたい! って思うのも分かるけど、そんなの難しいよ。だから世の中にはローンって制度があるんだから。
親は親。子は子。ぶっちゃけ自分のことで厳しいなら親の介護の面倒まで見てられないじゃん。それと同じで親が必ず大学進学の費用出してくれるなんて、そんな甘い話ないよ。
もうちょっと前向きに考えようよ。今あるお金を増やす方法とか、考えようよ。大丈夫、なんとかしようとしたら、きっとなるようになるから。
そりゃ生活費すら稼ぐのが大変な労働環境なら、友人ぐらい売ってもいいかなと思う人たちはこれからどんどん増えるんじゃないかな。
下げで始まった今年の株式市場でも、年初から比べてプラマイゼロくらい。
総資産が100万やそこらだったころは感じないが、総資産が2000万近くなったころから、雪だるま式な増え方を実感してる。
断っておくが、株で儲けて2000万をゲットしたわけではない。
でも考えて欲しい。
給料から生活費を引いた150万ずつ年間に資産が増えるところ、給料から150万、資産運用で100万も余剰資産が出来るとしたら、これはとても嬉しい。
結婚したい、子供がほしい、とか思えないポンコツ人間だからだよ
思いませんが、なにか??
アラフォーに片足突っ込でるから「子供作るなら今しかない」と、はあそうですね。ほしいならね。
思いません。全く 微塵も むしろこんなのの遺伝子残すほうがどうかと思うわ
いや、無理でしょ。金でしょ。なに?あんたが出してくれんの?
いやいや、何の〚大丈夫」ですかね?あなた、私の主治医でしたっけ??
そういえば
あなたの大好きな韓流スター()みたいな顔とスタイルではないけど
かわいい、「いまでもそこそこだけど、痩せたらイケメンの「大きいサイズ専門店」御用達のご子息、
2人もいますよね~。
日本学生支援機構から貸与を受けて大学4年間の学費、生活費を賄った。
一種、二種あわせて480万円借りた。
現在私の手取りは13万円。そのうちの5万円を毎月貯金している。賞与は年2回、合計20万円全部貯金に回す。
そうして頑張っても1年間で80万円しか貯められない。昇給も数千円単位だから貯金額を増やせる目途はない。
去年の夏からようやく貯金が出来るようになった。結婚を意識するようになったから。
でも440万円貯めるまで(=奨学金を完済するまで)5年以上かかる。
30歳を超える。
心配なことがある。
また数年期間がいる。
仮にさらに3~5年、貯金するために妊娠を先延ばしにしたら、33~35歳。
もしそれまでに妊孕力が低下していて、自然妊娠が困難なからだになっていたら?
こんなことになるなんて、奨学金を借りる前と借りている間の私は気がつけなかった。
学費を一銭も援助してくれなかった親を恨んだ。
学費やら生活費やら自動車学校費用から車まで買ってもらっていた人を非難したりもした。
奨学金を1円も借りずに社会に出た同期は今頃自由にお金を使って遊んだり、やりたいことを叶えているのかな。
いいなあ。純粋にうらやましいなあ。
ギャンブルや買い物依存症のひとたちのそれと質は違っていても、借金という一括りの中のひとつだ。借金は借金だ。
このやり場のない思いと焦りを彼氏に打ち明けたけど、分かってもらえなかった。
やはり借金のない人に借金のある人の苦しみなど分からないという当然の結論に至った。もしかしたら愛想をつかされたかもしれないな。
というか、自分は彼に何を期待していたんだろうな。肩代わりしてほしかったのではない。そもそもこんな話すべきじゃなかったんだ。
いまここで彼氏にふられたら妊娠どうのこうのの心配もとりこし苦労となるかもしれないな、そのまえにもういろいろ自暴自棄になってたぶん自分でじぶんをころしちゃうだろうな。
つらつらと書く。
かたや私は、資格取って職が決まりゃ後はもう一生勉強しなくていい仕事。
私が職場で居眠りしたりネットサーフしたりと公務員的な多忙を極める日々を送る一方で、
彼女は仕事外の時間に自宅で勉強しているらしく、「大変ですね、すごいですねー」みたいな持ち上げ方をしているが
もちろん内心では(ラクして生活費を得られる仕事が一番)としか思っていない。
こちとら別に好きな仕事をして好きに生きているわけではない。生活費を稼がないと餓えて死ぬから仕方なく好きでもない仕事につき、好きでもない連中と毎日顔あわせて、全く興味のない業務に精励しているわけだ。
興味を向けるのすら大変な業務に集中するのは大変な精神的苦痛なので、業務中にネットサーフしたり居眠りしたりしないとやってられん。
まあ私の話はどうでもいい。
彼女は、容姿の割に似合わない婚活なんぞ始めたのは何故かと思っていたが
まずそっけない。メールとか自分から絶対してこない。またメールも短い。
あと女の子扱いを避ける。エスコート的行為は遠慮してくる。全体的に可愛げがない。
これらが砦となって縁遠くなっているようだ、と推測する。
まあ要するに。男なのである。
まあこういう人は結婚なんてシステムに頼る必要など一生出てこないだろう。
それこそ、周囲の友人が結婚したり、親にいつ嫁ぐのかせかされたり、職場で独身に対する視線を感じたりしない限りは。
さて。
当面の私のミッションは、この雄々しき精神を天に突き立てる美貌のお嬢さんを、必要と情の両面から訴えかけ、何とか結婚を前提とした交際関係に移行させることである。
若い頃ならば達成した事もあるミッションであり、実際に実績もある。だがこうして今現在、独身の私が居るのだから、世の中とは本当にわからないものである。
すべてはみじめな失敗であり、大いなる徒労であり、果て無き無力感であり、多額の金銭損失であり、貴重な時間の損失であり、そしてなによりも全精力を注いで邁進してきたはずの結婚の機会の損失である。
麦は踏まれて強くなる。心は折られて固くなる。私のモチベは底を突く。
というわけで、彼女の資格試験終了にかこつけてお祝いをする事になった。
いつも通り。段取りも場所決めも支払いも全部私。まあそれはいい。
どのみち仕事が楽な方があれこれ段取った方が後で揉めずに済む。
今回は特殊なケースなので見合いを申し込んだ側はどちらとも言えない(たまたまお互いがお互いを見合い候補として挙げた為)のだが、まあやる気がある方と言えば私の方、という印象を世話人も受けているだろうし、また彼女もそう思っているだろうから、私が段取りや手筈を決めるのが筋というものだろう。年上でもあるし。
実際は、モチベ不足に苦しんでいるというのが正直なところだ。
外見の良いお嬢さんと男女交際ごっこをするのは楽しいかもしれないが、それがすべて徒労に終わるという経験を何度も何度も積み重ねていると普通に時間の価値を疑い始める。
前向きになろうにも、失う事を恐れすぎて、「まあダメ元で楽しもうか」くらいのどこかヤケクソなポジティブさしか持てなくなる。
それを態度に表さないようにしつつ、逆に「全身全霊であなたと一緒に居る時間を楽しんでいますよ!」というメッセージを表情や態度や言葉で表していかなければいけない。
でもまあ、普通の既婚者はこんな経験もしてきたか、あるいは現在進行形でしているのだろうと思うので、大変なのは私一人ではない。
世の中に夫婦はありふれているが、夫婦の数だけ達成困難な奇蹟が存在しているようにすら見えてくる。
さて、西尾維新ばりの遠回りをしたが、要するに、試験勉強と試験で疲れただろう彼女の慰労をする機会にありつけたが、まったく案が湧かない。
というかモチベーションが湧かない。
店を調べようという気が起きない。どんなおもてなしをするべきか具体案が見えてこない。店を下見に行く気が起きない。店を下見に行く為に外に出る為に着ていく為の服がない、くらいのモチベーションの枯渇具合である。
なのでこうして文章にして考えを構成していこうとしている。いや考えようとしている。
勉強で疲れてるから甘いものがいいのだろう、と思うがそもそも彼女には謎の「絶対に家で夕食をとらなければいけない」という縛りがある為(たぶん親に何か言われるっぽい)、あまりガッツリは食えない。
となると喫茶店でスイーツでも軽くつつく程度で駄弁るくらいがちょうどいいのだろうが、夜遅くまで空いてる喫茶店となると限られる。
ファミレスに行くのも味気ないし、折角ならあまり知らない店に連れて行ってやりたい。
(会う場所は彼女の地元に近いが、彼女は理由があり地元の店をほぼ知らない状態)
遅くまで空いている地元密着型的なスイーツカフェみたいなものがあればいいのだが、そもそも私も彼女もど田舎に住んでいるので小洒落た店などあまり期待できない。
あと彼女の縛りの関係と休みが合わない都合上から、夜に喫茶店で会う機会というのもかなり回数を重ねているので、そろそろちょっと違う趣向も入れてみたい。
メールしてこないし文面もそっけないし夕食も一緒に取らないものの、なぜか彼女は普通の男女交際的なものを望む意見をよく口にし、また実際に付き合いもいいし、口にした約束は必ず守る。
非常に男らしい。悲しい。
顔がかわいいのに男らしい。悲しい。
男として付き合いやすいので、女として付き合いにくい気がする。
私がお見合い的な交際を求める一方で、彼女は通常の男女交際的なものを求めるのだが、若干チョイスが乙女っぽい気がする。
30過ぎて乙女とかwwwウケるwwwとか爆笑してみたら顔面パンチが飛んでくるのかしらと思いながらいつもの笑顔でデートスポットの提案をしているが、何というか、型どおりのデートコースを好む。
堅い趣味を持っているのだが、そちらに寄ると自分一人で楽しんでしまうという理由で、自分の趣味に寄せない。
型通りのデートを重ねて距離が縮まるケースはあまり無いと経験上思うが、まあ婚活歴も長いといかに相手に合わせるかしか考えなくなってくるので、彼女の意向に従うのみだ。
敷かれたレールの上で私が努力すればいいだけの話だ。
彼女の事をこんなに書けるのに、いつもモチベが一向にわかないのは、一体何故だろうと考えた。
おそらく、新しく知り合ったばかりの彼女との新しい交際に、私がまったく新鮮味を感じていないからだろうと考える。といっても彼女が悪いわけではない。私が悪い。
ずっとずっと昔。将来の指針を定めるべき時期、長く付き合っていた交際相手にプロポーズをし、熟考ののちOKを貰った。
その時はそれでハッピーエンドだと思っていた。
それ以後はもはや何ひとつ信じられなくなったし、十年は交際相手すら持てなかったし、その後の異性との交際にも否応なく失望交じりの未来予測が混じるようになり、世の中の全ては新鮮味を失ったように感じられた。
私とその女性の結びつきよりも、女性とその男との結びつきの方が強かったんだと思い込もうにも、私との婚約を破棄した彼女が、その三華族だか言う家柄のいい男の嫁に収まるはずだった彼女が、就職後男に浮気されて簡単に別れていた。それも堪えた。
もちろん、今の彼女にはこれっぽっちも関係ない話なのだが、それでもどこかに「全力を尽くすまい」「保険をかけよう」「裏切られた時に備えよう」とする私がいる。
こんな些事に限らず、世の中の残酷さってのは色々な形で我々に襲い掛かってくるのが普通なのであって、その理不尽さに慣れてなければ社会で生きてなどいけない。
でも、ここで全力を尽くさず、保険をかけ、裏切られた時に備えるのは違う気がする。一番信頼するようになりたいと考えて付き合っている相手を全く信頼しないのと同じ気がする。
でもできない。そうは思ってもできない。
だらだらと書いていたらある程度の方針は固まった。
具体的なイメージが少しは湧いたから、想像も楽になって、店を探す気にもなってきた。
よし。店を探す。
要はすぐにパッタリ逝くんじゃなくて、だんだん滅びるんじゃないかな?って。
どうも、日本のどこかで働いている正社員、女性です。既婚です。夫も普通に仕事していて、私も普通に稼いでます。たぶん同世代の男性よりちょっと多めに貰えてます。その分頑張って仕事してます。まあ、普通の人に言わせたらがんばりたりないとか、いろいろ言われるかもしれないけど、個人的に頑張ってるつもりなので許してください。
最近の日本死ねタグとか、保育園落ちたの私だタグ等を見ていると、本当に今の日本って子供作るメリット無いな…と思ってしまいます。だから、日本は消滅しろと思う。というか、この現状が続けば消滅しろ!と願わなくても消滅すると思う。そのうち。たぶん私が死んだ頃だと思うけど。
もし、今の現状もし私が子供を作って育てたとしてもまた仕事に戻れるとは思えない。仮にも技術職なので産休、育休明けでもたぶん仕事はあると持ってます。だけど、今みたいに家事ほったらかして仕事なんてできなくなるし(夫ごめん)、子供が熱出したりとかしたら大変。仕事も休むことになってしまう。
そんな状況ではとてもじゃないけど、職場に迷惑をかけてしまうから仕事なんてできない。今でも仕事休むと迷惑かけてしまうので。
しかも、妊婦期間中はいろいろな人にいたずらされる。子供を連れて電車やバスに乗ると下りろと強制される。
(私の場合は自由がきくこともあるので、車移動が増えそうだけど)
もし、障害児が生まれたら仕事何それおいしいの。状態になってしまうわけで。それを避けたいから遺伝子検査やると人権侵害?私の人権はどこに行ったの?
遺伝子検査で引っかからない場合もあるんでしょ。その場合はどうすればいいの?一家心中が最適解ですかね?
私の親はそれを承知で私を育ててくれたかもしれない。けれど私の母は専業主婦で父親は仕事一筋で家事なんて一切やらない人間でした。そういう家だったら確かに子供作ってもし保育園NGだったとしても生きていけるかもしれない。でも、その分貯蓄がないから大学には行かせてもらえないかもしれない。
あとね、意外に保育園の友達って重要だよ。それがないと一気に孤立→いじめだから。
(私は一応大学に行きました。学費等はすべて奨学金。大学のときの生活費も基本全部バイト。唯一払ってもらったのは家賃だけでした。)
今の私みたいな苦労をさせるのであれば正直子供作りたいとは思いません。高い税金ぐらいだったらいくらでも払います。まだ無認可保育園に入れるより安いし。
こういう「本当は子供欲しいに違いない」って考える奴ってなんなんだろうな。俺も子供持っちゃったらこのくらい想像力が退化すんのかなって恐ろしくなるわ。
世帯年収1300万はちょっと嘘で、いま海外赴任中なので赴任手当入れたら1800万くらいになる。1300万は日本での世帯年収。まーこっちは生活費クソ高いから別に裕福ではないけどな。
幼い頃の数年間を暮らせる生活費が無いんだろ。
無認可に入れざる得なくなったが、夫が折半してくれるのは認可保育園の半額の料金で
無認可の残りの10万程度は嫁が出していると聞いた。
そこまでして嫁を働かせる意味が有るのか?と聞いたら、働かない女が嫌いな夫だとさ。
現在の生活保護制度は、日本国憲法の以下を完全に満たしていないと
考えられます。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
まず、健康な生活を営むには、最低限の医療制度の扶助も必要でありますが、
それだけではなく、普段から健康的な生活を営む権利も存在します。
その故、健康的な生活を営む上で、まず、食生活はある程度の制限があったとしても
ここ3,4年、健康的に過ごせる分だけの支給を受けている記憶は何ら存在いたしません。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou-syokuji.html
節約生活の為には、必要であれば適時野菜等の摂取も必要ですが、安価に容易保存できるものは皆無で、節約生活を満たすことが全くできません。
最悪、コンビニ弁当と野菜等の組み合わせで、ある程度は満たすことはできるものの、それでは高額すぎます。
また、一人で生活していると、節約生活のためにより多くの野菜を購入しなければならず、食べれない分は腐らせてしまい、結局捨てなければいけません。
それに、現在、精神科医から、肉、脂、卵を中心とした食事をするように指導されいます。
肉でしたら、余裕で冷凍保存は聞きますし、卵なら、賞味期限1か月すぎても食べられるには食べられますが
肉は、はっきりいって高価すぎます。それゆえ、食費を切り詰めることもできあくなっています。
※かえって、2人居住を仮定して、2人分の支給を受けたほうのが、使えずに捨てなければいけない食料が出てこなくなるため、かえって節約につながります。
例えば、キャベツ1/2 を2つ買うより、キャベツ1個を買ったほうが、安くなります。
お勤め品を買うという選択肢もありますが、特に野菜類のお勤め品はそう容易に出るものではなく、野菜類のお勤め品の長期保存は不可能に近いです。
海外製品を積極的に選択することで、以前は健康的に生活費の圧縮を行うこともできましたが、アベノミクスによる円安によって、約1.3倍に高騰しています。
例えば、同じ店の同じ品質のおにぎりが定価で29円であったのが、68円まで高騰しています。
また、海外情勢(途上国の経済成長等)や、ここ最近の世界的な天候不良の多発によって、世界的にもインフレが起きており、より安く入手可能であったはずの海外製品の価格が急高騰しています。
食料品によっては、これらが原因で従来より約2.3倍に跳ね上がったものも存在します。
しかし、実際は各社で安値で提供するためのプライベートブランド商品も発売されているものの、プライベートブランドの多くは惣菜やカップラーメン等であり、たとえ安く手に入ったとしても、それで十分に健康的な生活を送ることはできません。
長妻昭厚生労働相は14日の記者会見で、熱中症による死亡者が相次いだことを受け、生活保護受給者に、冷房費など夏場にかかる光熱費の相当額を「夏季加算」として、上乗せ支給する考えを示した。
とありますが、現状で具体的に審議された等のニュースを一切見聞きしておりません。
一般的にはエアコン代は夏より冬のが多いといわれていますが、頻繁的に熱中症になる私にとっては、いかなる対処をしても無理な話です。
確かに北海道に住めば、8月の平均気温は約22℃~25℃ですが、
2015年の千葉県の7月19日~8月15日の最高気温38.5℃、平均最高気温は34.7℃
1990年の千葉県の7月19日~8月15日の最高気温35℃、平均最高気温は32.6℃
1980年の千葉県の7月19日~8月15日の最高気温31.5℃、平均最高気温は27.8℃
一般家庭におきましても、特に高齢者の孤独熱中症死が増えているだけではなく、若年層においても熱中症が増えています。
他にも、震災、海外情勢等における、エネルギー輸入価格の上昇もあります。
※ただし、つい最近におきましては、中東諸国の影響により、急激に下がっています。
原発事故において、総合的に安価で電力を提供できていた原発が停止し、燃料を海外に依存することによっても、エネルギー輸入価格の上昇に跳ね上がり、最終的に電気料金が約1.5倍弱に跳ね上がったのもあります。
これらの上昇価格は、消費税高騰で3%上がったものの、それ以上のエネルギー費用の高騰をして、これ以上の節約生活が事実上不可能になってしまっている状況です。
エネルギー価格(特に電気代)が上がっている現状、節電商品を購入しなければならなくなります。
生活保護には、一般でよくある「ボーナス」というのがありません。
そのために、エアコン、冷蔵庫等、今現状で最低生活を行わなければいけませんので、古い節電基準を満たしていないエアコンを購入せざる得ない、または、使い続けなければいけなく、購入できるきっかけができず、かつ、電気代も高騰しているので、なおさら貯金が困難になり、温度上昇したものに対して熱中症対策を含めて冷房をかけるための電気料金に消費してしまい、悪循環となってしまっています。
※生活保護法においては貯金は認められていないものの、おおまか保護額の5倍程度までの貯金なら、黙認されていると、前市におけるケースワーカー含めて何度か聞いたことがあるだけではなく、貯金できるなら、するように指導されたこともあります。
また、これらの悪循環により、医療扶助額が余計に増えてしまうことも考えないといけないことです。
※医者に好きで行っているわけではないことも、合わせて申し上げます。
医療扶助額はこれらの要因によっても増えているとも聞いたこともあります。
根本のすべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活が行えることによっても、医療扶助額を削減できるとも考えています。
また、文化的な生活に関しても、上記の生活費の圧迫に対して、満たすことも困難になってしまっています。
本当に文化的生活というのは、何かというのも考えていただきたいと思います。
それだったら、人を殺人して、それで得られた肉を自分の食糧にしたほうのが
ずっとマシです。
上記エアコンや冷蔵庫も該当しますが、文化的な生活を行なうには電化製品等も必要になります。
しかし、それらを購入する上で多くの方は、同じ商品であっても、安くて粗悪なサポートの店より、ある程度高くても安心サポートの店を選びます。
最終的に同じ商品をできる限り長く使ったほうのが、最終的なコストが安くなるのですが、生活保護の算定において、価格.comの粗悪な最安店を選定しているとのことを聞いたことがあります。
http://kakaku.com/item/K0000776061/
あなたは、聞いたこともない「EC-JOY」「ディーライズ」「m-tact」「PREMOA」
近くにもあり、有名な(柏ですと)高くても「ビックカメラ」、「ケーズデンキ」「ヤマダウェブコム」で購入するかと思います。
それ故、粗悪なサポートな店舗による購入を選ばざるえなく、かえって後のメンテナンス費用(修理代)がかかってしまうわけです。
これらを、柏市長に対して代表して訴えさせていただきますが、実際には
現在のこの経済状態で、最低生活を営むには、最低でも1秒でも早く生活保護費を1世帯あたり2~5万円/月上げるべきである。
現在のアベノミクス不景気によって、いわゆる最低賃金も、生活保護認定額も
大幅に減っています。
最低生活をせざる得ない日本人を、合法的に苦しませて殺人するために、これだけひどい物価高騰にも関わらず、生活保護費を引き下げている現状におきましては
すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を受けられていないものと考えています。
この健康というのは、物理的な健康ではなく、倫理的な健康、すなわち精神面も含まれていると考えます。
以前、確かに生活保護でありましたが、それなりの貯金をすることはできていました。
しかし、これらの物価急高騰によって、貯金すらできなくなっています。
また、市役所に何らかの連絡をする必要がある時、以下のような手段を取らないといけません。
・市役所に直接出向く 市役所に出向くための体力を温存するために必要な食事代が必要になる、地域によっては相応の交通費がかかる。
それゆえ、もともと、精神的な安定も含めて、インターネット(固定料金)を使用しているので、無料で送信できるe-mail等で連絡してよいか?という質問に関して、全て拒否をされています。
ケースワーカー自らが節約生活をしなさいと指導しているにも関わらず、このような発言に関しては非常に遺憾に感じます。
本当に健康で文化的な最低限度の生活を行うのに際して、現時点での実情は誰も聞いてくれるわけではありません。
そのために、代表して、柏市長が代表して、貧困生活を約3か月ほど体験していただいて、これらのことも考慮していただく存じます。
そのために、日本国憲法第25条を生活保護制度が満たしていないことにより、費用の徴収に対し、不服を申し上げるとともに、生活保護の基準額を全国的に至急引き上げることを強く求めます。
これによって、生活保護の基準額があがるだけではなく、日本国内の経済も
これらの不服に対して応じて頂けなければ、柏市長自らの手で私を殺してください。
それなら、最も迷惑な方法で私自身が自殺したほうのが、私の分の生活保護費の支給額分
全ての日本国民が、きちんとした文化的生活を送れるようにする必要が
あるかと考えられます。
そういう無駄な税金を、いちはやく日本国憲法第二十五条に沿うような形で
全ての国民に等しく健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するという形で
常識のことではないでしょうか?
安倍晋三に真の所を突き止めたいところです。
この前まで嫁と口を聞かない仲になっていた。浮気や不倫ではなかったが、原因はいろいろあった。喧嘩も多かった。
嫁は夕食を作ってくれなくなった。それから、嫁は嫁の夕食を作り、俺は俺の夕食を作っていた。そして食べる時間も全然違う。寝る時間も違う。一緒に住んでいながら別居している状態だった。
最初はとても腹が立ったが、時間が経てば人間は順応していくのか、自分で自分の分だけ料理を作ることに何の疑問も持ってなかった。調理棚も、明確に俺のスペースと嫁のスペースが分かれ、お互いのスペースに侵食した調味料や器具はお互い何も言うこと無く捨てていた。
俺は俺で料理が趣味になりつつあった。だが昔、結婚してすぐは料理なんか作らなかった、というか作れなかった。少なくとも嫁みたいにレパートリーに富んで、手早く美味しい料理をつくることは夢のまた夢だった。だが自分のために料理をするとなって自分の料理の腕に辟易し、レシピ本を買って作り始めたらこれが楽しくなってきた。気づけば、一通りの料理は作れるようになっていた。
ある日、俺はエビフライを生エビを買ってきてイチから作った。パン粉までまぶしてあるものを買って作ったことは何回もあったけど、生エビに小麦粉をまぶし、卵を付けて、パン粉をまぶして油で揚げたのは初めてだった。味は上出来、思わず「うまっ」と声が出た。一人で食べるには多すぎる量を作ったが、完食してしまいそうだった。
そうしていたら、何を思ったのかこれまで全く口を聞いてこなかった嫁が「食べたい」と言い出した。最初は断った。これは自分が作ったものだからと言った。今考えればこの言葉ってかなり感覚が麻痺している。でもその時はとても機嫌が良かったので、まあひとつくらいはいいかと思い、あげた。嫁は「おいしくできてるじゃん」と言った。
嫁は、俺が炊いた白米を、嫁専用の茶碗によそった。いつもなら「なんで俺が炊いた米に手を付けるんだ」って怒ってただろうけど、その時は不思議と何も感じなかった。俺の斜め前に座ってエビフライをくれとせがむ嫁、もう満腹だから全部やると、俺は嫁にエビフライの残りを全部あげた。本当は、もう少し食べてもよかった。
おもむろに嫁が「こんな美味しい料理作れるんじゃん」と言った。俺は「おう」とだけ答えた。ここから先は一言一句覚えているわけではないけれど、嫁は「あんたと一緒に料理作れたら楽しかったのかな」と、俺の予想だにしなかったことを言い出した。俺は不思議とその言葉が胸に刺さった。
嫁と不仲になり始めたころを思い出した。勤めていた会社が倒産し、引っ越しをする金もない、来月の生活費をどうしようと焦る中、俺は幸いにもすぐに転職を決めた。でも焦りすぎてしまった。その会社の雰囲気が全く俺に合わずに、今思い返せば俺は嫁に当たり散らしていた。そこから、嫁は俺に対して何も言わなくなった。反論することもなくなった。俺がやっていたのは喧嘩で、その原因は嫁にもあると思っていたが、冷静になれば俺が一方的にまくし立てているだけだった。
その会社でなんとか踏ん張って2年経った。俺はだいぶ立ち回れるようになり、以前のように情緒がおかしくなることは無くなった。けれども俺と嫁の関係については、完全に麻痺してしまっていた。
俺は久々に嫁から聞いた言葉で我に返った。そして「ごめん」と謝った。嫁は何も言わなかった。俺が行ったこと、したことは嫁にとって許せるものじゃないと思う。だから、許してもらえないことも考えていた。
嫁は何も言わずに立ち上がった。そして「買い物に行こうか」と俺に言った。