はてなキーワード: 歴史修正主義とは
>「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。
>もし朝鮮人を差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。
藤崎記事でもしっかり取り上げられているし、ブクマコメでもすでに指摘されているが、「「井戸に毒」はデマというのがデマ」と信じ込んでいる(あるいはデマと承知で言い触らしている)歴史修正主義者どもについて無視しているのが解せない。
そいつらにしてみれば、「井戸に毒」は過去に実際に存在した悪事(しかも信じ込んでいる連中にしてみれば、デマということにされて揉み消された、特に性質の悪い悪事)であり、それを過去「起こした」朝鮮人とバイデンをつなげる当該ツイートは、「バイデンは選挙結果をごまかして大統領に就任した悪党」というトランプびいきなネトウヨ(たいてい彼らは歴史修正主義者でもある)界隈に蔓延するイメージと重ね合わされて、両者に対する敵意と差別意識を掻き立て、仲間内で嗤い合う格好のネタだと思うのだが。
極右の定義はwillとかhanadaとかの論調に同意する人たち、とする
自分らは散々世界中を侵略植民地化収奪しておいて正義ヅラしてんのはむかつくわな
列強がこれらの旧植民地に対して十分な補償をしてきたとは到底言えない
日本のやったことを擁護するつもりはないが、日本が醜行に走ったのはそもそもアメリカのせいだよな?
あんな威圧されて「奴隷にしなければ奴隷にされる」と思い詰めてもしかたがないよな?
いじめ学級のようにな
アメリカに威圧されなければもっと穏健な開国もあったんじゃなかろうか
ただ不幸にしてこの国ではイカれた極右が主流なので『言い分』がことごとく腐ったものばかり出てくる
言語道断の歴史修正主義やらあからさまな差別主義やら頭Qの陰謀論やら
まともな『言い分』を出すのなら俺だって日本人の一人として支持したいんだよ
まともな右翼どこ行った?
まとな右翼や~い
帰ってきておくれ~
歴史修正主義者みたいなこというね君
https://anond.hatelabo.jp/20210126012231
こっちの歴史の流れをざっと説明しただけでこんなに反響があるとは思わなかった。
後で書くように、そちらとは現代の情勢がいろいろ違うのでレスポンスが遅くなってしまった。
まず、いろいろとツッコミが並んでるけど、そちらの世界線とは前提が違うからこそ西軍が勝ったわけで、そちらの物差しであーだこーだ言われても困る。
それから、ツッコミの中にそちらの世界の悪いところを全部抜いた世界だ、みたいなのもあったけど、こっちはこっちで悪いこともある。
せっかく興味を持ってくれたみたいなので、少しだけ補足しておこうと思う。
ちなみに、歴史修正主義者の悪質な書き込みだというような反応もあったけど、相手にしないでね。彼(?)のいうことも全部が全部間違いというわけではないのだけれども、彼(?)のようにいまだに野蛮な武士を崇拝するカルトがごく少数ながらこちらの世界にもいて、そちらのネトウヨと同じようにネット上でだけいろいろと騒いでるというだけのことなので。
それから、はてな記法は使えないので見づらいかもしれないのは勘弁。
じゃあ少しだけ前の記事に補足して失礼することにしようかな。
・石田三成について
前に書いた通り、そちらとは前提が違うので関ケ原の戦いも徳川家康と石田三成の戦いというわけではなかった。というわけで石田三成はこっちの世界ではそれほど目立った存在じゃない。関ケ原の戦いで勝利に貢献したのは間違いないけど、1607年に出家してからはどうなったかよくわからない。
・天皇について
小早川秀秋や豊臣秀頼が関白になったのだから、当然その時代には天皇はいた。これは間違いない。しかし、その後商業が発展していくにつれて国民代表議会から「なんで我々の収入から税金を彼らに支出しなければならないのか」という不満が高まっていった。天皇は何もしない・生み出さないわけだから。しばらくの間は国民代表の議会と貴族代表の議会との間でせめぎあいが続いたけど、APS設立後しばらくして天皇は退位した。今も天皇の子孫というか、天皇家みたいなものはあるけど、「だから何?」という程度の扱い。
関東平野が何で開拓されてないのか?というツッコミもあったけど、こちらは良くも悪くも商業中心なので、いちいちそんなくだらないことはしない。前にも書いた通りここに至るまでの前提が違うので、自然的な条件も違う。周辺の標高の高い山(名前があるのかは不明)が頻繁に噴火して灰まみれだし、あんなところを開拓する価値なんてこれっぽっちもない。それでも関東に住んでいる・住んでいた人はもちろんいる。こっちはリベラル化していったと話したけど、当初はそっちの世界でいうところの古典的リベラルであって平等主義的リベラルではなかった。というわけで、関東に住んでいる・住んでいた人に対する差別はひどいものだった。そちらの世界ではとあるアルピニストの野蛮人が外国で子猫を射殺した挙句、それをとがめた友人の脚をも撃ちぬいたという痛ましい事件があったらしいけど、こちらでは19世紀半ばころまで、関東平野に猟銃を持って出かけていく人がたくさんいた。何をしていたかは説明するまでもないと思うのでご想像にお任せする。関東地方の人間は「バン」(坂東の別称?)とか「アズマ」(東日本の別称?)とか「エビス」(これはよくわからない)とか言われて蔑まれ、わざわざ関東から連れてこられて顔にこういう差別用語を焼き印されたり、20世紀の後半くらいまで就職すらできないということもあった。今でもお年寄りがこういう言葉を使って顰蹙を買うことがある。
もちろん、他の連合国家にも差別的な構造はある。そっちの世界と同じように研究は進んでいるけど、やはり周縁部の人に対する中心部の人の態度は冷たい。これは増田も心を痛めてる。
・今の社会について
こちらは母系社会で、近代ヨーロッパの父系主義と激しく対立したこともあった。というか今も対立している。ヨーロッパの人に言わせれば、ふしだらだとか家族像が理解できないとかそういうことらしい。ヨーロッパの人はそこまで潔癖なのかというとそれもよくわからないし、言いがかりなんじゃないかと思わなくもない。こちらでは割と早い時期に子どもを作って働く人が多い。大学に行く人はあまりいない。大学まで行かないと就けない仕事はそこまで多くないので。そっちの世界はどうでもいい仕事をするためにわざわざ大学に高いお金を払って行かなきゃいけないっていうのは本当にかわいそうだと思う。しかもそこまでして就職してもつまらない仕事して不味いご飯食べて結婚もできないって本当にかわいそう。しかもそっちは昔のヨーロッパの真似と武家社会の慣例をミックスしてめちゃくちゃな家族制度つくって、父親にも母親にも訳の分からない責任がのしかかってるんだよね、本当にかわいそう。あんまりかわいそうを連呼すると反感をかいそうなのでこのくらいでやめます。こっちはこっちで子どもがたくさんいて大変だし。
こちらは原発がなく、火力発電と風力発電がメイン。原子力はほとんど理論研究で、これを発電やら何かに応用する研究は全然ない。それと関係があるかどうかはよくわからないけど、そちらほど技術は発展していない。スマホもない。いろいろ反応があったのになかなか返答できなかったのはこういう事情がある。しょっちゅう停電するし、ネットはいまだにPCに回線をつながないとできないし、1人1台所有するのはちょっと厳しい。まあスマホみたいな小さい画面でネットして何が楽しいのかよくわからないけど、もう少し発展したらこちらでも同じようなものができるのかな。ネットの速度はADSLと同じくらい。今これを書いているPCは妻の母のもの。起動に3分くらいかかる。メモリは500メガ。時々接続が勝手に切れる。ちなみにこれを書いてるときも2回切れた。うっかり更新ボタンを押してしまって書いたデータも消えてしまった。
そっちの世界の人ってほんとに首都とか中心がどこなのかとか、権威的なものが好きなんだね。ちょっと理解に苦しむけど、今の首都は京都や大阪じゃない。APS設立当初は広島が首都だったけど、そっちでいうところの日本海側の方が便利ということで首都機能は福井にある。これもこっちの人間からすると「だから何?」なんだけどね。何から何まで福井に集まってるわけじゃないし。そっちの首都は昔江戸だった東京ってところなんでしょ。東京って変な地名だよね。笑える。あんなところに1000万人も密集してるとか信じられない。どうやって暮らしてるの?ブタ小屋にでも住んでるの?あ、失礼。あんまりバカにするとまた怒られちゃうね。こっちの前提が違うのと同じようにそっちの前提も違うんだもんね。ネットの接続が切れたりしてイライラしてたみたい、ごめん。
皆さん騙されてはいけません。
私も西軍が勝った世界線に住んでいますが、元記事は歴史修正主義者が書いた悪質なプロバガンダ増田です。
順を追って訂正していきます。
後述しますが、冒頭から近世日本の歴史観の中で最も悪質なミスリードです。
大名は「定着せず」ではなく「定着させなかった」が正確ですし、「関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎」は極めて恣意的な表現になります。
戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。
この部分はある意味で正しいですが、重要な事実が省かれています。確かに日本列島内での大名間の大きな争いは起きませんでしたが、関ヶ原後の豊臣氏はかつて秀吉が行った朝鮮出兵を再開したのです。
石田三成が中心になって行われたこの出兵、いわゆる「元和の唐入り」は簡単に言ってしまえば外敵を作ることによる諸大名の結束を図るものでしたが、結果として成功を収めてしまいます。
朝鮮半島を支配下に置いた豊臣政権は、万暦の三大征で国力を失っていた明との間に戦わずして講和条約を結びます。その後朝鮮半島は現在に至るまで日本の領地となっており、そのため元和の唐入りは対外戦争ではないという風潮(沖縄や北海道みたいな扱い)が強いのは事実ですが、現代人に都合のいい歴史観ではないかという議論は存在します。
こうしてアジア大陸に進出した日本が当時の国際貿易において強い存在感を発揮し商業により発展していくのも事実ですが、ここでも重要な部分の言及が省かれています。キリシタン大名と南蛮豪商の存在です。
当初は秀吉のバテレン追放令を引き継ぐ動きを見せていた豊臣政権ですが、交易の重要性が増すにつれてキリスト教宣教師の活動を制限することに無理が生じていきます。またこの頃、日本での貿易事業で一旗揚げようとポルトガルやスペインから移住してきた事業家、いわゆる南蛮豪商が急増したこともキリスト教信仰の活発化につながっていきます。
政権はなし崩し的にキリスト教を認めていくことになりますが、そうした流れで力を付けていくのがキリシタン大名です。彼らは表立って政権や4大大名と権力争いをすることはありませんでしたが、着実に海外とのコネクションを強めていき、国内キリスト教勢力の強固な後ろ盾となります。
武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない
冒頭の部分にも関係して、ここも悪質なミスリードです。たしかに武士の消滅と神道や儒教の衰退は同時期に発生しましたが、そもそもこの2つ事柄に直接の因果関係はありません。
しかしこれらが同時に発生したのには明確な同一の原因があります。それが前述したキリシタン勢力の台頭なのです。
政権の貿易政策とキリスト教の容認に対して、元よりキリスト教と対立していた朝廷はもちろん、元東軍を中心とする従来の武家社会に重きを置く大名勢力は当然反感を高めていました。これは感情的な部分だけではなく、元西軍派が中心となった貿易事業の利益を享受できなかったという側面もあります。
そんな中、細川家、井伊家を中心として天皇を旗印に政権を打倒しようとする動きが見られるようになり、寛文になる頃には挙兵寸前まで緊張感が高まっていたと言われます。しかし、そのタイミングで寛文近江・若狭地震が発生し、天皇の住む京都も大きく被害を受け、挙兵どころではなくなってしまいます。
それに対してすかさず政権が取った対応は、表向き地震被害からの避難を理由にした江戸への遷都(寛文の遷都)でした。遷都といっても移ったのは天皇の住まいと形式上の朝廷の機能だけで、政権の機能は大阪を中心とした関西圏に残ったまま…つまり政権は目の上の単瘤だった朝廷を体よく遠ざけた形になります。元東軍はこれに乗じて江戸に集結・再度の挙兵を試みますが、キリシタン大名による牽制や南蛮豪商による経済的な妨害もあり叶うことはありませんでした。この頃から旧来の武家勢力や神道信仰は急激に衰退していくことになります。
ではこれで豊臣政権やキリシタン勢力の共同支配は盤石のものになったかといえばそういうわけでもありません。形式上の都である江戸やその近辺の関東では都野伏(みやこのぶせり)、隠れ神道といった形で反南蛮の勢力が生き残りつづけます。そして18世紀入ってしばらくした頃、天皇を不可侵の元首とする「大和帝国」として独立を果たします。その後も色々ありましたが、現代において大和帝国はの国際社会にも認められた独立国家となっています。そういう背景がありますので、現代日本の領土として残っている関東地方には「ほとんど人が住んでいないド田舎」という表現が当てはまりますが、関ヶ原当時の関東地方の大部分は現代においては大和帝国の領土となりますので、そこを隠すのは悪質で不誠実な表現であると言わざるを得ません。
左派の人達は何かを伝えたい、思想を正しい方向に変えたい、という思いが強すぎるのか、とかくルール破りが目立つ。
ウィキペディアでそれが原因で無期限ブロックされ、さらにはLTA(長期荒らし)認定された事例が多数ある。一例が有名なGRIMMというものだ。
このアカウントは、天皇制廃止などをウィキペディアで訴え続け、数多の苦情や警告が全く効かずに無期限ブロックされた。その後ブロック破りを繰り返したことでLTA認定され、プロバイダにも通報したが荒らしは止まることなく、10年以上続いている。他にも左方向のプロパガンダを繰り返して無期限ブロック処分された事例は多数あるので探してみてほしい。
例の佐藤由美子氏もアカウント登録直後のわずかな編集がモロに左派のプロパガンダ投稿であり、これらのLTAと同類と見做されたために差し戻されたと考えるのが自然だ。
一方、右派アカウントがルール無視の編集強行を繰り返して無期限ブロックになった事例をほとんど見ない。それ以前に「ブロック依頼」が起こる事例もほぼ見ない。右派の人達はウィキペディアのルールを守りながら編集や議論をしている証拠だ。彼らはルールを守らないと
その結果、実績ある有力ユーザーは右派ばかりになり、歴史修正主義がはびこることになったのだろう。言い換えれば左派の自爆だ。ちなみに左派ユーザーのルール無視の編集強行は最近のアンサイクロペディアでも問題になってるようだ。
日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策 | 佐藤由美子の音楽療法日記
佐藤由美子さんの「日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策」について - Commentarius Saevus
Wikipediaに対する佐藤由美子の主張が馬鹿馬鹿しい件について - 今日も得る物なしZ
この話題、最初の記事が広まった後で記事の間違いが指摘されてるんだけど、最初の記事についた賛同してるコメントが消えてない。
自分は賛同するコメント書いたあとで、記事が間違ってることがわかったら消したり追記したりするんだけど、みんなそうじゃないの?
歴史修正主義者の特徴は、
・対立データがあっても、一方的に自分の方のデータを信じるだけで、大した根拠もなく対立データを無視するか、間違ってると断定する。
アウシュビッツには210㎡のガス室がありました。否定者はこう言います、
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丸の数は適当に書きましたが、この長方形に人をこのように並べると、1680人しか入らないはずだ、というのです。だからあり得ないんだそうです。
こんな馬鹿な理屈どう思いますか? イメージ図ですけど、詰め込むって普通こうしますよね?
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テキストなので行間は埋められませんが、このように交互に埋めるようにして、重ねてぎちぎちに詰め込むでしょ?
実は、日本の明石花火大会歩道橋事故で観測された密集の最大値は13〜15人/㎡なのだそうです。
つまり、間をとると、14人/㎡になります。そして、上限値と証言されている3000人を面積で割ると、14人/㎡です。
つまり、アウシュビッツの証言者が言ってることが現実とピタリ合っているのです。ガス室はちなみに素っ裸で入りますし、3000人は上限であり、そうなったことは一度もないのだそうです。
しかし、これを示しても、ホロ否定信者たちは全く信じようとはしません。
1. 2014年ダボス会議での質疑応答で記者に日中が戦争に至る事はあるかと問われた安倍総理は「無いとはいえない」と答え、これによって海外メディアにバカで危険なポピュリスト扱いされた。
ここで「ならない」と答えなかったのは戦争を語るのはリアリズム、戦争反対は反リアリズム的リベラリズムだとの思い込みからではないのか?
2. 2013年の末には米国が遠まわしに釘をさしていた靖国参拝をし、東アジアのみならず日米関係が戦後最悪な状態に陥った。「中韓が閣僚の靖国参拝を批判するのは戦没者慰霊をさせない為」というのはA級戦犯合祀で一気に国際問題化した責任逃れの為に80年代に靖国神社とその周囲が流布させた言説だが、これを鵜呑みにしていて、更にA級戦犯の顕彰は米国による戦後体制への挑戦だという事を忘れていたのではないか?
3. 冷戦後に国際的な軍事協力で国際秩序を維持する合意がある程度なされ、憲法改正はそこへ適合する形での軍備を目指すものとなっていて、その地均しと国際秩序への貢献として自衛隊が海外派遣されるようになった。
だが近年の自民党はこの憲法改正問題を人権の制限や国家権力の統制である事を否定するなど児戯でかき回して国際秩序と再軍備という論点は完全に蒸発してしまった。これはリアリズムに基づくのだろうか?
4. 更に南スーダンPKO日報は政局に影響を与える為に消去が暗に命じられた。PKOで問題が発生したらそれが憲法の制約によるものならばそれを指摘して憲法改正論議に繋げるのが王道だろう。これは元増田が言うところのローポリティクスの都合でハイポリティクスを毀損したことになる。
5.米朝関係が悪化して北がミサイルを撃ちまくっていた頃、韓国と歴史修正主義を巡って応酬を繰返し、その背後で防衛協力は固めるという行動をしなかった。背後で防衛協力がなされていたら「突然の米朝デタント」に裏をかかれなかったはずである。
元増田のいうハイポリティクスの常識というのが、例えば政治系Youtuberの動画とか大きい本屋のレジ付近のプレジデント社の本とか日本海地図をひっくり返すと地政学とかではないのか?と疑問に思わざるを得ない。