はてなキーワード: 校長とは
ここ数日間めちゃくちゃ凹んでいるというか気が滅入っている。母校のことだ。
中2男子生徒自殺か 「悪口言われた」 NHKニュース http://nhk.jp/N4K74Fpv
私は数年前にこの中学校を卒業し、現在は岩手を離れて暮らしている。おそらくもう中学の生徒・先生で(知り合いを介さずに)直接知っている人はいないけれど、それでも多感な3年間をあの学舎で過ごせたことに感謝しているし、だからこそ今回母校で起こった事件は残念で腹立たしいし哀しい。自ら命を絶った少年の絶望感を思うとやるせなくなってくる。
全国的に取り上げられるようになってから2,3日くらいいろいろなメディアを周回してこの事件を追っている。報道する側も糾弾する意見も擁護する意見もあまり核心を捉えられていない感じを受ける。一部分の情報しかあらわになっていないのでまだ判断しかねる部分はあるけれど、矢巾で学生時代を過ごした印象やこの事件の所感について書き連ねていこうと思う。
まずこの事件へのコメントとして目に付いたのが「田舎の(岩手の)人って陰湿だから」という感想。人が集まれば人間関係のこじれなんて田舎も都会もいくらでもあるわバカヤロウ、と言いたいところだけど矢巾に関していえばちょっと特殊な事情があるのかもしれない。
もともと矢巾は農村地帯で、北隣の盛岡の人口が増加するにしたがって田んぼが住宅地へと埋め立てられ変わっていった歴史がある。私が小学校の頃に人が増えすぎて新しく小学校が建設されたし、岩手医大が矢巾に移転されてからも人口はますます増加している。そんなわけで地元の小中学校は旧家の子と新興住宅地の子が混在する。私立の小中学校に進むという選択肢がメジャーではないため学力は上位と下位の差が激しい。また、部活動は強制加入で、運動系が非常に盛んであり文化系は吹奏楽部か美術部しかなく受け皿が少ない。以上のような点から、いわゆる「スクールカースト」が発生しやすい環境だったのではないかと卒業した今にして感じている。ちなみに、運動部の激しいところは一度入ったら放課後や休日はほぼ部活や練習試合に充てられるため勉強する暇がなく、勉強のできない子はとことんできないまま卒業していく。
私の在籍していたときの学校はどうだったのかというと、浮く子もいればいわゆる不良もいたけれど、問題が起こればきちんと学年の先生が一丸となってしかるべき対処を取っていたし、それぞれの得意な分野を各行事で活かしていこうという雰囲気が生徒間でもあったと思う。報道を見て気になったのは担任の先生ばかりクローズアップされているけれど学年主任や他クラスの担任のサポート体制は整っていたのかな、ということだ。私たちの代の学年主任は週1で学年通信を発行して問題が起こるたび記事にして公開していたし、学年にひとり副担任がいてたまにクラスの様子を見に来ていた。荻上チキさんのツイートにもあるように( http://togetter.com/li/844936 )、担任の先生1人が抱え込む構造になっていなかったかを検証する必要があると思う。
一部報道では18年前にもこの学校で自殺があったと書かれている。私たちがいたときはすでにその代は卒業してしまったけど公然の噂となっており、「学校内のステンドグラスを割ってしまいそのことを苦に思っていた」などと言われていた。報道ではその自殺を今回の件と関連付けて荒れた学校であるようなことを書いていたけれど、正直学校内では共通の関係者はいないはずで、影響は薄いのではないかと思う。
ネット上の掲示板で行われている「犯人探し」は、大津のときや過去の事件と比べて情報が集まっていない印象を受けた。このことから「この町は隠匿体質で恐ろしい」などという書き込みもあったけれど、そもそもこの町は人口の絶対数が少ない。ネット環境が整ってない印象もある(LTEが入るようになったのはここ1,2年くらい)。また、田舎の地域に特有だと思うんだけど、「2ちゃんねるを閲覧することですらバレたらヤバい」みたいな雰囲気が小中学生にあって、そのためタレコミが少ないんじゃないかと思う。
ただこの町の子供にITリテラシーがあるのかというとそうではなく、事件後のTwitterでは「矢巾北は報道されているような悪質な学校ではなくこんないいところもあります!」みたいなツイートが散見された。この件に関係のない卒業生はそんなツイートしても効果がないことを理解して欲しいし、在学生ならそんな書き込みをしている場合ではないということを自覚して欲しい。
この事件が大々的に報道されるようになったのは、担任のbotのような応答の影響もあれど、町の教育委員会や学校の対応がことごとく悪手だったのも挙げられると思う。なぜアンケートの結果の報告が二転三転したのか。なぜ校長は最初の会見時にマスコミを通して顔を公開させなかったのか。なぜ炎上がひどくなったタイミングで中学校のWebサイトを閉鎖したのか。このような対応への不信感と、被害者の父親の糾弾もあいまって今回のバッシングに繋がった感じがする。岩手では夏休みが始まるまであと1週間ほどなので、長期休みでうやむやになる前に町と学校は真摯に情報を公開し迅速な対応を取る必要がある。
母校をかばいたい気持ちもある。父親の子供への対応は適切だったのか、マスコミが一部のみをクローズアップして報道していないか、など疑問に思うことはいろいろある。だけどいまはただ少年の冥福を祈りたいし、事件の詳細が明らかになることを望んでいる。今度帰ってくるときには花束を手向けるつもりだ。
追記・
否定しておきたいのは、一部掲示板で上がっていた「どうせ宗教がらみ」「部落の多い地区なんでしょ」という声。たしかに公明党のポスターはちらほら目につくしローカル番組のスポンサーに創価学会、ということは多いけれども、しつこい勧誘はないし宗教の本部が町内にあるとかいうことはなく、宗教がらみの人間関係への影響は薄い地域である。また、東北以北で部落問題は聞いたことがなく教科書で初めてその存在を知った程で、岩手近辺の地域で「部落」という言葉は「集落」と同義であることを付け加えておきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20150612204320
これを読んだ。途中までしか読んでいないが、言いたいことは分かる。
ここで、嵐の各メンバーのファンの性質を比較してみようと思う。
嵐ファンを学校で例える
独自の秩序にしたがって穏やかに静かに応援する。
おそらく大野が結婚してもそれほど騒がないが、相手次第でウォッチャーに化ける。
真剣に櫻井を尊敬する努力家。尊敬が行き過ぎて貶し愛に発展することさえある。
堅実に見えるが意外にドリーマーなので扱いには注意が必要。
二宮が提供してくれる虚構の世界に片足を突っ込むことでなんとか立っている傷だらけ。
嵐ファンの中で最もコミュ力に長けている。
追記
あぶねえ、トラバ無かったから反応ないんだと思って消しそうになった。
ブクマへの返答
・肝心の、大野ファンの特異性とは?
そうだ、大野ファンの特異性な。
大野ファンはジャニオタの中でも異質。どちらかといえば歌舞伎のファンに近い。
流行り物に目を向けず、技術と伝統を慈しむ、ジャニオタとは全く異なるタイプの人たちが、大野の出現によってジャニーズに興味を持った。
「技術を尊び、流行りものをけなす」というあの心理を、嵐というグループの二人のメンバーを使って実現しようとした結果、大野age松本sageの変な人間が生まれる。
大野ファンのうち、あくまで一部の人だけど、そういうのがいる。
あくまで一部な。ごく一部。大野きっかけで嵐にハマり、穏やかで知的なブログを書く奥様ファンとか、若いジャニーズには目もくれず大野くん素敵!って言ってる少女など、すんばらしい大野ファンの方がもちろん多い。
大野の親世代の女性が、あまりにも麗しい文で綴った嵐の番組観覧レポを、私は何度も読み返した。
(声に出して読みたい日本語だった。すごかった)
・なぜ学校に例えた?
元は二宮ファンの特異性を表現するためのネタだった。「櫻井ファンは真面目系女子、相葉ファンは純粋系女子だけど、二宮ファンはロリコンの変態」っていうネタ。
展開してる間に楽しくなって、少し改変して投稿した。
二宮と二宮ファンの関係は、「二宮の中の人」によって支えられている。
スーパーショタフェイスを内側から操作する32歳独身ゲーマーが、二宮というアイドルを作っている。
二宮ファンはそれを理解した上で、虚構の世界を楽しみ、日々の退屈さを凌ぐ。恋愛感情でも親目線でもない。玄人の楽しみがそこにある。(十代半ばまでの若いファンを除く)
現在公開中の映画「ビリギャル」は、もともとstorys.jpというサイトに投稿された話だそうです。話題作で評判も高いということで、映画好きの僕も早速見に行きました。率直な感想は、全く感動することもなく、途中何度もつまらなすぎてしんどかったです。
改めて、storys.jpというサイトに投稿された元の話を読んでみました。まずタイトルを見て、合格体験記の1つと分かりました。ただ、いくつか「?」もありました。
とりあえず、読んでみました。
「いきなり志望校を決めるんだ。でも、目標を最初に設定するのは重要かな」
「1年半で67万人以上をごぼう抜き?う~ん、僕だったら、まず志望校の過去問見てみるけど。それから、単に合格に求められる一定水準の学力を身に付けるためにこつこつ受験勉強するんじゃないかな。そんな数字のこと考えるかな?慶應って67万人も受験してたっけ?」
冒頭から立て続けに疑問がわいてくる。大学受験の話なのに色々と長い。要は大変だったってだけでしょ。とりあえず、最後まで読むことにしよう。
すぐに、ひっかかった。
“普通の人間は、変な先入観というか、中途半端な小賢しさというか、まぁ一言で言えば頭悪いんですけど・・・”
彼女が素直だったということを説明する冒頭。「普通の人間って頭悪いんだ。へえー」
→「塾に来たのは高2の夏じゃなかったっけ。高3の10月、受験直前に来たの?」
→「何で、妹が小6で書いた地図が出てくるの?彼女の話じゃないじゃん」
“「一度死んだらいいよ」と、真顔で答えておきました。”
→「校長先生から人間のクズだと言われたても、キラキラと輝くダイヤモンドの原石にしか見えなかたのに、そういうこと言う?」
“彼女には、「学校の勉強はみんなのための授業。だから、君は君の勉強をしなさい」と指示しました。”“学校の授業って、「学校側の都合でプログラムが作られている」訳なので、それに合わせるのもおかしな話です。”
→「僕がおかしいんだろうか。塾の先生の発言が根本的に間違っているとしか思えなかった」
とりあえず読み終わった。なんかすごくあっさりしてるな、と思いました。要は、勉強頑張って大学受かりました、ということ。何も特別なことじゃないし、だから、特に感動とかありませんでした。今まで遊んでたから高い目標を設定した分だけ苦労したっていう自己責任の話でしょ。普通にこつこつ真面目に頑張っている受験生の方が僕には感動的に思えるけど、どうなんだろう。
サイトで他の人の話も読みました。“殿堂入り”って銘打っているのがまず面白かったです。前提知識なく読んでみました。
①5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事
→う~ん、大変な妊娠だったんだな。ただ、周りでも聞く話だな。伝えたいことの初めの2つは、ハイリスク妊娠に関わることだけど、言われなくても分かることかな。3つ目は他人に伝えることじゃないでしょ。4つ目は、ニュースに対するただの個人的感想になってるんじゃ。
あと、ところどころ赤文字だったり会話形式にしているけど、深刻な話が何だか軽く見える気がしました。
②急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ
→急に旦那さんが死ぬことになり、実際お亡くなりになって大変だと思う。普通なら気が動転してしまいそうだけど、ここまで冷静に事細かく覚えていて書き記せるのはすごいなと思ってしまった。
ただ、死という深刻な話を扱う中で、会話形式の本人と旦那に使ってる写真と会話内容が少しふざけてるのかと思えてしまったのが残念でした。あと、言葉づかいが少し幼稚に見えました。
この話も、ところどころ太字にしていたり色文字にしていたり、読みやすく工夫しているんだろうけど、なぜか言葉使いと併せて軽く見えてしまいました。
だけど、本人曰く、暗く嫌な話で、今思い出しても涙が出てくるのに、清々しいくらいさばさばと書いているのは感心しました。(笑)の多用とか。僕だったら、悲しくてこんな風にライトなタッチで書けません。
③あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。
→タイトルにあるカタカナ3文字で、僕が決して触れることのない世界だと分からせてくれて良かったです。
ただ、根本的に僕は受け付けない話でした。
人生を教わる相手が間違っているし、教わっている内容は人生じゃない。
“充実感のある仕事”。そんなこと、言われなくても分かってる。それに、言ってる人間が間違っている。説得力が微塵もない。よく真に受けれたなと感心しました。
この人、何の仕事してるんだろ。詳しく書いてくれたらいいのに。
④電車に轢かれて脚を丸ごと一本切断したサラリーマンが、半年後義足で職場復帰した話
→今週の読んでよかったランキングというのがあり、その1位も読んでみました。
どうして電車に轢かれたのか、何で書いていないのかが良く分かりませんでした。事故などで障害になり、それを克服することは素晴らしいことだと思います。けれど、もしもこの人がお酒に酔って転落した、などというのであれば、悪いけど、自業自得でしょ。ちょっと違うんじゃないかな。なぜか24時間テレビを思い出しました。
○総じての感想
確かに1つ1つのストーリ自体は一見して“感動的”に映りました。けれど、なぜだろう、書き手と読み手、そして双方を含めたサイト全体が、結果としてその感動を軽く扱ってしまっている気がしました。タイトルや文中で使われるカラーの文字や太字などが話しを誇張気味に書いているように見せて、途中の会話形式の使用や、まるで決められた設定のように最後に教訓めいたまとめを必ず書いているところ。何よりも、話の中の重要な事実の背景が省略されていたり説明不足だったりするところが読んでいて不思議でした。冷静に読んで色々と考えてしまう僕が変なのかもしれません。もっと軽い気持ちで読むと軽い感動が味わえるのかもしれません。そう思いました。
もう20年近く前の話。
(仮にジャイアントでも呼ぶことにしよう)
ジャイアンはその名の通り、体が大きく乱暴者だった。
下級生を追い掛け回して殴り、上級生にケンカをふっかけ暴れまわっていた。
授業中もフラフラ廊下を歩き、グランドに出て、そのうち外に出て行ってしまう。
先生たちも手を焼いていたようで、親を呼び出したりしたようだがその効果は無かった。
正義とか、理屈とか、ルールとか、そういうのは一切無視でとにかく感情のままに行動するような奴。
今思えばADHD(注意欠如・多動性)だったのかもしれない。
だけど誰も怖くて言えない。
休み時間、学校の行き帰り、学校の外で遊ぶ時。いつもジャイアンが来ないか注意を払わなくちゃいけない。
本当に嫌いだった。
けど腕力のあるジャイアンにかなう奴はいないし、大人もあてにならない。
みんなで警察に通報したこともあったが、結局大人の話し合いになり何の進展もなかった。
このまま中学まで我慢しながら、過ごすのかと思うと激しく憂鬱だった。
けど話によれば、大きな事故だったらしい。
生死は分からない。
死んでてほしい。
ジャイアンは死んでいた。
次の日の全校集会で校長は泣いていた。
しかし生徒も教員も含めその場にいたすべての人間がジャイアンの死を歓迎しただろう。
目が輝いていた。
ジャイアンが死んで嬉しいという者までいた。
本当に誰もが喜んだ。
ただ、
自身の市長報酬4割カット 退職金は8割カット(市議会は維新が提出した議員歳費3割カットの条例案を自民・公明・民主・共産の反対で否決)
人件費を15%、年間360億円削減
事業をゼロベースで見直す‘市政改革プラン’により歳出を380億円削減(当初プラン見込み額のうち96%達成)
天下りポストだった外郭団体を府と統合・民営化を含め70団体から7団体へ最大9割削減予定(7割削減済み)
2013年改選だったポストで公募の無い天下りを29団体37人から10団体11人へ7割削減
前市長が領収書の不要な交付金へと不透明化し、4億円以上ばら撒いていた地域振興活動への補助金を透明化し、全て100%だった補助率を上限75%に引き下げ。
記者会見を記者クラブだけでなく、ネットメディアやフリージャーナリストにも開放
子育て・教育関連予算を前市長時代の67億円から336億円へ大幅アップ
塾代バウチャー制で組織への補助金から個人の選択権を重視した教育支援へ 市長「現金はパチンコに使っちゃう人がいるからICカードでw」
市バス事業が31年ぶりに黒字に
重点的医療扶助(生活保護者医療適正化)、不正受給取締り、就労支援で生活保護費が22年ぶりに減少(政令市で唯一)
朝鮮総連の関連施設について前市長が実施していた税の優遇措置を廃止
重度心身障害児の情報を一元管理する全国初の医療コーディネート事業 (重症心身障害者らが通う施設を視察した際、家族からの「医療機関への受け入れが円滑になるよう支援してほしい」との要望を受けて)
倍以上の差があった市立と私立幼稚園の保育料を同額にして、助成はあくまで所得に応じて行う
保育所入所枠3340人増(前市長の1.5倍ペース)、一方で自民党木下市議は市政に介入して保育所定員を減らすように指示。
訪問型病児保育モデル事業(7800円/日、一人親世帯2400円、生活保護世帯・市民税非課税世帯600円)
結婚の経歴が無くても一人親世帯には寡婦控除と同じ保育料控除を適用
校務支援・学校教育ICT活用事業開始 現在はモデル校に、15年度から全生徒にタブレット端末配布(モデル校では教員1人あたり年間130時間以上の効率化効果が見られた)
学校選択制導入
教育振興基本計画により、程度に応じていじめ加害者への対応を更生施設活用も含めて明確化
市営地下鉄売店の運営を天下り団体からファミリーマートとポプラに
市営地下鉄の薄暗いだけだった通路が駅ナカ商業施設「ekimo(エキモ)」に
芸術文化分野での補助金配分の審査を行う「大阪アーツカウンシル」設置
ふるさと納税制度を利用して、市に納税する代わりに文楽など文化への寄付が可能に (単に補助金を待つだけの文化団体ではなくなる)
体罰が横行していた桜宮高校に先進的なスポーツ教育を取り入れた改革プランを実行、さらに総合型スポーツクラブ設立を中心としたS-プロジェクトを推進
特別予算を組み、街頭犯罪多発地域における重点パトロールを実施
通行人にとって大迷惑だった繁華街キタ・ミナミでの客引き行為を禁止
建て替える予定だった市立住吉市民病院を民間に売却し、府立急性期・総合医療センターに統合
御堂筋の高さ規制を緩和で次々と新ビルが誕生(それに伴い企業が地下街の整備も)
鶴浜に関西発出店の東京インテリア家具を誘致(年間賃料1.5億円)
住民が行政に頼らず自らの負担で自ら街づくりを行える日本初のBID制度
大阪市情報化基本指針により、市営地下鉄に公衆無線LAN・WiMAXを設置
市営地下鉄の運賃を史上初めて値下げ
大阪北小学校・曾根崎幼稚園跡地、売却予定額68億円を145億円で売却し周辺地域活性化も目的にした52階建ての物販・飲食、文化交流施設、900世帯タワーマンションなどの複合施設へ
5カ国との競合を勝ち抜き「第3回インターナショナルジャズデイ」を誘致、開催は大阪城西の丸庭園
税金で管理運営していた大阪城公園を委託料ゼロで民間委託し、逆に年間2億円以上の納付金と収益の一部を受け取る。
税金で管理運営していた天王寺公園エントランスエリアを委託料ゼロで民間委託し、逆に使用料を受け取る。
ほとんど使用されずに7000万円の税金で維持管理していた元大阪市公館の維持管理費用を2000万円に縮小、さらに民間への貸与で由緒ある美しい建物でレストラン・ウェディング・パーティ・庭園の常時公開などに活用された上、1億円以上の賃料収入に。
ごみの収集を効率化し、森之宮・大正の2焼却場の建替え計画を停止。
企業と求職者のマッチングサイト「ジョブアタック チャレンジ!」
市有地を無償レンタルするイベント特別優遇エリア『イベント得区(とっく)』
元増田の出身校の体制がどうなっているかは判らないけれど、小学校の移動教室は何校かで体験したので、参考までに書きたいと思う。
移動教室や修学旅行で、先生たちが酒盛りをしているというのは昔のイメージだったりする。消灯後も忙しいのだ。
小学校の場合、消灯は21時頃であることが多いと思うが、教員はその後フリーになるわけではない。
まず、消灯直前までに、寝る前の服薬が必要な子に頓服済みか確認する。夜尿癖のある子を、トイレに行かせる。
消灯後は、大多数が寝静まるまでは廊下に居り、男子が女子の部屋に忍び込むのを邪魔したりする(悪く思わないでほしい。現に「15歳の母」のような事案は存在するのだ。避妊具でも発見した日には厳戒態勢である。「避妊するだけマシ」という論理性は危機管理には通用しないし、「小学生だから」と甘く見ると大やけどをすることを教員は痛いほど分かっている)。
それと平行して、風呂を済ませる教員もいる。宿の風呂が深夜まで使えるならば良いのだが、23時までだったりすると、主任の先生は風呂を諦めることもある。部屋にシャワーがあれば最高である。また、イベントの担当などの小規模な打ち合わせを行ったりする。
その後、22時~23時あたりで、一度、全体ミーティングを行う。20~30分ほどのことが多かったように思う。実踏で確認はしていても、いざ児童を引率すると、思わぬ問題が発生したりする。見学先やバス移動時のサービスエリア、鉄道利用時の駅などで、居合わせたお客さんから苦情を頂くこともある。その場合は翌日に同じことが起きないよう検討しておく。また、翌日の注意点も共有し合う。タイトなスケジュールだったり、自由行動やオリエンテーリング等で迷子になりやすい場所を確認したりする。
……とはならない。
23時半~0時を目途に、夜尿の心配のある子を起こしてトイレに行かせたり、喘息発作の起きやすい子の様子をみたりする。体調不良の子が居れば、その子の様子も確認する(これは基本的には養護教諭マターだったりするけれど、担任も度々様子を見に行くだろう。性悪説で考えても、子供の信頼を得られなければ、仕事がしにくくなるのは目に見えている。ここで手を抜くのは損である)。
そして、自分のための支度をして、仮眠となる。そう、たいていは仮眠なのだ。不寝番の時間が来るまでの。
もし幸運にも不寝番をせずに済んだとしても、6時には児童が起床するので、その前に起きなければならない。寝れて5時間強だろう。帰りの電車やバスで教員が寝ていても、そっとしておいてあげて欲しい。移動教室や修学旅行は、何より睡眠不足との戦いなのだ。
なお、場合によっては2時ごろにも夜尿の心配のある子を起こしたり、喘息の子に吸入させたりする。この場合は担任でなく、不寝番の教員が代行する事も多い。
世間の目が厳しい平成20年代にもなって酒盛りをする文化が残っている学校は少なくなっているのではないだろうか。校長がカップラーメン位は差し入れをしてくれているかもしれないが、酒盛りをする勇気も元気も無いように思う(ただ、小学校教諭は体力自慢も多いので元気な教員は居るかもしれない)。中高の部活の遠征で、保護者も同伴するような場合は勝手が違う可能性もある。
「夜中すぎ」が何時かは判らないが、全体ミーティングに重なっていれば、そのミーティングを行う部屋によっては、教員が認知できなかった可能性はある。
なお、ミーティングの内容は、円滑なスケジュールの遂行の為の確認と、トラブルの未然防止がメインである。事故や喧嘩が起きるのが、教員は何よりも怖い。仮に、教員が責任感や正義感を持ち合わせていないとしても、である。トラブルが起きれば、教員は眠れないし、修学旅行後も後々まで尾を引く問題になる。児童が怪我をすれば最悪の場合は刑法犯、業務上過失致死傷に問われるのだ。正義感の無い教員が居るかどうかはここでは論じないが、正義感が無い教員が居ると仮定しても、DQNの襲撃や火遊びによる失火などは最大のリスクの1つであり、放置するのは教員集団の行動原理としてはあり得ない(個々としては不合理な判断をする者も居るだろうが、複数の教員がそのような不合理な判断をするとは思えない)。
結論を言おう。
元増田の件では、教員が酔っぱらいを認知していなかったか、認知はしたが対策をしつつ事を荒立てない選択をしたと考えるのが自然である。
前述したように、ミーティングと重なった場合、ミーティングの場所によっては教員が酔っぱらいを認知していなかった可能性がある。
もしその状況を教員が認知したら、教員自身のリスクを考えても、必ず何らかの行動を起こしているはずである。
認知していたとすると、たとえば、直接対峙せずフロントに連絡したり、児童に危害が起きないように注意深く見守るなどの対策をしていたことが考えられる。また、教員がおだかやに「お願い」を申し出て、酔っぱらいが素直に聞き入れてくれた可能性もある。
元増田の証言にあるように朝にスルーしたのは、「児童も寝ている時間であり、気付いてないだろうから、わざわざ言って不安にさせるのはよくない」という教育的判断が働いたのではないだろうか。まさに「寝た子を起こすな」の理論であるが、教員が、児童は寝ていたはずと思っていたのなら、ストーリーとしてあり得るのではないか。小学生は案外早く寝落ちするものである、という経験則が教員にはある。
実際は増田らが起きていたわけで、教員が本当にこのような判断をしていたのなら、これは結果論ながら教員サイドの判断ミスと言えるだろう。
教員サイドのポジショントークに見えるかもしれない。しかし、失火の可能性すらある状態を認知したら、怖いから放置するという判断はできない。むしろ、放置のほうが怖い。いかなごを校庭で焼くという明らかにネタの予告でさえ、万が一を考えて職員会議と警備強化を行うのだ。放置するのは不合理である。
今では考えられないことかもしれないけど
私が小学生くらいの時には今よりもずっと男目線の性に関する認識が世間的に甘くて
授業のない校長先生とかがプールの授業とか理由もわからず見学に来てはじろじろ気持ち悪い目で眺めてたりもした
私は子供のときから発育がよくて同級生よりも体型が大人っぽかったせいもあって
同級生の男子からも「おい、生理」みたいなからかいを受けたりもしたことがあった
でも一番衝撃的だったのが中学校のときに部の顧問の先生が部室に隠しカメラをつけていたこと
これも今じゃ信じられないけど学校側が必死にもみ消してその先生は不自然な時期にどこか遠くの学校に転勤になった
私はなまじ部活を真面目にやっていて、その先生にも好かれていたように思っていたのでショックが大きかった
思い返して部の中で私を褒めてくれていたのは実力じゃなくて性的な目線でのことだったのかと思うと
心の中じゃ性に関する嫌悪感がどうしても拭えなかった
彼からエッチを求められても、内心では気持ち悪いことをしているというふうに思えていたのを我慢してやっていた
結婚して子供ができた時には「ああ、これでしばらくしなくていいんだ」とホッとしてたりもした
近頃ちょっと物心がついてきたのか、女の人の裸とかに興味を示し始めているように感じる
それを聞いた時、自分の子供に対して激しい嫌悪感を感じるようになった
一気にそれまで押し潰してきた性への嫌悪感が吹き出したような感覚だった
もしかしたらブルマやスク水に異常な執着心を見せるようになるかもしれない
次に息子が同じようなことを口走ったら手を上げてしまうかもしれないし
このまま息子に個室を与えるなんて絶対にしたくない
気持ち悪い
ここ数日本当に満足に食事が喉を通らな
25年くらい前、たまごっちが爆発的に流行り、どこでも品切れ状態で手に入らなかった時代の話。
当時、小学校5年生だった私に、母親が知り合いの社長に頼んで手に入れてもらったたまごっちをプレゼントしてくれた。
ひとりっこだった私は嬉しくてたまらず、早速たまごっちを買ってもらったから一緒に遊ぼうと友達を誘って公園に出かけた。
田舎の小さな町だったので、友達が盗んだとわかるまで、私は学校で色んな子にたまごっちを失くしたのだがどこかで見なかったかと聞いた。
思ったより騒ぎになったことを恐れたその子が学校を通して自首(?)してきてたまごっちは返ってきた。
返ってきた、のだが。
ある日突然、校長室に呼ばれて、この子が盗ったそうだ、物も返すし反省してるから許してほしいと言われ、私はたまごっちが返ってくればよかったのでそれ以上追及することはしなかったのだが、そのとき校長に
「盗んだのも悪いが自慢したから欲しくなってしまったのだろう、自慢した方もよくない」
と言われた。
自慢なんてしてない、友達と一緒に遊びたかっただけだと主張したが、君にそのつもりはなくても受け取った方は云々言われてものすごく気分が悪かった。
別にこの話にオチとか結論はないけど、20年以上経っても未だに腑に落ちない話でよく思い出すから書いてみた。
ちなみにその時のたまごっちは盗んだのがばれることを恐れたその子が別物に見えるようずたずたに傷つけてしまっていたのでそれからはほとんど遊ばずに引っ越しの時に捨てました。
二年生の4人が一人を呼び出していじめていたらしい。
4人のうち、やめようとした子もいたそうだが、主犯の男の子が抜けると殺すと脅したそうだ。
担任は見て見ぬ振り。
主犯の男の子の親は共働きで、忙しいから子どもの事はあまり構ってやれないと謝りつつも言い訳をしていたそうだ。
いじめた方の親はたいてい子どもを叱りつつも、親として心底反省したり当事者意識を持たない。
子どものいじめなんかよくあるし、自分たちもそれを経験して大人になったから。
自分の子どもが人を殺すまで、本当に取り返しがつかないことを見逃していることに気づかないのだろう。
未成年に甘くするぶん、その親が刑を代理で執行される制度にすれば、もうちょっと加害者側の親も子どもの犯罪に関心を持つんじゃなかろうか。
俺は東大合格者5番には入る学校にいて、学校内では底辺の成績だった。現役東大落ちて、滑り止めの学校にいって、今はニートしてる。いろいろ興味深いこととか実態とか話す。
まず、あまり注目されないことだが、超進学校には明確な学力ヒエラルキーが存在する。低い階級のものは、何か他のもので自分の現状を合理化しようとする。例えば、部活に熱を出したり、文化祭などでリア充っぷりを追求したり、だ。高い階級のものは、無垢なままで高くありつづける。このヒエラルキーは、ずっと続く(受験生になってから、勉強法を模索して東大に滑りこむ奴は結構いるが)
全体として見ても、「昔はチヤホヤされた」集団なので非行に走るやつや、飛び抜けて性根が腐っているようなのはあまりいない。いじめは中学まではあるが、高校に入ると途端になくなる。
次に、カリスマ教師のようなものはいない。教師の質に関しては俺が言及できるところはないが、少なくとも「カリスマ」はいないと思われる。ただ、これはうちの学校だけかもしれない。自身の指導方針に自信と誇りを持っているような教師が、どこかの学校にはいるらしい。(個人的に灘の校長はカリスマだと思う)
塾について。9割の生徒は塾を利用する。鉄緑会を始めとした大手塾に通う人、小規模な個人塾に通う人もいた。塾の学費は年間約50万(科目数にもよる)程度であり、学校の学費が100万程度であることを考えると、結構洒落にならない金額がかかる。ちなみに俺の親は年収1500万付近の人間だが、ほとんどの人はそれ以下ぽかった。子供には相当のプレッシャーをかけていたのだろうか。
総括。
教師も生徒も、「じぶんはなにも知らない」という認識が欠けていた。善悪の判断を自分でしようとするものがいなかった。
「東大いけいけ」「医学部おせおせ」なムードが強く、流れにのるだけで東大にもいけてしまうので、そういうのが好きな人にはいいと思う。しかし物事に懐疑的な人には、生きづらい環境であった。
俺は中学とか高校というものが嫌いなので、自分の子供をいかせるつもりはサラサラないが、「日本国内」で「中学高校」にどうしてもいかせなければならなくなったら、進学校を選ぶと思う。