はてなキーワード: 技量とは
横道にそれるけど、今は誰でも発信できる時代、というよく聞かれる言い方に欺瞞を感じざるを得ない。
そんな気軽に発信して受け入れられているのはそれなりの経歴を持つ業界人ないし、賞を撮って連載はじめた漫画家なりバックグラウンドがしっかりしている人。
Twitter観察してりゃわかることだけど、相互で稼いでるやつ以外は卓越した技量を持つか、肩書がしっかりしてるかのどちらか。むしろ卓越した技能で無名のやつが割といる印象。
枕の実効性は未だにあると思うね。
これは運営も含めてそういう流れに持っていってる。
本当にキュレーションしようなんて人は一人もいない。
藤本タツキがモーニングや良くてもGジャン位から出たら、あそこまで人気が爆発的だったか疑わしいと思っている。
本当に優れているものは受け入れられ難い。藤本は本来本当は受け入れられないタイプの作家性ある人物だ。
今の状況があるのは間違いなく集英社という土壌のおかげ。
それもジャンプラのときはマニアの間で話題、程度に収まっていた。
去年自宅で過ごす時間が多くなったから、オンラインでゲームでもしようと思ってPCを買った
ボイスチャットなしで過ごしてたけど、あったほうが楽しくなるかもしれないと思って導入してみた
そうしたらフレンドが私の声としゃべり方をほめてくれる
そんなに魅力的なのかな、私の声
みんなからは冗談っぽく、声優みたい、ストリーマーみたい、と言われた
私は本気になっちゃって、どうせならVtuberなってみようかと思ってしまった
だけどここからが大変だった
まずは衣装のデザインを決めようと思って、資料集めて、頭の中で思い描く
なかなか自分で決められないから、衣装デザイナーにお願いしてもらおうと思った
いろんなサービスやウェブサイトを通じて私の思っているような方向性を実現してくれそうなデザイナーを数人ピックアップして、コンタクト
何人かに作ってもらって、ようやく自分にとってピンとくる衣装が出来上がった
長かった
それぞれのデザイナーさんとのやり取りがこんなに楽しくも時間がかかるものだとは
そして自分の考えているデザインがどんどん変化していくものだとは
衣装はできたので、イラストにできる人、モデリングができる人を探そうとした
ここで私は疲れ果ててしまった
かわいいキャラを描いてくれる人を選ぶぼうとしたら、意外と選択肢がすくなかった
イラストを描いている人は数えられないほどいる
でも、Vtuber用のイラストを描いてくれる人は思ったより少ない
そして一定のレベル以上の技量がある人は、のきなみ個人の依頼を受けていない
自分が用意した衣装は凝ったデザインになっていて、それなりの技術がある人にして描いてもらいたくない
あれ?就活じゃないの?
なんでまたやってるんだろう、こんなこと
アバターは自分の化身だから、営業の仕事で断られるのとは、わけが違う
妥協せずにデザインを煮詰めていった結果、選択肢を狭めて、行き詰ってしまった
お金はきっちり用意しているけれど、お金を払うまでの段階に手が届かない
そうか、個人Vtuberのイラストのクオリティがまちまちなのは、こんな理由があったからなのか
モデリングできる人も探すのが大変だ
3Dできる人は当然限られてるし、2Dでの実績技量がある人は、だいたいが予約数か月待ちだったり、仕事停止中だったりする
また長々と断られなきゃいけないのか
自分が愛をこめて作っていったキャラだからこそ、こういうところでいい加減なことはしたくない
ああ、イラスト、モデリングをしてくれる人が決まったとしても、配信画面の枠とか、スタンプとか、ヘッダー画像とか、場合によっては音楽とか
ぜんぶ私が、これがいいこれがダメだと決めていかなきゃならないんだ
あと何か月かかるんだろう
こんなこと考えたら、もう、疲れ果ててしまった
そろそろ研修が終わってプロジェクト配属された新卒の人たちも出てくる頃なんじゃないだろうか。
知らないことやうまくいかないことが度々あって、不安に思っている人もいるだろう。
中には、すでに頭角を現し始めている同期を横目に、無力感にさいなわれている人もいるかもしれない。
だが、実際のところ、成果が挙げられるかどうかはあなたの力量によらない要素のほうが大きい。
もちろん、すでに十分な経験や力量があってジョインしてすぐに活躍をする人もいることはいるが、
それはごく一部の「例外」に過ぎず、多くの場合は環境によって生産性が決定される、あなたの技量によらず。
あなたが所属するプロジェクトは、新人を受け入れる環境が整っているだろうか。
手引書やマニュアルが大量にあったりしないだろうか。
業務遂行にあたって決まり事や手続きなどが多かったりするのではないだろうか。
最初のうちは成果があがらないのも仕方がないと諦め始めている人もいるだろう。
だが、それはあなたの実力によって起きている状況ではないということは分かっておいたほうがいい。
向学心がないのであれば、興味が持てそうなことを探してみるといい。
興味が持てそうなことがないのであれば、先輩に「なんで今の仕事をしているのか」を聞いてみるといい。
それでもまだ行動を起こせないのであれば、配置換えや転職を考えてみるといい。
エンジニアとしての人生を歩み始めたばかりでは、実力なんてわかるはずがない。
今、つらい状況であったとしても悲観することはない。
コレのブコメで
とあって気になった。
自分が見てきた創作物の大体のおっさんはかっこよく書かれているかモブで、本当にありそうな苦しみや心理を描写している物をあまりみたことない気がする。
誰か教えて
悲しい生活をするOLのマンガがあるがそれの逆バージョンではないかと思う。男は悲しい生活をするOLの物語を見て男としての自分が登場人物より苦痛に強く男らしいことを再発見する。
件の作品では、女としての魅力がなくまた女のやりそうな事柄について技量の低い女形の男を取り上げることで、女としての魅力や技量の低い(と自分で思っている)女は安心できる。その人達にはその人達なりの救いが必要なので、男からすればなんじゃこりゃであっても、それを認めて欲しいという世界観。このタイプの物語に取り上げられる女形の男が認められることで、それよりもその事柄について魅力や技量の高い女形の女も認められ安心できる。男が男らしさから降りて良いというのは建前であってそのような男が登場することを求めている訳ではない。
2021/7/3北とぴあ
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NYMC Japan
柔らかな響き。アカペラならではのよく聴きあった融ける和音が魅力的。2曲目は、遠い大地から聴こえてくるような幻想的な部分と、力強いエネルギッシュな部分の対比がよかった。
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粋声
すげえうまい。もうプロでしょ。(感動したので言葉が悪くなりすみません)
各人の技量がとても高く、パート内の声が揃っており、和音が完璧。などと私ごときがテクニックを褒めるのはおこがましいので、曲の感想を。
隠れキリシタンのオラショ(祈り歌)をモチーフにした曲。潜伏の末にもはや意味がわからなくなったのであろう、ミサ曲の聖句の残滓が見え隠れする中、「瀬戸の潮騒…」と日本語があらわれ、江戸期のおそらくは貧しい人びとの暮らしが立ちのぼる。かと思えば強く鋭くアレルヤ、アレルヤ…!と歌われて、長い年月を経てなお信仰が「ある」のだと思わずにはいられない。
圧巻。
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2曲目、若く瑞々しい爽やかさを感じる。この合唱団によくマッチした曲だと感じた。コロナ禍のためあまり練習できなかったとの事だがよくまとまっていた。挨拶した学生さんから、やっと歌えて嬉しいという気持ちが伝わってきた。
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入場が楽しくてノリが良くて元気!
1曲目、万華鏡のように入れ代わりながらユニゾンになったり音がぶつかったりするのがカッコいい。攻めの姿勢の演奏が小気味よい。
2曲目、一転して優しい雰囲気。大切な女友達に誘われているようで嬉しくなる演奏。
3曲目、冒頭のアルトの、包むように支えてくれるところが好き。
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1曲目、グレゴリオ聖歌とおぼしき清潔なユニゾンの旋律が、ふわりと現代的な和音に広がるのがとても好き。
2曲目、ルルルの重く歌うところとスッと抜くところのコントロールがカッコいい。腹筋が使えてるのだろう、日々の基礎練習を讃える。
プロフェッショナルな上手さとは違うのだが、音楽を作る意志に溢れている。アマチュアが音楽するひとつの理想型では?!
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明るいノンビブラートの声で、丁寧に聴き合っている上品な演奏。少人数で、各自が和音の中での自分の役割を味わいながら演奏しているように感じた。
この人数で歌うのは怖いけれど楽しいだろうなあ…。
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「高齢化で…」と謙遜ぎみに挨拶されていたけれど、とても素敵な演奏でした。
女声はまろやかにつややかに伸びやかな声、男声はしっかりした支えで力強くも優しい声。
声がとてもしっくりと溶け合っていて、長年のご活動で皆さん仲良しなのだろうなぁと思います。
楽譜の音をただ出すだけでなく、曲を「歌って」いる、心がある。これもアマチュアのひとつの幸福なかたちだと思いました。
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1曲目「優しき歌」は混声版しか知らなかったので男声版に衝撃を受けた。やはりメランコリックで、混声版だとここが痺れるんだよ〜、という部分は期待を裏切らず心拍数を上げてくれる、たっぷりした演奏。ステキ過ぎる。
2曲目、斎太郎節系のワクワクする曲。エンヤトットじゃないけどベースの通奏低音ビートの上を高声が華やかに駆け回るケレン味!ロビーストームで聴いたら恋に落ちそう。
最高でした!
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事件から2年たった今、ようやく自分の中によどんでいる想いを言語化する決心が出来た。
2019年7月、京都アニメーションの放火事件が起こった。当時、私は某動画サイトの広告でその一報を目にした。
そのとき目にしたニューうサイトの写真は建物が煙に包まれているところで、仔細についてはまだ明かされていなかった。
きっと小火だろうなと思った。絵に携わる会社で紙の焼失は痛手だろうが、今はデータ化もされているだろうしと、ただ名前を知っている会社の不幸を気の毒に見守っていた。
小火程度かと思った火事の程度は建物を崩すほどの甚大な被害で、搬送されたスタッフの数は会社に在籍している社員のほぼ半数近くだった。
情報はアニメ関連サイトから規模の大きなニュースサイトにまで拡がっていた。無事であってくれと祈らずにはいられなかった。
日を追うごとにして、被害に遭ったスタッフの情報も明かされていった。中には、大好きな作品に深く関わったスタッフの名前があった。
深く気持ちが沈んだ。その作品に触れたのは5年以上前のことでも、それでも好きだったその作品を世に送り出してくれたスタッフの命が志半ばにして絶たれてしまった事がとても悔しく、悲しかった。
知ることは痛みを伴ったが、情報が出てくれば気にかかった。事件の現場で逃げおおせたスタッフが語る当時の状況、怪我を負ってなお現場復帰を願うスタッフの胸の内、そして亡くなったスタッフが生前に取り組んできた作品への想い。
読むほど、実際にはあったこともない彼ら彼女らへの言いようのない感情が起こった。そしてしばらく引きずって、そのニュースを見かけるたびに情緒が荒れた。
おそらくは私を含め多くのファンは、もう京都アニメーションの作品を観ることは叶わないだろうと確信していたと思う。
建物の被害はもちろん、失った人材はあまりに多い。当時のニュースを思い起こすと、あの事件当日は取材のために主戦力級のスタッフが集まっていて、亡くなったと報じられたスタッフの中にはその主戦力級のスタッフの名前が多く載っていた。
京都アニメーションの緻密な作画を支えるのは人材だ。暗黙のうちに、もうあの大好きだった作品たちには触れることができない覚悟をみんな決めていた空気があった。
歩みを止めない、という言葉があった時、彼らの作品を望む自分ができることは何かを考えた。
お金だなと思った。人材として貢献できる実績や才能がなかった私にはそれが一番合理的にできる支援だろうと思い至ったので迷わなかった。
彼らが作ってくれた作品を蒐集した。イベントにも行った。再演の映画にも通い詰めた。同じような想いを抱いているだろう人たちの生の反応や声に共感すると、一人で憂いているよりかは幾分か心が慰められた。
事件から2年が経ち、精神面では当時に比べれば大分落ち着いた。
それでもふとした時、部屋の中で彼らの作品を目にすると、どうしても思うことがある。
努力して、夢を叶えて、そして多くの人に希望、展望、癒し、楽しみを与えてくれた彼らが、その未来を不条理な理由で絶たれてしまった事。
何にも為せずに生きて来た自分が、無為に人生の時間を空費している事。
児戯に等しいとはいえ、私も絵を描く。多少なりとも絵を描く人間ならば、彼らのもつ技量がいかに素晴らしく、そして得難く、価値の高いものかがわかるはずだ。
才能が人の命を測るものではないと十二分には承知しているが、それでもただ生きている自分が申し訳なくなる瞬間があの日から続いている。
憐れむことも、引きずることも、彼らに失礼にあたるかもしれない。ましてかかわったこともない他人が、さぞ悔しかろう悲しかろうと訳知り顔で悼むのは所詮自己満足で、傍から見たらその過剰な反応に気味が悪くも映るだろう。
それでもどうしてもその思いが捨てられない。作画の参考にメイキング動画を見るとき、知らない技術の解説に触れるたび、これらを会得し作品を織り上げあそこまで美しい世界を作ってくれた彼らが永遠に喪われてしまった事に馳せてしまう瞬間がある。
今まで、人生を費やして打ち込んだものがない私は、それを見つけ目指し努力して獲得した人間が、悪意の第三者に不意に理不尽にそれからの未来を奪われた現実が、ショックだった。
自業自得ではない不幸がある、と知ってから何事にも不安が伴うようになり、そして価値の低い自分は、その時にはその理不尽を受け止めようという変な覚悟が決まっていった。
心を整理するために書いたはずが、未だ、向き合えていないのだと思い知る結果になった。
目指すもの、人生を費やし、心を注げるものへの出会いはいまだ果たせていないが、彼らの遺してくれた作品の未来に繋げるよう、まずは収入を得て買い支えることを心の支えにもして生きていこうと思う。
一次創作も二次創作も書く。普段これといって対人トラブルには見舞われないけど、稀に嫌なこともある。
数年前に、珍しく旬ジャンルの二次創作をしたら、私にしては珍しく多くの人に作品を読まれた。そしたら、やっぱりジャンルに人が多いだけに、厄介な人も多くいて、うっかりそのうちの一人と関わってしまい、嫌な目に遭った。顛末以下の通り。大したことってほどでもない。
自称「絵がクソクソのクソに下手な底辺新米絵師」という人が、私の小説を気に入ったといって、Twitterにて一方的に感想絵を送り付けてくるようになった。私はお礼を言い、絵のどこが特に好きでどういうところが素敵だと感想を書き、絵をふぁぼし、RTしていいか許可を得てからRTした。けれども、私はその人の絵を自分の作品の表紙にも挿し絵にもしなかった。その理由を相手方が邪推して怒り出した。最終的には向こうは「底辺絵師だからって馬鹿にして!」といって私のツイ垢と支部垢をブロックした。
ま、書き出してみると本当に大したことのない話なんだが、当時の私にはけっこうストレスがかかったのだ。
私は元から小説にはキャラの表紙絵や挿し絵は要らないと思ってるので、別に絵師さんの技量がどうとか関係なく、一方的に送りつけられても表紙や挿し絵に使う気はない。もし相手が表紙や挿し絵を書きたいと言ってきても断る。
一方で、私の小説を読んだ人がそれをもとに絵を描くということは、自作と称して漫画化するみたいなほぼパクり案件でなければ自由だと思う。
そういう、難しくもないことであるのだけど、理解されないこともたまにあるのだ。
前述の私に絵を送り付けてきた人の場合は、コンプレックスを拗らせたあまりにああいうことをしてきたのだろうけど、コンプレックスを理由に他人に当たっちゃダメですな。私は作風や普段のツイートからして、言いがかり着けても泣き寝入りしそうなタイプだとナメられたんじゃないかなとも思う。
こういう揉め事があったので、今でもたまに私は「表紙や挿し絵要らないので、送ってこられても採用しない」とツイートするんだけど、送られてもいないうちからそんなツイートするのも傲慢ちっくで嫌だなぁ。しかも、別に何も悪いことをしてない、他者の小説の表紙・挿し絵描くのが好きな絵師さんが、私のツイート見てショックを受けてしまうことがあって、ごめんって思う。あくまで私個人の主義だということで。
某掲示板某ゲームスレに去年以来現れた荒らし……のIPを目にする機会があり、その荒らしがIP粘着を延々と繰り返すことで知られていた(事あるごとにIP開示を求めてくる、IPスレを立てようとする)ためこちらも興味本位で調べてみた所、その荒らしは複数スレに跨るほぼ十年選手の掲示板荒らしだという事が判明した。
調べた限りその人物の言動に共通するのは「どんな時にもウエメセで命令、指示」「とりあえず罵詈雑言」「スレで袋叩きになっても勝利宣言」「都合の悪いレスは無視するか話題をそらし相手の無視は許さない」「気に入らない奴は晒す」「意見の合わない奴は全否定、障碍者認定」「自分は美形超エリートであり自分以外は全員不細工非リア」あたりで、十年近くほぼ毎日昼夜を問わずそれを繰り返している。
最初自分は自分の常駐しているスレにいるその人しか知らなかったので「まあ正しい理屈を唱える事もあるし設定面を多少盛ってたり多少狭量なくらいだろうな」「ネットのノリが行きすぎちゃってる人なのかな」と思っていたのだが、俯瞰してみると流石に設定に無理があり、恐らく人生の時間の大半を掲示板に費やし”荒らすために荒らしている”っぽい。
言葉選びは相手を不快にさせるために行っているようで(というか会話の一切が相手に勝利するためのツールでしかなく)、目を付けた相手は他のスレまで追って行ってス嫌がらせをするという徹底ぶりである。
もちろんどこのスレでも嫌われてネームド荒らし扱いになってるし、どのゲームも技量は低いらしいのだが、逆に「何故そんな事をするのか」という疑問がわいてきた。
スレ内で質問をする人が出た時「そんなことも知らないでスレに来るんじゃねえよボケが」と言って相手を不快にさせ顰蹙を買いやがては無視されるのがそんなに楽しいのだろうか?
自分にはそんな事はできないし、「○○を××するといいですよ」と普通に教えて普通にお礼を言われる方がずっと気持ちがいい。
ゲームのスレというのはそこまで荒れていない方が普通で、つまり掲示板に集ういわゆる「底辺のカス共」でさえ大体はまともにやり取りするという事ができるわけなのだから、
その「最低限のやり取り」ができないというのはそれを学ばせてもらえなかったのか、それともどうしてもそれができなかったのだろうか?
本人に問えば「お前たち慣れ合うクズどもを踏み潰すのが暇つぶしなだけだからwwww」と言った返答が帰ってくるのだろうが、正直興味深い話である。
結局のところ二次創作はジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。
たとえばONE PIECE(冒険バトルもの)とかるろうに剣心(時代劇、剣戟アクション)とかの二次創作でも原作の主題抜きに、読み手は恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから。
二次創作では、原作の行間を埋めるお話が求められる。原作のアナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラの日常や人間関係の描写を犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。
それに、物語を展開させると、どうしてもストーリーの面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説は漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。
また、キャラぶれが生じ易いのも問題。登場人物の人間性は、たった一言、たったひとつの動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う。
文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説の醍醐味のひとつであると思えば、二次創作小説で長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。
という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作に転向して、なろうやカクヨムで書こうか。
だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリーの面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。
商業BL小説の大人気タイトル。BLは少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生はAbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番のネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタなネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物の心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこの主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである。
『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画。漫画家 榎本ナリコがプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画をオリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。
そもそも原作『幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係の描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップが存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである。
本書はそんな幽白の二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。
特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写を差し込んでくるので、驚嘆させられる。
メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。
収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画である。オリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だか分からない話になっている。ベタな恋愛コメディ同人に食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語。
KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL。
主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。
設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りをかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロの小説家だけ、という見本。
言及先エントリへの反応をみて、そもそもなぜ地方議員の後援会なる組織が成り立つのかというところの認識が薄い人が多いようなので、床屋談義レベルだが一市民としてちょっと書いてみる。
増田には初投稿だし普段は長文を書かないので見苦しいところもあるかもしれないが勘弁してほしい。
ネットではたまに「生活保護を断られても、共産党系の地方議員と一緒に窓口に行けば申請が通る」という言説を見かける。
生活に困窮したときには共産党が頼りになるから支持しようという内容だ。
個々人にとってはわかりやすい利益であるため、こういった投稿を行っている人の何割かは実際に共産党員であったり、その議員の後援会に入っているだろう。
地方議会で自民党系がなぜ強いのかというと、似たようなことをより大規模に昔から行っているからだ。
ここに総務省が出している「地方公共団体の議会の議員及び長の所属党派別人員調等」という資料がある
https://www.soumu.go.jp/main_content/000741469.pdf
都道府県議会議員に占める自民党の圧倒的な割合が見て取れる。全議員のおよそ半分は自民党所属である。圧倒的だね。
ただ、市町村議会議員の構成に目を向けると、自民党より共産党、それよりも公明党所属議員のほうが多いことに気がつくと思う。無所属議員は全体の7割を占める。
もちろんこれにも理由があって、市区町村レベルだと権限的に争点にそれほど差が出ないから無所属で推薦をつけてもらって出馬したほうが国政の影響を受けにくいからである。
ほとんどの市町村は都道府県内で近隣の市区町村と人口を奪い合っているし、都道府県は国内で近隣の都道府県と人口を奪い合っている。
人口が増えれば需要が増え、需要が増えれば仕事が生まれる。仕事が生まれれば人口が増える。
こうした循環が生まれれば地方自治体はより長く存続できるし、その状態になるように(ほとんどの)地方議員は法律の範囲内で頑張っている。
そしてもちろん各政党の地方組織は、その選挙区出身の国会議員がより多くの仕事を地元に生み出すことを期待している。
ここまで書けば察しのいい人にはわかると思うが、自民党の地方組織は他の政党よりより多くの仕事を斡旋していて、市民生活の安定に寄与しているから強いのだ。
仕事を斡旋というのは、公共事業で仕事を創出したり、企業誘致したり、生まれた仕事に対して人員を紹介する縁故採用、今風に言うと中途採用のリファレンスチェックの役割を(広島みたいな例はあるにせよ)合法的に果たしていたから強いと言い換えられる。
もちろん「日本の人口減ってるやんけ!地方とか壊滅じゃん!」というはてなーもいるだろうけれど、そもそも戦後から70年で人口は5000万人くらい増えているし、その間この利益誘導に世話になった人はまだまだ現役である。はてなー自身はこの仕組の世話になっていなくても、親族か友人か、縁者のだれかは利益を得ているだろう。
なぜ後援会に入るのかの段落で会員の個人的な恩について触れたけど、これは地方議員の所属が自民党でも共産党でも同じ問題で、支持先を変えてもらうには
自身(もしくは縁者)を助けてくれた恩人に対して、その恩人の仕事と直接関係のない問題で恩人の生活を奪う
という選択をお願いすることになる。地方議会議員の選出は直接選挙なので、よりダイレクトに個人の意志が反映されるのは言うまでもない。N世議員が強いのもこのためである。
無理なんじゃないかな。
核融合発電みたいな実質無限のエネルギーを人類が手に入れれば長期的にはなしうるかもしれないけれど。
自分の家のとなりに合理的な立地だからといってゴミ処理場や保育所や米軍基地や発電所ができることを歓迎する人がいないように、日本より感染者数が多くて大変そうだからとインドに日本の確保したワクチンを優先的に融通すべきという人も見かけない。人間は自分が得るはずだった(と感じた)利益に敏感だし、損を極端に嫌う。
現与党は当時世界中で奪い合った高確率で利益の出るオリンピックという利権を国内に誘導できたが、コロナ禍でそれが一気に負債の印象に転じてしまった。ワクチン確保についても国民の期待に沿えるスピードで摂取が進んでいない。国民から国際的な利益誘導に失敗したと判断されているのだ。
現政権が利益誘導に失敗したから誕生する新政権が、利益誘導を期待されていないわけがない。
運輸と農家と地方自治体への利益誘導で郵政民営化で地方組織の弱った自民党からの乗り換えを促し、サブプライムローン問題という日本単独では不可避の事由で攻め立てている。この手法はさすがドブ板選挙を得意とする地方の地盤に精通した小沢一郎で、もし小沢氏の考え通りに与野党大連立が発足していたらマニフェスト云々も有耶無耶になっているだろうしねじれ国会もないしで、その後破綻するにしてもそれぞれに政権担当能力がある二大政党制が誕生していたかもしれない。
いま同じ手法が取れるかというと、民主党の支持率が低すぎて自民党内部に離反を促せないし、野党連立でも支持率足りないし、そもそも現状で国民に対して明確な利益を提示できていない。たとえば二回目の一律十万円が本当に効くのなら与党がやるに決まっている。その層を狙っても選挙に勝てないと分析されているのだ。地方への利益誘導である GOTO も反対しまくったし、処理水問題を突けば辺野古の二の舞。民主党内の予想よりワクチンの配布が早かっただろうし、全国均等配布だから配分を問題にするのも難しい。今後は現金をぶら下げれば動くとみなしている浮動票を狙って戦っていくのだろうか?無理じゃない?都道府県に利益誘導して地方組織ごと寝返ってもらわないと。
というわけでコロナ禍にあって内閣が変わる現実的な路線は、次回総裁選での菅氏の辞退だろう。
そもそも市区町村議員は市区町村の利益になることをすれば良くて、もっぱら扱うのは条例であって憲法や法律ではない。
決まった支持団体のない有権者はおそらくその区別がついていて、地方選挙で憲法がとか国政がとか、明らかに権限外のことを訴えている組織票を持っていない候補者はたいてい落選する。
しかし増田やらはてぶユーザーやらTwitterには地方行政と国政の区別がついていない、もしくは中央集権を支持していて地方自治がすごく嫌いなんだな、という投稿がたくさん見受けられる。
物事には理由があって結果があるのだが、大きくて抽象的で万能な仮想敵を想定していても駄目で、ちゃんと地に足ついた理由を見つけだして適切な行動を取らないと、あなたの行動に結果がついてこないよ。
反応が思っていたよりもあってびっくりした。自分の書くものもこれぐらい反応があれば……。
自分がいるジャンルは数年にわたって人気のある、キャラクタが多くて、かつアニメ映画舞台ミュージカルにもなっている某擬人化ゲーム。
二次創作だけど、ガイドは少しゆるいかも。イベントに参加している層も割と幅がある。
書いているカップリングはマイナーではないけどメジャーでもない。
いつもある程度書いている人はいるけど、昨日のオフイベントは自カプは片手ぐらいしか参加していなかった。
正直なところ利益はそれ程重視はしていない。
イベントに出るからには何らかの本を出したい。しかし自分の技量ではたくさんページ数は書けない。
そして毎回薄い本が出来上がる。その上で手に取りやすい単価はいくらなのかを模索している。
最初同人漫画を買っていて、そこから自分で小話を書くようになったので、400円ぐらいでの頒布は少し高いけど妥当かと思っていた。
絵師にイラストをお願いしているのは、自力のみで集客をするのは難しいので、本を目立たせるため。
同人書店に委託しようにも20部しか刷ってないし、その20部すらコロナ禍の去年は半分にしたのに、一回のイベントで売り切る事ができない底辺の苦しみ。
ジャンルに人がいるのに全然売れないのは自分の実力不足に他ならないので、そこは何ともいえない……。全年齢の本を頒布しており、ここにエロが加われば集客できるのはなんとなくわかっているけど、技術がない。
支払いしやすいようイベント単価500円っていうのは頭になかった。もう少し頑張って書いてページ数増やして、次は500円で頒布してみようかなぁ。
あと、今回試験的に少し値引き(値下げ)したら、同人誌は普通値段は下げないって突っ込まれて、自分で単価決める物なのにどうして値下げが駄目なのか最初理由が分からなかった。
周囲とのバランスが大事で、自分のサークルの本が安すぎるとそれと比較して他が高く見えてしまうから駄目なんだと教えてもらった。値付けに関しては過去にもめ事があったのも聞いて、震えあがった。
めぐりめぐってやっぱり単価を考えるのは難しい。