はてなキーワード: 大新聞とは
読書という荒野 (NewsPicks Book) 単行本 – 2018/6/6 見城 徹(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9D1QVM/
今をときめく幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏による自社の社長アゲの一冊である。
元々、箕輪氏は双葉社で勤務していたが、その頃に見城氏にアプローチをかけ、『たった一人の熱狂』という書籍を編集した。
その際に見城氏に見初められて幻冬舎に転職し、その後、数々のヒット作をつくる。
つまり、元々この見城徹という男は箕輪氏にとって恩人のような存在であり、本書はいわばその「黄金タッグ」とでも言うべき二人による共同制作本なのだが、悲しいかな、文章は読みにくく、何とも昭和臭の漂う精神論やモーレツ主義が垣間見られる何とも言えない言葉が羅列され、かつ見城氏の既刊とも内容の被りが多く新味に乏しい。
つまり、純粋な編集能力や書籍の質という観点から言えば、高く評価することが難しい一冊であり、手に取った多くの方が後悔することになるであろうと予想される。
それでは、なぜこれだけ話題になり、勢いよくベストセラーへの道を突き進もうとしているのか。
そして、どうして箕輪氏の手がけた本は次々と売れていくのか。
そこには、彼がホリエモンから学んだ一種の戦略(スキーム)が存在する。
箕輪氏は「箕輪編集室」(通称”みのへん”)という名前で、自身のコミュニティを持っている。
そのコミュニティでは、箕輪氏を慕う約1000名の会員が月額でそれなりの会費を集い、イベント等に参加し、そして箕輪氏が手掛けた書籍をいちはやく贈られている。
メンバーたちは、書籍が発売される前に予め本をもらい、読み込み(あるいは読まないでいる方もいるかもしれない)、そしてAmazonに一気に星5個のレビューを書きまくる。TwitterなどのSNSでも盛大に感想を発信し、あたかも「大波が来ている」かのような演出に貢献する。
他のレビューで、この本を「News Picksメンバーにだけ向けた内輪本」と表現されていた方がいるが、非常に的確な指摘である。そもそもとして、この書籍は第一義的には自前のコミュニティメンバーに読ませることを意識してつくられているのだから。
さらに、箕輪氏の周辺にいるファンなども早い段階でAmazonの予約を入れ、人気ランキングを一気に押し上げる。
かくして、箕輪氏の担当した本は世に出た瞬間に、恰も「超話題作」であるかのような堂々たる風評を追い風に、勢い良く売れていく。
書店も利益を最大化したいもの。初速が良く「売れている」本は目立つように置き、堂々と展開する。
そして幻冬舎お得意、特大新聞広告などの宣伝と一気呵成の大増刷である。数万部を世に送り出して、「大ヒット!!」という流れをつくっていってしまう。このあたりの既成事実の作り方というか、本の勢いの出し方と売り伸ばす力は幻冬舎という版元が誇る最強の武器であり、出版不況の中で確実に結果を出しているのだから凄いとは思う。
かくして、クオリティとは無関係に、書籍のイメージと評判は肥大化し続ける。
そして、「どうやらこの本、人気らしいぞ」という噂に釣られた方々までもが買い求め、そして多くは失望していくわけである。
こうした「売り方」最優先のテクニックに走った商売をいつまで続けていくのだろうか。
根本的な編集能力を磨かず、ひたすらに勢いと話題性だけに頼った本づくりは、どこまで寿命が保つのだろうか。
これから箕輪氏のつくった本を手に取りたいという方は、冷静に立ち読みなどを通して内容と、そのクオリティを冷静に見極めた上で購入されることを勧めたい。さもなくば、期待した分だけ失望も大きいかもしれないから。
読書という荒野 (NewsPicks Book) 単行本 – 2018/6/6 見城 徹(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9D1QVM/
今をときめく幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏による自社の社長アゲの一冊である。
元々、箕輪氏は双葉社で勤務していたが、その頃に見城氏にアプローチをかけ、『たった一人の熱狂』という書籍を編集した。
その際に見城氏に見初められて幻冬舎に転職し、その後、数々のヒット作をつくる。
つまり、元々この見城徹という男は箕輪氏にとって恩人のような存在であり、本書はいわばその「黄金タッグ」とでも言うべき二人による共同制作本なのだが、悲しいかな、文章は読みにくく、何とも昭和臭の漂う精神論やモーレツ主義が垣間見られる何とも言えない言葉が羅列され、かつ見城氏の既刊とも内容の被りが多く新味に乏しい。
つまり、純粋な編集能力や書籍の質という観点から言えば、高く評価することが難しい一冊であり、手に取った多くの方が後悔することになるであろうと予想される。
それでは、なぜこれだけ話題になり、勢いよくベストセラーへの道を突き進もうとしているのか。
そして、どうして箕輪氏の手がけた本は次々と売れていくのか。
そこには、彼がホリエモンから学んだ一種の戦略(スキーム)が存在する。
箕輪氏は「箕輪編集室」(通称”みのへん”)という名前で、自身のコミュニティを持っている。
そのコミュニティでは、箕輪氏を慕う約1000名の会員が月額でそれなりの会費を集い、イベント等に参加し、そして箕輪氏が手掛けた書籍をいちはやく贈られている。
メンバーたちは、書籍が発売される前に予め本をもらい、読み込み(あるいは読まないでいる方もいるかもしれない)、そしてAmazonに一気に星5個のレビューを書きまくる。TwitterなどのSNSでも盛大に感想を発信し、あたかも「大波が来ている」かのような演出に貢献する。
他のレビューで、この本を「News Picksメンバーにだけ向けた内輪本」と表現されていた方がいるが、非常に的確な指摘である。そもそもとして、この書籍は第一義的には自前のコミュニティメンバーに読ませることを意識してつくられているのだから。
さらに、箕輪氏の周辺にいるファンなども早い段階でAmazonの予約を入れ、人気ランキングを一気に押し上げる。
かくして、箕輪氏の担当した本は世に出た瞬間に、恰も「超話題作」であるかのような堂々たる風評を追い風に、勢い良く売れていく。
書店も利益を最大化したいもの。初速が良く「売れている」本は目立つように置き、堂々と展開する。
そして幻冬舎お得意、特大新聞広告などの宣伝と一気呵成の大増刷である。数万部を世に送り出して、「大ヒット!!」という流れをつくっていってしまう。このあたりの既成事実の作り方というか、本の勢いの出し方と売り伸ばす力は幻冬舎という版元が誇る最強の武器であり、出版不況の中で確実に結果を出しているのだから凄いとは思う。
かくして、クオリティとは無関係に、書籍のイメージと評判は肥大化し続ける。
そして、「どうやらこの本、人気らしいぞ」という噂に釣られた方々までもが買い求め、そして多くは失望していくわけである。
こうした「売り方」最優先のテクニックに走った商売をいつまで続けていくのだろうか。
根本的な編集能力を磨かず、ひたすらに勢いと話題性だけに頼った本づくりは、どこまで寿命が保つのだろうか。
これから箕輪氏のつくった本を手に取りたいという方は、冷静に立ち読みなどを通して内容と、そのクオリティを冷静に見極めた上で購入されることを勧めたい。さもなくば、期待した分だけ失望も大きいかもしれないから。
1923 関東大震災
1925 治安維持法制定
1941 太平洋戦争
2011 東日本大震災
2013 秘密保護法制定
2020 東京オリンピック
ほぼ国家公務員しか対象にならない秘密保護法を、世紀の悪法「治安維持法」に見立てるのは無理がある。
この先の出来事も、このままいくと繰り返される可能性が高いかもしれない。
俺は、ここに素直に「自衛隊」を代入していていて、だからこそ、歴史は繰り返さないと思っていた。
戦前の軍部があれだけ暴走できたのは、大新聞と、その後ろにいる国民からの熱烈な応援があったからだ。
今の自衛隊は、国民からの支持率は高いが、メディアからは厳しい視線に晒され続けてる。
文民統制の規定もあり、自衛隊の暴走は不可能に近いし、その動機もない。
三島由紀夫が切腹した頃から、自衛隊はすでにサラリーマンだし、国家に対して反乱を企てるような集団じゃない。
じゃあ誰が「軍部」になるのか?
3.政府の予算の中で「聖域化」され、誰もその関連予算を削れない
この3つの要素を、今持ってるのは誰か?
俺は、現代においては「高齢者」が、戦前の軍部の役割を担うんじゃないかと思った。
そう考えていくと、辻褄が合い始める。
まず、マスメディアにボロクソに叩かれてるアベノミクスだが、あの政策には元ネタがある。
高橋是清が、4度目の大蔵大臣に就任した際に行った金融政策だ。
高橋是清は、井上蔵相が起こしたデフレによる不況を止め、緩やかなインフレを起こすために、積極的な財政出動と「金輸出禁止」による円安政策を行なった。
1931年の話だ。
この政策で国の景気ははっきりと回復へ向かったが、高橋是清は関東大震災以降の支出超過でこれ以上の財政出動が危険だと理解していて、財政健全化へと舵を切った。
要は、震災対応と財政出動で金を使いすぎたから、軍事費含めた国の予算を軒並み削減して、なんとか国の赤字を減らそうとしていた。
これに反抗したのが、当時の軍部だ。
軍部のうち皇道派と呼ばれる人間たちは、富裕層だけに味方している(ように見えた)高橋是清のことを、「君側の奸」と吐き捨てた。
こんな政治家のことは天皇陛下もお嫌いのはずと「忖度」して、クーデターを起こし、殺害した。
世に言う、二・二六事件だ。
高橋是清が殺害されたことで、財政健全化政策も、金融政策も完全に止まった。
あと一歩で回復するかもしれなかった日本の景気は腰折れし、高橋是清が削ろうとして叶わなかった軍事費は、どんどん膨張した。
結果として、財政がどうにもならなくなった日本は、景気回復を「軍部による戦争」にしか求められなくなり、支那事変を引き起こす。
話を現代に戻そう。
「宮内庁、毎日『陛下 公務否定に衝撃』報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言『事実ない』」
ただ、ここで重要なのは「マスメディアが、天皇陛下を利用して、政府批判をはじめた」ということだ。
「陛下の心を傷つける専門家会議とそれを主導する安倍晋三は、君側の奸だ」ってわけだ。
こんな、戦前軍部の「皇道派」みたいなことを言う人間が、この現代日本に現れた。
俺は、このニュースを見て、本当にまずいんじゃないかと思った。
安保法制の騒ぎの中で分かったことは、「安倍政治を許さない」とデモをしている人たちには、高齢者が多いということだ。
Twitterなんかで確認する限り、毎日新聞の例の記事も、高齢者らしき人々の中では評判が良く、拡散されているようだ。
安倍政権の支持率は、これまた高齢者に支えられるテレビメディアからの「森友学園」「加計学園」の連続スキャンダル攻勢で、確実に落ちてきている。
俺には、現代の安倍晋三が、戦前の高橋是清と同じ役割を担っているように見えた。
安倍晋三が高橋是清ほど良い政治家かと言われたら正直疑問だが、少なくとも、同じ役どころが回ってきてるようには見える。
これから、マスメディアとそれを後押しする高齢者の力で安倍政権が倒れた場合、日本は、戦前の二・二六事件後と似たような空気になるんじゃないかと思う。
選挙で圧倒的な力を発揮する高齢者に関わる社会保障費を、政治家は、誰も削れなくなる。
膨張した社会保障費が五輪準備費を圧迫し「オリンピックなんて中止すればいい」という声も出始める。
国内だけでは財政の課題を解決できないと判断した国は、「海外」に目を向け始める。
みんな、安倍晋三が「ヒトラー(独裁者)」で、自衛隊が「軍部」の役割を担うと思って警戒してるけど、その形なら、ちゃんと止められるんだよ。
そのパターンは、一回やってるから。だから、どんな馬鹿にもその危険がなんとなく想像できて、歯止めをかけられる。
じゃあ、なんで歴史が繰り返されるのか?
要は、「役者が変わってるから、同じ演目をやってるって気づかない」んだ。
みんな、軍(自衛隊)と独裁者(首相)に注目しておけばいいと思ってる。
でも、そうじゃないんだよ。軍はもう、警戒されてるし、批判もできる。
俺たちが見なきゃいけないのは、今この日本で「政治家が批判できない、聖域化しつつある人たちは誰なのか」ってことなんだ。
俺は、東京オリンピックが2020年に開催できる可能性は、50%くらいだと思ってる。
この1年の政治の動きによっては、「何らかの理由」で、オリンピックが中止される未来が、本気であると思ってる。
たぶん、真正面から高齢者を悪者にしてるこの説は、マスメディアには絶対に載らない。
今、この国が瀬戸際に立ってるってことを、なるべく多くの人に知ってほしい。
アメリカ大統領選挙が終わりましたね
(人によっては)窮地の状態になったせいか、オバマ氏やめないで!とか現地の方のツイートがTLに流れてきたけど、弱腰で何も出来ない駄目大統領みたいな風に昔言われてませんでしたっけ?
政治思想や実際にこれまでされてきたことなど、候補者両名について詳しい事は知らないのでどっちがよかったとかはないのですが、今回の選挙について気になったことがあるのでひとつ
アメリカの新聞は大半がヒラリー氏応援だったのに、選挙で勝ったのはトランプ氏だった!というまとめ記事に、もうマスコミになんか騙されねーんだよwwwみたいな…しかも論調的に大方そんな意見が主流の記事を見ました
うん、そう思う
日本なら
日本の報道の仕方には、かなり疑問がある。ひどいよね、とかずるいなーと思う事も多々ある
あれだけ国土が広いので新聞社も数多あります。日本の比じゃない。お住まいの地元でしか発行されてないなんとか新聞も、当然アメリカにもあります
アメリカにおける州=都道府県、国=国とお考えの方もいるかもしれませんけど、むしろ州が国、国が全世界みたいなイメージなんじゃないかな
だから州の中で発行されるものにも、由緒ある新聞社もたくさんある
「ボストン・グローブ」とか聞いた事ありませんか。マサチューセッツというひとつの州のなかのボストンという街で発行されてる新聞
そこが「キリスト教の神父が子供たちに性的いたずらをしているけどもみ消してる」という記事を掲載し、世界中の教会でも同様のケースが発覚して大問題になりました
キリスト教なんてアメリカどころか世界規模の組織で、権力者を含む色んな人が信徒で、敵に回してすんなりいくわけない相手です
そこを相手にして、世界的なスクープをすっぱ抜いたのが、そのひとつの州の都市部で発行されている伝統ある新聞社だったわけです
日本の大新聞社でもできない取材力、記事を書く力というか文章の説得力、などなど日本のマスコミと一緒にしないでくれー!!
そもそも「真実をお伝えします。ここに書いてある事だけ信じてください」なんて報道の仕方もしない!!
はっきりいって全ての新聞社が公平でもない。公平な報道はするかもしれないけど、公平な論説ばかりではない
朱色だったり、ブラウンベージュよりだったりの色んな赤旗新聞がたくさんあると思ってください
マスコミと購読者、何が違うかっていえば「取材をする手段があるかどうか」じゃないですかね
それらを元に我が社はこういう理由でヒラリー氏を応援しますって方針を決め発表してるんです
ヒラリー氏を応援してくださいそれが正しいんです、とは微妙に違うんですよ
それが気に食わなければ購読をやめて別の新聞を読めばいいだけ。たくさんありますらかね、選び放題です
当然どこの世界のマスコミにだって煽動記事を書く記者はいるでしょう。でも自分の本名を記載して、社運をかけた意思表明記事なわけなんですよ
新聞社が騙す、騙されるのレベルの話じゃない。購読者が新聞社を選ぶ、という話なんです
日本のことしか知らなければマスコミ=巨悪と思いたくなる方がいるのも仕方ないのかなと思うんですけど、世界には自分の信じた正義の為に真面目に報道に取り組んでる人もいることを思い出して欲しいです
自分の国がこれだけひどいと世界的にもひどいのばかりだろ!と思いたくなるのはすごくわかりますが!
こちらは新聞社が誰を支持するか発表するってことがアメリカでは割と重要な判断ポイントになることがよくわかるブログ記事でした
http://www.kitamaruyuji.com/dailybullshit/2016/10/post_484.html
取材し、経歴を調べ、見聞きして、頭のいい方々寄って集まって考えて、トランプ氏を応援しない(けどヒラリー氏を応援するとも言ってない、っていう記事すらある)と大多数の新聞社が発表したのにトランプ氏は当選してしまったという話です
2014年の暮れにおこなわれた沖縄知事選で基地反対派の翁長氏が勝利したのを境に、沖縄という地域は決定的に変わってしまったように思われます。
基地反対派は「オール沖縄」という標語を掲げていますが、実際は全然そんなこと無いわけです。
反対派の翁長雄志 51.7%
賛成派の仲井眞弘多 37.3%
このように確かに差はついていますが、とてもじゃないけど「オール沖縄」とは呼べない得票率です。
選挙で勝ったからといってこの4割近い民意を完全に無視してオール沖縄と連呼する反対派の態度は、まさに最近リベラル系メディアが政府・自民党に対して頻繁に使う「民主主義の暴走」とは言えないでしょうか。国政では「少数派にもっと配慮しろ!」と与党を批判し、同じ口で沖縄基地問題では反対派を完全に無視して「オール沖縄!」と叫ぶ。このダブルスタンダードはいったい何なんでしょう。
以前のタイムス・新報(沖縄二大新聞)はもう少し基地賛成派にも配慮してました。基地が無くなる事で生計が成り立たなくなる人もいるし、また必ずしも基地は悪い面だけでなく国家の安全保障面で重要な存在であるという論陣を(たまーーに)社説等で張る事でそれなりにバランスを取ろうとする姿勢が垣間見えていました。それが去年の12月の知事選を境にガラッと変わってしまった。紙面には感情的な檄文が跋扈し、それを読んだ県民も高揚し、一種のお祭りムードが沖縄に漂っています。
まあそんなことは正直どうでもいいって言っちゃえるぐらい、こちらの言論弾圧問題の闇が深いように思われます。
「オール沖縄」という言葉に惑わされて沖縄県民が一丸となって基地に反対しているという印象をお持ちの方もいるでしょうが、それは大間違いです。知事選では35%近くは基地賛成派の候補に投票しており、また中国に近い離島では議会・島民共に圧倒的に賛成派が多数を占めています。2014知事選以前は、賛成派と反対派は反対派が優位ながらもそれなりに拮抗した存在であり、お互いにお互いの立場をある程度尊重し合う間柄でした。
知事選後に何が起きたのかというと、大まかに分類すれば以下の2つです。
1.ネットで基地に許容的な態度を示した人への反対派からの徹底的な攻撃
草の根レベルではありますが、選挙で勝利した側が負けた側の言論を封じようとする動きが加熱しました。
twitterで米軍基地に好意的なことを書こうものならイナゴのごとく罵倒tweetが大量に飛んできます。
飲食店の店主が基地賛成派だからといって食べログで批判的なレビューを書く人まで現れる醜悪極まりない事案も。
中国本土に近い側の島では安全保障上の観点から米軍基地への賛成ならびに自衛隊基地を誘致しようと議会レベルで推進しているのですが、それに対して沖縄メディアがよってたかって攻撃しています。「オール沖縄の理念を踏みにじるものだ」という文面を見た時はさすがにクラクラしました。
確かに民意は大切で、そして基地への県民投票となった2014知事選で反対派が勝利したのも事実です。しかし、だからといって基地賛成派の存在そのものを消し去ろうとする今の沖縄メディア・県民の言動は異常と言わざるをえません。もはやこの県に言論・思想の自由は存在しなくなってしまいました。日本で最も民主主義への理解が遅れた後進的な県に成り下がってしまいました。
そういう風潮を作っているのはタイムスと新報という二大新聞に依るところが大きいです。県外では朝日・毎日・ネットのハフィントンポストなどがその役割を担っています。繰り返しになりますが、このメディアは政権与党に対しては「少数意見を無視するな」「民主主義の暴走だ」と言い、翻って沖縄では先頭にたって民主主義の暴走と言論弾圧を押し進めています。クラクラする。
どこぞの作家が沖縄の新聞は潰した方がいいとか言ったらしいですが、まあどちらか一つは潰れてもう少し中道よりの新聞が根付かない限り、沖縄県民の知性レベルはいつまで経っても中世止まりなのかなと暗澹たる気持ちになります。
2014年の暮れにおこなわれた沖縄知事選で基地反対派の翁長氏が勝利したのを境に、沖縄という地域は決定的に変わってしまったように思われます。
基地反対派は「オール沖縄」という標語を掲げていますが、実際は全然そんなこと無いわけです。
反対派の翁長雄志 51.7%
賛成派の仲井眞弘多 37.3%
このように確かに差はついていますが、とてもじゃないけど「オール沖縄」とは呼べない得票率です。
選挙で勝ったからといってこの4割近い民意を完全に無視してオール沖縄と連呼する反対派の態度は、まさに最近リベラル系メディアが政府・自民党に対して頻繁に使う「民主主義の暴走」とは言えないでしょうか。国政では「少数派にもっと配慮しろ!」と与党を批判し、同じ口で沖縄基地問題では反対派を完全に無視して「オール沖縄!」と叫ぶ。このダブルスタンダードはいったい何なんでしょう。
以前のタイムス・新報(沖縄二大新聞)はもう少し基地賛成派にも配慮してました。基地が無くなる事で生計が成り立たなくなる人もいるし、また必ずしも基地は悪い面だけでなく国家の安全保障面で重要な存在であるという論陣を(たまーーに)社説等で張る事でそれなりにバランスを取ろうとする姿勢が垣間見えていました。それが去年の12月の知事選を境にガラッと変わってしまった。紙面には感情的な檄文が跋扈し、それを読んだ県民も高揚し、一種のお祭りムードが沖縄に漂っています。
まあそんなことは正直どうでもいいって言っちゃえるぐらい、こちらの言論弾圧問題の闇が深いように思われます。
「オール沖縄」という言葉に惑わされて沖縄県民が一丸となって基地に反対しているという印象をお持ちの方もいるでしょうが、それは大間違いです。知事選では35%近くは基地賛成派の候補に投票しており、また中国に近い離島では議会・島民共に圧倒的に賛成派が多数を占めています。2014知事選以前は、賛成派と反対派は反対派が優位ながらもそれなりに拮抗した存在であり、お互いにお互いの立場をある程度尊重し合う間柄でした。
知事選後に何が起きたのかというと、大まかに分類すれば以下の2つです。
1.ネットで基地に許容的な態度を示した人への反対派からの徹底的な攻撃
草の根レベルではありますが、選挙で勝利した側が負けた側の言論を封じようとする動きが加熱しました。
twitterで米軍基地に好意的なことを書こうものならイナゴのごとく罵倒tweetが大量に飛んできます。
飲食店の店主が基地賛成派だからといって食べログで批判的なレビューを書く人まで現れる醜悪極まりない事案も。
中国本土に近い側の島では安全保障上の観点から米軍基地への賛成ならびに自衛隊基地を誘致しようと議会レベルで推進しているのですが、それに対して沖縄メディアがよってたかって攻撃しています。「オール沖縄の理念を踏みにじるものだ」という文面を見た時はさすがにクラクラしました。
確かに民意は大切で、そして基地への県民投票となった2014知事選で反対派が勝利したのも事実です。しかし、だからといって基地賛成派の存在そのものを消し去ろうとする今の沖縄メディア・県民の言動は異常と言わざるをえません。もはやこの県に言論・思想の自由は存在しなくなってしまいました。日本で最も民主主義への理解が遅れた後進的な県に成り下がってしまいました。
そういう風潮を作っているのはタイムスと新報という二大新聞に依るところが大きいです。県外では朝日・毎日・ネットのハフィントンポストなどがその役割を担っています。繰り返しになりますが、このメディアは政権与党に対しては「少数意見を無視するな」「民主主義の暴走だ」と言い、翻って沖縄では先頭にたって民主主義の暴走と言論弾圧を押し進めています。クラクラする。
どこぞの作家が沖縄の新聞は潰した方がいいとか言ったらしいですが、まあどちらか一つは潰れてもう少し中道よりの新聞が根付かない限り、沖縄県民の知性レベルはいつまで経っても中世止まりなのかなと暗澹たる気持ちになります。
という感じです。
ちなみに別に百田擁護とかそういうわけではない。個人的には百田大嫌いだし。
さて、以下のブクマをみてほしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4896703.html
沖縄の現状が凄いことになっているのではないかというまとめサイトの記事だ。
ここまでならいつも通りだ。
しかし、問題はこれがまとめサイトで、しかも割合詳細に2大新聞の内容まで踏み込んでいることだ。
まとめサイトの拡散力はとんでも無いもので恐らく早晩他のまとめサイトでもこの手の内容の記事が増えてくるはずだ。
そこでもんっ代になってくることがある。
ブコメを見ていくとわかるが 反対派と賛成派に既に分かれ始めている。
これもいつもどおりかもしれない。
しかし、問題はどうもネトウヨ側がついに沖縄のこういった現状に目を通してしまったということだ。
これまでのまとめサイトでの内容などを見るとわかるが基本的には左翼の活動家と一部の沖縄県民という見方が一般的だった(ネトウヨ達の中でな)
ところがついにこれが沖縄の中でもかなり主流の政治思想の一つであるということが広まってしまった。
その時に何が起こるのかということが問題になる。
恐らくネトウヨは手のひらを返したように猛烈な勢いで沖縄を叩き始める。
簡単に想像できるところで言えば、沖縄を日本扱いせずに 琉球王国 呼びをはじめ、あいつらは日本人ではないと言い始める。
そしてその内に侮蔑擁護で沖縄を呼称し始めるだろう。大阪民国などと呼ばれたりするあれだ。
そういったところを手始めにとんでもない勢いで拡散が始まる。
「もしれこれを ネトウヨは幼稚だ、こんな認識だから沖縄の人が怒るんだよ。」
などと片付ける人がいるとすれば今後そんな軽薄で他人ごとのようなことは言えなくなるだろう。
ネトウヨと活動家の対立が激化し(ネット上のこととはいえ)第二次世界大戦の擬似的な戦場の様な雰囲気になる。
凄まじい勢いで沖縄独立論が台頭し始め、中国の干渉が膨大に増え始める。
中国語のサイトを見ているとわかるが中国人の大半は沖縄を日本とは見ていない。
もはやこの流れを止めることは許されないだろう。
作家がヤバい発言して問題になってる沖縄の新聞事情について昔の思い出を書く。
都会に住んでる人はいわゆる全国紙(読売/朝日/毎日/産経/日経)だろうし、地方紙が強い地域もある。
圧倒的に強いなんてレベルじゃないぐらい地元の新聞だらけなのだ。
一時期沖縄にIT企業が集まってた頃がある。2004~06年ぐらいがピークだったかな。ITって言っても儲かってるwebデザイン企業が沖縄支社出したりとか、あとコールセンターとかそういうのね。地価が安いんで一時期沖縄は重宝されてたんです。人材が糞すぎるのと物理的な距離が東京大阪からありすぎるので今は廃れたけど。
オレも一時期沖縄支社で働いてた事がある。初代支社長みたいな立場で赴任したんよ。
で、新聞をやっぱりとらないとなと思って日経と読売だけとることにした。
無難な選択に思えるじゃん?来客用のテーブル近くに置いてたんだけど、ある日地元の商工議会所の人らがうちに見学しに来て、新聞を見て怒りだした。
「これだけですか?なぜタイムスも新報も無いのですか?」って。
新報ってのは琉球新報でタイムスは沖縄タイムスのこと。沖縄の二大新聞だ。
「はあ、本社がこの2つですから」と気の抜けた返事を返したのを覚えている。それが余計に癪に触ったのだろう。
「本当に沖縄でビジネスするつもりがおたくらにあるんですか!?」と、いきなり声を荒げて怒り出した。
その場はもう一人の若い人がうまく取り繕ってくれて収まったんだけど、後日呼び出しをくらって向こうの事務所で説教された。
ありえないと思うでしょ?いや実際ありえないですよこんな世界。日本じゃない。取ってる新聞ごときで一企業に対して説教する連中がいるっていうのはもう日本じゃないですよこれ。
後から調べて知ったのだが読売新聞のシェアは0.1%で朝日が0.2%という異常な数字。
多分これらの全国紙をとっているのは企業、あるいは一般家庭でも日経+沖縄タイムスみたいに2つ新聞をとっているところだけなんだろう。
全国紙だけをとっている家庭なんか無いだろうし、企業や公的機関もほぼ0なんだろう。
だから今回の作家の発言は単に左翼リベラルを刺激したって以上に、沖縄県人からすれば相当精神的なところを突かれてるんだと思うね。
ほとんどの日本人がみそ汁とか天皇とか富士山を外国人から馬鹿にされたらイラッとくるのと同じぐらい沖縄人にとっちゃ地元新聞は大事なんだよね。
心の拠り所みたいになってる。
沖縄に最低1年でいいから住んでみたらなぜみんな基地に反対するのか理解できます。
心の拠り所の新聞が反対してるんだから、そりゃ反対しますよ。そこはもう理屈じゃない。お金じゃない。心の問題。それを政府与党はわかってない。
このところ、英米の大手マスコミのウェブサイトのニュースを私はまた読んでいるのだが、日本国内のマスコミとの世界観の相違が激しいことを再認識させられる。
話題のずれ、例えば中東やアフリカの話題への関心の高さというのもある。
だがそれだけではなくて、日本のマスコミでは言ってはいけないことがどうやら多いようで、情報操作された、「よく洗脳がゆきとどいた国ですね」と皮肉られてもしかたないような社会だなと思う。
先日やしきたかじん氏が亡くなったが、彼が生前に大阪の地元テレビ番組でほとんど言いたい放題でやっていたのに対して、東京のマスコミ(全国ネットも多いだろう)における「自主規制」(という無言の圧力、「空気」のたぐい)は、やはりびっくりだ。
役者で現参議院議員の山本太郎氏が、以前に原発反対を言ったときに仕事を干されたという話もあるが、なかば被害妄想もありなん。だが、タレントの立場でファストフード反対だとか酒反対だとかパチンコは違法ですだとか言い出したら、おそらくマスコミや広告代理店のブラックリストに載る、広告塔としての価値はほとんど無くなってしまうだろう。藤原紀香氏だったかが先日にしんぶん赤旗(日本共産党の機関紙)の日曜版に登場した際にもいささか揉めたらしいというのも、話に聞く。
私とて、せいぜい英米の大手マスコミしか目にする機会がないのだが(関心はあるのだが、ドイツやフランスすらも日常的には読んでいないし、ましてや世界各国のを確認してまわれない)。しかし、The Times(英国)のウェブサイトをこのところ見ていたら、砂糖の依存性の話題で議論が巻き起こっていたり、「ADHDの診断名が付けられる小児は多いが、そんな疾患は本当は存在しないと書いてある専門書もある。診断名を付けることで気休めになり、そこで投薬に移り云々。診断名を付けたがる症候群なのだろう」と大要そんなことを書いているオピニオンがあったりする。日本の大新聞やテレビ局ではおそらくそんな記事はそうそう出せないだろう。
在京一般紙でも、サンケイと読売が似たようなもので、日経はもろに資本主義バンザイで、朝日はこのところ元気がなくて、毎日はまあまあ活躍していて、それらが超えられない壁の先に東京新聞(名古屋中日系の東京地方紙)がある気がする。さらに言えば、大新聞と比べて、宮城や福島地域の地方紙や、沖縄県の地方紙なんかは、世界観がまったく異なっているように思う。
就活の現場に行くと学生たちが日経新聞を読んでいるのを見かける。
日経新聞は確かに面白い。記事や内容だけでなくステータスになる、スタバでコーヒーを飲むのと同義のステータスが得られる。
日経新聞には、就活生の望む就活情報について一般論しか書かれていないからだ。
深く切り込んだ論説を熟読しなければ就活で全く役に立たない。
実際はただの営業トークである。
ただ、見方を変えれば一つの営業手法として見る事ができるのではないか、とは考えても良いが深読みは無用である。
説明会や選考で購読を尋ねる行為に意味はないという事だけはここに述べて置く。
そもそも、購読は彼らのノルマでもないし極端な話、選考に全く関係がないと言っていい。
また日経新聞を購読したからといって何がしかの知識が増えるのかというと、他の四大新聞の社会面や社説をじっくり読む方がよっぽどメリットがあると言える。
というのも日経新聞には日常的な疑問や日常的な事件について(※1)、殆ど全く触れないのである。
朝日毎日や読売などの新聞媒体は日々のニュースだけでなく、日常のありふれた場所での発見を教えてくれるが、日経新聞にはそれがない。
すなわち日経は他紙に比べると日常のボキャブラリーに乏しいのである。
一方、経済面を見ると流石日本経済を専門とする日経新聞ならではといえよう。
なるほど日経新聞を読むメリットは、あたかも経済通になったかのような気分になれる、ということであれば大いにタメになる読み物だろう。
しかしながら、日経新聞を購読する本当の意味を理解しなければ学生たちは読めば、それが選考に左右されるとか会社にアウトプットできると勘違いするだけだ。
先に述べたように、日経新聞は基本的な事柄しか書かれていない。
方法論としては、必ず日経新聞でなければならない、といった強迫観念を捨て去る事が肝要なのだ。
日経新聞をただの読み物として見る、そうすればこれまで見えなかった、あるいは理解出来なかった日経新聞が問いたかった事が自ずと分かるようになるだろう。
観方を変える事が、日経新聞を新たな読み物として見ることが出来、営業トークでしかないものが実はこういう意図(※2)があったのだと理解出来るのである。
※1 筆者に多少の誤解がある事を考慮して頂きたい。
週刊朝日の記事の件で橋下が朝日新聞の取材を拒んだ件、伝え聞くところによると週刊の方も新聞の方も内部は今相当混乱してるっぽい。ほとんどパニック状態だとか。
大新聞の取材を拒むとはケシカラン!と持っていこうにも、その発端が「対象の血縁や出自を暴いて批判する」という「身内(週刊朝日)」の大ポカなもんだからそれができず、しかし橋下を潰すという方針があるものだから記事を書かないわけにはいかず、しかしそうなると発端である「対象の血縁や出自を暴いて批判する」という「身内(週刊朝日)」の大ポカに触れざるを得ないから最小限の扱いにとどめるかスルーせざるを得ないんだけど、でも橋下の今回の「暴挙」を批判せずして何が朝日か、という上司の発破はいたるところで炸裂しているのだが、しかし経緯に触れざるを得ないので「身内(週刊朝日)」の大ポカの扱いに困り果てているのだとか。
要するにプログラムで言うところの「無限ループでCPUが暴走中」状態らしい。
橋下の取材拒否批判と、橋下の「卑しい血」をあげつらう事、二つの正しい記事を二つをつなげて並べるだけなのになぜか破綻してしまう。
個人的な予想です。間に受けないでください。
・自営業(個人商店、飲食など)、フリーランス(Webページ作成、小説家など)
個人の力量がはっきり出る自営業、フリーランスのほとんどが、生活困難なレベルにまで落ちるでしょう。
しかし一部のカリスマ性を持った人間には仕事が集中するため、その人達は収入が今の2倍以上になるでしょう。
・出版
大きい体力のある出版社と、ニッチ特化の会社以外はなくなるでしょう。
インターネットに逃げるか、紙に固執するか、どちらにしても厳しい戦いになりそうです。
残念ながら、この分野において日本のアドバンテージは無くなってしまいました。
・新聞
おそらく最も今後10年で、つらい立場に置かれるであろう業界です。大新聞の一社は潰れるかもしれません。
・テレビ
なくなるとは言いませんが、今までの殿様商売は期待できません。
はっきり言って、今のテレビには魅力がありません。
・印刷
紙への印刷以外の収入源を持たない会社は、潰れるか、大手に吸収されるでしょう。
大手の一社は大幅な方針転換を行うかもしれません。
地方から人がどんどん減っていくため、大容量輸送手段としての鉄道の価値は無くなります。
既存路線がバスに置き換わっていくでしょう。北海道、四国、中国、山陰地方の各鉄道会社は今以上の覚悟が必要になります。
・軽電(家電、弱電)
半導体を作ったり、パーツを組み合わせて家電を作ったりする仕事は今までは割のいい仕事でしたが、これからはそうはなりません。
技術、労働力のアドバンテージが日本に消滅してしまった今、アイディアと特許でしばらくは持つかもしれませんが、今後どうなるかは不透明です。
真に業界のことを考えるのであれば、大規模な吸収合併が必要でしょう。日本にメーカーは多すぎます。
家具や家電、パソコンを店頭で売る必要はどこにあるのでしょうか。
郊外に置かれた巨大な量販店はほとんどが店じまいするでしょう。
・パチンコ
いくら何でも作りすぎた感があります。客は今後携帯ゲームに流れるでしょう。
・風力、太陽光
効率の悪いこれらを押す動きは今は持て囃されていますが、そろそろ限界に近づいています。
・教育
進研○ミの漫画は楽しいですが、この業界は少子化の影響が止まらない限り未来は全くありません。
塾や習い事と言った子供相手の業界人はもっと真剣に少子化対策を訴える必要があります。
・地方電力、ガス
この分野は人口がそのまま収益に直結するため、地方における人口減は組織維持の死活問題になります。
騙し騙し使ってきたインフラ設備が限界に近づいた時、国に支援を行う体力は残っていないかもしれません。
楽な仕事で給料をもらえる市役所窓口職員や国立大学職員になるのは今までは魅力的でした。今後は逆になります。
日本が公務員全体を食わせることができなくなりつつあります。人が入ってこない以上、仕事量は今の倍になるでしょう。
自衛隊、消防、警察、教員には若干の補填が行わるでしょうが、それ以外の待遇は悪化するでしょう。
日本全体の価値が沈んでいく以上、不動産や金融商品も一緒に値下がりします。
買う人も、売る人も少なくなれば、業界全体が縮小するのも納得です。
・重電、強電
日本全体が沈んでいく以上、インフラ設備は今以上に延命されるでしょう。新規発注は少なくなると思って間違いありません。
希望があるのは軽電と違い、まだこの分野においては若干日本が先行しているということです。沈みきってしまう前に海外を目指すべきです。
・IT
個人的にはITに未来は無いと思っています。6割以下に入れても良かったと思っています。
物を運ぶ必要がない、データでやり取りできるというのは、仕事の流動性が非常に大きいということです。
今は日本語の壁に守られていますが、企業の、英語の出来る人材は増え続けています。
ゼネコン式の労働集約型産業で在り続ける限り、仕事は日本から流出していくことでしょう。
パチンコ、家庭用ゲーム、ゲームセンターの人間がなだれ込んできます。
インターフェースの修正が進めば、囲碁やメダルゲームをやっているような高齢者も流入してくるでしょう。
行き場を失った人間が配給され続けるので、成長して行くことでしょう。低賃金、過密労働が大きな社会問題になります。
>バカと老人…
家電量販店が無くなるとは言っていません。ただ、郊外型の巨大店舗は無くなるであろうと言っているだけです。
街中の駅前は残るでしょう。
バカはそういった店で買います。街に行くわけです。
地方に残った老人は、今後家電なんか買いに行くことはなくなるでしょう。彼らはおそらく電話で全てをすませます。
>多分、誰もがうっすら気づいていると思うが、人口減少することによる市場の縮小は避けられない。
日本全体が沈下していくことは明白なので、これから成長するには他者から奪うか、海外に逃げるか、単価を挙げるかしかないわけです。
>目先の仕事で手一杯
貧すれば鈍す。物質的、時間的なゆとりが無くなった日本でドラえもんは無理ですね。
>そこらへんが書かれていないので、なんとなく人間何もすることなしに弱っていく未来しか描けてない
10年、20年の短期間では社会も人間も変わらないというのが私の意見です。
50年後ならイノベーションが起こっているかもしれませんが、そんなもの予測不可能ですし。
追加で成長産業を挙げるとすれば
大穴としては
でしょうか。まぁまず無いでしょうが。
>それはどうだろう。山手線沿線のようなアクセスメリットのある駅前店舗だけが残り、他は郊外型が駅前店を駆逐する、というのが妥当だと思うが。
私はろくすっぽに東京など行ったことがない田舎者なので、山手線のアクセスや東京の「郊外」がどの程度なのかわかりません。
ただ、地方(北海道)に住んでいる私の郊外型店舗のイメージというのは、なにもない真っ直ぐな道にどでかい店がくっついているイメージ(ロードサイド店舗)です。
市街地にあるような巨大店舗はまだ10年は付近の店や商店街の客を吸収しながら生存するでしょう。
>どちらにせよこの動きが加速するには、免許証の年齢制限の上限導入は必須。これがないなら老人は99歳でも車に乗る。
あくまで主観ですが、市街地の高齢者は自家用車よりもバスを利用している方のほうが多い気がします。市街地から離れたところにいる高齢者は…やっぱり車に乗るのでしょうかね。
>老人は、意外と「自分の目で見たものだけ信じる」人が根強いよ。この10年でジャパネットに取って変わるほど流れは強くない。
電話で済ますというのは、通販ではなくて、電器店に電話をして店員に何がいいかを決めさせて、持ってこさせるということです。
確かに目で見て判断するという人は一定数いると思いますが、テレビ、冷蔵庫、電話に限らず、あらゆる電化製品はもはや機能が付加されすぎて何がいいのか一目ではわかりません。
若いうちであればインターネットや口コミ情報を調べ上げて、自分の環境にあった最適なものを選ぶことができるかもしれませんが、年を取れば何よりもまずめんどくささが先に立ちます。
そんな訳で、実際に見て自分で判断するよりも、店員に任せたり、息子や娘にほしいものを頼んだりする方が、彼らにとって楽なのではないかと思うのです。
NHKとかのテレビを始め、新聞やラジオとか雑誌や書籍ぐらいにならでたことがある。別に何かをするわけでもなくそこにニュース性があれば取材っていうのは来てしまうものだ。でも取材される側にメリットがあるということはあまり無い。
新聞に自分の写真がのった切り抜きを爺ちゃんにあげると喜んでもらえるぐらいだ。NHKとかに出ると地方の久しい人から電話がきたりする。3分でれば1~2本。
売りたいパッケージやサービスがあって、メディアに登場するのであれば効果はあるのかもしれないが、業界紙で一面に乗って朝一から十件だとかそんなもの。それを多いととるか少ないととるかは人それぞれ。四大新聞だかの一面に自分の固有名詞がでるぐらいの経験はあるが、そんなものがきっかけでうまく回る商売なんてものはない。メディア掲載は結果のひとつの形でしかないから載るために努力なんかすんな。
メディアはそれを見聞きする人は多いので、もともとの知り合いが、こないだ見たよ!ぐらいの話題にはなる。
少し考えてみて欲しい。知り合いがメディアに乗っているのに気がついたことは? いままでで新聞などの記事をみて具体的に問い合わせたことがある? この一年ではどれくらい? 一日に何人の名前が新聞に乗っているのかを考えると、よほど繰り返しでないと人々の記憶にも残ることなんてないよね。そして喩え数万人の目にふれていようが、そういうところを辿ってまで調べるモチベーションがあるのはこちらを食い物にしたい営業だけなんだ。あ、そういう意味では抜群に効果はあるよ。営業電話ががんがんかかってくるの。先物だとかそういう金融商品会社からだけどね!
メディアに露出することで高まる信用もあるよね。でも、それで与信がついて金が借りられるわけでもなし、そういう信用があなたのビジネスにとって必要?
効果があるなと思うのは書籍。これは比較的重要。アーカイブ性があるので、それについて調べようと動機を持ったひとが調べるのでお客さんにもなるし長く効果がある。また、雑誌なども、大手は基礎情報や写真を関連で使いまわすので最初にきちんとした取材対応が必要。
他?
むしろ、乗らないほうがいいんじゃない? だからメディアジャーナリスト対策は考えておく必要がある。
1つ、ジャーナリストのことを知ること。
理論(笑)?非倫理的な人達もいるので数字のチェックどころか、名前のチェックすらしてこないことがある。記者会見とかで対応してしまうと、いろいろなところが同時に記事を書くのでコントロールできない。Web記事などで名前が間違っていることを申し出ても治らねぇんだ。他がほとんどコピペなのに唯一文脈を変えるだけに手打ちしたっぽいところが間違っているってどいうことだよと思う。どこでだれに取材したらそんな情報がでてくるんだ?と不思議でならない記事になってしまうことが日常ちゃめし。お茶漬けでも食いながら書いのかと・・・・・・。
雑誌社の記事の場合は掲載前に校正チェックがある。新聞もテレビも基礎情報の確認はしっかりある。5分の報道のために一時間とか半日取材がある。え? Web? 他のメディアの記事をきっかけにメールや電話で聞いてくるだけなんじゃないの? うっかり名刺なんかわたそうものなら問い合わせ先はこちらと会社の電話番号や個人のメールアドレスが全国公開されてしまうなんてこともあった。基礎情報の確認もしてこないようなメディアは相手にするべきではない。掲載前の記事は公開しないだって? 取材元に情報の確認をすることはありませんという宣言でなくて?
当方側の言ったことの意味を理解せず、全くの逆にしてしまったり、脳内補完や勝手にストーリーをでっちあげ記事を書かれることが嫌だったら、こちらから手取り足取り情報を案内してあげなければならない。プレスリリースをコピペするだけでそれなりの記事になると思うと彼らは記事にしたがる。仕事が楽だからね。
でもね、そこまでしてメディアにとりあげられて何かいいことあるかな?って少し考えなければいけないかもしれない。なぜなら、取材をうけるあなたはすでにスタートアップをしているわけで目立ていいシーンかそうでないシーンかの見極めは重要。自分の手持ちのカードを見せてポーカーに勝つのは結構大変よ? 役満テンパッてるときに目立つバカがどこに居る?アホの子か?アホの子なんだな??
まわりの会社で商品を扱っているところは事前チェックを取材条件にするところもある。取材する側からすると煩わしいのかもしれないけど、会社からすると記事ひとつが致命傷になることもあるので必然。記者がよかれと思って書いたことがネガティブなことだってあるんだ。そういうところがチェックできない会社は滅びる。既存のお客さまに悪影響がでることだってあるんだから。
ベンチャー誌などで特集記事を組まれた社長の2年後の敗退率聞いたら驚くぜ。そういう意味では2年前の記事を拾い読みして、その雑誌などがどちらへの試金石なのか確認してみると面白いかもしれない。たとえば日経ビジネスなんかがやはり凄いなと思うのは例えば初音ミクのリリース前にきちんとページを割いてクリプトンの会社の記事を組んでたりするところなんだよね。単純に取材力と審美眼の差だと思うんだけど、メディア対策がうまくいったから初音ミクができたわけじゃないじゃない?そんなもんだよ。たまに、売れないタレントひっぱってきて、取材費くださいとか、こっちがかね払うのかよ!?的なものまであるし、なんかもうちょっと怖いよね。営業か税務署がやってくるよ!
目立ったら商売の難易度はあがる。弾丸飛び交う最前線に踊りでて武勲をあげられる新兵がいたら相当なもんだよ。おまえさまはデコイなのかい? 嚢中の錐っていってね、目立たないようにしてても目立ってしまうこともあるんだ。生き残りたければ、できるだけ目立つな。身を屈めてできるだけ頭を低くしろ。ここは戦場なんだぜ!