はてなキーワード: スカウトとは
アメリカに追随したはずの日本「セクシーを売り物にする構造自体が性的搾取」
なぜなのか。
ジムで欧米のPVめっちゃ流れてるけど向こうのアーティストって実力あった上で全然横乳下乳ほっぽり出してケツぶりんぶりん振りながら歌ってんのよね。
彼女らは自分の意志で自分の武器、自分の魅力としてセクシーさを売り物にしているわけじゃん。
なぜか日本だと「グラビアみたいな性的な魅力を売り物にするコンテンツが存在すること自体が性的搾取」みたいな謎理論が跋扈してるのが本当に意味が分からない。別にいいだろ、いい顔と身体持って生まれてきてそれを活かして稼いで。
もちろん、ヤクザに売られて嫌々やってるんなら大問題だけど、今のグラドルってオーディション、グランプリ勝ち抜き組、同人からのスカウト組だろ。そこに立ちたくて頑張って、そこに立ってる奴らだろ。
彼女らには自分の意志というものがあり、自分のしたいことを自分で選んでやっている。
日本のフェミニストを見てて感じるのは「私たちはアップデートした上位存在。古い思想に囚われた自分の意志のないかわいそうな弱者を救ってあげたい」っていう女性軽視なんだよな。
ゼミの同期の就職先は外資系戦コンや外資系IT、大手広告代理店など。
就職活動をしていなかったわけではなく、周りの人と同じように就活をして、自分だけ内定をもらえなかった。
卒業後は嘆いても仕方がないので、実家に戻ってバイトをしながらYoutube動画の投稿活動を始めた。
ブームに乗ったのか、銀盾(登録者数10万人の証)を貰えるほどチャンネルは成長した。
スタートアップだがビジネスモデルが練られており、実績がある。待遇もよい。業務は自分が得意な動画制作系。
え?わざわざ旅費交通費負担してくれた上に、食事まで奢ってくれたんだからもうほぼ決まってるんだと思ってたよ
技術的なマッチングだけではなく、バリューマッチも同様に重視しております。とかお祈りメールで色々言ってるけど結局陰キャは要らねってことなんでしょ
BAND-MAIDが米国を中心に海外で非常に人気が高いということは聞いたことがあるだろう。
だが、実際にMVを見てみると少し違和感を感じるはずだ。メンバーの多くは期待していたほどメイド風でもないし、楽曲はさほどポップでもKawaiiでもない。かといってギャップで驚かせるほどの音の凶悪さもない。普通にJ-POPの影響も感じられるクールなハードロックである。あまりハードでない曲も多い。
ましてや2023年2月にリリースされた「Memorable」はシンプルなバラードで米国のシンガーソングライターが歌ってそうな曲調だ。
しかしYouTubeでは、この曲を聴いて屈強な米国の男たちが涙を流している。いったいどういうことか。
BAND-MAIDは10年の歴史の中で様々な文脈がつきすぎて初見のリスナーにはわかりづらくなっている。本稿ではそのあたりを読み解いていきたいと思う。
BAND-MAIDの面白さは、計算された部分からどうしてもはみ出してしまうほころびにある。計算高くプロデュースされたバンドのように思われがちだが、じつは誤算の歴史であり、その誤算を受け入れ逆に強みにしてきたバンドなのだ。
そもそもBAND-MAIDの始まりは小鳩ミクプロジェクトだった。秋葉原の有名メイド喫茶出身でアイドル活動もやっていた小鳩ミクがアイドルグループ解散をきっかけに、違う方向性の音楽をやりたいと今の事務所に売り込みに来た。それならば過去の経験を活かしてメイド+バンドのコンセプトで行こうとすぐに決まった。
二人目のメンバーはニコニコ動画で見つけてスカウトした。そこから人脈をたどりメンバーを増やしてバンドとなった。つまりメイド文化の経験があるのはじつのところ小鳩ひとりなのだ。
そして最初のほころびはすぐに来る。
演奏力のしっかりしたメンバーを集めてしまったがゆえに、出音が本格的なロックとなってしまい、そうなるとアイドル出身の小鳩の声と合わないのだ。
こういう場合、普通に考えたら楽曲をポップな方向に軌道修正するはずだが小鳩の決断は違った。このロックテイストの曲に似合うメインボーカルを入れることにしたのだ。
ツインボーカルとは言うものの小鳩はコーラス中心になる。自分がメインのプロジェクトだったはずが脇役にまわる。当時は楽器も弾けなかったのでバンド内での居場所もあやしくなりかねない。
メインボーカルを入れた5人体制で制作されたファーストアルバム「MAID IN JAPAN」は、今思うと一番コンセプトにぶれがない作品となった。
全員が可愛いメイド服を着たビジュアル。最近の曲に通じる片鱗はあるものの、今よりもポップで聴きやすい青春パンク風やロック調J-POPの楽曲が多いアルバムだ。
ただそのコンセプトもすぐにぶれていく。小鳩以外のメンバーはやはりメイド服があまり好きではなかった。
またしても誤算である。さほどこだわりのないギターのKANAMI以外はいかにもなメイド服を着るのをやめた。
そしてまたこの時期は楽曲の方向性もJ-POP風だったり、ポップロックだったり、よりハードで過激なロックに振ってみたり、迷走していた。
事務所的にはそろそろ潮時かと解散させることも考えていたらしい。
そんな頃に意図せず大ブレイクしたのが初期の代表曲「スリル」だ。
これまで以上にヘヴィなサウンドにクールでわかりやすいボーカルラインが乗ったハードロックである。ファーストシングルのカップリング曲という位置づけだったが、このMVが翌年海外のWebラジオで紹介されて一気に火が付いた。
そしてこの曲がその後の方向性を決定づけた。
BAND-MAIDの特徴のひとつはそのライブ本数の多さである。ツアーに出ると毎日か一日おきでほとんど休みなくライブをおこなっている。「スリル」がブレイクした翌年の2016年は国内19箇所ツアー、8カ国のワールドツアー、その他国内外の単発のイベントに参加している。
Wikipediaにあるライブ日程はツアーのみで単発のイベントは書かれていないが、それでも今どきのバンドとしては異常な数である。こうしてライブを重ねることでライブバンドとしての実力を着実につけていった。
そしてまた、メンバーの創作能力も向上し、この頃から小鳩ミク作詞KANAMI作曲の作品が増えていく。
ここへきてBAND-MAIDは外部の作家の力を借りず自分たちだけで勝負する本物のバンドになっていった。
楽曲を聴いているだけではわかりづらいBAND-MAIDの特徴がもうひとつある。小鳩がメイド喫茶やアイドル文化からバンドに持ち込んだのは可愛らしい服装だけではなかった。
それがショーアップされたステージである。曲間のMCはエンターテイナー小鳩の本領発揮だ。
萌え萌えきゅん的なある意味痛いコールアンドレスポンスやトークは、最初は苦笑いの観客でさえ巻き込んでファンにしてしまう。メイド服を拒否したメンバーもこのあたりは寛容で観客との距離の近さを楽しんでいるようだ。
こういった通常のロックバンドにはない、とことん楽しませるファンサービスが海外ツアーでファンの心をわしづかみにした。
https://youtu.be/iqhgc963Ga0?t=368
テレビ出演や雑誌のインタビューなども無口なミュージシャン気質のメンバーに代わり、小鳩が担当しバンドのスポークスマンとしてサービス精神いっぱいにしゃべっている。
観客を惹き付けるタレントであるとともにマネージャーやプロデューサーのような立ち回りもこなす。そんな彼女のことをある海外リアクターはスイスアーミーナイフのようだと表現した。
しかし、そんな各地で大盛況のライブツアーも世界的な疫病で突然打ち切られる。予定していた初の武道館公演も中止になった。
前述のようにBAND-MAIDのライブは単なる演奏会ではない。ショーアップされたファンとの交流イベントとしての意味を持つ。
ある海外ファンは「BAND-MAIDは曲をリリースするのではない、体験をリリースするのだ」と言っていた。
そんなバンドにとってライブができないことは大きな打撃となった。
まさにこれからというタイミングで、バンドは2年以上立ち止まることを強いられた。
そしてついに2022年、待望のライブツアーが再開されることになった。
8月に国内ツアー、10月に全米ツアー。だが世界中からライブイベントが消えた後である。ライブを楽しむ文化自体が失われたかもしれないし、当時ファンだった人たちがバンドに興味を持たなくなっているおそれもあった。
しかし、ふたを開けてみれば見事にソールドアウトだった。ツアーバスで各地の会場に訪れると、そこには2年前と変わらない熱量のファンがバンドを待っていた。
この忘れがたい経験をもとにツアー中にメロディを書き、日本に戻るとすぐ、ファンに向けた感謝の気持ちをつづった歌詞を乗せ曲として完成させた。
それが「Memorable」だ。
歌詞に込めた思いと、決して平坦ではない道をメイド服姿の小鳩ミクが歩くMVの意味を世界中のBAND-MAIDファンは完全に理解して心を打たれるのだ。
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
性的消費や性的搾取は定義が先にある言葉ではなくて現象が先にある言葉だからな
現在女性が社会的ミームや広告やメディアや文化風俗その他、性的選択や性的自由を軽視される人権軽視を受けているもの
どこからがセクハラで何がセクハラじゃないのか?どこからがパワハラで何がパワハラじゃないのか?どこからがイジメで何がイジメじゃないのか?的な
主体性や人格を置き去りにして女体や性シンボルとして記号化が行われてる状況とでもいうのか
本人が望んだプライートな場などでの主体的「性的自由」以外のケース、つまり本人が積極的に望まない場合に性的に扱われないことを当然に期待できる人格的尊厳の毀損のこと
本人に悟られないようエロい目で内心見てしまうのは「人を性的に扱う」ではないが、言動として外に出したら「人を性的に扱う」となる
公共の場や望まない場で「性的客体化」を拒む自由、「記号化」されて女性性を扱われない自由というかな
主体×主体としての性ではなく、女性が一方的に鑑賞・評価・嗜好品等として性的充足のために扱われる客体化されることでの性的自由の侵害のこと
ワイは堅い説明ばかりしちゃうタチなので分かりにくかったらすまん。柔らかい説明は他の人に聞いてくれ。
アンチフェミって低学歴なこと多いので理解力なくて何度説明しても分からんやつばかりで説明に疲れたから面倒くさくなってフェミニストさんはみんな説明しやんのやろ、、多分、、、
「望んでAVにでてる女はいない」という主張の具体的意味は次のものが思いつくな。実際そのフェミニストがどの意味で言ってるかは不明だが。
・AV業者の大人たちが複数人でまだ社会常識のない20歳などの子供を囲って断りにくい雰囲気で契約書にサインさせて、もしくはホストやスカウトとグルでなかば洗脳的にAVに堕としてるパターンのことを指してる
・AVスカウトの常套句「バレない・○○には載らないから出てこない・あとで消せるよ」などを騙してると呼称してるケース
・AV女優に結構いるらしい、軽度知的障害者などを言いくるめているパターンのこと
・女性を経済的に困窮させる経済的差別をしながら生活保護課では風俗を勧める一連の流れを指してる
・自ら望んでAVに出演した女性は保護を必要としないので例外としてそもそも話題の中に入ってないケース
・AV女優や風俗をカジュアル化させて気軽で大したことがないかのような雰囲気作りを随所で行ってることを子供を騙してると呼称してるケース
・風俗斡旋業者の羽振りの良さや借りただけのブランド品等を使った営業を騙してると呼称してるケース
・日本の性教育や人権教育の乏しさからくる権利意識や自尊心の乏しさを指して男(政治家)が認識を捻じ曲げて正常な判断能力を奪ってると呼称してるケース
・AV界隈が性犯罪者やアウトな人物を起用した真っ黒運営も行ってきたにもかかわらず自浄なくそのままそれらを擁してるにも関わらずキラキラプレ芸能界的な皮を被ることを指して騙してると呼ぶケース
・取り返しがつかないリスクの極めて大きな企業対個人の契約であるため、未だ十分な個人の権利保護の法整備がなされてないという意味で使われてるケース
・日本社会全体の性的搾取を大したことない・よく分からないとして軽視した風潮そのものに影響された性的搾取に過剰適応している女性のことをそう呼んでるケース
まだあるかもしれん。かならずしもそのフェミニストさんが合ってるか間違ってるかは分からん。所詮は市位の有志なので女性学の専門家というわけでもないなら全ての人が必ずあってるわけじゃないからな
正しいことを言ってるフェミニストさんだけ支持したらええよ
パッと思いつくのはこんな感じかな。分かりやすいといいのだが。長くてすまんな。フェミニストも個人が毎回一つ一つ説明しきれないのかもな。
まあこれだけで多分一冊の本が出るレベルなんで、詳しく気になったらフェミニズムの本を色々読んでみることをお勧めするよ。これからの社会平和には必要だよ。
差別することが絶対悪!!みたいな立場に立ちすぎて訳わからない話を始める人が最近多すぎてげんなりする
差別は悪じゃないんだよ
相手に不当な不利益を与えるのが悪なだけで、不利益を与えない差別は当然排除できないしすべきでもないんだって!!
そこがどうしてわからないの?
だいたい、差別は絶対悪主義者の言い分って「属性で決めつける思考、言動は全て差別」という思想で、さらに差別主義者のレッテルを貼る、貼られることで論争の優劣が決まるとまで信じてたりするよね?
そんなガバガバな無意味な定義でいいなら、「体格を見てプロスポーツにスカウトする」も(悪という意味での)差別だし、「血統的に適正があるからこの馬の馬券を買う」も差別になる。
「顔が好きじゃないので付き合えない」も差別だし、「立地が悪いからこの家に住まない」も差別だし、「形が悪いからこのきゅうりを買わない」も差別だし、「知らない人だからインターホン出ない」も差別になる。
これを悪だというニュアンスを含めた「差別」とするのはまじで無意味。
差別は全員がしていることを認めよう。
ガバガバな定義で相手にする差別主義者のレッテルを貼っても別に世の中は良くならないし、悪い差別がなくなることはない。
本当にそこ認めてくれ。
ではここで、どんな差別なら許されるか、許されないか、を書いていく。
以上だ
ではしてもよい差別はこれだ
顔が好きじゃなければ交際を断っても構わないし、治安が悪い街に住まなくていい
職場に外国人がいて、内心嫌だと思っていても、完全に内心だけでおさまっていれば、その差別心を責める必要はない
このグレーの事象でどう振る舞うとみんなが幸せなのか?を考えていくのが真に建設的な話だと思う
グレーとは書いているが、グレーな事象は大体が、表向きはアウトだ。
だけど、それをしなきゃいけない感情が当事者にあるし、その感情を悪と断定するだけでは無意味なのでグレー扱いにしなければならないと思っている。
いかに差別心という感情を軟化できるかを考えなきゃいけないだろう。
とある会社が新規に従業員を募集したところ、気に入らない属性の人から応募があった。
これを属性だけで断るのは、相手に不利益を与える不当な差別になるので悪だ。
大きい会社なら従業員もたくさんいるし、属性だけで切らないような流れになってきているのはとてもいいことだと思う。
しかし、この会社が、自分が経営している従業員2人くらいの小さい会社だったらどうだろう?
それでも悪には違いはないが、ワンマン経営のお手伝い的な仕事で、そのワンマンの個人的好みを重視するのは悪なのか?
表向き悪だから属性を理由に断りはしないけど、別の理由をつけて落とすのが今の世の中だ。
これ、差別を絶対悪として、そんな社長に無理やり差別対象を雇わせたとして、幸せになるのは誰なのだろうか?
誰も幸せにならないのでは?
顔が好みじゃないとか、肌の色が気に入らなければ、それを直接伝えて相手を傷つけない限り、交際を断ってもよい。
しかし、自分の子供、兄弟、家族が、自分の気に入らない相手と付き合っている場合、どこまで干渉することが許されるのか?
(気に入らない相手ってのは、人種などに限らず、痴漢で8回逮捕された過去がある、とかだったりもするよ)
現状、本人の意思が優先され、家族でもそのような干渉は許されない。
しかし、その人と結婚したら実家にはもう帰ってこないで、とか、その人をうちには入れないで、とかをいう権利すらないとは思えない。
現実は刺激しないように距離を取るしかなく、親を差別主義者と糾弾したって家庭が平和になることはない。
普通の人は犯罪なんかしないので、犯罪者がいればその倫理観の欠如や再犯を恐れる、というのは自然な心理だが、これは直球の差別で悪だ。
同じく、犯罪発生率の高い街に住まない、というのも同等の差別心から来るものなので差別だ。
だけど、社会的な信用を裏切った人間は信用されない、という基本的なルールが社会にはある。
これを無視して殺されたり横領されたりすることが正しい賞賛される振る舞いではない。
信用のない人間にはないなりの接し方をするのは、身を守るために必要な振る舞いだ。
ただそれを大っぴらに宣言したり、あのエリアはまじで住まない方がいいよ!とか広めたりするのは現状では悪と認定される。
男性を犯罪者予備軍と見なすのは現状では悪扱いされるが、警戒は当たり前で何も悪くない。
ただ、警戒心をむき出しにして男性に不快感を撒き散らすと、悪は女性側だと当然言われる。
女性は差別心を自覚しつつ、さらに身を守るためにその差別心を肯定し、そして多くの紳士を不快にさせないよう気をつけるのが落とし所になるだろう。
とてもグレーだ。
まあそんな感じで、グレーの部分を、差別か差別でないかと論じるのではなく、差別者と被差別者が互いに不利益を被らない方法論に切り替えるべきだろう。
無論、無意味な差別感情を発生させないための長期的な教育、啓蒙もものすごく大事だと思う。
人種差別などは教育である程度埋めれるかもしれないが、犯罪者差別なんかは教育でも埋まらないだろうと想像できるし、教育が万能とも信じてはないかな。