はてなキーワード: 自殺のコストとは
30歳になる頃には見た目も中身もそれなりに成熟しているものだと思った。
生活が安定しているとか老いることに対して何も不安がない訳ではなかったけど
30代は何もないものだと思っていた。想像すらできない世界のようにも感じていた。
それを何かしら変えてしまったのは予定に入れたこともなかった結婚と出産が人生を大きく変えた。
私はいわゆる、社会不適合者であり精神科にも数年前から通っている。規則正しい生活をすることも
周りの人たちと同じように生活をするのが難しい事にも子供のころから気付いていた。
だから結婚をする気がなかった。恋人がいるのは遊ぶ相手の延長線上なだけ。
一人でする食事も好きだし、誰かに連れて行ってもらう知らないお店を好きになったりするのもよかった。
きっとこういう風に適当に遊んで死んでいくと思っていたのに妊娠が分かった時に何故か、私の分身であって
私とは別個人がお腹にいていつか自分の足で歩いていくのかと思ったら出産したくなった。
人生は学校で習うよりずっと不公平が横行し、大人は偉い人ほど後手後手で平気で嘘をつく。
誰かを救う人より救われたいとしか考えない人の方が圧倒的に多い。こんな世界に新しい命を、と
考えると躊躇する気持ちも何度も沸いた。だけど母体保護法であったり色々な結果、臨月まで決意の狭間にいた。
妊娠も出産もいろんな人が書いているのと同じように辛く不安な日々と壮絶な痛みだった。
だけど産まれたと安堵した時に溢れた涙も「大事に育てていこう」という気持ちも自然と抱いたもので
それは今も一貫して変わらない。今も子供が笑いかけてくれると何故か嬉しい。喜んでいると私も嬉しい。
だけど私は今、とても離婚がしたい。
それは私の問題であって夫に不満は多少あっても離婚に至るほどの事ではない。
私自身の問題で私が自分を許せないから夫を自由にしたい、解放したいという気持ちなのだ。
親権は当然に夫に行くだろう。
実家のない私、家族や親戚と言ったものに縁がなかった私としては
当たり前にある正月の集まりや親戚という存在、従兄弟とかいう兄弟とは違う
年齢の近い他人との関わりを「普通に持ってる」あり触れた環境下で育って欲しいと思うから
それでも構わない。面会が無理なら写真だけでも定期的に、と自分勝手は暴走する。
今はもう生きてるのも辛い。ただただ死にたい。
でも育児ノイローゼだったとか言われるかもしれないと思ったら死ぬに死ねない。
自殺のコストという本がある。持ち家にしても賃貸にしてもそこで死ねば大きなお金が動く。
どうして無慈悲な事件や事故はニュースに出るのに私は今日も何もなく生きているんだろう。
30歳になる頃、それはもう今年の春の頃。私は未だに自傷癖も抜けていない。
夫にアームカットがバレて怒られた時、刃物を全部隠されたり壊されてた。
その度に何度でも目を盗んで購入し切って気持ちの整理をつけている。
精神の成熟は日々の努力の賜物だとしたら私は何処で間違ってしまったのだろう。
近所の顔見知りの店員さんに子供と歩いてるところを声をかけられた。
「あれ?兄弟?」
「あ、私の子供ですよ」
「え?学生さんだと思ってた」
こんなことがあった。成熟は?
私が他者と決定的に違う部分で何処だろう。
いつ気付ける?やり直せる?
離婚はどうなる?一人になりたい。
小さい頃から希死念慮(ぼんやりとした死んで楽になりたいという気持ち)がある。
小学1年の時に、祖父母が買ってきた問題集をやらされたのが嫌だったらしい。勉強机だった古い木製の机に鉛筆で死んでやるとか死にたいとか書いていた。
人に見つからないように書いていたつもりだが、バレていたようだ。祖父母が亡くなった後に父から聞かされた。
小学校高学年で火の鳥を読んで、それから生と死についていっそう考えるようになった。
中学の頃は成績の事でよく怒られてて、2階のベランダの壁の上に座りながら、ここから落ちて死んでもいいのかなと思って月を眺めていた。
今思うと、道路から通行人に見られていたら通報されていたかもしれない。
中学3年の時に車輪の下を読んだ。父は悲しい話だと言っていたが、自分は主人公は楽に慣れて少しうらやましいなと思った。
高校の文化祭、体育祭、修学旅行にはあまりいい思い出がなく、この頃から自分は人とは少し違うことを感じていた。
いつだったか、両親にせっかく産んであげたのにと言われたことがあったけど、産んでくれないほうがよかったのにと思った。口には出さなかったけど。
高校3年で受験勉強がうまく行かない時があって、3階の教室の窓から下を覗いて、ここから落ちて死んだら楽になるのかなと思っていたら、クラスのあまり喋ったことのない人に飛び降りるとか考えるなよと言われた。
大学では体育会系の部活に入ってしまったが、あまり馴染めずにいた。
退部する勇気がないでいたら、周りが次々に辞めて逆に辞めづらくなってしまい、結局最後までズルズルといた。
ストレスはあったけど、Winnyでダウンロードした完全自殺マニュアルや自殺のコストを読んで心を落ち着かせていた。
大学院では修士2年からまったく研究をするモチベーションがなくなってしまって、トラックにでも跳ねられて死んで、今まで学費を払ってくれた両親に賠償金が入ればいいのになと妄想していた。
実際に手首を切ったとこはないけど、刃物を手首にあてながら、切ったら傷跡が残るの嫌だなと思っていた。
社会人になってからは、残業はそれ程厳しくなかったが、家に帰ると体が動かなくなってベッドの上で固まっていた。
同期や職場の人とのコミュニケーションに気疲れしてしまい、特に飲み会の次の日には無性に死にたくなることが多かった。
今では会社の人とはプライベートでは極力会わないように気をつけている。
自分はだったら失敗せずに上手くやったんだろうなと思っている。
小学生だか中学生だかの男の子が自殺した、というニュースを見た
一緒にニュースを見ていた祖母に、悲しいからお前は自殺なんてしないで頂戴ね、といわれたのを覚えてる
割りと年齢の近い子の自殺だったというのも一因だったと思う
それ以来、何となく寿命を全うして逝こうと言う気になれない
A高校以外認めないという親類縁者一同からのプレッシャーの中での高校受験期(結局A高校に受かった)
センター8割取れなくて志望校E判定の大学受験期(結局前期に受けた第1志望と私立は全部落ちて、後期に受かった大学に入った)
内定取れなくて6月頃まで就活していた時(同業の人からも「そこはやめたほうが…」といわれるところに内定決まった)
そう言う人生の節目じゃなくても、卒論の中間報告の前日とか、審査稿の提出の前日とか、ピアノの発表会の前日、嫌いな習字塾のあった水曜日、何故か勝ち上がっちゃった水泳大会の日…
そういう些細なことで死のうかな、と思うようになった
小学生の時のタイムカプセルが送られてきたけど「まだ生きてるの?何が楽しくて生きてるの?この先も本当に生きていて楽しいと思うの?」なんて言葉が出てきた時には笑った
早期発症の厨2病を10年以上引きずってるようなもんなのかな
小学生時代にははさみで足を切ったりしていた、中学時代にリストカットをしては見せびらかすことが学年で流行っていたのを幼稚な人たちだなと思いながら結局自分も影ではリストカットを繰り返していた。
高校時代には具体的に死ぬ方法を求めて自殺マニュアルとか自殺のコストとか南条あやとか買って、そこからネットにハマって、自傷行為を繰り返す日記をつづっている人たちの日記を読んだり、たまに掲示板なんかで全然関係ない趣味の話とかしてた
大学に入ってからは一人暮らしを始めて結構楽しくやれていたと思うのにやっぱり折に触れて死にたくなる
別に生きているのが辛いとかそう言うことは全然ない
自分の人生に頑張って乗り越えられない壁は今のところなかったし、多分これからもそこまでの壁はないんじゃないかと思う
まぁ、非コミュだし、デブス喪だし、性格悪いし、どもりだけど、これまで何とかなったんだし。
でも、ただ、なんか死にたい
別にうつ病とかじゃないと思う。食べ物を食べて美味しいとかまずいとか思うし、眠くなるし、面白い映画見れば笑うし。
続きが気になるドラマとか、行きたい場所とか、食べたいものとか、世に言うところの未練もたくさんある。
長女だし両親の老後とか、祖父母の老い先だとか、あとは妹の大学受験とか就職とかも気になる。
でもやっぱり「確実に死ぬ方法がありますよ」って言われたら迷わず死ぬと思う
「大学生の自分」は想像できていたけど「社会人の自分」は想像したことなくて、ぶっちゃけ今でも想像できない
何となく、今が節目なんじゃないかなと思ってる
今を乗り越えたら、多分そのまま「世間並み」を目標にしてそれなりに生きていくと思う
でも、乗り越えても大していいことなんて無いよね