はてなキーワード: しづとは
零細企業である俺の職場にて、経理 兼 営業のサポート職って扱いで入ってる人が入れ替わったんだけど、
前任者だったら、こちらの動きを先読みしてあの資料やこの資料を用意しておいてくれたのに…
前任者だったら、俺が月に一回の集金訪問をうっかり忘れていた時に「○○さんの集金、もう行きましたか?」って確認してくれたのに…
もうほぼ経理専業の人になっている。
個別の事案ごとに毎回「あーしておいてほしい」「こうしておいてほしい」って言い続けるのも疲れた
前任者だったらそんなこと言わなくても、こっちがちょっと驚くぐらいの準備を整えていてくれた。
そうやって今はいない人を理想化してそれと比べるのは良くないことだと思うんだけど、
とにかくため息が止まらないんだよなぁ。
はなれていくホロライブ2
論文などの書き方と同様に、この怪文書の主軸として貫かれる結論を最初に提示しておく。
となる。
まず本文を始める前にVtuberとはなにかという認識を共通させておきたいと思う。
以下は自分個人の認識であり、またこの認識を前提として怪文書を記載していく。
なおVtuberを知っているという飛ばして読んでも問題はないし、
また私より詳しい方々は記載内容に文句もあったりするだろうが、そこは見逃してほしい。
・Vtuber
正式にはVirtual Youtuber(バーチャルユーチューバー)。略して現在はVtuber(ブイチューバ―)と呼ばれる。
基本的にはキズナアイを始祖として、イラストや3Dモデルを使い動画や生配信を行う配信者たちのことを総称している。
Youtubeなどでの動画配信を行い収益を上げて当時話題となっていたYoutuberに対して、
キズナアイが自分のことを「バーチャルユーチューバー」と呼称したことが始まりとなる。
※ただし、伊達杏子などのバーチャル上でタレント活動を行う存在や、ウェザーロイドなどの3Dアバターを使って動画配信を行う存在は以前からあり、
ニコニコ動画ではモーションは無いながらもイラストのアバターを使ったり、ゆっくりなどを使い配信を行うといった形式も既に存在していて、
またVRChatで自作の3Dアバターを作っていた人たちも散見され、現在のVtuberの萌芽・類似する表現は既に存在していたと言える。
キズナアイは「バーチャルユーチューバー」という呼称を作り、その存在を一つの確固たるジャンルとして確立したことが貢献として大きいと言える。
当初におけるバーチャルユーチューバーという存在は、3Dモデル・声・アクション・ゲームはそれぞれ別々の人間が担当し、
バーチャル空間でYoutuber活動を行う仮想の存在として、「設定から話す内容までプロモートおよび演出されたタレント」であり、
理想をかき集めた存在であり、美しい3D・機敏なアクターの動き・プロゲーマーの腕前、声優の可愛らしい声・脚本家によって計算された台本という具合に、
・初期Vtuberたち
次第と3Dモデリングを使いYoutubeやニコニコ動画で動画配信を行うバーチャルユーチューバーを名乗る配信者が出現し始める。
2017年から企業および個人で3Dモデルを用意したものが登場し、富士葵やばあちゃる、のらきゃっとなど様々なVtuberが誕生するが、
主にバーチャルyoutuber四天王と呼ばれる以下のVtuber達が人気を博した。
・電脳少女シロ(2022年現在も活動中。TV番組「ガリベンガーV」などに出演している。) ・ミライアカリ(2022年現在も活動中。) ・輝夜月(企業と演者間で確執があり配信終了。) ・バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん(引退し、チャンネルをマルチチャンネル化。)
この中で最も異質な存在であり、現在のVtuberに大きな影響を与えたのは「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」と言っても良い。
「バーチャル美少女受肉(バ美肉)」を代表する存在としてVtuberの知名度を上げたこともあるが、それよりも大きな要素がある。
一つに演出され切っていない生身の人間の要素を動画で見せていたこと。
この二つを持ちながら人気を得たことによって、Vtuberの裾野が大きく広がり、
結果としてVtuber多くの参入者を呼び寄せた大きな要因となったと言える。
この辺りは後記する「リスナーと近いvtuber」でより詳しく触れるため、ここでは重要であったことを記載するにとどめておく。
・アイドル部およびゲーム部(企業:.Live)
3Dモデリングのアバター、および企業によって演出された動画配信、
という点でキズナアイの生み出したVtuberコンセプトを正当に受け継ぎ、進化させたのがアイドル部・ゲーム部だったと言っていい。
また企業ごとに一人だったVtuberをグループとして売り出して、
グループでVtuberをタレント売りし「関係性売り」するという基礎を作った点が大きい。
一時期にはもっとも人気のあったVtuberグループであったが、
・にじさんじ(企業:旧いちから→現えにから)
当時「3Dモデル」での「動画配信」が主流だったVtuberから、
「Live2D」などの一枚絵・イラストで「生配信」という大きな転換を行い、
現在のVtuberの主流となる形式で売り出したという点でVtuber界における大きな一里塚を造った。
比較的簡単に高品質に見える質を作り出せるLive2Dを使うことにより、
また生配信という「矢継ぎ早に次のコンテンツを供給できる」という特性によって
「月刊より週刊、週刊より日刊」といった供給の多さも相まって主流となる。
一部では3DではなくLive2Dであったことに「割りばし絵」などと呼ばれるといった批判もあったが、
むしろアニメやゲームに近い表現であったことが一般的なオタクにリーチして受け入れられていったと言える。
特に月ノ美兎のようなクリエイティブな配信者を起用して「目新しい動画・配信」を供給していくことことで
それまでニコ生のようなオタク文化的な動画をを見ていた層に売り出すことができたことで、
Vtuberが当時のオタク層へと強く広く浸透していく礎となったと言っても過言ではない。
またアイドル部と同様に期生やSEEDsといったグループ売りをしていくことで、
・ホロライブ(カバー)
カバー株式会社は四天王時代から「ときのそら」をVtuberとしてプロモートしていたが、
Vtuberグループ売りとしての「ホロライブ」はにじさんじから数カ月遅れることになる。
「ホロライブ」としてはにじさんじの成功を受けたのかLive2D生配信を主体として、更にグループ売りをもった形式でデビューをしていく。
当時は男女の交流が当たり前だったVtuber業界で「女性のみ」のグループとして開始し、
初期こそ外部の男性と絡み、ホロライブサマーなどのエロ売りなどもしていたが、次第と「アイドル売り」へと専門化していき、
音楽ライブ配信を始め、Vtuberの中でのAKBや乃木坂的なポジションとなっていく。
ただし、その結果として「女性アイドル」として醜聞となりかねない男性との関わりは切り捨てていき、
例1:27とJK(社築{にじさんじ男性Vtuber}と夏色まつり{ホロライブ女性Vtuber}) https://www.youtube.com/watch?v=d_K1fJD5-CE 例2:大空家コラボ(舞元啓介{にじさんじ}男性Vtuberと大空すばる{ホロライブ女性Vtuber}そしてしぐれいうい{イラストレイター個人Vtuber}) https://www.youtube.com/watch?v=ZVhMFyc8DrUといった当初では人気であった男女交流を前提としたでのVtuber配信は少なくなり、
一般的なVtuber活動からホロライブは「離れていく」ことになっていった。
一部で男女での交流は残っているが全体としては避けられていっている。
例:みこ「ホロスタとのコラボは……無い、かなぁ」 https://vtuber-matome.com/vtuber-1704-8329.html
・Vtuber総
Vtuberはキズナアイが作り出した形式から様々な変化を遂げて次第と受け入れられていった。
しかし、どれだけ変化しても、総じてVtuberに共通することとして
~~~
簡略的なVtuberの解釈と、これまでの発展の流れを記してみた。
流れまで記載したのは、Vtuberと言うものが昔と今では大分違っているため、
どこかで離脱した人や殆ど知らない人には説明が理解しづらい物であるからだ。
(というのは建前で、貯えた知識や解釈の捨て所がなかったたために、ついでだからと書いたというのが本音だ。)
なんで軽く見えるかと言えばまず「なななんてことを!」みたいに成幸が動揺しながら言ってるのがまず良くないと思うよ。
軽く見えることをよくないことだと君も捉えているんだろうなって思ったよ。良い悪いは別と後から言ってもその印象はぬぐえなかったんだろうね
仮に作者が軽く見せ「たかった」のであれば、それらは手癖じゃなくてテクニックと称するべきでしょ。作者が本当はどういう気持ちだったのかは知らんがな
ワードチョイスの一つ一つから、君はこれらの描写が軽く見えることをよくないことだと思っているんだなとジャッジされているんだよ。
たかがガキがスカートめくったくらいでギャーギャー言う奴(しかも漫画の中!)のお仲間と見られてるわけだ
蛇足だけど君がリンク貼ったノートは性暴力とまで表現しているが
スカートめくりに性暴力と名前を付けてそういった「軽い」描写がしづらい風潮を作り出そうという意図が感じられるんだけれど
あれも性暴力、これも性暴力といった風にしていくと、オタクたちは開き直って「性暴力大好き!」と公言するようになるんじゃないかと思ってるよ。オタクの悪乗りとかキモチキンレースみたいな習性考えたら十分あり得る話と思うけどね
まあそうなっても俺は困らないけどね。しーらねっていう話だわ。俺がレイプされるわけでもないしな
ごく一部でこんな話題があった
https://togetter.com/li/1861407
昔は「単位はいらないが勝手に授業を聴講している人」が大学に沢山いたが今や犯罪者みたいな扱いになってて悲しい
https://togetter.com/li/1863680
「学費と知は等価交換してはいけない」大学の講義に潜ることに関して、大学教授の意見→同じ教員や潜った経験など様々な感想が集まる
これについて、ちょっとだけ書いてみる。
これにはこんな事情があると思う。
他だと規制されてるところがあるんだね、って感じ。未登録受講者とか言われてた。
単位取得制限(CAP制)があって、この大学では年間42単位までしか履修登録が出来ないので、それ以上はそもそも登録できないんだよな。
そうなると、履修登録は、まず落とさない鉄板の講義をしっかり登録するってことになる。難しいという噂だけど受けたいとか、他の学部だから何かあると参加しづらい講義とかは履修登録せずに受ける、という事が結構当たり前にやってた。
卒業要件では、自分の専攻と、同一学部の必要単位数は決まってるけど、それ以外はなんでもいい枠がある。なんで、自分の学部以外の授業もとることは出来る制度はあるっぽいんだが、これをやってる人は俺の周りではいなかった。
という訳で、学内でのモグリ行為は完全に黙認されてると思う。たとえば
学外の人がモグリで来てるのは見た事が無いかも。たぶんいるとしてもしっかり隠れてると思う。
講義室は基本的に鍵がかからないし、出入り口も自由。門扉には警備の人がいるけど、キッチリ止められるのは車だけ。だからいたかもしれない、が、学習支援システムを使って講義資料なんかが配付されるんんだが、これは公式のIDがないと入れないので本当に聞くだけになっちゃうんじゃないかと思う。
あと、正規の地域の大学全部が相互単位認定制度があるのも関係しているかも。
地元の大学の中で、それぞれ特色のある講義は相互に履修できる制度があって、申請すると受講が出来るようになってる。有料だけど。利用してる人知らないけど。
それから、聴講生制度があって、殆どの講義が対象になってた。1講義8000円とかで受けられる仕組みがある。一部は高校生も受けられる。
こう言う正規ルートがあるので、かえって学外の人はモグリやりにくいんじゃ無いかと思う。
オンライン講義。これ、学習支援システムで動画へのリンクがついたり、MeetやTeamsの参加アドレスが配付されるようになったんで、学外の人は完全にモグリできなくなったと思う。
一方、学内の場合はアーカイブされた講義が受け放題になったんで、とってない講義も定額見放題になったからモグリはやりやすくなったと思う。
タコピーが何だったのかという点の説明が無さすぎたので作者がタコピー(マッチポンプメサコン野郎)に思えてしまった
勝手に手出しして勝手に自己犠牲して勝手に解決して勝手に「ありがとう、バイバイ(笑泣)」って何なん?
メンヘラを救おうとしたら死ぬ覚悟での対話がが必要ってことが言いたかった…?
のであればわからんでもないけど…うーん
毒親持ちに介入する「お節介さ」(これは作者が家庭問題をモチーフとして表現に用いることを含む)に対しての自己批判が無いというか
いやそれが原罪?詳しくないけど原罪って死ねば解決すんの?救われてはないの?
確かに死で報いは受けてはいたんだけど、結局タコピーの行いは肯定されていた(友達できました&親の悪口言いつつも何とか生きられています、は割と穏当に落ち着いていたハッピー性の表現だと思う)のが納得行くような行かないような微妙な気持ち
結局タコピーは天国に行けたのか地獄に落ちたのかって描写がされなかったのがモヤっている
(天国地獄というのは概念としての話。罪というからにはどちらかに行くのがケジメでは?
(例えばハッピー星で今回の件を怒られるとか怒られないとかそういう描写)
喩えとして出すのが適切かは分からないけど
クジラックス作品のロリコンは逮捕されたり裁判されたりはする(ことも多い)(≒地獄描写がある)じゃないですか
何かそういうアレです
ハッピー星人=他人を救おうとする存在=そもそもエゴだよね=原罪 ってことかなぁ
タイトルがそういう意味ならわからんでもない(けどそれを読み取れと言うならちょっとでもいいから解説欲しかったな)
わざわざ言うのは野暮、自発的に気づかないと意味ないってことならそれもわからんでもないけども
上記に関連するけれども、タイムリープとハッピー星の存在の背景とか、結局タコピー何者だったん?とか
ハッピー星人の生態?とか、タコピーがハッピー星人の中でどういう特性があるのかとか
宇宙人がいることとか超常現象が起きることは全然ファンタジーでいいんだけど、ファンタジーなりの理屈(SF的な)が欲しかった
商業的に思想出せなかったなら同人誌で補足が欲しいまである…(何となくだけど作者あんまりそこに興味無さそうな気がするし、仮に作者がやりたくても契約関係で出来無さそうな気がする)
尺の問題と言われればまぁ…納得だけど個人的にはそこが一番見たかった
「しずかちゃん」という名前といいハッピー道具といい、ドラえもんリスペクトとおもわれる要素があったのでなおさらSF描写期待してしまっていた……
時系列解説するような多少メタ視点キャラが作中に出てきて欲しかった…
(無理に作中に出てこなくても、単行本とかに後出しで解説補足されたりしたらそれでもいいけど、これもイメージだけど作者があんまり作品外で語るの好きそうなタイプには思えないので)
東くんは兄と仲良く喧嘩できてて友達とゲームできてて、しずかちゃんとまりなちゃんは親の悪口言いながら何とか生きてるみたいな落とし所は別に悪くはないし、よかったと思う
ただもうちょいモンスター映画みたいなラスト(最後にニョロっとリアルなタコの触手がフレームインするみたいなやつ)の方が個人的な好みではあったんだよな…
B級でもいい、コズミックホラー要素が欲しかった(タコモチーフだし)
そうじゃなきゃせめて虐待描くならば描くなりに、教師とか警察とか児童相談所とかの大人&社会要素が欲しかった…
※この辺は某方の「虐待描写のリアリティ」noteが詳しいです
話題性がTwitter露悪好きサブカルお気持ち論壇的にウケたんだろうなぁということは分かる
狙ってなかったバズりだったのだとすれば、今後の書籍の売上次第ではWeb漫画マーケティングの成功例として参考にはされそうだなと思った
タコピーが作品名でもありキャラ名でもあり固有名詞であり、なおかつ表記揺れしづらいのはSNSにおけるWeb漫画のトレンド入り的な意味で大事な要素だよなぁ…狙ってやってたなら凄すぎる、担当者優秀だ
今(更新日の明け方)見たらおすすめトップに公式の更新告知ツイート表示されてたし、Twitterのプロモーションも出してるし、こないだのYouTubeの単行本CMといい少なくとも現時点でSNS宣伝費にそこそこお金出してるのは間違いない
商業作品としてはちゃんと売ること・完結させることがなによりも優先されるべきだと個人的には思うし、説明不足に感じた点はあったにせよリアルタイムで追えて楽しかった
更新頻度とか連載期間とか…或いは打ち切りとかも…紙のジャンプがアンケートで諸々決まってるみたいにPV数とかTwitterトレンド入り具合とかに左右はされてるんだろうけど
この辺の采配や裏の仕組みが分からないから実際尺不足だったのかどうかとかはよく分からん
バズった→上下巻で書籍化決定(それが一番売れるという判断があった?)→構成に影響
みたいな事情がありそうな無さそうな…
上記の補完コミの映画化されるなら凄く見たい、作者は絵コンテだけ監修してもろて、監督と脚本はベテランの別の人がいいです(誰と言えるまで詳しい訳ではないが、例えば新房昭之ででっかいスクリーンでドアップでシャフ度になるしずかちゃんとかオタクは見たくない?私は見たい)
とにかく丁寧なアニメ映画として見たい感はめちゃくちゃある
見開きページとか表情のアップとか
とにかく絵面での演出が過多に思えるくらい盛り盛りなので動画映えしそうだな〜という感じ
実際作者も映画好きという情報は何かで見たし、好きかつ得意なことなんだろうなぁ
アニメ映画化したら観に行きたい(実写映画化したらそれはそれで一周回って見たい。そして邦キチで取り上げられて欲しい)
CM動画は良かった(聴覚情報としてきゅうべぇ感強いタコピーボイスにはテンションが上がった)
(忠実な原作再現動画が見たい訳ではなく、説明不足に感じた点に関して別の人の解釈や補完が入った再編集版が見たいという意味で)(あと仮にタイミング悪くて何かの事件とかと被ると放送に影響しそうでそれも何かヤダ)
→わかる。
→わかる。
どこがどう期待外れだったか、何を期待していたのか長文で言語化してくれ〜今後出てくるであろうオタクの長文にめっちゃ期待している
→わからんでもない。
確かに着地点に意義はないんだけど
説明不足感がね…
→気持はわからんでもない。
男女カプ好きにはきつかったかもねぇ…
→おちつけ。
期待外れって言ってる人の期待ポイントなんだったか確認してから言ってくれ…会話が大事だっピってタコピー言ってたじゃないか…
→なんかちょっとわかる。
けど単行本上下巻出たら、サクッとKindleか何かで買って読んでも別に損はしないんじゃないかなと思いました
少なくとも商業漫画として1000円ちょいの価値は間違いなくあると思うので…
絵が好みじゃないなら無理して履修しなくてもいいとは思う(良くも悪くも漫画という媒体にしては詰め込まれている情報量が多すぎる感はある)(だからこそ個人的には動画で見たい)
SNSに溢れる感想で食傷気味になるのはわからんでもないが、最近の「親ガチャ」論とか毒親のトレンド(?)ありきでの作品なのであんまり何年も寝かせすぎず、2022年中くらいに履修しておくのが良いのではないでしょうか
(或いはメディアミックスの続報が出て更に嫌になる前に……)
主人公(褪せ人)と物語の聞き手(プレイヤー)の立場が一致してないのが原因だと思う。
主人公がその時点で知り得ないはずの情報をアイテムの説明欄に開発者目線の注釈(フレーバーテキストとか言うらしい)として分散させて、
舞台設定をチラ見せする要素が大部分を占めているせいで感情移入しづらい構造になってる。
自由に散策する体験を売りにしてるゲームが、能動的かつノンリニアに情報を集めて少しづつ理解していくナラティブを採用するのは理にかなってはいるけれど。
モチベーションを掻き立てるシチュエーションや成し遂げたあとの達成感に即した物語を、難題にチャレンジする主人公とプレイヤーが共有できなきゃ意味がないんだよ。
兄嫁つまり義理の姉のツイッターをうっかり見つけて勝手に覗いてるんだけど
結婚を期に働いてたブラック企業を辞め、夫(私の兄)の勤務地についていってパート勤務し、一昨年子どもが生まれて退職
この状態で子どもを育てていると、子どもがいること、子育てをしていること以外に社会とのつながりとか、存在意義を見いだせなくなるのか
夫の会社の社宅暮らしで地元でもないので知り合いは少なく、コロナもあって交流しづらいのもあると思う。
独身や子無し家庭に対する見下しというか、子どもと常に1対1で過ごし子育てをしている「母親」が一番大変でかわいそうなのだ、みたいなツイートへのいいねが増えてて怖い
もともとツイート数は多くないから思想の変遷は「いいね」でなんとなく察している
「子育てのこういうところが大変だ」みたいなツイートへの共感いいねもあるけど
子育て大変だけど独身やすぐいらん口出してくるジジババにこう言ってやったor親しい人(夫、義母、実母等)がこう言ってくれた系スカッと話の中でも独身を過剰にdisった書き方してるものとか
「独身がこういうこと言ってくるんだけどこっちはお前らが持つことのできない家庭の温かみってのがあるんだよねw」とか
そういう独身disってマウントとって自分の優位性とか子育てしている自分の社会的な存在意義をなんとか感じようとしているのが見えてつらい。
こういう他人を見下さないと生きてけない母親に子育てされてる姪っ子を思うと・・・だし母親を孤独にしないってのは虐待防止以外にも本人の精神衛生上必要なんだろうなと思った
あと自分も独身だから義姉はそういう目で私のこと見てるんだなあと思ってしまった
気を使わせたら申し訳ないと思って言ってないけど抗癌剤治療してるから子どもは産めないし、そもそも子ども欲しくないし、同性愛者だからさ。
この辺全部カミングアウトしたときの義姉の反応は見てみたいなあと思う。しないけど。
以下追記
・どうやって見つけたの?
→結婚前に兄が実家のパソコンでツイッターをしていたのでそこから兄アカウントを発掘
兄と相互フォローになっている人の中で発言などから兄嫁(当時は彼女)と思しき人を発見
うっかり自分のアカウントが見つからないように先にブロックしてたまに覗いている。
兄は私にアカウントバレてるのに気づいてて、兄嫁もそこから芋づるで見られてることに感づいてる可能性は大…😊
私が見ている可能性を頭の端に置きながらそういったツイートにいいねをしている兄嫁😊
・育児手伝ってやれば?
あと正直子ども(姪っ子)可愛いと思ってないので近くにいてもそんなにしたくない。
世に生を受けた子どもたちは虐待などされず、すくすく元気に育っていって欲しいと思ってはいるけど私が育てる側に回っても虐待しそうで無理。
友達の家の猫ちゃんやワンちゃんが可愛くても飼わないのと同じ。面倒見れる気がしない。
写真送られても身内贔屓も感じずとくに可愛くないから、嘘言うのも嫌で一度も可愛いって言わず「立てるようになったんやな〜」とかしか言わなかったら兄からも義姉からも写真が送られてこなくなった😊
嘘でも言うべきだったんやろな…。かわいくないからと言ってお年玉減らしたりとか意地悪したりはしないよ。ただ身内の子どもだなあ、と見てるだけで。
先日増田でヤフーの退職エントリを久々に見かけたから、懐かしくなって自分も書いてみようと思った。
こちら→ https://anond.hatelabo.jp/20220313111358
理由は主に3つあって、
といった感じです。
これは大半の退職エントリに書かれているので私が書くまでもない気がしますが、日系Web最大手というブランドに期待するとナカナカ渋いです。
若い子ほど待遇には不満を抱えていて、本当に優秀な子(エンジニア)は新卒3年目くらいに1200万とかで外資に引き抜かれてる現状。
それを目の当たりにしたソコソコの子も触発されて転職活動するんだけど、スタートアップあたりに600-700万くらいで軟着陸するパターンが散見される。
私は470万くらいで入社して、毎年50万ずつ伸びて620万くらいまで行きました。
毎期昇給していたのは、かなり恵まれていた方なのではと思います。それでも、牛歩カード使われた時の気分で働いていた気がする。
ヤフーの給与体系はグレード制で、グレードが上がると100万くらい一気に伸びるケースもあるんだけど、会社や組織の業績や昇給原資、他社員の成果との兼ね合いがクリアされないと上がらないので、「能力的には上げれるんだけど、タイミング悪いから、無理なんだ。ごめんね。」と2年くらい言われ続けており。。
自分が入社する直前まではわりとイケイケだったことを知っていたので、急に渋くなってしまったのは残念だった。ただただ運が悪かった(それ以前に、私に圧倒的技術力が無かっただけですね)。
でも、自分の仕事量を調整できる環境だったので、残業は月に10時間未満でした。有給も毎年ほとんど使い切ってた。
かつ、年間12万の技術学習費用がもらえたり、オフィスが綺麗で備品も充実していたり(付箋やホワイトボードを沢山使わせていただきました)、社食やカフェがオシャレだったり、社内コミュニティが活発だったり…(最初のやつ以外、コロナ禍で恩恵なくなりましたが)。
今は外資系ITで同じくデザイナーをしていて、1000万届かないくらいです(残業代が全額出るので、月40時間働いたら超える(今は月平均25時間くらい))。
平社員のデザイナーにもそんなに出してくれるんだーとか、1000万てヤフーじゃ部長になった上でソコソコ成果出さないと到達しないんじゃなかったかなーとか、ちまちま昇給すごろくから抜け出せてよかったーとか思います。
これは所属によると思いますけど、自分が居たところは20代前半〜半ばの子が中心の組織だったので、30代前半の社員は結構割を食ってたと思います。
まだまだ自分のスキルも伸ばしたいのに、マネジメント中心の業務だと、業務外で頑張るしかないので…
はやくマネージャーやりたいんじゃ!という人には最高の環境だったのかもしれませんが。
それでいて昇格も渋いとなると、居続けるのは最適解ではないのでは、と考えてしまいました。
今の会社は平均年齢が10歳くらい高いということもあって、一緒に働く人が50過ぎとかの事もよくある。
そんな老兵と一緒に働くの、嫌だという人も居るかもしれませんが、50までプレイヤーで生き残ってる人、プレイヤーに舞い戻ってきた人は滅茶苦茶に優秀かつタフです(n=8くらいですが…)。
その分緊張感も高いけど、今のところ楽しめてる。
その分雰囲気堅いのかというと、意外と毎週どこかでzoom飲みが開かれてたりする。ワイワイしてて楽しい。
私がいたところは出来て7,8年くらい経っていたので大部分が定型化していたし、個々人の役割がハッキリしてた。
それはそれで良かったんだけど、去年も今年も同じことやってるな〜となると、飽き性の私は停滞感を得ました。
ただ、仕事のプロセスは他組織で実績のあるフレームワークを採用しているから最低限の安心感があるし、その上で手を挙げれば職種に縛られず何でもやらせて貰えるので楽しめてます。
英語での商談にいきなり出ろって言われてテンパる時もあるけど。。
あとは、前から憧れてた本国のプロダクトチームの開発風景を傍観できたり、ナレッジシェアのセミナーに日本からも参加できたり(英語話せないので、聞いてるだけですが)、情報の収集元が日本1カ国から世界200カ国くらいになるのは楽しいです。
あります。
以上です。
30後半〜40前半でも転職するんだろうけど、次はどこに行けば幸せなんだろう。
終の住処とは。
学生時代、よく「お前はマゾだよな」みたいな話を呑んでる時にとかに言われた。
どんなふうに思われてるのか知ったこっちゃないし、詳しく聞くのも嫌なので笑って済ませていたのだが本当は言いたい。お前の勘違いだ、と。私はナルシストのドSなんだ。
お得なんだナルシストのドSは。自分がひどい目にあってるのもゾクゾクするんだ。逆にひどい目に合わすのもゾクゾクするんだ。ドSだから。
結局どちらも私のコントロール下にあってこその快楽なので予想外の事はされたくないししたくない。そんな奴をMとか言えるか?言えないだろう?
と、思っていた。だが、ある街のその界隈で有名な女王様とお話をする機会があった。
酔っていた私は上記のような事を話した。それを聞いた女王様はこう返した「増田さんと同じことを言うお客はいっぱいいるよ」と。
なんなら「そんな事言ってる奴をなんにも思い通りにさせないようにしつつ満足させるのが楽しい」とまで言っていた。
でも何十年前の「侵略戦争」とはインターネットと電子決済が違うじゃんよ
グーグルとワールドワイドウェブを握ったまま選挙制民主主義政治ができてる時点でアメリカは絶対正義だよ
選挙で負けてるはずだった人がいつのまにか一国の憲法改正しまくらちよこ、ウエブ検閲しまくらちよこ、
人数でいえばアメリカ中国インドなんかより日本=ロシア 韓国=ウクライナのサイズ感なのにこのザマ
ロシア民にもそっぽ向かれまくり、そりゃそうだメルカリ的にネットで個人でつくったグッズを海外に売って稼ごうとおもってたロシア人も、海外からサイト制作請け負ってたロシア人もいきなり何~にもできなくなっておまえら首、その上に大統領さんはこれから戦争税を納めていただきますまずは2兆円!だってさ、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20220314-puyogo/
どうやら毎回、ルールわからんと言っている人が引っ掛かってるところは同じみたいだから、それをQ&A形式で解消してみようと思い、書いてみる。
ツリーで会話していてこれが先にあった方がわかりやすいかもと反省したので載せる。
・囲碁はゲームが進むと、盤面が石だらけになる前に、どちらがどこに石を置いても互いの得点を一切増減させられない、いわば定常状態というべき状態に陥る。
・この状態に陥ったことを、両プレイヤーが納得し、そのことに合意をしたらゲーム終了。
両者が終わることに合意をしたら。
これを曖昧なルールだと考えてしまう人も多いが、決して曖昧ではない。お互いが同意したら終局できる。これは客観的に判断できる立派なルールだ。
たとえば民法にも「同意を得て~」みたいな定めがある。これを「同意とはなんて曖昧な!これは法の不備!」と思うだろうか?思うはずがない。
囲碁も民法と似たようなものでお互いが合意をしたらOK。シンプルかつ明示的で客観的に判定可能な終了条件だ。
これをもっと明示的にしたものが「お互いが連続でパスしたら終わり」というものだ。
それなら片方が絶対にパスをせず、終了に同意もしなければどうすると言う人がいる。
当然、それならば続けることになる。何の問題もない。
片方が延々と同意しなければ?
盤面は有限なので、千日手になるような例外を除けば、一時的に石がとられることはあっても大局的には盤上の石の数は増えていく。
やがてどちらかのプレイヤーにとって全ての点が【着手禁止点】になる瞬間が来て、ルール上選択できる行動が「パス」しかなくなる。
そうすると相手もパスをして試合終了になる。この戦術で延々と試合を引き延ばし終わらせなくすることは不可能に近い。
ルール上ではなく戦略的な意味で、いつ相手に対して終わりを提案すればいいのかという疑問を持つ人もいる。
あるいは提案された場合、合意してよいかどうか決める判断基準は何なのかという人もいる。
これらは至極もっともな疑問だ。
回答としては、基本的には、もう打つ手がないなと思ったら終わりを提案すればいいんじゃないか、というものになる。
打つ手がないというのは、「これ以上どこに打っても、一点すら相手から奪うことはできない」ということだ。
次の節でも説明する予定なのだが、相手が十分に上手な人の場合、既に相手の石に囲まれている場所に対してちょっかいをかけたとしても、一点たりとも自分の得点をプラスにすることはできないことが予想される。
そのため「全ての場所が、どちらかの石に囲まれた陣地となっており、しかもどの陣地にも一切隙が無いように見える」のであれば、それ以上やることはないので終わりを提案すればいいし、相手もそれを受ければいい。
これに対して、「いや相手がミスすることを期待して打ち込む手もあるじゃないか」「本当に隙が無いかどうかはわからないじゃないか」と反論するのであれば、それならばどうぞ気の済むまで続ければよい、としか言えない。
ただ、将棋で詰み筋が明らかに見えている場合に真の詰みまで指さずに降参するように、囲碁でも延々と粘るのは行儀がいいとは言えない。
実際、プロとかある程度囲碁をやる人同士でやった場合、そもそも終わりの合意とかまでいかずに降参によって勝敗が決することも多い。
そういう武士道ないしマナーみたいなものは確かにある。でも、それはマナーであってルールじゃないから、どうしても粘りたい人はルール上可能な限りいくらでも粘ればいいと思う。
そんなことはない。
囲碁のルールには着手禁止点というものがある。これは、「置いたその石がただちに相手の石によって取られる状態になる石は置けない」というものだ。
(ただし、自分の石が相手の石を取れるかどうかの判定の方が先。カードゲームとかで効果の発動順みたいな概念に慣れてるとわかりやすい)
相手の陣地に延々と手をかけたとしても、相手が適切に対応している限り最終的には「相手の石が囲んでいる1マスの空間」だらけとなり、その位置は着手禁止点であるため、それ以上手を出せなくなる。
でもそれで相手の陣地を極端に減らせたわけだから、ちょっかいを出す価値はあるんだと思うかもしれない。
しかし囲碁の得点というのは、自分の陣地の数に、相手の石を取った数が足されるので、実は意味がない。
相手の陣地に割って入った石は、相手が適切な対応をしている限りいずれは取られる石であるため、相手の得点源になる。
囲碁はパスがなければ両者が交互に打つ。自分が相手の陣地に割って入れた一石が相手の得点源に。相手がそれに対応するために打った一石が相手の陣地を削り。
したがって、相手の腕前を十分信頼しているのであれば、相手の陣地に隙が見えない時点で、もう打っても意味はないと判断することができる。
もちろん経済学的に最優の方法はそれでも相手のミスを期待することだろうが、そこはマナーということで良いのではないか?
それすら受け付けられないのであれば本当に残念だが囲碁に向いていないと言わざるを得ない。
陣地と呼ばれうる概念は少なくとも2種類、多くて4種類くらいある気がする。
少なくとも、終局時に得点計算に使われる「陣地」と、対局中の「陣地」は分けて考えたほうがいいかもしれない。
終局時の得点計算は、以下の3つの数を合計することで計算される。
・1個以上の自分の石と、0個以上の碁盤の辺のみに囲まれた、石の無い場所の数
・後手のみ、ハンデとして6.5点(囲碁は先手が有利であるため)
これが得点のルールだ。どこにも曖昧なところはない。この1つ目の点が「陣地」と呼ばれうる。(正式には「地」という)
一方で対局中に「陣地」と呼ばれうるのは、「だいたいこの辺はもう手が入れづらい」と考えられる場所だ。
前の節で説明したように、自分が手を入れても、おおよそ無駄になるだろうなと思えるような場所が、相手の陣地。
逆に相手にどれだけ手を入れられても、まあだいたい上手く返して見せるぜと思える場所が、自分の陣地。
(あるいは、「終わりまで進めばおそらく得点源となっていることが期待できる場所」ともいえる。この2つの意味での「陣地」の場所は概ね一致する)
しかしここは曖昧でも全く構わない。なぜならこの意味の「陣地」はルールに関係してくる部分ではなく、あくまで戦略上参考にする概念でしかないからだ。
得点計算の際の「陣地」はルールで定義された客観的な概念であり、対局時の「陣地」は戦略上の概念。別物だ。
別物なのだが、対局中の意味での「陣地」が、終わってみれば得点計算の意味での「陣地」とほぼ一致するので、混同の原因になっている。
なぜなら対局中に石で囲まれている、あるいは囲まれかけている、あるいは石がたくさんある場所というのは、手を出しづらい場所であり、手を出しても意味がないことが多く、そして最終的に得点計算の際には石で囲まれていて得点源になることが期待されるからだ。
囲碁は最終的には得点を相手より多くすることが勝利条件のゲーム。
そのために、得点計算における得点源にするための「陣地」の数を稼ぐ必要がある。
そのために、対局中はうまく石を配置して、相手にとって手が出しづらく最終的に得点源を構成することが期待される「陣地」の領域を増やす。
こう考えるとわかりやすいのではないだろうか。
一番上に挙げたのとは違う記事で、「開始直後に真ん中に石を置いたら全部自分の陣地になるから囲碁はルール不備」みたいなコメントがあった。(言い回しは覚えていない)
これに色々な勘違いが集結していると思ったので、例にとって考えてみよう。
まず、「開始直後に真ん中に石を置いた状態」で、ゲーム終了の合意を行う相手プレイヤーは普通はいない。
したがってここでいう「陣地」は得点計算の際に参照される得点源としての空間、のことではなく、対局中に参照される戦略的な意味での領域のことを指すとしか考えられない。
そうであるならば、「真ん中に石を置いた状態」で、盤上任意の位置に相手が手を出しづらくなったとは考えづらく、「全部自分の陣地になる」は間違いであるとほぼ断定できる。
また、仮に、相手プレイヤーがたまたま何らかの理由で、「開始直後に真ん中に石を置いた状態」で終了に合意したとする。
この場合では「陣地」は得点計算におけるそれを指すことになるが、定義上、この状況での盤面任意の位置は「自分の石と辺に囲まれた場所」ではない。
中にある石が盤面全域を内側から外側へ向けて広がるように「囲んでいる」イメージをしているということはわかるのだが、「囲む」とは多角形の石と辺によって閉じられていることを指し、中にある石は無視される。
もし、最初に置いた石が真ん中ではなく辺上や角であれば議論の余地があるように思われるが、まあそんな状況で終局する日は来ないので無駄な議論になるだろう。
とにかく、どのような意味でもこの例に挙げたブコメは明確に間違いを含んでいるというわけである。
これによって、悩める全ての人の「囲碁のルールわからない」が払拭できたら幸いである。
石が取れる状態というのは、
「縦横に連なった一連の同色の石の周りに、石の置かれていない点が全くない状態」
そして、石が取られるかどうかの判定は、常に、ターンプレイヤーから見て相手の石を先に判定し、その後、ターンプレイヤーの石の判定をする。
この時ターンプレイヤーの石が取られる判定となる場合は、そもそも石が置けない。
初心者は相手の石を「囲んで取る」と教わる。陣地も囲んで取る。石も囲んで取る。だから囲碁と呼ぶ。わかりやすいが、これが誤解の元。
石がとれる条件と終了時に陣地にカウントできる条件は微妙に違う。違うのにどちらも「囲む」というから間違える。
ぷよ碁のブコメにあった「碁石から出てる盤上の線を全て塞ぐ」というのが分かりやすかった。
ぷよ碁で考えると、置いてあるぷよは周りにあるスペースと繋がった線から呼吸をしていて、それが全部塞がれると窒息して死ぬって考えれば直感的なのかな?
まさにこれの通りで、石がとれるのは窒息のイメージがあっている。