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2024-02-18

anond:20240218011643

追記

3. 過去問演習の採点をする人間子どもの進度を最もよく把握できるので、それが親なら、親が残りの期間の勉強優先順位づけをするのがベストになる。集団指導場合、塾の先生は各児童についてそこまでの情報は持てない。

6. 偏差値は各校の人気のバロメーターにすぎない。各児童の特長や各家庭の希望と合うかは保証しない。人気のラーメン店を万人が好むわけではないのと同じ。ただし、高偏差値校だと大学受験の文理の選択が遅めになるという利点はある。また、東大志望の場合、先輩・同級生や校内模試の結果から情報を得やすいかもしれない。それ以外では、高校がどこでも、自習・塾の利用で、一般受験東大を含むどのような大学でも合格することが可能。(それが日本の良いところ。(どの)大学に行くと良いかはまた別の話。)

7. 印刷された解答を得られるという点では、Yなど大手塾が出版する教材を使う準拠塾でもいいかもしれない。ちなみにタブレットの利用については、タブレットの速度に子ども作業スピードを合わせなければならずストレスになるので、勧めない。色々な意味で紙の教材の方が早く、効率的なことが多い。

中学受験 東京難関校への逆転合格理由

中学受験が終わったので、雑感の共有。聞かれれば答えるけど、聞いてくる人もいないので。

注:各家庭で状況は異なるので、「こうしなければならない」という内容ではありません。以下の雑感を参考にするかどうかは各家庭の責任判断してください。

筆者属性: 6年夏休み前にそれぞれY偏差値50台前半、S偏差値50台前半の成績から、2/1にしか入試がない東京中学に男女の子供が合格

お世話になった塾: 4大大手+グノープル以外の中規模の塾

1.子供自身過去問演習を6年の夏休み終了近くまでやらない方が良い。模試より過去問の出来の方が合格確率予測力が高いというのはよく言われている通り。ただし、保護者自身は新6年が始まったら出来るだけ早く、志望校最近過去問複数年、自分で解くか、少なくとも答えの解説を見て、志望校の各科目の難度と出題傾向を把握し、6年後半に入って子供が何をすべきか優先順位をつけられる様にすると良い。

2. 御三家やそれに準ずる難関校を志望する場合、各校の出題傾向に合わせた準備が必要になるため、模試の結果は当てにならない。だから大手塾のオープン模試は併願校を決めるためにあると考える方がいい。学校模試も、最難関校の問題の類題を塾の先生が考えるのは大変なので、過去問マイナーチェンジが出題される印象。そうすると過去問を早い時期に解いている子が高得点を取りやすくなるため、学校模試偏差値による合格確率予測が頼りにならなくなる。一方、いわゆる中堅校は素直な問題を出題するため、模試の結果が参考になる。そう考えると、外部生は、志望校難易度に関わらず、SよりYやNの模試を受けた方が良いのではないかと思った。首都圏模試は使ったことがないので不明

3. 受験は引き算。本番の入試100点を取る必要はないので、入試日までの残りの限られた時間の中で何ができるのか、行える作業優先順位をつけるのが大事。塾の課題も全てやれない時は優先順位をつけて、全てをやろうとしないのが大事。また、塾の課題では足りない部分が発生することもある(後述の7に出てくる中数の利用など)。優先順位付けは、集団指導の塾では個別の生徒への対応に限りがあるので親がやる必要。一方、個別指導も、指導を受けている先生の質は実際の入試の結果が出るまでわからない。中学受験で親が重要というのはこれが理由

4. 算理社はとにかく塾の演習授業、模試過去問で間違えた問題はやり直すのが、入試直前期を除いて鉄則。塾で色々な問題を解くのは、どの問題ができないかを知るため。その意味では無駄も発生している。だから、できない問題がわかったら、復習しないのは勿体無い。復習の指示も親の役割。ただし、志望校の出題傾向よりもはるか難易度が高い問題はやり直さなくてもいいかもしれない。

5. 基礎、基礎、基礎。とにかく基礎を固める。焦りがちな保護者意識では、応用はできなくてもいいと思って良い。正答率が90%の問題でもそれが6問出れば、全問正解の確率は53%になり、勝負どころになる。基礎を固めると御三家級以外の学校は大体勝負できる様になるし、模試の結果も安定し、家庭の不安感も減る。基礎の積み上げでは志望校難易度から現時点で到達すべき水準を逆算せず、子供の進度に合わせて併願校を変える方が良い(後述の6参照)。基礎を固めるためには前述の通り、間違えた問題のやり直しが有効

6. (少なくとも保護者は)色々な学校を見る。偏差値が低く見える学校も、入試問題を見れば小学校の授業内容を概ね理解している子を選抜しているので、中学高校での授業が良ければ、大学入試では勝負できる様に鍛えることは可能。また、中堅校の試験問題ができれば、それ以上の難易度入試問題受験者の差別化をする意義はない。保護者入試結果に楽観的にならずに、色々な学校を見ておき、併願校の選択肢を広めに持つと良い。偏差値の高低に関わらず良い学校はたくさんあるし、偏差値が高いから良い学校ということもない。実際に保護者学校訪問すると、その学校について色々とわかる。自分自身見学の時は、大学受験には関係しにくい美術室と音楽室の展示が充実しているかを見るようにしていた。

7. 塾の選択自分が使った塾は、算数解説を配らずに答えしかプリントには載せない方針だったので、親が解説を作る必要が生じ、その点は非効率だった。一方、中数の利用法指導してくれるなど、柔軟性は高かった。大手塾は、問題集の答えに算数解説が載っているのでその点はやりやすいと思う。この理由により、あまり保護者受験サポートをできない場合は、大手塾の方がいいかもしれない。しかし、大手塾の中には上場企業もあるので、各家庭の希望と塾の姿勢が合うかは吟味必要という印象。

8. 算数。最難関校を志望する場合は難しいが、それ以外の場合は、志望校問題難易度よりも少し高い難度の問題まで取り組まないと、算数得点力が十分に上がらない印象。

9. 理社教材。保護者にとってはカラーで図表がついている自由自在が便利。自由自在受験に特化した参考書ではないので、受験向けには不必要記載も多いが、自由自在に載っていない内容は学習指導要領からは外れているので基礎ではないことがわかり、便利。

以下、今後も見る人がいた場合のために追記の記録。

2024/2/18

3. 過去問演習の採点をする人間子どもの進度を最もよく把握できるので、それが親なら、親が残りの期間の勉強優先順位づけをするのがベストになる。集団指導場合、塾の先生は各児童についてそこまでの情報は持てない。

6. 偏差値は各校の人気のバロメーターにすぎない。各児童の特長や各家庭の希望と合うかは保証しない。人気のラーメン店を万人が好むわけではないのと同じ。ただし、高偏差値校だと大学受験の文理の選択が遅めになるという利点はある。また、東大志望の場合、先輩・同級生や校内模試の結果から情報を得やすいかもしれない。それ以外では、高校がどこでも、自習・塾の利用で、一般受験東大を含むどのような大学でも合格することが可能。(それが日本の良いところ。(どの)大学に行くと良いかはまた別の話。)

7. 印刷された解答を得られるという点では、Yなど大手塾が出版する教材を使う準拠塾でもいいかもしれない。ちなみにタブレットの利用については、タブレットの速度に子ども作業スピードを合わせなければならずストレスになるので、勧めない。色々な意味で紙の教材の方が早く、効率的なことが多い。

2024/2/22

コメント子どもモチベーションの話があったが、それはその通りで、志望校に(親に煽られてではなく)子どもが行きたいと思っているのが前提。塾の先生も6年の夏休み以降で成績が伸びるのは、志望校に行きたいという気持ちが強い子と言っていた。また、子供モチベーションが低いのであれば良い学校はたくさんあるので、無理はさせない方針だった。

2024/2/24

5. 志望校試験問題難易度で何が基礎かは変わるが、自分プロ講師ではないので適当に、Yの模試なら正答率50%以上、Sの模試なら正答率70%を基礎問題の目安にしていた。例えばYの模試なら、正答率50%以上の問題の中で子供が間違えた問題の配点を足し上げ、「それらの問題が全部できたら、各科目の点数と総合点が何点あがるか、偏差値がどのくらい上がるか、志望校偏差値にどれだけ近くなるか」という計算をして、子供に見せると良い。このやり方は、ポジティブな話しか出ないし、各科目であと数問正解すると総合点の偏差値が5から10くらいは簡単に上がるのが体感でき、偏差値の差が示す児童の間の理解度の差が小さいことが確認できておすすめ子供の進度がまだ浅ければ、基礎問題基準とする正答率の値を60、70、80、90%に上げれば良い。

2024-02-14

10年前起きた、同級生殺人事件現場に行った話

 不謹慎聖地巡礼をしてきた。

 何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナル事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件現場特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。

 はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者地元出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。

 はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記

 事件の具体的な名称地名については関係者迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。

現地レポ

 事件現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップ検索、自宅からルート検索し向かった。

(ちなみに事件現場マンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間割愛させていただく。

 現場国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキング現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。

 ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場敷地内には立ち入っていない。


敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い


 そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。


 現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。

 マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女スマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。

 駐車場からさら路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。

 マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎商業施設風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神新天町商店街にかなり近い。

 商店街は今どきのカフェ居酒屋といった飲食店から昔ながらの八百屋かばん屋、チェーン店ドラッグストアアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケード喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像限界だった。勿論、真相はAにしかからない。

 横断歩道渡りマンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母養子にし、マンション一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。

 しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック自分職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。

 結果としてAの父親2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。

 ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物ハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。


 参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件からだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。

聖地巡礼動機

 では、なぜそのような不謹慎聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田匿名性を損なわない程度にお話しする。

 筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校中学受験で入っている。抜けきらない中二病一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)

 問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話ケータイ小説執筆投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである

 事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である

 そしてそのケータイ小説掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。

 そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグTwitter特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的シンパシーを感じていた。

 そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面深淵のぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタル調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校卒業した。

 犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。

 そして現在2024年2月児相勤務は上司や先輩から陰湿いやがらせに遭い、私はひっそりと公務員退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である

 ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。

 話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。

 最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である

追記

 ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊博物館見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置シールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュ服装マダムと談笑したり。名物バーガーを食べていたらバラエティ番組ロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。

 10年経とうと、何も変わらず日常は回っていることを実感した。そしてそのことは、私にとって救いでもあった。

2024-02-10

anond:20240210031902

私の母校がFランかー、そんなことないんだけどなー、と思ったのでせめて偏差値数字だけでも出そうかと思ったけど、合格当時の母校の偏差値知らんな。

もう金銭的にほぼ母校しかまともに通う計画が立てられなかったんで、自分偏差値関係なく突撃するしかなかったのよね。

そもそもバイトもあって模試ほとんど受けられなかったし。

まぁ中途半端大学出るより高校就職ってのはちゃんとした就職先に選んでもらえればその通りだと思うよ。

私の下の弟は高卒元増田にもある地元偏差値30代の高校)だけど真面目に勉強部活に取り組んで、超大企業正社員就職して安定した暮らしをしとるよ。

ただ、現場職だから命の危険がある仕事だけど。

2024-02-09

読書遍歴(小説)を思い出せるだけ書く

小学生

 はれときどきぶた

 (これ以外思い出せん)

中学生

 宇宙みなしご(森絵都)

 悲しい予感(吉本ばなな)  模試か何かの試験問題になっていて、何故だか刺さった。小説っていいなと初めて思った。

高校生

 マリカの長い夜(吉本ばなな)

 パン屋再襲撃レキシントンの幽霊(村上春樹)

大学生

 グラスホッパー(伊坂幸太郎)  講義室の忘れ物勝手に読んだ。面白かった。

 室井佑月の何か

 田口ランディの何か

 GOTH、夏と花火と私の死体(乙一)

 憑神メトロに乗って(浅田次郎)

 森博嗣のS&Mシリーズ四季シリーズ、Gシリーズの一部

 パークライフパレード(吉田修一)

 人間失格 (太宰治) 見栄を張って、全集借りてきてここだけ読んだ

 龍は眠るレベル7 (宮部みゆき) 嫌いな小説がある、というのを宮部みゆきで初めて経験した。

 慟哭(作者思い出せん)

 神様から一言(同上)

 思い出トランプ(同上)

社会人

 伊坂幸太郎の色々(ゴールデンスランバーモダンタイムス、チルドレン、サブマリンマイクロスパイアンサンブルアイネクライネナハトムジーク砂漠ラッシュライフ、オーデュボン祈り)

 森博嗣の色々(Gシリーズ)

 吉田修一の色々(太陽は眠らない、森は生きている、怒り、悪人横道世之介、静かな爆弾)

 原田マハの色々(楽園カンヴァス、暗幕のゲルニカ、たゆたえども沈まず、キネマの神様本日はお日柄もよく)

 赤い竪琴 その他色々 (津原ヤスミ) 図書館で赤い装丁の本が気になって手に取ったのがきっか

 グレッグイーガンの何か ここで薦められた奴

 プロジェクト・ヘイルメアリー (アンディ・ウィアー)

 坊ちゃん(夏目漱石)

 命も要らず、名も要らず(作者思い出せん)

 博士の愛した数式(同上)

 花戦(同上)

 植物図鑑(同上)

 老人と海武器よさらば(ヘミングウェイ) 上司がなんか言ってたから読んだ奴

 サリンジャーの何か(バナナフィッシュ云々が収録されてるヤツ) 漫画バナナフィッシュを昔読んだのをふと思い出して読んでみた

もっと読んでるはずだけど、なかなか思い出せんな。

漫画ゲームエロ動画にはもっと時間割いているけど、結構読書家じゃろ?

 

2024-02-01

人生への嘆き

中学時代、私は運動が全くできない運動音痴だったが、勉強は得意だった。レベルの低い田舎公立中学校だったので常に定期テストは学年1位。私のアイデンティティ勉強しかなかった。田舎男子中学生の社会の中で、運動音痴はヒエラルキーの最底辺。体育の時間苦痛で、運動音痴で鈍臭い動きしかできない自分馬鹿にされているように感じていた。だから私は勉強ができない人間を内心馬鹿にしていた。体育の時間に散々私を馬鹿にしたのだからお互い様だと思っていた。

高校県内トップ進学校を志望し、模試では常にA判定だった。フィジカルの強さが物を言う野蛮な田舎とはおさばらできると思っていた。

念願叶って高校受験第一志望に合格し、私は県内トップ進学校入学した。ようやく、運動音痴の呪縛から解放されると思った。だが、現実は違った。

県内トップの子たちは運動勉強も私より出来る子ばかりだった。基本的に皆優しかったが、中には粗暴な者もいて、露骨に私の運動音痴っぷりを見下す態度をとられたこともあった。私のアイデンティティ崩壊した。勉強でも運動でも周囲に勝てない私は、自分がとてつもなく無価値人間のように思えた。その結果、自分のような無価値人間クラスメイトに話しかけても迷惑なだけだろうと思い込むようになり、誰とも会話をしなかった。勿論、高校時代友達が出来なかった。

一応、自分なりに勉強は頑張った。でも、東大京大に行くようなレベルには到底なれなかった。高校の成績は受験直前期でも半分より少し上くらいだった。トップにはなれなかった。

とはいえ大学受験地元旧帝大法学部に何とか滑り込んだ。

大学入学後、運動呪縛から逃れたかった私は、音楽サークルに入った。音楽センスがあるわけでも、楽器が特段上手いわけでもなかったが、友達人生で初めての彼女サークル内で出来て、それなりに楽しいサークル活動だった。

勉強のほうも、それなりにやった。政治に関心があったので、政治ゼミに入り自分の興味関心の赴くままに、ゼミ論文作成した。学部生の書く拙いものだったが、満足感はあった。

旧帝大ということもあり、地元ではちやほやされた。私は高校時代に潰された勉強というアイデンティを取り戻そうと思った。県下トップ進学校から旧帝大に入った実績がある。中学時代は学年1位だった。勉強は得意なはずだ。そう思って、学部3年生の時、私は法科大学院に進学し文系最難関の司法試験を受けようと決断した。

前述のとおり、ゼミ政治ゼミだったため、周りに司法試験を目指す友人はいなかった。そのため、相談できる友人もおらず、孤独勉強だった。勉強は何から手を付けて良いかもわからなかったが、とりあえず勉強して法科大学院試験に臨んだ。今思えば、全く努力方向性を間違った勉強法だったと思う。論証パターンという言葉を知ったのは試験の2か月前だった。もちろん既修者試験は落ちた。私は未修者コース入学することになった。

 法科大学院での生活は大変だった。学部のころに法律勉強を一応していたとはいえ講義の内容は難しく、予習復習に追われた。ほぼすべての科目が必修科目で、一つでも単位を落としたりGPA一定値以下だと留年卒業延期になるため、期末試験が近づくと、精神的に不安定になった。法科大学院生活では楽しいこともあるにはあったが、トータルで見たら辛いことのほうが多かった。

 期末試験を何とか乗り切った私は、一年から二年生へ進級できた。二年生になり、既修者と合流して講義を受けた。周囲のレベルの高さに正直ついていけず司法試験に受かるとは思えなくなった。深夜に自習室勉強しながら涙を流す日が続いたことをきっかけに、中退を決めた。勉強というフィールドで戦うことに心が折れたのだった。

 未修者コースには東京の中堅レベル私大法学部卒や地元私立大学法学部卒の人間などもいた。私が心折れて中退した後、彼らは卒業までこぎつけ、ついには司法試験に受かり弁護士になった。私より勉強が不得意な人たちだと思っていたが、私が断念した試験に受かり、立派に弁護士をやっている。

 一方私は、法科大学院中退後になんとか就職新卒カードを失った私は民間を諦め、公務員試験を受けるしかなかった。新卒就活だったら切符が手に入ったはずの企業に足蹴にされるのが怖かったからだ。法科大学院法律勉強をしていたこともあり、公務員試験筆記試験特に苦も無く合格した。面接もそれなりに振舞えたようで、第二志望の自治体採用が決まった。入庁後は上司や他の自治体職員から執拗にきつい言葉をあびせられたことを機に、メンタル病み休職。今は完全に閑職に飛ばされ、精神的負荷の少ない仕事を任されている。出

世の見込みはないだろう。

 中学生以来の私の勉強というアイデンティティは完全に失われた。こんなことを言ったらドン引きだろうが、私より入学難易度の低い大学出身人間弁護士として働いていることや、中学時代に私より勉強のできなかった中学校の同級生東京大阪大企業新卒入社してギラギラと頑張っていることを知るたびに、猛烈に落ち込む。学生時代は私のほうが勝っていたのに、なぜ。。。と。

私が学生時代積み上げてきたものは何だったのか。ときたま人生意味を見出せなくなる。人生意味を見つけようと私なりにもがいた。音楽社会サークルに入ったり、大学公開講座に参加したり、大学院進学を検討したり(来年放送大学大学院を受験しようと考えている)。だが、何をしても私の心は満たされない。

32歳にもなってこんな内容の長文を書いて、我ながら心底みっともないが、ありのままの心情である

明日から中受だけど、自分は意外と地頭良かったのかもしれない

最近Xで教育垢的なやつがよく流れてくるんだけど、それをずっと見ていて、自分公文なし、算盤なし、学校宿題しかやってない状況でいきなり小4から中学受験塾に入って最初模試偏差値50、2回目で60まで上げてそのまま準御三家進学、英語中1まで先取り全く無しで早慶レベル受かったの結構地頭良かったんじゃね?と思ってる。因みに英語はずっと苦手科目だったけど高2で本気出して単語覚えて偏差値20上げた。

中高時代もそこまで勉強した記憶なくて、特に高3に上がるまでは定期テスト2週間前以外はほぼ勉強なんてしてなかった。ちな親ど田舎出身専門卒。従兄弟中卒。ワイようやっとる。

2024-01-26

anond:20240126165322

模試で低偏差値だった君のようなのがしゃしゃり出ることもないと思う🤪

anond:20240126163750

おいおい30代にもなって「高校の時国語模試」か? 終わってんな

anond:20240126162617

おいおい50代にもなって「高校の時国語模試」か?

終わってんな

anond:20240126155047

それたまにワイに言ってくるガイ増田がいるんやけど、ワイって高校の時国語模試で満点取ってたやん?

ほんで、ネット意図したように読解させようとする輩って他人を操ろうとするマキャベリカスのことが多いし、カスの言ったように読み取らん方がええねん。

2024-01-25

anond:20240125130029

え、そうなのか

どちらかというとそういう無邪気になめた質問をする息子にマウントとれる偏差値だけど、大人だし母親なので黙ってたって意味ポストだと思ってたわ

自分読み手だけど読み手の方がマウントとられてるとはひとつも思わなかった……

偏差値大学偏差値ランキングなんかで出されてる数値で自分の通ってた大学の数値を出したのか、もしくは息子さんと同じ学年の頃の模試かなんかで算出された最大値のものを出したのかと思った単純に

ワイは高校時代に全国模試偏差値89(数学)出た事あるやで

ちなみに全教科やと83だったやで

2024-01-22

能力という神話

個別指導塾で教えていると、

みたいな組み合わせの問題普通にあり得る。なぜこういうことが起きるかというと、

など原因は多岐に渡る。しかし俺が言いたいのは個別指導塾についてではない、人生全般についてだ。

人生のあらゆる状況で、些細な組み合わせの差異が結果に甚大な差を生み出すことが普通にあり得る。

「運」を否定する輩もいるが、俺は運こそが主要な要因だとさえ思っている。

そして運というのは、行動の幅と量を変えない限りは増やすことができない。いや、それを増やしたとしても失敗の量が増えるだろう。

自分以外の要因によって生じる「運」については受け入れていくしかない。

運によって人生が決まるならば、成功した人間傲慢になるべきではないし、失敗した人間が悩みすぎたりする必要もない。

西村バカユキが「無能者」について語っているときがあるが、ああいうのを鵜呑みにしたら精神を病むだけだろう。

能力も運のうちだ。

2024-01-10

anond:20240110224627

安定した職業を求めた結果看護系に行くって言ってるんだけど

なんか慶応くらいなら入れる頭らしいんだよね、模試結果が良くて驚いた

別に看護が悪いわけじゃないが、大学まで進路を先延ばしにする気がないっぽいとなると今選択肢を全部あげなきゃならん気がする

anond:20240110103140

なんかの模試の1科目で一度だけ取った偏差値69.4(約70)が人生の最高到達点の人なんや

2024-01-07

anond:20240107005855

高1時点の全国模試四桁台前半ってのが高3の受験時点の学力を測るのにどこまで信用できるかというのを無視して考えるなら、国立大医学部医学科で返済不要奨学金貰う選択肢もあり得る順位なんだよな

2024-01-06

専門学校に行く」という秀才をどう大学に行かせるか

知り合いの高1の話

家がとある事情でかなり貧乏、弟妹あり

 

頭良いのは知ってたけど、模試の結果を見せてもらったら全国4桁台の上の方だった

おいおい、有名大学入れるレベルだよ

いつも自分の不出来を嘆いてたけど、県随一の進学校からってだけみたい

 

ただ進路は「早めに稼ぎたいか短期看護系」と言っている

弟妹を高校に行かせてやりたいからって

うーん

私は有名大学行っておいたほうが都合いいと思うんだけどなあ

とりあえず選択肢が増えるようにオープンキャンパスにでも連れていけばいいのか?

看護も悪くないけどこの成績ならもっと稼げると思うんだよな、中途半端レベルならともかく

2024-01-02

anond:20240102172639

コメントありがとうございます!こういうのはじめてなので見てもらえると思ってませんでした!

身バレ怖いので経験したことを1から10まで全部書けなくてごめんなさい。一例としてとらえて、こういうことを日々経験しているのだと解釈してもらえるとありがたいです。

・前回帰省して自宅で夕食を食べている際に「スプーンはないのか」と父親が言うので「それくらい自分で取りに行けないの?」と聞いたら無言でした。

結局気を使った母親がいいよいいよ私がとってくるからと立ち上がって、父親は座ったままでスプーンを手にしていました。

(母親の代わりに私が取りに行っても根本的な解決にはならなかっただろうと思ってるんですが、それでも私が行けばよかったかもしれないです、わかりません)

高校時代担任教師は全体のホームルーム模試の結果を振り返りながら、「女の子物理なんかできないからね、生物先生にお世話になってね~」という発言をしていました。

・「旦那さんが奥さんに『皿洗い手伝おうか?』と言いました。奥さん気持ちを考えてみよう」という内容の人権教育ポスターを見た大学同級生男子が「黙って文句わずに皿洗ってもらえばいいのに。いったいそれの何が不満なの?」と不思議そうにしていました

私の周りがそうだったというだけと言われれはそれまでですし、その程度のこと我慢しろというのは勝手ですし、実際起きたこである証明もできませんが、嘘つき呼ばわりされると少し悲しいです。

この話を聞いたうえで、私の記事の事どう思ったか教えてくれると非常にうれしいです。

お忙しい所すみませんよろしくお願いします。

anond:20240102172639

コメントありがとうございます!こういうのはじめてなので見てもらえると思ってませんでした!

身バレ怖いので経験したことを1から10まで全部書けなくてごめんなさい。一例としてとらえて、こういうことを日々経験しているのだと解釈してもらえるとありがたいです。

・前回帰省して自宅で夕食を食べている際に「スプーンはないのか」と父親が言うので「それくらい自分で取りに行けないの?」と聞いたら無言でした。

結局気を使った母親がいいよいいよ私がとってくるからと立ち上がって、父親は座ったままでスプーンを手にしていました。

(母親の代わりに私が取りに行っても根本的な解決にはならなかっただろうと思ってるんですが、それでも私が行けばよかったかもしれないです、わかりません)

高校時代担任教師は全体のホームルーム模試の結果を振り返りながら、「女の子物理なんかできないからね、生物先生にお世話になってね~」という発言をしていました。

・「旦那さんが奥さんに『皿洗い手伝おうか?』と言いました。奥さん気持ちを考えてみよう」という内容の人権教育ポスターを見た大学同級生男子が「黙って文句わずに皿洗ってもらえばいいのに。いったいそれの何が不満なの?」と不思議そうにしていました

私の周りがそうだったというだけと言われれはそれまでですし、その程度のこと我慢しろというのは勝手ですし、実際起きたこである証明もできませんが、嘘つき呼ばわりされると少し悲しいです。

この話を聞いたうえで、私の記事の事どう思ったか教えてくれると非常にうれしいです。

お忙しい所すみませんよろしくお願いします。

2023-12-31

死ぬ理由はない。でも生きる理由もとくにない。

_ 

前置きというか予防線として、私は増田達にはあまり好かれないタイプで、嘆き風自慢話にしか聞こえない可能性は、十分に理解した上で書いている。

ただ、「死にたい!」という理由はなくても、だからといって別に、「生きねば!」という強い理由もないからなぁ~。だったら死んじゃおっかな~。

案外、このくらいの感じで自死を考えちゃう、そんなしょうもないおっさんが実は結構な数いるんじゃないかと、そんな思いで書いてみる。(もし似た人がいたら、少し安心できる気もする)

でもたぶんどうせ、死なない。死ぬ理由もとくにないからな。ふはは。



__

33歳の年も、残すところ10時間を切った。

18でも20でも30でもないのでなんの節目でもない年齢だが、

35歳(私の中での明確なおじさんの基準)が目前に迫った34歳を迎えるな~、とか、知らないうちに無理やり自分の中で理由をつけていたのか、

この1ヶ月はやたらと人生を振り返ることが多かった気がする。

結果として、これからおじさんとしての人生が50年くらい続くことに対して、希望が持ちづらいと思う日が増えた。



___

本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。


東京まれ

富豪とまでは言わないまでも、それなりに裕福な家庭で育った。

物心ついた頃から頭が良い子だと言われ続け、足もそれなりに速く、小学校ではごく自然な形で学芸会演劇の主役をしていたし、生徒会会長も務めた。


私立中学の受験にも成功した。塾時代の成績はいつも全国模試上位だったから、失敗することなんて考えもしなかった。

部活学園祭実行委員最前線で楽しみ、彼女も当然のようにいた。童貞は、附属高に上がる16歳頃には卒業していた。

卒業アルバムを開けば、嫌な記憶ひとつもない輝かしい中高時代が思い出せる。


学校名は伏せるが、所謂最上位の大学に進学した。最早、まわりも当然だといった様子だった。

バイトサークルゼミ活動大学生のお手本のような生活を送っていた。

講義サボりすぎて1年留年したりもしたが、大手広告代理店にすんなりと内定した。


代理店で、新卒女子自殺をした頃、広告業界の忙しさが嫌になり転職経験したが、

次の会社でも大きな挫折経験することなく、同期の中では出世の早い方だったし、全社表彰されたことも何度かあった。


ある程度の給与をもらえていたので、都内繁華街近くの1LDKで20代の独身生活を存分に謳歌した。

その時々の彼女を連れては、グルメインフルエンサーが紹介したがるような、洒落バルやら、ネオ酒場やら、

ミシュランの星がつくような店にも、何か記念日などのイベントがあれば、それほど無理をせず行くことができていた。

フレンチイタリアン中華も、職人から手渡しされるような寿司屋も、数えきれないほど行った。「kint〇nとかガキが喜ぶ焼き肉屋だろ」とかイキったりもした。

連休があれば近場の温泉にふらっと出かけた。海外旅行はあまり好きではなかったが、女にねだられれば年に1~2回は連れて行った。


嫌味のような半生を書き連ねてあらためて、本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。と思う。

衣食住はもちろん、三大欲求をそれなりに高いレベルで満たし続けてきた。



____

少しだけ挫折を感じたのが、結婚離婚だった。

30歳で結婚をして、1年も待たずに離婚してしまった。

理由をあげだせばキリがないのだが、一番は子作りについての考えの相違で、要するに私は子供が欲しくなかった。

入籍当初には同意してくれていた元嫁は、すぐに「やっぱりわたし子供が欲しい」と言い始め、口喧嘩が増え、離婚した。

別に島耕作時代でもないので、離婚出世に響くとかは考えたことがなかったが、自分でも意外なほどに離婚はしたくないと粘ってみたりもした。

でも、自分の子供が欲しくないという気持ちがどうにも変化する気がしなかったので、結局、離婚した。

(子供が欲しくない詳細理由割愛するが、ざっくりいうと、絶望と閉塞感のあるこれから日本に、子を産み落とすことは無責任なように感じる、みたいな理由が主)


俗にいう若手エリートモデルケースからズレたような気持ちになって、急に仕事に対する熱意がなくなってしまい、

半年後には会社退職して、個人事業主になっていた。


でも少し経ったらそれもなんだかんだ事業軌道に乗り、リッチとは言えないまでも、今はまた不自由ない独身暮らしを送っている。


お金は、めちゃくちゃな贅沢は出来ないまでも困ってはいないし、莫大な資産を築きたいという野望がなくなった。

思えば、別にエリートを目指して生きていたわけでもないので、また大企業に勤めたいという思いはないし、日本を動かしたいという思いもなく、ステータスへの渇望感は消えた。

夜のお店にたまに顔を出してはお店の女の子と仲良くなったりもするので、セックスもとくに困っていない(今は、かもしれんが)。

10年後くらいにいよいよ老後の孤独を考えたりする頃には、多少気持ちも変わっているかもしれないが、再婚もあまり考えていない。

から、真面目な出会いは求めていない。もちろん、子供は今も欲しくない。

若いからずいぶんと分不相応美食家を気取っていたが、ある程度の金額で満足できる程度のバカ舌だったのか、赤提灯で十二分な満足が出来てしまうことを知り、必要以上の金をかけて食事をすることに喜びは感じなくなった。



_____

となると、だ。

残すところ短く見積もっても30年、長ければ60年近くの人生漠然と待ち構えているわけだが、

そこに対して全く、何かを成し遂げたいという欲が起きないんだ。

金を稼いで、良い家/車/服揃えて、良い女を抱きたいとも思わなければ、

将来のこの国のために子孫を残す気もないし、だったらと血が繋がっていない若者を導くような使命感もない。


君たちはどう生きるか、というより、もっと前の段階のところで躓いているわけで、

やべ、とくに生きる理由ってなくね?

老化は避けようもないし着実におじさんになっていくわけで、あれ、人生今より楽しくなることってなくね?って考えるようになった。

生きる理由より、むしろ死んでもええかって理由の方が、よっぽど簡単に見つかることに気づいてしまったわけだわな。


結局のところ、人類なんてものは大いなる生命螺旋を繋ぐための歯車しかなく、

子供が欲しくない奴なんていうのは、歯車としては欠陥品ってことなのかもしれん。


冒頭にも書いたけど、どうせ死にはしないと思うんだ。

生きてればそれなりに、本当にそれなりに程度でも、楽しいこともまだあると思うんだよ。

でも、楽しさも幸福も、これまで以上は超えてくる気がしないという謎のおぼろげな展望が、日を追うごとに輪郭がはっきりしてきていて、

その現実からどうしようもなく逃げ出したい。逃げる?あれ、死んだらいいわ?そゆこと?


みたいなことを思ってしまう。そんな大晦日だね。

2023-12-30

名前がない

気づけば、ずっと文章を書いていた。

初めは確か二次創作を書くようになって、そこから色んな小説を書いた。

集中力想像力も足りなくていつも短い小説ばかりだったけれど、ネットで出来た友人とごくわずかな現実の友人たちは皆言葉選びが上手い、天才だ、涙せずにはいられないと絶賛してくれた。

国語の成績だけがずっとずば抜けて良くて、中学生の頃から模試を受けたら偏差値が70以上あった。他の教科は大体偏差値が30~45ぐらいでずっと先生に怒られていたから、私はもう一生国語だけ頑張って生きていこうと思った。

そうして私は、国語ばかり出来る高校に進学した。

高校に進学する直前の春休み、私は国語漬けになれる日々に期待を膨らませ、ずっと夢想していた。

高校ではエッセイやらなんやらと色んな文章を書く授業が用意されていた。その授業で文章を褒めそやされて、たくさんの賞を総ナメにする。そして有名大学に進学して、安定した職を得る。その傍ら小説を書き、小説家として活躍する……そんな妄想だった。

しかし、そんな妄想現実になることはなかった。いつだって選考結果に私の名前はなかった。

そしてそんなことが数度繰り返された頃には、薄らと自覚していた。

私には様々な能力が足りない。

人を惹きつける書き出しを生む能力、書きたいことをまとめて取捨選択する能力、話を上手に展開する能力、そしてなにより独創性。私の文章は「よくある」の枠にいつだって留まった。

私が感じた喜びも、悲しみも、怒りも、孤独も、既に誰かが言葉にした後だった。私は誰かが既に言葉にした感情を継ぎ接ぎして、それっぽく見せるのが上手だっただけ。二次創作ですら大して売れずに燻っているのは、それっぽいだけで中身が伴っていないからだ。

こういうことをここで書く人間が、痛いと言われることを知っている。それでも書くことをやめられないから、やっぱり私は痛い。

名前が無いこの場所なら、自分が何者かになりたいなんて考えずに吐き出せると思った。でもそうでもないね。この文章が誰かの目に留まって、あわよくば色んなところで話題にあがればいいのになんて思ってる。話題にあがったとて、これを書いたのは私です!とか言ったら恥の上塗りをするだけなのに。

年末にこんな文章書いて、今年も何者にもなれなかったと嘆くだけ。しょうもな。

2023-12-17

GMARCHとか日東駒専かい言葉って、学校教育現場で実際に使われているんだな。最近初めて知ってびっくりした。

こないだ仕事とある高校を訪れたんだけど、教室内に授業の予定や予備校模試の予定が貼ってあって、そこにはGMARCHだの日東駒専だのと普通に書かれていたんだよね

カルチャーショックだった

てっきりネットしか使われていないスラングだと思っていたんだが、まさかリアル普通に使われていたとは…

自分地方出身かつ独身子供もいない中年で、大学受験をしたのは前世紀の話だから

それらの言葉リアルで使われるようになったのはここ最近の事なのか、それとも自分受験生時代から都会では普通に使われていたのか分からん

もも後者だったなら、高校時代に知っていたなら絶対もっと上を目指そうとしてただろうなー

自分が目指している大学GMARCHだの日東駒専だのと呼ばれて底辺の部類に属するだなんて耐えられないもの

[]

こんにちは

やっぱり国立医学部医学科は自分には無理かもしれない、そんな不安と闘いながら勉強に励む千葉大学医学部医学科落ち早稲田大学先進理工学部生命科学科卒おじさんです。

模試の日程や種類を確認していたところ、高校時代に当時交際していた女の子との避妊に失敗してしまたことを思い出しました。

河合塾で行われた模試の後でした。

あの時、既に反抗期は終わっていましたが気恥ずかしさや受験ストレスで両親との会話は殆どなかった時期です。

交際相手の両親が自宅まで来た時は「もう終わりだ。受験すらさせてもらえないかもしれない」という恐怖に襲われました。

しかし、全てを僕の責任にしようとする相手の両親に対して両親は僕を守ってくれました。普段言葉も交わさずカリカリイライラ勉強している息子のために物凄い剣幕の相手両親に引くことなく、キッパリと言うべきことを言ってくれた両親に家族愛情を感じました。

その出来事以来、僕は両親を大切にするようになりました。

さて、先ほどまで昨夜に読みかけたまま就寝した生物総合講義読み切りました。読み終えた後に志望大学生物過去問を参照したところ、現役時代に苦労した物理よりも抵抗感がなかったことに気がつきました。

得点の安定度や知識の少なさ、周りの影響で自分に向いていない物理固執していたことも敗因だったなと反省です。

午後は化学過去問を参照し、夜に文系科目の概観を済ませ来週一週間の勉強スケジュール、直近一ヶ月の勉強方針作成していきます

それではまたノシ

2023-12-16

弟が無能すぎてしんどい

私は当時の全国模試偏差値65〜70適度の学力だったが、両親が教育虐待系の親で、親から私は馬鹿だの無能だの知的障害だのなんだの言われてたり馬鹿人権は無いと、私の食卓は床だったりしたので弟は私を馬鹿人間で足蹴にしていいと思っている。

別に馬鹿だとも足蹴にしてもいいと思われてても良いが

自分はそんな姉よりいい学校に行けると思って、自分の力量に合わない中〜高を受験して全て失敗している。

まあ難しい学校から落ちても仕方ないよね挑戦だったね程度で済まされるなら無能とは思わないが、当時の実際の弟の偏差値は良くて45。挑戦ではなく記念受験の域。

高校受験に至っては滑り止めの私立に落ちて、公立も落ちて危うく高校浪人するところだった。

地方なので私立は滑り止めの学校という認識で、落ちたなんて話を聞いたことないくらい受かって当たり前の学校だったのでびっくりした。

結局学校側が頑張ってくれて枠の空いてる私立ねじ込んでもらったらしく高校浪人は免れた。

大学はこの教訓あってかAOだか推薦だかで入学した。

私立偏差値の高い大学じゃ無いことに文句を言っていたが、学校先生からお前の学力で行けるのはこの程度だと言われたそう。

大学は4留して8年大学に通った。卒業できるかヒヤヒヤひたが今年の夏に卒業できた。

4留もしたので奨学金制度は停止されて200万×7年分奨学金なして払うことになった。

当然実家だけではお金を出しきれず私が半分くらい出した。

4留したもの遊んでたりバイト戦士をしていたのならまだ救いがあったがそうでは無い。ずっと勉強していたのに4留した。

ご飯食べに行こう〜とか買い物行こう〜とか私や家族が誘っても勉強あるから、、と殆ど勉強していた。(頭に入ってないので勉強と言えるかどうかは怪しいが)

就職したら一人暮らし始めるのにお金かかるよ?バイトして貯めてお金貯めなくていいの?と聞いても、バイトすると勉強時間なくなるから……と一切バイトもしてこなかった。

今は国家資格のために100万出して予備校に通っている。

就職先は一応決まっていて留年を待ってくれているが、国家試験に落ちたらどうなるかは分からないらしい。

もし仮に就職できたとしても一人暮らしのための初期費用を弟は持ってない。

もも退職してしまったし出せないと考えると出すのは私になるが、学費半分と、予備校代、6年分の弟の年金を払っているのでこちらもそこまで余裕がない。

まあ出すしかいから出すのだけれど。

せめて仕事は本人に合ってて欲しい。

勉強できなくても仕事は上手くハマって仕事できるという人もいるしそうであって欲しい。

そうでなかったらこれ以上面倒みきれない

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