はてなキーワード: 感染症とは
緊急性が問われる感染症対策において良いこととは全く思わないが、市民への提供に関しては公平性の担保と事務フローの単純化。
役所は住所は抑えてるがメールアドレスは抑えてないので、役所からのコンタクトは常に郵送になる。またデジタル版は使えない人(技術的にも所持している機器的にも)がいるので紙版は必要になるので、であれば事務フローを単純化するためにも紙に一本化するという圧力が働く。
LUNA SEAというバンドのボーカルにRYUICHIという人がいる。またの名を河村隆一という。
2018年の12月、例年通り22日・23日のさいたまスーパーアリーナと31日のカウントダウンライブまで彼は歌い続けた。
なんだか人生を見ているような、魂を懸けた歌声に私などはいたく胸を打たれたものだった。
本当に最後かもしれないと彼は思って歌っていただろうけれども、その時はまだ、観客は誰も知らなかったはずだ。
2019年の年始に肺腺がんであることを公表、1月11日に手術で肺の一部を切除した。そして2月19日たったの1ヶ月程度で彼はステージに復帰してしまった。
しかし同年の確か春頃には、喉にポリープができてしまったという。5月20日の誕生日を記念したライブでファルセットが上手く出ず、苦しんでいた姿が印象深く思い出される。
それでも彼はずっと歌い続けた。ずっとずっと。ライブやレコーディングの予定がひっきりなしに入っていたのだと思う。ようやくポリープの手術をしたのは確か10月だった。
そしてそのときも、彼はものの2週間程度でステージに復帰してしまったのである。
この人は本当に歌うことが好きで、なにせソロで120曲ライブをやったときなどは、本当に1人で8時間歌い続けていたくらいだ。
そんな波乱の2019年、レコーディングが進められていたLUNA SEAの「CROSS」というアルバムが12月に発売となった。僕が歌えなくなったらアルバムが出なかったと彼はどこかで言っていた。
そして2020年、アルバム「CROSS」を引っさげた全国ツアーが満を持してスタートする――はずだった。
コロナウイルス感染症が既に世界で猛威を奮いはじめていた中、2月1日の三郷公演からツアーは開幕したものの、2月27日の宇都宮公演を前にしてイベント等の自粛要請が本格化し、公演前日である2月26日にツアーの延期が発表された。
そうして長く暗いトンネルのようなものが私たちの前に立ちはだかったが、その時の彼らの気持ちを簡単に想像できるとは言えない。
LUNA SEAは早くから活動的だった。河村隆一としても配信ライブを定期的に行い、少なくとも我々ファンにとっては勇気を与えてくれるような活動を続けているように見えた。
だがどうやら、生のステージであるライブができないことに彼もかなり苦しんでいたようだ。最近の発言から、そのように感じるようになった。
2020年後半~2021年にかけて、少しずつイベント等の制限が緩和され、十分な対策を行った上でのライブ開催が可能になってくる。LUNA SEAも2020年12月26日・27日にさいたまスーパーアリーナでライブを行う予定だったが、当日である12月26日にメンバーのコロナウイルス感染が判明し、開催延期となる。(後に元気な姿で復帰して本当によかったのだが、ここではその辺のあれこれについては割愛する)
2021年、RYUICHIであるところの河村隆一は何度かライブを行ったが、なんだかおかしい。喉の調子が悪そうに見える。ライブ中に声がかれてしまうことが増えている。
理由は私のような素人に分かる由もないが、ステージをコンスタントにこなすことができないというのはボーカリストにとって非常に不利な状況らしい。
延期後のさいたまスーパーアリーナ公演である3月27日・28日では、声がかれる中、最後まで気力で歌いきったかのようだった。
そのような中でも全国ツアーの再開が発表になり、プロローグでもある有明公演3daysが開催される。初日である5月28日はずいぶん自身をコントロールして歌っているように見えた。3日連続という時間のことをすごく考えたことだろうと思う。彼は3日間を見事に歌いきり、とても美しいステージだったと思う。
有明を終えた1週間後のビルボードライブ東京で歌われた「月はもちろん」は、LUNA SEAのツアーが再開されることへの意気込みを感じさせるようだった。
そしてついにLUNA SEAの全国ツアーが再開される。1年4ヶ月ぶりのことだ。初日は6月12日福岡サンパレス。
私が見たのは「最初から飛ばし過ぎではないか」と思うほど気合の入った歌だった。とにかく気持ちが溢れているように見える。
喜びなのか感謝なのか楽しさなのかは分からない。何かを伝えようとしていたし、それを観客も受け取り、返していたように思う。初日はまるで大団円みたいに終わった。
2日目である6月13日、順調に進んでいるように見えたライブ4曲目の「PHILIA」で突然RYUICHIの声がかすれて上手く出なくなる。ここで休憩を取ってもいいぐらいではないかと私は思ったが、ライブは続行された。
普通、声がかすれしまったらパワーを緩めるのではないかと思うのだが、彼はむしろ、むしろそれまでより全力で叫んだ。「宇宙の詩」を経て6曲目の「静寂」を歌ったとき、一度すべてを壊して作り直すかのように、彼は力の限りを尽くしているように見えた。
いつしかその中で、声が出るようになっていた。
それはとてつもないステージだったのだが……だがこれは、命を削っているのではないかと不安になる。
でも、こんなにも歌に魂を捧げている人が。
こんなにも歌うことに命を懸けている人が目の前にいたら、胸を打たれずにいられるだろうか。
誰が、止められるんだ。
LUNA SEAのRYUICHIであるところの河村隆一とはそういう人だと、今日までを見てきて私は思った。
悪魔が歌か命かの選択を迫ったら命を差し出すような気がするから、そんな日が来ないことを祈るしかない。
こんなに歌うことが好きな人がこの世にいるのか、と思う。
ご自分で仰ってることの相対的異常さにお気づきでないようなのでコメントさせていただきます。
・従来のインフルエンザは乾燥した空気が良くないので加湿器を使って室内の湿度を上げる>インフルエンザ感染者が減る
手洗い・加湿は自衛対策、自己防衛であって自粛とはーーーあなたと私の普通は違うと言われればそれまでですがーーー言わないのが普通ではありませんか。また季節性インフルエンザは冬に増え夏に減りますが、秋から冬にかけて自粛度が下がり春から夏にかけて自粛するからですか?
季節性インフルエンザと新型コロナは違うとおっしゃりたいかもしれません。
・インドの新型コロナウィルス新規感染者は5月初旬をピークに減少しています。
各所絶賛ばかりなので、日和って増田にて感想を書かせていただきます。
2.5の経験がほとんどないので、今まで見たことのある普通のお芝居と比べちゃうんですけど、どれもこんなもんなんですか?
とにかく見せたいシーン・必要なシーンの切り取りが続いていくだけなので、感情移入がしにくいです。
黒と黄色を基調としたスタイリッシュな世界観を貫いているのはよくわかったのですが、いくらなんでも無味乾燥としすぎてるやろ...。
感染症対策で公演時間を圧縮しなければならない都合もわかってます。
にしても、あまりにもシーンとシーンの間に間がなさすぎて、感情を落とし込む時間がないです。
皆さんよくご存知ですよね?脳内で補完してね?っていう。客の事前知識に頼りすぎじゃないか?っていう。
それは演劇としてはどうなんでしょうかね。
照明で工夫するか、持ち道具かセリフでわかりやすくすることできるはず。
まーでも説明的なセリフ入れたくないんですよね?わかりますけども。スタイリッシュにしたいですもんね。
スキップがアッシュにとって大事な存在であるという表現が全くないので、悲しくならないしどうしてそこまで怒るのかも伝わってこない。
ショーターも同じく...。
終始そんな感じが続きますので、そんなつもりで観に行ってください...
自分から前のめりに乗っかっていく感じで観てください。原作から感情を補完しながら観てください。そしたらいけると思う。
ていうか、役作り、アニメに寄せすぎじゃないですか?
みなさん頑張ってるのがよくよく伝わってくると同時に、技術が拙いかたの拙さがこれまたよーく伝わってきちゃって辛い。
早乙女友貴さん、新感線の舞台でお見かけするときはアクションもできて演技も良くて...なのですごく期待してたんです。
今作は滑舌もよくないですし、ちょっと一本調子でよくないです。演出家が違うとこうも差が出るのかと。
劇団☆新感線とチケット代同じですもん。(新感線のが安い場合ある)これじゃあいけないですよ。
2.5って顔なんでしょ?イケメンにお布施しにいくんでしょ?って言われちゃいますよ。
いや、本当に私、ものすっごく楽しみにしてたんですよ。
深みのある芝居を、生と死の手触りを感じる芝居を2.5に期待した自分がおかしかったんですかね。
イケメンを見てきゃーっていう、推しメンが3次元に降臨したことだけを喜ぶもんなんすかね。
弾着(銃で撃たれたほうの人の火薬が爆発する表現のこと)もなかったし、流血もなかったし、なんかずっとみんな綺麗なまま終わった。
最後の対決でアッシュのTシャツが徐々に赤く染まってくくらいの表現ないと死にそうなの全然伝わってこなかったです。
アッシュのTシャツ、マジでずっと真っ白だったよね???最後まで白すぎてびっくりした。
こういうの作ってる側の人の目に入ると落ち込むのわかってますけど、こちらもお金を払わせていただいたので絶賛する自由も批判する自由もあるよねということで書かせていただきました。
死者が一人でも出たり、なんなら感染者が一人増えただけでもまあ政治家に責任の一端はあるっちゃある。ないとはいえないから。
じゃあその責任はどうとればいいんだろう。辞任させる?でも一人死ぬたびに責任取らせて辞任させてたら政治家いなくなるよ。
何人以上死んだら辞任させるラインを作る?そんな機械的に決められるもんじゃないよね。
私は東急REIホテル吉祥寺に入っている保育園に子どもを預けている保護者です。
6月4日に、東京都福祉保健局から東急REIホテル吉祥寺がコロナ感染者の宿泊療養施設となる旨通知がありました。
コロナ感染者から「家の近くにいたい」という希望があり、多摩地域に宿泊療養施設を開設することになったこと、ゾーニングをすること、宿泊療養者には「ホテルの外には脱走しません」という同意書を書いてもらうことを理由に、保育園では安全安心な運営が可能と判断した、とのことです。
私たち保護者は都の説明を受け、そもそも宿泊療養施設の利用率は低く 余裕があること、専門家の知見なしに「ゾーニングに問題はない」としていること、同意書があっても脱走が現実に起きていること等を挙げて 反対しましたが、東京都福祉保健局の花本由紀担当部長からは
「今まで地元住民等から反対が上がっても宿泊療養施設を開設してきた」「開設にご理解いただきたい」と言われただけで、全く聞き入れられませんでした。
今回の説明会で不十分だった点、説明される旨事前に約束していたのに果たされなかった点を再度聞きたいため、
再度説明会を開いていただけないかと依頼しましたが、「今月下旬から受け入れを行う予定」「これは武蔵野市長からの要請でもある」「返答はペーパーを保育園に渡す」と言われました。
ゾーニングは不十分で、(都の説明によれば)感染症の専門家および施設設備の専門家が図面を見たわけでもないのに、「安全安心」と断言されています。
しかも、受け入れ開始は通知の2週間後です。
私たち保護者が説明会でいくら声を上げても、東京都福祉保健局は聞き入れてくれてませんでした。株式会社東急ホテルズの運営担当部長は終始無言、吉祥寺東急REIホテル総支配人も「決定事項である」と言っただけです。
武蔵野市の松下市長と面会したところ、松下市長が選定を承認した事実はありませんでした。
なお東京都の事業であるため、武蔵野市の承認は必要ないそうです。説明会等で経緯を確認する限り、事業者 東急ホテルズ は武蔵野市へもテナントへも事前相談なく進めているんですよね。
とにかく時間がありません。
どうか、皆さまのお力を貸して頂けませんでしょうか。
去年も、「上先生は震災のころにマスコミの報道姿勢を批判していたころはとても客観的で冷静な議論ができていたのに、出る側になるとなぜああなったんだろう」とか、「岩田先生は感染症のプロフェッショナルで、エビデンスに基づいた議論しかしない (ある種できない) 人だったのに、なんでああなったんだろう」とか、かつてを知る同業者が嘆いてたよね。
まぁなんか、(テレビにせよネットにせよ) 注目を浴びて人前で話す、ということには逃れがたい魔力があるんだろうね。その意味で、あれだけ有名なのにブレない尾身先生や西浦先生はすごいと思うよ。
新型コロナウイルス感染症流行下では 10歳未満の小児のライノウイルス感染リスクが上昇した
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00080.html
10歳未満の小児では、COVID-19の流行拡大後も新型コロナウイルスはほとんど検出されませんでしたが、ライノウイルスの検出率が著しく上昇し、例年の2倍以上となりました。COVID-19流行下で小児のライノウイルス感染リスクが上昇したことを明らかにした初めての報告です。
この増田を書く人は現在大学生という身分であり、自分がワクチン接種を一刻も早く受けたいという気持ちを完全に殺して書いているわけではないという点をまず初めに断っておく。もしかしたら自分のリサーチ不足や誤った認識に基づいて文章を書いてしまっているかも知れないので、もしそういった事があればコメントで指摘していただけるとありがたい。
高齢者にワクチン接種を優先するのはコロナの重症化・死亡リスクが高いから。一般的にはそう言われている。国民の大半はそれにたいして疑問を持っていないかも知れないが、1周も2周も捻くれている自覚のある私はそうは思えない。
厚生労働省が2021/1/6に出した、[新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)](https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000716059.pdf) を見ると、男性の方が女性より死亡率が高いことが読み取れる。私は統計学に明るい人間ではないので、交絡・バイアスが紛れ込んでいる可能性を完全に否定することは出来ないし、これが有意差であるかどうかも分からない。ただ、高齢者にワクチン接種を優先するのも具体的に何%重症化・死亡リスクが高いからで、高齢者にワクチン接種をn日早めるとどれだけの人命が守られるからだ、といった数字ベースの話はしていない。(と、少なくとも報道を見る限りそう捉えられる。)つまり、男性に優先接種等の措置を行わないのに、高齢者に優先接種を行うことは、なにか違う意図(例えば、高齢者の票を確保したい政治家の魂胆)があるのではないかと私は疑ってしまう。もちろんこのご時世に性別で差異を設ければ世間の批判を浴びることは疑いようがないし、そういったことを避ける意図として性別による優先接種を行わないのだという反論も一理ある。では何故年齢による優先接種は差別に当たらないのだろうか。そもそも差別とはなにかという話からしなくてはならない気がするが、「自分では変えようがない要素によって理不尽な扱いを受ける」というのが(あくまでも私の中での)差別の定義である。その定義に従えば、生年月日(年齢)は自分では変えようのない属性であることは明らかであるし、その要素によって不遇な扱い(ワクチンを早く接種出来ない)を受けていることは間違いない。これが差別だとなされないのは、若者がそれを差別だと認識させないような社会を、そういった社会を望む者たちに構築されてきたからではないのかと思うのだが、社会を捉える目が穿ちすぎだろうか。差別する側はそれを差別だと気づかないのは当たり前の話として存在するとは思うが、差別されている側もそういった年上優遇の社会を「儒教の教えだから」、「年功序列だから」といったような浅い理由で受け入れてしまっているのではないか。
コロナ禍の日本において、世代間の分断はさらに広まったと思う。もともと医療費や年金といった負担が現役世代に重くのしかかっている上に、高齢者の運転者が事故を起こしたりしていた。それでも政治家は投票率が高く母数の多い高齢者の優遇政策を辞めない(と、少なくとも私にはそう見えてしまう)。コロナ禍では、「若者は外出を控えて」だの「卒業旅行はナシ」だの言われ続けた。ただでさえ卒業式、入学式、成人式など「一生に一度」の機会が失われ続けた人が多い。それにも関わらず、議員が会食したり公務員が飲み会を開いたりしていた。確かに入学式とか形式だけの挨拶が行われるだけだし、行っても行かなくても人生に大きく影響を与えるものではない。しかしながら、逃がした魚は大きいとあるように、我々にはその失われた入学式が重要なものであったと思えてしまうのだ。
若者の貴重な日々が奪われ続けていると言ったのは、このような非日常なイベントのみを差しているわけではない。ただの日常だって、中学・高校は3年間しかないし、大学も4年間しかない。そのうちほぼ2年が失われようとしているわけで、うん十年と社会人生活を続けるうちのたった2年を失われるのとは訳が違う。ジャネーの法則と呼ばれる法則をご存知だろうか。生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するというものだ。(Wiki調べ) それによれば、15歳にとっての1ヶ月は45歳にとっての3ヶ月と(少なくとも心理的時間間隔においては)等価値なのである。だからこそ若者に対しては一刻も早くワクチン接種を受けさせるべきだと私は思っているし、中学生から集団接種をバンバン始めるべきだと思っている。
だからこそ[京都 伊根町 中学生の集団接種 抗議殺到で変更へ 被害届も検討](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210609/k10013075961000.html) みたいな記事は胸クソ悪いし、萩生田光一の「基本的に、小中学生は集団接種を前提には考えていない。12歳以上の接種が可能だという通知が出ているが65歳まで終わったら、その次の年代や、基礎疾患のある方を優先的にやるべきで、ある自治体が『すべて終わったから、子どもたちにも打つ』というのは、やや順番が違うのではないか」という発言に対してはクソ反感を覚える。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210607/k10013072451000.html) 彼、若者の敵になるような発言しかしない印象がある。本当に文部科学大臣か?
何がオリンピックだよ、なんで小中学生をオリパラ観戦させるんだよ、希望者接種完了11月?ふざけるなよ。15歳の中学生がこれから更に半年待たないと打てないということは、75歳の高齢者が2年半ワクチン待たされているのと同義なんだよ。そもそも短い学生生活をワクチンを打てない不安の中過ごさせる日々を少しでも短くしてほしいのはもちろんだし、ワクチン接種が打ち終わらないのにオリンピックをやることにも納得出来るわけがない。オリンピックで感動を届ける、別にそれ自体を悪く言うつもりはないけれど、なんでそんなものに命賭けなくちゃいけないんですか。大半の政治家は高齢者でオリンピックの時期にはワクチン接種が完了しているから高みの見物なんだろうけれど、希望者にすらワクチンが行き渡っていない状態でオリンピックを開催することに賛成できるわけないでしょう。そもそも水際対策すらまともに出来ていなかったせいでアルファ株もベータ株も日本に来ちまってるじゃねーか。ほとんどの学生が不安を抱えながら夏休みを迎えることになる。流行期には悪者扱いして、ワクチン接種では後回しにするんじゃ若者の苛立ちは募る一方なんだよ。せめて最後くらいはいい思いをさせてやってくれや。ワクチン接種が夏休みまでに受けられなかったら安心して海やプールに行けねえんだよ私たちは。学生の夏休みなんて数えられるくらいしかないのに、政府の対応のせいで1回ならず2回も奪う気なのかよ。
地方自治体によっては若い世代に早めに接種するらしいけど、うちはそうじゃねぇ。成人式も適当だったこんな市長には次投票するつもりはないけれど、どうせまた再選するのだろうという絶望感がある。どうせなら国に早く学生にワクチンを打たせるような指針を打ち出して欲しかった。
東京・大阪の大規模接種会場が全国対応?ふざけるなよ。そんなの各地から首都圏にウイルスを集結させるようなもんじゃねぇか。次の世代に接種させろや。
何も私だって今更65歳以上の優遇を止めろとまでは言うつもりはない。そんなことをしたらまず混乱が生じるし、政治家だって選挙で勝てないようなことをわざわざ進んでするようなことはしないだろう。私のささやかな願いとしては、余りでいいから、キャンセル分でいいから、いち早く年齢を問わず希望者に接種出来るような体制にしてほしい。
自分のツイッターでは色んな人と繋がりすぎていて吐き出せないので、ここで愚痴を言わせてください。
以前は遠征して行っていたものも今は市内から出ることすら許されていません。
行きたいけど仕事も大事だし、公式が生配信やアーカイブも残してくれたりしていて、むしろ遠征費をかけずにそういうのを見ることができてそこそこオタ活を楽しんでいました。
そんな中、ずっと好きだった漫画家さんが個展を開くことになりました。
入場特典は先生が画像をツイッターであげてくれてイラストが見れたからそれで良かったことにしました。
開催一週間前の告知はコロナ禍じゃなくても行けなかったと思うので、なかったことにしようと思いました。
先生の漫画は多忙な日々の癒やしで、それが読めるだけで幸せだと思い込むことにしました。
今後サイン会に行けるようになる日も来るはずだからその日を楽しみにしよう。
そう思っていたのに、許せないことが起きました。
「○日の○時から会場にいます!」と先生がツイートしたのです。
それを見た瞬間、「え?」って思いました。
個展初日に会場に行っていたこと、そこで読者と交流しおそらく手紙などのプレゼントを直接受け取ったことをツイートし、「私も会いたかった」と言った読者がいたようです。
そういった読者を気にかけてわざわざ告知をしたのです。
じゃあそもそも行けない私にはなんの気もかけてくれないの?
おそらく「絶対行きます!」とか「お会いできるのが楽しみです!」とかそういう言葉が並んでるのでしょう。
告知をしたら先生のファン全員が行けると思ってるんでしょうか。
先生は「なかなか読者の方とお会いできないご時世でせっかくなので」とも言っていました。
そんな告知をしたら人が集まると想像できないのでしょうか。
それなのにわざわざ人を集めてもしものことがあったらどうするんでしょう。
こんな時に自ら人を集めてコロナに罹ったとき面倒を見ることになる医療従事者の方の心配をしているんです。
入院したことで私の仕事についての大変さや大切さを少しでも知ってくれたのかと思っていたのに、期待しすぎていたようです。
読者と交流がしたいならツイッターのスペースじゃダメだったのかなあ。
それなら私みたいたな現地に行けない人も先生とお話できたと思うのに。
仕事辞めろとか引っ越せとかそういう意見はこの一年たくさん聞いてきたのでいりません。
ただの八つ当たりだったとしても、私は先生のことが嫌いになりました。
たくさん人が集まるといいですね。
仏「すばらしい日だわ。我らが共和国大統領がようやく痛い目に遭ったわよ」
仏「胸がすく思いね!日本はなぜスガの横っ面を引っ叩かないの?だから日本は遅れてるのよ!hihihi!
まあ冗談は置いといて、私はマクロンは大嫌いだけど、テロにも繋がる危険なアクシデントなので、手放しでは容認できないわね。
増「言いたいことはわかるよ」
仏「ところで日本のミュズルマンが土葬を請願したっていうニュースをあなたは知ってる?」
増「さあ」
「はえ~、そんなことがあるんやな。都道府県に1施設って随分欲張りね」
仏「気をつけてよ。モスクができるまで秒読みよ?」
増「まあ日本はラシスト(笑)だからミュズルマンだろうとそうでなかろうとまず突っぱねるだろうね」
仏「それは賢明ね。かれらは自分の宗教の要求は最大化させるし、キリスト教その他の文化は最小化させる。
メリークリスマスすら言えないのになぜブルカを容認しなくちゃいけないのか理解に苦しむわ。
増「・・・ま、まあポリティカル・コレクトネスの時代だしね」
仏「増田ね、これはポリティカル・コレクトネスではないの。宗教的正しさよ。
宗教的正しさは絶対だから、自分の宗教は最大化し、そうでない宗教は最小化させるの。
増「お、おう」
仏「まあジャポンは狭いからね、棺を入れるような墓場なんてつくるスペースないだろうけど」
増「そうか、土葬は火葬に比べて場所取るんだね。気づかなかったな」
仏「棺桶高いのよ」
仏「火葬ね。まあ衛生的で合理的だとは思うけど、ダンナの親戚の不幸で葬式に出たけど、あれは衝撃的だったなあ。
遺体と面会して、しばらくしたら灰と骨になってる。で、骨をバゲットで拾うわけ。随分酷いなと思ったよ」
増「そうか、酷いって感じるもんなんだな」
増「でもgoogleやヤフーのニュース見てたけど、そのニュースは目につかなかったな。
日本ではイスラム教の影響力はさほどでないってことじゃないかな」
仏「それが一番。もちろん宗教的差別は絶対に許してはいけないけど、
異郷の地で自分の流儀を100%押し通そうというのは異郷の文化へのリスペクトの欠如よ。
あとワクチンの話
仏「イギリスではワクチン接種率が順調に高まっているのに、感染はむしろ増えている。
フランスはイギリスの後追いをよくするので、我が国もいずれそうなるだろうね」
増「へえ。こないだ動画見せてもらったけど、ロックダウン解除とかワクチン普及とかグッドニュースがあるたび、
仏「それはそうだけど、そもそもワクチンの効果自体をもう少し疑った方が良いよ。
増「というと?」
増「ワクチン接種は増えてほしいけど、私は打ちたくないなあ」
仏「Très Bien。打ちたくないというのがまともな判断。ただ緊急事態に限ってまともな判断も再検討されて良いでしょう。
欧米は感染爆発したので、リスクを取ってでもワクチンを打つという選択肢は仕方がない側面はある。
私もフランスに居たら、家族のためにも打つ必要を検討したわね。
増「ん?」
仏「考えても見て。”ワクチンは副作用があります。でも安心して下さい。副作用の確率は限りなく低いです”
こう説明されるはずでしょ。
”コロナは感染力の強いウイルスです。でも重症化する確率は限りなく低いです”
コロナに罹るのはどうしようもない。でもワクチンは選択できる。選択できるなら、リスクを回避するのが当たり前でしょ?」
増「???ごめんよくわかんない」
仏「感染者数もコロナ死亡数も"他に比べて"(entre guillemets)圧倒的に低い日本では、リスクは均衡しているってことよ。
欧米では感染リスクの方が圧倒的に高いからワクチンを受け入れざるを得ない。
でも日本はコロナのリスクが”欧米に比べて”大したこと無いんだから、ワクチンのリスクを恐れて拒否することは当然の合理的な選択ということよ。
ワクチンを打ちたい人は打てばいい。でもワクチンにリスクが有ると思うのなら、そのリスクを回避するのは合理的でしょ」
増「そのりくつはおかしい。コロナが重症化するリスクは限りなく低いってことはないでしょ」
仏「だったらワクチン打ちなよ。コロナのリスクがワクチンのリスクより遥かに高いって判断するならね。
でも考えようによってはワクチンのリスクとコロナのリスクは同じか、むしろワクチンのリスクが高いって見方もあるでしょ?ってこと」
増「おぅ・・・」
仏「コロナのリスクがワクチンより高いならワクチンを打ちなよ。リスクがイーブンなら、感染症対策バッチリした上でのワクチン拒否も合理的。
でもコロナリスクよりワクチンリスクが高いならワクチンを打つ方がバカでしょ。増田はどう考える?」
ワクチン摂取増えろ増えろ、でも私はギリギリまで打たないぞー、ってスタンスだったからあんま考えてなかったや」
仏「合理的だろうと非合理的だろうと人にはそれぞれ考えがあるし、それは認める(Je le constate)。
でも私は理屈に合わない話を受け入れるつもりはないな」
増「なるほど」
mont-joie:マクロン襲撃者が言ったらしい言葉。解説聞いたけどよくわからんかった。
avoir failli~:危うく~するところだった
avoir pour objectif de:~する目的で
déficit:不足。manqueとどう違うんだろう。
cercueil:棺
crémation:火葬。incinérationとも言う。
constater:確認する、認める。同意ではないがその意図はわかる、的ニュアンス。
「 Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu’à la mort pour que vous ayez le droit de le dire」的なヤツ?
と聞いたらまあそんな感じかしらとのこと。
70歳以下の年齢層において、新型コロナウイルス感染症による死亡率は、0% (30代以下)、0.1% (40代)、0.1% (50代)、0.7% (60代) 、 3.2% (70代)
日本ではあまり接種が進んでいないのに、若年層にも複数の死者が出ている。接種すると発熱、頭痛や腕が痛くなって上がらなくなるという症状が出るようだし、
効果が出るのは2週間後なのにどれほど抗体の効果が持続するかが不明瞭。しかも世間にはワクチン関係なくマスクしてないと入場出来ない施設もかなり多い。
もし若年層も多数が打ってしまったらワクチンパスポートなんて面倒な制度が出来てしまって、低リスクな病気を防ぐために移動のたびに手間がかかるなんてことがありえる。
ある感染症に対して、検査をして隔離する。これはインフルエンザやMRSAであっても通常の病院で行われている感染対策である。
検査の精度が低いから意味ないというのは正解とは言えない。流行が終わるまで検査をして隔離を続けられるならしたほうが良いに決まっている。
問題は検査をした後の隔離といつまでリソースを投じ続けるかである。
入国する際に自主的な隔離をお願いした我が国がその結果を表している。
食事や生活物資をいくら届けようとも、やはり普段の生活や人間関係を求めるものである。
少数の隔離を守らない人ほど交友範囲が広くウィルスを撒き散らす。
管理された隔離では居住場所、水や食料などの生活物資、娯楽品が必要である。(娯楽品はメンタルケアに重要である。災害医療でもそう言われている)
また、それらを配送する人や仕組み(手渡しだと配達する人が感染しかねない)が必要である。急変時に対応できることも必要とされる。
老人ホームを新たにたくさん作るようなものでやればできるかもしれないが、どれだけ金と人がいるのだろうか。
日本と事情が違うのは国内に入られる前に侵入経路を隔離で閉じたところである。
しかし、最近までほとんど感染者を出していなかったが一度国内に入られるとまたたく間に広まっている。
感染者を出し続けていた日本と違うのは、おそらく感染者を出さない日常が続いたため民間レベルでの感染対策が疎かになってしまったことではないだろうか。
社会的なまでに大規模な検査・隔離というのは籠城戦のようなもので外に敵(ウィルス)がいるかぎり臨戦態勢を続けないといけないものである。
新型コロナは夏になっても流行地域を変えながら様々な地域で流行していった。
となれば感染対策のゴールは、シーズン終了でもなく国内の感染者が0になることでもない。
考えつくのはこの3点である。
1と2をゴールと期待するのは楽観的であった。現実は感染力が高くなり進行も早くなるなど厄介な方へ進んでいった。
大規模なPCR検査で隔離というのは見えないゴールに向かって短距離走の走り方をするようなものである。
重要なのは「フルパワーでなくていい。継続していくことが重要だ」というような先の見えないマラソンをする覚悟だろう。
ワクチンもPCR・隔離もやればいいと言うのは、畑に金や物・人が生えていて好きなだけ取り放題ならそのとおりである。
検査と隔離の有効性は疑う余地がないのだから、有効かつ継続できる対象を考えるべきである。
PCRと書いていないのは大規模な検査は抗原検査キットを使うべきだと考えているからである。
私が考えているのは
である。
隔離のリソースもその中に入れないだけでよいのだから。(外で広める分には知らない。小集団内での感染を予防する目的だから)
出入りの制限ができない広い社会では個別の感染予防とワクチンを優先し、狭い集団では更に検査と隔離を追加する。
というのが私の考えである。
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。
まずは『集団感染で集団免疫を得る』とかほざいてたカルトどもを吊るしてからにしようぜ
■ 2020-11-10 (anond:20201110102709)
アメリカのネトウヨを輸入してる日本のアホはワクチンは無意味・開発出来ないって騒いでたがな
割と日本のアホは配慮が必要な域にあると思う。ネトウヨと明確に区別してよい
見本 ↓
さすがにワクチンに期待するのはノー天気過ぎると思うが・・
■2020-06-28 anond:20200628132752
しかし副反応のないワクチンなど無いことだけ理解出来ればいいよ
[ナショジオ] MERSワクチン、開発が進まない理由
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9272/?ST=m_news
コロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院、ジョン・スノウ冠教授で同大学院感染症・免疫学センターのディレクターを務めるW・イアン・リプキン(W. Ian Lipkin)氏は、
「もし世界中の全ての人にワクチンを接種するとしたら、ある人がワクチンに対して副作用を起こす可能性は、MERSを発症する可能性よりも高いだろう」と話す。
◆予防の鍵はラクダ
SARSのときにはウイルスを媒介する動物の駆除が制圧を早めたように、MERSのさらなる感染拡大を止めることが何より望まれるという点では誰もが一致している。
リプキン氏は、最も有効なのがラクダだと期待する。MERSの予防ワクチンを人に接種するのではなく、感染拡大の鍵を握っているらしいラクダへの接種に焦点を移した方がよい。「宿主としてのラクダを根絶すれば、MERSを抑え込む合理的な一撃になるだろう」とリプキン氏。
ラクダ用ワクチンの開発であれば、人間用ワクチンの開発よりも安く、早く、容易に実現するだろうし、人間の場合に比べて安全性の懸念も小さいとリプキン氏は話す。
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