はてなキーワード: 姉妹とは
実際に障がい者の家族がいる中で育ってきた経験は、生半可なものではないよ。
あと兄弟姉妹に障がい者がいるのと、子どもに障がい者がいるのは、かなり別の話だ。
夫婦からしたら子どもを持つ以上、その可能性は分かった上でのことだけど、兄弟姉妹からしたら特に何か決断したわけでもないのに人生の選択肢が狭められるんだ。
障がい者の面倒を見させられるのが嫌だからといって結婚相手からは敬遠されるかもしれないし、逆に障がい者の兄弟姉妹の面倒を見なくて大丈夫と言うとあなたのように妹さんがかわいそうだと言われて敬遠されてしまう。
彼氏が子どもを持つことを考えていて、障がい者が生まれても責任を持つと言えるなら信じて良いと思うよ。もしくは子どもを持ちたくないというのも選択肢ではあるけど、そこはあなたの意見次第だね。
3つ上の姉がどこかおかしいということを私は幼少期から幾度も感じていた。
一番記憶に残っているのは小学校3〜4年生くらいの時に万引きをした事だ。
不幸中の幸いと言うのか、姉は知能も低いのか万引きしたペンやお菓子を隠すこともなく親の前で出していたため発覚は早かった。
問い詰められて万引きを白状した姉はそれはもう怒られた。母は姉を引っ叩きすぐさま引きずるように万引きをした店に連れて行き謝罪をさせた。
もちろん母も平謝りで代金を支払い許してもらったらしい。
それを見たまだ幼かった私は万引きがどれだけ愚かで悪いことかということを心に刻まされたのであった。
だが姉は違った。
そのあとも何度もお菓子やペンなどを万引きし、その度に母に見つかりその度に店に謝りに行きひどく怒られた。
母は悩みどうすればわかってくれるのか試行錯誤を重ねた。
どれだけ怒鳴りつけても叩いても意味がないのである時は優しく諭し、泣いて見せたり、警察に連れて行って怒ってもらったことまであるらしい。
それでも結局小学校高学年になるまで姉は万引きをやめられなかった。
(友達に指摘されて以来ケロッと辞めたらしい)
母の名誉のために言うと母はとても愛情深い人で、姉妹には全て同じ物を与えてくれたし世界で一番私たちが大事だといつも口癖のように言ってくれた。(そのおかげで自己肯定感だけは異様に高いモンスターが生まれた)
欲しいものをなんでも買ってくれるわけではなかったが一般的な躾の範囲内でお菓子やペンを買ってもらっていたと思う。
つまり愛情不足とか甘やかしすぎだとかいう育て方の問題ではなく、「個性」だと言わざるを得なかった。
他にも寝坊したら小学校をサボったり(親は朝早い出勤の日があった)ランドセルを持っていくのを忘れたり(忘れ物が多いのは大前提)イジメられてるのに気づいてなかったり(靴を隠されても本気で失くしたと思っていたらしい)とにかく書ききれないくらいくらい母は苦労したしなんなら今も朝は母に起こされないと平気で寝坊してクビになるし絶対結婚も一人暮らしもできないから多分死ぬまで母は姉の面倒をみるんだろう。
最近よく見ている映画レビューサイト『シネマンドレイク』がフィーチャーされているので、あらためてまとめてみようと思う。
※人物像
・小さい頃から“ゲームっ子”だったゆえにアニメや漫画はそこまで深く立ち入る機会も好奇心もなかったのです。
・子どもの頃から「男っぽい」もの、「女っぽい」ものという、露骨に固定的なジェンダーのイメージが強いものに対して内心では避けたい気持ちがありました。今では私はノンバイナリーを自認
・私は北海道出身で、北海道のいくつかの地方と縁があるので実情を多少は知っているのですが、知らない人が思っているよりもはるかに絶望的です。
・個人的な話になってしまいますが、私は「兄弟」よりも「姉妹」の方が身近な存在で、家族・親戚周辺もなぜか3姉妹が多いです。逆に3兄弟は3姉妹よりは少ないですけど一応はいるので、3姉妹と3兄弟の比較…みたいなことが自然とできてしまったり
・私も科学に関わって政府の人ともやりとりしたことがあるのですが、あんな“暖簾に腕押し”みたいな反応の役所なんて日常茶飯事
・地球環境問題というのは嘲笑われやすいトピックです。私もこの分野をかじっていた人間なので経験としてわかります。どうも世間は地球環境問題に取り組むことや取り組む人のことを「オシャレ」だとか「意識高い系」みたいな見下しで扱ってくるんですよね。もしくは「慈愛」「慈善」みたいな感情的な活動だとみなしてくる。全然その問題の本質を理解してくれないわけです。ときには「地球環境問題もいいけど貧困に取り組むべきだよ」とか言ってくる人もいるし、ジェンダーやLGBTQには関心があるわりには地球環境問題にはまるで当事者意識のない人もいます。
・なお、Twitterを見る限りでは町山氏には批判的なようである。
※自己紹介
…映画を愛する映画ライター(雑草)。洋画、邦画、アニメ、ドキュメンタリー、ドラマシリーズ、なんでも観ます。年間で鑑賞する新作映画の数は約300程度(劇場未公開作品も含む)。アセクシュアル・アロマンティック・ノンバイナリーのLGBTQ当事者(they/them)なので、その視点で映画を語ることも。得意なテーマは、映画全般、ジェンダー、セクシュアリティ、自然環境、野生動物など。ライター:取材&仕事等の依頼は「お問い合わせ」まで。
※環境問題について
・今の環境問題を振り返っても『ドント・ルック・アップ』みたいにフィクションの中でくらいは何回か人類を絶滅させてやらないと…それくらいしないと加害者責任を自覚できない
・少しでも多くの人がこの問題に当事者意識を持つということ。私もあなたも中立ではありません。人間である以上、もう問題の加害者です
※Z世代について
・Z世代の子どもの方が真面目にネット規制を支持していると思う
・SNS社会の中、どうしても「いいね」欲しさに自分をより良く見せようと日々奮闘する、そんな強迫観念に駆られる10代
・フェミニズム的な“正しさ”がブレることなく存在し昨今の定番であるZ世代に通用するキャラクター性に更新されている
・これがアメリカの血気盛んなZ世代の10代だったら全然違いましたよ。きっと「そんな酷い目に遭っているの?! よし、なら抗議してやろう!」とハッシュタグ・アクティビズム全開で連帯を開始して入国管理局前でデモを始めた
・「SDGs」はノリノリで掲げるくせにそのSDGsの目標のひとつである「ジェンダー平等」にはたいして興味がないばかりか、そもそもジェンダーが何なのかイマイチわからないまま雰囲気だけで同調している日本社会の皆さん、ごきげんよう
・「カミングアウトを大仰にドラマチックに描くのはもうダサいだろう」というイマドキなZ世代的感覚
・残酷描写やエロ描写をもっぱら規制しようとしてきたのは「保守派」や「宗教右派」である
・世の中には“配慮”に気を使いすぎて映画としてつまらなくなっている作品も少なくない
・でも、映画は芸術だからこそ、ときに政治的な視点で批評するのも大いに結構
・
おカネが山ほどあればこんな日本を飛び出して海外で暮らしたいと正直思っている
・洋ゲーの最近の潮流なでクィアのようなカルチャーの取り入れ方が上手い
・同性婚は実現してもトランスジェンダー差別は依然として残ったまま。トイレなどの一部の空間での露骨に強調されるトランスジェンダー排除
・そもそもフェミニズムというのは実際のところ誰の心にも宿るもの
・「男オタク」は今の社会では圧倒的なマジョリティであり、特権を持った支配層であり、自己批判がや差別意識から目を背けがち・日本というろくにジェンダー教育をしていない
・いかなるジェンダーでも中立的な立場にいる人はひとりおらず、自分の中のマジョリティな加害者的側面を自覚しよう
・ホモソーシャル的な生存術であり、同時に科学に対する日本のメディアの態度でもある
・多くの女性は不本意ではあるけど男性の評価を気にしながら生きている
・「歌舞伎」とアニメ・漫画などの「オタク」という趣味はどちらも女性が排除されがちでオタクの世界も男性中心的
・と高身長な女性というのは、男社会にとってのステレオタイプな寵愛しやすい女性像ではないので男性オタクからも白眼視される---【出典】アニメ『かげきしょうじょ!!』感想(ネタバレ)…歌劇に生きる現代の少女を描く より
・女性がファンダムに身を投じることは時に男性とは異なる困難をともなう。風当たりが男性以上に冷たかったり、安全なファンダムの居場所が用意されていなかったりする。
理想的な男性の振る舞いは女性のファンダムを一切邪魔せず、変に首も突っ込まず、そっとサポートし弱音を見せたり、“男らしさ”で気取らず、しっかり自分の弱さを示すのも良い
・日本も先進国の中でははるかに女性差別の激しさで言えば酷いものだということも繰り返したいところ
・。本作でも女性キャラの扱いから脱臭できないほどに男性目線主体の匂いを感じる
・日本でもAIの無自覚なジェンダーロールによる女性差別が問題視されている
・従うしかできない、抗うことは許されない…そういう日本社会の体質
・本は実名を出さなくても政治ネタを映画で扱うとそれだけで「プロパガンダだ」と非難されてしまう
・日本は2020年代になってもなお非常に封建的社会が残存しており、家長を絶対主とする規律があり、従属と調和を優先し、主流の社会に逆らうことは許さない
・男に主導権を与えるな、男が助けてくれると思うな、男の料理は場合によってはヤバイ!
・『シュレック』というアニメ映画があり、あれも当時は斬新で「怪物でもプリンセスのようなヒロインになれる」ことを示した作品でしたが、今の価値観で見ると「女性は美人かブスかの二択」のようで違和感も感じます。
・ヒロイズムな着地になってしまいます。まあ、もちろんやっていることは立派で正しいのですが、やはり男性であるというだけで作品のトーンは偏向するもの
・シリアで拘束されて解放されたフリージャーナリストをボロクソに批判することに快感を見いだし、はたまた中東情勢が不安になるたびにガソリンや灯油価格を心配する。そんな国がこの日本
・ジェンダー構造には無関心で自身の男性特権を自己批判でせず冷笑的なマッチョイズムで典型的なホモソーシャル
・マスキュリニティ賛美の色合いが濃いこ、異性愛規範も充満している
・軍隊主義的な“男らしさ”だけが物事を解決できるわけじゃないという教訓
・車が自分の男らしさを体現する剣であり、もっと言えばペニスである
・上から目線のマスキュリニティではなく、下から支える献身的な愛を感じる良いシーン
・「女の連帯」とは似て非なるものです。なぜなら既得権益に酔いしれたいだけ
・「ガンダム」は男同士の同性愛には直接的には踏み込まない。やはりホモフォビアがある
・そして日本のインターネット界隈もSNSやまとめサイトを中心にしてインセルの巣窟になってしまっている動かぬ現実がある
・『機動戦士ガンダム』を継承する「男vs男」の対決に行き着き真の部分はものすごくホモセクシュアル
長くなったので後編【https://anond.hatelabo.jp/20230218181513】に続く。
ないな。
もしそうだとしたら兄弟だって尻穴をほじり合ってるはずだけど俺は兄や弟にそういう事する発想になったこともない。
エロ漫画の交換だって本当はやりたくないけど金がなくて渋々やってた程度だから意外と家族間でも性はオープンってほどじゃないように思う。
でも美男美女の兄妹だったらシックスナインぐらいするんだろうな。
むしろブサイク兄妹の方がお互いにそういう事する相手に困っているからそうなる機会がありそうだな。
女の側から誘ってくるパターンだと、乗らないと襲われたと言いふらすって脅しに強制力がありそうだ。
男の場合だと若いうちなら柔軟頑張れば先っぽぐらいは自力でペロリン出来るが、女の場合は恋人を作るまで舌の触れる感覚を味わうことはないので飢える理由はあるな。
棒を出し入れするほうが実際は気持ちいいのと、舐め合うとどうなるのかに対しての好奇心はまた別物だろうし。
◇岩崎夏海さんとはどういう人なのですか?
岩崎夏海さんは、漫画『もしドラ』の作者であることが知られています。同作品は、「もしもある日突然、あなたの前に現れた不思議なドアを開けると、そこには過去や未来、異世界など、様々な場所が広がっていたら……?」という設定のもと、主人公がそのドアを通って様々な世界に冒険する様子を描いた作品です。
◇岩崎夏海さんが書かれた「ゲームの歴史」の内容について教えてください
岩崎夏海さんは、2021年に『ゲームの歴史』という書籍を出版しています。同書では、ビデオゲームが誕生した1970年代から現代まで、時代背景や社会情勢とともにゲーム業界の歴史を振り返り、ゲームが現代文化に与える影響や可能性などを考察しています。
記事によれば、同書では「ゲームをプレイしてきた世代」から「ゲームを理解したくて本書を手にした世代」までを想定し、それぞれにわかりやすく、かつ深い知識を提供するための取り組みがなされているとのことです。さらに、同書には、ゲーム史における重要なタイトルや出来事が紹介されており、ビデオゲーム産業が社会や文化に与えた影響についても詳しく解説されていると述べられています。
このように、『ゲームの歴史』は、ビデオゲームの歴史やその進化、文化的意義について、わかりやすく深く掘り下げた書籍であるという評価がなされています。
すごい、めっちゃいい本じゃん。読まなきゃ(使命感)
◇もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらの内容を教えてください
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』シリーズは、高校野球の女子マネージャーがドラッカーの経営思想を学びながら、野球部のマネジメントに奮闘する姿を描いた作品で、多くの読者から支持されています。
また、岩崎夏海さんは、他にも『ラブストーリーは突然に』や『シークレット・ツインズ』などの作品を手がけています。最近の活動については、2021年には『もしドラ』のスピンオフ作品『もしドラ外伝 星の王子様』が発表されています。
◇『もしドラ』のスピンオフ作品『もしドラ外伝 星の王子様』のあらすじについて教えてください
『もしドラ外伝 星の王子様』は、もしドラの人気キャラクターである古谷葵が主人公のスピンオフ作品です。ある日、古谷葵は父親から、遠い国の王子様と見合いをすることになります。王子様との結婚が叶えば、古谷家は多額の報酬を手に入れることができますが、その見返りとして古谷葵は、王子様との結婚が決まるまでの1週間、彼の護衛をすることになります。
古谷葵は、王子様の護衛をしながら、彼の真の姿を見極めようとします。しかし、次第に古谷葵は、王子様に対して、自分自身も気づかなかった感情を抱くようになります。果たして、古谷葵は王子様との結婚を決めることができるのでしょうか。
◇シークレット・ツインズという作品のあらすじを教えてください。
『シークレット・ツインズ』は、岩崎夏海による小説で、2012年に発表されました。
物語は、主人公の少女・真帆が、自分と瓜二つの姉・奏を探し出し、家族の秘密に迫っていく物語です。真帆は、姉が行方不明になってから10年以上経ち、姉が生きていることを信じて探し続けています。ある日、偶然にも、真帆は姉そっくりの女性・奏と出会います。奏には、真帆と同じ顔をした妹がいたのです。真帆と奏は、姉と妹が交換された過去を知り、家族の秘密に迫っていきます。
物語は、家族愛や再生のテーマを描きながら、真実と嘘、過去と現在を行き来する展開が繰り広げられます。真帆と奏は、自分たちを巡る家族の秘密を解き明かし、互いに支えあいながら成長していく姿が描かれています。『シークレット・ツインズ』と『もしドラ』は、登場人物が同姓同名の双子であるという設定が共通しています。具体的には、「シークレット・ツインズ」の主人公である宮園はじめと「もしドラ」の主人公である葵はじめは、双子の姉妹であり、どちらも別々の作品で活躍しています。ただし、物語の内容やテーマは全く異なるものとなっています。『もしドラ』と『シークレット・ツインズ』の間には、物語上のつながりはありません。
◇「ラブストーリーは突然に」について、続編である「シークレット・ツインズ」とのつながりを意識しながらあらすじを説明してください。
「ラブストーリーは突然に」は、大学生の吉川悠という男性と、彼に恋をする女性たちの恋愛模様を描いた作品です。続編である「シークレット・ツインズ」との直接的な物語上の関連性はありませんが、登場人物の名前が「シークレット・ツインズ」と同じであることから、作品世界上では同じ架空の世界に存在することが示唆されています。ただし、物語の内容やテーマは全く異なるものとなっています。
以下抜粋
私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。
まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるだろう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地 よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。」
親友が入籍して結婚式をするので来てほしいというお誘いが来た。
もちろんお祝い事なので二つ返事で参加することを伝えた。
スピーチのお願いもされた。
緊張で吐きそうだし恥ずかしいけど頑張る。
ただ問題があって、私は地方在住なのだが結婚式会場は東京なのだ。
新幹線は往復2万。
結婚式にも参列してほしいとのことでヘアメイクの時間の兼ね合いもあって前泊しないと絶対に間に合わないため追加で宿泊費1万。(帰りにバタつきたくないので後泊も1万かかるがそれはこっちの都合なので黙って払う。)
ご祝儀3万。
もうこの時点で6万(+後泊1万)の出費である。
いや死んじゃうって。
従姉妹の結婚式に呼ばれたときは交通手段と宿泊するかの確認、ホテルの斡旋、新幹線チケットの準備まであったのでそういうもんだと思っていたけどまったくもってそういう確認がなかった。
こっちから聞くのもなあと思っているうちにホテルの早割もなくなり、新幹線の割引席が売り切れ、なにも割引がない状態で行くことになってしまった。とてもつらい。
東京なんて年に2回行くかどうか、さらに方向音痴なもんで電車の何線がどうとか乗り換えがどうとかどこにホテルとるとアクセスしやすいとかも全然わからん。電車は全部乗り換えアプリに頼ってる。
金かかりすぎじゃないか?
なんか調べたらお車代とかあるらしいけどああいうのって当日受付で突然渡されるんか?
わりと丁寧に教育されて大学もいかせてもらって立派に巣立った俺氏50代、親は後期高齢者。
友氏はDVされて高校までほぼ自力で通って今生活保護と障碍者就職支援(最近話題になったやつ)で生きてる。
友親はたまに面会すると見当違いなやさしさ(飯にもならないアクセサリー1つ)をおしつけてきて
両方親は生きてるけどどっちも親と心底仲良くはできない。
経済状況的には俺親が友氏に生活保護程度の生活費用を提供して、そのかわり丁寧に介護とかなってほしい。
それができるやさしさと自活力があるのが友氏で、もう体力を失いかけてるが金は稼ぎたいのが俺氏。
けど俺母はどう思うんだろな 下手に俺氏や兄弟姉妹が20代のときみたいに次は結婚よ!子供も!っておしつけたら即逃げられるだろうな。
でも孫の年齢にそれやったら逃げられることも1度ならず経験してるから学べてるかな。
お母さんトレードしたいな、そしたらwinwin相互福祉になるのに。
こんど両者を会わせてみるけどどうなるだろうな。
もしうまくいきすぎて俺母が「友氏を雇いたい」とか「養子にしたい」っていいだしたら自分の兄弟姉妹はなんていうだろうか。
もしも友氏を「俺氏が」養子にしたら友氏は俺母の事実上の孫だ。
俺の養子だとしても友氏は20代で成人済みだから遺産くらいしか得はないしそれもかまわん気がする。
趣味のグッズを実際全部遺産相続して適切にお仲間に配布してほしいのでそういう意味でも養子は適切な気がする。
でもそしたら友母はさすがに悲しみそうかな。
上に別のお子さんもいるそうだから、そっちとなかよくしたらいいとおもう。
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同性婚があっても俺独身じゃないから重婚までは無理なので俺と友は結婚しないよ。
あともし今の配偶者が早死にしたとしても50代と20代の結婚はあまりにも相手がかわいそう。
他の孫はまだ高校生になってないのもいるけど順次喧嘩するとおもう。
高校生の進路を思うあまり大学いけ、いい大学いけとしつこく押し付けちゃう癖があるんだが
今の日本の教育の実情を知らない俺母はわりとむちゃをいっているし
その発言には孫や義理の子を半ば鬱にしてしまうほどのパワーがある。
最初からもう学校は嫌いという子供や孫を、俺母は持ったことがないから
他人である友氏と「子供ではなく成人した趣味を通じた友人として」会うことでおせっかいをやめるいい化学反応が起きてくれないかと願うんだ。
近親婚を認めるとどうなるか?
って極端に想像すると、姉妹・兄弟とかと結婚できるなら彼らはもう学校に行ったり、仕事に行ったりする必要がなくなる。
人間という動物は他者とのコミュニケーションを求める生き物だと思う。
野生の動物みたいに生き残るため、生存に必要な殺伐としたコミュニケーションじゃなくて、もっと情緒溢れる繋がりを必要としている。
その一番強烈な欲求が結婚で、知能ある人類が生まれて「結婚」という概念が生まれて数千年間ずっと飽きずに結婚をし続けてきた。
いまは近親婚が禁止されてるし、それが常識だから人間は学校だったり仕事だったりで他者と繋がって、そのなかから人生のパートナーを探している。
でももしも、身内で結婚することが可能になると、極端な話、他者とコミュニケーションする理由がなくなる。
だって、何十年か全く違った生き方をしてきた他人と理解を深めるより、生まれてずっと一緒だった家族の方が気楽な関係だから。
そして、もし近親婚を続けると、例えば、増田家に生まれて姉や兄と結婚して、子供を産んで、その子たちがまた身内で結婚して…と近親婚を続けると身内以外に興味を持たない真っ黒な穴のような閉じた共同体が生まれる。
人間はコミュニケーションができない人間、つまり他者に興味のない人間というのも恐ろしいと感じるのではないだろうか。
引きこもりの人が、バイクで暴走したり喧嘩したりするヤンキーより恐れられたり嫌がられているが、その原因はコミュニケーションの断絶にある。
この嫌悪感や恐怖が近親婚に対する生理的な忌避感なんだと思う。
人間は他人との繋がりを求めるものだし、求めるべきだ というのが人間らしいあり方なのだ。
近親婚で身内と結婚を続けていくと、遺伝病だとか病気や疾患で滅ぶのではなくて、まず孤立して社会的に死んでしまうから悪いことだとされているのだ。
人間はコミュニケーションを求める生き物であると書いたけど、言い換えればコミュニケーションしない人間は「人間らしくない」ということになる。
近親婚が制度的に禁止される理由はこれで、つまり「近親婚は人間らしくないから駄目」ということになる。
というのを殴り書いてみた。
なろうとかラノベでもシスコン、ブラコンの兄弟姉妹出す作家は基本的に無理なんで頭沸いてるんかなと思う。
過干渉な兄弟とか小姑なら分かるけど、兄弟姉妹間で恋愛感情持たせる描写でストーリー本筋と関係ないのに熱心に描いてるのに出くわす。
基本線のストーリー面白かったのにシスコンorブラコン出てきて、無理って、読むのやめるやつあるから一定数そういう嗜好の人らがいるんだろけど。
そもそも近親婚が忌避されている一番の理由は遺伝病になりやすいからだよね?でも同性同士ならそこが解決されるわけじゃん。同性婚から兄弟同士とか姉妹同士で結婚してもいいんだよね?
そもそも結婚が子孫を残すためとかセックスするためとか二人の社会的な関係とか恋愛とか合意とかの話ではない
結婚はそれぞれお互いの血筋の一族に組み入れられるという事 家系に加わるということ
なにそれキモいありえない全世代的といわれるのはわかってるがそういうもの
そういうものじゃないってのなら結婚しないと子孫が残せなかったりセックスできなかったり社会的地位で夫婦というのを利用したことがどれほどあるのか恋愛ありきなのかって言われたらないでしょ
家系に加わるのは養子縁組でもいいじゃんって話もあるよね いいじゃんって思うよ
なんで二人の関係性のトロフィーのために結婚なのかっては思うよね 親子や兄弟姉妹じゃ見栄えがよろしくないからだよね
恋愛もできてセックスもできてしかも子供をつれても見栄えがいい関係が結婚しかないからだよね
むしろ夫婦の絆よりも兄弟姉妹や親子でつなぐ関係性のほうが多いでしょ いまどきはその関係性すぐないがしろにするからありがたみがないと思うけど
これで血縁者と結婚がなくてもいい理由がわかるよね する意味がない すでに家族だから
家族のなかでも親密さの等級をあげたい みたいなのは知らんから適度にあげればいい そのなかでもトロフィーとして結婚がいいんだろうね
同性婚はそういう意味では家をつなぐのに兄弟姉妹にするのか セックスとか恋愛ありって関係で結婚にするのかって意味で「同性での恋愛やセックスの認め方がわからない」から現状OKってはならないんだろうね
もっと同性のトイレや入浴で性的な被害にあうかもとかそういうボーダーレスな状況に慣れないとその発想にはついていけないんじゃない?
そうでなければ血縁関係を法的に結んで社会的にめっちゃ近い位置になればいいだけの話
知っての通り、日本民法は重婚や一定限度の近親婚を禁止している。
通常は婚姻届が窓口でハネられるが、何らかの事情で重婚や近親婚が生じることがある。戸籍担当公務員のミスの他、たとえば重婚であれば失踪宣告の後に再婚したが前配偶者の生存が判明した場合や、近親婚であれば認知していない非嫡出子と婚姻したが実の父娘であることが判明した場合などが考えられる。
この場合、重婚や近親婚は、婚姻の取消事由となる。当然無効ではなく家庭裁判所で取消審判が下るまでは有効ではあるが(重婚について大判昭17.7.21新聞4787-15)、重婚は犯罪であるし(刑法184条)、取消権者は当事者に限られず公益的見地から親族や検察官にも取消申立権を与えているので、有効とは言っても法が許容しているという意味では無いとみるべきだろう(その意味では、行訴法学にいう公定力の議論に似ている。)。
第七百三十二条 配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない。
第七百三十四条 ① 直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。
2 第八百十七条の九の規定により親族関係が終了した後も、前項と同様とする。
第七百四十四条 ① 第七百三十一条から第七百三十六条までの規定に違反した婚姻は、各当事者、その親族又は検察官から、その取消しを家庭裁判所に請求することができる。ただし、検察官は、当事者の一方が死亡した後は、これを請求することができない。
2 第七百三十二条又は第七百三十三条の規定に違反した婚姻については、当事者の配偶者又は前配偶者も、その取消しを請求することができる。
重婚禁止の趣旨については、たとえば『新注釈民法(17)』(有斐閣,2017)で732条について解説する110頁はこのようにいう。
「定めるものである」という書き方は一夫一婦制が憲法上の要請ではなく民法の選択であることを示しているかもしれない。民法改正によって一夫一婦制を改めることができるかどうかは、憲法24条2項の解釈問題であろうか。
なお「重婚的内縁」というトピックがあるが、法律上の配偶者と別居して他の者と内縁関係を構築した事案の裁判例を中心に議論が発展したためか、一夫多妻または多夫一妻(さらには多夫多妻)的な重婚的内縁関係の議論はあまり活発ではなさそうだ。
近親婚の禁止については、同書で734条について解説する118頁はこのようにいう(太字引用者)。
民法は,近親者間(本条),直系姻族間(735条),養親子等の間(736条)の婚姻禁止を定めている。一定の近親者間の婚姻を禁じる規範は,古くから,多くの国に見られるものである。その範囲や形態は各国の文化や伝統により異なり,多様性に富んでいる。現代のわが国における近親婚禁止の趣旨は,優生学的な配慮と倫理観念に基づくものであると解されているが,家族形態の変化により,一方では禁止の範囲が広すぎ,他方では狭すぎるといわれるようになってきている(新版注民(21)214頁)。
また、同書120頁ではヨーロッパでは,禁止を兄弟姉妹間に留める国も見られる(ドイツ,スイス,オーストリア,オランダ,スウェーデン等)
とも紹介している。
また、別冊法セno.261『新基本法コンメンタール【親族】[第2版]』(日本評論社、2019)32頁は、近親婚禁止規定の問題についてもう少し詳しい。
近親婚の禁止は、現代では、婚姻自由・配偶者選択自由の要請と相反する。それゆえ、近親婚に関する規定を解釈する際には、近親婚禁止の優生学的配慮や社会倫理的観点と、婚姻自由・配偶者選択自由の要請のいずれをより優先すべきかが問われる。近親婚禁止の範囲自体を、社会の変遷に応じて見直すことも必要であろう。
なお、準婚理論との関係では、おじと姪の内縁関係について遺族厚生年金の支給を受けうる配偶者に当たるとされた例がある(最判H19.3.8民集61-2-518)。おじ・姪婚を認める地域慣習等が考慮されている。
大まかにいうと、重婚についてはあまり議論は活発でなく、近親婚についてはなるべく認める方向で議論が進んでいる印象である。
なお、民法では条文の立場が明確でありこれと異なる立場は条文の違憲無効を前提とするから、民法学よりもむしろ憲法学の領域かもしれない。増田は憲法学説の議論には疎いので(憲法論が関わる書面は数年に1度書くかどうかというレベル)、重婚禁止や近親婚禁止について憲法学説がどう言っているかは知らない。
別の相続税対策しろって?世の中の被相続人が全員頭働かしたり労力使って相続税対策することに前向きだと思うなよ
「財産残したいと思ってるけど対策とか面倒だから全部預金にいれとくわ。権利は私のものだから口出さないで、その代わり相続するのは私が死んだ後の話だし全然OK」と考えている人が少なくともこの世に1人いる
そして相続人は俺1人だけな
黙ってサラリーマンの年収の何倍もの税金取られるのと、ただ紙出すだけで1億6千万分非課税になって税金が少し減るなら今すぐにでも結婚したい!!!
3年遡る年110万も焼石に水だし、そもそも相続税対策自体基本本人が嫌がっている(俺に相続させたくないわけではなく生きている間に自分名義の口座の金が1円でも減る行為が許せないらしい・自分が死んだ後は興味ないとか)
ちなみに被相続人(予定)も結婚に関しては了承済み 国が認めないんだけどな(泣)
従姉妹同士なら今も相続税対策で結婚できると思うと嫉妬がやばい
同性婚が認められる流れで近親婚が認められるなら同性婚支持するし、近新婚がどうあがいても認められなさそうなら今後同性婚が認められても同性婚する人を生涯差別するわ