「原理主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 原理主義とは

2020-12-12

AED徴兵制

 1980年代ミサイルの台頭で歩兵だの徴兵制だのは不必要という科学万能ファンタジー爆誕しました。

 理由簡単剣道大好き右翼VS合理主義左翼の構図を叩きこまれていたから。

 無抵抗原理主義よりは現実的

 2010年代辺りでドローンアンチ左翼爆誕。「ドローンを護るための下っ端が浪費されるぞ」と左翼共がいきり立つ。

 2018年 【イラストでまなぶ! 戦闘外傷救護 -COMBAT FIRST AID-】発売。

 現在ツイッターにおいてAEDを扱えない男性に対する剥き出しの憎悪蔓延

 大真面目に使い方を調べてみたら 人工呼吸→心臓マッサージAED 人工呼吸のグダグダは飛ばすとして、きちんと心臓マッサージが出来る人間がどれだけいるのでしょう? 手書き文字を描くのとはわけが違うです。

 この調子でいくと「ミサイルドローン徴兵制否定の道具になったけど医療機器徴兵制推進の道具になった」という左翼ジョーク爆誕しますね。

2020-12-11

anond:20201211123435

妊娠目的なら別に性器挿入をともなうセックス必要ないですよね。

中だし妊娠しか認めない原理主義者ならともかく、普通は生きのいい精子を手に入れて、

それを指とかで中に入れてしまうだけでいい。

そこまで割り切れば、別に挿入セックスはせずに、あなたが手か口で抜いてあげるだけでいい。

まり旦那さんにはセックスのお願いお誘いではなく、オナニーの手伝いをさせてと頼めばいい。

男性だって前戯から挿入、お互いのクライマックスまで全部フルコースセックスをするのはとても大変。

でも、自分は何もせずにただ逝かされるだけだったら、めっちゃ楽。

というざっくばらんな話を旦那としたほうがいい。

できれば裸エプロンで。

2020-12-09

anond:20201209204056

初老朦朧が今更ファースト原理主義かよ?って勢いで頓珍漢なタイミングで殴りかかってくる姿もまさにガンダムだわな

anond:20201209173314

誰もが自分では気が付かない無意識下の差別意識を持ってるってことを認めて、もう少し自分にも他者にも寛容になればいいだけなのにね。

原理主義的に反差別絶対視してしまうがゆえ、いろいろなところに歪みが出ちゃう

2020-12-08

岩田健太郎さん、『僕が「PCR原理主義に反対する理由』を出版

なお、PCR大好きなリベラルから切り捨てられた模様

2020-12-06

今のポリコレは「人間が皆同じ」という幻想に基づいている

違いを受け入れようとせず、主張の根幹を成す幻想を極めて原理主義的に守ろうとし、それを頭から信じた人間勝手に摩擦を起こしている。

それゆえに今のポリコレは、本来リベラル提言から、ともすればファシズム的なスローガンに変質を起こしている。

これは別にポリコレというコンセプト自体が悪いわけではない。ただ、「人間はみな同じ」と、「同じじゃないアイツは人間じゃない」の距離が、多くの人が思うより近いということに過ぎない。

人類を補完するには、みんなでドロドロ混ざり合ってハイマインド形成するしかないわけである

2020-11-26

リベラル限界

リベラルとは人間平等人間自由、それが無理でも人間の最低値としての人権保障

でもこれって実行力ないと無理。その実行力は現在警察自衛隊含む行政が行ってる。要するに国。国の実行力に限界がある以上リベラルには取りこぼしが絶対に出る。

この取りこぼしはまずより人間じゃない人達からになるのが道理。え?人間平等人間自由、それが無理でも人間の最低値としての人権保障はどこ行ったって?そりゃ理想だな。出来ねえもんは出来ねえ。

  •  

まり誰が人間なのかって議論必要

現状日本では

日本国の認めた日本である日本日本人の税金労働で成立している以上、この条件を外せない)

日本国の認めた外国人である外国人日本への貢献をしているとは言い切れないが、国対国の付き合いを考えると他国国民人間扱いしないわけにはいかない)

・女の胎から出てきている(これがないと中絶が認められない)

これさえ満たしてれば人間

社会福祉とか年金とか考えると労働すらしなくても日本人と認められるのは甘々と言える。

女の胎から出てきているも地味に重要。出て来ていないのにも認めると中絶殺人なので禁止になり、不運にも使われなかった卵子精子にも認めると初潮精通来る前に結婚して避妊殺人なので禁止世界になる。人間誕生を決めるのは神の祝福のみ。ヤバ目な原理主義者が言ってるような事が一番人間範囲が広いのは驚き。ちなイスラム中絶OKらしい。天才が啓示を受けた最新宗教だけある

  •  

さて今度はもっとリベラル必要人間とは誰なのかという話をする。

国がより多くの人間人権保障しているほど、また人権を持つ人がより多いほど人権の総量はより多くなる。

それはより国へ貢献している人間。そして人間生産している人間となる。

まり高額納税者インフラ労働者と子供が多い人となる。

  •  

こいつ保守の話してね?って思った方その通り。

リベラルガソリン保守限界を作ってる人間保守。より保守人間活躍リベラル限界が決められてる。

リベラル限界とは保守にある。

  •  

ワイは借金玉(ワイは借金玉のファンである精神状態ヤバそうなときミュートするのが楽しむコツだ)のリベラルとはやせ我慢根性みたいな言葉が大好きだ。

植松にも植松に殺された人たちにも歯を食いしばって人権を主張するのがリベラルというものだ。それが出来るのは保守だ。真にリベラル人間リベラル保守保守リベラルの中にいる。

2020-11-21

https://anond.hatelabo.jp/20201121115655

ヨーロッパ在住者からこの議論検証してみる。

流石にこの内容は違和感しかなかった。なんだか頭でっかちで考えた日本から一切出たことのない人が書いたんだろうなって感じ。

海外に住んでいる立場から書いてみる。

差別排除には覚悟がいる」が主題なのかもしれないが、海外だとそもそも差別ナチュラルにされていて

当然そこに根拠があるのだが、それだと本当に困るので落としどころを探しながら現在進行形差別排除を声高に訴えている。

BLMで浮き上がったような、ヌルイ考え方の「ファッション差別反対者」も当然いるが、性犯罪者にはちゃん位置情報

タグ付けされているし、ゆるふわ差別反対者などの首根っこは押さえつけれれるぐらいに法制度はしっかり組まれている。

高度スキル移住者としては日本で伝わっているような「ゆるふわ差別反対活動のTV報道」みたいなものではなく、

ソリッドに議論された【法制度】に向き合うことになるので、ヌルファッション差別反対とかとは違う世界をお伝えする。

海外ではそもそもナチュラル差別が織り込まれている

統計的に優位にでている事象無視してくれるほど甘くはない。不動産を探すとき人種差別してくるし

(他の要素で優位にたっていないとそうなる)、職探しでもアジア人はまじめという要素は(知っているひとは)見てもらえる。

移民に出すビザにもこれまでの国同士の関係性、移住者の傾向ややらかし具合で区別の条件が盛り込まれている。

住むエリア黒人が多いエリアナチュラル家賃が下がるので、治安が悪くなるし、ゴミが多かったりする。

中国人が住むエリアとか、色々、勝手区画が分かれている。

それが差別になっているというより、完全に体験値として織り込まれているし、実際そういうアウトプットとして現れる。

日本ほど、生まれた時からほとんど死ぬまで、日本にのみ囲まれているという状態は定常的に存在しない。

(といいつつアメリカの内部とかもそういかもしれない)

アメリカで年齢による差別がないとかいっているが、業務経歴みれば大体何歳かわかる

逆にキッズでそういうステレオタイプが生まれない状態で、小学校であった他の人種の仲の良い友達なんかが

いると、差別なんてない本当に神々しいまでのフラットな付き合いが生まれている。そういう融合というのもしながら

差別と融合を繰り返していると思う。

そうした根底にあるナチュラル差別の揺り戻しとしての「差別をしてはいけない」が海外現在進行形移民問題

本日本とは全く違う、どんな学校にいきどこに住み、どこで就職するかそのあらゆる場面で人種

国籍、色んな「緩やかな違い、差別」を受け続けるのが海外なのだ

誰かが誰かを差別してはいけないでは全くすまないぐらいにそういうものがあるので、そのアファーマティブ

アクションとして「差別をしない」というアクションも逆に常に意識するのが海外なのだ

そして、個人的には日本でよくある移民問題みたいなのが頭でっかちに思えるぐらい、数世代からその

問題を「体感」として織り込みながら生きているのが欧米だと思う。問題が出ながらその問題をなんとか

クリアしながらダイナミックに成長を続けている。

移民いるかいらないかなんていう問題はなし崩し的に議論は終わってしまい、「差別あるかないか」なんて

問題議論しているうちにどんどん個別具体的な解決策を見出しながら次のフェーズに行っているそんな感じだ。

そのために、法律もころころ変わる。

シェアハウスして横に住んでいる人が数か月ごとに違う人種になるような状態で彼らとうまくやるには

差別意識は持っていても、出してはいけない。当たり前だ。仲良くやるのが一番というのは誰もが

分かることだ。

まり、常に「差別をされながら、差別をしないためにどうするか」を考え続けている。

また、そういうのが面倒な人は結局、高級なエリア引っ越して、早々に白人どうしでよろしくやっている。

このあたりは国や街、いろんなパラメーターによっても相当に変わってくる。

しかし、基本的に「XX人」は「YY」な特性を持っているというステレオタイプは実際にその通りに発動することを体験として知っているし、

常々そういう風に考えることは良くないなと思いながら実際にはそういう形で発動してしまうやりきれなさをギャグにしたり、色々解釈しながら

法改正ルール改正をしながら差別を生ものとして向き合っている生きているのが海外なのだ

島国で「差別問題」を肌感覚として捉えられないのは至極全うだが思考実験すぎる青臭さが目についた

日本が悪いとかダイバースではないとか言いたいわけではないが、基本的に、地続きでない国で

こういう問題体感しづらい。

レスでいっている「原理主義者によるテロが頻繁に起きている宗教信者入国拒否したり、彼らを集中的にスクリーニングすれば、多くの人がテロから救われるだろう。」

はまるで今されていないような言い方だが、アメリカでは滅茶苦茶されている。

そうでもない人にまでトランプビザを発行しなくなったり生活生殺与奪にまで以前の同胞やらかしが思いっき差別として現在進行形で影を落している。

うっかりイスラエルに行ってしまって、パスポートイスラエルスタンプがあれば

中東の多くの国には入れない。移民ビザを取るときパスポートスタンプ数はチェックされる。

黒人犯罪者は多いことは当然知られているので、当然多めにチェックされるが、そもそもそういった人の住んでいるエリア

は固定されており、犯罪率も高いので、白人50%、黒人50%のエリアがあって、そこで1:9でチェックが黒人で厳しいなんていう

ことはない。もともとパトカー巡回率も高いし、犯罪率も高いので、当然黒人の方に検査が多くなる。

自分も100%分かっているわけではないが、元スレは、思考実験だけで書いているのか、不自然すぎるところが多すぎる。

差別のない社会とは一定被害を甘受する社会である

そういう発想だからTERFにもなるんだろうな……といろいろ納得してしまった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1625581

差別反対を主張していた人がこんなにもあっさり差別的発想に転んじゃうのって、やっぱり本質的に「差別のない社会」がどういうことか理解できてなかったんじゃないかな。

差別というのは、「○○人の血は汚れている」のような根も葉もない生理的嫌悪感に基づくものから、「○○人の犯罪発生率は高い」という統計的事実に基づくものまで色々ある。

アメリカでは黒人犯罪率は他の人種と比べて高い。だから、もしも「社会多数派にとっての安全」を「差別の解消」よりも上位に置くのなら、黒人ばかりを狙って職質をかけたりするのは合理的な行動ということになる。それによって黒人の手になる犯罪が未然に防がれるのなら、社会はきっとより安全になるだろう。

別の例を挙げてみると、キャリアの途中で退職したり長期間の休暇を取ることの多い人びとを職場から排除すれば、組織効率性は上がるだろう。原理主義者によるテロが頻繁に起きている宗教信者入国拒否したり、彼らを集中的にスクリーニングすれば、多くの人がテロから救われるだろう。そして性犯罪加害者になることの多い人びとを子どもと関わる職業から排除すれば、子どもの性被害の数は大幅に減るだろう。

問題は、それは差別だということだ。そのような対応差別であるため、批判され、場合によっては法規制もされる。差別自由民主的社会にふさわしくないものであり、この社会からなくしていくべきである

逆に言えば、差別のない社会とは、一定被害を甘受せねばならない社会だということでもある。

事前に黒人犯罪者や退職者の多い属性テロリストの多い宗教信者排除することは差別である。それを突き詰めた結果として、黒人犯罪者によって金銭を奪われたり、会社の業績や病院労働環境悪化したり、狂信的なテロリストの仕掛けた爆弾で死傷したり、子ども学校性的虐待を受けるかもしれない。

もちろん犯罪者は裁かれるべきであり、彼らを無罪放免しろと言うつもりはない。だが、一定数このような被害効率性の低下が出ること自体は、差別のない社会が甘受すべきコストということになるだろう。属性に基づく事前の排除スクリーニング拒否するというのはそういうことなのだから

私は差別に反対するので、それによって自分旅行中に強盗に遭おうがアメリカ警察黒人を狙い撃ちにするのは間違っているし、仮に自分業務に支障が出ようが特定属性の人びとに対する就職差別は許されるべきではないし、もしもテロによって家族を失ったとしても特定宗教信者だけをスクリーニングするのは道義的正当化できないし、たとえ自分の娘が学校トイレに連れ込まれ乱暴されたとしても、教員やその志望者が能力ではなくジェンダーセクシュアリティによって選別されるようなことはあってはならないと考える。

差別は、場合によっては問題解決のための手っ取り早い手段になり得る。だから差別の解消を主張するというのは、実はとても覚悟のいることなのだ。

その覚悟を持っていなかった人たちが、時と場合が変わるとあっさり差別主義者に変貌してしまうのは驚くべきことではない。女性差別とさんざん戦ってきたのに、今「安全」を掲げてトランスジェンダー排除しようとしている人たちがその典型だろう。

私たちは、差別に反対する覚悟を決めるべきだ。たとえそれによって不利益被害が生まれても、それでも差別を許してはならないと言うべきなのだ。そのような覚悟のない反差別は、いずれあっさりと差別主義に転ぶ可能性を秘めているのだから

追記

理論的には完全な監視社会、例えば全員の脳内チップが埋め込まれてて犯罪行為を始めると即電撃で無力化する社会では差別もないし被害も甘受しなくていいし法的自由保証されるのではないか

マジレスすると完全に外形的な条件から「何が犯罪で、何がそうでないか」を決めるのは理論的に無理。なぜなら、理論的には、ある行為犯罪かそうでないかは事後的にしか評価され得ないので。

意識のない他人の服を無理やり脱がせて体を触る行為は準強制わいせつかもしれないし救命措置かもしれない。他人の腕にナイフを刺すのは通り魔かもしれないし壊死性の毒があるクモに噛まれたので毒を除去しようとしているのかもしれない。子供を連れて遊園地に行くのは子守かもしれないし誘拐かもしれない。大量の宅配ピザを注文するのはパーティーの準備かもしれないし業務妨害かもしれない。カレーを食べるのは食事かもしれないし相手を油断させて毒入りカレーを食わせる計画の一環かもしれない。ファイティングポーズを取った男に蹴りを食らわせるのは正当防衛かもしれないし誤想過剰防衛かもしれない。これらの行為が行われた瞬間にチップ犯罪かどうか判定するのは不可能

っていうか、他人から受け取ったキャッシュカードでカネを引き出しただけで刑務所に入ってる人は何人もいるわけで……

仮に外形的な基準じゃなくて「今自分犯罪を犯そうとしている」という意思基準にするとした場合、「嫌だとか何とか言ってるけど部屋までついてきたってことはセックスする意思はあったんだろ、嫌よ嫌よも好きのうちって言うしな、グヘグヘ」みたいな発想の人がいたらどうなるのか、ということになるので、チップを利用した犯罪抑制はどちらにせよ無理。何が犯罪で何がそうでないかは、ある行為が行われてから人の手によって評価され、判断されなければ理論的には決まらない。

ブコメ加害者個人排除する場合最初の一回の被害は防げない”。その理論でいくと、差別される人種なり宗教は1回以上の被害が起こったので差別され始めたのでは?つまりどちらも根本解決にならないと思う。

根本にわかってなさすぎて頭が痛い。人種集団宗教信徒は「個人」じゃないだろう、という話なんだけど。

今、目の前に一人の黒人がいるとする。名前を仮にボブとしよう。黒人が他の人種集団に比べて犯罪率が高いという統計的事実はある。だがボブが犯罪者かどうかはわからない。ボブがもし犯罪を犯したのなら刑に服すべきである。だがボブが犯罪を犯すまでは彼は無辜市民なのであり、黒人からという理由でボブだけ集中的にスクリーニングされたり職質されまくったりするのは不当な差別である。ボブが強盗なり殺人なりの犯罪に手を染めてはじめて彼を犯罪者として扱うことが許容される。

逆に言えば、我々は、ボブを事前にスクリーニングして強盗殺人被害者をなくすことよりも、たとえ強盗殺人被害者が出たとしても、ボブを人種に基づいてスクリーニングしないことを選ぶべきなのだ

女性早期退職する確率が高いが、ではどうせ無駄になるのだからと目の前の花子にろくにキャリアも積ませなかったり昇進させなかったりするのは正当か。宗教テロを起こすイスラム教徒大勢いるとして、では目の前のアブドゥルにだけ警察尾行がついたり空港差別的な扱いを受けるのは正しいか性犯罪者の多くは男性だが、では資格能力もあるのに目の前の太郎保育園採用しないのは許されるのか。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格のものによって評価される国に住むという夢である」とかつてキング牧師は語った。私はその理想を信じている。そのために生じるであろう被害よりも、なおその理想は重いのだと信じる。それが差別に反対するということだろう。

2020-11-19

anond:20201119194556

災害時の体育館でも弱者専用スペース作れっていうけど、その中でもさらに細かく仕切りを作らなきゃならないのか。

原理主義イスラム難民男性LGBT女性を一緒にしてもまずいだろうし、女性の中にはLGBTと一緒にいることで過呼吸に陥る人も出てくる。

ウンコの人も単に壁に塗っているだけなら人畜無害だが、ウンコのついた指を他人眼窩に突っ込んでくる人もおり、幼児と同じ弱者スペースに入れておくのは危険すぎる。

2020-11-18

僕はVtuberが好きだった(追記有)

僕はVtuberが好きだった.

今は嫌いだ.大嫌い.ムカデゴキブリを見たときと同じような不快感を催す.Vtuber動画を見てるという人も嫌いだし,そのような人とはできるならかかわりたくない.

それでも昔は好きだった.キズナアイやシロといった昔の「バーチャルユーチューバー」は好きだった,今でもそこまで嫌いではない.ホロライブにじさんじなどが嫌い,これらの団体がこの世からなくなるのであればよろこんで命を差し出す.

ツイッターで流れてきたキズナアイ配信の切り抜きがきっかけだった,そのときバーチャルユーチューバーなんて言葉は知らず「3Dモデルがきれいモーションキャプチャーされてコンテンツになってる」程度の認識しかなかった.

後にバーチャルユーチューバーなるコンテンツと知り,それからしばらくで世間的にも人気になって,僕もおっかけた.

コンピューターの処理性能が向上したからこそ,人類における技術の発展があったからこそ誕生したコンテンツに夢中になっていた,活版印刷機よって生れた本を読むという新たに生れた習慣が文化になる時間追体験するような気分だった.

にじさんじが出てきてすべてが変った.

コンテンツに明示的なエロ,「セックス」が含まれるようになった.

これまでの物,すなわちキズナアイやシロやミライアカリなどが表現する女性的魅力で美や愛に近いもの,もちろんマリリンモンローのような官能性を秘めているが,それらはあくまでもすべて暗示的であった.全てが暗示のみであったというわけではなかったが少なくともコンテンツとしてそれらの表現を最小限にしようといった努力が認められた.

にじさんじの登場によって変化したエロ表現,僕が具体的に思う境界,それは消費的なセックスが暗示されているかどうかだと思う.

少なくとも「これまでの物」にはそれらはなかった.キズナアイの腕や足を露出した衣装,シロの背中あいたセーター,ミライアカリ輝夜月のキャラデザ,これらはもちろん現代エロである女性的魅力の範囲であり,アンハサウェイやミランダカーが着るドレスのような美しさとエロであった.

にじさんじは違った,月ノ美兎のいちもつ発言や「わたくしで隠さなきゃ」,静香凛のバイノーラ配信でのカウントダウンなどでより直接的なセックス表現が生れ,それは次第にエスカレートしていった.

明示的なエロは最終的に見る人に否定されず受けいれられ,市場欲望を満すために自己的に増幅し,エスカレートする.それは再び視聴者欲望を促し,まるで未来永劫終わらない運動のように,エロ表現が増加するのであった.

コンテンツ女性的魅力の美的表現ではなくセックスの暗示表現が混じり,エロティシズムであったものポルノグラフィになった.付加価値表現として含まれるようなエロが直接表現として表われ,性的に消費が可能コンテンツとなってしまった.

僕はフェミニズムの話をしたいわけではない,エロが売れるのは真理じみた事実である.通常エロ規制される,売れるからだ.しかyoutubeでこれらは規制されなかった.それどころか「スパチャ」で正当化される.

エロが悪いという訳ではない,人に必要からしかし,好きだったものエロコンテンツになったのが許せない.

モンローのような女性的魅力が控えめに混り,そしてそれ自身あくまでも付加価値で,本質的面白い物を探求しようとする精神に気高さを感じた.それらは死んだ.

新時代コンテンツは,消費と提供が繰替えされるオタクコンテンツの一つとなった.

僕は残りの人生Vtuberを再び好きになることは決してないと思う,あの開拓時代のような精神であふれた時代には何年経てども戻らないだろう.

僕はVtuberが好きだった.

11月19日追記

コメント言及ありがとうございます

深夜に勢いで書いたのもあって雑な投稿だったのにいろんなが意見があってとても嬉しいです.

コメントなどを見ながらあらためて自分意見をまとめ直すと,アイドルになってきたから嫌いになったというのが正しいような気がしてきた.

その意味エロコンテンツになったというのは過剰な表現だったかもしれない.しかアイドルになったからこそ,市場としてコンテンツとしてかわいさやエッチさの比重面白さと同じかそれ以上の物になったから嫌になったんだと思う.

個人として,初期のころのVtuber純粋動画として面白いから見ていたという自覚がある.ニコニコ動画とかyoutubeゲーム実況動画が好きだったから,その延長線上としてVtuberを見始めた.なので初期のころのバーチャルユーチューバーアイドルとして見ていたつもりはなかった.(その過程女性的要素を一切無視していたわけではないが少なくとも主軸として捉えていた気はない)

それがにじさんじで,というか"事務所"ができて「アイドル」になって,そしてコンテンツとしての主体動画ではなくアイドルになってしまったのが嫌になった原因と思う.

その結果として,アイドルとしての評価軸がVtuber評価軸に加わったことが気に入らなかったのかもしれない.

その上で,インターネットアイドルになったこ付加価値としてのエロが増えて,その事実に対して不満を述べたのが記事の内容である

アイドルであれば,特にインターネットであるなら,エロであれば売れるからエロになるのが宿命だと思うし,その結果「陰キャキャバクラ」だとか「風俗嬢」だとか言われても仕方のないことだと思う.

性嫌悪したいわけでもない,女性理想像押し付けたいわけでもない.もし仮に初期のVtuberが男で以降アイドル化の流れがあったとしても同じことを言う(もっともそのようなもの流行するかはわからないが).女性像として自分と食い違う物になったから嫌ったのではなく,そもそも女性キャラから見てたわけではない.

これらを踏まえると「原理主義者」や「老害」といったコメントは正しい思う.

僕は昨今のVの事情はそこまで正しく把握していない.

ミライアカリは美でも愛でもないよな.ここはたぶん勢いで書いた.

技術がないから悪いというわけではないが,アイドルコンテンツとして見るならば技術不要になるのは当然な流れだ.かわいければイラストが動くだけでも十分だから

VRChatの世界はあまり知らないが,こんどやってみようと思う.

全角コンマピリオドなのは本職で使うからだ.

初期のバーチャルユーチューバーたちをアイドルとして見ていなかったのが間違いであったのならば,僕に先見の明がなかったにすぎないことだ.

2020-11-17

海の中のあの箱庭の話

箱庭がもうすぐ終わる。

でも本当は既に終わっているが

誰も信じてくれない

いつか終わるだろうという話は信じてくれるのに

スイッチを押すと脳に囁きが満ち溢れる装置があって

押して溢れる「ソレ」に恍惚を感じる中年が居た

アイツは箱庭に釘付けなんだ

悪いことじゃないけどね

でも良いことでもあって欲しくない


ホントのことを言うよ?

あの箱庭の中には「ヒト」が入ってるんだよ


これマジ。

空間のフリした着ぐるみ着ただけの■■■■■■ってわけなのよ

でもみんな気づいてるし

これが悪いことだなんて思わないでね

もちろん良いこととも思わないでね

ただの着ぐるみならよかったのよ

箱庭を自称してアソコに在り続けるの

箱庭原理主義者として嘆かわしい事態であります

箱庭の定義ガッチリしてないからこーなるの?

俺は知らん

ただ単に違う名称存在してくてハッキリとしっかりムッチリ区別誰も彼もがしてくれれば問題ないと思うのね

バーチャルライバーとかどう?

2020-11-09

anond:20201109203331

そんな日本人みたいな感覚アメリカ人が持ってるわけねーだろ。

アメリカヨーロッパと違って民主主義の国というよりはアメリカ価値観を信じるアメリカ教の国なんだよ。

余計対立過激化して荒れるんじゃねえの?

合法的バイデン否定できなかった以上、アメリカ原理主義者は非合法手段に走るしかいからな。

日本人みたいに何があっても暴動を起こさないような人間はまるでいない社会だし。

2020-11-01

歌うまは正義?いや時に邪魔だなあ

かくいう自分も歌うまは正義というフレーズを使ったこともあるけども。だいきほのFNSを見た人が実観劇してみたいと言ったときに使った。

あ、ショー。ショーだと、歌うまは確かに正義かもしれん。(でもそうだとしても歌うまは正義って言葉原理主義みたいで最近抵抗感出てきた。)

芝居(ミュージカル)だと歌うまは時に邪魔だなあと思う

RENT。出てくる登場人物みんなこんな歌がうまいって実生活で有りうるか歌手パフォーマー弁護士大学教授が同じぐらい歌うまいけど(最高だ)

ひかりふる路は気にならなかったかな。凱旋門ファントムはひとまず置いといて、壬生ワンス。もう、吉村貫一郎ヌードルスも、歌で身を立てちゃえばいいじゃん、て思ってしまう。ギャングなんてやめてデボラと一緒にショービジネス世界に飛び込んじゃえばいいじゃん、って思ってしまううまさ笑。源太もか。

ファントムみたいな、歌がうまいという役柄であればありがとう😊


歌唱じゃなく、逃げてなく、気持ちが入ってる歌。歌を歌ってるんじゃなくて、魂が漏れてるような。轟さんの凱旋門はそう思った。あー、ラヴィックはええ男やしお医者さまだし、でもお歌はあまり得意じゃなかったのね、という説得力

あと、組曲虐殺を観たときもそう思った。

とは言え、井上芳雄うまい〜て思って満足だったし、小曽根さんの音楽も素敵だった。凱旋門も、ボリスジョアンありがとう😊だしなー。塩梅はむずかしい

2020-10-30

anond:20201030204632

「この程度なら許してやる」というのがすでに宗教に対する冒涜なんだよなあ

原理主義を突き詰めていけば実際そういうことになってしま

2020-10-25

anond:20201025130934

えぇ・・・急にdisられて草。

マイノリティ同士仲良くしようや・・・

そんなにも排他的原理主義者がおるんか?そりゃあ同胞が失礼しました

2020-10-24

anond:20201024174407

芸能界の一部なんだから年功・成果原理主義なのは当然だぞ

配信マインドで入ってきて勘違いしてるやついるけど

2020-10-20

anond:20201020111641

棘がある花はきれい、棘のある花以外はきれいな花ではないという、棘原理主義者によるプロパガンダだぞ

2020-10-13

世界をより良いものにするため、ご飯に箸を突き立てなければならない

 実家では箸置きというものを使う習慣がなかった。確か4,5歳くらいの時だったと思うのだけれども、夕食の時間に箸の置き場所に困った自分は、茶碗に盛られたご飯に箸を突き立てた。ごはんの粘性は相当なもので箸はぴたりと静止してくれた。これならテーブルを汚すこともない、何て自分は冴えているんだと当時思ってたか記憶にないが、それを見た母親は「箸を刺したご飯は死者への食事という意味を持つのでやめるべきだ」と言って俺のことを注意した。その言葉に強い反感を抱いて、「母さんは死者が食事をすると信じているのか」「死者への食事という意味を持つからといって、自分がそれをやめなければいけない理由はあるのか」といったような反論、というか質問を投げかけたように記憶している。それに対しての母の回答は「私は信じていないが信じている人はたくさんいる。そういった人が見ると不快になる」「宗教的意図関係なくとも、単純にみっともない」といった内容だった。幼少期の自分は親にとても従順であったため、釈然としないながらも引き下がった。 

 年を重ねるにつれて「宗教的儀礼を除いて箸をご飯に突き立てるべきでない」という規範自分自身にも深く根付いていった。思春期差し掛かかるころには「日常の中でご飯に箸が突き立てられている光景」を見て直感的に不快感を抱く程度には。 

 さらに長じて倫理とか規範かに興味を抱き始めてから、幼少期のこの出来事に対して強い反発を覚えた。幼少期の自分に対して母親が示したルールは、要するに以下2つのような意味合いとなると考える。

「私は信じていないが信じている人はたくさんいる。そういった人が見ると不快になる」より

    ①自分尊重していなくとも、他社が尊重している信仰規範平時ご飯に箸を突き立てるべきでない)は、自分の便益(机を汚さない)を害しても配慮すべきである

宗教的意図関係なくとも、単純にみっともない」→箸を突き立てられたご飯に対して「みっともない」と感じるのは明らかに生得的ではないと考える。実際のところ後天的に植え付けられた規範からの逸脱に対して不快になっていると考えると、

    ②すでに共有されている規範マナーから逸脱すると人は不快に思うため、規範マナーから逸脱すべきでない

ちょっと露悪的に書きすぎたきらいはあるけれど、この2つのルールって本当に正しいか

①「自分尊重していなくとも、他社が尊重している信仰規範は、自分の便益を害しても配慮すべきである」について

 当たり前であるが、個々人によって尊重している信仰規範は違う。ただ、共通してる部分もかなり多く、例えば現代日本人の多くは自由平等だったり人権思想に基づく価値観(以下、世俗倫理表記)について、強く尊重すべきものであると考えている。信仰していると言い換えてもよい。一方で特定宗教人格神みたいなものは信じていないし、その教義の基づく規範(以下、宗教倫理表記)に価値を見出さない。見出さないは言い過ぎにしても、少なくとも自由平等などの世俗倫理がより優越すると考えている。自分は平均よりかなりラディカルだと思うけれど、同様に世俗倫理を支持し、宗教倫理より優越すると考える立場にある。

 具体的な例を考えてみる。例えば原理主義的なキリスト教徒聖書引用して「同性愛者は倫理的に悪であるため社会から排除すべきである」と主張しても自分はそれを尊重しないしその思想に基づく実力行使を許容しない。なぜなら「同性愛者は倫理的に悪であるとする聖書記載」に自分価値を見出さない。「原理主義的なキリスト教徒同性愛に対して抱く不快感情」については価値を見出すが、「同性愛者の幸福追求権や自由権」がそれに優越すると考える。なぜなら自分世俗道徳尊重し支持しているかである宗教倫理世俗倫理が背反するときには世俗倫理優越されるべきで、それは世論だったり、それに実行力を与える法律暴力装置によって施行されるべきと考える。これは宗教倫理優越を主張することを制限すべきでないという意味ではない。あくま思想信条自由は最大限尊重されるべきであり、言論によるパワーゲームは続けられるべきだと考える。

 ここまでの整理については大多数の人に同意してもらえると思う。「宗教規範」と「世俗規範」が対立して共存できない問題については、他社の尊重する「宗教規範」を踏みにじってでも自分尊重する「世俗規範」の基づいて社会運営されるべきと考える。どれだけ他者価値観尊重するとは言っても、共存できないものはある。そうなったら、その社会尊重される規範は身も蓋もないパワーゲーム(必ずしも直接的な暴力ではない)で決定されるしかない。これについてはISISの騒ぎで個人的に痛感したのだけれど、実際問題として世俗倫理に反する宗教倫理現代志向しようとすると暴力に頼るほかないし、それに対するカウンターだって経済的暴力的なパワーゲームで押しつぶすしかない。人権思想よりコーラン字義通りの解釈尊重している相手に「お前は人権思想に反している!」と言っても対立者に対してはまるで効力がない。

 さて、話を戻してこの理屈が「ご飯に箸を突き立てること」にどのように適用されるかを考える。ここで対立するのは「ご飯に箸を突きたてることで便益を得る」自分自由権・幸福追求権と、「ご飯に箸を突き立てるべきでない」という宗教倫理である。これは共存し得ないので、世俗倫理尊重する立場からすると「ご飯に箸を突きたてることで便益を得る」ことが優越すべきであると考える。不快になる人間配慮して箸をご飯に突き立てないことは賞賛すべきかもしれないが、配慮をしないことについて非難されるいわれはないと考える。私はシャルリーを引き合いに出してもいいけれど、他者規範尊重は、私の尊重する規範を害さな範囲でないともちろん認められない。人権思想表現の自由自分にとって宗教倫理より優越する。宗教倫理を害す表現に対しての批判、「ムハンマドの顔を書くべきでないし、揶揄すべきでない」という主張は許容できても、ムハンマドの顔を書き揶揄することは制限すべきでないし、それに対する実力行使は許容できない。なぜなら自分は「ムハンマド表象を書くべきでない」という宗教倫理より表現の自由という世俗倫理をより尊重する立場にあるからである

 まあ、そもそもこの「ご飯に箸を突き立てる」ことに対して特別意味合いを見出してる教義って明確にはないみたいで、「仏教神道の教えっぽいとみんなが認知してる慣習」以上のものでは無いっぽいので、宗教倫理とするよりも単純なマナー問題と考えたほうが筋は良いと思ってます。ということで次の話につながります

②「すでに共有されている規範マナーから逸脱すると人は不快に思うため、既存規範マナーから逸脱すべきでない」について

 これを言い換えると

    ・マナーを破ると人は不快に思う。

    ・人を不快にする行為は好ましくない

    ・上記より、マナーを破る行為は人を不快にするため好ましくない

 いやー完璧な3段論法が完成してしまった。ただよく考えると「マナーはそれがマナーであるから守るべきである」と言っているのと何ら変わりない発言である。そしてこの「マナーはそれがマナーであるから守るべきである」という考えについて自分はそれはそれはもう憎悪を抱いている。

 まず、ここでいう「マナー」という言葉について自分は「緩い規範」くらいに定義している。例えば「人を殺すべきでない」みたいな基本的絶対に逸脱すべきでないし、逸脱したら重大なペナルティ非難が避けられない「重い規範」とは対照的に、「逸脱するのはなるべくやめたほうが良い」くらいの「緩い規範」=マナーということで話を進める。

 何かのマナー価値があるとすると、そのマナーを守ることによってメリットがある場合であると考える。なぜならマナーとは往々にして「○○をすべきである」「○○をすべきでない」とい行動の強制を伴う規範であり、選択肢を狭めるものであるからである基本的選択肢は多いほうがいいと自分は考える。

さて、例えば「電車の乗り降りは降りる人を優先すべき」というマナー。このマナーが広く共有されていることにより、電車の乗り降りをスムーズに行うできる。確かにこのマナーを守ることによってメリット存在するため、「電車の乗り降りは降りる人を優先すべき」というマナーには存在価値があるだろう。

 ひるがえって「ご飯に箸を突き立ててはいけない」というマナー価値があるだろうか。真っ先に思いつくのが「ご飯に箸を突き立てている光景を見ることによる不快感」を回避できるというメリットだ。たださら思考をすすめてなぜ不快に思うのか?を考えると「ご飯に箸を突き立てるのがマナー違反であるから」に行きつくだろう。「ご飯に箸を突き立てること」に対して特別意味見出しているのは日本だけのようだし、ご飯に箸を突き刺して悦に浸っていた幼少期の自分を例にとってみても、この不快感は生得的なものとは思えない。(このあたり、まじめな研究があったらめちゃくちゃ見てみたいので情報募集です)多くの人は後天的に「ご飯に箸を突き立てることはマナー違反である」と学習し、そのマナーが逸脱されたことに不快感を抱いていると考えられる。つまり、「ご飯に箸を突き立ててはいけない」からこそそれに不快感を抱く人がいるのであり、そもそもこんなマナー存在しなければ多くの人は箸にご飯を突き立てられている光景をみてもおそらく何とも思わない。

 マナーが増えるということはもちろんマナー違反が増えるということでもある。つまりマナーが増えるとマナー違反による不快を感じる機会が増えるとも言える。これは本当に声を大にして言いたいことで、「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナー不快を感じる機会を増やしているだけである不快を感じる機会は減らしたほうがもちろん良いので、メリットのないマナーなんて無いほうがいい。ご飯に箸を突き立てて机を汚さなメリット自由享受できる社会のほうが絶対にいい。自分マナー業界蛇蝎のごとく嫌っているのはこの辺が理由で、メリットのないマナー創作して稼いでるあいつらマジで不幸の商人だよ・・・・・と思っている。

と、ここまで書いたけれども、実際のところ「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナーにもメリットはある。マナー合理的意味があろうがなかろうが、「その場において支配的な規範マナー従順でない」人間、長いものに巻かれない・巻かれることのできない人間排除する上では非常に有効機能する。良く言えば自立した人間であり、悪く言えば協調性のない人間だ。こういう用途で使うならむしろ合理的メリットなんて存在しないマナーの方が有用かもしれない。とはいえ自分信仰としてこういった排除ロジックは気に食わないのでやっぱり「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナーなんて無いほうが良いと思う。マナー業界はいち早く滅びてほしい。

 ここまで読んでくれた方なら、我々はご飯に箸を突き立てるべきであると十分に理解していただけたと思う。実際問題として「平時ご飯に箸を立ててはいけない」というマナーは多くの日本人に強烈に内面化されており、箸が突き刺されたご飯を見ると理屈に関わらず一定不快感を生じてしまう。これは自分だってそうであるご飯に箸を突き立てる人は、間違いなく突き立てなかった時より嫌われる。それでも、嫌われるから、すでに定着してるからなんて理由有害マナー継承していいのか。それがなんであり、どのような影響を与えるかについて何の疑問も抱かず、ただ「私はマナーを守っているか道徳である」と悦に浸っているだけでよいのか。それは将来の不幸を増やしているだけじゃないか、そんなもの迎合していいのか。他人自我を預けていいのか、自分を誇れるのか。

ご飯に箸を突き立てるなんてマナー違反だ」という前に少し考えてほしい。なぜ?と聞かれたときに十分な説明ができるだろうか。誇りをもった説明ができるだろうか。実際、子供にそれを言わないのは難しいだろう。ご飯に箸を突き立てる子供は間違いなく悪意にさらされるし、それをはねのけろというのはあまりにも酷だ。でも、それがただの処世術だと伝えることはできるはずだ。幼児には無理でも、中学生高校生ともなればこの理屈理解できる人が多いはずだ。せめて、突き立てられたご飯を許容することはできるはずだ。社会は時に非合理で残酷になるが、あなた自身までそうなる必要はない。非道を止められなくとも、一緒になって非道をやる理由はないはずだ。ベスト選択できないことはベター選択しない理由にはならないはずだ。

 将来のことを考えてほしい。より良い世界のことを考えてほしい。私たちご飯に刺さった箸を見たら不快になる。箸置きがなければ直接箸を置くしかないし、机の上はご飯粒でぐちゃぐちゃだ。まかり間違ってもご飯に箸を突き刺さないように気を付ける食卓はピリピリして緊張感に溢れている。それでも私たちがここで勇気を出してご飯に箸を突き立てれば、他人から嫌われることを厭わず「そんなマナーは無いほうが良い」と言い続ければ、そんな人が増えていけば、次の世代ではどうだろうか。「ご飯に箸を突き立てるべきでない」なんてマナー存在を知らない世代食卓はどんな光景だろうか。

 彼ら、彼女らは箸置きがなければご飯に箸を突き立てることができる。箸置きが無くったって机は清潔に保たれるし、それを見て不快に思う人なんかいない。ご飯に箸が突き刺さっていたからそれが何だというのだ?机にへばりついた米粒なんて誰だって片付けたくはないではないかご飯に箸が突き立つ、そんな清潔でリラックスした食卓は朗らかな幸福に包まれている。それはささやかながら、今よりももっと良い世界であるはずだ。

 これから世界がそんな素晴らしいものであってほしいなら、これから世界をより良いものにするため、私たちご飯に箸を突き立てなければならない。

2020-10-12

anond:20201012124131

対抗して自分主義を貫けばええだけやん。

「私は原理主義なのでこのキャラはこういう解釈でいきます!」って言って叩かれたりするんか?

Acaciaネタが半分しかからない

じゃあ代わりにランスXのOPが全部わかるのかっていうとこっちも半分分かるかどうか。

アベンジャーズだってそうだし、人生オワタの大冒険も同じく半分しか

どれも半分しか分からん

自分学生時代の思い出すら、半分ぐらいしか覚えて無くて他人に聞かれて「そんなのありました?ウフフ」と言ってしまう。

自分人生そんなのばっかりだ。

全部がちゃんと分かるもの出会たことがない。

思えばテストで100点取ったこととかもない気がする。

なにかを完璧にすることが絶望に向いてない。

ゲームで100%完璧であることが要求されると「俺には無理なんだよ!」ってキレそうになる。

どんなに小さくてもいいから何かしら完璧にこれは俺の分野だと言えるものがあればよかったのに。

全てが中途半端だ。

でも、元々それを目指して自分からやってきた側面はある。

クリティカルパスへのフォローを最優先するスタイル

赤点回避原理主義

持てる力を薄く広く分散して、アメンボみたいに目一杯水面の上に広げてそれによってギリギリ水面に浮かび続ける。

無能なりに生きていくにはそれしかなかった。

とにかく生き延びるために全てのステータスを平均化するしかなかった。

この世界には足切りが多すぎる。

テレビゲームの終盤でHP一定数以上じゃないと不意打ちのワンパン即死するから絶対にその値以上はステ振りしないとどうしようもないような、そういう足切りが無数にある。

ある程度生まれつきステータスが総じて高い人からすればそんな風に世界を見ること自体がないんだろうなっていつも嫌になる。

最低限のラインを維持するために、得意分野の誕生犠牲にして自分をひたすら薄く引き伸ばしていく。

とにかく世界足切りだらけだ。

俺にはこの世界が全て大縄跳びの延長にしか見えない。

これは余談だが、俺は多人数プレイゲームが大嫌いだ。

多人数プレイってのは基本的にどれも大縄跳びの延長線上にある。

最低限のことが出来なくなったやつが出てきたチームが負けるように出来ている。

勝利に最も直結する方法はいだって最低限のことが出来なくなる奴が出ないようにすることであり、それは究極的には最低ラインを維持する能力を持った身内でパーティーを組むことを意味する。

俺はその勝つためのチームには絶対に選ばれない。

どこまでやっても生まれついた注意力の低さと総合力の低さがどこかで足を引っ張って全ての努力無意味になる。

その苦しみは人生で何度も味わい続けてきて、いい加減飽き飽きしていて、ゲームでまでそれに付き合いたくない。

から俺は一人プレイゲームか1VS1のゲームしかやらない。

なんの話をしていたのか分からん

また中途半端になってしまった。

この人生はいつもそうだ。

飽き飽きしてるんだ。

アタリマエのことが出来ていないということによって土台からひっくり返る。

それが起きないように薄く薄く金箔みたいに能力と注意力を引き伸ばして薄っぺら無能として生きる。

救ってくれ。

どうやるのか考える力なんて俺にはないよ

2020-10-08

なぜ、本人確認にこだわるのか

俺はまぁラディカルというか原理主義者なので、本人確認なんてものID+パスワードでいいと思っているわけ。

でも割とよく世間では、ID+パスだけだと本人の確認になっていないとか言うアホ理論がまかり通っていて、そんなわけねーだろということを証明します。

多要素認証

他要素認証を使えば本人確認になる、という説がまことしやかにまかり通っているけど、そんなのじゃ「本人確認」にはなりません。

例えばメジャースマホを使った確認を例に取ると、ID+パス入力だけじゃなく、事前登録したスマホに入っている暗号アプリで、自動生成した暗号入力すると、ID+パス+スマホの所持が揃ったので本人です。って感じで認証するんだけど、これスマホ奪われてたら誰でもできるよな。

確率低い?とはいえ本人意外もできるっていう点だと、ID+パスワードと同じで「本人を確認したことにはならんだろう。

同じことはEメールワンタイムパスワードを送付して、ID+パスワード+ワンタイムパスワード認証する方法もだけど、これも、メールアドレス権利確認してるだけど、それが奪われていたら、本人以外でも利用できる。

事前に物理的な乱数表ドングルマイナンバーカードつかった認証も、奪われれば本人以外が認証突破できるので、「本人確認」できるとは限らない。

ID+パスワードより強度は上がるけど、それは認証の強度が上がったと言うべきであり「本人確認」できるとか、いいきっちゃうのは、本質を知らないで適当セキュリティ語ってて、だるい

生体認証

じゃあ生体認証使えば良いという。感じもするかもしれないけど、指紋コピーとか簡単にできます

認証も難しいかもしれないけど頑張れば突破できそうだし、何なら本人の指やら首を切り落とせば、突破できると思うので、これも「本人確認したことになるとは限らない。双子とかクローン使うこともできるしな。

代理問題

例えば友人とか、本人の許可を得て代理としてシステムサービス操作する必要がある場面ってあるわけで、

そういう場面だとID+パスワードだけ知っていれば代理操作をすることができるわけです。

あ、お前らは友達居なかったな。でも大丈夫ボットサービスかに代理に処理をしてもらうことを考えれば同じで、

ボットサービス操作してもらいたいサービスID+パス登録すれば、それだけで代理操作してもらえる。

これが、多要素認証になると、代理操作出来ないくなる。「本人」が操作代理させる意志をもっていても、端末を友達に貸し与えて四六時中持ち歩かせるわけにもいかないし、よくわからねーボットサービス指紋情報やら、生体認証登録するのやりすぎてる。

セキュリティ上がってるとか喜んでるけど、それは裏を返せば使い勝手が下がっているとも言えるわけです。

そこまで使い勝手が下がってて、じゃあそれに報いるだけのセキュリティ上昇が期待できるかと言われれば、前述のように本気を出せば他人がそのセキュリティ突破することはできるわけで、基本的にはコスパ悪い。

もちろん医療とか金融とかクリティカルな場面では使うべきだと思うけど、何でもかんでも多要素認証生体認証、みたいなノリは気が狂ってるとしか言いようがない。

あとセキュリティが上がっているだけで「本人確認」ではない。ボットスマホを預けるとかメールを読み取る権利を渡せば実現できる。くっそめんどくさいし危険だけどできる。本人意外が操作できるってことは「本人確認」として機能していない証拠です。

本人確認は出来ないのか?

はい、出来ません。限りなく本人っぽいです。ということまでしかわかりません。

仮に対面で人間認証するって事になっても、詐欺師の人は整形もすれば書類も偽造で取り揃えます

なので、本人確認基本的に無理です。

軽々しく「本人確認」とか言うな。本人って誰が判定するんだよ。まわりか?

まわりが勝手に「本人」であることを認証したり確認したとしてだよ、その「本人」が記憶喪失になって、「本人」であることを拒絶したのならそいつは本人なのか?それとも別人か?

答えろ!

2020-09-27

中国に対してジハードを仕掛けないイスラム教原理主義者に一体何の存在価値があるのだろう

やっぱり宗教(含む共産主義)って総じてクソって事

2020-09-25

anond:20200925113517

マヨから知らんの増田です

リアクションをもらって嬉しいのでレスすよ

>知っとるわ! いつの間に常識になったのかふと疑問に思ったんじゃ!

・・・すまんのー、ワイのなかではとっくに常識やったから...

そこで思ったんだが、結局『自分が受け入れられた行動』かどうかが、常識かどうかなんじゃなかろうか?いや、だってな、ワイは未だに頑なな

唐揚げや揚げ物にレモンかけんなや!!』

人種からね。。。

豚カツ脂身のしっかり付いたロース原理主義者やからね、脂っこいのを食べたくてわざわざ選らんだメニューなのに、なんで魅力を減らすほうに努力すんねんな、台無しやろ!!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん