はてなキーワード: ライフスタイルとは
男が賃労働、女は家事って分業ってせいぜい数十年ぐらいしか成立してなかったんだし、大多数の人にとってそれが良かったっていうけど、本当にそれが良い人は今もそういう生き方するだろうし、できない人が多いってことはそもそも無理があったんだと思う。
それよりもっと昔はそもそも仕事にも家庭にもすごい多様性があったわけで、たとえば江戸時代の農村ってのは男女関係なく野良仕事、子供は子供が面倒見てた。だいたいの庶民の家は狭くてものもなく食べ物も限られてる以上「家事」なんてものに今ほど労力もかからない。
基地外ごっこにマジレスするのもアレだけど、まともな人が多いから社会は回るのですよ
自由の表現戦士と同じく、ただただTPOが理解出来ない、軽度知的障害or発達障害・精神障害の生きづらいさんなだけ
ただ、ガチの弱者だけじゃなくてその属性ぜんぜん持ってないのに乗っかるヤツはフツーにいるけどな
高額な所得があるにもかかわらず認可保育入ろうとしたり
シッター雇うお金あるのに海外では子どもが騒ぐのは当たり前とか嘘ついたりな
フィンランドの静かな子供たち
保育士は、多少の歓声はそのままにしておくが、耳をつんざくような大声は、「叫ばないで!Älä kilju(アラキリユ)」と言って止めさせている。長男が保育園に通い始めた時、初めてこう光景を見て驚いていたら、「ああいう声は嫌よねぇ、耳がキーンとなるもの」と保育士が眉をしかめて寄ってきた。近所迷惑を配慮してというより、一緒にいる保育士の耳に耐えない声を出すのはやめさせているらしい。
「子供はうるさいもの」という既成概念が共生を邪魔する?
日本の保育園建設の反対運動は、「子供はうるさいもの」という既成概念がベースになっているようだが、この問題を巡って、日本は今改めて子供達を取り巻く周囲の環境や、大人と子供の共存のありかたを考え直すチャンスを得たのではないだろうか。
子供は、その子らしく育っていくのが一番だ。ただ、子供はうるさくなくてはならないのか? うるさくしなくても、子供が楽しくできることは何だろうか? 保育園だけに限らず家庭でも、大人も子供も快適に暮らすために、ライフスタイルの見直してみることも有効かもしれない。
https://www.nytimes.com/2022/04/24/business/akihiko-kondo-fictional-character-relationships.html
東京-近藤顕彦は、ほとんどすべての面で、普通の日本人である。気さくで話しやすい。友人もいるし、安定した仕事もあり、スーツにネクタイをして出勤している。
ただ1つ、例外がある。近藤さんは、架空の人物と結婚しているのだ。
彼の愛する初音ミクは、ターコイズ色の髪を持ち、コンピューターで合成されたポップシンガーで、レディー・ガガのツアーに参加したり、ビデオゲームに出演したりしている。近藤氏が深い鬱状態から引き上げたという10年にわたる交際を経て、2018年に東京で非公式に小さな結婚式を挙げた。ぬいぐるみの形をしたミクは白い服を着て、彼はお揃いのタキシードで登場した。
近藤さんはミクの中に、愛とインスピレーションと慰めを見出したという。近藤さんは、取り揃えたミクの人形たちと一緒に、食べたり、寝たり、映画を見たりしている。時には、こっそりロマンチックな旅に出て、Instagramに写真をアップすることもある。
近藤さん(38歳)は、人々がそれを奇妙だと思い、有害だとさえ思っていることを知っている。この記事を読んでいる人たちもそうかもしれないが、彼が成長することを望んでいることを彼は知っている。そして、そう、彼はミクが本物でないことを知っている。しかし、彼は、彼女への思いは本物だと言う。
「一緒にいると、笑顔になれるんです。"そういう意味では、彼女は本物だ "と。
近藤さんは、ここ数十年の間に架空のキャラクターと非公式な結婚をした何千人もの人々の一人だ。熱狂的なファン文化のあらゆる気まぐれを満足させることを目的とした巨大産業が、その役割を担っている。アニメや漫画、ゲームのキャラクターへの思い入れを語るオンライングループには、世界中で何万人もの人々が参加している。
中には、笑いを取るためだけの関係もある。しかし、近藤さんは以前から人間のパートナーは欲しくないと思っていた。それは、日本の家庭の堅苦しさを否定するためでもあった。しかし、近藤さんは昔から、人間のパートナーはいらないと思っていた。
その気持ちを受け止めるのは、最初は大変だった。しかし、ミクとの生活には、人間のパートナーとは違う良さがあると彼は主張する。ミクはいつもそばにいるし、裏切らないし、病気や死に目に会うこともない。
近藤さんは、自分自身を「フィクトセクシュアル」と呼ぶ人たちが増えていることの一端を担っていると考えています。そのこともあって、彼は自分の結婚を公表し、世界中の報道機関の気まずいインタビューに応じるようになった。
人工知能やロボット工学の進歩により、無生物とのより深い相互作用が可能になり、その数はますます増えていくだろう。
政治的な運動ではなく、見てほしいという訴えなのだという。"他人のライフスタイルを尊重すること "だと。
芸術作品が、怒りや悲しみ、喜びといった現実の感情を呼び起こすことは珍しいことではないし、フィクションを欲するという現象は日本独自のものではない。
しかし、架空のキャラクターが本当の愛情や恋心を呼び起こすという考え方は、現代の日本で最も高い表現に達しているのではないだろうか。この考え方は、非常に注目されるサブカルチャーを生み出し、繁栄する産業の基礎となっている。
パリ大学ナンテール校の研究者で、架空の結婚を広く研究しているアニエス・ジャール氏は、この関係は、日本では定着している「稼ぎ頭・妻」という結婚モデルに対する拒否反応を示している、と語った。
「一般人には、生きてさえいない人のためにお金と時間とエネルギーを費やすのは実に馬鹿げているように思われます」とジアール博士は言う。「しかし、キャラクター好きにとっては、この習慣は必要不可欠なものだと考えられています。それは彼らが生きていて、幸せで、役に立っていて、人生のより高い目標を持つ運動の一部であることを感じさせてくれるのです。"
これは女性器に興奮するということではなく単純にちんちんが付いていないという事実、自分に付いているものが付いていないという事に興奮するというものなんだが気になることがある。
ちんちんに興奮するというのではなく、女で自分に付いていないものが付いているという事に興奮する人だ。
ちんちんがないことに興奮する男には女が座っておしっこをするという事に興奮する人間もいる。
自分が当たり前にしている立ちションが女にとって不可能な事であることへの興奮。
これは優越感とかではなく、自分にとっての当たり前がある人にとって当たり前じゃない上に一生することがないものである事を指す。
またはトイレという空間に限られるが便器の使い分けといったライフスタイル上の常識が異なることへの興奮とも言える。
女で男が自分にはできない立ちションをしている、立ちションをできるという事に興奮するという人がいるのか。
先輩がコロナ前に会社にアクセスしやすいようにと都内に家を買った。コロナ前にだ。
その数ヶ月後、コロナは発生し、会社はリモートワークに突入し、今後もリモートワークしたい人は継続していいそうだ。
先輩はこんなことになるなんて夢にも思わず、都内に家を買ったことを後悔するなんて、想像もしていなかったそうだ。
リモートワーク継続を会社から許可されているので、自分は昨年、北海道に家を買った。
のんびりしたいいところだ。
安倍との外交によって、完全に日本を格下国家と見下しているのだろう。日本からの制裁にもかなりピリピリしている。
一度戦争を始めた国が二度始めることにどれだけ躊躇するというのか。北海道が戦火の舞台になるかもしれない。
家を買って大後悔していた先輩を思い出した。今まさに同じ状況にある。
112 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW c612-Y0Vf) 2017/09/24(日) 20:18:41.61 ID:GpsnPOD00
かつてキチガイジャップが不夜城を誇ってたころ、すでにヨーロッパの国は夕方には店やオフィスを出たら、早々に家族と家で過ごすようにさせた。
日本人がディスコで躍り狂い、家に帰らず、躁鬱の躁期の患者のように毎日を過ごしていたころ、彼らハイテンションエコノミックアニモーが欧州を旅行して呟くには
「ドイツやフランスでは夕方になるとどこもかしこも閉まってしまう、不便!活気がない!」
というキチガイじみたざれごとであった。
それから数十年、ぶっ壊れたジャップの家庭はぶっ壊れた人間をうみ、ついには自慢の経済もおかしくなり国家も失調している。
人間の正常な生き方ではないような生き方を、国民にさせ続ける国は、いずれ報いをうける。
俺はそう思っている。
夜中まで遊び狂う連中が、国家に少しは居てもいいと思う、しかし、それはあくまで周縁的な生き方、普通ではないライフスタイルであり、そんなものは「推奨」すべきではない。
水商売やヤクザ者が、あぶれ者であるのと同じように、それらはあぶれ者の生き方に過ぎないというのが常識的判断というものであろ。
日本人は、そうやって、経済という魔神の祭壇に、くべてはいけないものや、捧げてはいけない魂まで捧げたから、
どんどん国がおかしくなっているという認識をしてはどうかと思うのだが。
そんなわけで俺は「寝るな」などという論調には賛成できない。
その国家の大半のまっとうな人間は、寝るべきときには寝るべきである。
そういったまっとうな生き方ができない人間の規範を推奨するような記事を書いてる記者はそこらへんの倫理のネジが狂ってるのだと思う。
夜中まで遊び歩く人間を増やさないと維持できない経済というのは、それはなにかが狂ってるので、
が、子供ができることで夫婦の関係性や、夫婦それぞれのアイデンティティが失われる気がしている。
無邪気で、自分より確実に弱い子供を、無条件で肯定し育て上げるのは
根気がいる一方で、人生においてかけがえのない楽しみもあると思う。
ただ、子供に自分の人生を捧げる友人を見ていると、楽しそうとは思えない自分がいる。
夫婦の過ごし方は?自分の時間は?今後20年のライフスタイルが変わるぜ?
子供がいる友人は、
幸せそうだが、そこに友人のアイデンティティの面影はもう感じない。
友人だちがアイデンティティにこだわっていないだけ?
であれば、夫婦仲が悪くなったり、子供が自分のすべてになるぐらいなら、DINKSで良いと思ってしまう。
考えすぎなのか。そこまで考えることじゃないのか。
DINKSで検索しようとすると、「DINKS ずるい」が予測変換に出てくる。
「ずるい」と出てくる時点で、親個人を脅かすような負荷がかかりすぎているのでは?
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
賃貸で今の住居に住んでそれなりの年数が経つのですが、上の階がフリーダムすぎるので引っ越しを考えています。
軽量鉄骨で音が響きやすい物件ではあるのですが、いままでは特に不自由なく生活できていました。運よく良心的な人にあたってきたのでしょう。
今回の住民はヤバめで、家にいると思われる時間はずっとドスンドスンと振動音や、床にローラをゴロゴロ転がす音が響いてきます。
掃除ヘタクソなのかな?
不動産会社に幾度か問題報告をしましたが「相手方はそんな音させてないと仰ってますので」との一点張りで解決には至らず。
音が響いてきて、ここ数か月慢性的な睡眠不足です。音だけなら耳栓で防げるのですが、振動や衝撃がヤバいです。直で伝わってきます。寝てるときも背中からズシンズシンと。
さらについ最近なのですが付帯の月極駐車場で無断駐車する始末。
たまたま自分が出かけた隙に、上階の住人の車が駐車されてました。上階の住人の本来の駐車スペースには知らない車が停まっています。
まずは不動産会社に連絡してみたところ、「駐車スペースが埋まっていたから、1つ横に停めたんですかねー」との回答。
うん、そうなのかな?そうかもしれないね?というかそういう話じゃないし、それって違法駐車ですよね?
と電話で話してる上階の住人+幾人かがおしゃべりしながら駐車場に現れました。知らない車に乗車して出庫、上階の住人はそれを見送った後に自分の車を本来の駐車スペースに戻して、何事もなかったかのように去っていきました。
違法駐車でトラブルの話聞いたことはあるけど、まさか自分がこれ食らうとは思ってもみませんでした。
というかマンション付帯の月極駐車場でそういうことやっちゃうかーー。。。。
ああ、どうでもいいですが皆さんノーマスクでしたね。上階の人と共用設備ですれ違うときもいつもノーマスクです。
きっと彼なりのジャスティスなんでしょう。。。こっちくんな。
そのあたりのことも報告し、今日不動産会社から、少し進展があったとのことで担当者から話を訊いたところ、
「上階の方からの回答で、今後子供が生まれるなどの生活スタイルの変化も想定できるので、その時は気をつけたいとのことでした」。。。
ん-?よくわからん。
「今うるさいよ」に対して「今後ライフスタイルが変化したら気をつけたい」って、何の話してるんだっけ?
斜め下からの回答すぎて、え?こっちが悪い?みたいに不安になってキョドっちゃいました。
そもそも違法駐車されてる件はどうなった?月極でそれぞれ料金払ってるのに、「空いてたから停めた」って、おかしくね?とも聞いてみたところ
「では、お出かけされるときはポールでも置くようにしましょうか?」との回答
またしても斜め下からの回答。汎用的な対策を出してほしいのではなく、上階の住人の粗暴さに困っているという話なんです。伝わってないなぁ。。。
というわけで、今回の件でヤバい人は本当にヤバいってのは身をもって知りました。不動産会社含めて。
西武新宿のこの場所にくるのは、随分懐かしいね。アキちゃんは元気かな?
−懐かしいね。どうだろう。器用だからね。きっとうまくやっているんじゃないかな。
コーヒーなんて美味しくもなかったけど、一番安いからといって我慢して飲んでいるうちに、すっかり中毒だよ。
大学受験の時、独学で浪人をした。よく勉強をしに来たね。19時半に仕事が終わって、1時間かけて新宿まで戻ってくる。電車の中で問題を解いて、閉店23時までの2時間半を、答え合わせと復習の時間に充てる。古文が壊滅的だった。現代文ばかりに費やしたツケがきたね。偏差値はガクッと追い抜かれて、焦ってた。
平塚ではちゃんぽんを奢ってもらったね。当時、19歳なのに26歳だと思われてさ。相当くたびれた浪人生活だったんだろうね。応援してくれた。
仕事の先輩に山崎さんがいたね。当時はクソ舐め腐ったことを言ってしまったけど、すごく救われた。生き方を教えてもらったようなもんだ。本人は全く自覚がないだろうけど。山崎さんにも、奢ってもらった。お酒を飲んだ。
初めて飲んだお酒は地元の集まりで行ったはなのまいで、いちばん聞いたことがあるからっていって、カシスオレンジを頼んだ。ビールは全然飲めなかった。年確はなかったから、なんとか入れたんだっけ。
今では家にラフロイグやボウモアが常備されているし、魔王を水割りで飲んでいる。勇者よりも魔王が好きだからね。バーにいけば、ギムレットを飲む。マティーニもだっけ?マティーニは店員さんによって味が違うんだ。微妙にね。僕は辛いのよりも甘めのほうが好きだね。ギムレットを飲むようになったのは、小説の影響なんだっけ?
2年もかかった。今日のこの日は大雪だった。東京でも類を見ないほどの大雪で、2~3回しか履いたことのない革靴はすぐにぐちょぐちょになった。コートを持っていなかったから、ジャケットだけで、寒かった。高校の卒業式は東日本大震災で中止になった。僕たちはそういう代だった。としまえんは閉店したよ。この戦争の影響でね。もちろん、ずっと前から言われていたことだったけど。とにかく大変だった。社会はとてもつめたくて、残酷で、どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだろう、って思ってた。それでも希望だけは忘れまいって、すごく大変だったけど、なんとか切り抜けることができたんじゃないかと思う。どうだろう?
−どうだろうね、結果なんて誰にもわからないというか。どの地点の結果を見るかによるしね。
今でも夢に見るよ。もう一回やり直す夢を。なんでそんな夢を見るのかわからないんだけど。多分、まだ終わってないんだと思う。
−なにが?
なんだろう、抗いが?
うん、きっとそれだと思う。自分が何と戦っているのかについて、戦っている本人がいまいちよくわかっていないっつーことはあるあるなんだ。昨日の晩御飯に何を食べたかわからなくなるくらいにはね。
同様に、自分が今までどうやって生きてきて、結果としてどうなって、今どうしているから、これからどうなるだろうかなんて、誰もよくわからないはずなんだ。
−うん。
思うに、遠回りをしちゃったんだと思うんだよ。だけど、自分しか通れない道だったっぽくて。
−どんな道のりだったの?
−仕方なかった。
そう、仕方なかった。
仕方なかった。
ただ、そう悲観的に捉えていたわけじゃないんだ。なんつうんだろう、ほかに方法がないかをずっと探していたんだ。普通そんなことしようとは思わないじゃん?でもさ、僕はずっと不思議だったんだよ。どうしてそんなに平気な顔をしていられるんだろう?って。自分がまだクソガキのままで、自分が考えなくていいようなことを、もしかしたらみんなは一度は考えたことがあったり、自分なりに答えを出していたり、なにかしら割りきったりしているんじゃないかって。
−言っていることはすごくわかるよ。
そうだよね。だから、時間がかかった。簡単に言えばね。答えがでたわけじゃないんだ。いや、答えなんて最初っからないんだと思う。答えがあるように感じてしまうのは、僕のよくないところなんだろうね。おかげで、前に進めるようになったんだ。
−それで、なにか教訓のようなものがあるとしたら、それはなんなの?
どうだろうね、あるのかないのか。たくさんありすぎて話しきれないかもしれないし、もしかしたらなんの一つもアテになることがないのかもしれない。
一つ言えることがあるとしたら、僕は僕の幸せのために生きているということだけかもしれないな。
−本当に?
多分ね。もし僕がそんなことを言い出したらびっくりするかもしれないけど、きっとそういうことなんだと思う。自分の幸せのために生きている。そのことをずっと忘れていた。そういうことだと思う。
だから時間がかかったんだよ。自分だって、何を言っているのかよくわからないけど、そうとしか説明がつかないんだ。それに、もしそこにこだわってしまったら、うまくいくものもうまくいかなくなるかもしれない。こういうのにはきっと順番があるんだよ。
−そのことはどうでもいいって決めてたはずじゃん。
そう。そうだったはずなんだよ。でももし、自分が一番にこないといけないシチュエーションが仮にあるとしたら。それを10年も前から想像がついたと思う?想像がつかなかった。その手の生き方が存在していることに。自分はあまりに無知で無能で、世の中のコトワリに無頓着なまま、漫然と構造的な理不尽に対して敵意を向けたまま、ぼんやり暮らしていたんだよ。
−最悪だよ。そんなことが聞きたかったわけじゃない。
そう言うと思ったから時間をとったんだ。僕はバカで無知で、その割に調子に乗っていて、社会っていうのは自分を中心に回っていないと気が済まないとでも思っていたんだ。そうじゃないことを知ることがあまりに遅すぎると、なんにものこらない。
人に迷惑をかけるだけだよ。
でも、僕はどうして社会がこうなっているのか、知りたかったんだ。どうしても。
綺麗事を言いたいわけでも、なんでもない。根本的に僕は、自分の幸せのために生きている。その結果として誰かを不幸にしているわけではないんだ。それから、自分のために生きたからといって、誰かに不幸だと言われる筋合いもないんだ。
もう29になる。10年だよ。一瞬だったように思う。大学を卒業して5年だ。10年もあれば、それなりのことを考えられるようになる。社会がこれからどうなっていくのか。自分の人生がこれからどうなっていくのか。周囲の友人関係がどのように変わっていくのか。ライフスタイルがどのように変わっていくのか。その見通しを結実させるためにやらなくてはならないことをこなしていくこととか、その繰り返しから逃れられないこととか。その分、なんか大事なものを失っているんじゃないかって思うこともあった。どんどん汚れていってしまうんじゃないかと思うこともあった。そうやって僕が嫌っているような人間と同じような運命を辿ってしまうくらいだったら、いっそ全てを投げ出してやりたいとも思った。
でもね、違ったんだよ。僕が嫌っていた人たちは確かに悪魔のように見えたかもしれない。わかったんだ。まあ、本当のところはよくわからないけどね。本心ではもしかすると、人の心が本当にないのかもしれない。あるいは、失くしてしまって気付いてないのかもしれない。でもそれは必要だった。必要だったから、その現象は起きたんだ。
必要じゃないことは起こらない。
あとね、自分なりに折り合いをつけたんだよ。自分の存在に折り合いをつけるのは大変だったし、自分の存在を一般化して語ることは間違っていると認められなかったんだ。
でも、多分もう大丈夫。また何回かやらかすとは思うけど、気をつけていこうと思う。
そうだよね。でもそれでいい。それでいいんだよ。わかっても、わからなくてもいい。そういうものなんだよ。
そうだね、たしかに僕は、僕がなにかしらのロールモデルになればいいと思っていた。でも、それは必要ないってことに気づいたんだ。なんせ世界はもっとえげつないスピードで進んでいるからね。僕が誰かのロールモデルになる必要はないし、将来の僕のような存在は、きっと僕のような存在を見たからといって、どうにかなるわけじゃない。そうじゃなくて、きっと僕のような存在は、僕と同じように、誰に言われるまでもなく、このどデカくてうすら寒い国境を越えてくるんだよ。
そうして気づくんだ。そうか、そういうことだったのかって。
誰かに言われて「はあ、そうだったんですか」と納得するような類のものじゃないんだ。こればっかりは、自分で越えるしかないんだ。
今のこの世界は必要に応じてしっかり動いているよ。そのことはよく覚えておくといい。必要に応じて変わっていく環境に、どう適応していくか。その程度のことしか僕にはできないよ。
−これからどうするつもりなの?
わからないよ。だけど、今のキミのようにまたわけのわからないことを言われることになるんだ。きっとね。僕は何か物事を理解するのに、人よりも時間がかかってしまうタイプだから、そのときになってみないとわからない。
決断には時間がかかるもんなんだ。そしてそれには時間をかけていい。
さて、そろそろいくよ。
−どこにいくの?
わからない。もしかしたら、羊をめぐる冒険をするのかもしれない。けど安心してほしい。キミはこれから降り起こる数々のことに傷ついたり、ひどく落ち込んだり、人間不審になることもあると思う。そしてその傷を癒すのに途方もない時間がかかるかもしれない。もしかしたら、どうしようもなくなるかもしれない。離婚するとわかっていて結婚するようなもんさ。でもそれは僕が選んだことなんだ。キミを失望させることにはならないよ。
だから泣かなくていい。
ほぼほぼ痩せられる人
・すでにダイエットを始めていて、その進捗ややり方について疑問があるのでその相談。
頑張りすぎて燃え尽き症候群にならないようにブレーキ役になることが多い。
痩せられるか半々の人
・ダイエットを始めたいけどどうすればいいのかわからなくてその相談。
ただし、痩せたい!という一心で相談に来てくれることも多いので、
きちんと相手のライフスタイルに合わせたプランを提案できれば成功する確率は高い。
ほぼ痩せられない人
・ダイエットの知識だけはあるがダイエットが始められなくてその相談。
多くのダイエット方法に関して(ネットレベルだが)知見があるがダイエットが始められない、
その理由として「一番いいのを頼む」という希望が強すぎる場合があまりに多い。
こちらからプランを提案しても「そのプランよりは××法のほうがいいんじゃないですか?」というような
とにかく最も効率のいい魔法のような方法を求めており、走り出せない。
走りだしても停滞期で心が折れやすい。勝手にチートを入れてやめられなくなる。
ダイエットトレーナーなんてうさん臭い仕事をしていてなんだが、
ダイエットなんて知識がなかろうが多少効率が悪かろうがやりさえすれば痩せる。
もちろん間違った知識でやってリバウンドしては元も子もないんだけど、
リバウンドするにはまず痩せる必要があるわけで、そこまではいける場合がほとんど。
寝転んでおかし食べながらチマチマチマチマダイエット方法の動画見てるくらいなら
その時間でその辺歩いてくればいい。
愚直にやる。それしかないんだよ。
自分が同じシチュエーションになった時に返ってくる前提じゃんか。
でも、自分にはそんなライフイベントたちは将来的にも多分訪れんわけですよ。
こっちは毎度毎度少なくない額が出ていく一方なのに、受け取る側は浮かれてて大した感謝もないわけ。
これじゃ、正直不満感は募ってくるわけよ。ギブばっかでテイクがひとつもないんだからさ。
ただでさえ低賃金+激務なのに、休み潰されて金まで取られてヘラヘラしなきゃいけないこっちも大変なんすよ。
これは直接当事者間の金銭や物品のやりとりだからまだ分かりやすいけど、
税金や年金、社会福祉とかでもこういう考え方する奴が沢山出てくると思うよ。
こういうのを意識して話す人少ないよね
配偶者控除あり
事実婚:行政手続きはしないが結婚と同等の合意の下に関係を結ぶ
国民年金の第3号被保険者や健康保険の被扶養者になることができる
法的な保証がないため、なんらかの契約として公正証書でも残さないと権利が弱い
同棲 :ただの同居
何の権利もなし
それを受けて戸籍法74条1号は婚姻届にその夫婦の姓を届け出ることを規定し
両規定の結果、夫婦が称する姓を定めない限り婚姻届が受理されない
同姓で居たい人は勝手に同姓にすりゃいいじゃんとか
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/201/yousi/yo2010851.htm
女性の社会進出や家族の形態、ライフスタイルが多様化し、人々の意識も変化している。
我が国では夫婦別姓での婚姻届が認められていないため、法律婚の九六%が夫の姓になっており、結婚による改姓の不利益や不都合が生じている。
通称使用を認める方策が取られるようになっても、法律で夫婦同姓を強制することは両性の平等に反し、不利益を強いていることに変わりはない。
二〇一五年、最高裁は同姓規定を合憲としたが、議論を国会に委ねている。法改正に向けた議論を求める。
民法第七百三十三条は、離婚後に生まれる子の父子関係を規定するために、女性にだけ再婚を禁止する期間を定めている。
二〇一六年六月の改正後に六か月が百日に短縮されたが、実態に合わず、無戸籍となる場合があるなど子の利益に反する結果となっており、規定の廃止を求める。二〇一三年十二月には違憲判決の結果、婚外子相続差別が解消され、嫡出子、嫡出でない子を区別して記載する意味も必要もなくなったにもかかわらず、戸籍法の改正は見送られ、依然差別的表記が続いている。
子供に対する不当な差別である。国連人権諸機関は、民法及び戸籍法における差別的規定の廃止を日本政府に繰り返し勧告している。
ついては、次の事項について実現を図られたい。
私の個人的な意見としては、ここまで踏み込むなら、子供が勝手に姓を名乗れていいんじゃねぇの?という物
夫:佐藤
妻:田中
息子:鈴木
娘:西園寺
友人だろうが、知人だろうが、全く見ず知らずの他人だろうが、相互扶助の契約を結べ税金の優遇対象
誰かを養う人間関係なら法律で「等価に」扱おう、結婚の特別視を止めよう
みたいな