はてなキーワード: イージーリスニングとは
自分で生成してないからアレだけど、他人が生成した楽曲はYouTubeにもう溢れてる
自分は老人なので古いメタルとかアニソンばかり聴いてるけど、AIが生成したメタルも推薦されてくるので冷やかし半分に聴いてみた
意外だった、結構聴ける
どっかで聴いたような歌詞に、よくあるコード進行に、目新しい点、斬新な点はまったくないんだけど、イージーリスニングだ、ちゃんと聴ける
演奏しやすいと思ったので、合わせてギターでリフを弾いてみた、いいんじゃないかこれ
さっきから、やたら弾ける、に拘るのは、十数年以上前にジャズを自動生成するソフトを試したことがあって、
そいつが生成した曲はコードトーンを重視しつつ、スケールをただなぞっているというか、非常に弾きづらい、メロディーとしてもどうよ?と思うデキのものだった
こういうリフやこういうソロが生成されるということは、元になった楽曲も、人間はこういう風に弾きがち、ということなんだろう
ギターもピアノも、楽器ってのは意外と制約があって、あとは奏者の手癖というのがあって、こういうの弾きがち、というのはよくあると思ってる
頭に思い付いた音を優先するべきなんだけど、なんというか手をこう動かした方が気持ちがいい、気分がいいみたいなのがある
ギターの凄い所はその制約のある運指と、美しいメロディーラインが合致しがちなところだろう
もちろん、美しいというのは、よくありがち、マンネリという意味でもあるので、わざとそれを外すときは変な運指を考えたりする
でも、変な音、外した音、みたいなのもAIはどんどん真似られるだろうし、
じゃあ既存の音楽にまったくない音楽、音楽理論を人間は目指すべきなのかというと、それはそれで実験的で面白いけど、普通の人が聴いて楽しめる楽曲ではなくなってしまう
悪貨が良貨を駆逐するじゃないけど、AIが生成したマンネリやパクリの絵とか曲がネットの中に溢れて、飽和していって、それをまたAIが食べて…
ウンコ出して、出したウンコ食って、またウンコ出して、みたいな末に何が生まれるんだろうな
それはそれで、ちょっと興味あるわ…
金曜の夜に家でまったりしているときは、音楽が欲しくなる。飲食するものはほんの少しの贅沢でも、気分が変わると満足度が違う。
ジャズが好きだが、ボサノバ等のイージーリスニングも良い。オールドロックなんかも良い。その時代には無かった先進的なことをやろうとしたジャンルだろうに、時代に磨かれると落ち着く曲になる不思議に思いを馳せられる。
でも音楽だけだと、どうも手持ち無沙汰になってしまう。空いた目を満たすためにはてななんか見ちゃったりして、まったりとは程遠い。
ポップスだとスペースシャワーTV とかが MV と共に流されてちょうど良いけれど、落ち着いた曲のそういうのってあまり無い。商業的にホットでは無いからなのだろう。著作権が切れていても映像は権利関係が難しいし、解像度が低かったりして収益化するには困難なコンテンツなのかもしれない。
クラシックだとコンサート映像と共に配信されることもあるが、荘厳過ぎてだらだら聴く感じでは無くなってしまう。ありがたいし好きなのだけれど今じゃない。
民族音楽でも良いな。音楽に直接関係がある映像で無くても、その地の風景と共に流れて、その地域での生活を想像したりなんかする。お店ではそういう映像と音楽があったりするが、あれは何を流しているんだろう。
ついでに言えば、アニメは見なくなったが曲に合わせたアニソン映像が好きだ。この OPED が良いということで見てみたりするしそのためにアニメのサブスクにも入っているが、曲を流すには不便だ。過去には映像つきアニソンサブスクもあったらしいが、既にサービスは終了している。 YouTube で公式が配信している OPED をリスト化してくれているものを探すのが良いのだろうか。
かつて自分用にビデオやカセットテープを編集していた頃に比べればなんでもあってそれで事足りて便利なのだが、こういうのもあったら良いのになーという欲が出てきてしまう。自分で編集しなくても、同じものを求める人は既にいるのではないかという甘えだ。
もうそれほどの熱意が無いとも言える。お金を支払っていい感じのものを提供してもらえるならそれに準じたい。けれど自分が求めるのは少なくともボリュームゾーンでは無さそうな歯がゆさを覚えている。あんなに自分のためだけに頑張れたこともあったのに、提供されるのを求めてしまっている。
探せばあるんだろうな、という期待は以前よりもあるのに、 Google で検索してもみんなが求める大衆的なもの、つまり自分には合わないものしか見つからないだろうなという気がしてしまう。本当に好きな人はそういうソーシャルネットワークを構築していて、界隈では当たり前になっている情報が継続的に追い続けてコミュニティを維持している人にしか分からない。まるでインターネット以前のローカルコミュニティみたいだ。
教えて、と言いたかった。けれどもう、コミュニティを維持するための継続的な努力をしない、あるいはそれを努力だと思わない人にしか情報は入って来ないのだろうなという気持ちになってきてしまった。学校の教室みたいだ。
…書いているうちにこんなことになってしまったが、ええと、映像と共に音楽を楽しめる方法があったら教えて欲しい。
ああしかしインターネットって何であって何になっていくのだろうな…。自分には図書館のように救いであった時期もあったのだが、もうローカルの延長でしかないのだな。ローカルコミュニティで救いを得られない子供はどこに行くのだろうか。
自分はAdoが大嫌いだ。汚い言葉を連呼する「歌」ばかりというのが非常に腹立たしい。言葉を使って表現する人間がそれへの丁寧さを欠くのは、もはや言葉に対する冒とくである。
そして汚い言葉だらけの「歌」が人気を博する現状というのは、本邦における知性の劣化と連動しているように思える。
知識人がAdoの「歌」を無邪気に肯定するのを見たときは、腹が立つというレベルすら通り越して虚無感しか感じなかった。
自分はワンピースには全く興味がない(グランドライン云々って結局今どうなっているの?って認識)が、もしワンピースのファンだったら映画のAdoごり押しで絶望の淵に叩き落されるだろう。
言葉に対し誠実であること、汚い言葉ではなく聴き手の立場に立った言葉を使うこと、そういったことを唾棄する人々が趨勢を占める現状は嘆かわしい。
ただ、それは自分の感覚である。自分の感覚は他人と共有できないし、ましてやそれを押し付けることは思想信条の自由の観点から見ても問題が大きい。
聴きたい人からAdoの「歌」を取り上げることはあってはならないのだ。
(※本邦においては思想信条の自由があまりに軽視されすぎていると思うが、それは本題ではないので略)
ただ、それと同様にAdoに対し嫌悪感を抱いている自分に対しても、Adoの「歌」を押し付けるのはやめてほしい。
近所のスーパーや街角に設置されたスピーカーからAdoの罵詈雑言で構成された「歌」が流れてくることもある。そのたびに自分は指で耳の穴をふさぎ、早く終わってくれと心の中で叫んでいる。
音というのは残念ながら自分の力では防ぐことがほぼ不可能だ。図画のように目を背けて終わりということは不可能である。
このように、歌謡曲というのは好き嫌いがはっきり分かれるものである。せめて店や街頭では歌謡曲を流さないぐらいはしてほしいものである。
もっというなら公共の場所で意味もなくBGMを鳴らすことも考え物だと思うのだが、まあ流さなければならない事情はあるのだろう。
一時期西友のBGMにフローレンス&ザ・マシーンのShake It Outって曲が採用されていた。
その賛美歌風の力強い曲調が好きで、店頭で耳にして以来今までよく聴いていた一曲だ。
私は英語話者ではないので注意深く聞き込まなければ洋楽の歌詞なんてわからない。もっぱらイージーリスニングで聴き流すばかりだったこの曲に対し、次第に私の中で「おそらくこういう歌なのだろう」という勝手なイメージが確立されていった。
物寂しい導入部、それを覆すようなサビの大合唱から、Shake It Outは椎名林檎の「人生は夢だらけ」やレ・ミゼラブルの「夢破れて」のような曲だとみなしていた。夢にひたむきな女性の生き様を歌った歌なのだといつの間にか決めつけていたのだ。
ボーカルのフローレンスはこれまで色々苦労していて、やっと掴んだバンドでの栄光に喜びを抑えきれない様子を歌っているんだというストーリーを妄想しながら、私も「Shake it Out〜」とサビを口ずさんだりしたものだ。
しかし最近になって「この曲の歌詞は『別れた彼ぴっぴのことなんて忘れてしまいましょー』って意味なんだよ」って意味のツイートをちょくちょく見かけた。たしかに「Shake him off」とか「It's a fine romance」とか一節にあるのでそういう月並みなラブソングなのかもしれない。
そう思うとすごくしょうもない歌に聞こえてきてだんだんと聴く回数も減っている。
そういえば何年か前に福山雅治がラジオで「『ホテルカリフォルニア』がドラッグを断ち切れない男の哀歌だと知って気持ち悪くて興醒めした」と話していた。なんでも熟年のカップルが穏やかにホテルカリフォルニアでお泊まりデートする渋い(?)曲だと思っていたそうだ。
それを聞いて、むしろ薬中が苦悩しのたうちながらも生きている様を歌った曲であるほうが余程良いのになと当時の私は感じていた。
そしてイケメン街道まっしぐらの福山雅治としょぼくれっぱなしの私とでは、生きてきた世界も物の見え方もやっぱり違うのだなと妙に感心してしまった。
街中のポスターや看板がセクハラだみたいな話、よく上がってるけどさ、何気に店でかかってる音楽がきついときない?
流行歌か歌謡曲だかの、重いメロディに重い歌詞、失恋だかなんだかの重いストーリー。
不用意に入った定食屋や百均でこの手の曲がかかってて、がっつりこっちの精神に食い込んでくる。
でも、音楽はもっとパーソナルなものであって、流行ってるからってみんな失恋の歌聴きたいわけじゃないよねぇ。
最近の若手のアーティストで、才能あるなぁって思う人もいるのよ。
でもそれとこれとは話が別なのよ。
今はまだその場を去ればいいだけだけど、昔、職場でとりあえず802流しとけって感じで、聴きたくないJポップ聴かされてた時代はきつかったなぁ。(大阪ではどこいっても802が流れてる時代があった。)
今もそんな職場あるんかなぁ。
あったとしたら、環境型ハラスメントだとか何とか言ってはてなでやり玉に上がっててもおかしくないよねぇ。
個人的には、ジャズとかイージーリスニングとか、歌詞がなくて(あるいは外国語で)、旋律もうねりの少ない、ストーリー性の少ない音楽なら街中でも大丈夫なんだけど、これも人それぞれなんかな。
前半、一般人が適当理論捏ねてるだけなので、方法だけ見たい人は飛ばしてください。なんでこの方法が集中する方法として挙げられているかわからない場合は読んでもらえると嬉しいです。
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いろいろ考えたんだけど、集中している状態というのは頭の中でその作業が最も刺激的である状態だと思うんだよね。
めちゃくちゃお腹痛い時ってお腹痛いことしか考えられないじゃん? これだと腹痛という刺激に集中してしまっている。けどそこで何か音楽を聴くとか別のことを考えるとかして、刺激を分散すると、少し楽になったりする。相対的な刺激の程度を下げることができてると言えない?
逆に集中できない状態というのは、いろいろな刺激が並立的に入ってきている状態だと言える。
で、刺激というものには、いわゆる五感で受けるものがある。これを受け取る感覚器は年中無休24時間営業で働いている。そうしないと危険が身に迫った時対処できないからね。
けど集中するにはぶっちゃけ邪魔。これをいかに鈍くするかということがポイント。みんながコンビニ本社だとして、客が入ってくるたびに「お客さんですー!」って各店舗から報告されたらうざいだろ? それくらいはあー来てるなあで受け流してくれればいい。報告するのは強盗くらいで良い。
コンビニの例えを続けるなら、報告が来ない間、みんなは特定の店の経営戦略会議(やりたいこと)を続けることができる。報告が来れば中断。そして感覚器というコンビニは来店が少なすぎると店の前を通った人さえ報告してくるクソまじめなやつら。
つまり集中するためには、このコンビニからの報告をある程度コントロールすることが大事なんだよ。
一つ目は、欲しい一部の情報以外拒否するというやり方。すごく集中している時は限りなくこれに近いんだと思う。ただ、万引きとか強盗とか、クリティカルな情報も届かなくなってしまう危険性があるので、意識的にやるのは難しい。
だから集中するのは難しいんだろうね。生き物として危険だから。
二つ目は、コンビニを無害な客でそこそこ忙しくさせることだ。低い刺激を与え続けることで、客は来てるけど報告するほどではないな〜という状態を作り出す。ペットボトル一本とおにぎり買うくらいの客がずっと来ている、暇ではないが大変ではない状態にするのだ。
いわゆる、音楽を聴くと集中できる、いや洋楽だ、いや歌詞なしが良いというような話のことだね。
三つ目は、店員を疲れさせる方法だ。客が来ようが来まいが、気づかなければ報告できない。
ちょっと疲れてる時の方が集中できる、ちょっと酒飲むといいみたいなアイデアのこと。
個別の方法はもう発想の領域だし、採用できるときとできないときがあるし、個体差で向き不向きあるので、いろいろ試すうちに良い方法を見つけてください。
過度な空腹ではないかつそこそこ疲れている状態を作るのは難しい。個人的には2時間とか歩かないとダメだと思う。しかもあんまりやると眠い。
②運動しながら
動画や暗記系の勉強なら可能な方法。踏み台昇降がおすすめ。その場足踏みもいいけど大体だるくなってしまう。
③編み物
同じく動画や暗記なら可能。手先が器用じゃないと厳しいし頭のリソースもわりと持っていかれるが、下のおもちゃより飽きにくい。棒針は抜けやすいのでかぎ針の方がいい。(逆に編み物に集中できない時に動画流すのも可)
④おもちゃ系
雑なくくりだが、主にフィジットキューブをイメージしている。あと無限プチプチ、何もなければ折り紙でも可。足元にボールを置いて転がしたりするのも効果ある。
⑤電車に乗る
適度な揺れと無意味な騒音が読書に最適。車内がうるさいとか座れないとかだとよろしくないので空いてる時に。大回りで房総半島一周とかおすすめ。酔い止めは欲しい。
これは試したことないんだけど、電車が良いならこの辺りも良い気はしている。子どもに迷惑でなければブランコもアリか。
⑦何か食べる
程々にしないと太る。飴ならこの飴舐め終わるまでは頑張るとか決めれて良い。
⑧音を聞く
ベタベタメソッドだけど、好きな曲・洋楽・イージーリスニング・環境音・アルファ波・ホワイトノイズなど刺激の程度に幅を持たせるのが簡単なのが良い
⑨酒を飲む
量の調整が難しいけど、酒でちょっとぼんやりしながら読書するのは気持ちいい。タバコは吸わんのでわからないけど、シーシャ屋で読書する人もいるらしいし、わりと楽しくはあると思う。未成年はダメだよ。
こんなもんか。
五感で言うと嗅覚に関するものは出なかったけど、嗅覚は難しいなと思います。アロマで〜みたいなのもあるけど、あれはどちらかと言えば環境変えてスイッチ入れるタイプのtipsかなと。
視覚も出てないけど視覚は概ねメイン作業に利用されてると思うので外した。視覚聴覚触覚が日常三大働いてる感覚器だと思うので、特に触覚と聴覚のコントロールが大事だと思う。
ちょっと話が変わるけど、どうしても心の中に何かモヤモヤがあるとき、不安なときは編み物とかペンシルパズルとかテトリスとか写経とかすると気が紛れることが多いよ。若干頭を使うくらいがちょうど良い。
https://www.excite.co.jp/news/article/Narinari_20181030_51848/
実際に絵本を読んだわけではないが、私はなんとなく抵抗がある。
性的だからとか、性的消費とは全く思わないが、子どもにわざわざ与えたいわけではない。
1・物事には順番があって、それを飛ばす必要はないと思う。例えば幼児にハードロックを与えるより、まずは童謡やイージーリスニングのようなものを聞かせるのが良いのではないだろうか。
成長して本人が萌えを気に入った場合は自分の小遣いで買うだろうからそれまで放っておけばいいのではないだろうか。
そこから先、その作風を飽きるのか、徹底的なオタクになって作家として成功するのか、色々な人がいるだろう。ともかく、絵本で萌え絵をする必要はないと思う。
私が子どものころに持っていた論で、戦いのものは対象年齢を追って描写が強くなるというものがあった。
幼児のころはパンチ一発でバイキンマンをやっつけるアンパンマンから始まって成長するに従って戦隊ものやドラゴンボールを観るようになるという論理だ。
このような感じで良いのではないだろうか。
2・萌えに限らず童話のようなものはあまり脚色のようなものはせず(変に手を加えずに)に普通の絵柄が良いと思う。
※今は絵本の中でも昔から読まれてきた童話や昔話に絞って話をしている。現代で新たに創作された物語までこの話を適用するつもりはない。
独自色が強くなると別の作品的になる気がする。アレンジだったら大きくなってからで良いのではないだろうか。
その人は大きくなって、桃太郎のお供が全員美少女の作品を作るかもしれないが、それはその時で良いのだと思う。
私の例でいうと、クラシックのアレンジ曲が入った幼児向けのテープを持っている。アレンジ曲だとは気づかなかった。その為、中学生か高校生まで、オリジナル曲を誤解していた。
作曲家で言うと、桜庭統とかは確実にオタ臭い。いわゆる熱いフレーズはオタ臭さの源になる。
ストリングスとかギターぎゃんぎゃん効かせたり、音色が和風だったりするのはオタ臭い。
アニソンチックなゲーム音楽もありがちだけど、アニソンがそもそもオタ臭い。
ケルト風はどうだろう。正直ゲーム以外でケルト風音楽聴くことがあんまりないのでやっぱオタ臭い。
8bitとか16bit音源は、可愛くてオタ臭さは一見なさげだけど、2018年になってそれを聴いているという事実がオタ臭さ満載。
テクノ系とかダンスミュージックはそのジャンルそのものがオタ臭い。
長沼英樹とかゲーム音楽としてはかなりの異端感があるけど、オタ臭さが無いかって言われるとそれは違う感もある。
そういうことを考えると、残ってくるのはイージーリスニングとか、クラシック風な感じ。になるのか?
初めてラブホテルに行った。ただし1人で。理由は興味本位。聞いた話では、ラブホの内装の豪華さや部屋の広さはビジネスホテルの比ではなく素晴らしいという。しかも価格はビジネスホテルとさほど変わらず、宿泊せず日帰りなら「休憩」という扱いでさらに安くなる。豪華で安いとは、それだけで興味を惹かれるではないか。そんな素敵な施設たちが、どれも性行為のために建てられているというのもまた興味をそそる。では実際に行ってみようと思ったわけだ。(恋人を作って2人で行ったほうが楽しかろうということは承知しているが、恋するアテがないので1人だ。)
まず地元のラブホを検索してみたが、どれも市街地から離れていて微妙に行きづらい場所にある。車があれば簡単なのだが、そのためには親の車を借りねばならない。行き先を親に尋ねられては面倒だから、やっぱりバスで行こう。早速バスに乗り、30分くらいして降りた。それからラブホまで1km以上歩く。遠い。これ、せっせと歩くのが私だけだから良いけど、もし恋人を連れていたらきっと文句を言われるんじゃないか。ラブホの一部屋のためだけに、何もない山道を進むデートプランなんて無理がある気がするぞ。地方住みの人間にとって車は大事だとよく聞かされるが、その理由の1つがデートか、と納得した。
しばらく歩いて目的地に到着した。いざホテルの看板を前にすると羞恥心が出る。いやしかしここは山道だし、人通りは極めて少ない。今は誰も見てないから、さあ入ってしまおう。18禁マークが描かれたドアをえいと開けた。中は薄暗く静かで、フロントにすら人影がない。営業時間外か?いや営業しているはずだ。私のスマホの画面によると、○○号室と××号室は今現在使用中なのだから。(ホテルのWebページで、何号室が利用中かをリアルタイムに確認できるのだ。「今この部屋で誰かが性交してます」という情報を一般公開するシステムが真面目に運用されていると思うと、何だか笑ってしまう。)さてフロント付近には、ボタンの付いた大きいパネルがある。これが噂に聞いた部屋選択パネルか。よさそうな部屋を選び、ボタンを押す。するとパネル上の部屋を示すライトが消える。…それだけ?特に音は出ず、案内もなく、これで本当に入室手続きが出来たのか不安になる。私よ安心しろ、事前に調べたとおりだ、と自分に言い聞かせる。ボタンを押し、部屋に行くだけ。フロント係が姿を見せないホテルも珍しくないと聞いたではないか。パネルのライトが消えたのは、部屋の状態が空室から利用中に変わったということだろう。緊張しながら部屋に向かう。急な階段を登り、角を曲がると、目的の部屋のドアが見える。ドアの上のランプがちかちかと点滅しているのは「ここに入室してください」のサインらしい。しかし人の気配がないのが不気味だ。暗く狭い廊下で、誰一人見かけない、誰の話し声もしない。時々遠くからドンッと重い音が聞こえるが、何の音か判別できない。防音性能が良すぎるゆえの不気味さか。点滅するランプだけが唯一の歓迎の証だ。これを信じてドアを開ける。いざ入室。
入室すると靴を脱ぐ場所があり、そのすぐ前にまたドアがある。二重扉、防音は安心できそうだ。2つ目のドアを開け、部屋を目にした瞬間に驚いた。広い、そしてオシャレだ。同価格帯のビジネスホテル2部屋分はあろうかという広さ、2人どころか3人は悠々と座れそうなフカフカのソファ、ガラス製のモダンなテーブル、でかいテレビ、控えめに流れるイージーリスニングのBGM、マッサージチェア、ウォーターサーバーまで。照明の雰囲気もとても良い。部屋の数の多さ、広さのために照明は沢山あるが、どれも暖色系の色合いで統一されている。照明自体に飾りがあったり、間接照明を多用していたりと、部屋の上質さを演出するために様々な工夫がされていることがわかる。部屋のデザインは豪華だが落ち着いていて、いやらしくないどころか上品さすら感じる。さて目立たない場所に自動精算機がある。これは部屋の鍵と連動していて、一度部屋に入ると精算機にお金を投入するまで出られないと聞いている。玄関のドアを確認すると、確かに開かない。不払いを防ぐ見事なシステムだ。それから風呂場も見てみようと重い、別のドアを開けるとまた驚いた。そこは風呂場ではない、脱衣所だ。顔を洗う用の蛇口と鏡、その横に大量のアメニティが並んでいる。タオルや歯ブラシは当たり前として、マウスウォッシュ、化粧品が5種類、整髪料が2種類、ローションなどなど。これ全種類使っていいのか…豪華だ。この部屋からトイレと風呂場に繋がっている。バス・トイレ別だ。風呂場も広い。ビジネスホテルの風呂場3つ分くらいの広さはありそうだ。(こんなに広い空間を何に使うのか疑問だ。マットプレイをするにしても、もっと狭い場所で良さそうなものだが。)さてメインの部屋に戻って、周りを見渡してみる。一見すると上品な部屋でも、よく見ると性行為に関連するグッズがたくさん置いてあることが分かる。ベッド脇にはコンドーム、大きなジュエリーボックスのような箱の中には電気マッサージ機があり、テレビ台の中の自動販売機にはピンクローター、ローション、バイブ、まむしドリンクなどが売られている。洒落たテーブルの上にあるファイルは、グッズのレンタルの案内だ。コスプレ衣装やマットプレイ用品などを借りることができる。レンタルは1つまで無料…って本当に?安すぎるのでは?しかし1人でコスプレをする気分ではない。他にはアロマディフューザーのレンタル…これは私でも楽しめそうだ。せっかく無料だから頼んでみよう。ベッド脇の受話器を取り、フロントにコール。相手はおばさんの声だ。
「はい、フロントです。」「アロマお願いします。」「お持ちします。少々お待ち下さい。」
この声を聞いて、ようやくホテルのスタッフが人間であることを理解した。今までスタッフの気配を全く感じなかったから、自立型ロボットが運営していると言われても信じてしまうくらいだった。しばらくすると部屋のチャイムが鳴った。玄関のドアは開かないはずだが…向こうから入ってこないということは、こっちから開けろということか。試してみると、ドアは普通に開いた。目の前にはサービスワゴンと、そこに乗ったアロマディフューザー。しかしスタッフの姿が見えず、声もしない。ラブホのスタッフは客との接触を最小限にしていると聞いてはいたが、まさか物品の受け渡し時ですら姿を隠すとは。恐らくスタッフは客の気を散らさないよう、柱の影に隠れているのだろう。私は廊下の暗がりに向かって「ありがとうございまーす」と声を掛けながら、ディフューザーを手にとってドアを閉めた。しばらくするとガチャンと音がした。ドアがまた施錠されたみたいだ。うーん、まるでサービスワゴンがひとりでに動いて来たみたいだ。やっぱりロボットなのでは…?
アロマを試してみると、普通に良い香りだ。でも機械の音が大きいから、性交時には使いにくいような気がする。
レンタルの次に気になるのは、やはり電マだろう。実物を手に取ったことはないから、どのようなものなのか興味が湧く。ベッド脇に置いてある大げさな箱を開けてそれを手に取る。意外と重い。形はよく見るタイプ(見るといっても液晶や紙の中でだが)で、細長い取っ手とテニスボール大の先端部からなる。コンセントを差してダイアルを回す。これがあの振動か。先端部を握ると手が痺れるほどの強さだ。さらにダイアルを回すと電マはけたたましい音を上げ、最大の強さにするとかつてないブルブルが私の手を襲った。先端部を握った手は重いパンチを受けたかのように力が抜け、強く握っていられない。これほど強烈だとは…どうりで有名グッズになるわけだ。ところで、電マの箱には注意書きが書いてある。「使用時はおもちゃ用ゴムを付けてください。」そのようなゴムがあるとは知らなかった。よく見ると箱のそばにはゴムらしきものがある。製品名は「トイラップ」と書かれている。「コンドームではありません」という表示のとおり、普通のスキンよりも分厚くて固い感触をしているが形状はコンドームと同じだ。説明書きによると、このゴムを内側から指で広げて電マの先端部にかぶせるらしい。なるほど面白い、せっかくだから使い方を覚えていくことにしよう。さっそく試してみるが難しい。コンドームを広げてテニスボールにかぶせるような動作といえば難しさが伝わるだろうか。すんなりとは輪っかが広がらず、無理に装着しようとしたら摩擦で破れてしまった。
しまった。もう一度挑戦したいが、そのためにはフロントに電話して替えのゴムを持ってきてもらわないといけない。これをお願いするのはかなり恥ずかしいが、それでも好奇心のほうが上だ。新しいアイテムの使い方を知りたい。意を決して受話器を取った。若い男性の声が電話に応答した。
「はい、フロントです。」「トイラップ?っていうやつの、替えを持ってきてもらえませんか。」「トイラッ"ク"?えーっと…」「いえ、トイラッ"プ"を…」「トイラップ…?ですか?」
おかしい、相手に伝わっていない。電マにかぶせるやつだと言えば一発で伝わるだろうが、電マなんて恥ずかしくて言いたくないぞ。
「試そうとしたら破れちゃったんで、新しいのを持ってきてほしいんですけど」 「破れ… ああ!あれですね。あの、で、でん…、電…」
お前が恥ずかしがってどうする。スパッと言ってくれないと、こっちまで恥ずかしくなってしまう。とはいえ、「でん」の2文字があれば意思疎通ができたことは分かる。
「そう、それです。」「分かりました、お持ちします。」ガチャリ。
思わずベッドに突っ伏した。想定よりも恥ずかしい会話になってしまった。お互いが「電マ」と言えないのに、電マに関することを伝えなければいけなかった。とはいえ、これでもう一度あのアイテムに挑戦できる。しばらく待機すると、またチャイムが鳴った。玄関のドアを開けると、やはり人がいない。目の前のサービスワゴンには小さなゴムだけがちょんと乗っている。奇妙な光景だが、人がいなくてよかった。もしこれを人から手渡されたら、さらなる羞恥を味わうところだった。「どうもー」と言いながらゴムを取り、ドアを閉めた。しばらくしてまた鍵を閉める音がした。
さて再トライだ。トイラップをかぶせる前によく広げるのがコツなのだろう。ちょっとした試行錯誤の末、装着に成功した。これで電マの先端部はカバーされ、局部に当たる部分が衛生に使えるようになった。しかし取っ手の部分まではカバーされない。ここにも他人の愛液なり精液なりが付くと思うのだが…まあ見た目には汚れはなく、ベタベタするわけでもないので衛生問題はさほど気にならない。ただ潔癖症の人は使用を嫌がるかもしれない。とにかく、これでようやくトイラップに関する私の好奇心は満たされた。
さて、まだ部屋にはアイテムがある。部屋の隅、目立たない場所にある額縁の中には「命を守るために。売上の一部は日本赤十字社に寄付されます。」カップルで命を作るついでに命を守る…面白いシャレだ。ベッド脇の分厚いファイルの中にはコミュニケーションノートがある。過去にこの部屋に宿泊した客が、思いの丈を書き記したノートだ。見るとただのノートではない。情事を書き記すために作られた記入欄がある。例えば「今日の想いに○をつけよう。彼女記入欄: 今日望むプレイは? ハードに・やさしく・ちょっとだけ・さわらないで 彼氏記入欄: 今日は何回がんばる? 彼女の望むだけ・3回・1回・もう帰る」といった生々しい質問がズラリ。そこに律儀に回答している沢山の恋人たち…。1人で冷静に部屋を観察している私と、熱々なノートの温度差が心にしみる。「好きすぎてやばい」「素敵なデート」「愛してくれてありがとう」 愛の記述のパレード。ラブホテルが人々の幸せに大きく貢献していることが分かった。どうぞお幸せに。
次はテレビでも点けよう。このホテルにはVODがない。(ネットの口コミレビューが言うに、「今時ラブホでVODがないなんてありえない」らしいが。)見れるのは地上波といくつかの有料放送。BS、CS、アダルトなチャンネルが3局など。しかし興味を惹かれる番組はない。食事を頼んで映画を見ながらまったり、といった楽しみ方はまた別の機会にしよう。
さて色々部屋を観察していたら、いつの間にか2時間を過ぎてしまった。料金プランの休憩2時間コースは超過し、代わりに休憩5時間コースが適用されるはずだ。5時間コースで今帰宅するのは勿体無い。もう2時間くらいは部屋にいよう。しかし何をしようか。食事も頼めるみたいだが、お腹は空いてない。とりあえずベッドに潜り、ダラダラとスマホを見た。うーん、他に楽しいことがあるような気がする。周りを見渡すと、私のそばに電マが横たわっている。そういえば先程のゴムの挑戦のあと、ベッドの上に放り投げたのだった。2回も挑戦した甲斐があって、先端部はしっかりとカバーされている。私はしばしそれを眺めた。さて。ベッド、私、電マが、飾り付き照明に照らされている。私はおもむろにそれを手に取る。ここからは割愛。
結局、休憩5時間コースを目一杯に利用してしまった。シャワーを浴び、服と荷物を整え、精算機に対面する。想定通りの料金になっているだろうか。何かの間違いで宿泊料金になっていたらどうしようか、と緊張する。「精算」ボタンを押して表示された金額は、よかった、想定通りだ。千円札を何枚かガーッと吸い込ませると、玄関のドアが解錠される音がした。さあ帰宅しよう。
「帰路」の案内に従って進むルートは、入室時とは別になっていた。他の客とすれ違わないようにするために、別の廊下を準備するとは驚きだ。出口の扉を開けると、入った所とは違う場所に出た。もうすっかり夜だ。公道に出た私を待っていたのは、闇だった。そういえば忘れていたが、この山道には街灯がない。目を凝らさなければ道路が見えないほどの闇の中、バス停まで1km以上歩かなければならない。ああ、これが2人デートじゃなくてよかった。恋人にこんな怖い道を歩かせていたら、興ざめなことこの上ない。このリア充界では車があるのが当たり前で、徒歩での移動は想定されていないわけだ。私は世のカップル達との温度差を感じながら、闇の中をせっせと歩いた。
バスに乗り安心したところで、今日の出来事を振り返った。美しい場所だった。内装の美しさ、性の美しさ、人と会わずにサービスを提供する奥ゆかしさ。そのような場所に初めて足を運んだのは大きな冒険だったが、次は気軽な気持ちで利用してみたいと思った。旅行時にコスパの良いホテルとして使えるし、コミケに参加した後で薄い本に没頭したい時にはうってつけの場所だ。設備があるホテルなら、映画や食事、カラオケでダラダラするのも良い。きっと1人でも、様々な使い方ができるはずだ。さあ、今日は新しい経験をした。このことは詳しく日記に残そう。私は帰宅して間もなくパソコンに向かい、この文章を書き始めたのだった。
■はじめに。
今のリーフの隆盛を準備した作品が『雫』なのは、『To Heart』から入ったユーザーには理解できない事かもしれない。その理由については後述するけど、筆者が美少女ゲームについて書いたのは、『雫』の紹介記事が最初なので、思い入れも強いし、ある意味で呪縛にもなっていた。そんな筆者が、1998年の最初に買った『雪色のカルテ』は、その呪縛を見事に吹き飛ばしてくれたのだ。まずはここから始めよう。
■雪色のカルテ
『WoRKs DoLL』のTOPCATが、昨年、Peachから発売した作品。3人の患者を診療しながら、診療所を運営するSLG。原画は緒方剛志氏。
最初はポンと投げ出されたような状況で、迷いつつプレイしていた。しかし、過剰さを抑えたキャラクター、台詞、イベントの数々が、散発的ながらも徐々に物語を形作っていく緊張感の虜になってしまった。具体的には、主人公に対し、患者たちが徐々に心を開いていき、医師と患者の関係性が変化していくあたりの展開の上手さだけども、何よりも世界観の徹底ぶりには敬服した。
まず、登場人物全てが、多面性を持っていた事には驚かされた。加えて、投薬などで感情を制御し、それが数値化されてしまうという、人間の限界と悲しさを突いたクールな設定にも惹かれた。『プリンセスメーカー』で、ぬいぐるみを大量に与えて、娘の機嫌をコントロールするという、安永航一郎のまんがのネタにも使われた設定があったが、医師と患者という設定で、それは、普遍的なリアリティを持った訳だ。
このゲームでは、病の本質を「精神的、または肉体的コミュニケーションの欠落」と捉えた上で物語を形成している。そして、シナリオだけでなく、システムやビジュアルなど、全ての要素が有機的に結びついて、完成度の高い作品を作り上げた事には、驚きを越えた衝撃があった。
■いちょうの舞う頃
Typesから発売された、「純愛」をテーマにしたAVG。恋人や家族との関係を軸に、青春の原風景を丁寧に描いた作品である。
『To Heart』という、強烈な爆弾が炸裂した後の、美少女ゲームに於ける恋愛の扱いというか、回答としては、一つは『ホワイトアルバム』のように、恋愛のダークサイドに踏み込んでいくというのがある。ただ、この方法論は、安全な幻想を提供する為に純化されたギャルゲーの流れに逆らっており、自身の属するジャンルの存在意義を否定しかねない、パンクな危うさも孕んでいた。
『いちょう』の場合は、その逆で、過剰な演出をできる限り抑え、細かい日常描写の積み重ねで見せる手法を、更に押し進めた形になっている。この方向性は『To Heart』自体が、TVアニメ化の際に強調している。ただ、物語性よりも、ピュアな感性がものを言う領域であり、むしろ、作り手側の負担は大きくなっている気もする。イージーリスニングというのは、発想としてはさておき、技術的には非常に難しい。
『いちょう~』の洗練されたビジュアルイメージは、この方向性の作品では屈指だ。ただ、個人的には、あまりにも健全明朗な展開には、気恥ずかしさを感じてしまうし、都市圏周縁のベッドタウンという、土着的な要素が少ない舞台設定には、渇きにも似た不安を覚えてしまった。もっとも、中上健次の『枯木灘』のような舞台設定のギャルゲーがあったら怖いし、出る訳もないのだが。
Leafが『To Heart』に続いて、世に送り出したAVG。美少女ゲームのセオリーを覆す、実験的なシナリオが賛否両論を巻き起こした。
かつて、『雫』で描かれた心情は、マイノリティの闇だった。毒電波というメタファーは、思春期の疎外感や、強烈な自意識を揶揄していた。物語である以上、結末に救済=日常への回帰を用意してはいたが。
だからこそ、まだ若かった筆者や、筆者の周辺はこの作品を熱烈に支持していたのだ。そして、『To Heart』は、その闇を潜り抜けた人々の物語だった。でも、それは同時に闇を忘れてしまった人々の物語でもあった。もっとも、思春期という暗黒は、いずれ回収されていくものだし、ユーザーの支持を得た以上、闇を見つめる必要は無くなっていた。美少女ゲームもまた、開かれた場所に向かっており、闇を知らない幸福なユーザーも増えた。
しかし、闇を忘れられなかった人々もいた。そして産み落とされたのが『ホワイトアルバム』だった。確かに売れた。しかし……もはや、毒電波に心情を仮託する事もできず、幸福な妄想の為に仕掛けられた世界にすら、違和感を感じる……荒涼とした場所に取り残されたマイノリティの為の物語が、予定調和とも言える、約束された祝福の世界を描いた『To Heart』の次回作なのだ、ある意味、これほど不幸な作品も無い。
肉体性を見事に排除した「マルチ」という理想の偶像を作り上げた後で、既に、過去の神話に過ぎないアイドルビジネスを、物語の舞台として、肉体性との相克を描いた事が、既に同時代的ではないし、結果的にこの作品のバランスを崩している。
けれども、不完全ゆえに、プリミティヴな負の破壊力を生み出し、まさにロックンロールな、『ホワイトアルバム』の名に恥じぬ作品が出来上がったのだと思う。
丁寧に練り込まれたシナリオのAVGと、明朗明快なRPGという違いはあれど、アリスソフトは1998年も好調にヒット作を出している。
もう一つ、筆者の遺伝子に刻み込まれた作品として『AmbivalenZ~二律背反~』がある。ロマンティックな復讐と因果の物語は筆者を大いに酔わせてくれたが、その流れを汲む『デアボリカ』では、内省的な描写を突き詰め、同じテーマに対しても、異なるアプローチを試みている。理想と現実、純愛とエゴ、といった、二律背反なテーマの相克に対し、複数の回答を用意した(選択の幅を増やした)事で、物語としての奥行きが深まったのは特筆できるだろう。
『ぱすてるチャイム』は、前回も取り上げたし、こちらも良いゲームだけど、説明不足の事柄もあり……例えば、ゲームが進行して、実際に呪文などを覚えて、パラメータの意味がやっと分かるというのは、昔とは異なり、ストイックさとは無縁のユーザーが増え、レベル自体も拡散拡大した状況からユーザーを幅広く取り込むには、少々敷居の高さも感じたのだ。……そう、長い間、最も安定したメーカーであるアリスソフトも、時代との折り合いを考えなくてはならない時期になったのだな、と筆者は痛感したのだった……。
■反省と近況と総括。
前回は某誌で使いそびれた文章をベースに書いたんだけど、これからは、特定のゲームに絞らない状況論の方向で行こうと思います。文体もまだ一定しないしなあ……。それ以前にちゃんと続くのか、これ(笑)。……ところで、筆者は、ギャルゲーの本質は、ストーリーの練り込みによって、キャラクターへの感情移入を高めていくものという認識があるのだけど、声優の起用やグッズ展開の方を前面に押し出す昨今の状況には、正直言って、違和感があるんだよな。まあ、これも、年寄りユーザーの単なる戯言なんだろうけどね~。あ、次回のサブタイトルは、「アンドロイド少女は電気羊の夢なんか見ない」です。BGMは野口五郎『甘い生活』でどうぞ。
テクノ・ハウス・トランス・エレクトロ・エレクトロニカ・アンビエント・ビッグビート・ポストロックと電子音楽も、今となってはジャズやロック並みに広範囲なジャンルになった。ただ、他のジャンルに比べると定義が結構曖昧で、結構誤用されていることが多い。ジャンル論争はあまり意味も意義もないけど、チラ裏的に定義してみる。
ちなみに書いている人は元テクノ少年のテクノ中年のシロウトなので、もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。
電子音楽全てを包括する呼び方。ヘヴィ・メタルやパンクやオルタナティブを包括するのがロック、フリージャズやスウィングジャズやハードバップを包括するのがジャズなように、エレクトロニカもアンビエントもトランスも全部「テクノ」に含まれる、音楽の大ジャンルの一つである。
よくある批判(?)として「中田ヤスタカはテクノじゃない」「小室哲哉はテクノじゃない」と言われるが、あれも立派なテクノ(嫌いな人も多いだろうけど)。石野卓球は昔タモリの番組で、ユーロビートは日本独自のテクノだと解説していた。現代的な意味で「テクノ」として扱われるのは、ホアン・アトキンスやデリック・メイ、ケビン・サンダースの創設した「デトロイトテクノ」からの派生したもののみとする意見もあるが、そうなるとややこしくなるのと、世の中で「テクノ」と呼ばれているものが排除されてしまうので、あまりこの定義は意味が無いと思う。
デトロイトテクノと同じ時期にシカゴで生まれたダンスミュージック。リズムマシンとシンセを使い、フロアでかけるという意味ではデトロイトテクノと同じだが、キャッチーなメロディやピアノ音が特徴。ダフト・パンクやここ数年の中田ヤスタカ。テクノの下位ジャンルとして扱うか、一つの独立ジャンルとして扱うかは人によって異なる。
上記に上げたようにホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダースがデトロイトで創設したジャンル。トランスに比べるとメロディラインが曖昧で、ストリングスやパッドを多用している。基本的にヴォーカルはない。テクノというと「白人・ヨーロッパ」のイメージを持つ人がいるが、元々デトロイトの黒人が始めた音楽である。
ハウスとテクノの混合…と言うとややこしいが、うねるようなシンセパッドの旋律と4つ打ちと叙情的なメロディアラインが特徴。100%踊るための音楽。時期や地域によって更に細分化された下位ジャンルがある。日本ではチャラいイメージがある。
音楽のいちジャンルと言うよりも音楽の一手法。同じ旋律をパターン化し繰り返す、音の動きを最小限に絞ったもの。久石譲のsummerとか坂本龍一の戦場のメリークリスマスなんかがそう。
これもテクノのいちジャンルと言うよりも、音楽の一手法と捉えたほうが良い。直訳すると「環境音楽」でカフェやサロン、美術館でかかっているような音楽。或いはクラブでチルアウト(落ち着かせる)させるための音楽。静かで緩やか。ブライアン・イーノ、細野晴臣、初期のエイフェックス・ツインなど。イージーリスニングと混同される場合もあるが、イージーリスニングと違い明確なメロディラインが無いのも特徴。
ハウスやデトロイトテクノよりもやや後に発生したジャンル。ハウス+テクノ+ファンクという形で成立。ポップでキャッチーなメロディで賑やかな感じ。
たった2文字加わるだけで全然違うジャンル。どちらかと言うとデトロイトテクノやアンビエントからの派生ジャンル。キャッチーなメロディラインがなく、音数が少なくシンプルな感じ。ヴォーカルがなくポップな部分が無いので初心者にはやや難解。アンビエントと違いビートはある。踊れない曲も多い。ただ、アメリカでは日本で言う「テクノ」的な扱いとなっている。
ロック+ヒップホップ+テクノ(ドラムンベースも加わる)。ドラムの代わりにリズムマシンを使い、ベースの代わりにシンセベースを使い、テクノっぽくてヴォーカルがある、踊れるようにしたロックと思えば良い。日本ではデジタルロックと呼ばれる(最近じゃ呼ばないか)。ケミカル・ブラザーズやアンダーワールドやプロディジーなんかがこれ。ロックの一ジャンルにするか、テクノの一ジャンルにするか人によって分かれる。
ブレイクビーツを170BPM前後の高速で繰り替えずリズムパターンに、低いベース音を合わせた音楽。トランス・ハウスなどがバスドラ4つ打ち(ドン・ドン・ドン・ドンと単純なリズム)にたいして、複雑なリズムパターンが特徴。
テクノ歌謡、シンセポップとも呼ぶ。電子楽器を使ったポップミュージック。キャッチーなメロディラインとヴォーカル。1980年代の小中学生や流行ったように、ポップで親しみやすいことが重要。そういう意味ではエレクトロに割と近い。YMO、クラフトワーク。Perfume。現在の「テクノ」とは違うとされるが、石野卓球やケン・イシイ、デリック・メイなんかは影響を公言している。
これこそ未だによく分からんジャンル。ポストロックのポストはポストモダンのポストと考えると分かりやすい。
こうして見ると、「踊れる」「踊れない」と、「分かりやすい」「難しい」の軸で分布図が作れる。
踊れる ↑ ドラムンベース | トランス ユーロビート デトロイトテクノ ハウス | エレクトロ ドリルンベース | |ビッグビート 難解←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→平易 | エレクトロニカ | テクノポップ アンビエント| | | | テクノ歌謡 ポストロック ↓ 踊れない
あとこのジャンルのミュージシャンは他ジャンルからの影響を受けやすかったり、時期によってまるっきり違うタイプの曲を作ったりするので、「○◯はビッグビートで、◯◯はハウスで…」といったものがない。
というわけで、電子音楽のサブジャンルの再定義をするつもりで、ジャンルで聴くのは無意味という結論に達してしまった。ジャンルと言うよりも手法といったほうが正しいのかもしれない。
余談だけど音楽ジャンル以上に、リスナーのイメージのほうが日本では大きいような気がする。
ハウス:オシャレ
トランス:チャラい
こんな感じ。
id:miruna じゃあお前が書けよ。この一言に尽きる。最初から『もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。』って書いてるんだから、たった100字のブコメで評論家ごっこしてんじゃねえよ。ジャンルを問わずこういうクソヲタクがその分野を滅ぼす。
id:temtan ごめん、おれハードコアとか苦手とかなんだ。頼むから網羅したのを書いてくれないか?
id:yukibarashi 冨田勲以前とかまで遡るには俺の知識が足りなさすぎる。どちらかと言うと現代音楽史の領域に入ってしまう。
普段コンサートの類はクラッシックやイージーリスニングのにしかいかないので、相変わらず、声優さんのライブのノリについていけないのであるが、それは別の話。
その声優さんに出会ったのはいつの事だっただろうか。まだ卵だったと思う。ある喫茶店で思いがけず、そのウェイトレスさんが声優の卵である事を知った。私もオタクであるから、喫茶店で話も出来た。多分、当時は私が知っている限り、何の役もやっていなかったと思う(もちろん、別名でエロゲとかやっていた可能性はあるがそれは完全に自分の憶測)。
その声優さんが店を辞める時、私と握手をした。声優さんは泣いていた。目の前で女の子に泣かれるのは結構来るわ。
でも不思議と完全に縁は切れなかった。かろうじて、ほんとにかろうじてつながっていた。ネットの掲示板に「今度ここでバイトするから来てね」とか書かれていたんだ。端から見ればそれは暗号だった。多分、俺しか分からない。
もちろん、俺は行った。まるでストーカーと言われるかもしれないけど。でも、実際、その新しいお店に行っても、嫌な顔はされなかった(営業スマイルである可能性はある)。
その後、しばらく音信不通になる。
数年経った時、出張帰りにある喫茶店に入ったら、叫び声が聞こえてきた。その声の主は、その声優さんだった。俺はびっくりした。その声優さんもびっくりしたんだろう。なんという偶然。
覚えていてくれたんだ、そう思うと嬉しかった。久しぶりに会話をした。声優業界の話を聞かせもらったりして、とても楽しかった。
何度かその喫茶店に足を運んだ時、「今度この役を演るんです」と嬉しそうに話してくれた。今見ると、Wikipediaにも出ているね。ちゃくちゃくと進んで行っているのはすごいな、と思った。
でもよくよくインターネットで見てみると、ラジオや映画吹き替えなど、仕事が増えている事が分かった。喜ばしい事である。
もうその頃になると、名前も知れてきて、固定ファンも出てきたみたいだし。
今ではある有名アニメの役を演じていた。このままビッグになってもらいたいと思う。CDも出しているようだし。
井上喜久子さん、田村ゆかりさんのライブに行った事がある。どちらも大きな会場で、声優さんは米粒だった。オペラグラス必須。でもこの声優さんのライブでは、距離はわずかに数m。観客席にいる俺からも、ステージで歌っている声優さんからもお互いが認識出来る。ライブ後、声優さん自らお見送りがあって、直接話す事も触れる事も出来る。
そう、否定してしまうのはここだ。
確かに、ビッグになって欲しいとは思う。あたりまえだ、成功を願うのだから。でもビッグになればなるほど、距離が開いてしまうのも確実。イベントもどんどん商業的になっていくだろう。それが寂しい。
その感覚がおかしい、狂っているのも分かっている。考えなくても分かる。最初のきっかけは「客」と「店員」の関係だ。そして今は「ファン」と「声優」の関係。決して「お友達」の関係では無い。贅沢を言えば、古くからお互い知っているのだから、お友達になりたい。だがそれは今となってはもう無理な話だ。手が届かないという点では2次元嫁と同じだね。それに、自分から見れば、ただ1人の声優さんではあるが、その声優さんから見れば、俺など、多数のファンの中の1人でしかない。つまり1:nの関係である。でもありがたい事に、まだ俺の事を個人認識はしてくれているみたいだ。
有名人と特別な関係になりたい、そう願う人も多いと思うが、それが狂ってる、理解出来ないという人も多いと思う。多分、有名になってから知った人だったら、そうは思わなかったと思う。でもデビュー前から知っているという点で、「特別な関係」になりたいと願っているのかもしれない。例えそれが幻想・妄想であれ。
実のところ、俺は同人作品を作っている。いつの日か、自分の作品にこの声優さんに声を当ててもらいたいという、叶うはずの無い願いを持ちつつ、ストーリーを練っている。