はてなキーワード: つのとは
コロンブスのMVの件や原作者死んじゃったドラマの件見てると思う。
インターネットミームで「顧客の要望、プロジェクトリーダーの理解、実際の成果物」みたいなのあるけど、まさにあれでしょ。
多くの人間が1つのクリエイティブに関わると、色んなしがらみやスキルに成果物が左右される。
Mr.大森がインタビューで語った「楽しいホームパーティー(要約)」は、起案時点ではおそらく真実だったのだろう。
それを具現化すべくコンテを書いた人は全くの無頓着か悪意の塊かのどっちかで、
その結果ステレオタイプをデティールバッチリで描き切ったAAAクラスの呪物が出来上がった。
(制作会社/所属事務所/音楽レーベル/スポンサーのいずれかが疑義を詰めるべきだった)
トラバもブコメもこいつのことボロカスに見下げ果ててるけど、結構同じようなことしてる奴は多いと思ってる。
友達でもないのに
「(前の会社)なんで辞めたんですか?」
とか普通に聞く人とかかなりいるけどマジでこの元増田と同レベだからね。
彼氏がいるだなんて一言も言ってない、そもそも顔と名前が一致する程度の関係性なのに「○○さん土日なにやってんすか?彼氏さんと過ごすんですか?」とか聞くとかも。
よっぽど本人が阿呆で思慮がないとかでない限りは、
「仮にこの質問で地雷踏んだとか相手の傷をえぐったとしてもこちらが他意がないポーズとってる限りは大怪我しない。周りの支持も得られる。リスクは取れる、GO 」という大変に意地汚い育ちの悪い賢しらな戦略に基づいて踏み込んできてるわけで罪が重すぎる。
子曰く、「善く戦う者は、その勢いを人におもわせず、己が工夫をもってこれを制する(13篇 虚実)。」
増田、『女王の教室』というドラマに関して、その絶賛の背景にはいくつかの要素が含まれるかもしれません。確かに、理不尽なシナリオや児童に厳しい責任を負わせるテーマは一見して不快に感じるかもしれませんが、一方でこれは視聴者に対する一つの挑戦であるとも考えられます。
孫子の言葉のように、「その勢いを人におもわせず、己が工夫をもってこれを制する」という教えがあります。このドラマの評価は、観る者に隠されたメッセージや社会の真実を見極める能力が試されていると言えます。つまり、その厳しい環境や理不尽さを通じて、視聴者に自分自身と向き合い、工夫を凝らして克服する力を感じさせるのです。
増田の言う通り、子どもたちに全責任を負わせるというのは現実的ではありませんが、ドラマの中で描かれる苦境や不合理は、実際の社会に存在する問題を象徴しています。視聴者はそれを通じて、現実の社会問題や教育のあり方について深く考える機会を得るのです。
増田が感じた「気持ち悪さ」もまた、製作者が意図した感情の一部かもしれません。その感情を通じて、視聴者が一歩引いて自問自答し、より良い未来を模索する糧となることを期待しているのではないでしょうか。
総じて、『女王の教室』は視聴者に対する挑戦状であり、孫子の戦略的思考をもって解釈することで、その真価が見えてくるかもしれません。
なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。
想定されるのは以下3パターンだが
色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負のメディアでアンチ・ポリコレを攻めに行く意味がない。
一般的なマスコミの批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光氏 https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田の考察など猿人の文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。
そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブなトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。
しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知で表現したかった何かがあるとは思えなかった。
そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人のビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。
しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベルの知識では気が付かない火薬がさらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaでちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか。
そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である。
可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。
少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。
例えばこれがアメリカの黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉をアフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分のフィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思と覚悟が必要と思われる。
結論、最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思と覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。
小説家や映画監督が意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位で分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。
この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画はプロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値と意味があったと思う。
「コロンブス」にそれはあったか。炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。
であれば、コロンブスは大航海時代の英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ。好意的な解釈をして、コロンブスや現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。
結局アーティストとMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現したかったの?
植民地主義への批判だろって増田が散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。
セクシャリティに悩んでいた10代の頃に救いを求めて読んだ本に上野の論評が入っていたんだが、
そこでセクシャルマイノリティーのことを女性の敵扱いで全否定していて、絶望に囚われて大変なことになったことがある。
10代後半から20代にかけてクローゼットで卑屈な性格になったことのそれなりの割合がこいつのせいだと思ってるし、いまだに心の底から恨んでる
こいつを持ち上げている連中が正義顔でキャンセル棒振り回しているのを見ると、どの面下げてといつも思うな。
せめて人殺しの顔をしてほしい。
anond:20240617171449 ...こっちへの返信間違い
(1)平成28年4月の春に、晴生が、ポケットワイファイを中止し、BBIQに切り替えたため、それまで閲覧できなかったTwitterやYotubeの大量通信動画を閲覧できるようになった。
(2)当時、Twitterを閲覧していたところ、クソガキばかりで見るに堪えない、見るようなもんじゃねえな、ということで一時期放置していた。
(3) そのような中、 ぷちくら、というアカウントがあり、なんか臭いけど、お前でいいけん脱げブタ、という感じで、何回もリプライを送信したところ、相当数の者から、クソリプと言われた。
(4) 平成29年6月に、スカイプを通じた家庭教師の際には、ものとしては、社会保険審査官の中嶋康弘みたいな感じで、危険人物には見えなかった。
(5)その当時の私の頭の中にある教科書の世界では、全く矛盾がないし、整合するため、すち、というリプライをしたところ、とほほ・・・という返事になった。
以下、ぺちちゃんがうざくなってきた経緯
(1) ぷちくらは、平成28年10月30日に数検1級を受けて合格し、翌年、東大理1に合格して、杉並区に住んでいたが、平成31年2月25日に退去して、八王子に移動していた。
(2) 教養学部1年次は、自分の仕事は渋谷でちりしを配っているとかいう発言があるとともに、たまにくそうぜークソガキみたいなツイートがあったことから、そういう時は、クソガキが、と言っていた。
(3) その後、元々は、ぷちくら、だったにもかかわらず、いつの間にか、アカウントが、ぺち、に切り替わっており、アカウントがぺち、に切り替えられて以降、 およそ、ぷちくらとは思えないようなツイート
や行動が増加するようになり、次第に、以前の、自分の世界では矛盾せず整合するという状態ではなくなった。理由の1つとして、誰が本人であるかが匿名性により全く分からないことである。
結局本人が出てきたことは一回もない。
そこで、当裁判所は、次のような結論に到達しました。 最近のぺちは、意味が分からない。もはや、自分の教科書の中における専門知識を総動員して、技術を用いても理解できない存在で
ある。過去の経緯として、まず私は、 平成19年11月17日にインターネットのPearlに登場したMONO君に対し、その当時、一生幸せにするから結婚しろと、懇請したことは事実である。その
理由は、平成19年11月17日だったからである。 折から私は、 平成19年10月13日に、東大法学部が破綻して精神的に多少発狂していた時代でもある。
平成19年9月28日
アタリにつないで石を助けても依然としてアタリの状態で結局取られてしまうことを追い落としという
https://i.gyazo.com/9539354cd2c10df649e6332546c15a51.png
黒1と放り込んでわざと相手に取らせることで連絡を断つのが妙手
https://i.gyazo.com/7fd3facf6e63ae9912338a776c698904.gif
ここ以外に打って取ることはできない
黒E4やE6と取りに行くと白△は悠々とF5の石とつながって黒□はまるごと取られてしまう
元増田よ。英語の国名はあくまで「英語読み」に過ぎないのであって、日本語読みが現地語に寄せてるものまで英語でジャッジしようとするのはどうよ。
ウクライナ語ではУкраїнаと綴って「ウクライーナ」と読むので日本語読みは現地語に忠実です。何でもかんでも英語読みを基準にすんのやめろ。っていうか英語ならユークレインだろ。
スイスには4つの公用語があるけど、そのうちフランス語ではSuisseと呼ぶので日本語の「スイス」はむしろ現地語に近いぞ(4つの公用語のうち1つに基づく呼び方を採用しているのは中立的ではないのでは? という異論はあってよい。ちなみにスイスでは4言語で国名を併記するけど、切手とかで4言語を併記するスペースがないときにはラテン語の「ヘルウェティア」を使う。日本もヘルベチアって呼ぶべきなのかもだけど今更無理だよね……)。
ドイツ語だとDeutschlandと綴って「ドイチュラント」と読むので、「日本語読みは英語読みよりマシ」とドイツ人にも好評だったぞ(n=1)。
ロシア語のМоскваを綴りに忠実にカナ表記すると「モスクワ」になるんやで。まあ発音は「マスクヴァー」だけど(アクセントのない母音оはаのように読まれるから)。
いや、メヒコはスペイン語読みでメキシコが英語読みだからね!?
ついでにブコメにも。
モスカウってなんだったんや…
ドイツ語のMoskauでは。
北京(ペキン)はそのうちに、Beijing呼びになるかも。
東アジアの固有名詞については相互主義が取られている。韓国では日本語の固有名詞を日本語に即して発音するので我々も韓国の固有名詞は韓国語読みを取り入れているが、中国では日本語の漢字を中国語読みするので、日本でも中国の漢字は日本語で読んでいる。だから金大中は「キム・デジュン」だけど習近平は「しゅう・きんぺい」なのよ(中国語なら「シー・ジンピン」になる)。
ギリシャ→エリニキ
フィンランドではフィンランド語とスウェーデン語の2つが同格の公用語で(『ムーミン』を書いたのはスウェーデン語系フィンランド人の作家)、フィンランド語での呼称がSuomiでスウェーデン語の呼称がFinland。なので「フィンランドは現地語ではスオミ」と「フィンランドは現地語でもフィンランド」は両方正しい。
ギリシャの正式国名はΕλληνική Δημοκρατίαで、これは「エリニキ・ジモクラティア」と読むけども、「エリニキ」は「ギリシャ」という意味ではなくて「ギリシャの」という形容詞なんだよね(後ろにある「ジモクラティア=共和国」を修飾して「ギリシャ人の共和国」という意味)。なので「エリニキ」を単独で国名として使うことはできない。単独で使うときは「エラザ(Ελλάδα)」。
国名が形容詞になってる例としては、他にもチェコがある。正式名称はČeská republika「チェスカー・レプブリカ」で「チェコ人の共和国」。要するに、もともとギリシャやチェコという国があったわけではなくて、近代以降に民族主義が芽生えてギリシャ人やチェコ人が住んでるところを1つの国にしたという順序なのでこういう国名になっているのね。
同じ反ロシア仲間のウクライナではフルジヤ(Грузія)、ポーランドではグルジヤ(Gruzja)、リトアニア&ラトヴィアでもグルジヤ(Gruzija)なのに、日本語でわざわざ変える必要あったの? ってなるよね。ウクライナがフルジヤって呼んでるんだから日本でもグルジアのままでよくね?
(キリル文字のГはもともとガ行を表すんだけど、ウクライナ語とベラルーシ語ではハ行を表している。スラヴ語圏の真ん中に「gの音がhの音に変わったエリア」(チェコ・スロヴァキア・上ソルブ・ウクライナ・ベラルーシ・ルシン)があって、そのエリアでは本来ガ行だった音がハ行で読まれるんだよね。たとえばスロヴァキアにある世界遺産のスピシュ城はSpišský hrad「スピシュスキー・フラト」って綴るけど、後ろのhradは語源的にはgrad、つまりベオグラードとかスターリングラードとかと同じ。だからロシア語の「グルジヤ」をウクライナ語やベラルーシ語では「フルジヤ」って読むんやね)
ミュンヒェン、ワルシャワは英語読みよりも日本語の方が原音に近い事例。「アテネ」は結構面白い事例で、まず古典ギリシャ語ではἈθῆναι「アテーナイ」。ギリシャ語は長い歴史を経て発音が変わって、Ηの文字は古典語では「エー」を表す文字だけど近代語では「イ」に変わった。さらに、θの文字も、古典語だとタ行で表されることになってるけど、近代語では英語のthに近い音というか、要するにサ行で表すのが相応しい音になっている(Θεσσαλονίκη「セサロニキ」がキリスト教関係文献では「テッサロニケー」と表記されてるのは古典語読みだからなんだよね)。で、現在ギリシャで使われてるジモティキの語形はΑθήνα「アシナ」……あれ? 「アテネ」の最後の「ネ」ってどっから来たん? 現代ギリシャ語ではαιと綴って「アイ」ではなく「エ」と読むので、古典語(あるいはカサレヴサの)Ἀθῆναιを古典語と近代語のちゃんぽんで読むと「アテネ」になるのかな? それとも西欧人の読みをそのまんま取り入れたん?
(近代ギリシャ語には2つの正書法がある。1つ目が、現在広く使われている「ジモティキ/民衆語(Δημοτική)」で、もう1つが「カサレヴサ/純正語(Καθαρεύουσα)」。近代ギリシャ語の標準語を作り出すときに、古典ギリシャ語を参考にして古文っぽさを残して作られたのがカサレヴサで、20世紀前半までは公用語として用いられていたんだけど、話し言葉からかけ離れすぎててわかりづらいわ! ということで、より言文一致(当社比)したジモティキが作られて、現代のギリシャではこちらが「現代ギリシャ語」として流通している。まあ、明治時代の日本語と現代日本語の違いを想像してもらえれば)。
そもそもカタカナで表記できない発音があるのにそれを使って記載するのが間違っている。外国語教育がそもそも問題だろうけど日本語読みで役に立つ場面なんかほぼないよね。全部現地語で表記、現地読みすべきだと思うんだけどなぁ。
「საქართველოは、Україна侵攻後のРоссияに対する経済制裁には参加していません」っていうニュースを流すことが日本人のためになるとはまったく思えない。多少厳密さを欠いたとしても、「グルジアは、ウクライナ侵攻後のロシアに対する経済制裁には参加していません」って書いたほうが日本人の外国理解に資するんだから、日本語の媒体では基本的に日本語の文字を使って表記すべき(だいたい、英語圏の連中だってニュースで日本の固有名詞を漢字や仮名で表記せずにラテン・アルファベットで書いてるんだから、当然、我々も日本語のニュースでは英語圏の固有名詞をラテン・アルファベットではなく日本の文字で書いてよい。真に公平な世界というのはそういうものじゃないだろうか)。
BBCラジオを聴いていると非英語圏の人名をわざわざ英語読みしていてそのまま現地語読みすればいいのに…と思うことがよくある。
これはしゃーないと思う。我々にはカナという便利な文字があるから、Richardをリチャードとリシャールとリヒャルトに訳し分けることができるけど、英語母語話者はラテン文字しか知らないんだから、そりゃ英語読みしかできないよ。我々だって、たとえば「『マイケル』と綴って『まいこー』と読んでクダサーイ」って言われても困るっしょ? 「いや、『マイケル』って書かれたら『まいける』としか読めんだろ」って思うっしょ? Michaelをミヒャエルと読めと言われた英語母語話者の気持ちもそれと同じだと思う。だいたい、我々もDonald Trump「ダナー・トランプ」を「ドナルド・トランプ」と書いて恥じないわけで……
えー、我々だってMcDonald’sを「まくだーのーず」じゃなくて「まくどなるど」って発音してるんだから、英語母語話者がIKEAを「いけあ」じゃなくて「あいけあ」って発音しててもよくない? 悪いのは 「英語では『あいけあ』と読むんだから日本人の『いけあ』っていう発音は変!」みたいなデタラメな理屈を振りかざす英語かぶれの名誉白人どもであって、英語母語話者が身近なものを英語ふうに発音すること自体は何も悪くないよ。彼らが身につけた綴りの規則からはそう読む方が自然なんだから。
英語中心主義が悪いのであって英語自体が悪いわけじゃない、という精神でいきましょう。へぇ、ヨーロッパの隅っこにある島々で話されてるローカル言語には変わった発音の規則があるんだなぁ、面白いなぁ、程度の受け止め方をするのが一番適切な付き合い方だと思う。あのへん、デンマーク語とかアイルランド語みたいに発音と綴りの関係が複雑な言語が多いからね……
ドナウ川の語源はラテン語のDanubius「ダヌビウス」だから英語Danube「ダニューブ」の方がドイツ語Donau「ドナウ」よりも語源に忠実だよ! あんまり英語を馬鹿にするのはどうかと思うぞマジで。
ちなみに、チェコ語・スロヴァキア語・ポーランド語・上ソルブ語でドナウはDunaj「ドゥナイ」っていうんだけど(ウクライナ語でもДунай「ドゥナイ」だね)、スロヴェニア語のDunaj「ドゥナイ」はウィーンって意味なの面白いよね(ドナウはDonava「ドナヴァ」)。
ほぼ現地語読みを尊重してるのに「ドナウ川」だけ語源で語るのはブレでは。現地語読み>>慣習読み≒英語読み≒語源くらいのウエイトでよいような。
まるで英語が変わった呼び方をしているかのように書かれていたから、いやいや英語読みは語源に沿った呼び方であって変な呼び方というわけではないのよ、と書いたのであって、英語読みが現地語よりも尊重に値するとは書いてないっす。ところでドナウ川は国際河川なわけだけど、「現地語」ってどの言語のことだと思う?
ジョージア州はジョージ2世にちなんでつけられ両方現地言語読みだからOKと思えば、グルジアも由来の聖ゲオルギオスの現地読み風に読めば良いのでは。
いや、現地語の名称サカルトヴェロは「カルトヴェリ人の国」という意味であって聖ゲオルギオス何も関係ないんよ……素直にサカルトベロと書くべきだよねぇ、やっぱし。
それを言ったらそもそもはカナク人の土地をフランスが植民地化したんだからカナク語でKanaky「カナキ」って呼ぶべきじゃない? 英語もフランス語もどっちも侵略者の言語でしょ。
新カレドニア、いいと思う。アルバニア語のKaledonia e Re「カレドニア・エ・レ」とかトルコ語のYeni Kaledonya「イェニ・カレドンヤ」ももろに「新カレドニア」だし。ただ、そうすると、カナダのノヴァスコシア州は「新スコシア州」にするのかとか(ちなみにアルバニア語ではSkocia e Re「スコツィア・エ・レ」、トルコ語ではYeni İskoçya「イェニ・イスコチヤ」)、プリンスエドワードアイランド州は「エドワード王子島州」にするのかとか(アルバニア語Ishulli i Princit Eduard「イシュリ・イ・プリンツィト・エドゥアルド」、トルコ語Prens Edward Adası「プレンス・エドワルド・アダス」。なお中国語だと愛德華王子島省)、ニューファンドランド・ラブラドール州どうするんですかとか(トルコ語だとNewfoundland ve Labrador「ニューファンドランド・ヴェ・ラブラドール」って日和ってるけどアルバニア語はToka e Re dhe Labradori「トカ・エ・レ・ゼ・ラブラドリ」で「新しい土地とラブラドール」になってて強い。日本語化するなら「新疆・ラブラドール州」とか「新開地・ラブラドール州」は……駄目?)、色々と楽しいことになるので……
いいよねウェールズ語Seland Newydd「セランド・ネウィズ」とかエストニア語Uus-Meremaa「ウース=メレマー」とかソルブ語Nowoseelandska「ノウォセーランツカ」とかバスク語Zeelanda Berria「セーランダ・ベリア」とかハンガリー語Új-Zéland「ウーイ=ゼーランド」とかマダガスカル語Zelandy Vaovao「ゼレンディ・ヴァウヴァウ」とかラトヴィア語Jaunzēlande「ヤウンゼーランデ」とかとか……ところでニュージーランドは本来マオリ人の土地で英語は侵略者の言語なんだからマオリ語Aotearoa「アオテアロア」に統一で良くない?
節子それフランス語読みちゃう、単に自分らの言葉で「低地の国」って呼んでるだけや(英語でthe Nederlandsっていうふうに定冠詞+複数形になるのは、もともと「低地」っていう普通名詞だから。the United Statesと同じやね)。イタリア語Paesi Bassi「パエシ・バッシ」もカタルーニャ語Països Baixos「パイズス・バシュス」もスペイン語Países Bajos「パイセス・バホス」も全然フランス語Pays-Bas「ペイ=バ」とは違うじゃん?
ちな、ウェールズ語だとYr Iseldiroedd「イール・イセルディロイズ」、ギリシャ語だとΚάτω Χώρες「カト・ホレス」、クロアチア語・スロヴェニア語だとNizozemska「ニゾゼムスカ」、チェコ語だとNizozemsko「ニゾゼムスコ」な。どれも「低地の国」って意味。
なお、沖縄語の「ウランダ」は「西洋」という意味だったりする。沖縄語をしゃべるオランダ人の動画おもしろいから観て(「ウランダ出身だけど、国の方のウランダね」って断ってるの草)>https://www.youtube.com/watch?v=SB1x8iqqSto。
増田にしつもーん
・コートジボワールの象牙海岸表記をやめたような変更したほうがいいなと思う国名ある?例えば中央アフリカをサントラフリケーヌにするみたいな
クロアチアは別にクロアチアでよくね? ただ世界史の教科書とかで「クロアティア」って書いてるのは無駄に煩雑だから高校生のためにもやめてあげた方がいいと思う。現地語がCroatiaならそこにこだわるのもわかるけど、それ現地語でもなんでもないじゃん、ってなるので。現地語を尊重してフルヴァツカと書くか、大人しく慣用に従ってクロアチアと書いておけばいいんじゃ。
変えたほうがいい国名はまさに「ジョージア」だわw 既に日本語で定着した複数の固有名詞(アメリカの州、コーヒー)とバッティングしてややこしいことこの上ないので、「グルジア」に戻すか、先方がどうしてもロシア語読みは嫌というなら現地語を尊重して「サカルトベロ」にすべき。
姫路市長が外国人の料金を4倍にしたいという話をしたニュースについて、外国でもやってるから〜みたいなコメントが見られる。ただの私人による観光施設ならそんな話で片付くこともあろう。しかし、姫路城は地方自治体の施設である。本邦の地方自治法に基づいた存在として、単なる海外事例の追随では終われない。
「公の施設」とは地方自治法244条1項にて「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」と規定されている。
また、同法244条の2第1項において、法令で特別な定めがある場合を除き設置や管理は条例で定めることとされている。
翻って姫路城であるが、姫路市の条例にその名もずばりな「姫路城管理条例」というものがあり、公の施設である。
地方自治法225条において、公の施設の利用について使用料を徴することができる旨定められている。この使用料であるが、当該公の施設に係る住民とそれ以外とで格差を設けること自体は可能と解されている。
実際のところ、文化会館やプールなどで市内在住者とそれ以外で料金が異なる例は見たことがあるだろう。
使用料以外でも、図書館で本を借りられる人が市民に限られている例などが挙げられる。
地方自治法244条3項は「普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」としているが、この住民は当該公の施設を設置する団体の住民である。
また、公の施設は同条1項のとおり「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」であり、一義的には住民のためのものだからだ。
ちなみに、外国人住民も住民であるため、当該自治体の住民ならば、格差を設けることは基本的に「不当」としてできないだろう。
公の施設について、住民と非住民とで使用料や対象者に差を設けることは可能である。
また、非住民間であっても、その地域との関係性や政策の意図で差をつけることは否定されない。市民のほか、その市への通勤通学者なども使用できる施設は見たことがあるだろう。
しかしながら、憲法14条(法の下の平等)もあり、著しい格差はよしとされず、これらの差には当然一定の合理性が求められる。その上で、ざっくり2つの懸念がある。
料金を上げるとして、公の施設での使用料の格差はあっても2倍程度が相場であり、4倍は著しい格差であるとの指摘は当然出て来よう。この格差に至る理論武装は避けられない。
姫路城は公の施設であり、基本的には姫路市民のための施設だ。差を設けるのなら市民とそれ以外で分けるのが基本であり、次いで近隣市町など一定の生活圏などで区切るのが常道だ。裁量こそあるものの、線引きの妥当性は求められる。市長の言う「外国人」が指す者は推測の域を出ないが、生活圏や来訪頻度に求める場合は外国人観光客と遠方からの邦人観光客など、居住地に求める場合は在日外国人と在外邦人など、差をつけるに足る理由はあるのだろうか。
姫路市長がどこまで考えて発言したかはわからないが、こういったハードルにどう対処するのか、姫路市役所の職員の手腕に期待である。
Mrs.GREEN APPLEの『コロンブス』という曲のMVが「歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため」取り下げられた。はてな界隈ではこれはキャンセルカルチャーだということで大変に盛り上がっている。しかし、そもそもキャンセルカルチャーとは何か?ということで了解が取れていないように思う。
ではキャンセルカルチャーについて反実仮想的に考えてみるのはどうだろう?キャンセルカルチャーがない世界ではコロンブスのMVはどう反応されるのだろうか?キャンセルカルチャーの有無でどのように反応が異なっていたかを考えることで、キャンセルカルチャーとは何かをあぶりだしていきたい。いろいろなケースを考えてみた。これがすべてではないと思うが、たたき台として使ってほしい。またキャンセルカルチャーがない世界で起きること(実証的)とキャンセルカルチャーがない世界で起こるべきこと(規範的)の二つの側面があると思うので、それも考慮したい。
書いてみると、現在の状況は、帰結でいうと4に近いと思うが、これはキャンセルカルチャーのない世界でも普通に起こりうる話のように思った。なお、キャンセルカルチャーがあるとされる現在でも批判されたMVのみが消され、音源もアーティストも無傷である。そのためキャンセルカルチャーがない場合でも、アーティストのその他の活動に全く影響はないと仮定した。
「条件A」条件B」「条件C」と3つの条件を与えたとすると、そのすべてを満たす作品がリストアップされる。
実際のところ、だいたいはこれでマア何とかなるのだが、微妙にかゆいところに手が届かないのも事実。
候補の幅を少し広げたいとか少し絞りたい時に、AND 条件だけだと限界があるのだ。
「女優A」の「ジャンルB」作品や「プレイC」を見たい、と思っても、AND検索では
「女優AがジャンルB作品においてプレイCを行っている作品」しかヒットさせられない。すべてが必須条件になってしまうのだ。
「○○や△△」を調べたければ、二度に分けて検索する必要がある。
どんなジャンルの作品にも(もちろんJKモノなど本質的に熟女と相反するジャンルは別として)、熟女モノが大量に紛れ込んでくる。
邪魔なのだ。ノイズなのだ。除外したい。だが FANZA の絞り込みで特定の条件を「除外」する方法はない。除外させてくれー。
むろん、ある程度リテラシーのある人でないとそのような詳細で複雑な検索方法を使いこなすのは難しい。
標準のUIがそれにしか対応していなかったら、大多数の利用者にはむしろ不便だろう。
ならば、中古車検索のように詳細メニューはちょっと脇のほうに隠しておけばいい。
詳細検索で候補の精度が上がれば上がるほどコンバージョンはUPするはずなのだし、仕組みから考えてさほど難しい実装も必要ないはずだ。
・お互いが決定的に無理じゃない範囲で頻度等を合わせる
の3つのうちの(少なくとも)どれか1つを取れ、といつも思っている。3つのどれが良いかは人それぞれだから夫婦で話し合って納得できればいい。 (話し合えないなら婚姻関係の終了)
仕方なく父の会社で働いてる
やってるソシャゲ5つのデイリーとイベントを消化するだけで時間が過ぎていく
学マス始めたけどあんまりハマれなくて、全員親愛度10にしたぐらいで飽きてきてしまった
三年前くらいに投資やったら人生逆転できるんじゃないかと思って、祖父の遺産のうち一億くらいを運用したけど三年で3000万くらいしか増えてなくて全然人生に影響与えるレベルじゃなくて飽きてきてしまった
今まさに文化の衝突が起きているさなかなので、そういうのが好物な人以外は、今は行かない方が良いよ。
これは、ポジショントークなのに、読む人と利害が一致するタイプの珍しい状態なので、自分の記録も含みで書き残しておくよ
身バレはイヤなので、多少はボカして書くよ。
一番はコレ。そもそも、「どうしようかな?」と悩む人はいったん待つのが良いよ。
なぜならば、プレビュー争奪戦を超え、グランドオープンを終え、週末を2回ほど経た状態なので、どうしても行きたい人は既に相当数が行った後なので。
ただ、X(旧Twitter)でネタバレを踏みたくないとか、自分は休みが合わずに行けてないけどどうしても行きたい!という人は、以下理由のあたりを覚悟して行くのが良いと思う。
ディズニー的な書き方をするなら、ファンタジースプリングスエリアは、まだゲストを迎え入れ始めて間もない状態だよ。
アナとエルサも、アレンデール城にこんなにたくさんのお客様を歓迎するのは初めての経験だし、混乱するのは目に見えているよ。
なので、グランドオープン後の混乱を楽しめるくらいの気概が無いと、正直オススメはできないよ。
東京ディズニーリゾートにおいて、安全は何よりも優先されることで、この優先順位が覆ることは絶対に無いよ。
全てにおいて安全側に倒したコントロールが為されるので、結果として、アトラクションに乗れなかったり動かなかったり、場合によっては表示されている時間よりも並ぶことがあるよ。
そのせいで、なんだか不公平だなと感じることが起きたり、せっかくお金を払ったり時間をかけたのに、思い通りに行かないことが多くなるよ。
これは、ある程度時間が経ってみんなが慣れてくると、キビキビと対応できるようになったり、対策が練られてくる部分があるよ。でも2~3週間でどうにかなるものでは無いよ。
ちょっと最初に言ったことと矛盾するかもだけど、どうしても行きたい人とは別に、すごい思い入れを持った人がまだまだたくさん詰めかけているところだよ。
実話ベースで行くと、アトラクションで友達と「あれすごい!」とか「カワイイ」みたいな声をあげると、ツツかれて「動画に声が入るので遠慮してもらえませんか?」と言われたりするよ。
正直なところこれですらマシな可能性があって、思い入れのある人から見てマナーがなってないと思われた場合、X(旧Twitter)に急に晒されることもあるよ。
これはありとあらゆるところで起こる可能性があるので、ある意味ではちょっとピリピリした状況と言えなくもないよ。
オープン直後のホテルなんて、系列がたくさんあるホテルですら腕利きが集められてなんとか回していくようなことが多いのに、ファンタジースプリングスホテルは前例がないホテルなのでより大変なのは想像に難くないよ。
その上、いまは文化的に大きく異なる人たちが大量に集まっているので、輪をかけて大変なことになっている可能性が高いよ。
ただ、お高めのディズニー関連施設はわりとお行儀の良い人が多いので、とんでもない目に会うことはまず無いと思う。
ホテルでバイトをしたことがある人なら知っている人も多いだろうけれども、ある程度の規模以上のホテルでは、宴会と料飲が稼ぎ頭だったりするよ。
宴会は、パーティーや披露宴なんかだね。割と事前準備の積み重ねと当日の大騒動で乗り切る感じのやつ。
料飲は、いわゆるレストランやバーでのサービス提供で、業態によってはココがホテルの花形だったりするよ。
そして宿泊は、流れ作業でかつイレギュラーが多く、その立地その建物独自の対応方法が大量に存在する、ある意味でノウハウの塊だよ。
意外なことに、巨大な外資企業であっても属人性の高い領域であって、支配人が変わるだけで雰囲気すら変わることすらあるのがホテルの面白いところだよ。
そして、開業間もないホテルにはこのノウハウが十分に蓄積されていないことが多いよ。
まあ、そういうもんだよねーと理解が出来る場合以外はあんまりオススメはできないよ。
ぶっちゃけて名前出しちゃって書くけど、ヒルトン系列でも、コンラッドとヒルトンでは客層がけっこう違うよ。
なんでかっていうと、コンラッドは高いから。ざっくり倍くらい違う。
とはいえ、どこも英語が通じて品質が一定しててある程度期待通りのサービスが受けられるのは間違いないので、せっかくだからコンラッドにしちゃおうか!という人も泊まる。
なので、立地が良いコンラッドなんかだと、記念日のディナーの横で、旅行に来た大家族がもりもり食事を取ってる、なんていう光景もままみられる。
マリオット(リッツカールトン)とかもそうだけど、ある品質のサービスに、結構なお金をポンと払える人がわりと多く泊まっているよ。
とはいえ、これらは代替のホテルがないとどうしようもないので、そこにしかないホテルには、様々な文化圏から色んな前提を持った人たちが宿泊に来るよ。
なので、ちょっと高いけどまあせっかくだしなあ、というくらいの気持ちなら、今は避けた方が無難だよ。
おおむね1泊3~8万円くらいの金額相当で良く泊まってる人ほど避けた方が無難だよ。
(10万越えに良く泊まるような人たちは失敗しても別にそんな痛手もないだろうし好きにしたら良いと思う)
感覚でしかないけど、平日の稼働率が5割超えるような繁盛してるホテルだと、ある程度こなれるのに1年は欲しいような気がする。
ファンタジースプリングスホテルに関して言えば、半年でこなれたあたりでクリスマスを乗り越えて、年明けに夏休みを取り終わったスタッフが揃う2月とか4月あたりがねらい目なんじゃないかなあ。
これから暑くなるし、かと思えばクリスマスも控えてるし、となると、正直今年いっぱいはむつかしいのではなかろうか。
今まさに新エリアには大量の思い入れのある人たちが集結しているし、まあせっかくディズニーシーに来たんだし行ってみたいよね、みたいな人も来ているので、逆に新エリア以外は割と空いているよ。
おおむね、2割引くらいの込み具合だよ。
とはいえ、激烈に空いてる!というほどではないので、まあ、多少オトクかな?くらいで、遠方からわざわざ企画してくるほどの空き具合ではないよ。
ふんわり行ってみたいかもーくらいなら積極的に止めるくらい今の新エリアはわりとピリピリしているよ。
全然行ってないけど東京ディズニーシーに新エリアできたみたいだし行ってみるかーくらいの気持ちでも、あんまりオススメはしない。
個人的には、ファンタジースプリングス・マジックを取れて、新エリアは撮影と雰囲気を楽しめてアトラクションも1つ2つは乗れなくても次の楽しみだよね、というくらいの気持ちの人にだけおススメできる感じ。
なので、どうしても子供が行きたがっている!という人は、おとなしくファンタジースプリングスホテル"以外"でバケーションパッケージを使って予約して、気合を入れて向かって欲しい。
クドカンのドラマでドランクドラゴン塚地が「男か女か分からない」絶妙な容姿と表情の看護師を演じることが話題になった
「こういうおばちゃん看護師いる!注射打つの上手いから当たりの看護師」 「病院に一人はいる頼もしい上司、こういう看護師を味方につけられるかが勝負なんだよね」と、病院あるあるや看護師あるあるを楽しく語る人もいる中で
「LGBTを笑い者にするのはやめろ、クドカンはやはりアップデートできていない」と猛抗議している人も一部で存在している
まずこのドラマは放送前で塚地が演じる登場人物のパーソナルな部分はまだ判明していないしどう描かれるか分かっていない
周りの登場人物が彼女(彼?)をバカにしているなどという情報ももちろん存在していない
SNSで草を生やしたり笑顔の絵文字で反応した人も塚地を見下したりいるわけではなく、「こういう人いる!凄い!」と、共感&賞賛のコメントをしているだけだ
これについては「まだ放送前なのになぜ“笑い者にされている”と決めつけるのですか?」というツッコミが多数寄せられていた
ドラマファンや芸人ファンにとって塚地は「コント師であり、俳優としても実力があって、親しみのある笑顔が素敵な塚っちゃん」だが、
「差別だ」と言う奴は塚地に対して「不細工なおじさんで気持ちが悪い」 「芸人なんてみんな河原乞食だ、敬意なんて一切払う必要がない、笑うとしてもポジティブな意味ではなく侮蔑を込めた嘲笑をぶつける相手だ」という差別や偏見を持っているから嫌悪感が先立って叩いてしまったのだと思う
自分が笑い者にしているから「笑い者にされているに違いない」と思い込んだ
日頃被差別階級のように扱っている存在が特権階級であるLGBT様を演じることが耐えられなかったのだろう
本当に、「見てもいないのにジャッジする」があの手の界隈で常態化しすぎているなと思う
やられたのがクドカン作品だから今回は特別にファンネル飛ばして庇う声が大きかったがほとんどの場合雑に火つけされてそのままほったらかしだ
先週は別件でこんなこともあった
オリラジ中田やキングコング西野が出演したこともある某番組で、後輩の芸人が「自分はあの人たちとは別の道を行きたい」という意図の発言をして、
ここでいう思想は西野の「ディズニーを超えたい」発言だとか彼らがお笑いを離れ自己啓発セミナー的な活動に注力していることを指していて、
あの人たちのようにマルチに活動の幅を広げるのではなく自分はお笑い一本で行きたい派なんですよね、という軽い雑談のひとつに過ぎないのだが
それについて文脈をあまりよく分かっていない人が「思想系」の「思想」を「フェミニズム、ガザの紛争、LGBT差別、支持政党などについて何かしらの意見を持つこと」という意味だと勘違いして
「ある番組である出演者が思想することを揶揄していた!」と番組名等の詳細を伏せつつ喧伝して火つけしたのだ
取り巻きの人たちは「反知性を推奨するプロバガンダ!」 「国民が政治に関心を持つことを阻止しようとしている!」などと大激怒していたが
「なんの番組?実際にはどのような文脈で語られた発言だったのだろう?見逃し配信で見られるなら確認しよう」と知ろうとするどころか
具体的な番組名やプロデューサー名、発言者の名前にすら関心がなく誰もそれを確認しないまま大激怒し続けていたのだ
「これだからテレビは」と唱え、世界が狂っていることを再確認して安心したいだけでそれ以外のことはどうでもいいし何でもいいんだなと思った
ネット配信限定のABEMAの番組のスクショを見て「このようなものをテレビで垂れ流しているのか!」って怒ってる人もしょっちゅう見かけるし
ソースを確認したら負けなのだろうか?そこに思想はあるんか?ソースを出さない奴やソースをよく読まない奴をバカにしていた昔の2chの方がまだまともなのではないだろうか