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1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。
あと私はあまりリアルタイムでアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう。
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JKが南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい。小ネタも満載で、「昭和基地の施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督がメインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ第11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようである。キャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃんと意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微が徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入のハードルが低い。また絶妙な音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有な体験をすることになるけれど。
この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。
(物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からないくらいハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。
一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにED曲タイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。
とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。
上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。
4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向、観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-
5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-
7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-
8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-
9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-
10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-
11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10(日向)-11-
12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-
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私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校の同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達を応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。
アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカートで体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃうよ!?」ってなってしまって結構苦手である。最近のアニメ作品では絶対にパンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力を無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。
そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリがスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然な仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。
この手法は、監督いしづかあつこが絵コンテを担当した作品「ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから、監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテを担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクターの性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。
色んなアニメで登場する「放課後の学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話の放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。
15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリがかわいい。
めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリの心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたことから、いかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。
目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数のキャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しい。アニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。
奥→手前
右→左
奥→右と左に分かれる
奥→手前
右→左
手前→奥
奥→手前
手前→奥
右→左
奥→手前→右
右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道、きらびやかなネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリの心象風景が可視化されてるみたいで好き。
加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリは最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。
1話の100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟を象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリの覚悟の大きさ
2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対に南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。
だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃんだ・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。
これ以降も重要な舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。
17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリがかわいい。
特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品にリアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。
報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品のターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。
同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティング&ディレクション&演技だと思う。
「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」
この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写や伏線の貼り方を象徴しているシーン。
07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”
高校生が主人公のアニメや漫画では学力をテーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃんと学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストをテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメで学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、
キマリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子
報瀬…キマリに説教する日向に同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?
ゆづき…学校に行けない分ファミレスで自習、数学のノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子
南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味な評価軸に頼らない演出にしてて好き。
「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリが主人公であることを再認識した大好きなシーン。
16:35頃
僕は27才の男性。今までの人生の中で異性と恋愛をしたことがない。また、風俗を含めてセックスの経験も一切ない。
何でこうなったのか自分でもよく分からない。小学校、中学校、高校、大学と、全て共学の学校にいたが異性に対して恋愛感情を抱けなかった。
もちろん、異性に好意を持つことはあったが自分の中で恋愛感情に発展することがなかった。大学生の時には女性の人数が男性よりも多いサークルに所属し、女性の友人も少なからずいた。しかし、知人、友人という関係性が恋人という関係性に変質することは遂になかった。
大学を出てからはしばらく東京で働いていたが、持病の双極性感情障害が悪化し、2年前から寂れた田舎の実家で療養している。とは言うものの病気はそこまで重症ではなく、今は炭酸リチウムを1日2錠だけ飲んでいる。
僕は子供の頃から感受性の強い性格で、他人の感情に極めて敏感だった。常に周囲の反応が気に掛かり、叱られたり、注意されたりする度に、心が病んでいった。完璧主義の面がある一方で、興味の対象が移ろいやすく、1つの物事を長期的に成し遂げることが困難だった。
実は高校の頃にこの病気を発症し、高校1年生の時点で留年し、そのまま退学している。家で引きこもりながら、高認を取り、大学受験をした。はっきり言って、受験勉強は何もしなかった。いや、「しなかった」と言うより「出来なかった」に近い。とにかく長いスパンで、計画的に勉強を続けることが苦手なのだ。塾も2,3ヶ月で辞めたし、予備校も通信教育もまったく続けられなかった。今でもそうなのだが、机に向かって集中力の要る作業を長い時間続けることが、本当に難しい。一方で移動中の電車や自動車の中や、テレビのCMの時間と言った細切れの空いた時間に、英単語を覚えたり、読書をしたりするのは問題がなかった。その傾向は今でも変わらない。
大学受験の時は暗記科目がまったく分からず、ほぼ白紙回答だったと思う。それでも、受験先が低偏差値の所だったので一発で合格できた。今でも基礎学力が自分にないことに強いコンプレックスを持っている(学歴コンプレックスはあまり強くないと思う)。
とは言え、高校1年までの成績が悪かったわけではない。小学校、中学校の頃は成績は良かったし、高校も地元で評判の進学校に通っていた。数学は苦手だが語学、暗記科目は得意だった。高校の時に模試で県内上位に入ったこともある。まともに学習行動ができない性分だったので、なぜ自分の成績が良かったのか、未だに分からないでいる。
最近は昼間でも寝ていることが多く、自分磨きもできていない。何度かハローワークに行ったが、受付でパニックになってしまい、何も出来ずに帰ってしまった。ひきこもりの人が集まるような場所が近くにあり、10回ほど通ったが、この1年はご無沙汰になってしまっている。皆、定職を持っていて、無職の自分が惨めに思えたからだ。そこからの事務的なメールはしばらく続いたが、今年の春先にはそれも途絶えた。
唯一、まともに出来ていることは、夕食を家族に振る舞うことだ。簡単な料理だけではあるが、夕食は毎日私が作っている。鍋物、煮物、炒め物、パスタの中から2,3品調理し、両親と3人で食べている。得意料理はカレーライスと麻婆豆腐。これからは魚料理にも挑戦して、レパートリーを増やすつもりだ。
両親は共働きをしているが二人とも正社員でないので、収入はきわめて低い。このままの生活で私や両親の将来が大丈夫なのかと不安になる。母は「将来の当てがあるから心配するな」と明るい調子でいつも僕を慰める。しかし、貯蓄もなく借金だらけの我が家のどこに当てがあるのだろうか?何度尋ねても具体的な答えはない。うっすらとした不安がぼんやりとした日常の中で少しずつ重なっていく。
最近、童貞いじりや精神病患者、ひきこもり、生活保護受給者へのバッシングが世間で流行っているようだ。僕のような存在は世間から馬鹿にされ、見捨てられても仕方のない存在なのだろうか?この一年程は、家族と精神科医、スーパーやコンビニの店員以外と会話したことがない。何でもいいから僕に対する誰かの反応が欲しい。このままだと気が狂いそうだ。
お世話になった施設の施設長さんが亡くなられたらしいと聞いた。施設、というのは、私にとっては児童養護施設である。
私は養子で、生まれてすぐ施設に預けられ幼稚園児のときに養親のもとに引き取られた。施設では主に児童指導員のお世話になっており施設長と特別何かした思い出があるわけではない。けれどとても穏やかそうで優しそうな施設長が施設長としていてくれただけで安心感があって、養子縁組後に施設を訪れて施設長の顔を見たときに、私には言葉で表現し得ないような嬉しさを感じた。私はたくさんの子どもたちの中で施設長の話を聞いたりするだけだったが、少しだけ、父親に抱くような尊敬を持っていたのかもしれない。
私は現在18歳で、学校に通っていれば高校3年生だ。中学校で不登校になったり受かった公立高校をすぐにやめたり、挙句高認を受けて合格したうえ大学に進学したいと考えている甘っちょろい受験生である。
今回施設長の訃報を聞いて、当時幼稚園児の私の朧げな記憶から同級生のことを思い出した。
生活を共にしていた同い年の子どもたちの中で、里子にも養子にも行けなかった子どもは、当然ながら存在する。彼らも私と同じように18歳になっており、そしてこういった児童養護施設では原則として18歳までしかいられない。
大学に進学するにも、就職するにも、携帯を契約するにも、何をするにも不便だ。お金も、学歴も、保証人も、何もない。遠い大学に受かれば下宿するのだろうという程度で不安になっていた自分がこれ以上ないほど情けなく思えてきた。なにせ私には、養親の稼いだお金と、学費の高い私立でも大学に進めと言ってくれる環境と、養親の保護と保証がある。たった1人で、10代で本当に自立して生活しなければならない彼らと比べられるわけがない。
私は自分のことが嫌いだから、もしあのとき養親が選んだのが私でなくて彼らのうちの誰かだったらよかったのに、と未だに何度でも思う。
仲の良かった彼や彼女はいま、どんな選択をしようとしているのだろう。私よりもひどく現実的であまりにも地に足がつきすぎた選択をせざるを得ないのだろうか。実際に彼らに何かを聞いたりしたわけではないから、あくまで私がそんな状況だったらという想像に過ぎないが……、当時は皆同じような境遇だったはずなのに、養親というたった一つの違いだけでこんなにも進路というものへの意欲、というか、進路を死活的に捉えるようになる、のだなと思った。
高1の秋頃、学校に行くのが嫌になった。
通学途中の駅のホームに立てば、ここから飛び降りたらどうなるのだろうと思っていたし、学校が近づくに連れて心臓が破裂しそうなくらい音を立てて速くなった。
頑張って通っていたけど回復の兆しは見えなくて、朝決まった時間に起きれなくなったり、学校のことを考えると吐くようになったりした
外に出れば誰か知っている人に会ってしまうかもしれないし、昼間家にいると近所の人に自分がいることが気づかれてしまうのが怖くて自分の部屋のカーテンを閉めきって、出来るだけ音を立てずに暮らしていた。
そのころの唯一の趣味といえば、イラク戦争から帰ってくる軍人がサプライズで家族を訪ねる動画をYouTubeで観ることだった。感動なのかわからないけどその動画を見てると泣けてきて、今思えば自分以外のことで泣く理由が欲しかったんだと思う。
何もしないで1日を過ごしてたから、学力も当然落ちていったし、友達もほとんどいなくなってた。
自分が荒んでいくのがわかってたけど止められなかった。現実が地獄なら地獄は何だ。どうせ今が地獄なら死んでも変わらないだろう。いや自分を地獄に引きずり込んだやつを殺してから死のうと思ってた。
そろそろ死ぬかと考えているときに学校から呼び出された。狭い教室に教頭と学年主任と担任と私の4人で、出席日数が足りないからこの場で退学か休学か選んでって言われたから退学を選んだ。どうせ死ぬつもりだったし。
その帰りの電車の中で1つの区切りがついたことだし死ぬための準備を始めようと思って、LINEの友達欄から死ぬ前に会いたい人だけを残して他を削除した。200人から40人ぐらいまで減らしたと思う。40人の中に消すか迷っている子がいて、中学の同級生で凄く仲が良かった子だった。その子のホーム画面がV6で、彼女の好きなものを見てから消すか判断しようと思った。今でも何でそう思ったのかは分からない。
退学が決まったその足でTSUTAYAに行ってV6のアルバムを買った。どれを買えばいいのか全く分からなかったから、Bestって書いてあるVeryBestを買った。
まぁ聞いたことある歌もあるなぐらいで飛ばし飛ばしで聞いてたけど、1つの歌で信じられないくらいに泣いていた。
「太陽のあたる場所」という歌だ。あれだけ自分はもう死ぬって決めてたのに、それを聞いたらやっぱりやめようと思ってた。図々しいけど、私のための歌だと思ったしこんな私でもV6は応援してくれるって思った。本当に図々しいね。
http://j-lyric.net/artist/a001a50/l00a954.html
それからずっとその歌を聞いてた。朝から晩まで延々と聞いてた。聞いても聞いても飽きなくて今度はV6の動画をネットで漁った。ライブが見たくてDVDを買いたかったけど、お金がなかったから飲食のバイトを始めた。朝に起きる理由ができた。車の免許は持っていなかったから歩きでバイト先まで行くようになった。健康的になった。稼いだお金を貯金しながら、過去に出てるV6の作品を買う日々を続けていた。
そんなときにV6のライブが行われることを知った。絶対に行こうと思って初めてファンクラブというものに入った。1人で行くのは寂しかったから、ホーム画面がV6の子を私から誘った。その子がOKしてくれて2人で行った。行きの電車から共通の好きなものの話題で盛り上がって凄く楽しかった。
ライブが始まった途端に私は号泣していた。私を救ってくれた人が目の前に存在している事実が嬉しくて泣いた。私を救ってくれた人たちが私を救ってくれた歌である太陽のあたる場所を歌っていて泣いた。MCで面白い話を聞いて自然に笑っている自分にびっくりして泣いた。ライブが終わる頃になると終わらないでほしいと思って泣いた。ライブからの帰り道にV6のライブの話をする人たちを見ていて、自分もその一部なんだと思えて嬉しくて泣いた。
2時間半ほぼ泣いていた。キラキラした会場の中で私を救ってくれた人たちが笑顔で私を救ってくれた歌を歌っていた。多幸感に溢れて泣いたのはあれが初めてだ。
V6が私を救ってくれた。私はV6をきっかけにいろんなことができるようになったし、いろんなことを知った。
朝決まった時間に起きれるようになった。部屋のカーテンを開けられるようになった。昔の友達に自分から連絡を取れるようになった。適度な労働は適度な疲労と充足感をもたらすことを知った。お金を稼ぐことが楽しいことだと知った。
V6が私を救ってくれた。私は高認をとった。周りから見れば凄く遠回りになったけど、高校も卒業した。カーテンを閉めきった部屋にいる高1の私には全部できなかったことだ。
相変わらず通学路だった道を歩くとドキドキするし、今度また同じようなことが起きたらどうしようと不安になる日もある。
だけど私は何度でも立ち上がり歩くことができることを私の人生をもって証明したい。だから私は今歩いていけるのか試している途中だ。太陽のあたる場所を目指して
20代中頃の彼女がおそらく頭に病気を持っている。とにかく約束が守れない。(現在向こうは実家へ戻ったので遠距離)
約束といっても
・翌日仕事ある場合は遊びに行っても22時頃までは帰れるようにする
正直小中学生への注意みたいなレベルだ。これが全く、何度言っても守れない。
毎回何時間も待たされたりする。
「いい加減これくらい直してくれ」といっても生返事しかしなく、余計こちらも怒る。
ついには逆ギレと着拒と無視を始め、元々あった約束のために会いに行けば(各種予約済み)夜まで無視。
もちろん「○日にいくの大丈夫なの?」とは数日前から言っていたが、それすら無視されていた。
結局交通費やキャンセル料で3万の無駄に。やっとのことで繋がったLINEでの通話も「疲れた」「面倒くさい」しか言わなく会話が成立しない。
そして向こうの言い分は「勝手に来たのはそっちだ」
最初は向こうも気を張っていたのか意思疎通は出来ていたけど、もう何もやる気はないんだろう、だんだんとそれが困難になってきてついにはこの有様。
結局別れるとは自分から言わずこちらから言わせるように仕向け、自分から悪者にならないようにしているんだろう。そういう判断は出来るのか。
そこそこの大学中退だからそこまで社会性無いとは思わなかったけど、
付き合った後から知ったことで中学はそんな性格からしていじめで不登校、高認でAO入試で入っただけだった。
仕事も親の経営する会社に補助金目的や税金対策で入れられたであろう縁故採用で週数回の出勤。
並行してやってるバイトもミスだらけだけど、とにかく人手が足りないから切られてない状態。
こういう時は他にも色々とストレスが溜まることばかりが立て続けに起きて、
本当それは頭ではわかってる。
自分には下に兄弟がいて、中学から高校まで行ってない、ガチの不登校だった。
はっきり言って親の愛情というか関わりは99%そっちに行っていたので
8年経った今、親との関係は最悪。
不登校の兄弟は、高認?大検?受けて進学して一人暮らしして学生してる。
そいつが、何か新生活で不安で親に電話してるの聞いて、なんだかなーって思った。
自分が一人暮らし始めた時は、親に電話の一本もかかってくることはなかった。
こちらもいい歳になって、このもやもやは親の愛情受けたかっただけなんだなーっ、
距離を置いている。
読んだ。
その時のことを思い出して、懐かしいような、こそばゆいような気持ちになった。
高認の過去問題集の表紙デザイン、七年前と変わってないんだな……。
など、今まであまり身近に感じたことがなかったタレントさんに対して一気に親近感を覚えてしまった。
かあい氏は今回の高認試験で、惜しくも数学のみ不合格だったようだ。
かあい氏がどのように勉強されたのか、ブログの過去記事をまだ読んでいないため不明だが、高校一年生の一学期で中退し、何もかもチンプンカンプンの状態で勉強を始めた私の場合はどのようにしたのかを僭越ながら書いておきたい。
まず私は新大久保にある教科書販売店に行き、棚にずらりと並ぶ各社の教科書の中から、最も易しそうで最もページ数が少ない「数学 I・A」の教科書を選び購入した。
そして最初から最後まで精読しつつ、すべての練習問題を解いた。
その教科書はイラストが豊富で字も大きく、パンフレットなみの薄さだったので、自分でもちょっと頑張れば最後まで読めるかも……と思えたのが良かったんだと思う。
数学に対する苦手意識が強いあまり、はじめは教科書を見るだけで冷や汗が吹き出し、吐き気を催すほどだったが、一周目をなんとか終えたときは驚くほどの達成感があった。
最終的に、教科書を四周した。
四周目には、一周目であんなに苦戦していた練習問題も瞬時に解けるようになっていた(問題と答えをすべて覚えてしまったというのもあるが)。
しかし数学に勉強時間を割きすぎた結果、他の教科は準備不足となり、高認試験そのものは不合格。
惨憺たる結果に終わった(こういう要領の悪さが私が中卒になった原因のひとつなんだろうなー)。
というわけで、高認の数学は過去問題集だけだと解けないかもしれないが、教科書を使い繰り返し練習問題を解けば私のようなアホでも点数はとれたという話。
最後に。
「俺がお前の普通に会話が出来るのは、俺がお前に気を使って会話の内容を選んでるからだ」
家族構成は父母私弟の四人。十年以上前に離婚して私は母親に引き取られた。
お金の問題があったので両親は離婚しているだけで会っていたし、諸事情で離婚後に年単位で同じ家に住んでいたこともある。
父は切れやすく、母はその愚痴を私に話す。弟は、特に何もしてなかった気がする。
自立する前は両親の間にはいって仲裁をするのはいつも私の役目だった。
その代表が高校を辞めたことだ。国からの奨学金で高校に行ってた。払うのは卒業後の私だ。
田舎なので私立は滑り止めで受けてた。行きたかった市立高校には少しだけ偏差値が足りなかった。
じゃあ一つランクを下げようとしたら当事の担任から「お前の学力だったら受かるけど、ここを受験しろとは勧めらない。そういう校風だぞ」と止められた。ものすごくお世話になった担任だった。今でも恩師だと思っている。そんな人が止める学校を受けようと思えなかった。
結局ランクをもう一つさげた。すると運の悪いことに偏差値もガクンと下がった。
私は少し足りないだけなら挑戦したかったけれど、母親に「私立に行くお金は無い」といわれ結果として行きたくもない高校に行くことになった。
そのこともあいまって結局辞めてしまったのだと思う。私自身ここは後悔していない。
両親の猛反対を押し切って高校をやめたとき、約束を一つした。専門か短大が四年大、どれになるかはわからないけど、高認取って進学するよ。
最終学歴ちゃんと塗り替えるよ、と。
数年掛かったけどフリーターをしながらなんとか無事高認を取ったとき、弟が大学受験だった。
母親に言われた言葉は「弟が受験だから一緒に進学しないで」当事の私はもっともだと思った。
別に普通から逸脱してしまったのだから、一年ぐらい遅れてもいいや、と思った。「別にいいよ。私のまだ進路決めれてないし」と。
弟が受験を失敗した。滑り止めも受けていなかった。それはまぁ、仕方が無いことだとも思う。
来年チャレンジするよ、という弟。母親には「次は待たないからね」とだけ言った。
後に弟が「ほんとは大学受かる気なんてしなかったんだよね。受験の頃から専門学校行きたくてさぁ」と言い出したことに殺意を覚えたけれど、それは今回は流す。
犯罪心理学の勉強がしたかった私は家から通えそうな大学を調べ、受けたいところを一つ見つけた。
ここなら一人暮らししなくても実家からなんとか通えるだろう。家のこともできるし、なんとかなる。
偏差値は高く、しかし予備校に行くお金も無い私はとにかく友人知人に教科書や参考書を貰ったり、勉強を教えてもらったりしてた。
当事は大学キャンパスの中でバイトをしていたので大学生の知り合いに訪ねたりもしてた。
しかしバイトから帰宅してみると母親が電話越しに声を派って喧嘩している金切り声が聞こえてきた。相手は大体父親だ。
電話が終わった母親に呼び出されて言われた言葉は「うちは解散するので貴方たち二年後には自立してください」
当事は百年に一度といわれる不景気真っ只中。ことが順当に運べば二年後は私が大学二年の秋になる。
三年生から就職活動が始まるのに、そんな中で追い出されるなんて溜まったものじゃない。
「私四年大行きたいって言ったよね」と喉まででかかった言葉は「お母さんもうお母さんやめたい」と泣きながら溢した母には言えなかった。
結局私も弟も二年で終わる専門学校に行った。犯罪心理学が学べる専門学校は無く、まったく別に進路を選ぶことになった。
自分で決めた学校なので後悔はしていないが、母のあの言葉が無ければどうなってたのかな、と思う。
母を解放してあげなければならないのだ、と思ったあの頃の私に一言伝えるなら「お前が背負う必要はどこにもなかったよ」とだけ伝えたい。
なぜなら二年以上たち弟が正社員として働いているにも関わらず、家をでたのは私だけだったからだ。
専門学校の進学と同時に父親に頭を下げて家を出た私は、今も一人暮らしを続けている。
二年後の卒業との時「私はあなたの言葉に従って家をでたけれど、弟はどうするの?ちゃんと解散するんだよね?」と母に聞けば「弟ちゃんはまだ仕事が決まっていないから」
弟の就職が決まったときに「就職決まって何ヶ月だったの?家は解散しないってことかな?引越ししないの?」と聞けば「引越しはするよ!あんたも早く残してた荷物取りに来てよ」
弟を言い訳にし、次は飼っていた犬を言い訳にし、最終的に母が私に言った台詞は「お母さんはでていけなんて言ってない。あんたが勝手に出て行ったんでしょ」だった。
一人暮らしをして、知ったのは自分は母親に洗脳されていたことだった。
上京した友人は「いやーインフルかかったって親に電話したら次の日にはおかゆとポカリが黒猫で届きましたね」と言った。
別の友人は「奨学金は私の名前で借りてるけど、親が払ってくれてるよ」と学生生活を楽しんでいた。
年末年始に犬の顔を見に帰った私が母親に言われた言葉は「あんたが帰ってくると金が掛かる」だった。服なんて強請ってない。化粧品だってねだってない。そんなもの買う余裕があるならご飯が食べたかった。食費を世話になって言われる言葉がこれなのかと思った。
スナックとコンビニでバイトしながらなんとか生活をやりくりして二年頑張った。付き合いが悪いといわれてもクラスの飲み会に参加する余裕が無くとも、なんとか卒業を目標に頑張った。
無事に卒業し、一人で生活を回していたけれど、体調を崩しどうにもならなくなった。
母に戻りたいんだけど、と伝えれば今までの喧嘩はどこへやら「戻っておいでよ」と言ってくれた。
泣きながら話し合った。
私は「弟にも許可取らなくてどうするの。貴方一人で決めても安心して戻れないよ。弟と相談しなくていいの」といえば「弟がなんと言ってもあなたが戻ってくればいい」と言ってくれた。
洗脳されてたなんて錯覚だったのかもしれない、私がひねくれてただけなのかもしれない、と思った。
後日母親に伝えられた内容は「弟ちゃんが貴方に戻ってこないで言ってるからうちにはこないで」だった。
泣きながらの話し合いはなんだったのかと思った。母が母であることを辞めれるようになんとか自立した私より、寄生している弟の方が優先されるんだな、と思うと情けなくて情けなくて一人で泣き喚いた。
一人暮らしをしてから、何かと私を助けてくれたのは父親だった。
月に一度は連絡をくれ「ご飯は食べれてるのか」「生活はやっていけてるのか」と心配をし、父も母にお金を渡しているので財布は厳しかったと思う。それでも、時には食費を送ってくれ、時には夜行バスの乗車賃を肩代わりしてくれ、何かと自主的に世話をやいてくれた。
母親から聞かされていた父は「浮気をする」「殴る」「すぐ怒鳴る」「すぐきれる」「女癖が悪い」他にももっとたくさん愚痴を聞かされていた。
そのうちのいくつかは私も目にしているけれど、少なくとも私に手を差し伸べてくれる父は、母よりもずっと親だったように思う。
「毎月やってあげれるわけじゃないけどね」「出来るときだけしかできないけどね」と言いながら、何かしら声をかけてくれたのは父だった。
今も現に父には金銭的にとてもお世話になっているので食事に連れて行ってもらうことが多い。
父は「お前が変だから母親も弟もどうしていいかわからないんだ」「俺がお前と会話できるのは俺が会話を選んでるからだ」となんの悪気もなく言われてしまった。
父から見た私は、私が変だから関係がおかしくなったんだ、と思っているんだなと思うと涙が止まらなくなった。
父は知らないのだ。私が本当は大学に行きたかったことも、それを諦めた経緯も。父がいなくなってからずっと、私は常に弟よりも優先順位が低かったことも。私がどんなに頑張っても、何をしても、何もしない弟の方が愛されていたことを。
父は知らないのだ。
私からすれば両親や弟の方がずっと変なんだよ。
私の知ってる親は、小学生の子供を残して毎日パチンコには行かないんだよ。
責任を問えば「またそうやってお母さんのせいにして!」と自身の発言や責任を認めない母親は変なんだよ。
私の影に隠れてなんの責任も背負ってこなかった弟が「言うことを良くきく子」と評価されているのも、私のとってはなんか違うんだよ。
でもこれを伝えても「お前が一番じゃないことが気に食わないんだろ」って言われてしまうことも変なんだよ。
追記:20170312
まさかこんなにたくさん反応されるとは思っていなくて驚きました。
トラバ(ここでは枝?になるのかな)やブックマークコメントでお言葉を下さった方ありがとうございました。
私とは違った視点の意見や、厳しい言葉などはっとさせられるコメントもありました。
また家族以外の言葉や意見を目にしたことで少し前向きになれました。ありがとう。
上記はあくまで私の視点であり、両親や弟から見れば私はおそらくろくでなしなのだと思います。
両親も変だな、と思いますが私もきっと変なのだと思います。変でも別にいいじゃんと思っているから家族の中で浮くのだと思います。
悔しくて悲しくてやるせなくて泣きながら書いた誤字脱字誤変換(今見返してみると本当に酷いですね。笑)まみれの吐き捨てでしたが、色々な意見をいただけて吐き捨ててよかったと思いました。
病気が治ったら(鬱等のメンタルヘルス系ではないです)バリバリ働いて家族とは少し距離を取ろうと思います。犬ももう死んでしまったしね。
なんというか、何回言うんだよって感じなんですけど、厳しいのも優しいのも、同調するのも、全部コメントありがとう。色々と救われました。
高認はクソかんたん。
一教科40点で合格できる。中学でしっかり勉強してりゃ事前の勉強無しで一発合格可能だし適当にカンで埋めてっても合格可能。むしろ落ちたら真性の池沼レベル
因みに落ちても高認試験自体が年2回あって、合格済の教科はスルーできる。さらに一教科でも受かってりゃ聴講生ってのになって授業受けるだけで他の未合格科目も合格扱いにできる。聴講生になるのにめっちゃ金かかったはずだが
なんでこういう貧乏系創作って高認とかの資格をサクッととってる主人公が多いんだろうね。認定ってそんな簡単に取れるもんなの?
もともと父が会社をやってたけど、自分が生まれたぐらいから会社が傾いて、僕が小さい時に会社が潰れた。それから父が荒れて家族に暴力を振るうようになった。僕が小学校2年生の時、母親と姉と僕で3人で遊びに行った。USJに行ってホテルにも泊まった。家の外に泊まることや、いわゆるアミューズメントのような場所にいくのは人生で初めてだった。珍しいなと思ってた。翌日また人生で初めてのカラオケにいった。そこで母と姉から、もう限界で今日死ぬつもりだと聞いた。タクシーで崖に行った。もともと覚悟を決めていた2人と違って、僕だけ死にきれなかった。そのままタクシーで帰って、それからは父と二人で暮らしていた。
あんまり殴られることはなかったけど、父は仕事もしなくて、お金もないし、生活は貧しくて惨めだった。中学校に入ったぐらいから僕は夜遊びと友達の家を転々とするようになって家にはあんまり帰らなくなった。そのまま高校に行ってないのも恥ずかしくて、友達の家にもあんまり行かなくなって、ネットカフェや公園に泊まるようになった。日雇い労働やバイトを転々としながらそんな生活を数年繰り返した。
転機は職業訓練に通ったことだった。友達はみんな高三になって進学だなんだと言ってた。僕も探してみると、通うだけで月10万円くれる専門学校みたいなトコがあると知った。高認をとってそこに1年通った。そこでいろんな資格をとって、そのまま就職した。
もともと貧乏ぐらしが普通だったから、毎月20万円以上溜まった。ただ労働はとてもきつくて毎晩遅くまで、高プレッシャーの中働いてたから僕は心が折れて死んでしまいたくなった。帰りの電車では毎日泣いてた。辞めたら詰む。またフリーターだ、ネットカフェ難民だ。と思って、辞めてももっとお先まっくらになるぐらいなら死のうと思った。ほんとにふと線路に引き寄せられたりしてギリギリだった。当時1年半ほど付き合ってた彼女がいたんだけど、ある日のデートの帰り際に、死なないでね、心配だよって言われた。一回も死にたいなんて言ってないのに。それで泣いちゃって、なぜだかその時から気持ちがすっと楽になって。死ぬぐらいなら何かやろうって思って、もともと憧れもあった大学を志した。働きながら勉強して大学に受かった。入学金とか授業料も払えるお金もあった。
今はフリーのエンジニアしながら大学生してる。そこそこの国立大学の1年生。収入も350万ぐらいあるし住む家(賃貸)もある。大学院用の貯金を考えたら贅沢はできないけど、食費も月3万円とか使えるし、これからもなんとなく、大学院を卒業して、就職して、生活は徐々に上を向いていくんだろうな、ってぼんやりとした希望がある。10歳ぐらいからずーっと死にたいって思ってたけど、今日、最近死にたいって思ってないって気づいて、なんだか涙が止まらなくなった。
文章の鬼気迫る感じからして作り話ではないでしょう。心より同情致します。
家出て風俗やってお金稼いでニートして高認取って風俗やって専門学校行って定職について、結婚して子供に恵まれてやっとワーキングマザー! 人並!!
まずエホバの証人の価値観を抜け出せることができて本当に良かったと思います。私はクリスチャンですが、これが同じキリスト教なのかと驚くことが多いです。
しかも定職に就き、結婚をして、子育てまでされているということで、大変すばらしいことだと思います。
でもね、そんな環境でも、環境を自力で変えていった人いたのよね。大学進学も自力でしたり、資格取ったり、どんどんうまく逃げていった、軽やかに羽の生えている人いるわけですよ。
でも、圧倒的なハンデあろうが、乙武さんのようになさることなせる人はなせるし、世間がうらやむ高学歴でも一歩も外に出れなくて女に目を合わせられない人いる。
その差はどこから来るんでしょうか。ほんと知りたい。。
平気で努力できる人がいる。
こうしたことに悩むのは、エホバの証人の価値観を抜け出した結果、今度はこの社会を支配する価値観(=自由競争・実力至上主義)に染まりつつあるということでしょう。
自由競争・実力至上主義というのは経済的・能力的な弱者にとっては誠に生き辛い価値観です。エホバの証人の被害者であればなおさらです。「差」というのは生まれで決まってしまう点も多く、努力で埋められるものには限界があります。
乙武さんには大変なハンデがありましたが、彼には極めて前向きなお母さまと、早稲田大学に進学するだけの学力・環境がありました。これを真似しようと思っても、周囲の人間や環境の差からくる限界が存在します。努力は一つの才能です。
自由競争が支配するこの社会で、自由競争に敗北することは生きる意味を喪失することを意味します。その行き先は自殺・絶望です。私はとくに、増田さんがエホバの証人に戻られる可能性も危惧しております。
この問題を解決するのは容易なことではありませんが、自分の中にエホバの証人でもない、自由競争・実力至上主義でもない、大きな価値観を持つことです。
私にとってこれはキリスト教でしたが、エホバの証人の被害者である増田さんに同じことを勧められるかはちょっとよく分かりません。私は自由競争にさらされていない子どもと過ごす中で自由競争・実力至上主義が必ずしも正しいものではないということに気付くことができました。