はてなキーワード: 責任能力とは
部下指導能力や責任能力、自主性と言った類が一切合切皆無なのもあってまだ係長にもなれてない。
仕事は好きじゃないし、自分が取り扱ってる商品もなんとか経済に組み込まれてるだけの寄生虫だなとしか思えない。
でも今更転職とか考える気にもならんし、漠然とこの会社が潰れたら潰れたで同業他社に入るんだろうなぐらいに考えてる。
天職を見つけられなかったままダラダラやってきた人間の末路って悲惨だなと我ながら思う。
そんな中で特定の商品やチェーン店が愛されて10周年どうこう言ってるのを見ると、俺とぜんぜん違うなと思う。
俺はもうただ会社のネームバリューみたいなものにぶら下がっておくための最低限の握力を誤魔化しながら維持することしかしてこなかった。
自分に対して自信は持ててないし、毎年の査定面談とかも「へへへ……あっしは別に今年も可も不可もなくって感じでゲス……へへへ……」と適当にすり抜けるだけだった。
会社が始めたなんちゃって成果主義の中で貧乏くじを引くような役目を負うことを条件に、業務量や責任が増えないようなポジションを回避するようなこともした。
大学卒業した頃、就活ですっかりメンタルがボロクソになって、せめてリクルートやパソナの社長でもなんとか暗殺してそれから死のうかなって毎日考えてた頃のメンタルを今でもどこかで引きずってるように思える。
ひとまずビバークして死なないようにって所から、そのまま下山も諦めてかまくらに住み続けたような状態だ。
俺はもうどうしていいのか分からん。
こういう時、ネットだと安易に転職すりゃいいじゃんって話になるが、10年かけて身につけたのが自社商品と他社商品の違いだとか、社内ルールに上手く擦り寄って暮らすこととか、評価されすぎないようにすることをトレード条件に緩い仕事をあてがって貰うような卑屈とも取れる生き方とか、そういったことだけだと結局どこの会社も評価しないと思う。
問題を起こしそうもない人間であればいいという目線で見ても、精神構造が決して頑丈でない人間と言うだけで雇う側(の人間に人事として問題ない人材として紹介する側)としてはリスクを感じるだろう。
ある程度組織が大きいと、そういう痩せ我慢をしながらストレスを溜め込むタイプにも、組織内の自己主張の数を抑えつつ頭数を増やしたいというニーズの中で需要があるので、いざ入ってしまえば居場所はある。
が、そういったタイプは採用ガチャで積極的に引きに行きたくなるような弾じゃないのは自分でもよく分かる。
10年かけて、結局俺は市場価値を積み上げることが出来なかった。
そんな俺から見ると、愛されて10年生きたと主張する奴らに恐怖すら感じる。
俺は10年積み上げたものがなく、更には10年30年先でなにが出来るかと言われても、相変わらずひとまずその他大勢として組織に寄生するだけだろう。
ひとまず死ななきゃそのうち何とかなるだろうで子供の頃からやってきた。
ワンチャン突然覚醒する可能性を信じて、やっぱり何もないままだった。
無だ。
いつかトータルで勝つと信じてパチ屋に居座り続ける死んだ目の中高年達、奴らと俺の人生に何が違ったのだろう。
見下している場合じゃなかったな。
だがアイツらに同情しても意味がない。
俺に分かるのは、ただ詰んでるってだけの話だ。
mythm 「誰でもよかった」じゃないだろ。「女」を殺したかったんだろ。幸せそうな男は殺したくならなかったんだろ。明確に女へのヘイトクライムなのでは。
kyasarin123 誰でもじゃないだろ!幸せそうな(抵抗出来なさそうな)女性限定だろうが!しかも1時間ぐらいしか逃げてねえぞ!コイツ。。。
kosigan 「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった。誰でもよかった」嘘つけ!! 『誰でもよかった』ではなく『幸せそうな女性』とちゃんとターゲットを決めてるじゃないか!!
antonian 「誰でもよかった」と言いながら「幸せそうな女性」がまずターゲット。誰でもよくはないのである。決してハルク・ホーガンは狙わないチキン
dakarane ぜんぜん誰でもよくないじゃん
uefi 「誰でもよかった」なんて大嘘ですね。こういう奴は、絶対に自分より屈強な人は狙わず、自分より弱そうな人を襲う卑劣な人間です。
cardamom 誰でもいいってわりに弱者女性を狙ってんの、いつものパターンだね。ターゲットを変えて移動するなどかなり考えて行動してるから責任能力はあるだろうね。
shigatu_baka “「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった。誰でもよかった」”はい、また「誰でもよかった」。嘘つけ。女狙ってるじゃないか。これは列記としたミソジニー事件であり、フェミサイド未遂。
vanillayeti また「誰でもよい」のに弱いもの狙いするお決まりのパターン。てか「女性は俺より不幸せでなければならない」ってどんだけエンタイトルメント拗らせてんの
女性を狙った言うてるやん!「嘘つけ!女性を狙ったんだろ!」ってどういうコト!?
この「誰でもよかった」を前の文章と独立した「地球上の誰でもよかった」と解釈しちゃうの????
やべーどんどん出てくる日本終わってた
『nenesan0102 うちの兄も統失なんだけど、空中に向かって突如大声で罵倒し始めるし、そっちに向かって唾を吐く。兄の部屋側にあった家の壁すごいことになってたし。統失の人への偏見をなくすってそう簡単なもんじゃないと思う』
俺も俺の弟も統失じゃないし、精神科医からは統失じゃなくてただの不安と鬱だと何度も太鼓判を押されてるけど、町中で急に突如汚言を叫ぶし、見知らぬところにバカにされてると思いケンカをふっかける、誰も居ないところでも言葉が空から降ってくると大声でそれに対して反論するし、部屋の壁をボコボコに壊して、森の木を折ったり塀を蹴ったりしてた(怒られた程度で済んだ)。それでも俺は統合失調症じゃないと精神科医から言われた。時々行くがそれは変わらない。青葉容疑者も責任能力アリで統合失調症じゃないと言われたし、普通にこのルックバックの漫画でのキャラクターは病気ではない一般的な性格の一つだと思う。別に統合失調症へ言及してる訳じゃないよ。
この程度に誰でもなるし、
この程度に誰でも気が狂えるし
この程度に誰でも一步間違えれば人を殺せる
全ては他人事ではなく地続きだってことをルックバックの作者は言ってんだろう。
全ては他人事ではなく自分のことだとnenesan0102は受け入れるべきだ。
https://nenesan0102.hatenablog.com/
https://twitter.com/nenesan0102
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『teebeetee 実際の統合失調症に近いかどうかは問題にされてないし、青葉容疑者は通院歴はともかく完全責任能力があるとされてるし、なんか議論のポイントをとらえ損なってる意見のような。』
完全に同意
この文章でふたばちゃんねるの虹裏のいもげにスレ立てたら皆同意してくれた
https://twitter.com/teebeetee1
https://b.hatena.ne.jp/teebeetee/
この人はツイッターでもブコメでも良いことを言ってるから皆読むべき
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長文すまんこ
これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。
まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分が増田で書いた文章「子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的・社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。
rag_enさんは以下のように、「『社会的コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズムの肯定」や(判断力が未熟な当事者を保護する)「手段としてのパターナリズム」自体を強く批判されています。
未成年に対しては愚行権を含む自由権に一定の制約を課すべきだという社会的コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルのパターナリズム(保護者的統制主義、当事者の能力やリソースの不足を社会が保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない
いやもうこれ、『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。
そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。
ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?
現行の日本の法律が、年齢によってその人物の判断能力を推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童を保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法で判断能力を吟味・裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁の判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います。
憲法学の世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年者自身の目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人の判断能力の不十分さを補うために後見的措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。
そして、未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスクが懸念されているからです。[^1]
[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスクは存在しているといえます。10代の妊娠中絶経験者の68.1%は妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精や安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報や理解力の不足した判断)、③相手が避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産・育児は不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的な判断)など、当人の判断能力の不足によって、望まない妊娠と人工妊娠中絶に到っています。
この前提において、当事者の自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズムの議論の中で整理されている話です。
「ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。
1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、
2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、
4. その他、実質的に自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html
そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家の法制度に含まれています。性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童の人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家が議会立法などの民主主義的手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会的コンセンサス』の賜物でしょう。
だから先ほどのrag_enさんの、「『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念を法制度に組み込んでいる全ての国家や社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか。
現在の日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者の主体的判断によるものであっても、相手は強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断の不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。
私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。
あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在の法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許を付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなく、ペーパーテストと免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。
※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト+免許制という提案は、パターナリズム的な観点(判断力が未熟な当事者を保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害のリスクなどを鑑みて、本来は無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者の能力・知識・技術を総合的に認証したうえで特別にアクセス権を付与するもの、つまり自動車免許や医師免許に相当するものであるから、パターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います。未成年や児童が関わる性行為について、当事者の不利益よりも他者危害のリスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。
しかし、そのような制度---国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力をペーパーテストで弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分は国家による生-権力的介入・管理のアプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順な身体〉の構築」というフーコー的テーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。
また、自動車免許の社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えます。セックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センターで受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用をイメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム的保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的な提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会的コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210730/7000037027.html
旭川地方検察庁は鑑定留置をして刑事責任能力を調べるなどしてきましたが、捜査関係者によりますと、当時、責任能力を問える精神状態ではなかったとして、30日、不起訴にしたということです。
そのうえで、医療観察法に基づいて医療機関で適切な治療を行う必要があるとして、旭川地方裁判所に申し立てを行ったということです。
だいたいTwitterで言い尽くされてるんですが、
は全部地続きなんですよね。自分は統合失調症ではないけど。ここの肌感覚がある人とない人――まあない方が幸せなんですが――ではやはり受け取り方が違うと思う。自分は修正前の描写にはどうしても引っかかりを覚えた側。作品全体のパワーがそれを些事とするほど圧倒的に強かったのは事実ですが。
大前提としてあれは創作物なんだし、それが誰かを傷付ける(もっとはっきり言うと「ただでさえ生きづらい人の人生をさらに困難なものにする」)ものであっても別にいいとは思うんですよ。とゆーかそれ自体があの漫画のテーマの一つだった説もある。ただ、それならそれで思慮と覚悟が必要だろうよと。「幻聴に駆られて人を殺す男」という描写を選ぶことが必然だったのであれば、必要なのは安易な修正ではなく説明だった。あるいは編集部の名前において「我々が責を負う」という言明だった。逆に単に文字をちょいと書き直すだけで済む話なら最初からそうすべきだった。どっちにしても残念な展開だな、というのが素直な気持ちです。
あと「京アニ放火事件に重ねてるんだから精神病患者が出てくるのは当たり前なのでは?」という話について。
とゆー事実関係を踏まえた上でなおもそう主張する人がいるのであれば、「精神障害者が無差別殺人を起こす」という偏見の見事なサンプルになってしまうので、みんなのために静かに口を閉じておいた方が良かろうかと思います。よろしくな。
【追記】
https://anond.hatelabo.jp/20210802181530 自分が意図した通りの回答をしてくれた人がいるのでリンクを張っておきます(ありがとうございます)
そういえば精神科q&Aのドクター林の【4321】が、この元増田のリンク先の医者と一見正反対なことをいっている気がする。
逆に、(元増田において私があの病気はさほど多くないのにおびやかす必要はない、という主張の根拠にしているのは、
通り魔犯罪の裁判での鑑定結果であの病気の割合は低い、責任能力アリが高いという一点にすぎないので)
司法がちゃんと精神鑑定していないだけで、実はプロの専門医からみて、
本当に通り魔殺人犯におけるあの病気(Dr林によれば薬でほぼほぼ抑えられる病気)の罹患率が高いのであれば
「しっかり受診しよう、薬を飲ませようキャンペーン」を展開すべき事実だと思う。
自分は友人にあの病気の人がいるけど、あの漫画とは全然似てないよ。
やっぱりそういう偏見がかきたてられないよう現状の注意書きなしのままでいいとおもう。
[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース
この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民の一般的な宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。
誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決そのものを妥当だと言ってるわけではない。「国民の一般的な宗教的感情」の中身や適用範囲には議論の余地があるが、「国民の一般的な宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち。
Q. 「国民の一般的な宗教感情」概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックはおかしいのでは?
A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリは死体遺棄罪の保護法益は「国民の一般的な宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪の保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人か傷害致死か過失致死か、正当防衛か緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者が犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。
ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件
最高裁で逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったかと愚考しますが個人的には良かったと思います。NHKのこの記事は論点を網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠・出産に関しての不適切な言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。
制度に関する有識者会議が現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣な社会的議論が行われることを切に望みます。技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法も適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。
第188条
1 神祠し、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
第189条
墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。
第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。
第191条
第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
第192条
まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの(礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益の保護と社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。
第1条
この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。
関連して墓地埋葬法では宗教的感情を理由に墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。
しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情を保護法益にできるのかという話をしなければならない。
確かに刑法において感情を保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益を名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易に感情を理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民の一般的な宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力が垣間見られる。
しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁の判例を見てみよう。
……思うに、同条は、国民の宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬の感情を害する行為を処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般の感情としては、特に清浄を保つべき場所たる墓所の区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所の神聖を穢すものと観念されるのであつて、このことからさらに推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……
いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教等妨害罪(188条2項)についてはあくまで宗教的自由の保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者の宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。
しかし果たして死体遺棄や損壊は他人の宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情で説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。
これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別に規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前の人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体が法益の帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前の火葬を拒否していた人間を火葬したら人格権の否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれてしまう。
実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか。無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的な感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民の一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。
まあネットでは「お気持ち」カード切ればゲームに勝てる感じだしまあネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事の名誉毀損では「名誉”感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ちが保護されるべきかみたいな方が喫緊の課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブのAPIも非建設的なコメントを建設的と認識してる気もするからまあヨシ。
「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。
最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ」概念の定義を見てみよう。
「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。
もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。
それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法が時代や社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性が公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。
ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官の想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉そのものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。
これはもう労働法が妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法が技能実習生に適用されるよう法改正した時点で自明なことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本人労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境だから日本人が来なくて技能実習生で代替せざるをえないのか分からんけど。
裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。
(事例)
中国人技能実習生の女性は中国の送り出し機関と妊娠禁止の規定を結んでいた。ところが来日し食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。
すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠を理由に強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港に連行した。なおも女性は抵抗し空港で保護される。
こののち女性は流産。女性はこのことで記者会見を開いたため会社に解雇された。
(結論)
技能実習生に対しては非人道的な行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本の法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例は公共の場に限定してることが多いから会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例と拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃんと法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯に議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ちを技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。
https://note.com/tamakisaito/n/nbeac7a25626b
普通の人が普通に人を殺すことを子供とか心の弱い人にしらせるとそれだけでストレスになるから
そのフィクションとしての表象はあっていい、むしろあるべきだとおもう
「七匹のこやぎ」でこやぎを6匹まで食い殺すのは狼であって、責任能力のあるとなりの人ではない
「カチカチ山」でバアサンを汁にしてくわせて報復でウサギに火をつけられるのはたぬきであって、責任能力のあるバアサンの夫とかではない
事実であってもエクスプロイテーション映画を見たくない人のほうが多い
事実じゃないからこそ、わかりやすい嘘を含むモデル化したストーリーだからこそ
漫画・アニメという表象がえらばれているという共通の前提がある
だからこの漫画に注意書きをつけるとしたら「この漫画には暴力・理不尽な死の表現があります」程度である
医者がなんといおうと表現する側からすれば病気を示唆しかねない注意書きをつけた上で「これは特定の病気を指していない」と断るというのはいかにも悪手である
二番煎じ・三番煎じだろうけど書いておく。
何故なら、作中のニュース記事等で「薬物中毒による犯行」と明言されていないから。
と同時に、覚醒剤(アンフェタミン系の精神刺激薬)の中毒症状における典型的な症状でもある。
発生メカニズム的にこの両者の症状はかなり近い(Wikipediaで「ほぼ同じ」と書かれているくらい https://ja.m.wikipedia.org/wiki/覚醒剤)ので、単純な症状の描写だけでは両者が区別できないのは当然と言える。
ところで、作中の犯人の男は明らかに「理不尽に命を奪う」というイベントの引き金的に描かれている。
用意された悪役というか、憎まれるための舞台装置に近いポジションである。
であれば、メカニズム的にも矛盾はないので、ヤク中だったとするのが最も角は立たない。
「ヤクやるような奴だから人を殺すのだ」は一般的に受け入れやすいストーリーで、犯人が薬物中毒だったとしたら新聞記事やニュースでそこに言及がないのはほぼあり得ない。「薬物中毒者〇人殺人事件」という事件名がついたケースすらある。
逆に言えば、そういった描写をしないことで、明らかに作中では「精神を病んだ患者の犯行」の可能性を匂わせている。
「いわゆる『頭のおかしい奴』との断絶」を強烈なかたちで描くことで、犯行現場へ駆けつけて京本を救うヒーローとしての「ありえたかもしれない藤野」のカタルシスを描いている。
「僕はきれいな部分とか、優しいものを描くなら残酷な部分を描かないといけないと思っていて。そのほうが優しい部分に触れたときに、映えるじゃないですか」と語る藤本氏がいかにも好みそうな「残酷な部分」の象徴として、精神疾患の犯人を描いているのである。
これがヤク中の犯人では「残酷な部分」にはならない。ヤク中では掘り下げて描写しないと「クソ迷惑な阿呆がヤクやって人を殺す」という、「避けられたであろう理不尽さ」が拭えない。
精神病はそうじゃない。ヤクはヤク打ちたくて打って転げ落ちるイメージがあるが、統合失調症患者はなりたくてなるようなもんじゃない。
なりたくてなったわけじゃないのに「そう」なって人を殺してしまう、というのは残酷な話だ。
そう読む読み手がいるのは自然な話であり、精神病の当事者から抗議が行くのも自然な話だ。
普通に精神病への偏見を助長するような、配慮の足らない描写であるからだ。
個人的にはかわいそうなやつだ、と思う。『ルックバック』の犯人の話である。
ヤクか病かは知らないが、登場時点で明らかに被害妄想に苦しめられている。
正史というか京本脱ヒッキーの世界線では、この後人を殺すという大罪を犯してしまい、世間からクソボッコにされるのだ。
ただでさえ日常が意味もなく四面楚歌なのに、一線超えてしまったせいで本当に世界の敵になってしまうのだ。かわいそうに。
かわいそうと言えば藤野もかわいそうだ。「京本を部屋から出さなければ死ぬことはなかった」が完全に正となってしまった。部屋から出さなくてもいずれ漫画家とアシとして組めたというウルトラハッピー世界線の描写が逆に後味悪い。あれを藤野が直接認識することがないのは救いだ。あんなん見てもうたら残りの人生ずっと「京本を部屋から出さなければ良かった」に呪われて、再び歩き出せるようになるまでにえらい時間を食ったことだろう。
なお、『ルックバック』が京アニ放火殺人事件をモデルにしているという言及があるが、京アニの犯人は精神疾患があり過去に投薬治療も受けている。
「京アニの犯人は犯行当時責任能力があった」という言を以って『ルックバック』を擁護する向きがあるようだが、擁護になっていない雑な話と言わざるを得ない。
というかトラウマ持ちの普通の人でも(あの漫画なら)ありえるでしょ。
捕まった犯罪者に気が動転していないときにきいたら「美大に落ちたことがトラウマになってそれ以来うまい絵をみると自分の能力のなさを責められる気がしてる(「声がきこえる」というのは手短にそう表現しただけの)普通に責任能力アリの犯罪者」かもしれないわけじゃん
https://www.tyoshiki.com/entry/2021/07/21/174106
恐怖感があるし少数派を表現することが差別になりやすいからといって
手短で不十分になりがちな漫画表現の表現に口出しすべきかどうかとは別の問題では。
それこそ「ポリコレ桃太郎」みたいな口幅ったい物語ししかなくなって物が言えなくなる。
そもそも漫画だの知育絵本だのというのはささいなことまで気を使えない未熟な人に
そして妄想を持つ症状というのは一つだけの病気でなくてもあり得るのに
nanaminonanamino 京アニ事件の犯人は精神鑑定の結果完全責任能力が認められてるんでしょ。統合失調症に対する偏見を持っているのは増田の方だよ。
2021/07/21
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705733946799076258/comment/nanamino
これとかもそうだけど、「差別を指摘するほうが差別」みたいなのはあまりものの役に立たない意見で、言う側のストレス解消くらいにしかなっていない。
作者はメインキャラクターを退場させるために、世間的な偏見を受けやすい属性と思しきキャラクターを使った。自然災害とかではなく。
それが一番手っ取り早かったからか、考えに考え抜いたからかわからないけど、とにかくそうした。
しかし受け手側だって、あれを見てその属性(病気)を連想する人がそれなりに数いるくらいには世間的偏見がある。そもそも取りざたされる事件の犯人だって、その病気じゃないのか?と検査される程度の“偏見”があるわけだろ。
どこかで誰かが釘を差す必要はあるよ。子供が読むときは保護者がそれをできればいいし、成人が読むときは、物語を楽しむ自分とは別の自分がそれをする。そしてそういうストッパーが期待できない読み手の可能性も考えておかなければならない。その結果がこれだ。逆説的には、指摘に対して反発する(自分の内面で解決できていない)人がいるから指摘が必要みたいな感じになっている。
作品中に「この物語には特定の病気を持つ方への誤った認識を助長するような表現がありますが~」みたいな現実に引き戻すメッセージを入れない代わりに、批判的視座を外部委託することで、ひとたび自分の好みの作品にケチをつけられたと認識するや許せないと思う感情を抑えられなくなる都合はよいが面倒な客の相手をしてもらえるんだから、作り手側は万々歳だ。それはそれで無責任な話だけど。
masakinihirota まず最初に薬物や他も疑うでしょ、そもそも医者は最初にこれだと決めつけはしない、あらゆる可能性を考える、この人はもう最初から総合失調症だと決めつけている、これがプロと素人の差。
他も疑うことと統合失調症を疑うことは背反しないんだが。まあ、お前は犯人は薬中だと思うわけね。
医学的な精神鑑定の話ではなく、作中でどう描かれているのかという話なんだけどわかる?漫画が載ってるのは精神鑑定の教科書じゃなくてジャンプ+だからな?作者も読者も素人であるという前提の上で、作中で犯人がどういう意図をもって描かれているか?って話よ?
nanamino 京アニ事件の犯人は精神鑑定の結果完全責任能力が認められてるんでしょ。統合失調症に対する偏見を持っているのは増田の方だよ。
京アニ事件の班員の精神鑑定結果がどうであれ、被害妄想が統合失調症の典型的症状なのは科学的統計的事実だ。作中の犯人について統合失調症として描かれていると考察するのが偏見なら、医者が青葉の統合失調症を疑うのも偏見か?
misomico 統合失調症に対する世間のイメージと実態に乖離がある。精神疾患への興味がなく、理解の解像度が低いためにいつまでもステレオタイプな疾患像から離れない。
ステレオタイプな疾患像もまた事実で(現に「如何にも」な患者はいるわけで)、その共有は一応進歩と認めてよいと思う。ただ、ステレオタイプなイメージが先行すると、早期発見早期治療の妨げになる懸念はあるね。
JackP そもそもルックバックに描かれている通り魔は京アニの犯人像とかけ離れてるのに、どうして京アニ犯人と結び付けられているのかが謎。犯人のおかれている状況、動機も実行方法も違うでしょ……
hedgehogx あの犯人は創作者の誰もが持っている闇の具現化であって、そこに病名を結びつけようとするのが違和感。作品内で開示されてる情報は「住所不定」「男性」のみなのだからむしろホームレス男性が危ないことになる
そうだね。
camellow 純粋な事故ではなくかつ理不尽な殺され方描くためにヤク中が銃を乱射しても「ヤク中がみんな乱射するわけではない。更生してる人もいるのに偏見だ」とか言うのかな。どう描けば納得できたのだろう。
勘違いしているようだから言っておくが、描き方について何も不満は持っていない。ただ不満を持つ人がいるのは当然のことだと思うと述べたまでだ。
siglite ブコメを読んで、薬物による幻覚症状というのは確かにあり得るなあと。だとすると「被害妄想=精神疾患」という偏見を強化してるのはいったい誰なんでしょうね…。
被害妄想を精神疾患と結び付けているのはアメリカ精神医学会という悪の組織。奴らは日常生活に支障をきたすレベルの強い被害妄想を病気ととらえ、治療しようとうする。患者を薬漬けにして金を稼ぐために違いない。ちなみに、奴らは薬物中毒も精神疾患扱いしている。これが何を意味しているのか・・・。
とでも書けばいいの?無知で心の底から精神疾患を差別してなきゃこういうコメントは書けない。強い妄想を精神疾患と関連付けるのは、高熱をインフルエンザと関連付けるのと同じことなんだが。ほんと腹が立つぐらいバカ。
俺の主張は
不快に思う人もいるだろう。
という点だけ。俺自身は不快に思っていない。不快に思ったっていいし、作品が不快に思われたっていいだろ。万人受けするものなんかないんだから。
どうしてそんなにも「不快に思う人もいる」ことを認めたくないんだよ?
①作中の犯人はいかにも統合失調症っぽいってのは、統合失調症を知ってれば誰でもわかることだろ。②京アニの犯人が統合失調症を疑われていたのも周知の事実だろ。③作者だってそれぐらい意識して書いてるだろ。④で、作者が統合失調症にまったく寄り添って描いていないのも事実だ。
それで嫌な気持になる人がいるのは理解できる。作者や作品が悪いといってるわけじゃない。理解できると述べているんだ。どうしてたかが漫画に違う感想を持つ奴に、そうも無理解を突きつけなきゃならないんだか。
でも作品と京アニ事件は関係ないといってみたり、薬物中毒かもしれないといってみるのは間違いなんだよ。わかるか?国語のテストと同じだ。
日本語の読めない奴に、日本語でそれを説明できる気がしないから、はてなーの理解の欠如に無力感しかない、残念だ・・・。
どうすれば話が通じるようになるんだ?教えてほしい。主張を最低限にとどめ、事実と俺の考えは切り分け、簡潔にわかりやすく書いたつもりだったんだが・・・。どうすればはてなーに通じる文章になるんだ・・・。ホッテントリ入りするたびに悩まされる。
本文
幻覚と強い被害妄想ときたら、医者はまず統合失調症を疑う。京本を殺した犯人が作中で統合失調症として描かれていたことはほぼ間違いがないだろう。たとえ統合失調症でなかったとしても、絵から声が聞こえると言うのが精神疾患であることは確かだ。
anond:20210719195613 の言う通り、フィクションが差別を助長することはあり得る。その可能性を差し置いて、なぜ、犯人は統合失調症でなければならなかったのか?
それは統合失調症による殺人が、想定外・突然で、理不尽な事故であるからだ。殺人は統合失調症によって引き起こされたものであり、犯人によるものではない。事故のようなものである。
だから主人公は親友が殺されたのにも関わらず、憎しみを抱かない。物語のテーマは「描くことで前を向く」というものであり、犯人への憎しみは、短い読み切り作品にとって邪魔でしかない。
また、犯人が統合失調症であることは、物語が京アニ事件をテーマにしていることも示している。
統合失調症の患者による殺人は、健常者のそれよりもずっとずっと少ない。しかし、京アニ事件は世間の「精神異常者は人を殺す」というスティグマを強化した。そして、ルックバック作者は、京アニ事件に似た事件を作中で起こすことで、僅かかもしれないが確実に、再びスティグマを強めた。
もし、作者にとっての京本のような人物、つまりは親友が統合失調症当事者であったのならば、彼は統合失調症を単なる装置として利用したりはしなかったろう。
現実には、作者にとって統合失調症は青葉の象徴でしかなく、作中で救済する必要も、現実での差別を憂慮して単なる災害に差し替える必要もなかった。
他の多くの人同様、作者にとって統合失調症はその程度のものであると作品は伝えているのである。
不快に思う人もいるだろう。