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はてなキーワード: 有用とは

2019-03-20

anond:20190319145739

まあなんだ。徹底した自己分析とその文章化は、自身の好ましくない性向コントロールする手段としては有用なので、せいぜい増田を使ってくれ。

anond:20190320044933

男の創作っぽいけどなあ。同じくなんとなくだけど

女の学歴厨ってあんま見ないし

実際女で高学歴でもあんま役に立たない&それより美女である事の方が百倍有用

2019-03-18

かけ算の順序を指導する理由

 小学校教員経験者としての個人的意見です。といっても大卒後2年だけ勤務(5年生, 6年生担任)してその後転職してるので、経験は少ないし時差があります。ただ最近、というか定期的に話題にあがる、かけ算の順序問題について自分の考えを書きたいと思ったので

 (1)かけ算の理解評価

 (2)かけ算を元にしたわり算の理解

という2つを考えつつ書きなぐります

順序が大事理由をざっくり言うと

 ここではかけ算の順序を固定するという表現を使ってみようと思います。まず現状としてかけ算の学習では

 (1つぶんの数)x(いくつ分)=(ぜんぶの数)

の順序で固定して指導されています

 乱暴な言い方かもしれませんが、このように固定するのは必要悪だと思っています

 かけ算の順序を固定する理由をざっくり言うと、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するため、です。それに伴い、順序を固定する必要が出てくるということです。固定は副次的ものです。

 例えば3 x 2という式において、(1つぶんの数)にあたる数は3なのか2なのか、(いくつ分)にあたる数は3なのか2なのか、順序が固定されない限り判断がつかず評価ができません。どっちの数がどっちだか混乱してしまます。なので、かけられる数に(1つぶんの数)を、かける数に(いくつ分)を対応させることにより、明確に(1つぶんの数)と(いくつ分)を式の中で表明することができます

 あと、計算だけ指導するのであれば、順序の固定は不要です。実際に、意味がわからなくても計算ができる人は山ほど居ます。ただ、かけ算やわり算の意味をとらえるためには、(1つぶんの数)と(いくつ分)を区別して考えていかなければなりません。

 これだけじゃわかんねーよって人は以下も参考にしてください。

立式をどう評価するか

 授業をするからには、かならず評価をすることになります。実のところ、この順序をつけなかった場合問題文脈を正しく理解して立式したのかどうか、評価が難しいです。問題において提示されている事象、より厳密に言えば「現実モデル(*1)」を、正しく「数学化(*2)」して処理しているかどうかが、評価ポイントになるわけです。もちろん児童ひとりひとりにインタビューをして評価できれば良いのですが、ペーパーテスト上では、立式ができているかどうかをかけ算の順序で判断するしかありません。(もちろん、正しい順序で書けたからといって正しく数学的に理解できているかどうかはわかりません。適当数字を選んで立式している可能性もあります。逆に、現実モデル説明できるのに式でそれを表現できていない場合もあります。これは現在ペーパーテストによる評価限界でもあります。)

 このままだとわかりにくいので、次で具体的な例を挙げながら説明します。

(*1)「現実モデル」...例えば「1ふくろにつきももが3こ入っていて、それが5ふくろあります」というもの現実モデルの一例です。現実にはその場にももがあるわけではないですが、その現実事象を模したもの現実モデルです。

(*2)「数学化」...ここでは文章題から立式する過程のことを指しています問題数学算数)の領域解決できるようにすることです。数学化した時点で、現実モデル情報はそぎ落とされます。たとえば[現実]→[数学]の動きの場合、「りんごが2こと3こでぜんぶでいくつ」→「2 + 3」と容易に数学化できますが、その逆の[数学]→[現実]の動きの場合、「2 + 3 」→「 」の部分は無限に答えが考えられますりんごじゃなくてもも2こと3こにしてもいいし、今日1月2日です3日後は何日ですか、でもいいわけです。数学化されたものはそれだけ抽象化されていて、元の現実モデルを言い当てるのは困難ですし、現実モデルそもそも無い場合もあります

答えが同じでも、順序によって現実モデルが異なる

 よくあるひっかけの文章題では、文中で(いくつ分)をわざと先に出し、(1つぶんの数)をその後に登場させるものがあります

 「6枚のお皿にりんごが3個ずつのっていますりんごは全部で何個ありますか」

 文章題の順序通りに立式すると、6 x 3という式になります。固定した順序で考えると、これは(1つぶんの数)と(いくつ分)の順序が逆になっています。この場合、実際には

 1皿に3個のりんごがのっていて、そのお皿が6枚分ある(式 3 x 6)

という現実モデルが、

 1皿に6個のりんごがのっていて、そのお皿が3枚分ある(式 6 x 3)

という現実モデルになってしまい、結果的に6 x 3という式は後者現実モデルを元に立式したと判断することになります

りんごのぜんぶの数はどちらも等しいですが、6 x 3という式の元の現実モデルが実際の現実モデルとは異なるため、問題にある現実モデルを正しく数学化できたとは言えず、誤答になるということです。

 (1つぶんの数)を3、(いくつ分)を6

として捉えているのか、

 (1つぶんの数)を6、(いくつ分)を3

として捉えているのかには大きな違いがあるわけですが、(1つぶんの数)x(いくつ分)の順序で書こうと決めておくことで、どちらで捉えているか特定することができるようになります

順序は逆にして固定してもよいか憶測

 そう考えると、順序は逆にして固定しても問題はなさそうです。今の

 (1つぶんの数)x(いくつ分)

という順序は、ただ言語的な順序に従っているだけだと思います

 かけ算がたし算の延長ということを思い出すと、

 2 + 2 + 2 + 2 + 2

 2 x 5

と表しているだけで、これは

 2 + 2 + 2 + 2 + 2

を、2が5つ分という風に捉えて、その順番で2 x 5と順序づけているのかもしれません。5つ分の2と捉えれば、5 x 2と順序づけてもいいので、捉え方の問題なのかもしれません。個人的には前者の方が自然に感じるのですが、刷り込まれてきただけかもしれません。

共通性のある例を考えると、2/3という分数について、日本では「3分の2」と分母から読み、記述するときも大抵の人は分母の3から書き始めると思います。「3分の2」と考えなから分子の2から書き始めるのは違和感があるのではないでしょうか。一方で英語圏場合Youtubeとかで実際に確認した限り、2/3は「two third」と分子から読み、記述の際も分子の2から書き始めます。)

 繰り返しになりますが、順序自体大事なのではなく、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現することが大事で、そのために順序の固定が副次的必要になるということです。

 改めて考えると、この固定というのは非常に厄介でもあります。まだ学習し始めの子どもを混乱させないために条件を固定しているという意図もありますが、順序を交換しても答えは変わらないという事実と照らし合わせたとき、納得いかないのも当然です。しかもその事実自体は小2の九九の時点で学習します。

順序が問題にならないときはどのようなとき

 順序が問題にならないときというのは、既に数学化されたものを取り扱うときです。つまりそもそも数学化の過程評価対象にもなっていないものです。算数的に言えば、文章題のような問題ではなく、既に立式されている問題です。

 2 x 3

という問題であれば、

 2 x 3 = 3 x 2 = 6 答え6

計算しても間違いはひとつもなく、正答です。2 x 3が計算できなくても、順序を変えて3 x 2で計算しても良いのです。その根拠は、かけられる数とかける数の順序を逆にしても答えは変わらないからです。むしろ学習が進むにつれて、交換法則は便利に使うことができ、積極的に使えるようにしていくべきです。(教科書でもちろん学習します。)

 また、アレイ図(↓のやつ)を考える時、自分でどう括るかによって、(1つぶんの数)と(いくつ分)が決まり、どちらの順序でも考えることができます。例えば

● ● ● ● ●

● ● ● ● ●

● ● ● ● ●

 上のようなアレイ図であれば、縦3個でくくれば3 x 4という式になりますが、横4個でくくれば4 x 3という式になり、かけ算の順序が逆になります自分現実モデルを作り出してそれを数学化しています

わり算の理解における(1つぶんの数)と(いくつ分)の役割

 わり算の考え方には2つがあります。「等分除」と「包含除」です。その違いを説明するために、虫食い算のかけ算を考えます。というのも、わり算はかけ算の拡張なので、発想として虫食いのかけ算で考えるとわかりやすいです。3 x 2 = 6と、順序を逆にした2 x 3 = 6を虫食いにして考えましょう。かけ算の順序を変えただけなので、どちらも答えは同じ6です。

・等分除

  □ x 3 = 6

というかけ算をわり算では

  6 ÷ 3 = □

と表します。この場合、求める□の部分は(1つぶんの数)にあたり、例のりんごと皿で考えれば、

 「りんごが全部で6こある。これを3枚の皿に平等にわけると、1皿あたり何こになるか。」

という問題になります。1つぶんのりんごの数が、求める答えです。これが「等分除」です。わり算と聞いて想像やすい、平等に分けよう、というものです。教科書でもこの等分除から学習します。

包含

  3 x □ = 6

というかけ算をわり算では

  6 ÷ 3 = □

と表します。この場合、求める□の部分は(いくつ分)にあたります。例のりんごと皿で考えれば、

  「りんごが全部で6こある。1皿に3こずつりんごをのせていくと、皿は何枚必要になるか。」

という問題になります。皿の枚数が、求める答えです。これが「包含除」です。イメージ的には、6つある物を1セット3ことして何セット作れるかな、というものです。

 以上のように、□ x 3 = 6と3 x □ = 6のどちらも6 ÷ 3 = □というわり算になるのですが、もともとのかけ算の式をみると、求めている□の部分が(1つぶんの数)なのか(いくつ分)なのか、という違いがあります一見、全部わかりやすい等分除で考えればいいじゃないかともなりますが、包含除は等分除ではとらえにくい、余りのあるわり算を考えるときに非常に有用で、必要不可欠です。

 この等分除と包含除の考え方は、かけ算での(1つぶんの数)と(いくつ分)を明確に区別しているからこそ理解でき、学習できることです。3回目くらいになりますが、(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するために、順序を固定する必要が出てくるということが、かけ算の順序を指導する理由であり、今回書きたかった結論です。もし順序を固定しない場合、式の中でどっちがどっちなのかを示す記号を加えるなどの工夫が必要なのではないでしょうか。

 単に順序を逆にしても同じ、として学習を進めると、(1つぶんの数)と(いくつ分)に区別のない世界で考えることになります。このとき子どもにかけ算やわり算の意味をどのように指導すればよいのでしょうか。計算だけ指導するのであれば、何も問題ないのですが。

現代でその考えは必要なのか

 現在文科省が掲げる算数科の目標は次の通りです。

 「算数活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的知識及び技能を身に付け,日常事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活学習活用しようとする態度を育てる。」

 「算数活動」とは「児童目的意識をもって主体的に取り組む算数にかかわりのある様々な活動」を意味しています。先ほど考えたわり算の理解は、この算数活動を実現しうる機会の一例そのものだと思っています

 正直、計算自体重要なのであれば、現代では電卓コンピュータ入力する力が求められるだけです。もっと時代が進めば、こんな等分除や包含徐を学習しなくてもなにも困らない時がくるかもしれません。もちろん、先ほどの算数科の目標社会の移り変わりによって広義に変容するものですから時代が変われば内容も変わるでしょう。しかしそんな中でも、根本として算数数学を探求することが大切ということはゆるぎないと思います

現場感想

 小学校教員基本的ほとんどの教科を一人で担当します。私は自分算数指導課題を感じ、よりよい授業のために調べたり足を使って研究会学会に参加したりしてきたのですが、正直いうとそうしてきた算数だってまり自信が無いです。すべての教科を完璧に仕上げるのは結構難易度だと思います

 勤めている人はみんなそうですが、現場教員たちも同じように膨大な業務に追われています。また、子ども保護者トラブル対応も多々です。学校では毎日事件が起きているといっても過言ではありません。若い先生特に教材を研究する時間必要ですが、所定の勤務時間内にできる時間はほぼゼロです。朝と夜の残業時間も、授業そのもの関係しない業務が多いです。学校子どもが過ごす大半の時間は授業時間なのに、その授業の準備が満足にできないということです。経験を積めば良いと言われても、今担任しているクラスの子どもが被害者になるだけです。あたりまえですが、その子たちは一度だけの1年を毎年過ごしているわけです。貴重で大事時間です。

 現場もっと人が欲しい、というのが素直な感想です。算数では少人数授業やチームティーチングが増えてきていますが、根本的な問題解決していません。算数に限らず、教員もっと授業に関することに時間を割けるようにするべきです。毎日授業があるのに、その授業の質が低くなっては意味がないです。結局、先生たちもかけ算の順序について教えてくれる人なんて居ないのかもしれません。そんな状況で教えなくちゃいけないんです。

 日本さん、もうちょっと教育お金かけませんか?未来を担うのは、大人ではなくて子どもたちではないでしょうか。

2019-03-16

anond:20190316211924

レス元増田だが、前段と後段のどっちが釣り認定されたのか気になる。

まあ全部自分経験だし、特に出所採用してる会社が狙い目なのは40代無職者が職歴を積むためには、本気で有用情報と思う。本気で誰でもいいから即採用したいほど人手不足会社ってことだからハローワークに行くと紹介してくれて、担当者が飛んできて、どんなに喋れなくても経歴が怪しくても、手足が付いてて動けば、即採用になるよ。入ると、謎のシゴキとか意味不明出来事が盛り沢山だが、最初はそんなもんだと思って流せ。半年職歴を積んだら、次に行くんだ。

2019-03-15

日本人シャンプー業界洗脳されて毎日風呂に入るようになっただけ

広告の変遷を見るとよくわかる

バレンタインなんかと同じ

第二次大戦ときだってそうだったんだろう

主体性がないくせにすぐ同調圧力をかけてくるタチの悪い付和雷同本質なんだよ日本人

コントロールしたい側にとっては有用資質だろうけどね、まさに勤勉で忠実な奴隷民族

2019-03-13

セックス同意と非同意

話題になってたけどリアルに言うなら

同意無き場合は非同意である

じゃなくて

同意無き場合は非同意だと見なされる可能性がある

だと思う

なんか女性のために徹底をみたいな感じでそこもやっぱり主に女性が啓発してるけど、同意女性のためってより男性自衛のために取るって意味での方が有用性では上だと思う

自衛として身を守るための意識が結果そういう事を減らしていくんだと思う

やる奴はやるだろうけどそれでも少なくとも勘違いに巻き込まれ人間女性男性も減る

ある程度の関係なら雰囲気ムード同意とするっていうのは日本だけじゃなく欧米でもそうだから、全てで事の前に同意がなければ、というより事に及んで拒まれたらすぐに身を引く、そもそも拒んでるかも分からない状態には手を出さな自分のために、っていうのが現実としての望ましい対処になるんだろうなって思う

それでも男性側が襲ったって言われるリスクは無いわけじゃないから自信と確信がある時にどうぞって感じなんだけど

海外映画とか見てても十代の子キスして少し拒まれたぐらいだとまだトライするけど強めに拒否された瞬間一気に身引く、とか演出ベタってだけじゃない一連の反応として作品いであったりして、これは男性から自分は無理にはしていないってアピールでもあるのかなって思って見てて、それはやっぱり自衛意味でもあるのかなとも思う

あとお酒入ってたり勢いでのベッドシーンなんかじゃ必ず女性が上になって動くんだよね

それも見てる側への同意表現で次の日女性が後悔しても覚えて無くても合意だったって伝わるから

興味深くはあるけど実際そういう配慮倫理面で必要になるような事に欧米ではなってんだろうなって思う

スウェーデンかどっかじゃ双方同意したのが残るアプリが普及してるとか前になんかで見たけどそれもたぶん男性側がちゃん同意得た証拠って事でもあるんだろうなって思った

こういう話だと女性の思わせぶりな態度が、いや男性意識がって責任論になりがちなんだけど、あくまでそれは女性側への責任自衛の話だし、男性自分のためにこそ曖昧な事で追うリスク考えたらちゃんとしてった方がいいんじゃないのかなって思う

同意は無かったって言う女性に対して誰が責任を取るべきか結論が出て、もし男性側が悪くなかったと結果なっても、それが話題になってしまったり一旦でも強姦で訴えられたかもしれないリスクが消えて無くなる話でもないから、誰が悪い、女も悪いなんて話とは分けてまた考えるべき事なんだと思う

女性側がしっかり自衛してれば男性勘違いする事も減るんだって意見も見るけど、それでも現実的にその勘違いでしんどくなるかもしれないのは男性自身もだし、だからこそ男性側の自衛必要なんじゃないのかなって思う

酔った相手になんてそんな状態女性自分人生預けてまで賭けに出るって事だし正直割りに合わないと思う

同意とったり曖昧場合は手を出さない事で一晩相手と思った通りにならずに事に及べなかった、とはなるかもしれないけどそれと訴えられて裁判なんやかんやなる可能性なんてどう考えても比較にもならないよやっぱり

男性だって場合によって悪意無くても最悪人生半ば終わったようになっちゃうかもしれないのに

した方がいいと思う自衛

2019-03-08

もはや日本の中心はツイッターだと言っても誰も異論はあるまい

社会的流行話題ネットスラング面白ギャグアングラに至るまで、最近は全部ツイッター発祥だ。

ネット炎上ツイッターつぶやきから始まるし、

バズるネット記事きっかけは誰かのツイッターシェア

大手新聞社ツイッター話題記事を書き

テレビ局ツイッターで人気の動画を紹介する

あらゆる識者や政治家ツイッター有用情報を公開したり議論を繰り広げている

5ちゃんねるではバズったツイートソースに立てられたスレッド多数派を占めている

そしてはてなでも、ツイッター民が見つけたネタブクマ数を破竹の勢いで伸ばし、ホッテントリに。

睡蓮花 湘南乃風 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.utamap.com/showkasi.php?surl=A02201

↑の発祥ツイート

https://twitter.com/718_405/status/1103333974548463616

あらゆるネットサービスコミュニティはいつか必ず廃れる、と言うけれど

いま日本の中心となっているツイッターは廃れてる様子が全く想像できない

これから10年後20年後ツイッター一強なのではないだろうか

2019-03-06

はてブ拡張機能ってセキュリティ的にどうなの

自動ブクマ数を取得するし、クリックしたらコメント取得もする

取得のためには自動URL送信するわけだけど、URLを見られて困ることも多いと思う

アダルトサイトとかそういう系だけではなくて、ユーザ認証がいるページのURLだってわかるわけだ

あるサービスの会員IDが乗ってるかもしれないし、履歴をたどって増田新規作成画面の次に増田個別ページに移動していたらその人が書いた増田可能性が高いとか推測もできる

特にまずいものは、今でもURL個人認識してるページだ

パスワード認証がなくて気軽に使ってもらえるからとそういうことしてるサービスはある

URLハッシュ値みたいなもので、URLアクセスさえできればそのユーザとして扱われる

他にそのURL知ってる人いないかアクセスしてる=認証した相手というわけだ

この手のページの場合URLパスワード込みたいな扱いだから外部に送るのはとても危険

なのに知らないうちにURL送信してる


自分場合拡張機能なしにブクマするのは無理だ

不便すぎる

それなら増田投稿すればいいんじゃないかと思って増田ブクマ代わりにしてる

文字数制限ないし、わざわざid個人特定してもらいたい発言もない

そもそもブックマークじゃなくてコメント書くのが目的

そう考えると増田問題ない

はてブ拡張のような拡張機能もあり(非公式)、ブラウザボタン押したらポップアップが出てコメントを書いて投稿すれば増田投稿される

当初のセキュリティとかどうこう関係なくても増田投稿でいいやと思えてきた

そういうわけでブックマークする価値ないけどコメントしたいだけでブクマしてる人は増田に書くのをすすめるよ

というかできればそうしてくれるとホットエントリ有用ものに絞られるからしてくれると嬉しい










2019-03-05

現役警察官SNSユーザー

結構居るけど、かなり確実に身分を明かさないよね。他の官公庁職員は明言しないけど察せるケースがあるのに。

情報公開法ガイドラインを吐かせられればかなり有用なのでは?

2019-03-04

anond:20190304011956

それは災害救助という分野での予備自衛官OB的な存在としてという意味合いでですかね

だったら人数の分布としてさすがにそれは希望的観測が過ぎるしそうでなくても当時の訓練として知識としてレスキュー災害救助隊の錬度からしても自衛隊災害派遣隊であればレスキューなんか目じゃない知識を持って高い意識が周知されていたはず、というのはやはり説得力に欠けるように思うしそれを根拠比較とやって分母を大きくして批判的に選択への罪悪感的なものを刺激するのは何にしても単に反感を買う因子の方が大きく賛同を得るには拙いやり方だなと思う

自分共産党立場思想もハッキリとしている分嫌いではないけど(大阪で対維新自民と組むみたいになってたのはどうかと思ったけど)民主主義の中でその政策が選ばれないのは当然その有用性や現実性説得性の面での主張の不備にも責任があるように思うし(政策自体の不備ではなく)実際共産党議員さん自体選挙において現実的311以前以後に争点として強くそこを据えて推し進めて詰めて来たかと言えばそうでなく政策をやる当の議員さんがそんなで実際国や命に関わる大きな事を変えるというのに有権者はいそれで、となるわけはないように思う

そういう意味ではもしかしたら共産党がしっかりしていれば自衛隊が無くなりはしなくても阪神淡路東日本の後に災害派遣の要素の更に強い部隊が別の形で出来ていた可能性もあったかもしれない

そこで国民自衛隊を捨てられなかった結果だ、というのはむしろから政策立案側の共産党議員さんが追う責任を無いものとしている、然も丸投げのようでそういうところなんだと思う

本来ならあなたのような支持者であり大事な票を入れた人こそが(違ったらごめんね)代表たる議員さんに対してむしろなぜそこをちゃんと主張しないのだと不甲斐なさに憤るべきなのに、と思う

いやほんとまともに投票も行ってない上ほんとクソ知識なんで言えた義理でもないんだけど

2019-03-03

anond:20190303225336

生物学はずいぶん人口が多い。

数学物理学化学人間を全部足したくらいの人間がいるように思う。

だって理学部生物系の教室にいる人間農学部人間それから医歯薬獣医人間、あと看護とかがエッセンシャルを持ってる。

エッセンシャルというのは有名な教科書名前だ。

科研費やら学振採用者一覧を見ても広義の生物学に分類される(できる?)ようなテーマは4割くらいを占めている。

何が言いたいかというと、人口が多いので教科書古本がたくさん流通しているので教科書が安く手に入る。

それから研究が盛んでどんどんアップデートされるので、すぐ版が重なる。前の版は安くなる。

エッセンシャルでいうとアマゾンで1円から手に入る。まあそれは第一版なんだけども。

インターネッツでも、英語検索しさえすればかなり有用学習サイトがある。

ケンブリクラス大学の、講義の内容をまるまるアップロードしてる先生もいる。それこそようつべで15回分見れたりする。15回は半年分の授業の回数だ。

あとTwitterで暇な日本人バイオ先生方が文科省悪口を言うためのアカウントを拵えてるので、ぶりっこして質問すれば丁寧に教えてくれる(場合もある)(最近面白い漫画を教えてあげると喜ばれる(場合もある))。

最近論文もタダで読めるところがとても多いので、最新の情報も手に入れようと思えば手に入る。そうでなくとも論文海賊サイトを使えばほぼあらゆる論文が入手できる。論文雑誌の総説という、まあまとめコンテンツみたいなやつをめいっぱい読んでればめちゃめちゃ賢くなれる。まあまあな大学院生と同じくらい強くなれる。

学術分野の英語はそんなに難しくない。小説よりは簡単だ。なにが簡単かというと、Google翻訳入力するのが簡単だ。コピペできるのでね。まあそれは冗談ですが

そんなこんなで根気があれば相当勉強できる。何年か前に、アメリカ高校生が根気よく勉強して研究したところ、すい臓がんの早期発見できる方法発見したので界隈ではニュースになったりもしている。PLoS ONEというタダで読める結構雑誌の、次世代シーケンサーの膨大なデータを目で見て発見したらしい。極端な話、パソとフレッツで論文が書けるという時代である実験を一切しない論文というのもあるくらいだ。

というわけで生物学教科書は高くない。高いのは生物学の敷居なのだ。一歩またいだら無限にも思える未開の地が広がっているのが生物学ということでガッテンしていただけましたでしょうか。

2019-03-01

死ぬ仕事やめるか

今日仕事中に限界が来て、仕事中に途中で退出して、いわゆるバックレ状態になってしまった。

プロジェクト中、自分ミスで上手く行ってないところがあったんだけど、そこを執拗上司に叱責されて

もう完全に頭真っ白になって完全に思考も行動も硬直しちゃってどうしようもなくなって、逃げ出すように職場から出た。

ちなみにその上司とは3年間一緒に仕事してるんだけど、たびたび叱責されている。褒められたこととか一度もない。

本人は守って育ててやっているということらしいが、困ったことはすぐ相談しろと言いつつ、相談すると

すげー不機嫌になって当たってくるからいつも相談するのも後手になってしまって、プロジェクト炎上することが多い。我ながら無能だと思う。

体重が1ヶ月で5kgくらい増えたり減ったりがストレスで繰り返されたりして、なんとかいままでやってきたけど

なんだかもう何もかも疲れてしまった。1月から2月にかけて毎週日曜日遅れを取り戻すための出勤してたけど

代休もとれないし、実質サービス残業になってしまって、けれどやっぱり仕事は終わらなくての繰り返しでもう疲れた

クソIT土方有用資格技術も器量もないし、三十代後半で貯金もなく、仕事やめてもすぐ食っていけなくなって死ぬだろうし

からといってこのまま職場にいても死にそうで、日中バックレたあと、有明行って海に飛び込んで

死んだら楽かなあ、東京湾飛び込んだらすぐ死ねそうだよなあとか思ってたけどなんとなく飛び込めなかった。

さりとてこのまま待ってても死ぬしかないしたぶん仕事もクビになるだろう。自分はいったいどうしたらいいんだろう。

2019-02-27

ダブルという概念への疑問とプリキュア

ハーフという呼び名ネガティブからダブルにしよう、という働きがある

私はむしろダブルこそ言葉として、その成り立ちからネガティブさとは切り離せないものなのではないのか、という疑問を持つ

そしてそのネガティブさは多くの人間に対して向けられているものではないか、とも

少なくとも現状、違うルーツの両親を持つ呼称としてのハーフ言語的な概念は、当人を100とした、単純に両親の異なるルーツでもって50/50とする、またそれを前提としての略語、もしくは任意において一方のルーツベースとし残り半分の割合を指すものメディアで目にするものも含め一般的ものであるように思う

同じくクォーターも4分の3は言及せず、またベースとして略すもので、それはシンプル客観的で図式的な概念であり、本来単語としては感情的なあれこれの入る隙は無い

だがハーフネガティブなのだ、という

ダブルへ繋げる論拠として

単語として「半分」という意味である

そこから人として半人前だ、という含意の存在

あるいは血統主義から一方の国、この場合日本人が半分「しか」入っていないという差別意識を表す

またそこから上記の「半分」の意へ発展させたもの

というのがざっと目に入った大方の意見だった

正直に言うとかなりバイアスのかかった発想だな、と思う

先にクォーターハーフに並べたのはそれが言語として連なると解釈するからで、実際の用法としても多くでそう捉えられているからだ

ハーフは「半分」クォーターは「4分の1」

彼ら、彼女らの言うネガティブである単語からマイナスイメージで言うならクォーターハーフより印象は悪い

ハーフが半人前ならクォーター人間が四分の一しか出来ていない、となる

ハーフという言葉の指すところが日本人の血の割合である、という主張も日本において多くの場合単語が表す先が他国名となるクォーターでは通らない

繰り返すが言語的な用法としてハーフクォーター現実として連なっている

ハーフの「半分」という意味へ待ったをかけるのならクォーターもそうでなければ筋が通らない

クォーターに通じない論理ハーフ解釈する事は、ハーフでだけでなら可能だとしても論拠として不足が過ぎるように思える

クォータークアドラプルとでも言うのだろうか

だがダブル法則へ従って4倍という意味を調べたはいいが、それだと元々の4分の1のルーツを表すという意味合いとは違ってきてしまい、現在使われている割合意味での用法ではなくなってしま

アメリカクアドラプル(4倍)」では意味が通らない

それがルーツの数を表すのなら日本3アメリカ1のクォーター日本アメリカダブル、という事になってクォーターにあたる表現に穴があいしま

日本トリプルアメリカシングルとすべきなのだろうか

単純にハーフ上位互換として更にポジティブさを、というのならクォーターとの併用も違和感はない

だがなぜかそうではないのだ

単語の持つ意味や印象がマイナスイメージを想起させる、と主張するならハーフ否定してクォーターを許容するのでは整合性がとれない

そもそもこのハーフに対する話は日本和製英語として、その言外にいわゆるガラパゴス言語観への若干の批判めいた意も滲ませられ取り上げられている事も多く、それなら、と欧米一般的にはどう表現されるのかと興味がてらにさっくりと調べると何の事はなくhalfという単語も使われていた

ただ日本のように単語自体ルーツへの意味を含ませるのでなく、そのまま単語として国名民族名と並べてアメリカ半分と日本半分、のように使われるらしい

またpartも同じように使われるようで、こちらが日本で使われていたら分割という意味ネガティブさが見出されていたのかな、とも少し思った

ダブルはといえばこちらも結局は和製英語であり、更にhalfやpartより一般的でないようで、使うにしてもやはり単語単体では意味が通じにくい、という事だった

そういえば以前テレビ番組ハーフネガティブからダブルを広めたい、と言った女の子に同じくハーフアメリカ出身女の子アメリカでも普通に使う、言葉自体ネガティブな要素はない、日本でもそうだと思うという風に言っていて、その認識の違いを興味深く思っていたのを思い出した

ダブルハーフ海外で通じる通じない、という日本ガラパゴス意識という意味では変わらず、むしろダブルの方が単語の用例としては一般的ではない様だった

それでもダブルを通じさせるためには略さず言う必要がある

さないのであれば、また略さないそれがそのままダブル意味なのだとするのならガラパゴス、という部分でハーフ否定的になる理由はない

ならなぜダブルなのか

調べている中で表現としてmixというものがあり、ハーフクォーター、またそれ以外をも内包出来る親和性の面でもいいな、と思えたし、実際日本ミックス表現として使っている人も既に少なからずいるようだった

特に多民族国家ではhalfやpartやquarterでは表しきれない事もあり、mixが段々と単語として市民権を得ている、という印象を持った

そこからの輸入でのミックスという表現なのだと思う

言葉としてハーフクォーターと平行して組み合わせる事も可能汎用性も高く、会話や文脈によってはmixという単語自体ルーツの意を含ませる事自体も、ハーフダブル比較すれば難しくはないらしい

言語的にも、日本ガラパゴス言語感覚への問題提起としてもミックスを使おう、というならすんなりと腑に落ちる

違う言語から見て、初めて聞くハーフというそ言葉ネガティブさを含むように見えるかもしれない、と思う

そしてそれこそが嫌なのだ、という人もいるだろう

言葉における現状を知りようがない状態での誤解に罪はない

そして誤解とはいえネガティブな枠で自身定義される、それ自体への拒否感も理解できる

だがその場合ハーフという言葉言語として、用法としてのネガティブさは認められない

問題日本独自略語和製英語が生む対外的な混乱による認識差異、ただ1点だ

だがダブルという新たな和製英語を使おう、と言う

そしてハーフ言葉としてネガティブから、と言う

ミックスではなくダブルなのだ

単語として、ハーフ基準にそこに優るものとする発想から用意された事は明白で、それは先述した言葉としての有用性や論理を置いてけぼりにハーフという言葉への相対的な優位性のみを後ろ盾としており、当然その説得性にはハーフがどれだけダブルに劣るかの提示が不可欠であって、そのやり方としてハーフネガティブ論が持ち上がっているのではないか、と考える

実際ダブルを広めたい、とする場ではほぼ必ずセットとしてハーフマイナス面が語られ、ダブルポジティブさにしてもやはりそのネガティブさに対しての相対的ものに留まりハーフ差別的であるネガティブであるという言ってしまえば既成事実作りとそれを踏み台にしての消去法的優位性でもってでのみ語られる姿はどこか悪く言えばプロパガンダ的だ

ハーフマイナス面をいくら語ったところでそれはダブルの優位性の証明にはならないのだが、単語としての関連性を匂わせ、選択肢として提示する事でそう見せる、というやり方なのだと思う

そもそもダブルが持つとする言葉ポジティブさの論理は、一歩間違えば純血主義に対し方向は真逆でもベクトルは変わらない、同じ類の比較対象ありきの優生的優位性とも取れる危うさもあり、ともすれば強くハーフマイナス面を示す事でのあくま相対的であるとする主張はその指摘を避けるためのものでは、とも思ったが、そこまで考えていないようにも思う

賛同している多くもハーフネガティブさ、という主張をも含め「素敵な考え方!私達は理解してるし悪い慣習は変えて行こうよ!」というような諸手をあげてのもので、単純に深く考える前に助力になれば、という意が先に出ているようでもある

それにしてもダブル肯定するという事は当然過去遡って差別的ネガティブな要素を持つ言葉として使っていたという事を自分も含めて認め、もしくは受け入れる事であり、違うのだとすればそれは一方的に要はレイシズムからなる加害者だとされる事であるのにそこに違和感はないのか、と首を傾げてしま

多くの賛同者はただただダブルポジティブ!とやっているのだ

そのポジティブさはハーフという言葉相対的犠牲理不尽に強いた上でのものなのに、なぜそんな肯定的に思えるのだろう、と

かに現実としてハーフという言葉ナショナリズムから悪い意味をのせる人間はいるだろう

しかしそれは今の通例としての言葉概念上では明らかに例外であり、そのような人間が発する言葉に含まれレイシズムにその他大勢人間性を巻き込むのはナンセンスであるし、むしろ仮にダブルが使われるようになったとしてどうにかなるのか、というような現実用法とはかけ離れるレイシスト意図をその文化圏象徴のように語るのはそれ自体差別的であるように思える

その上でネガティブな印象に受け取るのは個人選択であり、本来意図される言葉の使われ方やそれを口にした人間人間性など意に介さずお構いなしにやるそれはあまりにも、という印象が拭えない

自身自尊心のために半ば言いがかりのようにして他の多くの人間性を否定する

ハーフネガティブから、というのは結局はそういう事なのだ

それら全部分かっていてもハーフという言葉ネガティブに取ってしまい、それがダブルという言葉自己肯定に繋がるのなら、とも思いはする

だが、それはあくま自己完結としてあるべきで、言葉やそれを使う人間をも巻き込むのは傲慢が過ぎるのではないか、と思う

「ただ自分に誇りを持ちたいだけ」「ポジティブにありたい、それが悪い事なの?」というような声も目にしたが、ネガティブさを押し付けなければ得られない、相対的しかない誇りやポジティブさとは一体何なのかとやはり首を捻る

そんなものでも彼ら、彼女らは良いのかもしれないが、そのためにレイシズムを含む言葉を使って来たと匂わされるこちらはたまったものではないし看過できるものでもない

その人間意図や場面を限らず、元の言葉から定義をし直そうとするその行為は紛れも無くこの私も含め、多くの人間への自己肯定理由にした小さな悪意であり、自尊心アイデンティティと向き合うためにそうする姿は健全とは言い難く、やはり違和感は拭えない

そして何よりやはり言葉としてあまり出来がよくないと思う

その人が言葉に持たせた意図やその言葉意味でなく、ネガティブだと捉えた自身根拠ポジティブになるためにその相手非難めく

近くにいたら少し距離をとるな、と思うし、それを「応援」する人間も怖いな、と感じるんだろうとも思う

少し前、流れていたツイートで、ハーフなんだね、と言う女の子に、それも少し前話題になっていたプリキュア男の子が半分じゃないよダブル、のように言っている画像を見た

そこには(曖昧だが)ポジティブな考え方はマネしていきたい、というような文章が添えられていた

画像男の子大和撫子パリジャンのダブルから、という言い方をしていた

しかしたら設定として、その男の子日本に来て間もなく、誤解の下にハーフという響きにネガティブさを感じたのかもしれない

そんな可能性を示す、そこには何の異議もない

実際そのダブル和製英語としてのルーツを示す略語でなく、単純に本来そのままの意味として使われているように見えた

現実的に考えてみてもそんな状況ならハーフという言葉に疑問を持ったとして、和製英語であるダブルを使う事は無いだろう

だが、これはアニメ

この場面の意図に、ハーフに代わる略語としてのダブル、という言葉存在が前提にあるのは明らかで、また画像に添えられたツイートもそのように捉えていたように思う

女の子が口にしたハーフルーツ意味を含む略語という側面でなく、単語それ自体で受け取らせ、ネガティブだと否定させ、その上で同じく単語用法そのままの意味ダブルという言葉を並べ、語らせ、そしてその比較ハーフダブルの印象へと繋げる

これはそのままダブル賛同者の論理のように見える

先述した通り、略さないのであればハーフという単語を用いるネガティブさ、という方向性での疑問は海外の用例からしても杞憂しかない

そしてまた、略さないのならダブルを用いて自身ルーツを表す事自体には大して問題もなく、それは確かにハーフ使用する場合より単純な印象としてどこかしら肯定的な雰囲気も持ってはいるようにも思える

だが、そこで略語としてのハーフ否定し、成り代わるよう安易にそこに収めようとやるから辻褄が合わなくなるのだ

もしこの男の子ハーフルーツを表す略語であり、一般的に使われる表現である理解しているならどうだろう

その場合、その子ハーフと口にした女の子差別的な要素をも含むネガティブ言葉無自覚にでも使った人間である意識の低さを指摘し、また同時に相手意図より自分が思う言葉意味を優先して否定から入るような、そんな子だ、という事になる

そしてそれは当然、その女の子だけでなく見ている子供たちへ向けられるものでもあるはずだ

言葉としての意義に悪者であるハーフ否定する事が含まれているのだからそうなるのは当然だ

これはあくまで仮の話ではある

だが同時に現実としてポジティブさ、という言葉の下で同じ事が無自覚に行われているのも事実

そしてそれは何の悪意も意図もなく、むしろ場合によっては羨望の意味さえ含ませハーフという言葉を使う、その女の子と同じ年齢の子たちに本来そんな必要のない罪悪感を負わせる事でもあるのだ

それは啓発なんてものじゃなく単なる大人の我だ

本当にとても理不尽言葉だと思う

今後、私はハーフという言葉を使い、クォーターも使い、ミックスという言葉も使い、また、もしかしたらプリキュア男の子が言っていたような国と国でダブル、というような、より肯定的な意を込めたとする表現本来ダブルという単語用法ひとつとして使う時が来るかもしれない

だが、ハーフという言葉自体とそれを口にする人間性の否定、というネガティブさを纏ったダブルという言葉を使う事はないだろう、と思う

そこにあるネガティブさを肯定する事は私にはできない

2019-02-25

anond:20190225152254

Q.子ども橋本病遺伝するのではないか心配です。どうなのでしょうか?

A.橋本病を発病しやすい体質は遺伝しますが、

橋本病遺伝だけで起こる病気ではなく、環境要因が加わって初めて発病します。

なんといっても夜更かしが悪いです。そして、過度のストレスや過度の頑張り過ぎ、

病院クスリののみすぎなどがなければそれほど心配しなくても良いと思います

ただ、橋本病思春期以降に発病することが多いため、

念のためこの頃に一度調べるのがよいでしょう。

甲状腺機能性疾患】

バセドウ病橋本病は、自己免疫疾患で同じ家系に多く見られる傾向はありますが、特定遺伝子によって症状が現れるわけではありません。

今のところ、遺伝子検査により病気予測したり、症状が出た後の予測を行うことはできません。

甲状腺ホルモン不応症は、遺伝子(TRβ;β型TR※4)の変異が認められることから、診断のための遺伝子検査が有用です。

2019-02-23

anond:20190223130155

ただで有用情報を得ようとするからだ ざまみろ

anond:20190223001618

5ch本体の雑多なレスの中から必要情報を早く選別できる能力有用

はてなTwitter釣り煽り愉快犯に余裕で引っかかっててカオス耐性が低いように見える

2019-02-22

コミケQR決済できたら便利という妄言論破する

500円玉と本を交換するだけなら一瞬で終わる。

QR決済はそれほど素早く会計できない。行列が伸びて、サークルは捌ける客が減るし、客は回れるサークルが減る。

たった6時間しかない貴重な開催時間QR決済の手間で消費するより、前日以前に500円玉を用意しておく方がずっと合理的だろう。

現金なら中抜きもされない。

QR決済信者現金有用性を舐めすぎ。

・でもQR決済なら500円に縛られず価格自由度が増えるのでは?

→全員がQR決済するならともかく、一部の客だけがQR決済する状態中途半端価格にできるわけがない。

SNS女子が得をしがち

こんなことはあまり書きたくないのだが…なんだか疲れたので書く。

SNSには「有用」なことを書くとフォロワーが増えるという。しかしそうでもない内容を書くポッと出の女子たちがチヤホヤされ、あっという間にすごいフォロワー数になる。

オタサーの姫じゃないが、ネット界は飢えたハイエナ男が圧倒的多数世界で、そこに少数の女子が飛び込む構図。

ほんの少し女子っぽさを匂わせるだけでもいい。さらに顔や肌を出せばあっというまにハイエナが群がる。ガルル…ガルル…

そういう世界に当てはまらない目的意識を持った女性や、あえて性別を隠すしまったり楽しむ女子もいるので一概にはいえないが。

とにかくチヤホヤされたければSNSにこい!な世界である

「反ワクチン」「反医療」を宗教と決めつける人

三重県麻疹感染拡大の背後にある、「反ワクチン」「反医療信仰の危うさ

https://hbol.jp/186325 

一部のワクチンや一部の医療リスクに見合わないのではないか嫌悪されているだけなのを

さも全医療否定する人が一部医療費停車の全員であるかのように語っていらっしゃる

こういうのを見ると本当にワクチンがうさん臭く見えてくる

科学者なら科学有用性を語ってほしい

2019-02-20

anond:20190220214207

はてブ は 騒げればなんでもいいので大喜びでは?

ブクマ付けてるのもおったしね

はてブ有用だと思ったことはただの一度も無い

2019-02-18

パワハラがなくならない理由

そんなの簡単

「いい人だけど使えないやつ」と「仕事できるけどパワハラが唯一の欠点なやつ」がいたとして、どっちが組織にとって有用か?って話。

明らかだよね。


あと、当事者上司そいつコントロールできてなくても「まあ、あい仕事はできるからな」「ちょっときついトコもあるけど可愛いやつなんだよ」と言って逃げられるし、現実に他の部署責任者現場を目撃するみたいな事態にでもならない限り、好きにやらせておいても大ごとにはなりにくいしな。

(自分居合わせていない出来事で、部下の目撃情報や苦情をそのまま信用するリーダーとかあり得ないし)

それに当事者をどうにかするより、被害者に「お前も悪いんだぜ?」「あいつもいいトコあるし」と言って丸め込むほうが容易い。


なんか異論ある?

2019-02-16

anond:20190216024700

すごい有用情報ありがとうカドリーシリーズは素晴らしいよね。認知症の母に添い寝してもらってるよ。

私のおすすめはfolkmanis puppets。リアルキュートの間をついてくるパペットタイプで、空想の生き物からねずみまでいろいろある。柔らかいから抱きごこちもいいよ。

うちにはロシアンブルーの猫がいて、夜な夜な夫婦アテレコして遊んでいるよ。あなたライナスの毛布的くまちゃんと生涯寄り添えるといいね

https://www.folkmanis.com

2019-02-13

スクショすら違法になったら

大規模な人材流出でも引き起こそうとしてんのかな?

頭悪いとかそういう問題じゃなくなってきたぞ。学ぼうとする姿勢がまるでない。

それとも誰かの権益を守る/強化するためだけにこんな馬鹿たことが決定されるかもしれないのかな?

まあどっちにしろ、決定したら「無視して忘れよう」という人間と「何で訴えられるかわからないこんな国になんていられない!」という人に別れて、後者有用技術者が大量に含まれてるかもな。

2019-02-09

anond:20190208134100

まず早い段階で倫理道徳面を言葉理解できる子とできない子の差はある

客観的想像力を働かせる事ができない子にも感情面に訴えかける事でそれを自分に関わる問題として自ら行動を制御させる事はできる

野菜食べなきゃおっきくなれないよ、そんなじゃサンタさん来ないよとかはそれ

それでも感情支配され自分でもよく分からなくなってる子とか分かってるけど構ってもらうためだとか別の要因でわざと困らせるようやる子もいる

別に特にやりたくもないし困らせる気もないけど友達と同じ行動を取りたいだけの子もいる

何も考えずテレビで見たのをマネする事に力を傾けたいだけの子もいる

言葉で分からせるためには分からせるための言語理解共感性の下地を作る事が必要だし

下地があってもかまって欲しい子に行動の倫理性を説いてそれを理解させたとしても問題解決しないし場合によっては悪化する

子供のその言動がどこから来るものかの理解が親にも必要でそれでアプローチも変える必要があって

またなぜそれがいけないか客観的正当性言語化と更にそれを言葉で分からせるための子供の立場での主観的発想と表現必要

それが子供社会経験の土壌として外からの影響に対しての取捨選択筋道になっていくんだけど

言葉で分からせる、をただ単に口で伝えるそれだけだと定義するから子供は言ってもわからないでしょ、となる

叱る時手を出すのはそれらの親側の言語化や親自身共感性や社会への倫理観、道徳観の客観的理解の有無も含め、全部すっ飛ばし言葉共感を誘う技術もそれを考える事もしなくても、もしくは出来なくても手っ取り早く動物なすり込みとしてネズミ電流と同じように誰でも容易にできるものから安易に使われて来た部分はあるのかなと思う

少なくとも仮に百歩譲って体罰正当化するなら最低限事前にルールと罰を提示する事と罰として判決理由のような改めてのそこに至った客観的正当性を伴う理由提示必要だろうけどそれさえないただ単に大人側が物事簡単に治めるための手を抜くためのツールとしている場合それは文字通りパブロフの犬のような反射に任せた思考停止しかないし現状の運用としてはそちらに寄っているように見えるからその理不尽さに反発の声があがるようになっているのは当然の事のように思う

感情的にどうにもできない子供へ手をあげて言う事を聞くよう仕向けるのも躾ではなく多くがその実単なる言動の抑止の手段まりになっていてネズミと同じく反復する事での反射的な学習方法とするならそこに論理への理解はないので結局は少し状況が変わるだけでまた新たな学習必要になり効率学習させる側の負担の面でも本人の負担の面でもいいやり方とは言えないと思う

ただでも思春期には感情面が肥大化して世界も広がって当人でさえ自分で舵取りが難しくなるのに下地も土壌もなく判断基準が作れない、作られないまま外の色んなものに触れて影響を受ける事になってそれが反社会的ものだとしたらそれが親にとってもぐら叩きでいたちごっこのようになってしまうのは目に見えているわけだし

そうなったらもう最悪祈るしかないわけで

でも現実親の余裕や知識技術平等であるわけもなく、その差をある程度是正するための幼児学校教育であり、だからこそ教育の場での安易体罰本末転倒で許容されるべきではないんだと思う

あと躾がなってない、は言う人間自覚してるかどうかは知らないけどおおよそその幼児からの土壌の有無、またはそこを怠りその後も相対的に結果が出せていないその事を言われていて躾が出来ない状況をそもそも何で作ったのかという過程への親の怠慢を責める意のもので、その上での体罰による躾と口で伝わらず放置するしかない状況との選択理解価値観下地作りを出来なかったという前提による同グループの中の異なった結果でしかないんだけど、それは言ってしまえば過去に遡らなければ現状どうにもならない事なのでそれを責めるのは人としてどうかと思うから無視すればいいだけだと思う

理解を深めさせる過程の年齢の子に躾がなってないとか面と向かって言ってくるやつはただの何も分かってないクソだからクソの意見なんて無視すればいいだけだと思う

そういう親を無理に責めて暗に子供を制させるよう向ける状況が子供のための教育や躾という意識の枠をこえた不必要公益意識からの焦りによる体罰を生んでいるんだと思う

子供特に幼児の子倫理道徳面での理解必要とされるのは愛情だけでも言葉にする事自体でもなく大人側の徹底的な感情をも含めた論理的思考と計画性を伴ったアプローチ技術とその体系化でしかないし、それが圧倒的に足りてないと思う

そしてその事はセーフティーネットである教育現場への負担としても影響してると思う

この前夕方ニュースかで学童保育の話をやってて子供が泣いてて、それはじゃんけんで勝った方が何かの遊びを出来るって双方ルール理解した上でやった結果で負けた子は悔しかたか思い通りに行かなくて腹が立ったか感情的に抑えられなかったみたいなんだけどそれを忙しそうにしてた大人が勝った子に相手の子が泣いてる事を理由に謝らせてて

一定の体系化と周知は親のためにも子供のためにも現状色んな過程に触れる機会がない、なかった子供に対してのケアとしてもやっぱり必要な事だと思う

親も子供と一緒に親になっていく、親として学びながら、なんていうけどそれは親の情緒面だけの話にすべきだと思う


個人的には幼児の子に手をあげるのは知識以前の大人側の甘さや過信も一因としてあるんじゃないかと思う

子供に対する甘さじゃなく自分に対する、また認識に対する甘さ

何で自分の望みや言葉をただ自分価値観で口に出すだけで自分経験の何十分の一も生きてない存在に通じるなんて甘い考えを持ってるのかと思う

同じ年齢の常識を共有する相手だって通じるとは限らないのに

言語の壁に対してどうして分からないのって叫ぶようなものだし、そういうものだと分かってれば少なくとも通じない事に苛立つ意味の無さは理解できるはずだし、それを手出して事を済ませようとする傲慢さや安易さも分かるはずで

分かってても皆が英会話習う時間お金も余裕もあるわけじゃないように完全な対策を求めるのは酷だってのも分かるけど端から舐めてかかってるようにも見える事も多いし

それは先の親以外の周りの大人もだけど子供という一人の存在に相対するための認識が甘すぎると思う

本当に違う世界の生き物相手にするくらいの心意気でやってもまだ足りないくらいのとこあるのに

から最低限でも知識情報有用指標の共有が求められるんだけど



長いな

2019-02-07

少子化

何で養子周りがメインの課題としてあがらないのかと思う

結婚しない子供産まない事が問題として挙がりがちだけど、まずは結婚子供を産む、育てる事へのしたいけどできない、そこをいかに掬い上げるかに焦点あてるべきなんじゃないのかと思う

経済面での問題比較的分かりやす課題簡単という意味でなく)ではあるけど先進国少子化傾向を考えて恐らくそれは社会的に産む産まないの選択個人権利と認めて(求めて)その権利の幅を支持できる土壌の成熟度って面からだと思っててその権利の部分を社会として保ったままでも育児や産む環境意識改革数字改善出来てたりの例を見ると経済だけじゃない個人選択以前の環境整備とそこへのものも含めた意識問題はやっぱり大きいんじゃないかなと思うし、今日本が経済含めそういう状況に満たないとしても今回のやつみたいな産まない自由人権に則するものだって認識一般的に(個人の是非は別としても)もうあるなら他の課題と並べて注力し始めるべきものなんじゃないかと思う

特に養子周りは制度自体変わってはいても少子化というよりあくま子供のための環境改善目的にしたものに見えるし(そこを優先するのは当然ではあるから+αが必要という意味で)

キリスト教圏との宗教的罪悪感の差異を抜きにしても産んで手放すって部分の選択肢としてのそもそもの挙がりにくさというか、そこが更に産まない、産めないって状況の人たちの選択肢にも関わって来てるように思えて、それは制度への理解と周知、意識的なところへの環境整備の薄さからに見えて、先進国における少子化対策に必要なのは焼け石にどう水かけるかって事じゃなくて焼け石をどうカチ割っていくかって話だと思うんだけど、他のよく聞く少子化課題に比べてのまず聞かなさこそまさにそこに焼け石があるって証なんじゃないのかって思う

焼け石っていうのは制度問題として解決可能社会的な、また結婚子供に関する現代事情に添わない観念で、その中には子供を産み育てる状況、環境のものも多くてそれは一概に偏見てだけじゃなくもちろん現実に即した懸念からのものでもあるのは分かってるんだけど、産む自身も含めた転ばぬ先の杖的にそれをやり過ぎて杖を用意するのはいいんだけどその事で杖がなくても転ばない、転んでしまってもケガを負わない様なところへ話が行かないというか、たまに軽く炎上するような男性結婚する気ないけど同性婚可能になったら女同士気の合う相手結婚して養子取ったりして余生過ごしたい的なものもそれで、見てたら炎上と同程度同意する人もいてじゃあその人たちは一人でも養子とる(現実無理だし海外でも難しいらしいけど)って発想になるかって言ったらざっくりの夢物語でもきっとそうでなく、それは経済というより子供を育てる環境自体ではなく)への意識制度問題が大きくて、その同性婚のもの制度に便乗するって言ってるわけだから反発くらうのは当然だし実際そうなったとして本当に子供育てるかというとどうなんだろうという感じだけど、でもそれは意識改革必要な糸口でもあると思って、養子を受け入れるグループが増える事は産みたいけど育てられない、育てたくないって選択の受け皿が増える事で、受け皿が増える、選択が増えるという事は社会的許容度が増す事でもあると思うし、子供が出来てから結婚賛否両論あるとしても少し前より確実に社会的に受け入れられて来てるのを考えると今の少子化に向けた結婚出産における問題提起、改善解決のための前提としての環境モデル恋愛関係にある男女が結婚自分の子供を産み育てるって事にほとんど限定してるそれこそが問題ひとつになっているようにも思うし、是とするモデル限定的な事で現実として有用必要でもそこから外れるパターン相対的倫理性の是非が問われる事になって、そうなるとそこへの制度助長を招くというような理由実質的議論になりにくいって問題にも繋がってるように見えるし、転んでケガしないなら杖の有無を気にする必要もないわけで、少子化対策における女性社会進出に関しては保育所問題だとかシッターを利用する事への意識がそれなんだけど(それは養子の受け入れグループへの意識へも関係してる)

同性婚自体もそうで、少子化においてデメリット(元々の志向無視した異性との可能性を想定してのもの問題外だけど)を叫ばれる事多いけどメリットであるとも思っていて、それはその結婚を望む人達の中にもその養子の受け入れグループ先としての可能性、また当然自身の子供を産みたい育てたいって層が含まれからで、でもやっぱり婚姻関係という環境制度が整わないと現状それは埋もれたままだし、それも環境以前の転ばぬ先の杖の一旦で、子供に最適な環境という答えのひとつの杖がある事でその他の最適になり得る可能性を持った方法論を探る、それ自体から頭にないようなところがあって、そしてそういう環境による懸念同性婚を求める人たちの中にでもあるように見えるし、男女のものがそうであるようにそれは社会的環境制度的なものから意識問題でもあって養子問題も含めて社会的許容度に選択が影響されるもの簡単に変わるものではないからこそさっさとやり始めないといけないんじゃないのかって思う

少なくとも恋愛感情の有無や性別に関わらないパートナー制は養子含め色んなパイを増やす意味でもハードルを下げる意味でも少子化対策としてはやるべきには見える

正直結婚する気産む気のない人へのどうこうなんて結婚したい、産みたい、育てたいけどできない人をやって更に結婚出産子育て選択の幅を広げての万策尽きた最終的な話だと思う

そこ置き去りにしてちゃ本末転倒じゃないのかなと思う

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