はてなキーワード: 明治とは
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
ちょっと前に食品衛生法?の改正とかなんとかで、「個人経営の漬物製造業者が潰れる!零細企業いじめをする岸田政権!」ってその界隈の人が盛り上がってたけど、アパートの近くにある昔からあるゴキブリとネズミの天国となってる商店街の漬物屋なんて、道路に漬物桶広げて冷蔵も密封もせずコバエがいつも飛んでいて、頼むと素手でそこから掴んで袋に移してるので衛生観念が明治大正で止まってるんだよな。
人の目によくつく小売店でこのザマなので、製造の実態が知られていないような零細漬物業者なんてもっとひどいんじゃないか。
何故、定型句のように令和に価値観をアップデートせよと喚き立てる層が、個人経営だからと旧時代の衛生観念で製造販売している業者を養護するのかよく分からん。
ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからのホットエントリ、ブクマ数順トップ30
ブクマ数 | タイトル | ドメイン |
---|---|---|
2022 | リレーショナル・データベースの世界 | mickindex.sakura.ne.jp |
1359 | 自民党裏金リスト | onyancopon.starfree.jp |
1030 | 日本で人気爆発中の経営シミュレーションアプリ「コーヒーインク」を開発する、謎の会社 Side Labs 創業者インタビュー | startuptimez.com |
911 | 作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ | プチコミック 公式サイト|小学館 | petitcomic.com |
833 | 軽率に会社を設立してみた | kwappa.net |
769 | 時間記録はいいぞ 〜Focus To-Doで充足感あふれる毎日を〜 - necco note | necco inc. | necco.inc |
727 | イッタラで今何が起きているのか - La La Finland | lalafinland.com |
682 | ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史 | 長周新聞 | www.chosyu-journal.jp |
679 | FIREしてマイクロ法人を持つ10のメリット - FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記 | www.kuzyofire.com |
673 | 投資家・井村俊哉さん、100万円を12年で85億円の利益に!銘柄選びやファンダメンタルズ分析の極意 | 達人に学ぶ「お金の流儀」 | マネクリ マネックス証券の投資情報とお金に役立つメディア | media.monex.co.jp |
665 | 女性専用車両で当会会員に暴行した女性客が現行犯逮捕される | oawc.jp |
611 | テストの学習へようこそ! | web.dev | web.dev |
596 | 芦原妃名子さん 2024年1月29日 - 一色登希彦/ブログ | toki55.blog10.fc2.com |
547 | 1人暮らしで毎日「サトウのごはん」を食べていますが、やはり「炊飯器」で炊くほうが節約になりますか? すぐ食べられるのでコスパは良いと思うのですが… | その他家計 | ファイナンシャルフィールド | financial-field.com |
545 | 実写化について思うこと | FUYUMIS | fuyumis.com |
532 | DTMって市場自体が、霞のように消えちゃったんだろ|TAK-H.NET | tak-h.net |
522 | 『龍が如く7』は進化を続け、自動バグ発見どころかほぼ全自動のバグ取りシステムを構築。これぞ無職から勇者に成り上がるデバッグだ!【CEDEC 2020】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com | s.famitsu.com |
515 | 「日本人が知らない「激安お酒」のヤバすぎる裏側」を話す前に知識をアップデートした方がいい - 醤油手帖 | shouyutechou.hatenablog.com |
503 | 政治家はどこで酒を飲むのか | www.hiro-matsuno.net |
484 | 人はなぜワクチン反対派になるのか ―コロナ禍におけるワクチンツイートの分析― | www.t.u-tokyo.ac.jp |
481 | X(旧 Twitter)上における当社に対する不適切な投稿について - タマホーム | www.tamahome.jp |
457 | [PDF]肉の万世 秋葉原本店 閉店のお知らせ | www.niku-mansei.com |
455 | 当社の人員に関するお知らせ | sonyinteractive.com |
451 | COMIC LO編集部より読者の皆様へ | 茜新社 | www.akaneshinsha.co.jp |
443 | 劇場アニメ「ルックバック」 | lookback-anime.com |
441 | 超巨大アポロの作り方|手作りチョコレシピ|株式会社 明治 | www.choco-recipe.jp |
429 | 日本酒「"添加物"で伝統的造り方が減少」していると嘆く人は、山廃を飲まない方がいい - 醤油手帖 | shouyutechou.hatenablog.com |
418 | 技術力の低い人のロボコン「ヘボコン」を観にいったら予想以上にヘボすぎた|CEMEDINE Style|セメダイン株式会社 | www.cemedine.co.jp |
414 | 3年やめていても囁く悪魔「ちょっと休憩しませんか?」 田代まさしさんが語る薬物の本当の怖さ | addiction.report |
414 | 自作PC2024 | r7kamura.com |
「過疎地に国力を注ぐ必要はない」って、本当ですか? 反論に続々と思い出が集まった【能登半島地震】
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65a78864e4b00bbb446d324e
「固有の文化まで切り捨てないで」。
こういうの見ていつも思うんだよ
無くなりそうになった時、ってのはもう手遅れを通り越してんだ
地方で祭りが無くなるとき、前触れもなく突然、来年はやーめたって終わるとでも思ってんのか
毎年毎年ずっと検討されてるに決まってんじゃんよ
ずっとずっと、もう少し頑張ろうって老体に鞭打ってやるが
それにも限界がある
それが表に出るってのは、もうもろもろ決定した後なんだよ
鍛冶職人が居なくなるとか
そういうのは、発表された時点で終わってんの
だから、それを終わらせたくないなら
存続を望む人が大挙して移住するか
そういう話なんだよ
越後の山奥にあるうちの田舎もコロナを機にすっぱりと祭りをやめた
「開催しなかった」と言う実績が後押しした形だ
あの蘇民祭ですら終わる
切り捨てないでというのは、こういうの全部の話なんだ
被災地を絡めたお涙頂戴の話じゃねぇ
「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね
いくつかバリエーションがある
「無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」
……のような
[本]の場合に「聖書」という回答が西洋でメジャーなことから、元ネタは日本以外なのだろうとあたりをつける
調査の初手はとりあえずこれ
Desert Island Discs - Wikipedia
Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]
Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.
Desert Island Discs は、BBC Radio 4 で放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。
番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます。 無人島での生活とその選択の理由について話し合います。
このラジオ番組の存在から1942年時点で「あるあるネタ」であることは確認できる
アメリカの一コマ漫画で「無人島もの」というジャンルが存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない
普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ
『ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日に出版された
これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれた
Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]
ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段を即興で考えなければならないフィクションの文学ジャンルです。 このジャンルの名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説『ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説の成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前はジャンルを定義するために使用され、単に「無人島の物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります。
ということは、探すなら18世紀か……
一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど……
1611年頃
一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある
Uninhabited island - Wikipedia
The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]
無人島を舞台にした最初の小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界からの漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミルを文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]
こういうmeme的というか、とりとめのない雑談のあるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ
残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見できなかった
https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20
……という嘘豆知識
正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは
英wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述
The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]
「無人島」という用語は、社会的に孤立し、物質的手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます。 無人島での行動は、たとえば「無人島の道徳」などの一般的な思考実験です。
これの出典がOEDになっている
ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……
人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンルが一般に認知されている環境……であるはず
へたすりゃギリシャ神話の時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん
『オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない
そうなったら手に負えん
---
改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
---
19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね
近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキルの知識が一般に広まったのがおそらくこの時期
その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない
いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキルの知識関係なさそうに見える……
→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん
サバイバルガイド的な本が19世紀に刊行されてないかを調べてみるか
---
"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見
無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ
このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人の哲学者で東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのもの、ベートーベンの楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。
発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い
『ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな
しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……
さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?
ケーベル博士がロシア出身で日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスのラジオ番組
20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか
本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい
---
ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい
この発言の出典元文書がちょっとすぐには見つけられていないのだが
偉人の名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル
ゲーテの生没年は1749~1832
無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種のクローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ
Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島が一般に認知された?
元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする) ↓ Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した ↓ メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった ↓ さらに時代が下り、持ち込めるものはジャンル無制限になった
みたいな流れという仮説を立てれそうだが……
まあまあ、結論を急ぐことはない
オッケー!2002年くらいからネット小説を嗜んでいる若輩者ではありますが、増田向けにチョイスしてみるよ!
どういうジャンルが好きか分かんないから、とりあえず地の文が比較的多そうな作品を選んでみたよ!
サイト:https://www5b.biglobe.ne.jp/~dww/watan_027.htm
サイト:https://ncode.syosetu.com/n5011bc/
確か作者さんが連載時、登場人物が迷宮に入る度に生存判定ダイスを振ってたからマジで誰が死ぬか分かんないよ!
サイト:https://wizdiary.hatenadiary.org/
でも↑のサイトのPDFリンク切れだから手持ちのやつを善意で貼っとくね!
https://35.gigafile.nu/0327-29f970173c45a48e5d628ec900009080
作者さんが改変しなければ再配布オーケーっていってるからあんしんしてね!
ジャンプに鬼滅の刃があるなら、なろうには鬼人幻燈抄がある!(本当はArcadia)
女が刈り上げにするのは最近のトレンドだしズボン履くのも普通だしいわゆる「女性的な口調」じゃない奴もいる
明治頃はズボンははしたない、髪を結うのが大人の女性のマナーなのにボブカットなんて異形、という扱いだったが当時のフェミがオラオラして認めさせた
一方で男ときたら、スカート履けばオカマ、髪を伸ばせばオカマ、物腰柔らかだったらオカマ、不寛容すぎるしその風潮と戦う気概もない
定型にあてはまらなかったら男じゃない、男未満の女に類似する生き物だという男尊女卑価値観が当の男を苦しめている
遺伝子検査キットのMyHeritageって言うの使ったら、自分の母方の血に4~5世代にヨーロッパ系のアメリカ人の血が入っている事が分かった。
自分は小さい頃からハーフとか言われたり母方の方は外人って言われることが多かったのでその謎が解けて気持ち良かった。
アイヌの血が入ってるんじゃないかと思っていたけど遺伝子キットによると1800~1850年辺りにアメリカに居て、1900年~1950年頃には日本に居たみたいだった。
1950年からはハーフと思わしき血の流れが出来てて深く感動した。
時期的に黒船が来た後に明治産業革命とかその辺だからちょっと一人で舞い上がってテンション高くなったりした。
確かに生まれた時、自分の肌の色が他の赤ちゃんに比べて白かったり、髪の毛の色が赤と金に近いブラウンで顔付も日本人と少し離れていたので本当に納得した。
自分みたいな日本人を他に見た事が無くて、小さい頃は独りぼっちで孤独だったり、自分のノリが外国人よりで外国人とすぐ仲良くなりやすかったりするのもご先祖様の影響かと感動。
ちなみに別の遺伝子キットジェネシスヘルスケアで調べた情報によると縄文人よりもデアンネタール人の遺伝子合致率が高かった。
弥生系の日本人と結ばれて弥生系の遺伝子を持ったヨーロッパ系アメリカ人の子孫だからだろうか。
ちなみにヨーロッパの血筋はフィンランドと東ヨーロッパだった。
どうして自分がアメリカ人の子孫だと知る事が出来なかったんだろう。
家には日本の家系の物しかない、どこにも外国の血を残した歴史的なアルバムとかもない。
自分の地元には旧制ナンバースクール中学をルーツとし、かつては屈指の難関、名門だった県立高校がある。
その高校のWikipediaの著名OB欄は学者、官僚、財界人、作家、軍人がズラーっと並んでいる。
しかし実はとっくの昔に凋落し、今は東大なんぞもはや4~5年に1人くらいしか出なくなり、私大の浪人込みの延べ人数合格実績ですら早稲田40人慶応10人くらいが平常運転になってしまった。
それでも地元ではこの高校の生徒は神の子扱いだし、生徒自身も自分の学歴と学力に対するそうした評価について一点の疑いも抱かず胸を張っている(なぜかまだ高校偏差値68くらいある)。
さて、この高校の学年上位1/3あたりの生徒は現役で青学や明治あたりに合格し、そのまま進学することになる(この高校は明治青学がやたら多い)。
と悲しみの進学と相成るところだが、この高校の生徒の場合は違う。
『素晴らしい名門である我が母校において、学年上位層をキープしてた自分が進学する明治大学、青山学院大学は凄いエリート大学だ!』
と当然に発想するので、彼らは胸を張って目を輝かせて明治や青学に入学することになるのだ。
この思い込みは強い。
落ちぶれてからとっくに30年は経っているカビの生えた県立高校に入学し、そのレベルの低い母集団で中の上をキープし、実力通りの大学に合格するだけで、
東大に合格したくらいの誇りや自己肯定感を得られるも同然なのだから。
俺が新卒で入社した大手金融機関の同期に、『この高校→明治や青学に現役進学』という典型的な経歴の持ち主がたまたま3人もいたのだが、彼らはやはり高校以降の自分の経歴、人生を誇っていた。
大手金融といっても東大の新卒なんぞ滅多に入らず、日東駒専卒からトータルで軽く2桁人数は入社するような程度の格の企業だったけど、
やはり『誇り高き彼ら』は自分の人生の栄光を疑わなかったし、そんな自分が入社した会社は泣く子も黙るエリート集団だと当然に思い込んでいた。
自分の将来を案じて卑屈な発言を繰り返す慶応経済(体育会運動部)出身の同期の嫌味やネガティブ発言や諫言を全て「わけのわからないノイズ」とばかりに余裕でスルーし、
彼らが相変わらず強がりではなく本心から勝ち組を疑わない様子見て、
ただ、旧制中学ルーツの落ちぶれた県立名門高校に入学するだけで良いのだ。
地元の人間なら老いも若きも崇め奉ってくれて、同級生も勘違いし続け、教師も誇りを抱くよう教育し、
やがて本人は労せずしてその高校発の過去の栄光を自意識下で体現することとなる。
そしてその効果は落ちづらい。