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はてなキーワード: 政治的な正しさとは

2022-08-04

ポリコレの真の意味

ポリコレポリティカル・コレクトネスの略で日本語だと「政治的な正しさ」と訳される。ここで注目するべきなのは政治的な」という部分だ。そうだ。政治的なんだ。どこまでいっても政治的倫理的に正しいわけでも絶対的に正しいわけでも世間的に正しいわけでもない。あくま政治的。どういう為政者権力の側にいるか。それでポリコレ時代によって変わる。例えば日本戦時中敵性言語排除なんかもポリコレだ。ストライクボール!と言うと攻撃されるのは完全にポリコレであるそもそもポリコレというのはナチスヒトラー旧ソ連スターリンが好んで悪用していた概念である。気に入らない言説を全てポリコレに反するとして幾千もの書物を焼いたし人間を焼いた。君たちが普段軽々しくバカにしているポリコレは実は非常に怖いものだ。ポリコレは全力で排除しなければならない。

2022-07-18

ポリコレ叩きが苦手

ポリコレ叩きが苦手だ。昨今はスーパーマン新作の主人公バイセクシャルだったり、ガンダム新作の主人公が色黒の女性だったりとポリコレ叩きが盛んになっているが「いや、スーパーマンバイセクシャル何が悪いの?」「ガンダム主人公女性何が悪いの?」と思ってしまう。

もともと異性愛者だった主人公が突然バイセクシャルになったとかだったらおかしいと思うが、新キャラバイセクシャルなら何の問題もなくないか? 既存シリーズポリコレ要素を盛り込むなというのもよく分からない。ポリコレ関係なく時代に合わせて設定が変わっていくというのは当たり前のことだ。それがたまたま主人公バイセクシャルだっただけ。

ポリコレは「容姿性別人種セクシャリティ等での差別否定」「マジョリティだけでなくマイノリティ活躍させる」という政治的に正しい理屈なのに対し、アンチポリコレ政治的に正しい理由を唱えているのを見たことがない。「容姿が良い人の活躍の場を奪うな!」も一見それっぽい理屈だがいくつかの作品容姿の悪い人がキャスティングされたところで容姿の良い人はそれ以上に活躍の場があるのは変わらないしただの被害妄想だ。結局本音は「俺のシコれないブスやホモはいらない!」でしかない。そりゃ勝てるわけないだろうと思う。政治的な正しさと男のズリネタを天秤に掛けたら前者の方が重要に決まってる。

2022-07-14

ポリコレへの疑問

政治的な正しさ政治以外の領域にまで持ち込むのはなんでや?

2022-06-15

生物進化とか万年単位歴史とか見てると正義とかよくわからんくなる

俺がこうして言語ものを考えられてるのは政治的な正しさなんて存在しない時代適応できなかった奴が無慈悲に殺されまくった帰結なんだよなとか、

淘汰のない世界で生き抜いてきた生物脆弱さとか、

人類なんて億年単位で見たらどうせ滅びるよねとか、

氷河期とか来たら数十億規模で簡単人類って死ぬんだろうなぁとか

高度な社会性を持つけど滅びそうなボノボ線虫なら線虫の方が種としては優れてるよなぁとか、

絶滅なんて超絶あるあるなのに悪いことなの?とか

なんかいろいろ考えちゃう

2022-05-08

「○○の女性比率」みたいなのが問題になる業界とならない業界って何が問題なんだろうな

政治家やら大企業管理職で男女比に偏りがあると政治的な正しさの元に是正せねばってなってるけど、

ブライダルプランナービルメンの男女比にめちゃくちゃ偏りあっても「それが政治的に間違ってる状態」とは多分言われないんだよな

ゴリゴリ肉体労働みたいなのはともかくとしても、この中で問題提起される業種・職種とそうじゃない法則ってなんだろうか

って紐解いていくとまあ多分正しいみたいなニュアンスとはかけ離れてる原因が出てきそうな気がするけど

2022-05-03

今のリベラルって『反本能主義』という思想に近くないか

女性が厳しい競争を避けて能力のある男に扶養されたいと思うのも、

男がなるべく若くて成熟した女性と結ばれたいと願うのも、

そんなもの本能として当然の帰結なのに、「そうじゃない人がいてもいいよね」じゃなくて「それはステレオタイプで正しくないことだ」とまで断ずる今のリベラルは反本能主義とすら言える思想ではないだろうか

政治的な正しさの末に少子高齢化による社会崩壊や種としての断絶のリスクがあるとしてもイデオロギーを優先するっていうのはもはや宗教原理主義者に近しいものではないだろうか

2022-04-25

anond:20220423113540

ジェンダー観や人権意識が完全に現代化された作品が叩かれてる。

なぜか?

異常性癖キモオタ独身男性(レイプ願望あり)(と信じてる存在)がジェンダー的、政治的な正しさを取り入れ、自分たちよりも先進的な創作物を世に送り出してる現状を認めたくないから。認めたらジェンクレ達は拠り所がなくなるから

からどこにも書いてない「痴漢行為ガー」「レイプ願望ガー」「女性のモノ化ガー」と喚き散らして真相を隠し続ける。

2022-03-29

関係ない、それ発達障害関係ない

なんでも自分の駄目なところを発達障害のせいにすんな

発達障害から建前と本音政治的な正しさ、これがあまりにも現実から乖離していると建前ばかり正しいとする人間我慢できなくなるんだよね

本音で生きてる人潰してしまってる状況に

ひとつ思想に過ぎないはずの建前を、全員に強制しようとする姿に対してね

こういうこというバカに限って自分の考えに過ぎない妄想他人押し付けようとしてひんしゅく買ってることには無自覚

2021-12-09

anond:20211209042636

知力は努力でなんとかなるっていう政治的な正しさがあるよね

真実努力でなんとかならない部分もあるよ、なんだけど

2021-11-01

将来、「政治に殺されないため」の総選挙だった

40代民間企業研究者だが、今回の選挙は「政治に殺されないための選択」だったと思ってる。

ただの民間人なので、自分の専門領域以外で確信をもって要求に応えられる事柄は少ない。

外交安保ジェンダー、さまざまに議論されている話題に関しては個人としての希望意見はありつつも、何が正しいと言えるものでもないとも思う。

従って、野党側の政策全面的批判できないとも考えていた、だが、コロナ対策に関してだけは違う。

比較的、自分の専門に近い話だけに、コロナ対策感染症対策は「治療薬の安定供給」「ワクチン接種」「医療体制の確保」以外の正解は存在しないと断言できた。

検査や、ロックダウン緊急事態宣言)、マスク義務化、などの措置は、感染拡大傾向への予防的対応になるだけで、感染症のものへの対策にはならない。

ロックダウンは同時に経済への影響も大きく、経済の事も考えつつ判断しなくてはならない事が世界中問題になり、それぞれの国で違いになっているけれど、

治療薬の安定供給」「ワクチン接種」「医療体制の確保」を重視しない国はない。

コロナに関する判断ミス自分家族の命に直結するだけに、「政治家に家族を殺されない為に」、ワクチンに反対した立憲民主党ではなく、推進した自民党を選ぶしかなかった。

今でも立憲民主党への信頼は、俺の中ではゼロだ。別の同じ様に重要局面で、彼らが国民を殺す判断をしない理由が見当たらない。

感染症対策ではなく、安保外交経済対策、大規模災害対応で彼らが下す判断も、同じ判断から下されているなら、それは致命的な間違いを犯しているだろうと思える。

から、この先何度選挙をやろうとも「政治家族を殺されない為に」自民党を選ぶしかなくなる。

俺ほど強く拒絶反応を示してないながらも、近い感覚立憲民主党コロナ対応批判し、信頼できないと感じた人は決して少なくはなかった事が選挙で示されたと思う。

もしも立憲民主党が、信頼を取り戻したいと思うのなら、以下の事をやるべきだろう。

ワクチン特例承認反対は、間違いだったことを認めるべき

長妻委員(立憲)「日本人で、人種が違いますから欧米人日本人全然違いますから、効き方が。そうすると、第三相試験はすっ飛ばす、日本人に対する、そういうこともあり得るということなんですか、承認の前に。」

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009720320201111002.htm

天然痘インフルエンザの例を見るまでもなく、ウイルスに対してワクチン治療薬は、どちらが欠けても抑えることが出来ない重要武器だ。

製薬会社日本国内感染状況から十分な治験が出来ない状態にあり、同時に海外では既に承認されているという状態であれば

海外で認可された治験データ審査して、可能ならば認可すべきなのは明白すぎるほど明白だった。

もしもワクチン接種が半年遅れたらどうなったか?特例承認に反対したことは、コロナ禍で政権を担う能力を持たない事を証明してしまっている。

自分たちの判断の拙さを認めて、政権交代後は上昌広などではなく、これまで最前線で闘ってきた科学者を引き続き信任することを示すべきだっただろう。

病床確保前に、検査拡大を訴えた事が間違いであることを認めるべき

「国が直接乗り出すならば、むしろ検査の拡大に乗り出すべき」ワクチンの大規模接種センター設置に枝野代表 2021年4月28日

https://cdp-japan.jp/news/20210428_1284/

8月には病床はひっ迫していた。毎日5000人程度の感染者が出るだけでも、東京パンクしている状態だ。

感染拡大だけでなく、補助金を出しても、補助金分の病床を医療側で用意しないとか、感染症指定2種用の病床を作ることの難しさなどの問題もある。

だが、努力が実らず十分な病床を確保できてなかったことは自民党失策だ。その点は批判されていい事と思う。一方で、振り返って、もしもPCR検査を行いまくっていたらどうなったか?を考えれば悲惨だ。

当時の入院基準であれば、偽陽性が出たり、軽症者が多数出たりで、病床を圧迫してあっという間にパンクして、コントロールを失い死者を多数出すところだった。

これは専門家の指摘するところでもあったはず。この判断の間違いを認めてほしいし、何でこんな間違った判断が出来たのか説明して欲しい。

ワクチン接種促進策を批判したことが間違いであることを認めるべき

菅義偉首相新型コロナウイルスワクチンの大規模接種センター東京都に新設するよう指示したことについて「唐突感がある」と批判した。

https://www.sankei.com/article/20210427-V7V3OUHIORO7LKBP77OP6AM6I4/

ワクチンを打っても感染の広がりを抑えられるかわからない

現役世代は年内にワクチンを打ちきるような状況ではない

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20210527-00240088

既に知られているように、1日100万回接種も年内に集団免疫成立するだけの接種率の到達も達成できた。

ワクチンが全てではないが、現在感染が抑え込めている理由の一つにワクチンがある事は明かだし、そうなるという可能性は集団免疫理論から高かった。

1日でも早く国民の7割くらいには打ち終える日を迎えるべきであったことは、接種開始した日から分かっている事であるのに、これに反対していたことはあり得ない。

もしも未だにワクチン接種率が30%というような状態であれば、もっと感染者や死者は増加していただろう。その中の1人が自分家族でないという保証は誰にもできない。

政治的な正しさの為に俺や家族の命を犠牲にはしない。

政治家の不正汚職問題であるとか、弱者保護大事であるとか、貧困問題解決すべきとか、誰かにとって正しい結果は、それ自体大事なことだと思う。

だが、その為に誤ったコロナ対策によって自分家族を殺されるならば、選ぶことは出来ない。今回は、選択次第では政治家に家族を殺される未来を恐れる選挙だったし、この結果にはホッとしてもいる。

この先も、「政治家族を殺される」未来回避する姿勢は変わらない。だからこそ、立憲民主党共産党政権交代をと望むであれば大きく変わるべきだ。

多数の国民犠牲しかねなかった判断の過ちは、別の問題が起こった時に繰り返される事だけは分かってる。

もしも変わらないのであれば、間違えようがない判断を間違えた立憲民主党を、俺は信頼できないままだし信頼する理由もないだろう。

まずは党首を交代して、過去の過ちを認める所から始めるべきではないか国民の命を守る事を担うに足る判断力を備えていることを示されない限り選択肢には上がらない。

2021-10-17

完璧でないものムカツク」という動物的な感情について自覚しろ

『Q.なぜルール(だと自分が信じているもの)を守らない人に対して苛立つのか?』

この設問に対して多くの人間はあーだこーだと理由をつけて自分政治的な正しさ義憤正当性を主張する。

しかし違うのだ。

本質は極めて感情的なところにある。

完璧でないものムカツク

この感情を誰もが持っている。

その上でそれに対してのカウンターウェイトである完璧でなくても意外となんとかなる」を個々人毎に調整しているだけだ。

潔癖症という病はこの「完璧さに対する執着」が肥大化した病だと言われているが、実際には真逆で「完璧でないことに対する許容」の感情が萎縮したことによる病なのである

完璧でないことに対する苛立ちの感情は誰もが非常に強烈に持っており、生まれつき欠如していても言語などを学習する過程で強力に植え付けられる。

1が2ではなく1+1は2になるということに対して曖昧さの介入を許さないという感覚を持っているからこそ我々は言語理論を数多く習得し操ることが出来ているのだ。

こういう話をすると「それは『完璧でなければいけない』という脅迫観念であって、ムカツクという感情ではないのでは?」と考えるものもいるだろう。

その疑問は正しいが、結論としては誤りである

強迫観念が植え付けられているということは、それに逆らうもの出会った時に精神不快感自動的に出力するということであり、不快感を感じれば人はそれを苛立ちの感情として抱え込むことになるのだから

かに完璧でないものを見ると不快感を覚える」と言った方がより正確なのかも知れないが、結果的に出力されたものを「完璧でないものを見ると苛立ちを覚える」であり、それはすなわち「ムカツク」なのである

これはもう学習されてしまった感情様式であり、人間的な思考感情を持つための回路に何度も深く刻まれしまっている。

あとから抜き出そうとすれば全てが崩れ去ってしまい、そのもの言語体系すらも曖昧で本人にさえ理解できないものとなるであろう。

完璧であることに対する強迫観念」とはすなわち人間人間たらしめるための器であり、同時にその器を形作る物質のもの人間にとって毒なのだ

自分たちの精神思考を構築する骨組みの中に毒物が混じっていることに対して我々は自覚的になるべきだ。

完璧でないものムカツク」という勘定から背を向けてアンガーマネジメントを学ぼうとしても無意味だ。

自分にとって完璧とは言えないものにぶつかった時自動的に苛立ってしまうということを受け入れるしか無いのだ。

まり、毎度毎度苛立ちに対して精神を抑え込むという面倒臭さを受け入れるほかないのだ。

ここから目を背けたアンガーマネジメントは皆無意味である

2021-04-20

政治的に正しいということ

たとえばこんな言葉を考えてみよう。

社内政治的に正しい」

「党内政治的に正しい

派閥政治的に正しい

.

.

これらが本当に正しいと思うか?言うまでもなく、まちがっていることをことさら正しいと言うと有利になるよ、という意味言葉だ。

ほんとうは間違っていることを政治的理由で賛美するときのことばだ。

.

.

じゃあ世に言うポリコレ政治的な正しさというのはどうだろう。

冠詞を略しただけで、ほんとうに正しいことを指していると思ってくれる人がいるのだからちょろいものだね。」

彼らは、あくま自身利益に沿って動いている。

関心のない相手を楽しく殴ってそこに正義お墨付きがつくんだから、こんなにいいことはない。

ポリティカル・コレクトネス政治的な正しさとは、いじめ犯罪者にとっての正しさという意味なのだ

2021-03-13

寿司の国」発言は時と場合によっては、差別感情が元かもしれませんよ、日本人にはピンとこないかもだけどそういうときもあります

ぐらいで済ませておけばまあよくわからんけどそういうこともあるんかなぐらいには理解するけど

寿司(や寿司職人)なんぞを良いものと扱う日本人感覚海外では理解不能!それゆえ差別問題日本人理解できない!その態度が反ポリコレ!」

とか言われたらそりゃえええ・・って気分にぐらいなるわ、ってお気持ち


そんでもってそういうのはドイツ語冠詞にまつわる知識が云々だって同じ話なわけで。

日本人ドイツならではの文脈とか、ドイツ語原文での意味理解できない人が多いのはある程度は当たり前の話ではないかと。

それが直訳だけではなくて特定実況者への好悪感情を含めた意訳のようなものになれば尚更なわけで、

その事実自体ポリコレ違反のように扱うのはそれこそ「配慮が足りていない」にならないんかと疑問に思うわ、と。

別にそういう「知識不足」を単純に知識不足として、頭が悪いとかアホとか叩くのはわかるんだけど、

それと政治的な正しさ積極的に反抗してるかどうかをごっちゃにしないほうがいいんでないかと思うんだよな。

2021-03-07

WHOが少し言ってた「国際的ワクチン争奪競争が始まってるけど先進国自重しろ」って意見全然まらいね

日本なんて大した切迫感ないだろうに、ポリコレかにご熱心な政治的な正しさを求める層は何をしてるんだろうか

2021-01-26

理解ある彼くん現象』とは、実は非常に残酷な加害の実態ではないか

理解ある彼くん現象とは、精神疾患引きこもり等の女性が『女性の生きづらさ』『困窮した状況から立ち直った方法』をテーマに描いたコラム漫画の中で『理解ある彼氏』が最終ページ辺りに唐突に登場し、男性パートナー経済的精神的な支えによっていきなりすべての問題がなんとかなってしまうというある意味デウス・エクス・マキナ的な超展開パターンがあまりにも多いため、皮肉嫉妬を込めて『理解ある彼くん現象』とか『そ理彼(そんな私にも理解ある彼くんがいますの略)』などと言われるようになったネットスラングである

逆に障害者引きこもり男性人生にこのような『理解ある彼女』が登場し経済的精神的に支えられ人生におけるセーフティネットとして機能するケースはそ理彼に比べると極めて稀で(健常男性だったパートナー結婚後に鬱病発症したケースや数十年前の国民皆婚時代の話であれば例外的にないこともないが)、自由恋愛化した現代日本においての生まれながらの性的価値の差による男女の非対称性象徴としてよく扱われている。

また、男性自殺率などを持ち出し『男性女性どちらが本当の弱者であるか』というテーマ議論でもよく議題に上がる内容だ。

ちなみにこれは『無能世界』の男女の対比の話であって、例えばそこそこ良い大学卒業していたりコミュニケーション能力が高かったりと男だろうと女だろうと現代社会就業恋愛結婚特に困ることのないような五体満足の男女とは全く別次元社会問題であることは予め頭に入れておいてほしい。

解説するが、理解ある彼くんの正体とは『一応定職にはついているが健常者の女性相手にされなかった冴えない非モテ男性』のことである

恋愛競争に敗北したチー牛顔の彼らは『無職障害者メンヘラ女性を養う』という戦略を取ることでギリギリ境界恋愛競争に振り落とされないように必死にしがみついているのだ。

男としての性的魅力は低いが『優しい』『メンヘラ相手でも面倒を見れる』『嫁を養えるレベルにはまともな経済力』という属性たまたま彼女らのセーフティネットとしてマッチングし、双方の妥協と打算の歪な結果生まれたのがあの物語なのだ

しかし、この構図は同時に、後世の男性に対する重大な加害行為ではないだろうか?

この漫画で描かれる多くの『性を売ることでしか生きていけない無能女性』というのは、言い換えるともし彼女たまたま男であれば生きていけない人間だったということだ。

この『性を売る』というのは売春行為だけでなく当然恋愛での優位性を利用して婚姻等の社会制度の中で『理解ある彼くんに面倒を見てもらう』ことも含まれる。

男性パートナー依存して生きていくということは、大人として成熟していけば結婚出産などのイベントからは多くの場合逃れられないだろう。

そして、精神疾患発達障害などは高確率子供遺伝してしまう。

私が『理解ある彼くんに支えてもらいか弱い女性幸せになったお話』を見たときに一番違和感を感じるのは、彼女らの間に生まれるかもしれない男の子、つまりは不幸の再生産による後世の男性に対する加害行為があまりにも見て見ぬ振りされすぎではないだろうか?という点だ。


生活承認のために様々なものに目をつぶって『ただ女だから生きていけた無能女性』が『男だというだけでは生きていけない無能男性』をこの世界に生み出すことはあまりにも残酷ではないか

生き方多様化した現代社会、中には「私は理解ある彼くんと無能女性の間に生まれ性的弱者無能男性であるが、それでも趣味宗教に打ち込むことによって幸せ人生を送ることができた。」というような男性も、ミクロレベルはいるのかもしれない、だがそんなレアケースが生まれることを期待して恋愛生殖のような生物としての根源とも言える選択肢を生まれながらにして当人意思とは関係なく奪われた弱者を生み出すことは果たして人道的であろうか?

Twitterなどで男女論で議論しているフェミニストやこのような論説に異を唱えているアカウントを追っていると、(勿論漫画化などされていない)暗数も含め『無能女性理解ある彼くんと結ばれることで不幸な人生を歩むであろう男の子生産する』パターンはかなり多いように見える。

現代発達障害者の男女の生涯未婚率などを比較すると、統計としてもより顕著になるだろう。

しかすると、この歪な関係の男女の間に生まれてくるのが運良く女児である可能性もある、その場合、その娘は母親と同じように将来『理解ある彼くん』を生やすことで幸福承認を掴むことは可能なのかもしれない。

しかし、結局は彼女の子から男の子が生まれしまうまで問題を先送りするだけのことだ。


弱い男性恋愛人間関係の中で淘汰され苦しまざるを得ない現代構造は誰が悪いという話ではない。

それが自然の摂理、といえばそれまでだし、ほぼ全国民見合い結婚をしていた数十年前の方が生物としてはおかしかったのかもしれない。

これは黒人奴隷制昭和時代女性蔑視な法体制のように国家による責任でも、ましてや『彼らを選ばなかった女性』の責任でもないだろう。

国民自由を与えた結果、たまたま彼らは選ばれなかっただけだ。

LGBT黒人のように歴史的道徳的優位性もなければ、彼らは被害者ですらないだろう。

しかし、そんな歴史の都合は本人達の苦しみとは何一つ関係ない。

100年前であれば、現代では考えられないような碌でなしの男ですら皆何も考えず結婚できていたのだろう。 労働者階級農民中心の時代では、現代では無能扱いされる彼らも無能ではなかったのかもしれない。

もっと昔の狩猟時代であれば、生きることに必死でこんなことは考えすらしなかったのだろう。

たまたま時代自己存在ミスマッチしてしまった不幸な存在現代無能男性なのである

社会自動化が進み労働環境は複雑化し続け、教育費は高騰。経済格差は今後も広がり続ける。

無能社員を雇い続け海外からは『日本式経営』と揶揄される現代終身雇用形態合理性のもといつ終焉を迎えるのか誰にもわからない。

きっと無能男性に対して厳しい社会は今後も長い間続いていくのだろう。

社会が形を変え、自殺率幸福度が更に悲惨状態になり、無能世界の男女格差がどれだけ広がっても、きっと彼らは被差別階級にすらなれないのだろう。

情報化によって無能な男がどんな惨めな末路を辿るのか、現代はこんなにもはっきりと知ることができてしまう。

今の世界は、無能な男が笑って胸を張って生きていけるほどまだ優しいものではない。

政治的な正しさなんて概念も、そこまで万能ではない。 『多様性』なんて甘い言葉にきっと苦しむ彼らの存在は含まれていない。


この主張は恐らく優生思想に近いものだ。

現代における政治的な正しさにおいては「どんな人間であれ恋愛生殖権利はあるし、か弱い彼女らがパートナーに救済され子供を持つことは何一つ間違っていない」という主張の方が圧倒的に正しいのだろう。

しかし、どんなに取り繕っても現代自由経済・自由恋愛社会というものは性淘汰と優生思想の理のもとに機能していて、結局は彼女らの救済の物語とは性淘汰の苦しみを後世の男性にすべて押し付けているだけではないだろうか?

の子供というのは親にとっては可愛いものだ。 それは多分、種としては出来損ないの息子であったとしてもだ。

理解ある彼くんと無能女子との間に生まれてきた子供存在意義を無理やりこじつけるとすれば、それはきっと弱い女性と冴えない男の人生に多少の彩りを与える愛玩動物なのであろう。

彼らの存在は、さしずめカップルが寂しさを紛らわすためにペットショップから貰ってきた去勢済みのポメラニアンと何も変わらないのだ。

悲しいことに、愛玩動物として生を全うするには人類は幾分賢すぎる。

生きるも、死ぬも、本人の選択だ。

しかし、生まれてくることだけは本人の意思とは関係ない。

もし今後このような物語を見たとき、少しでも思い出してほしい。

か弱い女性が『理解彼くん』に救われた明るい物語の陰には、その皺寄せにより生涯苦しみ抜かねばならない後世の男性いるかもしれないことを。

か弱い彼らの人生幸福を。

2020-12-30

お母さん食堂

お母さん食堂、というネーミングがまあ荒れに荒れている。

「お母さんという言葉に、無意識のうちに料理を作らなければならない人としてのジェンダロールを強制する働きがある。表現を改めるべきだ。」というのが要旨である

私は正直なところ、この指摘は充分受け止めるべき意見ではあると思う。人のあり方の多様性が叫ばれて久しい昨今、たしかにそういう側面がこのネーミングには感じ取れないことも、ない。

けど、なんか、違うのだ。その議論もっと高尚なところですべきで、言葉狩りのようになってはならないと思うのだ。

本質役割の押しつけの解消で、気に食わないもの排除では無いはずだ。

ただ、否定しようとしても、先方の論理はかなりしっかりとしていて、こちらの反論感情的ものであるから、かえって相手意見の補強になる。

(実際に「いやカントリーマアムとかあるやん、別にいいやん」みたいな反論に「それらも変えるべき、問題提起きっかであるだけ。黙殺する風潮を作るな」というような反駁があり、なるほど確かになぁとなったりした。)

一応私なりにも反論を試みたりはした。

そもそもこの「お母さん」のニュアンス母性とかその辺に由来するものだと思う。授乳に始まる母親から食事供与人間のみならず広く動物に見られるし、その過程で獲得した母に対する安心感無意識のうちに想起させるものなのでは?

お母さん、としてでは無く「その人」としてらしくあろう、そのためには役割を課してはダメだよね、ならば、「お母さんとしての私」を拠り所とする人は否定していいの?

しかに前時代的な考えかもしれないけれど、前時代的な考えにすがることは間違っているの?



これが私の、精一杯の反論である


少し話が逸れるけど、こういうポリコレ的な話ってかなり気をつけて発信しなければならないはずなんだけど、否定肯定派ともにそれが欠けている気がする。

社会的に認められていたかつての「正しさ」がどんどん力を失って「正しさ」が曖昧になってきた時代

多分今の時代お題目としては「多様性を認め合い、個々人の中にある正しさを尊び、大切にしましょう」ってところだと思う。これには私も賛成だ。

けれど、最近話題になるものはどれも「これが今の正しさ!そぐわない考えは悪!その考えを捨てきれない民衆社会も悪!」みたいなのが、多くない?と思う。


ポリティカル・コレクトネスあくま政治的な正しさである

差別偏見によって不当な扱いを減らすべきなのは当然なんだけど、個々人の価値判断とかその辺まで「正しさ」を強要できるほどのものではなくない?

というか、それをしてしまうと出発点である多様性」とか「価値観の押しつけから解放」とかに矛盾しちゃわない?

っていうのがずっとある。これじゃあポリコレ的に悪とされる前時代的な価値観社会体系そのものじゃん。

具体的に言えば、ジェンダーとしての女性ジェンダーとしての男性は、尊重しなくていいの?みたいな表現とか、よく見られる気がする。他にもある気がするけど、ここではあげないことにしておく。


ともかく、「お母さん食堂」というネーミングに対するアクション、私は反対である。「お母さん」という言葉の中にある温かみは「お母さん」にしかない。

尊重すべき価値観、信念とその手段が入れ替わってしまったら良くないよね、というお話でした。

2020-11-15

anond:20201115171959

そらそうやろ。

政治的な正しさを求める先進国出生率は落ちるばかりで、人間的な道徳ではなく宗教レベルで染み付いた価値観人口を増やしていくムスリムけが拡大を続けている。

どう考えたっていずれは立場が逆転するわ。

道徳的だろうが公正であろうが単純に人口の維持に不利な価値観いつまでも残るはずがない。

2020-08-24

anond:20200824161712

株主でも経営陣でもない

単に病人をそれを原因として叩くのはそもそも倫理に反してるってだけ

政治的な正しさ放棄するなら正義面しないでテロリストでも自称すべし

2020-08-15

「女は男より無能から保護しなきゃ」は駄目で「高卒大卒より無能から保護しなきゃ」はセーフ

分からん……

私には君たちのいう政治的な正しさというものが全くわからない。

2020-08-01

ポリコレ大粛清スターリン

ポリティカル・コレクトネス政治的正しさ皮肉にもこの言葉1920年代社会主義社会で好まれて使われたものだ。もしくはそれらの社会批判する際に使われたものだ。

ヒトラーのアーリア至上主義ポリコレだと批判された。スターリンは反対者をポリコレじゃないと大粛清した。

ポリコレ絶対的な正しさではない。政治的な正しさだ。文字通りに捉えればその社会において主流な政治的スタンスにおいて正しいか正しくないかということを表すにすぎない。

事実現在西側諸国で猛威を奮っているポリコレ皮肉にも1920年代回帰してしまっている。よりインクルーシブな社会を作るという高尚な思想がいつの間にか排他的暴力者達の武器になっている。

blacklist/whitelistやmaster/slaveが黒人差別用語だなどと嘘を言い、それに従わないもの排除される。スターリン粛清と何が違うのかな。ポリコレクン、君はどこまで。

2020-07-14

陵辱もの好きな独身オタクだけど

「女も男もそれ以外もオタク非オタクも読んでいってくれないか」(anond:20200714091214)に答えますね。

男の子小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。

自分の子時代を考えてみると、小学校低学年のころに、うちに遊びにきた友達がどこぞで拾ったと思しき女の人の肌色が非常にカラフルなお雑誌を持ってきたことがあった。それは祖母に見つかり、後日学校女教師に呼び出され「そういうのはいけないんだよ」という丁寧な説明を受けた。私は自分が何を見ているのかも何でお説教(いやすげえ優しい口調だったが)を受けているのかもわからずどちらの場でもポカンとしているほかなく、当然私の小さなちんちんは勃ってはいなかった。

それが中学生になるとエロ本の回し読みなんぞをしてシコシコするようになるわけだが、男どうしの会話とはいえまりに露悪的な嗜好の持ち主だとなかなかそれを表には出しづらく、いろいろな作品が収録された短編集や雑誌のうち1本に陵辱ものが混ざっていれば欣喜雀躍、結局のところインターネットで陵辱ものが好きな同士にたくさん出会えて、同好の士ネット上にはたくさん存在していることに気づけて安堵したりするわけである

から元増田が挙げた、モブレやら体調不良やらでキャッキャウフフする若き腐女子たちには、素直に羨ましさを感じる。自分の好きなオカズを同年代友達と共有する経験なんて私にはなかった。同好の士はいつもネット上の見知らぬ誰かで、彼らと会話を交わしたことなんてなかった。自力で探しだしたエロ画像はあっても友達と本当に好きなオカズの回し読みなんてできなかった。私には彼女たちがまぶしく見える。

レイプされて虚ろな目になってる女の子いいよねー」みたいな会話をリアル思春期男子あいだでやったらドン引きされるだろうし、モブレでキャッキャウフフしている女子たちもおそらくリアル友人とのあいだでそんな会話はできないだろう。あくまでもネットで同じ趣味相手を探して語り合うくらいは、男も女も別にいいじゃないか。私はそんなふうに語らったことはないので、語らえる子たちの気持ちはよくわからないのだが……

で、倫理についての話。

正直、あまり心配しないでいいと思う。というのは、陵辱もの好きな男として断言するが、私は自分がそういうものが好きな傾向があると自覚した幼き日から今日までそれを現実にやっていい行為と誤認したことはただの一度もない。当たり前だ。嫌がる女の子を拘束して猿轡噛ませて犯す、この過程がどうやれば合法倫理に則っていると勘違いすることができるのか。現実にやったら犯罪であり、被害者を苦しめる外道行為であることな自覚している(いや苦しんでいるから興奮するんだけど)。だから漫画に頼るのだ。

ここで勘違いするようなやつは、はっきり言って元々倫理観がぶっ壊れているのでゾーニングがどうこうの話ではない。エロが綺麗にゾーニングされていたとしても別のやらかしを犯すに決まってる。

からモブレだの殴られるだの飛び降りだの、露骨倫理に反する表現はむしろ安牌に近いだろう。だって推しが殴られているBLを読んで、そうか、男を殴ることは倫理に反してないんだ! って勘違いちゃう小中学生なんている? いないでしょ。仮に勘違いちゃう子がいるなら、それはもうBL責任どうこうじゃなくて本人にマトモな倫理観が備わっていないことの表れでしかない。そういうやつはBLがなくても別のことをやる、絶対にだ。

危ないのは、むしろ一見して倫理に反しているとは思えない表現の方だろう。

男向けのエロ表現が「現実に影響する」として近年問題になっているのは、陵辱やロリペドではなく、むしろ和姦もの表現だ。たとえば、ガシガシ手マンすれば女は喜ぶとか、感じたときには潮が吹き出す、とかそういう演出だ。AVを見て「そうか! こうすれば女は喜ぶのか!」と勘違いして彼女に同じことをやって性器怪我をさせる男というのは一定数いて、こちらは性交の実務に携わる人たちの間では問題視されている。はっきり言って一部の頭でっかちフェミ連中が陵辱ものやらロリペドやらで騒いでいるのは頭がどうかしているとしか思えない。そんなのが現実に影響するなんてのはごくごくレアケースであり(ないとは言わない)、本当に問題なのは、こういう善意による勘違いだ。

これをBLに当てはめて考えるとどうか。危ないのは、むしろ増田のような思考ではないか増田は、「政治的な正しさポリコレに照らし合わせて考えること」が重要であると主張している。しかし、本当にポリティカリーにコレクトなBLを目指すなら、女が創作していたり、作中のゲイたちが差別を受けずのびのびと暮らしているだけでポリコレ的な問題はらむのだ(anond:20200712223432)。露悪的な嗜好の腐女子たちは自分たちが倫理に反していることなど百も承知だろうが、増田のように倫理を重んじる腐女子は、果たしてそのあたりに自覚的だっただろうか? 結局のところそれは「多数派の考える倫理」に過ぎず、勘違いした善意性的少数者押し付けているだけになってはいないだろうか?

「うるせえ自由創作させろ」ってさあ…ねえ、まだ十数年しか人間社会を知らない子たちがそれを見てるんだよ。

センシティブな話をまるで少女漫画定番展開みたいに消費してるんだよ。やめてくれよ。

たかが十数年、されど十数年である。十数年というのは、他人強姦してはいけないとか、他人を殴ってはいけないとか、そういう規範を育むには十分な時間だと思うし、十数年も生きていれば支部ゾーニングかいくぐる技術くらい身につけるものである

積極的子供たちにセンシティヴな創作を見せびらかしていくべきとは思わないが、小さな人たちが自分でセンシティ表現積極的に触れようと思ったら、表現者の側でそれを阻むことなんてできない。だからまあ「うるせえ自由創作させろ」でいいんじゃないでしょうか。男向けのゾーニングはそういう発想で動いているように思う。子供の前にわざわざ出したりしないけど、子供自力でたどり着いた分にはニヤリと笑って不問に付す、的な。あれだ、一種通過儀礼だな。

あれ、「オタクだけど」と名乗った割にオタクとは関係ない話になっちゃった。だからオタク関係ある話を最後にしておくと、ワイ好きな作品エロ同人ってほとんど買わんのよね。好きな作家さんがエロを出したら買うけど、基本的には全年齢向けのプラトニック恋愛ものとかギャグものとか日常ものを買って読んでる。だっていちゃラブじゃいくらガッツリ性交描写されても私は勃たないし、私が勃つようなひどいプレイを好きなキャラ相手にするのなんてひどすぎてかわいそうで見ていられないし、ということでエロオリジナルに限りますね。思い入れのない架空人物ならいくらでもかわいそうな目に遭わせられて最高。だから好きな作品エロ同人買ってNTR掴まされてキレてるオタク気持ちはよくわかんない。エロ同人を買わなければNTRを掴まされることもないのでは……? なぜ好きなキャラエロを読みたがる……? というか和姦ものを買う以上一定NTR掴まされることは覚悟しておくべきじゃない? ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開を日常的に掴まされているんだぞ! 安易レイプファンタジー蔓延させやがって! NTRくらい甘受しろや! あ、これただの八つ当たりだわ、すまん。

追記

Vtuber餅月ひまり見てる?

ゆにちゃん様は好きだけどひまりちゃんはそこまで好きじゃないんだ、すまんな(単に興味がないだけで嫌いというわけではない)

"ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開" わかりみしかない。少し理屈をこねると、加害行為被害者から肯定される展開は二重に正しくないだろって思う。

いやそういう理屈は割かしどうでもよくて、心底嫌がっているのを無理やり……というのが良いのになんで途中から愛が生まれてるの? は? って感じで萎えしまうんや。萎え機序としてはメガネっ娘メガネを取るアレに近い、というかコスプレAV衣装を脱がすな問題と同じ。

この増田があげてる「陵辱で相手が受け入れちゃうケース」はよろしくないと思う(ただ現在ゾーニング対象になっているとも思う)。

なんか勘違いしてるかもだけど「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開に特化したゾーニングはないよ?

ゾーニングといっても色々あるわけだけど、たとえばpixivでは、性行為乳首性器の直接的な描写の有無でR-18かそうでないかが決まり、その中でグロやスカの描写があればR-18Gになる、という感じなので、いちゃラブ和姦でもモロに性器やら何やらが描かれてればR-18で、陵辱してきた相手を好きになる展開でも描写朝チュンなら一般向け。

「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開、個人的には別ジャンルということにしてほしいんだけど全部ひとまとめに「陵辱」扱いされてるのが現状だねえ。いずれおねショタとおねガキみたいにジャンル分化する日が来るんだろうか(でもこれは物語オチを明かすに等しい区分から無理だろうなぁ)。

で、勘違いされると困るので言っとくと、私がそういう展開を嫌いなのは暴力正当化しているからとかそういうどうでもいい理由ではなくて、単純に萎えからです。嫌がってるのを無理やり陵辱する展開が性的な意味で好きなのに途中で受け入れられるとドッチラケなわけ。

でも、それは私のちんこに反しているというだけで、そういう展開が正しくないってことじゃないからね。そういう展開が好きな人には私の好きな展開は刺さらないんだろうし、好みの問題であるものを正邪の話にしないでほしい。

増田は「表現による心的ストレス」という影響を軽視してるな。ホラーを見てトイレに行けなくなるのは皆通る道だ。フェミNTR嫌いの根幹はそこだし、オタク住み分けには賛同する。自由の代償は他人が支払ってるよ。

アホらし。ホラー見ておトイレ行けなくなるのもNTR掴まされてショック受けるのも自己責任でしょ(もちろん私が嫌いな展開の陵辱ものを掴まされるのも)。私もうっかり寝る前に『ゴーストハント』読み返しておトイレ行くの怖くなるときがあるけど、それはそんなのをそのタイミングで読んだ私の責任支部即売会エロ同人を漁るならNTR一定数混じっていることを覚悟すべきで、展開に怒るなら好きなだけ怒ればいいけど(作品disるのは読者の表現自由に属するので)そのストレス責任自分で負うべき。

自由表現して自由に手に取って自己責任で怒ったり傷ついたり笑ったり泣いたりすりゃいいんですよ。

みんながまともなら問題ないけど、こういう極端な設定の作品は「これは現実ではない」注意喚起一般には簡単に見えないよう棲み分け必須 澁澤龍彦とか

ばっかじゃないの。ガッツリ行為のシーンがある陵辱ものは当たり前だけどとっくにR-18で~す。R-18といっても広い世界なので、わざわざ「陵辱」とか「レイプ」とか「(自重)」とか「(自主検閲)」とか「(禁則事項)」とかそういう検索ワードを入れないと出てきませ~ん。あのさ俺が理想の陵辱ものを探すためにどれだけ検索ワードを工夫してきたと思ってんの?(血涙)

全然関係ないけど今テキトーに「R-18」で画像検索したらむっちゃBL出てきて草。R-18検索したら男向け作品が出てくるという先入観ある意味ジェンダーバイアスだよなぁ。

だるま、欠損好きの友人と比べたらセーフかと思ったけどそれはそれで感覚狂ってるな。ところでなるほどなあと読んでたらいきなりゴーストハントが出てきてビックリした

だるま、作中で切断される場合だと「その傷が塞がるまで何日かかるんだ?」みたいなことが気になってしまうんだよな(いや、包帯巻いてる場合が多いだろうけど)

ゴーストハント』は家人が寝静まって暗くなった家でうっかり読むとマジでいから困る。コソリが来るよ……『残穢』はおトイレ以前に家そのものが怖くなるからダメ(好き)。うっかり寝る前に『残穢』を読んでしまい家を焼き払いたい衝動に駆られたときは『営繕かるかや怪奇譚』で中和するのがいいと思いますそもそも寝る前に『残穢』を読むな)

中高生くらいの男の子に「正しい性癖とは何か」を教えられるのは同年代ホモソーシャルしか無い。ホモソを悪としか捉えられないフェミには都合の悪い話だろうがな。

「堂々と公言できる性癖」や「合法的に実行できる性癖」はあっても「正しい性癖」はなく、「公言するとドン引きされる性癖」や「実行に移すと犯罪になる性癖」はあっても「間違った性癖」なんてこの世にないんだよなあ。

女も男もそれ以外もオタク非オタクも読んでいってくれないか

連日、オタク女子増田ばかりがホッテントリに上がってうんざりしているところ申し訳ない。

オタク女子に関する話ではあるが、非オタクや男性意見も聞いてみたいので、良ければ読んでいってくれないだろうか。

発散ばかりで収束の気配もない、スタートもゴールも見つけられない私の話だ。

元々、同人誌即売会に数えるほどしか参加したことのない、爪先つっこんだ程度のオタク女だ。仕事子育てが一段落してちょっとばかしオタク女の世界に戻ってみた。唖然とした。


モブレとは、モブ(顔なし名前なし)キャラクターによるレイプのことである

体調不良ネタとは、キャラクター過呼吸嘔吐したりするのを楽しむジャンルである

オメガバースは…まあ話せば長くなるが性差別を美しく哀しく手軽に内在化した舞台装置である認識している。

がっつり挿入を伴うR18表現は鍵をかけても、これらは問題なしとして小中高生たちがキャッキャ騒いで、当たり前のようにネタとして消費してて、それがどうにも気持ち悪いというお気持ち表明をまずしておく。

男性向け作品は昔からレイプもの愛好者はそれなりにいたよね。モブかどうかはさておき、あえて汚いおっさん美少女を犯すシチュエーション定番ちゃ定番だ。それを批判したいとか微塵も思っちゃいない。公開する場所と人を選べばそんなの自由だ。女性向け作品の中にそういった傾向を匂わす作品が増えてきたことは「女性が性欲を持つのははしたない」とする風潮が薄れて男女の非対称性が薄れたという意味では歓迎してよい一面もあるかもしれない。それと、上記のように倫理的に正しくないとされる創作ゾーニングさえされれば楽しむ権利はあるべきだと私は思っている。男性向けは最初からネット上はともかく書籍映像作品ゾーニングが整っている部分もあるよね。女性向けも早くそこに追いつきたいね

男の子小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。

誰も傷つけない表現など存在しない。一家団欒で食卓を囲む描写さえ誰かを傷つける可能性がある。機能不全家族で育った人とか。一方で「豪雨による被害が続いている中で、七夕の星空を見上げてイチャイチャするネタ投稿するのためらうよね」と言う人たちもいる。ポリティカル・コレクトネスフェミニズムという単語概念うんざりしている人たちもたくさんいる。ああ、まとまりがなくて申し訳ない。

どれか一つだけでどうにかできる問題じゃない。全部必要バランスよくやろうよ。

「うるせえ自由創作させろ」ってさあ…ねえ、まだ十数年しか人間社会を知らない子たちがそれを見てるんだよ。

センシティブな話をまるで少女漫画定番展開みたいに消費してるんだよ。やめてくれよ。

人は変えられないか自分が変われって、この場合どのように適用すればいい?

はいはいお気持ちって言われたら、うん確かにお気持ちだね。ごめんなさいお気持ちです。

やっぱり女うぜえって思った人、ごめんね。うざくない女もたくさんいるよ。

どこを起点に、どこを目指して行けばいい?

これ読むといいよ!って文献とかあったらおしえてください。

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