はてなキーワード: 必然とは
とても共感があったので書いてみる。
妻:売れない絵書いたり時給10円くらいのクラウドなんとかの仕事で日中過ごす自称デザイナ、実質専業主婦。
内訳
正直平等とはいい難いのは数字が全部だと思うが、まぁしょうがないんだろうということで諦めてもいる。
最初の方はなんで何もできないのか不思議でしょうがなかったし、何度も衝突したよ。
試行錯誤しながらたどり着いた結果が妻は発達障害だということ。
3年かけて自覚してもらって、1年前に病院行ってようやく確定した。
単純にスペックが足らなかった。できない人にできないことを要求してた。
俺だって数千人の企業仕切れ言われたら無理だよ、そんなにスペック無いもん。
まぁ元増田の奥さんが発達かどうかはわからんけどさ、とはいえスペック差ってどうしようもないよ。
妻に優しくして全部やれって、まぁやれなくもないんだよな。
それで全部やってみせて、そしたら妻の尊厳はどこに行くだっていう。
うちなんて特に専業だし、収入も家事も育児もゼロにしたら完全にウンコ製造機だよ。
でっかいうんこできた、えらい!ってコウペンちゃんでも無理あるだろ。
俺は全部やってみせて穏便に済ますことが正解だとは思わない。
望むべくは人として尊敬できる妻であってほしいと願っている。
こっちも神様でもなんでもないただの人間だし、完璧である必然なんて無いんだよ。
怒っていい。意見していい。無理難題ふっかけっていいんだろう。おたがいさまだ。
ただし暴力は無しで。
裏世界ピクニックの原作が好きだ。洒落怖が好きだし、百合も好きだ。勘違いだと分かっていても「私のために書かれた」と思えるくらい自分の好みにストレートだった。
コミカライズも好きだ。『スパイラル』、『天賀井さん』の水野英多だ。さすがに原作に比べると……と思いつつも、おおむね満足できるものにしてくれている。
この先はただただアニメ版の内容について罵倒しているので、どうか原作を5巻まで買ってから読んでほしい。というか、原作だけ買って、この日記は読まないでください。
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原作は電子版の1~4巻の合本が1月17日まで1375円(1冊340円!)なので今すぐ読んでください。
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空魚が「人間!?」と口パクで喋る。何かおかしいな、と思った。
原作に当たると、“不意を打たれて、言葉が出なかった”とある。別に原作の一言一句まで覚えているわけじゃなく、「声を出して反応ならぬ反応をする、しかもその際頭が動く」というシーンに違和感があった。心理ネームを口パクで処理するのはアニメ的な演出ではあるので、目くじらを立ててとやかく言う場面ではないけど。
「人間です」というおうむ返しも微妙。人語を介しているなら人間だし、あるいはそうでなかったとしても判別はできないので、原作のとおり「生きてます」の方が自然。
私はなんとなく、人間、かかし、ヒトガタ・ニンゲン、ムーミンの「ニョロニョロ」辺りを混ぜたような見た目を想像していた。が、アニメだと『ハルヒ』の神人のようなデザインになっている。
自分の解釈が唯一の正解だ、などと驕るわけではないのでそれ自体は別にいいんだけど(神々しすぎて田んぼにいそうじゃないなとは思うけど)、『ガンバ』のノロイみたいになるのが残念すぎる。くねくねの怖さって、「不思議なものがいる」「不意に見てしまい、見続けてしまう」「その結果、壊れる」というものであって、「攻撃的な見た目の『敵』に攻撃される」というものではないと思う。『不安の種』みたいな「気持ち悪い」であって、「怖い」ではあってほしくなかった。
見返していると、冒頭から違和感に気付く。1カット目が「ウルトラブルー」なのだ。くねくねに当てられたファーストカットは、無力なまま死んでいくことへの恐怖が描かれているはずだ。それを「裏世界の深部」と表現するのは誤っている……というか、情緒を理解していない。
ここもひどい。原作にはこうある。“止まらない目眩の渦に呑み込まれるように意識が落ちていく。”
アニメでは、水たまりが突然深くなり、そこに溺れていくさまが描かれる。溺死ではなく、地面に足がつかず溺れるような描写はまだ、イメージ映像として理解できるけど、その次のカットが鳥瞰で、水たまりには誰もいない。つまり、本当に「落ちた」と表現している。
鳥瞰のカットに鳥子がいないのは、カメラ的に丁度切れているんだろうけど、切る意図が分からない。目の前で沈んだのなら助けられるけど、人がいることが見えないまま水たまりに呑み込まれても、動けないだろう。
このシーンは、完全なギャグだ。原作だと、「うえっ」と言い、舌を出すにとどまっている。今まさに敵に襲われている、という場面で、二人して背を向け、四つん這いになって吐き真似をしている(もしくは、ギャグ的な演技だが実際に吐いている)。リアクションが大げさすぎて、真実味が削がれている。
OPがCHiCO with HoneyWorksであることからも、また「ハヤカワ・ジュニア・ブックス」という新レーベルで原作1巻を刊行することからも、子供向けアニメとしての側面があることがうかがえるので、この「翻案」を悪いと言ってしまうのはよくないのだろう。
モノローグが少ないのもこのためと思われる。『鬼滅の刃』がアニメであそこまで子供から人気を得たので、子供向けに焦点を合わせるという売り方は間違ってはないと思う。それが裏世界ピクニックでやることなのかは疑問だけど。
これは原作を読み返して気付いたのだけど、原作だと水たまりに嵌りそうになっている。これは最初から嵌っていた空魚との対比であり、ある種、「助け合うことでイーブンになった」と読み取れる。
アニメでは崖から落ちるよう改変されている(一応、その下に水たまりはあるのだけど)。何故こう改変したのかというと、「滑る」「滑り落ちる」ことを分かりやすくビジュアル化したかったのだろう。子供が見ると定した場合、アニメ版の描写の方が分かりやすいだろうし、これに関しては一概に悪い改変とは言い切れない。
ちょっと、絶望的な始まり方だった。まんま原作と同じ流れだ。小説は受け手の想像力に依存するのである程度場面を飛ばしても問題がないけど、映像化するのならその辺はちゃんと補完してほしかった。
前述のとおり(というのは私が勝手に思っているだけなので見当違いかもしれないけど)、モノローグが大幅にカットされているので、余計に理解しづらくなっている。
六面体のアップ→OP→走る二人という唐突な場面転換ののちに、埼玉の大宮のロケーションが映し出されるが、不自然に人がおらず、そこが表世界なのか裏世界なのは判別がつかない。無意味に確定できない情報は視聴者を不快にさせるので、アバンからAパートをまともに繋ぐ気がないのなら、せめて人の営みを描写してほしかった。
私が1話で一番引っ掛かったのはここ。そもそも私は「くねくね」を「怪談」だと思っていない。実話怪談(洒落怖)については原作者自身が単行本で記しているので譲るが、少なくとも、「怪談『くねくね』」と演目のように言うようなものではないと思っている。
リッチなアニメだったなら、くねくねの紹介の際にイメージカットではなく、書き込みをそのままアニメ化とかしてくれたのだろうけど、それを望むのは贅沢すぎか。
空魚は「私たちだけ映っていない」と述べる。
アニメでは、アバンの最後とこのシーンで二回、六面体を描いている。その二つの場面で模様(?)が違うので、映像的に語れたと判断したのだろうけど、「鏡面なのに私たちだけ映っていない」くらいは言ってもよかったのでは。ほんのり光っているし、CGを貼りつけて背景を描画し続けているわけでもないし、一見して鏡面だと分かるのかな。「自分たちが映っていないことを除けば何の変哲もないキューブ」と原作から読み取っていたので、ちょっと違和感があった。
緊張感がない。空魚は棒立ちで、ゲートに無頓着。そのまま次のカットに移るが、今度は空魚が茫然自失で立ち尽くしている。アニメなのだから、ここは「大慌てする空魚」と「扉が開いて=ゲートが消滅してしまい憮然とする空魚」で対比させてもよかったのでは。
扉が開いても、前述のとおり商店街に人がいないので、現実世界に引き戻されたという絶望感もない。
空魚のモノローグが削られているので、この時点で裏世界が空魚にとって特別なものだったと、視聴者には分からないのに、次のカットではいきなり鳥子が空魚を慰めている。極力モノローグを排除したいのなら、ここでこそイメージカットを使うとか、原作どおりに進行させるのではなく回想なりを入れるとか、空魚に鳥子に対して語らせるとかしてもよかったのでは。ただ原作をそのままなぞってアニメにするのは、誠実な仕事とは思えない。
アップで画面を映して、点滅しているだけなので、「ちょっと調子が悪いときのスマホ」くらいにしか見えない。もうちょっと引きで撮るとか、平常時の画面をフラッシュバックさせるとかしないと、どんな異常が起きたのが分かりづらい。
六面体もそうだけど、裏世界のもの・裏世界に触れたものをやたらと発光させるので現実味がなくなってしまっている。日常が侵食されていくふうには演出できなかったのかな。
うーん。いやあ、まあ、そういうこともあるだろう。「こいつ、後の話で出てくるんだぜ!」って、知ってたら自慢できるだろう。オッドアイ前の空魚と偶然出会っていた可能性もあるだろう。これは……ねえ。別にそんな、全然あれじゃないんだけど。遊び心だし。なんか、変に必然になっちゃったというかさ、ねえ。
金銭についての会話が丸々カットされている。あくまで空魚は打算で動いた、という建前があるからこそ、二人の関係は成り立っているのではないか。
「終電、なくなっちゃったね」は別に事実を口にしているわけじゃなくて、「帰りの足がなくなったから、ここで泊まるのも仕方ないよね」ということだ。大金に目がくらんだからあの危険な裏世界にまた行く、初めて会った人間と行動を共にする、そういう言い訳があるから空魚は動いたんじゃないのか。
アバンで授業料や奨学金の話をしているのに、ここでリアリティのディティールである携帯電話の修理なんかをカットして、主人公の動機づけができていないのは問題だ。
「空魚ならそんな話、聞いたことあるんじゃない?」に対して、原作では返答しているが、アニメでは無言で、頷きもしない。くねくねについての知識があるのなら、ここでも語るのが自然……だけど、モノローグを使いたくないから無視させたのかな。
5階で乗り込もうとしてくる人物は、くねくねのビジュアル以上に残念。このシーン……というより類話の怖さというのは、「何の変哲もない人間」というのが肝だと思っている。あくまで日常の範疇に、怪異的存在が侵食している、というのが怖いのであって、発光して明らかにお化けですって面した化け物が走ってきても、それは全く怖くない。
心霊写真だ、と言って渡されたのに骸骨が浮かんでいたら笑ってしまうだろう。一見すると普通の人なのによく見たら首が180度捻じ曲がっていた、という不和が怖いのだ。
個人的に、怪異同士や無関係な神話群を結び付けて考えるのが好きなので、ここがカットされたのは悲しい。私は裏世界の怪異たちを「人間の意識をハックした結果、最も効率的に恐怖を感じさせるものが洒落怖だったので、そのテキストを抽出し、対象に見せている」だと思っているので、その場合だと「くねくねの正体」なんかを考えても何にもならないから、カットしても問題ないんだけど。
くねくねのせいで目眩や倦怠感がある、ということだと思うんだけど、アニメでは空魚が銃声に驚いて身をかがめ、鳥子は銃が効かないことでへたり込んだように見える。くねくねと「目」が合った瞬間に空魚をアップにするとか、くねくねの特性を分かりやすく描写したカットが欲しかった。
現状把握のシーンでは、二人にくねくねが迫ってくる。くねくねって別に直接的な接触で攻撃してくるわけじゃなくて、「遠目で見ていたらいつの間にか気が狂っていた」というものであって、原作にある遠近感が狂うというのも、アリス症候群的な話なんじゃないのか。悠長に二人で会話している間に攻撃的な見た目のくねくねが直接襲ってくるという、よく分からない絵面になってしまっている。
原作を読んだ限りだと、オカ板の書き込みと「わかった! わかった! わかった! わかった!!」は、空魚が実際に声に出している。アニメではどこまでが心理ネームでどこからが発声しているのか分かりづらい。
ただ、ここは私が原作で特に気に入っているシーンなので、過剰に意識しているだけかもしれない。錯乱した感覚、脳を内側から侵食されていく不安定さが、テキストで表現されているのが好きだったので、映像化するとその辺の演出が変わってしまうのはしょうがない。
鳥子の「打ち上げってしたことないんだ」がアニメではカットされているが、冴月-鳥子-空魚という関係性で鳥子の処女性を描いているので、百合的にはここがカットされたのは残念。
打ち上げがギャグとして処理されてしまっている。非日常である裏世界との対比として、表世界はリアリティを保たなければならないのだけど、商店街のシーンといい、配慮が足りていない。
OPでは普通の作画で打ち上げが描かれているし、「ファイル5」では中間領域のために必須の場面なので、おまけとして、意図的にギャグで崩しているのだろう。
前述のように子供向けアニメとして作られたという私の読みが正しかった場合、このコーナーの存在も理解できる。『鬼滅の刃』も本編とは関係のないギャグ風の次回予告をしているからだ。
引きの絵がCGなのは何も言わない。『ラブライブ』はライブシーンで作画とCGを組み合わせていたのが特徴的だったし、『裏世界ピクニック』もそういうアニメ、ということなのだろう。
アニメ監督の川崎逸朗氏によると“2021年のアニメ新番組(中略)その全てがコロナ禍で作業されてきたもの”とのことなので、何なら、今後もこういった形式のアニメは増えていくのだろう。
https://twitter.com/itsuro_k/status/1346667359788879874
空魚と鳥子、声逆じゃない? 別に不満とかではないんだけど、空魚の方が高音で鳥子の方が落ち着いた感じだと思ってた。そりゃまあ、オーディションなりあるわけで、そこで逆パターンもやって結果こっちになったんだろうけど。これは完全に私の好みです。
さすがに私でも知っている。ティーンのことはよく分からないけど、これはいいことなのでは。
オフィーリアと土佐衛門はいいアニオリだと思う。ただ、汚い例を先に出して、「オフィ―リアと取り繕ってみたけど本心では土左衛門呼びしている」の方がよかったと思うけど。
ウダウダと書き連ねてきたけど、アニメ化に際してこうやって実際に子供に原作を読ませているだけで満点なんじゃないかな。子供、ネットロア知らんでしょ、と思ってたんだけど、どうやら普通に知っているようでよかった。「日本のおかしな現代妖怪図鑑」なんて本も出ているらしく、妖怪や都市伝説と同じくらいの認知度があるんでしょうか。
https://www.hayakawabooks.com/n/n194591ad11e3?magazine_key=m109bc51b7ac7
原作を読んでいるので不満が爆発したけど、初見だと楽しめるのでは。洒落怖をベースにした創作なんつーものを広めていいのか(面白さが理解してもらえるのか)とは思うけど、アニメ化で間口が広がるのはいいことだと思う。
所詮私はツイッターで騒いでる人なので、全然、みなさんは原作読んだりアニメ見たりしてください。裏世界ピクニックは最高に面白いので。
マンション購入時の財テクの記事が目に入ったので、もうちょっと郊外に住む前提で、某ハウスメーカーで家を建てたときに何を考えて、どんな手順を踏んだかをここにメモしておきたい。ただし門外漢なので、間違っていることもあるかもしれない。でもま、親戚にいる現職の大工に大筋いい見立てと言ってもらえたのでそんなに間違ってもいないと考えている。
じっくり検討・契約する前提で、さくさく進めたい人には向いていないやり方かもしれない。子供が小学校にあがる春までには入居したいと考えていたが、その2年以上前から動いていた。現在は居住してもうすぐX年目。
近所のハウスメーカーに行ったり、不動産屋的なところをのぞいたりしてみたが、結果的に総合住宅展示場をぶらぶらしてあっちを見て、とするのがよかった。まだふんわりしている段階なので、ハウスメーカーとしての特徴とか比較するポイントとか教えて欲しい、という話をしているのに、不動産屋を紹介しだして速攻で決めさせようとする営業がいるところは速攻でお断りした。妙な営業に出会ってしまったことで、こちらの要望にそうように、丁寧に接客してくれる担当者がつく、を前提に、住宅展示場内のハウスメーカーを候補にしようと妻と相談。だいたい初回はモデルハウスの設備案内して、希望する家の大きさ、間取りなんかから、イメージが膨らむような話をしてくれるケースが多いと感じた。そのあたりの対応を見ながら、以下整理した方針
−− フロントで細々した要望を聞いてくれるのは営業担当で、コミュニケーションが多層化するように感じた。機能性より、オシャレな家を目指したい人はいいのかもしれないが、住宅設計にも流行廃りがあり、そのサイクルより居住期間の方が長くなりそうなので、機能性を重視するために決めた方針。
− 要望に対して、適切な指摘があるかどうか
−− たとえば吹き抜けの場合、冷暖房の効率は落ちる。開放感と引き換えに犠牲も増えるわけで、そういうデメリットを提示できる担当者かどうか。これは担当者の知見と資質の両方が必要だと思うので、この視点で見ていったとき、若手担当がついたハウスメーカーは選択肢から消えていった。営業と話した翌週に「すいません社内レビューでこういった問題の可能性が……」と提示してきた会社には感心した。
− スケールメリットを一定出せる程度の建築実績があるのかどうか
−− 話を聞いていくと、だいたいどのハウスメーカーもプレカットで、工場で加工した木材をくみ上げる形式だった。そうすると建具も必然規格品を入れることになる(そしてLIXILのすごさを知った、なんでも作ってるのねあそこ)。その場合、一定の実績がある方が品質・価格の面で安定するだろうと考え、年間建築件数の多寡を参考にいれることにした。
−− 最後に現場で仕事するのは大工になるので該当地域に腕のいい職人がいるのか、腕のいい職人がいるのかを確認したかった。ただこれは完全に運もあると思う。担当者に前述の質問をぶつけて、職人の腕について曖昧な回答しかできないところを除外した。
− 安定性
−− 逃げられるとかはあまり無いかと思いながらも念のため、と思い最終候補に残ったところは上司に相談してFORCASを使わせてもらって調査した。上場してるところは一応直近一棟あたりの営業利益などもざっくり確認。決算タイミングに契約すればおまけあるかもということも考えて決算月もメモ。
結果として自分でも納得感のある家ができたので、とてもよかった。問題に感じるのはコンセントもうちょっと増やしてもよかったかな、と思うぐらい。これはまぁそのうちやろうと思う。
上記をそれなりに満たそうとすると必然的に大手の1,2社になると思う。あとは好き嫌いで基準変えればいいのと、担当者ガチャはそこそこあるな、と思う。
ネットニュースのコメント欄やSNS等で年末年始の家族連れや友達同士の買い物客に苦言を呈している人たちが多くいる。その人達の言い分として「コロナ感染者数が一日何千人と出ているのにこいつらは三密つくって危機感がない!!」というものだ。
たしかに正論であろう、行政が自粛を呼びかけ、緊急事態宣言が出そうかもしれない状況に対し、こういった危機感のない人たちに対して怒りが湧くのも必然かもしれない。
しかし私も実際近場の商業施設に行ったがそのような団体客も99%はマスクをしているし、通路に広がって喋ってなければ別にいいだろうと思う。
そもそも3蜜が問題なのであれば最近また満員電車が常態化している電車を通してもっと感染者がいてもおかしくはない。
では家族連れ客を批判する人たちが執拗にSNSで愚痴るのはなぜか?それは俗に言うリア充に嫉妬があり、コロナを大義名分に叩きたいからではないだろうか?
ここで家族連れ客を批判する人たちの人物像を私の今の境遇も元に書いてみた
●37歳、独身
●街中でカップル・夫婦や若者がグループを見かけると嫉妬してしまう
●流行りのアニメや音楽にハマる人を見下している(いくら鬼滅が人気だろうが絶対見ない、見たことがない)
●ネット以外趣味がない(空き時間はもっぱらヤフーニュースやTwitter等で社会や政治に対し批判、愚痴る)
●特定の国や組織、個人に対し長時間かけて情報収集し批判する(中韓死ね!とかNHK死ね!とかアベスガ死ね!とか右左問わない)
●できれば人と会話したくない
●コミュニケーション能力は低い方だ
●陽キャが苦手
●DQNを見るとビクビクする、怖い
これは性別を問わない。男女問わず上記のように社会に対し強い劣等感を抱いている人たちは多くいると思う。こういった人が家族連れ客や友達どうしのグループ客を批判しているのではないかと思う。
自分の人生が幸せでないのは社会や政治のせいであり、街中の幸せそうな人を見ると嫉妬する。こんなコロナ禍の中で3密作って買い物するグループ客が許せない!!でもその人達に対し直接言う勇気はないのでヤフーニュースやTwitter等で愚痴ることしかできない。これが現実であろう。
しょうもない低年収の仕事をし、帰ってやることはネットで社会に対し愚痴る人生…なんて悲しいのだろう。
あなたの人生が幸せでないのはたしかに社会や政治のせいかもしれない。しかし行動しなければ変わらないのは事実。ネットで政治や社会を批判したところでなかなか変わらない、行動し自分の人生を変えることのほうが世の中を変えるより楽なのは明白である。
お金がないなら高収入の会社に転職する、資格を取得する、ネットで愚痴ること以外することがないのであればなんでもいいから趣味を作る。
コロナなんて個人がどうこうしたって変わらない。昨年の今頃ここまでひどい状況になり、オリンピックが延期になると予想できた人は皆無である。
なるようになるしかない、コロナに関する情報収集はほどほどにして他人のあら捜しに時間を割かないで自分の人生を充実させようではないか。
クリスマスだから豪勢にシャレこもうかと思い、セブンの金のビーフシチューと金のハンバーグを食卓に並べ(クリスマスなので金で攻めてみた)、デザートのチョコケーキもそっと並べ、よーしメリークリスマス!!と思ったその瞬間だった。
唐突に痛み出す右奥歯。
その段階ではまだ痛みレベル2(※最高の痛みを10とした場合)だったのでなんとか耐えられた。
この痛みは気のせいだと何度も自分に言い聞かせ、痛みに耐えながら晩餐を完食。
そして私は風呂場へと向かう。
今日のためにと用意しておいた森の香りのバスボムを風呂に投入し、僅かな歯の痛みを抱えつつ入浴。
すると風呂入ってるうちにじわっじわと歯の痛みが増してきた。もう森の香りとかどうでもいいくらい歯が痛い。バスボム結構高かったのにもったいない。
その頃には愚かな私も気付いていた。
これは気のせいではない。虫歯だということに。
歯の痛みでなんかもう風呂とかどうでも良くなってしまったのでさっさと風呂から上がり、せっかくのクリスマスだけど早く寝ようと思った私は22時前だけど早々に布団に入った。
布団に入るや否や、歯の痛みレベルが急に7〜8ぐらいまで跳ね上がったのである。
風呂で温まった体…良好になる血流…
思えば全てが必然のことだったのかもしれない…
普段は「薬など極力飲まないに限る」という方向性で生きている私だが、たまらずカロナールを飲んだ。ロキソニンでないのは薬嫌いによるせめてもの抵抗のつもりであったのだ。
カロナールは一向に効く気配を見せない。
痛みレベルは8ぐらいで高止まりし、もう何も考えられない。痛い。歯が痛い。
痛みを紛らわそうとスマホをつけ、ピンを引いてオッサンを助けるアプリゲームとかやってみるけどダメ。ぜんっぜん集中できない。
クリスマスの夜なのに何やってんだろ私…と思ったら痛みと相まって変な涙が出てきた。
私は歯の痛みに負けた。
そして数時間後。
さっきまでの痛みが嘘のように激痛は去り、私は安らかな眠りについた。
大体午前3時〜4時くらいの出来事であった。
私は学んだ。
大手というかライバー大杉で、自分的に全くついていけないにじさんじでも、今年デビューのライバーなら追える。
そんなわけで、ここ数ヶ月注目してきたライバー5人組が世怜音女学院演劇同好会という子たち。
気がつけばデビューから4ヶ月経ち、それぞれやりたいことも見えてきて、地道に頑張っているように見える。
しかしながら、ファンの間ではだいぶ扱いというか評価が分かれてしまったらしい。
「行動力のある天然」という形容がぴったり来る、その名もチグちゃん。
5人の中で真っ先に登録者数10万を達成し、その意味ではファンも多いのだがそれ以上にアンチも増えたライバー。
いわゆる転生組らしい数字へのこだわりを見せつつ、KYで裏表がなさすぎる故の誤解が積み重なった結果、前述のこだわりも、ノリの良さも、全て悪意に取られ評価を落とす展開に。
すなわち
まあ、行動力のある天然って女らしさから最も遠いし、男でもウザがられる上に間違いなく女にモテないんだから、こうなるのはある意味必然なのかな。
そんなヒスピが、ギザ歯の多趣味有能枠でデビューしたのも過去の話。
確かに多趣味で色んなことに造詣があって並々ならぬ好奇心を持っているのだが、それ以上に一匹狼的な性格が反転アンチを増やしているというか。
男っぽい、いささか粗野にも見える硬い人当たりと、自称サバサバ系の地雷感が、これまた特に女性ファンからの嫌われ要素かも。
宝塚や四季を彷彿とさせる神がかった歌唱も、悪評の前には霞んでしまっている感がある。
セレ女の最強はお前だ。
声劇枠での上手さと熱心さはもちろん、雑談やスパチャ読みでも徹底したロールプレイはお見事。
だからリスナーは自分に合うか合わないかだけ気にしていればいいのだ。
明るくてよく笑い、気さくでノリの良い性格だけどお嬢様という、上品な陽キャとして、独特の清楚感を確立したコハック。
今やセレ女の中では一番の良心の塊と言われ、しかもそれが自分のことのように嬉しくなる奇跡。
残念ながら、好きの反対は嫌いじゃなく無関心というのを、現状体現してしまっているあーこ。
というのも
歌はかなり上手いものの、それだけだったらインスタかTikTokで顔出し歌動画上げてるほうが人気出たんじゃね?と思えてしまう。
ニュースで「15年前に生徒と性行為をした教師が懲戒免職」のニュースを見て改めて感じた。
もし自分が「同意をしていた」つもりでも後から「同意していない」と言われたらどうなるか。
裁判で「同意していない」ことを明確に示せなければ有罪になることはないだろうから脅威とは感じてなかったけど
それはあくまで法的な話であって、この先生みたいに法律外の罰を受けたり地位を剥奪されることはあるんだろう。
(このニュースに限れば教師と生徒の関係なので罰を受けるのは必然だがそれ以外の大人同士での話ということで)
こう言うと「現状でも虚偽の申告に対して懲戒免職になることはないので問題ない」と反論されると思うが
虚偽の申告と大きく違うのは性行為自体はあったという事実なんだよね。
こうなるともう自分の身を守る術はなくて「事実はわからないけど大事になる前に対処しよう」と判断されるのは容易に想像できる。
元増田の言うことが嘘だと断言するわけではないが、あまりピンとこない。
高校生にもなれば自らバイトして金を稼いだりバイクの免許を取ったりと自立するので、義務教育中の小中学生のように人生相談などを教師に頼るというのはあまりないと思う。元増田は高校生を子供扱いしすぎだ。
高校三年生が「受験期の不安定なメンタルのケアをしてくれた」云々も意味が分からない。高校の一年生・二年生なら文系理系の選択だったり就職・進学だったりと進路で悩むのはわかるが、三年生にもなれば悩むことは無くなるからだ。進学校なら生徒に模試を受けさせるから、模試の結果に合わせて受験校を決めて勉強するだけだからだ。
仮に元増田の言う通り「生徒に手を出す教師の数は多い」というのが真だとしても、その逆に「教師に手を出されてしまう生徒は多い」は必ずしも成り立つとは言えない。なぜなら人数が大幅に異なるからだ。生徒は一学年に数十人から数百人といるが、それに対する各教科の担当教師はせいぜい十人程度だからだ。教師が一度に複数人の生徒と同時並行的に交際をするというわけでなければ、教師と交際する生徒は圧倒的少数派となるのは必然だ。だから、最後の段落で高校生の子供を持つ親に提言するのは的外れと言わざるを得ない。
始めに言っておくと公立中学を「動物園」と表現するのは、それが正確かは兎も角許容される事だと思う
ただし普段、表現にそれと同等かそれより厳しい基準で批判を行っていないなら
公立中学を「動物園」と表現してそれへの批判が燃え上がり、擁護する人も出る中で、
私が思ったのは「随分お優しい事だなァ」という事だった
現代において表現するという事はポリコレ等等様々な基準でジャッジされ、炎上させられる危険と隣り合わせという事、その基準から言えば「あんなの燃えて当然」というのが本音だ
例えば漫画やアニメのキャラクターが「公立中学は動物園」と表現したり、作者やアイドルがそういう発言をしたら、当然燃えるだろう
今回擁護側に回ってる人の中にもそういうケースなら喜んで叩く側に回る人、いんじゃないの?とも思う
それがはてブのコメントなら擁護する、というのはどういう事なんだろう?
今回批判の槍玉に挙げられがちな「はてなリベラル」への反感は、そういう事なんじゃないだろうか?
普段は非常に厳しい基準で表現をジャッジし、批判しているのに、いざ自分達がその対象に成ったら急に表現に寛容になる
例え自分が当事者でも、特定の人達を動物に例える表現は本来結構過激な部類に入る発言の筈だ、当たり前に人を傷付ける表現でもある
そこに寛容なのに、じゃあアレ(宇崎ちゃん)は?コレ(キズナアイ)は?ドレ(アツギタイツ)は?ソレ(ラブライブみかんパネル)は?
あなたはそれにどういう態度を取っていたんでしたっけ?
となる
問題なのは動物園発言やそれに☆を押した事では無い、普段表現に厳しいのに自分達だけには寛容、というダブルスタンダードだ
普段表現に厳しくないなら、動物園発言も、それを支持する☆も、問題ではあるが許容される範囲、なのではないか
「自分に寛容、他人にも寛容」より、「自分(とその仲間)に寛容、他人に厳しい」人が非難されるのは当たり前の事だろう
私が切にお願いしたいのはそれだ、「同じ基準で裁いて欲しい」
表現がポリコレ等の厳しい監視の目を向けられる事はもう、諦めている
サッカーをしていて審判がぐでんぐでんに酔っぱらっていたら不安にならないだろうか?それでレッドカード出されたら納得できる?
私達表現者にとってジャッジはあなた達だ、特にポリコレ支持者、リベラルが多いらしいはてなはその筆頭だ
つまり私の不安は「あなた達は酔っぱらっていないか?」という事だ
現状、あなた達のジャッジが正確で、公正で、平等で、恣意的では無い保証は何処にも無い、ジャッジの飲酒検査は完了していない
そこにきて動物園発言だ、「もしやジャッジ、酔っぱらって無いか?」となるのは必然だろう
ではせめて、同じ基準であなた自身や、その仲間、あなたが好きな表現、好きな人を裁いて貰えないだろうか?
あなたがあなた自身やその仲間の審判をゆだねて良いと思える基準なら、ある程度ではあるけど安心はできる
逆にあなたが「いや、自分が対象に成るのは御免だ」と思うような基準は、当たり前だがこっちだって御免だ
そして同じ基準で裁く為に必要なのは、そもそも基準を明確化し、言語化する事だ、まずはそれすら覚束ないジャッジがとても多い(ルールが明確じゃないジャッジ程怖いものはない)
自分が普段表現をジャッジしている基準は、明確に言語化するとどういう基準か?それは不自然な部分や可笑しい部分が無いか、自分に適用しても問題無いか、矛盾は無いか
そういう事を一度立ち止まって、冷静に考えて欲しい
この1年で感じたことは、多くの親が感じていることだと思うけど、あまりに現代社会は育児するには環境が厳しすぎる。
近くに頼れる人がいない。
地元で就職できればよかったが、内定出た企業は一つだけ、地元は離れた。妻の実家はさらに遠い。
交通網、技術の発達で親元から遠く離れて住むことも多くなった現代、新幹線や航空機があるとはいえ
頻繁に、すぐに親に来てもらえる環境ではない。
保育園に入れない。
政令指定都市近くのベッドタウンに住んでいるのだが、周りにマンションとかが急増していて
まったくもって保育園が足りていない。
自分自身も住んでいるから人のことは言えないのだが、あまりにも鉄道沿線に人が集まりすぎていないか。
鉄道会社、不動産会社はこの戦略が儲かるんだろうけど、あまりにも過密に感じる。
日本国民もほとんどは声を上げてない、そういう私もインターネットの片隅に愚痴を垂れ流すだけ。
一人が立ち上がったところでたかが知れている。
自治体もしょうもない観光センターなんて作ってないで保育園に金を回してくれ。
まず妻の仕事先の上司が醜悪な人間らしく、仕事復帰の不安が募っている。
そんな職場ならそもそも辞めてもいいと言っているが、人出不足やら逃げたくないやらで続けることにこだわる妻。
出産後のホルモンバランスの崩れでただでさえイライラが募っているのに余計なストレスを生んでいる。
感情、もとをたどればホルモンだとか神経伝達物質だとかのごく微量の体内物質に帰着するのだろうが、
そんなちっぽけなもので普段の行動を大きく左右されてしまう人間。
人間は理性というものがあって感情、行動をコントロールできるのだろうが、
助けを求めるためのハードルが高い。
心を病んでいる人に、自治体の支援やこころの電話窓口やら地元の団体やら心療内科を調べて助けを求めるという行為はなかなかできない。
妻自身は全くできなかった。代わりに私が助けを呼ぶにも、平日の仕事は忙しい、家で気力はない。
家にいるときでも妻は不機嫌で、助けを求めることについての相談さえできないことばかり。
そんな中でも自分が動かなければと思って、近くの心療内科に予約のために電話した。複数の医者に電話したが、予約埋まりすぎ、混みすぎ。
コロナの関係もあるだろうが、なかなか都合がつかずに予約ができない。
でもわかる、こんなに複雑化した現代社会で、不完全な存在である人間が生きていくのは本当にしんどい。
ほとんどの一般市民は苦しみながら細々と生きて死んでいくだけだ。
そんなの大昔からそう。現代じゃなくてもそうだっていうのはわかっている。
でも、この数十年は46億年の地球の歴史の中でもあまりにも劇的な変化が起きた年代だったはずだ。