はてなキーワード: 必然とは
なにが癪に障ったからこだわってるのか知らないが、
この人こそ自分の言いたいことを言ってるだけだと思うなぁ。
一般論(「800字でも感動する短編もある」)をひっぱってきて何を批判したつもりになってるの?
関係ない自分語り(「クソデカ感情の定義が独善的にみえる人もいる」)をしたいならよそのスレッド/ツリーでどうぞ。
私はそもそも、「クソデカ感情」という言葉を「同人女の感情」につかったのは帯をつくった角川の人(それもツイで連載みた外部の勝手なご意見を拾ってきただけ)じゃないかと思いますし、それを最初にわかるようにきちんと書いているわけですし、
真田さんのマンガや人格の「批判」(というか非難)もしてないですけどね。
以上で言いたいことは終わってるんですが、もしかして本当にわかっていない人が他にもいるのなら、とおもって言わずもがなの説明を書き足します。
この「4ページネームの練習法」をたまきのために「字書き版」にできないかと思って、考え付いたのが「800文字の練習法」です。
絵描きの真田さんが「字書きキャラのために」考えついた方法です。
800字で練習することが必要な人も実際いないわけではない、一部にはいるとはおもいますよ。
ただ綾城やその後継者を造形するのに勝手に移植して考えてみた「800字練習」だけをキーにもってきて
本人も練習したところで、同人字書きからみると違和感があると思うだけです。
絵描きからみると字書きってそうなんだろうなと常々思っていることが補強されましたし
P支部の件数をそんなに気にするような人ならもっと他に先に気がつくことがたくさんあるはずですけどそれこそ細かすぎて伝わらない字書きムーブですね。だから、マンガそれ自体は良く出来てるんですよ。
人が暮らしていないモデルハウスのようにきれいでわかりやすくていいとおもいます。
人が暮らしている複雑でうんち入りな仕舞屋をのぞき見たければはてな増田長文腐女子もありますよといってるだけですよ。
ご自分で、正しい同人クソデカ感情の定義をジャン神のなかから、あるいは(ジャン神にも正解がないというのなら)ご自身の中から具体的に抽出してみることからはじめたらどうですかね。チガウチガウ言ってるだけではないものねだりでは。
それとも単にこの人は、ジャン神も同人女の感情もインタビューも全然詳しく読めない人なのかも。
もっと内容を解説してほしくてイチャモンつけてるんだったらその手にノってネタバレしてしまうのもなんかもうしわけないな。
ジャン神は誰にでもわかりやすくて面白いから読んで、気に入ったら買ってみてね~。(宣伝)
今ひどい話がとびこんできました
そんなことは民主主義をやっていた西欧人だってわかっていて、民主主義でえらい古典の学者のも「賢い人だけに選挙権を与えよう」とか言っている。共和制というやつだ。
バカが多数派である以上、多数派が権力者になることは常に避けられない。民主主義は歴史の必然である。
だから啓蒙をしよう。多数派のバカ自体を賢くしよう……という方針で西欧文明はやってきた。
これはしかも上手く行っていて、現代人はどう考えても19世紀の大衆よりは賢い。
でも今は、どうやら啓蒙の速度がインターネットの速度に負けているようだな。
全くもって興味がないジャンル、公式サイトのチェック段階で1話すら見ない
アイドル系(そもそも実写も含めてアイドルという存在に興味がない)
登場人物がかわいいだけの萌キャラアニメ(アイドル系に興味がないのだから必然ですよね)
BL系
ここら辺はまあ分からなくも無い
全く期待はしてないけど、とりあえず導入の1話か2話まで見て判断するジャンル
スポーツ系(興味がないスポーツに関しては、全く見ないこともある)
クラブやサークル活動系(興味がない活動に関しては、全く見ないこともある)
ここら辺もまあ分かる
日常系と4コマ漫画原作でも時々見る事はあるけど基本的には見ない事が多い
逆に大好物なジャンル(どんなものでも大好きというわけではなく、いちおう序盤をみて判断する。 )
異世界系
分かるなあ
結果、今期で見ることにしたアニメ
神様になった日
今期だとキミ戦が特に気になってて毎週見てる、主人公二人の敵同士だけどもうお互いベタ惚れしてるなって感じが堪らん
児童向け
児童向けは自分に合いそうな奴は見てるなぁ、今だとアースグランナーとかドライブヘッドとシンカリオンの流れで楽しく見てる
秋アニメもひととおりチェックが終わったし、おもいたったので覚え書き感覚で「個人的アニメの視聴基準」を書いてみる
まぁ、正直各シーズンの全アニメを6話くらいまでチェックするって実質無理っすよね
勢いだけの俺tueee系やコメディ系、コメディでもないのに奇跡の価値が安すぎるアニメ、なにかに特化しすぎて他に面白みがないアニメは基本的に見ない。
でも勢いだけのコメディでも笑えたら見る(ポプテピピックはついていけない上にドン引きした)
いわゆる食わず嫌いな感じで見ていなくて、これは見たほうがいい!ってのがあったら教えてほしいですね。
があります。
来年に予定されてるマブラブオルタネイティブも原作ゲーム大好きなんだが、地雷臭しかしない。
印象的なシーンのダイジェストでしか無い、いわゆる、とりあえずアニメ化してみたファンアニ的なもので原作知らない人は置いてけぼりなうえに、展開飛ばしまくりになる予感。
長くなったので別記します
例えばポリコレの代表格であるLGBTなら、彼らは不当な差別をするな、マジョリティに認められた権利を自分達にも認めろと主張するだけで、それ以上の社会変革を求めてこない。
反差別のための手法にラディカルな論を唱えて反発を受けることはあるけれど、根底の主張は当然認められるべきである当たり前のことしか言っていない。
それに対して、宗教はもっと広い範囲において自分達の価値観を広めようとしている場合が多いし、押し付けがましいやり方をとる宗教も少なくない。
実際に政治に食い込んでいたりテロを行ったりという形で社会に影響力を与えているところも多いしな。
そういう風に社会を変革しようとしたら、既存の社会を是としている人々から反発を受けるのも必然だと思う。
まあ、それが論理的な批判ではない"おちょくり"をして良い理由になるかといったら微妙だけど、人々が攻撃しようと思う理由としては十分だと思う。
童貞(推定)でうつ闘病中で無職で女との交流を金で買う男が、自分をずいぶん高く見積もってて、更に他人を値踏み(差別)できるもんだよねぇ。
非モテとか中年男性のうつのある種のケース(すべてのケースではない)って、自己評価が無駄に高すぎるくせに、自尊心が斜め下に低い傾向がある。まぁ自己評価と市場評価のギャップに耐えかねて発症するのが抑うつ傾向だったりもするわけだが。
彼らの無駄に高い(そして空疎な)自己評価は、かつて主流だった「男ならこうあるべし(例えば一家を養って一人前とか)」が、自分も何らかの努力をせずに当然達成できるものだという謎の勘違いが隠れてるし、斜め下に低い自尊心は、当然達成できたはずの「男なら最低限」が達成できていないことの理由をすべて外部化してしまう(女が悪い)ことにある。時代が変わった不幸もあるが、昔だって、あんな風に周囲を見下してる人に手を差し伸べる人は多くなかっただろうと思う。
まぁ、現状の情けない姿は、過去の積み重ねの必然でしかないよね…。せめて鬱が改善して、まともに仕事ができるようになるといいね。
タブを開けば入っているワードは政治、アニメ、診断メーカーのタグ。マジでそれくらいしかない。たまにあると思えば前澤?前園?もう名前も覚えてないけどそいつの金配りがどうたらってタグだし、見るに堪えない。
「〇時〇分に一斉に呟いてトレンド入りさせようぜwwww」とかやってるの、政治厨くらいだぞ。今時VIPPERでもなんJ民でもやらんぞ。くだらん。
というわけで俺はTwitterのトレンドの地域をアイスランドにして日本のトレンドを見ないことにした。そもそもトレンドって、なんだろうね。なんなんだろう、トレンドって。
トレンドの地域を変えてから数日はちょっと不便だった。いま日本で話題になっていることが分からない。特に、朝は起きてすぐ「夜寝ている間に何かあったか」を見るためにTwitterのトレンドを見るのが日課みたいなところがあったから。
でも、もう慣れた。そもそもTwitterのトレンドなんて無価値なんだよね。もうTwitterのユーザー層がオタクと政治厨とフェミニストくらいしかいないのでゴミの掃き溜めのようなツールに相応しいワードしかトレンドに上がらないことはもう必然なんだけどさ。
まあ、夜中起きたことはニュースサイトを見ればいいし、ていうかニュースのアカウントをフォローしてタイムラインに流しておけばわざわざTwitterのトレンドを見なくても情報は手に入る。
トレンド入りめでたい!とか、トレンド1位獲得!って言ってる人よくいるけど、トレンド入りってなんなんだろう。確かに色んな人が短時間に呟いて爆発的な情報の流れが起きたらそれはトレンドなのかもしれない。でも結局自分の興味ないジャンルがトレンド1位になっていたところで「ああ、そうですか」と流すだけだし開きもしない。結局内輪でやってるだけなんだよね。
Twitterのトレンドに縛られる生活、いい加減やめませんか。まずはTwitterのトレンドの地域を適当な海外(アメリカなどTwitterが普及している国を除く)にして、スッキリさせましょう。自分の嫌なものが視界に入らないのはストレスも溜まらないし、いいものですよ。って思っていた矢先にうっかりトレンドの地域を変更していない方のアカウントにログインしてしまい、久々にトレンドを開いてみたら今日も元気に政治のタグが1位を獲得していたので、ああやっぱりメインアカウントのトレンドの地域をアイスランドにして正解だったなと思う今日この頃でした。
何か世間ではパヨクが日本学術会議にいちゃもんつけているらしいが、国際的な常識から外れている。
偉大な国家に批判的な学者が、国の仕事から干されるのは、中国では普通のことだ。
コロナという未曽有の危機に対して日本は、軍事的にはアメリカと、経済的には中国と関係を深めて危機を乗り切ろうとしている。
二階幹事長が諸々を取り仕切って上手くやってくれようとしているが、より中国と上手くやっていくために中国的な考えを導入するのは当然のことだ。
日本は元々東アジアの国なので、西洋のパヨク的な価値観よりも東アジアの価値観の方があっている。
彼らが下手に国外の人間と仲良くするようになると、経済的においしくなくなる。
たまにはねっかえりを締め付けていけば中国向けのアピールにもなる。
生かさぬように殺さぬように、芸人を使って「西洋パヨクリベラルは馬鹿」と言い続けておけば、馬鹿にされていない方についてくる。
という訳でこの偉大な国家戦略が理解できない人間はうかつなことを言わない方がよい。
東アジアの大国日本が、西洋パヨクリベラルから離れて中国式の制度に回帰するのは必然であり、中国共産党の前のアジアの大帝国、大日本帝国復活のためには必要なことである。
やり方が中途半端で、早晩北朝鮮化するとか、反日的な事を考えてはいけない。
もし反日的な考えが頭に浮かんだら、ツィッターでリベラルを見て指さして笑おう。人を指さして笑えば気分が楽になる。
目の前の課題に対峙する仕事は偉い人がやってくれるし、万が一、課題を放置して自分の人生が頓挫したら黙ってセップクして他人に迷惑をかけないのが日本人らしい江戸しぐさである。
西洋パヨクリベラルに騙されて、うかつに人に助けを求めたりしないように。
まずは自助、そして共助、最後に公助である。だから政府に文句をいってはいけない。とにかく日本人らしく生きることを忘れないようにしましょう。
なるほど。確かに。
そういう、女性の権利は女性自信に戻せ、みたいな思想ってすごく個人主義的な考え方だと思うんだけど。すると現代フェミニズムに噴出している多くの問題点が「個人主義であること」に端を発するような気がしてくるな。
つまり、個人の性欲が個人にのみ属するならば、例えば変態ロリコン野郎の性欲は変態ロリコン野郎にのみ帰属することにもなる。旧フェミニズムは(他の個人主義思想と同じく)、実は女性の権利と同時に変態の権利をも保証しようとしていたんだけど、そのことに耐えられなかったフェミニズム自身が、個人主義を捨てて、社会の良識に従って性欲を抑圧することを求める、保守主義・コミュニティ優先主義に回帰していった。
暇になるといろいろ考えることがある。この季節だと、年末に放送される紅白歌合戦のこととか。
本当に売れてる人は紅白に出ないという風潮があったことすら忘れそうなくらいに、近年(というかここ10年)はその年に売れた人たちは紅白に出ている印象だ。
ただ、売れっ子が出るようになったからか、売れっ子しかださなくなったからなのか、紅白のハードルが高すぎるのではないか?と感じることがある。
Youtubeで1000万再生越え、配信チャートで大ヒット、アルバムが10万枚以上売れる、知名度 etc..
紅白は他の民放の音楽特番とは比較にならないくらいに視聴率が高いので、そのようなハードルが設けられるのも必然、とも思う。
ただ、売れてる人だけを出せばいいとは私は思わない。
ちゃんと紅白歌合戦という番組を大事にして、番組にあった人、雰囲気を大事にしてくれる人を選ぶべきで、ランキングに乗ってる人だけをピックアップしてたらダメだと思う。
ランキングに載っている人たちはたいてい他の歌番組にも出ている、ヒット歌手なのだから、皆が知っている。皆が知っている人たちしか出ないから、予定調和に感じる。
新しいものはどんどん取り入れていかなければいけないのに、知らない人が知ってる人になって、知ってる人たちが出ているだけになる。
それに、高すぎるハードルを乗り越えられる人たちばかりではない。ここ最近はそんなハードルを越えるような若手が、運よく紅白に出ているだけ。
でも、最近の紅白を見ていると、そんな夢をかなえるような場所には見えない。"付き合わされている"だけなのだ。
オリンピックとか、ニッポンがどうのこうのとか、正直どうでもいい。若い子の夢をかなえるような場所であってほしい。
番組側が「おめでとうございます」を言えるのは、いつまでなのだろう。
紅白に夢がなくなった時、もうすぐ近くにまで来ていると思う
6歳の我が子の事だが、成長が早すぎる気がして心配してる。
6歳なのだが、何かと私のまねをしたがるものだから、私の書架を漁って司馬遼太郎を読んでるし、私が勉強するときに一緒に勉強したがって既に連立方程式を解くことが出来る。
余りに理解が早いものだから、悪いことでもないと面白がって教えてしまうのが良くないのだろうが、知的好奇心を飢えたまましておくのも・・・と思い暫くは知りたいことを知りたいまま教えていた。
勉強をあまり進めてもまずいと思いなおし、将棋を教えたところメキメキと力をつけて、私も既に二枚落ちでは手こずる様になってきた。
子供らしく動物博士とかにでもなってほしいと思って、犬を飼い始めたが効果は乏しく、私のジョギングパートナーが出来ただけに終わっている。
そもそも「河井継之助が学んでいたという陽明学の和訳を読んでみたいから、図書館へ連れて行って欲しい」などと休日にねだるし、
バラエティーよりはドキュメンタリーを好んで見るような子供が公立の小学校で同級生と会話なんぞ成立する訳がないし、
大人ですら手に余るほど将棋が出来る子が同級生と将棋をやっていても楽しい筈もない。
なので、必然、孤立しがちになるし、本人も同級生よりも大人相手に問答してる方が楽しいと感じていて、それを気にもしてない。
正直なところ、この子の未来に不安を感じてしまう。早熟はいいとばかりは言えない。
小学校に上がる頃には自分は人と違うと自覚していた私よりも余程に成長がはやいのは問題がある。
親としては、子供らしくサッカーや野球でもやって、泥まみれになって帰ってきてほしいんだが、
バットやサッカーシューズよりも、中学数学の参考書が欲しいという子なので困るのだ。
将来の事を思って子供の間は外に連れて行かねばと思って、サッカーに誘ったり、山登り、キャンプなどに連れ出したりしてるんだが
私自身がインドア派で家で勉強でもしてる方が楽しい人間だから、親が好きでもないものは、なかなか子供には浸透しないものだ。
近頃はTVゲームなんかをかなり用意して、友達を家に連れてこいと言って同年代の友達でも出来ないものかと期待してる。
私も9歳くらいになると友達とサッカーをすることが他の何よりも楽しくなっていたので、我が子にもそうなってほしいのだ。
スポーツをすれば自分には出来ない事、上手くいかない事、自分だけが凄くても勝てない事の連続で、多くの事を学んでくれる。
大学受験の時期が来れば、この子も、どの大学だろうが志望校に入る位は苦も無く出来るとは思うし、今は勉強は全く大事ではない。
あと7,8年くらいは勉強なんかしないで、TVゲームで遊んでばかりで、悪戯でもしては大人に怒られまくる位でいいし、
中学生になれば彼女でも作って、どうすれば彼女とキスできるか知恵を絞る位でいいのだが、
子供というものは、なかなか親が思うようには育ってくれないものだ。
妻は、アホの子なんてとんでもない、今のままでいいなんて呑気な事をいっているが、私は非常に心配だ。
私の父も同じような心配をしていたのだろうか・・・と考えると、なんとも楽しい気分にはなるんだが、笑ってばかりもいられない。
ブクマが大量についてて驚きました。
ギフテッド教育やお受験は当然のこと選択肢にはあったけど、夫婦で話し合い特別なことをあえてしない事にしました。
そこには当然、良し悪しはあれども親である私の経験からくるものもあります。
私自身、大学に行くと決めるまでは1分も学校の勉強にいそしんだ事はないけれど
「色はなぜ見える?」「鳥や飛行機はなぜ飛べる?」
といった好奇心を満たすための書籍漁りや、それを読むために必要な勉強は幼少期から嫌わなかったというのもあります。
一方で水泳教室やら書道に通わされて、自分が上手く出来ない事が悔しいという思いをしたことも今となれば有難かった。
大学受験程度であれば、苦労なんてする必要もないし、また彼は苦労はしないでしょう。
それよりは普通の学校で色んなタイプの友達に出会い、海外旅行へ行って見聞を広めたり、友達とキャンプへ行ったり、サッカーやったり
恋愛したりで人としての裾野を広げて欲しいのが我が家の教育方針です。
大学で研究者をやってるので、セミナーとか研究会とか学会みたいなものにはこれまでそこそこ頻繁に参加していた。それがCOVID-19ですべてオンラインに移行した。春頃からそうしたオンラインのウェブセミナーをいくつも聞いてきたんだけど、最近まったくモチベーションが湧かなくなってきて、可能な限り欠席するか、出席しても音を消して「ながら」で垂れ流しているだけになっている。
いま思い返すと、リアルな場でセミナーを聞いてたときは、移動時間とか、全身で感じる会場の雰囲気とか、つまらない発表を聞きながら手持ち無沙汰になってメモを見返す時間とか、発表者や参加者とのコミュニケーションとかを通じて、なにか新しいアイデアを思いつけそうな感覚があったし、実際にそれが共同研究に発展したこともあった。リアルなセミナーは「余剰」にあふれていて、それが参加のモチベーションになっていたなと今にして思う。
ところがオンラインのセミナーでは、そういう「余剰」がない。自室でPCを起動させて、送られてきたURLにアクセスして発表を聞いたら、それで終わり。そこにあるのは純粋に発表だけ。内職していても誰にもばれないから、発表がすこしでもつまらなかったら、いつでも聞くのをやめて、環境がフルに整った自室での通常仕事に戻れる。そうすると、発表それ自体の価値にすごくシビアになる。おまけのついていないグリコのキャラメルの味を吟味するようなものだ。論文や書籍と違って、セミナーの発表というのは粗削りなもので、それ自体の情報的価値は実はそこまで高くない。この時間で積ん読になっているあの論文を読んだほうが得られる情報量は大きいではないかとか、この発表を聞くために1時間の貴重な仕事時間や週末の家族サービス時間を捧げる価値はあるのか、とか考えるのが必然となってくる。
そういうことが重なって、オンラインのセミナーに参加する意義をもはや感じられていない。自分が中心的な話題提供者のひとりになって積極的に議論するのなら時間を投資する意義はある。しかしそうでなく、単なる一参加者として聞くウェブセミナーでは、情報収集やアイデア思いつきの効率が極端に悪いことがわかってしまったため、もうまともに参加する気はなくなっている。