反差別というか、「差別したくない」を自認する人でも、神ならざる不完全な人間である以上、あっても不思議じゃないし、無垢にやってしまうことはあるだろう。無垢じゃなくても、個人的な体験上偏見が生じてしまうのは、もはや必然だろう。
それを「必然だから私は差別するよ」と開き直るのも、「必然だから私は差別をしていない」とケツまくるのも、どっちも同程度に醜悪だと思うべきだし、反差別を自認するなら思わなきゃいけない。自分にもそれを適用してやっと、気合の入ったリベラルになれるのではないか。
そんなことを、ゆるふわリベラルの私が考えてみた。
Permalink | 記事への反応(1) | 00:40
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すべての差別は容認しないが増田で見られるのは差別ではなくて単なるコンプレックスなので
お前の思う差別の定義ってなんなんだよ
ルッキズムって言ってる人らのルッキズムって 単なる醜形恐怖症か学歴コンプみたいなものでしかない 人種差別とは突き詰めるとルッキズムだぞ 人種差別がなくなるならルッキズム...