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はてなキーワード: 友愛とは

2019-06-27

使いづらくなった言葉

たとえば「友愛」「忖度」みたいに、元々は悪い意味じゃないのに、変な使われ方して悪い意味がついてしまった言葉って他にない?

MeToo」みたいに、悪い意味ではないけど違うイメージが付いて使いづらくなった言葉でも。

2019-06-05

動物虐待凶悪犯罪全然関係ない説

最近犯罪者予備軍」という概念があちこち議論になっているので、

便乗して長年「犯罪者予備軍」の第一ファクターとしてやり玉に挙げられてきた

動物虐待』という行為についてつらつらと。

日本動物愛護法の条文では

動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」ことが

動物愛護国民に「強制」することの法的根拠となっている。

まり、「動物愛護すれば人間は穏やかな優しい性格になる」という公益が生まれるので、

動物虐待したい」という個人欲求制限することも許されるというわけだ。

(この辺りは中学で習う理論公共の福祉に適うなら、個人権利を束縛してもいい。)

ところが、昨今のヴィーガンとか動物愛護過激派の行動を見ればわかる通り、

別に動物に優しい人間人間に優しいとは限らない。

それどころか、動物を守るために人間に対して攻撃的になる例は山ほどある。

また一方、「動物虐待したら人間悪人になるか」というと、これも非常に怪しい。

よく酒鬼薔薇事件とか佐世保女子高生殺人事件とか、ワイドショーを騒がせた事件犯人動物虐待をしていたから、

動物虐待殺人エスカレートする!」と語気を強くして主張する人もいるが、

具体的に「動物虐待者に占める凶悪犯罪率」(凶悪犯罪者に占める動物虐待者率、ではないのに注意)のデータ

提示する人は見たことがない。

そもそも時間的前後関係因果関係意味しない。

「幼少期に動物虐待をした後、殺人を行った人物がいる」というのは

動物虐待殺人の原因だ」とはならない。

それは「ほとんどの殺人犯は殺人の前の24時間以内にごはんパンを食べている。よって、炭水化物殺人犯を生む」と

言っているようなものだ。



というわけで結論

動物虐待法律否定する根拠は非常に薄い上に、

公益が無いのに「動物虐待が好き」という特定属性を持つ人種を罰するのは

差別しか言いようがないので、動物愛護法廃止妥当

というかみんな薄々気づいてるでしょ?

動物に優しいひとはいい人だ」も嘘で

動物虐待すると凶悪犯罪者になる」も嘘だって

たとえば魚釣りというスポーツは生きた魚に針をぶっ刺して楽しんでるわけで

動物虐待以外の何物でもないが、「釣り人に凶悪犯罪者が多い」なんて話は聞いたことがない。

(何故か都合よく魚類動物愛護法愛護動物から外されているが)

2019-05-28

エーファ・アルムスターというキャラクター

※ルルアのアトリエネタバレが多分に含まれます

先日「ルルアのアトリエ〜アーランド錬金術士4」というゲームクリアした。システム的に人は選ぶけれどとても面白いゲームなのでおススメ。

ところでこのゲームの登場キャラクターの中で一番魅力的なキャラクターと言えば、そう、エーファ・アルムスターだ。一番可愛いのはメルル姫だし、一番性的なのはトトリ先生だし、レフレは通いつめて懐かれるか怯えられるかしたい衝動に駆られるが、でもやはり、魅力的なのは圧倒的にエーファなのだ。その理由を順を追って説明しようと思う。

まず発売前に公開されたビジュアルに注目したい。ピンク基調にしたエプロンドレスを着たショートカットのお人形のような女の子がゴツイ大砲を持っている姿に目を奪われることだろう。可愛い女の子がゴツくて威圧感のある武器を持っている姿に心惹かれるのはオタク本能と言われている。これを見て、すぐにエーファという名前を覚えた。ちなみに戦闘ではこの大砲の砲身で敵をブン殴る。最高。

そしてルルアのアトリエが発売される。既にちょっとエーファに心を奪われていたながらもとりあえずプレイを始めた。エーファは主人公ルルアの幼馴染として物語開始とほぼ同時に登場する、ルルアのことなら全肯定するとても良い子だ。時々投げやりだったりするけれど基本的に全肯定しようとする姿がとても可愛い。エーファは、主人公ルルアの住む町アーキュリスに佇むアルムスター孤児院の子の一人である。そして序盤のとあるイベントの中でエーファがルルアのことを(恋愛感情として)好きだと明かされる。つまり百合キャラだ。これは予測できていたし、私は百合特別好きというわけでもなく、他にも魅力的なキャラクターが登場する中で少しずつエーファへの興味は薄れていった。彼女は幼馴染百合キャラというありがちなポジションなのだと思い込んでいた。

やがてエーファのキャラクターイベントが進む。彼女イベントの内容を要約すると「実はエーファは貴族の娘だったが家督争いに巻き込まれて幼い頃からアルムスター孤児院に預けられており、その実の親から落ち着いたので戻ってきてほしいと伝えられ、半ば怒りを露わにしながら断る」というものだ。ルルアはエーファに頼まれて同行し、その中でエーファの過去や悩みを知ることとなる。またこエピソードの中で、ルルアがもともとアルムスター孤児院の子であり、エーファとは同年齢の家族であった事も明かされる。正直言ってありがちなエピソードだと思う。この時点で、私はエーファに対しておおよそ興味を失っており、このエピソード適当に読み飛ばし記憶がある。本来ならこの時点で私は気付くべきだったのだ。

エーファのキャラクターイベントが終わると、サブキャラクター冒険者エルチェとの会話イベント、そしてアルムスター孤児院の父ベノンのエピソードへと繋がる。ベノンが昔は有名な冒険者だったかもしれない、という情報を得たルルアが持ち前の好奇心で探り始めるという内容だ。このルルアの行動をエーファがたしなめるシーンがある。なぜたしなめたか。未だ孤児院で過ごしており孤児院の子の最年長として、奔放なルルアに、子供達の手本となる行動をして欲しかったのか。違う。ルルアに注意した後「誰にだって知られたくない過去があるものだ」と、彼女は一人呟く。斜め後ろからの表情を映さなカットがひときわ目に残る。

ここでハッとした。エーファはありがちな幼馴染百合キャラだと思っていた。けれど彼女とルルアの関係はそれだけではない。エーファにとってルルアは家族であり、幼馴染であり、最愛の人だ。親愛、友愛恋愛の全ての想いをルルアに対して抱いている。この二人は作中のあらゆるキャラクターよりも深い絆で結ばれているはずなのだ。にもかかわらず、エーファは自分過去を、悩みを、ルルアには話したことがなかった。具体的な事が起こるまで、自分の内に抱えたまま、誰にも言わず生きてきたのである。エーファは「誰にでも知られたくない過去があるものだ」と言った。エーファは自分過去を、家族にも、幼馴染にも、最愛の人にも言わなかった。このとき、エーファは自分他人の間に明確な線を引いているのだと、そう感じた。そう思って会話イベントを見れば、両親(正確にはその使者だが)と会う時につらくてルルアを頼ったあの一回を除いて、エーファは作中全てのキャラクターと明確に距離を置いている事が見えてくる。踏み越えるべきでない一線を絶対に超えない。無茶は言わないし、媚びる態度もとらないし(ルルアに便乗することはあるけれど)、文句も言わず全てに肯定的。物語後半になって、エーファというキャラクターがとても異質なものに見えてきたのを覚えている。

そんなエーファの性質も、よく考えれば自然な事だ。だって、エーファは実の両親に捨てられたのだから。実の両親ですらエーファにとっては信頼に足りないただの他人なのだから。だからエーファは本源的な部分で他人を信頼できない。理性的他人を信頼できても、最後の一線をどうしても超えられない。他人を信頼して裏切られた時の気持ちを、エーファは知っている。彼女そうやって生きてきたし、これからもそう生きていくのだろうか、そう考えると心がギュッとなった。

ところで、本作はマルチエンディング方式採用している。バッドエンドとノーマルエンドとトゥルーエンドそれからネタエンド、あとはパーティキャラ毎にキャラクターエンドが用意されている。また本作のやりこみステージクリア後の世界である。通常、こういったゲームクリア世界はかなりメタ的都合に配慮されていて、例えばパーティキャラの一人が旅立つと決心しても、「まだ色々やらなきゃいけない事があるからそれが片付くまではここにいるぜ」的な辻褄合わせの会話が挿入されたりする。本作にはそれがない。エンディングパーティメンバーは各々の道へ歩き出すが、それを無視してクリア世界ではみんなパーティに残っている。エンディング未来がifなのか、クリア世界がifなのか、正直どっちでもいいけれど、この仕様からエンディングのif感が強調される。

本作のキャラクターエンドはとても面白い。例えばオーレルエンドは本作ストーリーと地続きにあり得るifストーリーなのだが、ニコエンドやフィクスエンドはなかなかに突拍子がない。確かにストーリー中でそういう可能性は示されるけれど、さすがにオーレルを差し置いて彼らが選ばれる未来があるとはとても思えない。でもそれでいい。それでいいんだ。ニコフィクスも、ルルアに対して普通でない感情を抱いていることは読み取れる。なら針の先ほどの可能性だったとしてもそれを掴み取る未来。いいじゃないか。最高じゃないか。少しメタ的な言い方をするなら、キャラクターエンドはキャラクター物語に対してわがままを言えるほぼ唯一の場である。だから多少突拍子なくてもいい。彼らが望んで止まなかった未来を気兼ねなく広げようじゃないか

からこそ、エーファが何を望んだのか期待した。もしかしたらちょっと顔の赤くなるような、甘い世界を見せてくれるのかもしれないと期待した。彼女が抱えた問題を越えた先に何が待っているのか知りたかった。だからこそ、驚いた。エーファは何も望まなかった。キャラクターエンドという自分が主役のステージに上がってまでして、彼女は全てのifを否定して現状維持を選んだ。彼女はついに、ルルアとの間に引いた他人としての一線を越える事が出来なかった。彼女は何に代えても手に入れたいと思っていたものを、自身人生の中で培ってきたつまらない価値観がために、ついぞ手に入れることはできなかった。この事実が、あまりにも残酷で、美しいと感じた。

アトリエ世界ファンタジー世界だ。登場するキャラクター基本的に皆前向きで、未来を悩み模索する。そんな中でエーファのエピソードは明らかに異質だ。彼女は、とうに決別したつもりの過去をただもう一度切り捨てただけで、本質的に何も変わっていない。彼女パーティメンバーの中で唯一、物語を通して変われていない。過去を切り捨てることはできても、決別して新たに踏み出すことはできていない。物語が終わって、その先の未来になっても、彼女自分の中にある傷跡にずっと引きずられている。エーファだけが、ルルアのアトリエ世界の中で、ひときわ人間的な存在として描かれている。つまらない事で大切なものを諦め、それで仕方ないと自分に無理やり納得させ、これで良かったのだとモヤモヤしたまま生きていく。そんな気持ちで、彼女モノローグを恨めしく、淡々と語ったのだ。

エーファ・アルムスターの魅力はそこにある。

2019-05-24

肉を食べるのは良くないことだからやめろと言われても反論できない

はてなでは最近ヴィーガン話題だ。自分も肉は食うのだが、しかし肉を食べるのは良くないことだからやめろと言われたら反論できない。

まず環境に良くない。同じ量の栄養を持つ食品を作ろうとすると、牛や豚を育てるのと豆を育てるのでは環境への負荷が数桁違う。牛が出すげっぷに温室効果ガスが含まれていて、世界中の牛が出す量を合計すると地球温暖化無視できない勢いで影響しているという話もある。肉を食べるのは環境に良くないからやめろと言われると反論できない。

また健康にも良くない。脂身の多い肉は心疾患のリスクを高める。加工肉や赤身をとると発がんのリスク高まるWHOも言っている。肉を食べるのは健康に良くないからやめろと言われると反論できない。

さら日本人としても良くない。日本で牛や豚の肉を食べることが全国で一般に広まったのは明治以降の話だ。肉を食べるのは日本人本来の姿に反するから良くないからやめろと言われると反論できない。

そして倫理的に良くない。動物愛護法は「生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」ため「動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめること」を禁止罰則も設けられている。動物を苦しめるのは良くないことだという倫理は既に日本法律に組み込まれているのである。そして、人間も犬も猫も食べてはいけないのに牛や豚は食べていいというのは一貫していない。哺乳類全般は食べない、あるいは恒温脊椎動物は食べないという風にした方がルールとしても一貫している。肉を食べるのは倫理的整合性がとれていないからやめろと言われると反論できない。

肉を食べるのは正しいことだと主張する方法ほとんどないが、肉を食べない方が正しいと主張する方法はいくらでもある。ヴィーガンの主張をはねのけることができたとしても、このままではいつか何らかの形で肉食反対派が勝利を収める日もやってくるのではないだろうか。

2019-04-04

anond:20190404145508

横だけど、「性愛友愛は別物」と思う人は結構いるよ?俺もそうだ

でもロリコンの話をするときはその二つを一緒くたにしてぶっ叩くんでしょ?

anond:20190404144553

横だけど、「性愛友愛は別物」と思う人は結構いるよ?俺もそうだ

で、多分増田みたいに「性愛友愛に違いなんてないでしょ」って人もいるんだろうね

何で自分がそうだから人間全体がそうに違いないと思ってるのかが問題だと思うけど

改元政治利用したアベ政治絶対に許さな

アベは元号すら政治利用しようというのか!

発表された新元号を前に、私は改めてこの国の首相に対し深い失望感と強烈な不快感を抱いた。


「令和」という文字第一印象は、多くの人にとって「平和を命じられる」というものであっただろう。

実際「令」という字は「言いつける、命令する」が第一である

政府は何かと聞こえの良い説明でっちあげて「『令』は『麗しい』を意味している」などとほざいているが、実態は「上から押し付けられた虚構調和」を暗に仄めかすものであり、裏を返せば「お上の決めた和から外れた思想は徹底的に弾圧する」というアベ独裁政権決意表明に他ならない。

自己顕示欲の強い安倍首相であるから「アベの安」の字は必ず元号に押しこんでくるだろうという当初の懸念杞憂に終わったが、それ以上に市民バカにした元号を発表したことはさすがに私も想定の範囲外

呆れてものも言えないとはまさにこのことだ。


もしも民主党政権があのまま続いて、後進の立憲民主党現在政権を担っていたのであれば、元号もっと国民目線国民に寄り添った素晴らしいものになっていたに違いない。

現在日本はアベ独裁政権が進める極右化によって市民同士の繋がりが分断されてしまっているが、それを取り戻し市民きずなを再び結びつけるような元号が求められている。

例えば、ヤマトに今なお弾圧されている沖縄に思いを馳せ、「友愛」と「琉球」を組み合わせた「琉愛(りゅうあい)」はどうだろうか。

また、アベが国内マイノリティに目を向けているのであれば、アイヌ支援法案閣議決定を祝して「愛怒(あいぬ)」「尺輝(しゃくしゃいん)」なども候補に挙がったはずだ。

国内の反人権主義者たる右翼勢力どもは立憲民主党を「売国政党だ!」などと根拠なく罵っているが、安倍煽動する現在の"倍国"政治を前にしてこれよりひどい政治体制などあろうはずがないのである

もしアベに人間としての最低限の良心がまだわずかながらでも残っているのであれば、改元政治利用した恥ずべき行為を深く反省し、即刻内閣総辞職させて国会議員立場も辞するべきである

アベ政権を打倒し、人民の手に政治を取り戻そう!

2019-03-12

自民党歴史 〜戦後レジームとは何か〜

登場人物紹介】

 

鳩山一郎

主人公属性:★★★★★

ピュアさ :★★★★★

打たれ強さ:★☆☆☆☆

鳩山由紀夫のお爺ちゃん

自由党を創設し、日本民主党を創設し、自民党を創設した人。

フリーメーソンの人としても有名。座右の銘は『友愛』。

 

三木武吉

智謀 :★★★★★

執念深さ :★★★★★

主人公属性:★☆☆☆☆

政界の寝業師。

鳩山一郎プロデュースした人。

小沢一郎の父を政界に誘った人でもある。

 

吉田茂

智謀 :★★★★★

事務能力 :★★★★★

協調性 :★★☆☆☆

麻生太郎のお爺ちゃん

日本国憲法教育基本法労働基準法公職選挙法自衛隊法...といった数々の法律を作り、

サンフランシスコ講和条約日本の再独立を果たした総理

戦後日本の骨格はこの人がだいたい仕切って作った。

 

岸信介

黒幕力:★★★★★

執念深さ :★★★★★

妖力:★★★★★

安倍晋三のお爺ちゃん

戦前満州国で絶大な影響力を持ち、

戦後A級戦犯被疑者として拘留されたもの政界に復帰し、

首相を務めただけでなく、平成直前まで『昭和の妖怪』として歴代首相に強い影響力を持った。

 

【本編】

1945年敗戦ーーー。

戦争を主導していた東条英機戦前権力者は、GHQの手によりA級戦犯指定され、巣鴨プリズンへと収容された。

権力の中枢の中にいなかった政治家も、少しでもGHQに目をつけられれば公職追放された。

その中には自由党設立選挙与党第ー党になったばかりの鳩山一郎もいた。

 

鳩山一郎「せっかく選挙で選ばれて与党第一党になったのに、GHQひどいよ...」

三木武吉「お前を総理大臣にしてやると誓ったのに・・・くそッ志半ばで...」

鳩山一郎「誰か代わりに総理やってくれないかなぁ。あ、吉田くん!」

吉田茂「なんだ?」

鳩山一郎「ぼく公職追放されて総理やれなくなっちゃったからさ、吉田君が総理やってよ」

吉田茂「嫌だよ面倒臭え。俺は外交官であって、政治家じゃないんだよ」

鳩山一郎「そんなこと言わずにさぁ、君ならできるよ」

吉田茂「あー分かった。分かった。そのかわり自由やらせて貰うよ。

あと嫌になったらすぐ辞めるからな。お前が公職追放解かれるまでだぞ。」

鳩山一郎ありがとう!」

 

自由党本部ーーー

吉田茂「新しく党総裁になった吉田です」

議員「はぁ?何だお前!」

吉田茂鳩山に頼まれ総裁になりました」

議員官僚風情に総裁が務まるかよ!お前は引っ込んでろ」

三木武吉・・・

議員GHQ吉田茂を嫌ってるらしいぞ。こいつには任せられんだろ」

一年議員ちょっと待ったぁ!」

議員「なんだ?」

一年議員吉田総裁、良い響きじゃないですか!皆さん、GHQの言いなりになるんですか!」

周り「ざわざわ・・・そうだそうだ!GHQの言いなりになんかなるもんか!」

三木武吉「決まりだな」

吉田茂「あの田中角栄かい一年議員・・・将来大物になるな」

 

吉田内閣・成立

吉田茂吉田内閣閣僚についてだが・・・

議員「各派閥からちゃんバランスよく選べよ」

吉田茂「実はもう決めてる」

議員「は?」

吉田茂「我ながら優秀な人材を揃えた思う」

議員学者官僚じゃねえか!政治家経験の無いやつ連れてくるとかアホか!」

吉田茂「それだけじゃないぞ。若手官僚たちを自由党からガンガン出馬させる。

佐藤栄作に、池田勇人宮沢喜一鈴木善幸大平正芳、小渕(父)、小沢(父)、橋本(父)・・・将来楽しみだ」

議員「こ・・・こいつ自由党を乗っ取るつもりか・・・

 

日本国憲法公布

教育基本法公布

労働基準法公布

公職選挙法公布

(中略)

自衛隊設立

サンフランシスコ講和条約締結

吉田茂「意外とおれ政治に向いてるんじゃねえか?

戦後体制(レジーム)はほとんど俺が作ったと言っても良いんじゃねえかな、これ」

鳩山一郎「ひさしぶりだね吉田くん」

吉田茂「おう、ひさしぶり。公職追放解かれたんだってな。おめでとう」

鳩山一郎ありがとう、ところであの約束覚えてる?」

吉田茂「なんだっけ?」

鳩山一郎「僕が公職追放解かれたら総裁の座返してくれるって約束だったよね?」

吉田茂「そうだっけ?」

鳩山一郎「ひどい・・・

吉田茂「いや、俺この仕事向いてるみたいでさ、今更そういうこと言われても困るんだよなぁ」

鳩山一郎「ひどい・・・

三木武吉「おい吉田ァ!約束忘れてんじゃねぇぞ!この自由党はなぁ!鳩山の夢叶えるために立ち上げた政党だぞ!」

鳩山一郎「まぁまぁ」

三木武吉「後悔させてやる...」

吉田茂「なんだとコラ?」

三木武吉「今に後悔させてやるぞ...必ずな」

 

東条英機ら7名のA級戦犯処刑

その翌日・・・

岸信介「ふぅ、やっと巣鴨プリズンから出られたが...さてどうしたものか」

岸信介「まったく、俺が牢獄に入っている間に好き勝手にやってる奴がいるな」

岸信介「気に入らん・・・まずは自主憲法、そして再軍備だ」

岸信介「弟よ・・・

佐藤栄作「なんだい兄さん」

岸信介「お前吉田内閣大臣やってるらしいじゃないか。俺を自由党に入れろ」

佐藤栄作「分かったよ。なんとかねじ込むよ」

吉田茂岸信介戦前の亡霊じゃねぇか!危ねぇなぁ。除名だ除名!」

 

国会にて

吉田茂バカヤロー!」

野党バカヤローとは何だ!総理大臣がそんなこと言って良いのか!内閣不信任案だ!」

吉田茂「やるならやってみろ...内閣不信任案なんて通るわけ無いだろ」

議長「賛成多数で可決です」

吉田茂「何だと!」

三木武吉「ふははははは、思い知ったか

吉田茂貴様、裏切ったのか!」

三木武吉「先に裏切ったのはお前だろ」

吉田茂「くっ・・・

三木武吉日本民主党設立する!党首鳩山一郎!こっちが本家だ!」

 

自由党選挙大敗与党第一から転落。

三木武吉「で、どうする?」

吉田茂ぐぬぬ

三木武吉「また一緒になるか?もちろんタダでとは言わんがな」

吉田茂「条件は何だ?」

三木武吉「新しい党は、鳩山一郎党首だ」

吉田茂「それだけか?」

岸信介「私からひとつ...憲法改正を党是に」

吉田茂「岸・・・なぜ貴様がここに!」

岸信介あん憲法無効ですよ無効

三木武吉「新しい憲法は俺たちの手で作る。それで良いな?」

吉田茂「くっ・・・

鳩山一郎「よーし、やるぞー!」

1955年自由民主党、結党55年体制始まるーーー。

2019-03-02

インド友達に教わった人生を生きやすくする方法

日本在住のインドの友だちとごはんに行った。

日本自殺率の高さが話題になり、日本人は時間几帳面すぎるのが原因ではないかと言う。

インドでは電車は一時間は遅れるのが普通とのことだ。

然り。

翌日から腕時計タイマーを捨て、太陽と腹時計で行動するガンジスメソッドに切り替えた。

実践をはじめた当初は反発もあった。

だが、時間に追われることなマイペース生活するスタイルは確かに精神の安定に繋がった。

会社でもインド式を取り入れる仲間は増えていった。

スギスしていた人間関係ガンジー精神友愛に満ち、契約不履行から会社倒産し、ついに皆仕事から解放された。

2019-02-16

anond:20190216144025

ラブライブ”の意味については、

世界博愛と寛容で包むラブのマインドを伝播するライブ”のように俺は捉えている。

世間的な感覚では、ラブ=セックス、と捉えて「ラブライブ」の単語いかがわしい響きと感じがちなのはよく分かる。

もし「ライブする少女たちはセックスシンボルではないか」と問われれば、「その側面は間違いなくある」としか言えない。

だが、この作品はそれをネガティブに描かない。そこに意義がある。

作中の彼女らは、自分たち女性から逃げていない。

素直に、真っ向から自分たち女性であること、少女であること、若者であること、地域学校に属する人間であること、そして成長する人間であることを全身で表現し、ライブで伝えるのだ。

そうした姿が不健全に映らないのは、世界観がそう設定されているからというのもあるが、

パフォーマンスをするキャラクター、そして演者が、純粋であることを恥じない強い精神を持っている/持っていく動線が描かれているからだ。

結果として、観る者は作品の独特の世界観に没入するほど、世俗的で動物的な「ラブ」ではなく、より高次元の「ラブ」への感度が高まっていく。

友愛、親愛、対立する者への愛、家族愛、級友や地元の人々への愛、郷土愛自然動物への愛、都会への愛(受容)、先達への敬愛、全国のアイ活する同志への愛。

これほど全方位に「ひねくれていない」生き方ができるのは現実の我々からすると眩しいが、作品によって感度が高められるとそれを肯定したくなるのだ。

結果として、ラブライブファンになると、ラブに対する意識が多かれ少なかれ、高まるはずだ。

2019-01-25

anond:20190125105400

動物虐待する人=やばい人、だろうけど

動物愛する人=いい人、というのは勘違いというだけじゃないか

友愛及び平和の情操の涵養に資する」というのは法律をそういうことに役立てるという意味

法律破綻しているわけではなく、人間破綻してるんだと思う

日韓に亀裂

1 →親分解決

2 →両国の米影響力上がる

3 →選挙自民勝利、なぜか戦時体制

4 →危機の原因探ったら人民解放軍臭い

5 →ソウルでクウ、北と合流、軍事機密持ってかれる

6 →右の風が吹いて各地で暴動ジャーナリストは膝に矢を受ける

7 →なぜか円高

8 →経済危機を隠すように竹島奪還

9 →なぜかロシア経済協力、結局0島返還

10親分の体が捻れてて動きが鈍い

11釜山佐世保世界最高気温更新トランプ千切れる

12アムステルダム御所行幸

13 →共産党とゆかいな仲間たち党が第1党となって友愛党、ネオ公明党大連立、のちに大政左翼賛会として統一

2019-01-24

動物愛護法イコール差別法論

日本動物愛護法動物の愛護及び管理に関する法律)は

動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ること」

立法目的としている(第1条)

そして、「愛護動物」への虐待禁止し、罰則を設けている。

しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。

動物愛護法十四条

「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの

要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級ランク付けされていることになる。

仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、

以下のようになる。

(※鳥獣保護法特定外来生物法についてはこの際考えない)

****************************************

【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物

・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種

【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物野良対象外

哺乳類

鳥類

爬虫類

【Cランク動物】(愛護動物ではない動物

魚類

両生類

・すべての無脊椎動物

****************************************

この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。

法律上では金魚カエルカブトムシといったペット愛護しなくてもよいことになっている。

何故なら【Cランク動物】だから

一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。

何故なら【Aランク動物】だから

しかし、現実には「金魚カエルカブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。

そして、金魚カエルカブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、

単なる好き嫌い以外に存在しないのではないだろうか。

もっと言うなら、ゴキブリペットとして愛している人もいるだろう。

だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、

平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリ場合は、器物損壊にはなるだろうが)

にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、

「全国民」が愛護しなければならない動物とされている。

別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。

それなのに、個人自由であるべき嗜好を、法律罰則まで付けて強制している。

【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、

【Cランク動物】を傷つけた人は無罪放免

【Cランク動物】を嫌って殺す人は無罪放免なのに

【Aランク動物】を嫌って殺す人は罰金を払うことになる。

さて、この構造差別以外の何と呼べばいいのだろう?

「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人属性によって、

大幅に不利益を被ることになる被差別者層が生まれる。

その上、この愛護法上の差別正当化する理由噴飯物で、

曰く「犬猫虐待する人間殺人犯になりやすい」だの「昆虫愛する人間は異常者」だの、

差別常套句が並ぶ。

これは「黒人犯罪率が高いか黒人犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。

ニューヨークなどの都市黒人犯罪率が高いのは統計的事実だが、

から「肌の黒い人間規制せよ!」などというのはバカバカしい。

相関関係因果関係ではない。

黒人犯罪率が高いのは、「黒人貧困層が多いから」「黒人教育を受けてない層が多いから」かもしれない。

肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。

犬猫動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。

動物愛護法44条はこの「命のランク制」を廃止して、

「すべての動物例外なく愛護する」ことにするか、

さもなくば動物愛護法自体廃止した方がよかろう。

そもそもこの法律自体が「動物に優しい人はいい人である」という無根拠選民思想に基づいている。

動物好きであろうが悪人はいるし、動物嫌いの善人もいる。

動物が好きかどうかで人間の良し悪しを区別する」という立法趣旨自体差別的と言わざるを得ない。

2019-01-13

わかんね〜

最近恋人が欲しいと強く思うけど、単に好きな友達と話す機会がなくて人恋しいだけなのかもしれない。そもそも友達に対しても自分一方的に好きなだけで相手別にたくさんいる友人のうちの一人としか思ってないだろうから自分がこの子の一番になることは決してないんだろうな、、しにてえ、、とかいうなんか薄気味悪い感情を抱いててこれは果たして友愛なのか分からない。恐ろしいことにこういう感情複数の子に対して向けている。あと自分が好きだな〜と思った友達自分恋愛関係に陥る妄想をしてしまうことがある。そういうことを考えてる時に割とわくわくしてしま自分が無理。友愛恋愛の違いを分かってないんだよな。人を好きになった経験が小1以来一切ないし(ていうか当時本当に好きだったかも怪しい)、異性と積極的に関わっていったことも今の所ない。自分の中では異性愛スタンダードから異性と関わることはそれ即ち相手好意を寄せてるように取られるって無意識に思ってて、自分のような容姿人間に好かれてても相手からしちゃあ良い迷惑だな…という自意識過剰自己卑下のもと異性との関わりを避けてきたんだと思う。

話が脱線しまくって結局どこに行き着きたいのか分からなくなってしまったけど、まとめると自己肯定感の低さから異性と関わる機会が極度に少なくそことの因果関係は定かではないけど友達に対して恋愛未満な謎感情を抱くようになり恋人が欲しいもの自分にとっての特別とはどのラインからなのか分からなくてジタバタしてるよって感じの話です。全然まとまってない。

2018-12-05

動物虐待者に対する『差別』の存在

差別をする側は、「自分差別をしている」という事実認識しにくい。

肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、

それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。


出身土地職業差別することが当然の時代で生きてきた人間は、

部落差別差別であると知ることができない。


同性愛悪徳だと教えられて生きてきた人間は、

同性愛差別を当たり前のこととして受け入れてしまう。



「それは差別ではなくて当然の常識だ」

区別をつけるのは当たり前のことだ」

そんな風に自己認識を歪め、差別正当化してしまう。

しろ一部のグループ迫害することを「正義」だと考えてしまう。

人種差別や、部落差別も、同性愛差別も、

今の我々は「それが差別である」という認識社会で生きているか

差別として認識できている。

だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしま

見えなくなっている差別もあるのではないか



私は、その一つが「動物虐待者への差別」だと考えている。




恐らく、この記事タイトルを見たとき多くの人が


動物虐待者は悪人なのだから非難されるのは当然だ」

「そんなもの差別じゃない」


と思ったことだろう。

実際に日本では動物愛護法が制定され、

愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という

罰則が定められている。





>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物死体放置された施設であつて自己管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。

3 愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する。

4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの








現在日本では愛護動物に対する虐待法律的にも倫理的にも「悪」とされ、

非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。


だが、ここであえて問いたい。

「何故?」

と。

動物虐待がなぜわざわざ社会全体で法律を制定してまで、

排除しなければならない「悪」なのか。


動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。

それでは、理由もなく人種差別部落差別同性愛差別をしてきた人々と

同じ間違いをしていることになる。



では、手始めに動物愛護法第一条を見てみることにしよう。

基本的には、法律第一条にはその法律が作られた目的が記されている。





第一条 この法律は、動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ることを目的とする。





なるほど、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」。

かに生命友愛平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。

少なくともその目的自体は間違ってはいない。

だが、ここで当然の疑問が生じる。


動物愛護すれば」

生命尊重友愛及び平和の情操が涵養される」


という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。


結論から先に言うとこれは完全に間違いで、

現実には多くの動物好きが凶悪犯罪を行っている。

2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件

2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパート大家サバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件

2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件

ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。

したがって、「動物愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。


恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に動物愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、

科学的・統計的根拠があったわけではないのだろう。

そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは

哺乳類鳥類爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。





命の大切さを謳うこの法律では、魚類両生類無脊椎動物については何一つ保護対象になっていないのである

何故なら愛護動物ではないから。



イヌネコウサギを殺すと「生命尊重友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、

金魚カエルカブトムシ別に殺してもいいので無問題という、

この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。




さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、

動物虐待行為「悪」として迫害することの正当性担保するものは何も無いことがわかった。




からといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、

なかなか受け入れられる人はいないだろう。



その理由の一つが、広く社会に流布している以下の言説だ。



動物虐待はやがて人間への攻撃エスカレートする」

冷静に考えると「○○というグループ犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想典型なのだが……



実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。




聞くところによると、FBI専門家が、虐待精神に悪影響を与えると言っていたらしい。

FBIといえば犯罪捜査プロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、

きっと「動物虐待はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。




自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。



さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である





犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリング技術確立したFBI捜査官だ。




その手法については彼の著書であるFBI心理分析官』に詳しい。



私は以前、その『FBI心理分析官』を読んだ。

そして、愕然とした。

実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待殺人エスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。

彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、

動物虐待癖についてはシリアルキラー発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。



別に動物虐待殺人暴行因果関係については一言言及していない。

(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人過去に○○しているパターンが多い」と、

犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)

恐らく、このわずかな記述が誇張され、曲解され、

FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待人間への暴力エスカレートする』と言っていた」

というフェイクニュースを作り出したのだろう。




実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。




そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。


FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、

一度もそれを確かめようとはしなかった。




もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前出版された本であり、

今では犯罪学や心理学の研究状況は変わっているかもしれない。


だが、軽く調べただけでも

暴力段階説(動物への暴力人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。



ここに来て、私は動物虐待行為「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。

結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。


それも、かなり悪質な差別だ。


しろ法律まで制定して、公然動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから

そして、「動物虐待はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの

言説も、ヘイトスピーチしか言いようがない。



何の根拠もなく(ヘイトスピーチそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定グループへの誹謗中傷を行っているのだから

もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。


動物好きな人可憐な犬や猫を殺す行為社会であると思いたがってしまう。

何故ならその方が自分たちの感情にとって、都合がいいから。




自分の好きな犬や猫を攻撃するものが悪ではないと認めるのは、都合が悪いから。




だが、そのこだわりこそが差別の源であることを、人間は肝に銘じなければならない。

2018-10-10

LGBTの友人について思うこと

私にはLGBTの友人がいる。

私はその子のことをとても大切に思っている。

の子のことがとてもとても好きだ。でもそれは恋愛感情ではなく友愛気持ちだ。

LGBT彼女の悩みはあまりいたことがない。あまり突っ込んで聞くというのも失礼な気がしている。

彼女はおそらく私が男の人を好きになるのと同じように、女の人を好きになるのだと想像している。

私には想像するしかできない。

私は女の子を好きになったことはないし、同性を好きになることで感じる苦しみがどんなものかわからない。

私は彼女とは物理的に遠くの場所に住んでいるので、あまり会うことができない。

彼女とは趣味世界で知り合ったが、でも会えた時はご飯を食べに行ったりお酒を飲んだりして、その趣味の話や人生観や、人間関係についていろんな話をする。

私にとってその時間がかけがえのないもので、とても楽しい。だから彼女のことが大切だし、とても好きだと思う。

ところで彼女には別の友達がいる。私はその子と少し面識がある程度だ。その子彼女とよく遊んでいる。それならば別に私はなんとも思わない、彼女の交友関係に口を出す気もない。

ただその子は、男装というか、擬似的な男として彼女に接しているように見える。

私も彼女もその子も、いわゆるBL趣味出会ったのだが、なんか二次元BLカップリング現実LGBT彼女相手にやろうとしている感がめちゃめちゃする。

よく彼女はその子と遊びに行ったとSNS投稿しているのだが、デートとかプレゼントをもらったとか、イケメンだとか書かれているので彼女自身あんまり気にしてないのかもしれない。

でも私はそれにかなり嫉妬している。

ていうかクソムカついている。

の子は結局、彼女を使って擬似的同性愛を楽しみたいだけなんじゃないかと思ってものすごい怒りを覚える。

私はその子LGBT彼女を「自分ファッションのために使っている」ように見えて仕方ないのだ。

ただこれは私の全くの想像でありただの嫉妬であり、女子中学生で終わらせておくべき友達の取り合いで、私も結局彼女自分を飾るためのある種のプライズとして見ているのではないかと思う。

こんなことは彼女に対して言えない。私のこの感情彼女にとってとても失礼なのではないかと思う。

私も結局、LGBT彼女を擬似的恋愛対象としてみているのだろうか?それは彼女にとても失礼だし、嫉妬感情を抱くことも間違っているような気がする。

私が彼女LGBTについて多く聞かないのは、何を聞いたら失礼になるのかわからいからだ。

ただの嫉妬とわかっちゃいるけど。彼女の一番になりたいとは思わないが、その子より…!と思ってしまう。

ていうか何度でも言うけどその子の態度がクソムカつくんだ。振る舞い方が気に食わないというだけなんだろーなー

ただ難癖つけたいだけなのかもしれない。

女同士にある、友情を少し越えたところにある微妙関係性というのはなんなんだろう。

私が一番、彼女友達でいるべきではないのかもしれない。そんなことを考えている。

想像しようと頑張るが、想像することもできない。何年も友達でいるが、あまりにもわからないことが多い。わかりたいと思う。でも聞けない。

どこにも吐き出せないのでここに書いた。

2018-10-04

anond:20181004123034

から認識が逆なんだよなぁ

自ら「教育勅語アレンジします!!」って言ってるんじゃなくて

教育勅語どう思う?」って聞かれての回答だから

全否定できないから「アレンジして」って言ってるわけで

ゲロに例えてるけど、親孝行とか友愛否定したらしたで人格破綻者言われるわけで

2018-09-01

某さんのようにコンスタント

某さんのように怜悧文章

某さんのように成果を上げられるのが理想

某さんのように友好的な人に恵まれ

某さんのように理知的

某さんのように慈愛に満ちた

某さんのように友愛に溢れた内容で

そんな人になれる筈もなく

今日も濁りきっていきます

2018-08-16

現代版・義賊3選

・店の裏口から入り残飯勝手に食す、通称環境族」


アパホテルに泊まり、アメニティのみならず歴史修正的な本も持って帰る「友愛団」


児童ポルノ単純所持する「自由避難所


あと一つは?

2018-07-16

歴代最高のテイルズオブ作品エターニア

ファンタジアヴェスペリアまではやりこみプレイして、その後のはサクッとだがクリアしてる俺的感想ストーリーが素晴らしい。あの時代差別友愛を描いた作品なんだぜ。独自言語とか独自ことわざとかファンタジーとしての作り込みがすごい。料理システムが凝ってて神。寄り道要素も多くて一生遊べる。神。あーもっかいやりたくなってきた……

2018-06-12

愛することと、差別すること

結論を先に述べると、人にとって分け隔てなく愛するということは不可能で、愛することはすなわち差別することにつながる。

それでもなお、それを理想として追いつづけていくしかない。それが神を捨てた人の宿命

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愛には、対象特定せずに広く与える愛と、対象を選り好みして特定のものにだけ注ぐ愛とがあるという。

前者の愛は、一神教における全知全能の神が人々に与えるものであるし、日本においては万物に宿る神が織りなす世界から加護、あるいはお天道様が見て下さるという感覚が近いものだろう。

一方で、後者の愛は、よくある狭義の愛である

前者の愛をもたらす対象が人ならざるものであることからも分かるように、物事の如何に区別なく愛情を注ぐというのは、人にとって不可能にも近い不得手なことがらである

人が織りなす愛というのは、何かと何かを区別する、あるいは誰かと誰かを差別することで特定のものに注ぐものである。それは肉欲によるようなものばかりではなく、優れたもの・素晴らしいものを愛でるときにも当てはまる。なぜなら、そのとき人は、劣ったもの・醜いものを選り好みして差別しているからだ。勿論、その選り好みは外見だけの評価とは限らず、内面や行動などで判断される場合もある。

美術美術として評価されるのは、他のものと比べて美しさが秀でているからであって、誰か素人が作った作品よりも他人からの愛を受けているからだ。平等に愛を注ぐのなら、そうした素人作品美術品すら区別なく差別なく、愛を注いでしかるべきだ。残念ながら、選り好みをしてしまうということ自体が、平等に愛を注ぐということに反しており、結果としてそのように世界を愛するというのは一般の人には到底不可能ことなである

それが不可能で、それでいてなおかつ愛を受ける身としては理想的であったからこそ、全知全能の神という概念を人々は作り出したとも言える。なにしろ、どんな存在であっても愛を受ける資格はあるのだから。たとえどんな悪事を働いていたとしても、無為存在であったとしても、そんなことは関係ないというのだから。人々が与える愛は、相対的肯定はあっても、絶対的肯定はありえない。それは秀でたものがより愛され、劣ったものがより愛されないという状態であり、その基準は各々異なっていても、対象によって愛を与える程度が異なるというのは変わらない。その優劣は非常に恣意的で、単に身近にいるかそうでないかという差異であったりもする。親が子を無条件で愛すると言っても、子として存在しているからこそ他人より差別して愛するのであって、どんな人であっても同様に愛するというのとは全く異なっている。そうした相対的な愛ではなく、絶対的な愛を誰も分け隔てなく与えてくれる存在、それこそが理想でなくてなんなのだろうか。

かような神という概念を創出したことで、人々は平等に愛を得ることが可能になった。その愛が空想上のものであったとしても、構わない。重要なのは当人が愛を受けていることを感じているかどうかであって、実体として誰かが愛を与えているかどうかではないのだから

このように考えてみると、万物に対する差別なく区別ない愛というのは、人々の空想上のものに過ぎないと分かる。ただ、それは空想産物であったとしても、非常に賢い発明であったことは確かだ。それに、実体がなかったとしても何の問題があるだろうか。愛を与える存在いるかいないかに関わらず、愛を受けているという感覚があるということこそが重要なのだから

いずれにせよ、これまでの議論から導き出されるのは、人は区別差別することなしに愛することはできない、ということだろう。言い換えると、区別することで初めて愛することができる、とも言える。それは人種国籍身分その他という分け方でなくても、ヒトかヒトでないか動物かそうでないか生物かそうでないか、石ころだって特定の、例えば花崗岩や砂岩などと判別することで初めて対象特定化て愛情を注ぐことができるのではないか。漫然と、自分の子供と野良猫とそのへんの石を全く平等に愛するというのは不可能なのだ。そのへんの石だって、他の石と区別することで初めて愛しうる対象になりうる。区別できなければ、その対象にすらなり得ないのだ。

故に、人を愛するにはその人を他人区別することが必要となり、集団を愛するにはその集団を他のもの区別する必要があり、地域を愛するには他の地域区別する必要が、国を愛するには他国区別する必要が…となっていく。愛国心などと言っても、日本という概念があまり一般的ではなかった江戸時代には、諸藩における郷土愛はあっだだろうけれども日本を愛するという考え方はごく一部の外国認識している人を除いて存在しなかっただろう。列島を束ねる存在日本)が当たり前過ぎて、認識するに至らなかったというほうがより正確なのかも知れない。

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左翼のというより、人権思想などの近代思想の出発点は、フランス革命自由平等友愛から始まっている。ここで友愛とは博愛とも同胞愛とも訳され、仲間に対する愛を示しているのだけれども、これも特定集団に対する愛を唱うことで他の集団差別している。平等とはあくまでその集団の中だけで適用される概念で、他の集団に対しては平等であることは必要ではないのだ。だからこそ敵であるフランス王家斬首になったし、信条が異なる集団に対してはリンチが横行した。これは左翼思想を発展させた共産主義に引き継がれ、今なお信条正統性を主張する形で争われている。

この近代思想は、神が行ってきた(と人々が空想した)分け隔てない愛を与えるという行為を、人が自らの意志で執り行おうとして産み出したものであろう。それは確かに理想ではあるけれども、実態として分け隔てなく愛するということが不可能であるが故に、とき空想となり、あるいは夢想となって人々を混乱に陥れたようにも思う。

結局、現代人はその理想を、限定して扱うことで現実妥協しているのではないだろうか。

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人は誰も、差別されることは拒絶するが、他人区別することなしに過ごすことはできない。

基本的人権として求められるべき最低限の平等規定しつつ、それ以上の区別は互いに棍棒で殴り合う、もっと文化的に折り合うなどして勝ち取るものではないだろうか。

それでも、今なお基本的人権すら蹂躙されている場面が見られるのが現実ではあるけれども。

2018-06-02

anond:20180531213524

言論には言論で対抗するというのが本来のやり方なので、今回のような無理やり口を閉じさせるような祭りを正しいとは思わない。

社会の敵と認定された者は言論の自由を奪っていいという考え方のもとでかつて共産党員がどういう扱いを受けたか考えればわかると思う。

しろ日本自称リベラル差別無益さや友愛の大切さを説くことを早々に諦めて暴力法規制による言論弾圧への道を選んだことこそ無能の証だと思う。

2018-05-24

あれね

鳩山ちゃん枝野ちゃんが瓜二つに見える

枝野ちゃんも廃れたら、鳩山ちゃんと同じことやるんでしょ。

それで炎上してもとぼけたこと言い始めて友愛がうんたらーとか言いそうで怖い。

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