はてなキーワード: ミクロとは
ならそれが回り回って
マクロで言えば回り回るな?
でもミクロでは回らないんだなあ
そして今の議題はマクロ経済の話じゃなくて「立ち読みにおける貸し借り」の話だ
普通は自分の行動範囲や生活ルートの上で立ち読みする本屋があって、当然買うときも同じ本屋に入って単行本買うのが普通だろうが。
1センテンスで「普通」「当然」「普通」って3つ入るのは凄いなw
どんだけ頭悪くてどんだけ興奮してるとそうなるのかなw
それでな、話してる時に「普通」とか「当然」って言葉が入れば入るほどそいつの頭が悪い証拠なのでインジゲーターとして活用するといいよ。
俺がまさにそれ言ってるんだけどねえ
雑誌でチェックして(元増田的にいうなら「宣伝を受け取ってやって」)、単行本は電書で買うよなあ。
マクロに言って実店舗の本屋は縮小していくビジネスモデルってだけだが
アホか
アマゾン受け取る家族さえ居れば実本だって本屋で探すよりネット購入の方が楽だわ
お前はそのせまーい知識と思考を「当然」「普通」っていう馬鹿ワードでチェックもしないから
どんどんどんどん頭悪くなってるんだよトィンカスゥw
伝わらなかったのは読者たちの責任ではなく、完全に自分の責任だ。伝わるように書けなかったのだ。今読み返したらわれながら酷い。
自分が苛ついていたことをもう一度冷静になってみると、「ブコメ」や「世の中」という言葉は出てこない。
一言でいうなら、根っこは思考活動をゲームの一環に組み込んでしまうことへの嫌悪感だった。はてブの存在意義とか、世の中が変わる変わらないというのは二次的なことだった。快楽がどうとかも関係がない。もう一度自分のためにまとめて直してみようと思う。
文字列の中に落ち度を探して指摘する作法を学ぶのは簡単だ。相手がエラソーな言い方をしていれば「何様だよ」「だったらお前はどうなんだ」という言葉で払いのけ、自己矛盾に対しては「ブーメラン」で済む。そういうノウハウがどんどん上達していくことは醜い。人の言葉を一定の規則に従って次々と検品していくようなことを思考だと呼びたくない。
お気軽に思ったことを書ける場があることは素晴らしい。何に代えても死守すべき権利だと思っている。しかし、特定の場にずっと身を浸していると、思考様式が一定の方向に傾いてくる。これは確実にある(もちろんそうでない人はたくさんいて、そうでない人もいることで問題は伝わりにくくなる)。「~な時点でお察し」「良記事」「○○案件」というすり減った言葉を気軽に繰り返し使うことになんの抵抗もない人がいる。むなしさも感じないし、ものを考えているつもりで生きている。
結果的にコメントの集積が「日本死ね」のときのようなセンセーションを生み出すとしても、それに参加していたある個人の心に隠れている卑しさは消えない、と思う。俯瞰で見たときに何が起こっているかは重要じゃなかった。もっとミクロな話だった。ネット上で意見を発信し続けている誰か(それが「おまえ」かもしれない)の内側に自己欺瞞はないか? という話だった。
で、こういうことに文句を言うのは限りなくゲスの勘繰りなので、絶好のツッコミ所となる。「そういうお前はどうなんだ、反響があってうれしかったんだろう?」と笑われる。そのサイクルがこれからも続くのが予期できてしまうことが、自分はとにかく嫌なのだ。
観測者である自分を量子論から除外してる方がオカルトでしょうが。
ミクロだけでなくマクロにおいても作用されていると考えるのが今の主流科学だから。
シュレディンガーの猫は実在・非実在のゆらぎにあるのは猫だけでなく観測者である自分自身も含まれていることくらい知ってるんだよな。
なら観測者自身も見ている自分と見ていない自分の存在・非存在に分岐されているのに
結果が集約した後はどちらかしか存在しないのはどこで決まったと思う?
ランダムはランダムでしかないんじゃなくてそこに観測者の存在が介在するからこそ結果が1つしか得られなくなる=観測者も参加型の選択権を所持しているってこと。
母親がガンとの診断をうけて、もうすぐ5年半になる。
診断されたときには、ステージⅣで5年後生存率は20パーセントといわれていたが、幸運なことに、今でも調子がよいときは自分で車を運転して病院に通う程度に元気だ。
病院は、昔の社会保険病院(何年か前に制度改革で名前変わった)だから、まあ公立みたいなもんで、いわゆる「保険の範囲内」の治療を続けている。
基本的には、抗がん剤を月に一度うって、それから週一で検診をうけて、また抗がん剤うって、が基本パターンで、
だいたい抗がん剤うったあと数日はかなりダルそうにしているが、それ以外の期間は、病人とは思えないほど元気だったりもする。
その時期に人とあうと、誰も彼も「お元気そうでよかった!」というもんで、
「アタシだって病気なのに・・・」というのが数年来の悩みで、その手の愚痴はもう、聞くだけ聞いて右から左に流している。
で、ある薬が効かなくなったり、副作用が強く出てきたりしたら、新しい薬に変える。
薬が変わるごとに、医者から家族も同席した上で説明を受けるのだが、素人が聞いても分かったような分からないような話にしかならず、
母がかかるようになった当初、入れ替わり立ち代り看護師が「愛想は悪いけど、腕は確かな先生ですよ」とフォローに来たくらいだ。
まあ、その分、ある意味で信用はしている。余計なお愛想や、変に希望を持たせることも言わないし。
でも、実際、この先生が合わなくて転院していった人が、いなくはないらしい。
なんっていうか、身もふたも無い言い方をしがちなので、そういう人がいるのはよく分かるし、
そういうときに、なんか笑顔でへんな希望をもたせる代替医療屋が近づいてきたら、コロっといってしまうのではないか、などと思う。
で、3ヶ月ほど前、また抗がん剤が変わった。
今度の薬は、数年前に認可されたばかりで、はじめは肺ガンにつかわれており、母のガン(卵巣ガン)に使われるようになったのはごくごく最近であり、
母の主治医は初めて使うらしい。
「高額の薬ですけど、保険が利くようになりましたからね」と説明を受けた。
幸い、母には向いていたのか(抗ガン剤の向き不向きは、その人の病状やら体質やらガン以外の持病やらによって千差万別らしい)、
最初の投与のときは、若干副作用が重く、体重もかなり減り、心配もしたが、
その後は、当初のときほど副作用が重くない様子で、血圧も安定し、なにより腫瘍マーカーの数値がよい。
で、食欲も旺盛で、下手したらガンになる前よりあるんじゃないか?というくらいになり、実によく食べている。
なのに体重は増えないようだ。
よく分からないが、ものすごい勢いで体内のがん細胞を殺しまくっているのかもしれない。
この夏も、暑い暑いといいながら、友人と映画見に行ったりしている。
というわけで、医学の進歩は、はなはだありがたい限りなのだが、請求の明細を見ると、やはりいろいろと考えてしまう。
母の抗がん剤治療には、1回60万円以上の金が注ぎ込まれているのだ。
ところが、後期高齢者である母は、高額医療費の免除を勘定に入れれば、実質1万5000円程度しか払っていない。
この数字をみると、ここ数年、ほとんど医者にかかったことのない自分の健康保険料が「高い!」などという気分は、吹っ飛ぶ。
こんな風では、確かにこの国は医療費でつぶれてしまうのではないか?と思わないでもないが、
そんなマクロな疑問を、目の前の親の病気というミクロな大問題を前に考えていられるほど、自分は大人物ではない。
今の抗ガン剤も、いつまで使えるのかよくわからない。
一般論としては、どんなに長くても2年がせいぜい、らしい。
まあ、まだ使用例がさほど多いわけでもないので、医者もよく分かっちゃいないのだが、いずれ限界がくるのは明らかだ。
そこで、また新しい薬が出てきて、今度は1回100万(自己負担は2万数千円くらい?)みたいなことになるのかもしれないが、
そうなればまた、日本の医療制度に感謝して、淡々と母親のことを見守ることになるのだろう。
なお、ちょっと話は変わるのだが、素人ながらに母親とその周辺にいるガン仲間をみていると、
今のところガンに特効薬は無いのだが、
2 食生活がちゃんとしていること
大体、ガン以外に持病があったり、肥満だったりする人は、正直、ガンになってからの生存年数が短いようだ。
治療には体に負担がかかるので、「健康(ガン以外)」でないと絶えられないものらしい。
幸いにして母は、患う前、年齢の割には健康診断の星が格段に少ない人であった。
あと、やっぱり食事が偏った人や、食欲が無くなった人は、どんどん衰弱していく。
その辺は母も思うところがあるらしく、毎日時間をかけて野菜ジュースつくったり、いろいろ献立考えては買い物に行くのが
ちかごろの生きがいになりつつあるようだ。
とはいえ、そんなのは対症療法で、結局は高額な薬を主軸とする治療に頼っていかざるを得ないのが現状なわけで
これから先、どのくらいの期間にわたって、どれくらいの金額が母の命に注ぎ込まれていくのか、
できるだけ考えないことにしている。
追記書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20160824212145
(2017/3/6)
半年ぶりに追記書きました。
って思いついた話。
夏コミも無事に終了したため「シン・ゴジラ」を鑑賞してきました。
ゴジラ氏をはじめとする個性の見える怪獣達に親しみを持っていました。
(当時はモスラが可愛くて好きでした)
更に同時期、我が家でフル稼働していたSSソフト「ゴジラ 列島震撼」をプレイしていたことにより、
私の中のゴジラ氏はすっかり愛着のあるキャラクターと化していました。
※「ゴジラ 列島震撼」…SS向けに1995年に発売されたRTSであり、自軍であるGフォースの兵器を用いて都市部に現れる怪獣を殲滅していくゲーム。
ちなみに難易度が糞高い。基本、複数の怪獣が出てくるステージは怪獣を同士討ちさせることに全力を注ぐプレイが必須。
世間では蒲田くんだなんだと呼ばれて人気の第二形態、あれ普通に恐ろしかったからね!
(しかし早くも二次創作にキャラクター化して落とし込まれる様に日本のオタクのたくましさを垣間見ました)
恐竜とも水生生物ともつかない見た目にエラから露出する赤い中身。
そんな得体のしれない生き物が血を流し、更に大きく進化していく。
最終形態を見たときには絶望しかありませんでした。勝ち目ないじゃん!私アイドル辞める!
今回のゴジラ氏は今までよりも身近な、より現実的な脅威として私達の前に立ちはだかったのです。
さておき、私エヴァも好きなんですね、腐女子的な要素を抜きにしてもすごく。
リアルタイムでは見ていなかったんですが、やはりそこは社会現象。
深夜の再放送などで目にする機会が多く、旧劇場版(区別のため、あえてこう表現します)の
TV版放送のときから新劇場版が上映される今の間にネットなどの情報網も発達し、
隠されていたメッセージや設定など、語り尽くされている感こそありますが
それを置いてなお今も人々の心を捉えて離さない作品だと感じています。
私自身漫画を描く人間なんですが、エヴァのカット割りや間のとり方などの作品に流れるリズムは
今でも参考にしています。
今回の「シン・ゴジラ」、ネットでも様々な方が仰っていますが、
シーン一つ一つの割り方やBGM、果てはヤシオリ作戦への流れ方など
ちゃんとゴジラという枠組みなんですけど、庵野監督の作品に落とし込まれている。
見方を変えれば公式の超金のかかった二次創作との解釈もできてしまうんですが、
多くの人を巻き込んだ一流のエンターテインメントであることは間違いありません。
日本映画の到達した「点」を目の当たりにできたことを幸せに思います。
ゴジラとは綾波レイなのではないか、という妄想、もとい仮説です。
無口で感情に乏しいという日本美少女界のテンプレートを不動のものにしたレジェンド。
彼女は劇中で主人公のシンジと触れ合うことで人間らしさを見せ、
かと思えば新旧劇場版では世界をヤバイ状態に落としこむお茶目さんです。
ミクロな部分で語ると旧劇場版の人がLCLへと変わっていく描写が有名でしょうか。
あの刹那の彼女は、人類それぞれの一番想っている相手へと姿を変えました。
そのキャラクターはシンジはじめ劇中の登場人物、そして庵野監督、
果ては我々観客の望みによって変化し、確立されているように感じるのです。
ゴジラは私が生まれる前から恐怖の象徴として、人類に対峙するものとして、
あるいは正義のヒーローとして、そのかたちを様々に変え今も愛され続けています。
その我々の望みを吸って息をする、ある種世相を反映するあり方に
私は綾波レイと同じ血が流れていると感じたのです。
恐らく今回のゴジラ氏もそうで、あれはきっと我々が望んだ姿なのです。
そしてこれからもゴジラ氏は我々の望みによってその姿を変えていく、
そういう生き物なのかなと。
どんな結末であっても受け止めるのはもちろんなんですが
なかなか希望の持てない現代社会で揉まれる腐女子は思うんです。
考えが浮かんだときはやばい!天才だ!と思ったんですが文章にまとめるとそうでもありませんでした。
お付き合いいただきありがとうございます。熱量を吐き出す場所がほしかったんです。
最後に、多大な熱量でこの作品を生み出してくれた庵野監督には本当に感謝です。
新作のヱヴァンゲリヲン、ご健在のうちに世に出していただければ嬉しいです。
どれだけでも待たせていただきます。
○朝食:野菜ジュース
○調子
むきゅー!
というわけで、今日は全力でダラダラむきゅーした後、祖母と一緒にお好み焼き屋さんに行ってきた。
むきゅむきゅー。
ノー課金。
○スマブラfor3DS
一応、一通りキャラを触ったけど、イマイチ持ちキャラを誰にするか決めかねてる。
DLCキャラも触りたい……かなあ、うーん、カムイは楽しそうかも。
○ポケとる
まずは本日が最終日となるデイリーチャレンジの「ボルトロス」に挑戦。
そして……
それからは、ルカリオナイトをゲットするためのミッションをこなしていた。
そこそこアイテムも使いつつ、無事ゲット。
中々、戦力が揃ってきた感じがあるね。
飽きた飽きたとグチグチ言いながらも、デイリーミッションはこなした。
何気にマテリアルが1800たまりそうなので、そろそろヤミカラスをお迎えできそう。
そしたら、またモチベーションがわくかも。
これで残りは、デオキシスとディアンシーとメガディアンシーの三匹。
あちこちで日本のITは駄目だとか言って欧米のやり方をまねようとか言ってる人みかける。
でもそういう人が言ってるのって大抵きちんと勉強しろ、英語勉強しろ、もっと向上心を持て。
見たいなことしか言わない。
もちろんそれ自体は立派なことだと思う。
でも、最近のアジャイルどうこうの話のときも思ったけど、もう個人でどうこうできるレベルじゃないでしょ。
どう考えても制度や仕組みが狂ってる。
ぶっちゃけ電機連合みたいなの作って、政治家に働きかけるしかないんじゃないの?
多重下請け構造を改善する仕組みつくって欲しいとか(※それだけじゃないくていろいろあるとは思うけど
それこそこないだ、表現規制反対で山田太郎が29万票集めたけど、IT産業の従事者全部あわせたらそれの比じゃないくらい集められると思うんだけど。
左右の違いとか信条の違いで投票できない人もでてくるだろうけど、それでも相当な数いるだろ。
いやまぁ俺がそんなことできんのかって言われるとできてないから人のこといえないんだけどさ。
ひょっとしたらもうやってる人いるかもしれないけど、少なくとも盛り上がってるようには見えない。
※少しきついこと言うとエヴァンジェリストとかの向上心を持て系の話って今の日本のITの現状鑑みると新自由主義みたいだ。自分ですべてどうにかしろみたいな。
>ヒーローアカデミアのアニメ1~2話は良い話だったような気がしましたけど、
そういう「ナードな僕も努力したら報われました!!」みたいな話ではなくてね、
喧嘩してた太郎君と花子ちゃんが僕が仲直りのパーティ開いたら仲直りしました!!とか
腰を痛めていたおじいちゃんのための椅子を造ったら大喜びされました!!みたいな
日本人特有の和を尊ぶ精神から発生した思いやりや慈しみの心に溢れた話ってこと。
誰か悪をぶっとばしてハイ良い話、それ違う。
というか守りたい平和は調和のはずなのに何でいつの間にか己の勝利になってんのか
まあ、分析しなくても分かるんだけどね。
戦う以外にも平和を守らないといけない問題や方法は山積みなんだよ。
それは戦う以上に難しいことだったり尊いことだったり本当に必要なことだったりする。
なぜかヨイショはされてもその本質に触れる人間がいない「和」の話。
手術と悪人と戦う以外にも個人個人の心の問題も解消していってるからだ。
それぞれの人生まで治療していってるから未だにブラックジャックは多くの人に愛されていて
ドラマ化もアニメ化も何度もされるのにアトムは不人気で火の鳥も良く分からない作品扱いされてる。
三つ目が通るだって立派に面白い手塚作品なのにリメイクが少ないのも
もちろん長い目で見ればそれだけじゃないのだが。
ただそういうのは大人になって余裕ができて初めて他人を労わって別視点に立つことができる。
しかし今や大人も余裕がなくなりつつあり、子供にも勝ち組になれと他人を踏みつけろという教育が主流になった。
今の少年漫画は悪をぶっ飛ばして俺(俺ら)自己成長!の完全実利主義に帰結してるって話。
そんな漫画を正として捉えて大人になったら他人は全て悪で俺と俺らが勝てばそれでいいという目標しか立てなくなる。
全体を幸福にすることが最終的に自分の最大幸福に繋がることすら教えられずに人生を進むことになる。
ヒーローアカデミアも人助け人助けとか言いながら今のところ自分たちしか助けてないし、
能力授かる前のデクは人助けもろくにせず自分のためにノートとってばっかの精神性もナード、
今も相変わらず自分とすぐそばの人間のことしか考えられないナード精神。
能力なくても道案内とかゴミひろいみたいなボランティアで人を助けることはいくらでもできる。
今までジャンプで連載されてきた主人公の中で一番自己中でどこまでも利己的な精神と行動。
能力的な魅力がなくても、精神的な魅力・カリスマがあれば自然と味方ができる。
実際に人助けをしているオールマイトがどこをみてこいつに魅力を感じたのか理解できないご都合主義展開。
こいつの行動原理のふしぶしが弱者を救いたいという気持ちではなくて
単にオールマイトがカッコいいから真似したいっていうファン根性由来。自分がカッコつけたいだけ。
最初にオールマイトがいなければ何の価値もない正真正銘のナードってこと。
こんなのに魅力を感じるわけがない、まだサイコパス気味のルッピさんの方がカリスマ性あるだけマシ。
ヒーローアカデミアは「ナードな僕がカッコよくなれる自己犠牲マジきもちい」漫画。
共感できる人ってナードな部分に共感してるだけで自己犠牲もマジきもちいいの部分もフィクション。
不思議なことに彼らはお互いを見下しあっている。
両者ともに、相手方は論理的思考ができていない、と批判しているのだ。
仮に両者が論理的であれば、そうは感じないはずだが、なぜそういった現象が起こるのか。
twitterは小学生から高齢者まで、本をまるで読まない層から執筆している側の人間まで幅広く存在する、希少で特殊な場だ。
知的レベルの高いものは少数派で、多くは感情的だったり、自分の思考の偏りを認識していなかったりする。
それはもはやイチャモンだったり、ヤンキーによるカラミに近い。
彼らは議論という手続きの進め方がわからず、相手を攻撃することしか考えていないのだ。
そんな人間が多数派であるがゆえに、頭の良い層はその態度に辟易し、相手サイドは頭が悪いと帰納的に印象付けらてしまうという寸法だ。
ただし、それは少し考えればわかることである。
右よりだからバカ、左よりだからバカと決めつけるのは非常に頭の悪い考え方だ。
どのような経緯で相手がその結論に至ったかという観点が抜けてしまっている。
だから私は言いたい。
その属性で相手をバカだと短絡的に主張している人間はバカであると。
つっこみ、期待しています。
まず前提として、"重ね合わせ"は基本的に量子レベル、ミクロな世界のものなのです。
クッキーはマクロ世界の存在だから「可能性が重なった状態」にはなってない。
だから割ったクッキーを観測しようがしまいが、割れた断面は確定しているわけです。OK?
それじゃ次は"注意深く条件設定した場合"はどうなるのか話してみよう。
"シュレーディンガーの猫"というのは、放射性元素の崩壊っていうミクロな話を、猫の生死っていうマクロな話に上手いこと連動させた思考実験なのね。
放射性元素の崩壊ってのは確率的な現象で、観測されるまでは"崩壊した/してない"ていう重ね合わせ状態にある。
そこで、十分に少量の放射性物質、ガイガーカウンターとそれに連動したハンマー(放射線検知したら振り下ろされる)、あとは揮発性の毒が入った瓶をハンマーの下に設置して、それら一式を猫と一緒に鉄の箱に入れる。
すると、箱の中が観測されるまで
・ガイガーカウンターは"放射線検知した/してない"って重ね合わせ状態、
・連動ハンマーは"振り下ろされた/されてない"って重ね合わせ状態、
・猫は"(毒で)死んだ/生きている"って重ね合わせ状態
になるわけよ。
「ミクロ世界だけだと思った?残念!実はマクロ世界でもあり得るのでした!」ってのがこの思考実験のキモね。
で、クッキーの話に戻るんだけど、状態が重ね合わさったクッキー自体はシュレーディンガーの猫と同じギミックで作成可能よ。
ガイガーカウンター連動ハンマーで叩き割るのを毒瓶でなくてクッキーそのものにすれば、"割れている/いない"って重ね合い状態が作れるでしょ。
これが"注意深く条件設定"して作成した量子重ね合わせクッキーにあたるのかな。
無理というか私の貧弱な想像力ではクッキーを量子もつれ状態に持っていけるギミックが思いつかないというだけなんだけども。
そういうわけで、"注意深く条件設定した場合"でも"量子もつれクッキー"なんて想定できないから、それをもとに回答なんかできないわけ。
そいで、もし元増田が想定できるんならそれを教えてちょうだいな、というのがブコメ("注意深く条件設定した場合"をまず~)の趣旨だったのね。
でまあ過程とか無視して量子もつれクッキー作ったらどうなるの?っていう卓袱台返しだけど↓
どうにかして「可能性が重なった状態」のふたつに割ったクッキーを作ったら、量子もつれ状態の粒子の代わりに量子テレポーテーションの実験に使えないのか。
実験には使えないね。例え話として説明に使うのもちょっと厳しいかな。
だって"量子もつれクッキー"がどんなものか分からないからね。
「量子もつれ状態にあるヒッポロ系ニャポーンさ!」とか言われても困るでしょ?それと同じね。
ごくごく単純に、粒子とかをクッキーに例えるならOKよ?説明にも思考実験にも使える。
「EPRペアになってる粒子対」あたりを「割れたクッキー対」、「粒子のスピン」あたりを「クッキーの断面情報」に言い換えるだけだもの。
もちろんこれはクッキーじゃなくともよろしい。煎餅でもチューペットでもキットカットでもOK。
え?クッキーで例えた意味が無いって?まあ例え話なんてそんなもんよ。
ついでに最初のブコメではそういう意味に取った上で回答したんだよね。
とまあこんな感じでどう?
ミクロとして気の毒な話だと思いつつも…マクロな話としてはAVの市場規模も女優さんも増えすぎちゃってると言われてるから「どうしてこうなった」という構造的な問題を追求した記事がそろそろ読みたいのよね… / “私がアダルトビデオに出演…” https://t.co/k0kPf1CpQl— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年6月24日
嘘だとも甘えだとも思わないんだけど…この問題が産業構造の話にまで踏み込んでないことや、AV女優/男優のプロ意識がどうとかほざいてたライターや週刊誌の大本営発表に対する批判・疑いに発展しないのが…謎 / “はてなブックマーク - …” https://t.co/evCmmrGspE— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年6月24日
総務省 情報通信政策研究所の本体はどういった人がいるか分からないけど、委嘱している研究員の顔ぶれはこんな感じ。
http://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/advisors.html
平成27年度 情報通信政策研究所 特別研究員(五十音順、平成28年1月29日現在) ●特別上級研究員 【法学系】 青木 淳一(慶應義塾大学法学部准教授) 専門:行政法、政府規制産業法 石井 夏生利(筑波大学大学院図書館情報メディア研究科准教授) 専門:プライバシー権・個人情報保護法、情報法 佐々木 秀智(明治大学法学部教授) 専門:英米法、情報メディア法 新保 史生(慶應義塾大学総合政策学部教授) 専門:憲法、情報法 杉原 周治(愛知県立大学外国語学部准教授) 専門:憲法、ドイツ法、メディア法 曽我部 真裕(京都大学大学院法学研究科教授) 専門:憲法、メディア法 寺田 麻佑(国際基督教大学教養学部准教授) 専門:行政法、情報通信法 東條 吉純(立教大学法学部教授) 専門:経済法 西土 彰一郎(成城大学法学部教授) 専門:憲法、マスメディア法 西村 暢史(中央大学法学部准教授) 専門:競争法、競争政策 林 秀弥(名古屋大学大学院法学研究科教授) 専門:経済法、独占禁止法と競争政策 平野 晋(中央大学総合政策学部教授) 専門:不法行為法、契約法、アメリカ法 若林 亜理砂(駒澤大学大学院法曹養成研究科教授) 専門:経済法 【経済系】 依田 高典(京都大学大学院経済学研究科教授) 専門: 応用経済学 春日 教測(甲南大学経済学部教授) 専門:産業組織論、経済政策 高口 鉄平(静岡大学大学院情報学研究科准教授) 専門:情報通信経済学、産業分析 佐々木 勉(ポリシー・リサーチ・ユニット株式会社主任研究員) 専門:情報通信経済学 宍倉 学(長崎大学経済学部准教授) 専門:公共経済学、産業組織論 実積 寿也(九州大学大学院経済学研究院教授) 専門:通信経済学、公共経済学、産業政策学 竹村 敏彦(佐賀大学経済学部准教授) 専門:応用経済学 田中 辰雄(慶應義塾大学経済学部准教授) 専門:情報通信産業の実証分析 手塚 広一郎(日本大学経済学部教授) 専門:産業組織論、公益事業論、交通経済学 徳原 悟(拓殖大学国際学部教授) 専門:開発経済学 中村 彰宏(横浜市立大学学術院人文社会科学系列教授) 専門:産業組織論、計量経済学 森脇 祥太(大阪市立大学大学院経済学研究科教授) 専門:ミクロ計量経済学 【人文・学際系】 秋吉 美都(専修大学人間科学部教授) 専門:情報行動のミクロデータ分析、社会統計 内山 隆(青山学院大学総合文化政策学部教授) 専門:メディアとエンターテイメントの経営戦略と経済政策 岡田 仁志(国立情報学研究所准教授) 専門:電子商取引論、電子通貨論、地域情報政策論 北村 智(東京経済大学コミュニケーション学部准教授) 専門:メディア・コミュニケーション論、情報行動論 小泉 力一(尚美学園大学芸術情報学部教授) 専門:教育工学、情報教育 小舘 亮之(津田塾大学学芸学部教授) 専門:メディア情報サービス、マルチメディア情報通信工学 土屋 大洋(慶應義塾大学大学院政策メディア研究科教授) 専門:国際関係論、情報社会論、公共政策論 橋元 良明(東京大学大学院情報学環教授) 専門:コミュニケーション論、社会心理学 ●特別主任研究員 【法学系】 生貝 直人(東京大学大学院情報学環特任講師) 専門:情報政策(知財、プライバシー、表現規制等) 早川 雄一郎(京都大学大学院法学研究科特定助教) 専門:経済法、競争政策 【経済系】 橋本 悟(帝京大学経済学部専任講師) 専門:公益事業、公共経済学、ミクロ経済学、産業組織論 山本 渉(電気通信大学情報理工学部講師) 専門:応用統計学 【人文・学際系】 河井 大介(東京大学大学院情報学環助教) 専門:情報行動論 齋藤 長行(お茶の水女子大学非常勤講師) 専門:メディア政策、行動経済学、教育工学 吉見 憲二(佛教大学社会学部現代社会学科講師) 専門:情報コミュニケーション、情報通信経済学 ●特別フェロー 工藤 郁子(慶應義塾大学SFC研究所上席所員) 専門:情報法 田中 康裕(専修大学社会知性開発研究センター客員研究員) 専門:国際情報通信学、社会情報学 堀川 裕介(東京大学大学院学際情報学府博士課程) 専門:社会情報学(メディア利用と心理)
新陳代謝とはまた違う我に関係なしみたいな馬耳東風みたいなそんな感じだよね増田って。
やっぱりゲームの面白さって人間の適正力に大きく左右されると思うのよね
そのジャンルにはそのジャンルに適した人間のスペックが本来あるはずなんだよ
例えば格闘ゲームに関して言えば最低限の反射神経は必要だが重要なのは反復する練習ができるかどうか読みができるかどうかというのが非常に重要
レーシングゲームも対戦は相手との駆け引きが発生するから読み合いが必要だしミスしない胆力と取り返そうとする心の強さも必要
RTSは全体の大局観というマクロ的能力と実際の戦闘の勝敗を分けるミクロ的能力の総合力が求められてさながら一人で軍師と将軍をする必要がある
独創性の求められるマインクラフトのようなシティ系のゲームでは発想力が求められて自分がいかにして目標設定できるかが鍵となる
モバゲーや艦これ系は課金要素を自分の領域内でどれだけ効率よく活用して自分の欲求を満たせるかを問われる
カードゲームはメタや戦略や対策されにくいデッキ構築、運の要素に対してどれだけ調整することができるか構築力と判断力が求められる
FPSはAIM能力や反射神経、戦況を把握する能力、コミュニケーションスキルが求められ単体での戦闘力とチームとしての作戦行動力が必要
MMOは資金調達の効率化やレアアイテム取得のための手段模索、目当ての武器調達までの最短ルート模索、条件下での最適解を探す、情報交換能力など探求心を求められる
その他色々
なのにゲームはゲームっていうジャンルで一般人からひとくくりにされてしまってるせいで
適正力があり楽しむこともできる潜在的ゲーマーが埋もれてしまい
実際プレイしてる自称ゲーマーは上手くも無いし適正もないのに下手な横好きで遊んでるやつが大半だと思うのよね
もちろん下手でも楽しめてる内はそれでいいけど自分が適正力がないのを
他人のせいにしはじめるケースが1つや2つどころじゃなくて沢山あるので
もっと実際のスポーツみたいにゲームにも向き不向きがあるということを啓蒙させていきたい
何が言いたいのかと言うと才能ないやつはゲームすんな