はてなキーワード: ラルボーとは
>ヒーローアカデミアのアニメ1~2話は良い話だったような気がしましたけど、
そういう「ナードな僕も努力したら報われました!!」みたいな話ではなくてね、
喧嘩してた太郎君と花子ちゃんが僕が仲直りのパーティ開いたら仲直りしました!!とか
腰を痛めていたおじいちゃんのための椅子を造ったら大喜びされました!!みたいな
日本人特有の和を尊ぶ精神から発生した思いやりや慈しみの心に溢れた話ってこと。
誰か悪をぶっとばしてハイ良い話、それ違う。
というか守りたい平和は調和のはずなのに何でいつの間にか己の勝利になってんのか
まあ、分析しなくても分かるんだけどね。
戦う以外にも平和を守らないといけない問題や方法は山積みなんだよ。
それは戦う以上に難しいことだったり尊いことだったり本当に必要なことだったりする。
なぜかヨイショはされてもその本質に触れる人間がいない「和」の話。
手術と悪人と戦う以外にも個人個人の心の問題も解消していってるからだ。
それぞれの人生まで治療していってるから未だにブラックジャックは多くの人に愛されていて
ドラマ化もアニメ化も何度もされるのにアトムは不人気で火の鳥も良く分からない作品扱いされてる。
三つ目が通るだって立派に面白い手塚作品なのにリメイクが少ないのも
もちろん長い目で見ればそれだけじゃないのだが。
ただそういうのは大人になって余裕ができて初めて他人を労わって別視点に立つことができる。
しかし今や大人も余裕がなくなりつつあり、子供にも勝ち組になれと他人を踏みつけろという教育が主流になった。
今の少年漫画は悪をぶっ飛ばして俺(俺ら)自己成長!の完全実利主義に帰結してるって話。
そんな漫画を正として捉えて大人になったら他人は全て悪で俺と俺らが勝てばそれでいいという目標しか立てなくなる。
全体を幸福にすることが最終的に自分の最大幸福に繋がることすら教えられずに人生を進むことになる。
ヒーローアカデミアも人助け人助けとか言いながら今のところ自分たちしか助けてないし、
能力授かる前のデクは人助けもろくにせず自分のためにノートとってばっかの精神性もナード、
今も相変わらず自分とすぐそばの人間のことしか考えられないナード精神。
能力なくても道案内とかゴミひろいみたいなボランティアで人を助けることはいくらでもできる。
今までジャンプで連載されてきた主人公の中で一番自己中でどこまでも利己的な精神と行動。
能力的な魅力がなくても、精神的な魅力・カリスマがあれば自然と味方ができる。
実際に人助けをしているオールマイトがどこをみてこいつに魅力を感じたのか理解できないご都合主義展開。
こいつの行動原理のふしぶしが弱者を救いたいという気持ちではなくて
単にオールマイトがカッコいいから真似したいっていうファン根性由来。自分がカッコつけたいだけ。
最初にオールマイトがいなければ何の価値もない正真正銘のナードってこと。
こんなのに魅力を感じるわけがない、まだサイコパス気味のルッピさんの方がカリスマ性あるだけマシ。
ヒーローアカデミアは「ナードな僕がカッコよくなれる自己犠牲マジきもちい」漫画。
共感できる人ってナードな部分に共感してるだけで自己犠牲もマジきもちいいの部分もフィクション。