2020-08-09

第二章「Vtuberに"現実"はあるのか」

それは架空からまれもの

人形芝居に過ぎない彼ら・彼女らは、仮初の姿と人生を纏って我々の眼前に現れた

彼らは真実足り得るのか、彼らが我々を惹いて止まないのは何故なのか


古来より、借り物を人は愛してきた

演劇に、神楽に、落語に、舞踊に、宗教に、神話に、童話に、小説に、風俗

盆栽や箱庭が見立て遊びの系譜であるように、人はそこにない筈のものを「あたかもそこに在るかのように」仮定し、偽物であることを仮借した

何故なのか

逆説的ではあるが、偽物であればあるほど、そこに描かれたものが、描こうとしたもの真実になるから

人が信じて作り上げたその「意思」こそが真実足り得るから

真実Vtuberの彼ら・彼女らが生きる現実が偽物であればあるほど

彼らの感情は、すなわち偽物の世界ですら成り立たせんとする輝かしい意思こそが本物なのである

彼らは我らの魂の代理人である

切り株にすら登れず、生きることの現実感すら剥奪されたカオナシのような生き様の我々にとって

仮想世界ですらドラマを作り上げられる鮮烈さを、きっと何者にもなれない「ドラマツルギー」な我々は、やはり憧れるのである


もっと逆説的なことに

我々の憧れが、その次のVtuberを生み出すのである

「本物が欲しい」と願い、現実感のない世界に喘ぎ苦しんだ者達の中から、澆季溷濁の俗界を霊台方寸のカメラに収めようと辛苦した果てに、一人のVtuberが生まれ

なぁに、すぐだ

膨大な我々の過去を糧に、膨大な我々の未来がやってくる

第三章に続く

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