はてなキーワード: ぼんやりとは
承前 https://anond.hatelabo.jp/20230615032338
「くも膜下出血ですが」
「この時間に手術するのは人も足りなくて危険だと思うので、血圧を下げる点滴をして様子を見ましょう。昼間に脳外科の先生に診断をしてもらってからですね」
深夜にやるのは無理だから、朝になるまで待つことになった。
あちらこちらにいた搬送された人たちや付き添いは、車椅子で帰ったり、病棟へストレッチャーで運ばれたりで、気がつくと私ひとりになっていた。
雨も止んで、外は明るくなってきた。
朝か。
ぼんやりとその明るさを見ていた。
「出血してる」
と言う声がして、しばらくするとストレッチャーが出てきた。
思わず立ち上がって、のぞいたら、夫ではなかった。
目をつぶった老人が運ばれていった。
いつだって、誰かが、死の淵をのぞいている。
わかってはいるが。
開けっぱなしになった救命救急室の扉から中をおそるおそるのぞいた。
「ここからICUに移動となるので、もうしばらく待っててください」
服は脱がされて、身体中にパッチが貼られて、モニターにつながれている。目はタオルに覆われていて表情がわからない。声をかけるのもためらわれて、ストレッチャーの後ろから見守るしかなかった。
入院手続きの書類を何枚も書いた。看護師に渡すときに、いつぐらいなら脳外科医と話せるかを聞いた。
「先生が出勤したら確認をして電話をします。手術前の説明と同意書への記入が必要ですから」
そうか、帰れないよな。
と思ったら、
「手術になるとしても午後になると思うので、入院に必要なものを取りに自宅へ帰っても大丈夫ですよ」
ありがたい。
「緊急にやる時もすぐ駆け付けますので、この番号に連絡をください。よろしくお願いいたします」
と頭を下げて、病院を出た。
もう始発電車が動き出している時刻だった。
私も元増田さんのご友人と同じことを考えるので、ちょっと書いてみます。見当違いだったらごめんなさい。
ご友人の状況や背景が何も分かりませんので、一事例だと思っていただければ。
私の場合は、自分の位置確認をするための座標のような存在として、周りの人に「変わらなければいいな」と思う気持ちです。
自分自身がどんどん変わっているので、たまに自分の位置を確かめるための存在と会ったり話したくなります。(抽象的ですみません)
でも、周りの人もそれぞれ当然変化していくから、定点としての座標がないのです。だからこそ、変わらないでほしい。
だから私の場合は、まっさらな状態でいたいとか、いっそ死んで不変になりたいとかではないのです。
人間が生きる上で変化は不可避なことは分かっているので、本当の意味で変化のない人を望んではいませんし、無理だと思います。
だから私から見た時に「変わらないな~」って思える要素があれば、外見や立場や思想が変わっていてもいいのです。
例を挙げてみます。元増田さんがおいくつか分かりませんが、ある程度年を取ってくると、自分の属性がいちいち変わります。
たとえば私は管理職として働いていますが、学生だった頃の自分、就活していたころの自分、新卒だった頃の自分はもういません。
今の私の属性として一番つよいのは、管理職としてはたらく私です。
私には他にも属性(妻としての自分など)がありますが、それとして過ごす時間が長いのは「管理職として働く私」です。
そうして働いていると、辛いことや、自分は何なのだろうと感じることがあります。
かつての私はこの仕事を志望し、望んで就職し、ひたむきに頑張った新卒時代の私とは考えが変わってしまい、
自分がいましている仕事が恐ろしく意味のないものに思え、自分自身もひどく無価値な感じがするのです。
そうすると、これも抽象的な比喩で申し訳ありませんが、自分がどこにいるのか分からなくなります。
いや、物理的にはここに居るんですけど、自分が何がしたかったのか、何を考えているのか、自分自身が変わっていくため、
そういう時に、例えば級友や、仕事の同期たちに会って話したり、愚痴を言い合ったりします。
すると「ああ、変わらないなあ」と思うと安心して元気がでるのです。根本的な解決はしていないのに。
旧友や同期たちもそれぞれに変化をしているはずですが、「(変わったけど)変わらないなあ」と思える要素を見つけたとき、
その当時の属性の私(学生としての私、新入社員としての私など)は失われたけれど、当時と地続きの今があることを実感します。
「変わらないな」と感じた部分が、私が友人・同僚として親しんだ好きな部分だったりするとうれしいです。
友人や同期たちも立場や境遇が変わり、見た目も変わったけれど、根本的な性格や、食べ物の好き嫌いが変わらなかったり。
現在の「管理職としての私」以外の私もあったんだと安心する感じです。そうして当時の気持ちとか、考えとかを思い出したりもします。
よくいう言葉では「昔の私に戻って」といったところです。
元増田さんは、旧友とか昔の知り合いに会って、その当時の思い出話を延々掘り起こして笑い合うような、
私はよくあります。本当に非生産的に見えますが、何度も当時のエピソードを掘り起こし、同じように突っ込んで笑い、
「みんな(変わったけど)変わらないな」と思って帰ります。ただそれだけなのですが、その時間に救われることも多いのです。
もちろんその「変わらないな」は真実ではないのですが、そうやって瞬間的に変わらないみんなとの時間を楽しむことは出来ます。
もちろん、他のコメントでもあるように、周りが変わることで降りまわれたくない、対応が面倒ということもありますが、
私が周りに「変わってほしくない」と思う時の意味合いは上記のものが強いです。
友達や同僚には、その人の良さはそのままに変わっていってほしい。別人のようになってほしくないと思うのです。
元増田さんのご友人も、字義通りの変わらないことを人に求めているわけではないのでは?と感じます。
「(変わってしまうことは分かっているけれど全部は、あるいは大事な部分は)変わらないでほしい」ということではないでしょうか。
人は良くも悪くも「変わったな」と思うこともあれば、良くも悪くも「変わらないな」と思うこともありますので。
見当違いだったらごめんなさい。
FF16の体験版が配信になったと聞いて、遊んでみるかどうしようかとちょっと悩んだ。
オンゲに移行した事もあって、FFは8以降遊んでなかったんだけど、私の所属するユニオンでは何名かがFF14に移住して、その後移住者のほぼ全員が復帰したのだ。
面白くない訳ではないけど、ソロでは何もすることがない、予習が前提になっていてしんどい、みたいな感想を聞いて、ぬるい感じで遊べるゲームではなさそうだなと思った。
が、ここのところソロでも遊べる的なニュアンスの広告もちょいちょいみかけるし、サービス終了後はめっきりオンゲにもご無沙汰だったので、ぼんやり遊べるタイプのゲームなら、触ってみたくもあった。
で、この頃の子の意見はどうだろうかとうちにいる令和生まれの面々に、FF16どうかねーと、聞いてみたところ、返事は「にゃーん」だった。
どうしたものだろう?
メンタルって不思議なもので心がしんどい時ってほんとに食べられなくなる。
時代によって選ぶものは変わっていくんだけど、固形がだるくなっていってゼリー状のものとかをなんとか飲んで、みたいな感じが多い。
他にはうどんはけっこう入りやすいけど少し食べただけでああもういいやってなってしまう。
しかし当然体はエネルギーを必要としているのでちゃんと食べないと心もよりしんどくなるのだ。そもそも正常な思考ができなくなっていく。
自分は幸いなことにというか、生死に関わるような悩みを抱えたことはない。
借金が何百万もあるとか、仕事が見つからなくてやばいとか、大変な事件に巻き込まれるとか、そこまでのは経験がない。
ほんとによくある感じの、仕事のことか恋愛のこと、主にこのふたつがせいぜいなのでかわいいものなんだけど、それでもいわゆる「食事も喉を通らない」という時期を過ごしたことが何度かある。
仕事については過去に、数ヶ月ほぼ軟禁状態で会社に寝泊まりして、地獄かよみたいな状況に追い込まれたことがあり、
その時は生きてる意味を見失ってるという感覚が強く、自然と食べる行為にも消極的になっていた。
ただこの時は食べようと思えば食べられる、というくらいでなんやかんや少しずつ食事は取れていたと思う。
なんとなく食べてはいるけどなんの味もしないなって感じ。あとこんな自分が飯を食って申し訳ありませんという感じの自虐も強かった。
さっさとその状況から抜け出すべきだったけど、ほとんど思考停止になっていたので能動的に動くというのが難しかった。
しかし仕事は仕事でしかない。その職場にそこまでしてこだわる理由などないわけで、
プロジェクトそのものが終わりを迎えた時、よし辞めるぞと心に決めて「家に帰ります」と宣言した時は開放感がすごかった。
久しぶりに家に帰り、ベッドに倒れ込んでこれも久しぶりの爆睡をして、起きた時に「腹減ってるわ」と気づいた時は「これで助かった」と思った。
そしてスーパーで卵や塩辛を買ってきてご飯を炊き、お味噌汁と一緒に食べた時千と千尋のおにぎりほどではないが、涙がじわっと溢れた。
一番キツかったのは30代を目前にしたころの片想いの時だった。
元々友達関係にあった女性をふとしたきっかけで好きなのかもと思い始め、そこから一気に爆発的に好きになってしまった。
寝ても覚めてもその人のことを考えてしまい、なにか食べようとしてもまったく喉を通らない。
その代わりコーヒーを飲む量が異常に増えていく。
ウィダーインゼリーとかでなんとか誤魔化しつつ、会社で同僚達と飯を食う時は残しまくり、1~2ヶ月で10kg以上体重が落ちたと思う。
まあその頃は少し肉がつきはじめてたので、10kg落ちても50kg台だったので病的なほど痩せたわけではないけど。
けっこう怖いのが自分では痩せていってることに気づかず、スーツがなんかぶかぶかしてきたとぼんやり思ってた程度だった。
ある時上司に「なんかめちゃくちゃ痩せたな」と言われてああそうなのかと思った。
とにかくずっと相手の女性の事ばかり考えて心ここにあらずだったので、どうやって過ごしてたのかほとんど覚えてない。
ただ2回くらい貧血を起こしてしまい、ああこれは食べてないからかと思ったことは覚えてる。
休みの日はずっとその人に宛てた手紙を書いたりしてた。何度も何度も書き直して結局一度も渡さない手紙。
ほとんど徹夜で書いてその間はずっとコーヒーだけ飲んでる。睡眠も取りにくくなっていた。
翌日読み返すと短編小説かくらいの長さで、こんなの渡されたら重みで両手もげるわみたいなクソ重な内容だった。
このままでは死ぬと思ったので告白した。告白した時も思い出したくもないくらいかっこ悪くて恥ずかしいみっともない告白をしてしまったんだけど、
そこは元々友達だったというのもあり、相手も大人だったのでうまく対応してもらえた。
相手は俺のことは完全に恋愛対象としては見てなかったけど、年齢的なことや周りの意見などを取り入れ、付き合ってみてもいいという話になった。
ただ結果的にはよくある展開ではあるけど、やはり自分を男として見るのが難しかったんだと思う。こちらはこちらで勝手に想いが強すぎてギクシャクしてしまいうまくいかなかった。
やっぱうちら無理だねとちゃんと話し合って、円満にお別れすることになる。
そうすると不思議なもので互いに張り詰めていた緊張が一気にほぐれた空気が生まれた。
最後に二人きりで食べた焼肉屋では、どちらもたくさん食べた。この空気が最初から作れていたらと思わずにはいられなかったけど、久しぶりに自然に笑う彼女を見た気がして嬉しかった。
彼女は彼女で、こちらの想いに応えようとしてくれて無理をしてくれていたのだ。「君があまり食べないから実は私も抑えてたw」といった時の彼女は本当にかわいかった。
それから俺はどんどん体重を戻し、ちょっと戻しすぎて小太りになった。久しぶりに会った時に彼女からは「今のほうが私好きよ」とからかわれたりした。
大変だったなあとは思い出すし、仕事で大変な思いをするのは二度とごめんだなと思う。
でも恋愛に関しては、というか恋愛に限らず人に対してそこまで思ったりするというのはそうそうあることではない、良い経験だったなと思う。
夏の冷房が苦手過ぎて、夏の到来に恐怖を感じている。
冷風が当たると頭痛がして、なんにも出来なくなる。
こういう理由で、シェアハウスなどの初期費用が安く家具付きの住居を
季節によって変える生活をしたい。
シェアハウスや類似の共同生活って、若者用で年齢制限が厳しいイメージだが、
だれか中高年で利用している人や、
という情報がないだろうか。
また、冷房を使わないで住めるエリアは、どの辺まで行けばよいだろうか。
ちなみに、冷房が苦手だけあって、暑さには耐性がある。
家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。
でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生で中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶だからだ。
先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。
でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。
小学四年生のわたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。
そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから、放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。
小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。
同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。
そして小学六年生になった。
受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強、息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。
でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。
そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。
それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつの光景を死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間、公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。
そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験の総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。
そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根と屋根のあいだから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分の意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。
ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。
名前欄に自分の名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたしは名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分の意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき、母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。
この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全なものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたしが100%自分自身の意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。
中高時代のわたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分の意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき。図鑑や百科事典を読むのが楽しかったこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたしも勉強が好きだった。
文学部を卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身の選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたしの仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたしの選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だから、わたしはこれで良かった。中学受験が苦しかったことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由な選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全なもので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分に子どもができたとしたら、わたしは子どもに中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分の意思で中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。
中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生、幸せだから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験の記憶から救われるには、いまのわたしが幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしはわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくまで空想でしかないけれど。わたしは小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かに悲しかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから。
思う。
向精神薬を服用してぼんやりしている俺の方が真実で、健常者を名乗る人々こそが躁状態なんだと思う。
今現在、向精神薬を服用している。鬱状態で何も意欲がなく、毎日横になって過ごしているうちに一日が過ぎてしまうような日々を送っていたが、このままではいけないと奮起して心療内科に赴き処方してもらったものだ。このエネルギーを絞り出すのに数ヶ月かかった。そして処方を服用すると劇的に効果がある。
先ず、様々なことをするハードルが途端に低くなった。今まではアレもコレも片付けないと、あそこに問い合わせして状況を把握してそれによって対応を決めて…などと思うばかりだったが、とりあえず電話して確かめてそれから考えよう、という風に動き出せるようになった。
物欲も湧いてきた。デジタル一眼のカメラが欲しいと前から思っていたのに動き出せなかったが、とりあえず値段だけでも調べてみよう、実店舗に行って実物を触ってみよう、そのような気持ちになった。難点は収入がないのにそのような高価な買い物ができないことだ。
些末なことでは部屋の片付けや掃除をすることができるようになり食事も摂れるようになった。
基本的に楽天的になった。思い煩うよりも動いて確かめて壁にぶち当たってから考えればいいと思うようになった。物欲が湧いてきたと書いたが、あれを買えばこんな利点がある、きっと楽しいことがあるはずだと思えるようになった。
しかし、鬱の自分が頭の片隅で自分を見ている。お前は躁転しているだけではないのか?そう言っている。
けれども、もっと客観的に見れば、今の自分は世間一般の人たちの行動とたいして変わらない。躁転しているとは言えない。
便利なものを欲しいと思い、それが手に入ればあれもこれも手間が省けるはずだと思う。投資をすればきっとリターンがあるはずだと思っている。どこかに出かければ楽しいことが待っているはずだと期待する。人と会えば楽しい会話ができると思っている。食事に行けば美味しいものが食べられるだろうと思っている。映画、観劇、ライブを見に行けばきっと楽しい時間を過ごせるだろうと思っている。みんな楽天的で明るい未来を心のなかに描いていて憂いはない。
少し前に、結婚と子育てのことを「みんな子育てを難しく考えすぎ」なんてエントリーがあったけれど、あれぐらいの躁状態じゃないと他人の人生を巻き込んで新しい命に責任を負うことなんて引き受けられるわけがないのだから。
中露の軍事的脅威があるのに目を向けない
貧富の差は極端に大きくなっているのにそれに目を向けない。
どれもこれも現実から目を背けて、なんとかなる、きっとこの先良くなるはずだ、このシステムはしばらく崩れることはない、そういう楽天的な考えによって先延ばしにされ除外され目を向けず目を背け、なかったことにしている。みんな躁状態だから「きっと大丈夫」だと思い、懸念を示す人たちには「難しく考えすぎ」の一言で済ませてしまう。
何もやる気が起きないという鬱の状態は確かに異常だろうが、一般の人たちの楽天的で無計画で先行きに不安を感じてもそれを押し殺すことができる精神状態はかなりの躁状態だ。
現実は厳しく容赦ないもので悲観的未来しか予想できないのに、世界を真っ当だと思って楽天的な未来を夢想して無計画でいる人たちの方がきっと狂っている。
https://comic-days.com/episode/4856001361249018766
(*入れ込むってのは競馬用語でウマが畜生特有の脈絡のない興奮で空回りして自滅へ向かっちゃう状態のこと)
その上で、俺この主人公の黒い女の子みたいなのがすげー納得いかんのな。
この子とそれを取り巻くすべての状況が不条理かつ低能過ぎて呆れちゃうというか。
ここまでで何言いたいかピンと来たって人が居たら教えて欲しい。あんたは俺の仲間だ。
まずさあ、
大事件か?NO。
そもそも文化祭のクラスの出し物なんて初期状態では誰もコミットしてないわけじゃん。
頑張りましょうねなんて誰も思ってないし責任もない。
誰もそんなたまたま選ばれた人に期待してないし、と言うことはその人の責任もねーのよ。
やる気なく流したっていいし、凄いビジョンを持って取り組んだっていい。
LINEでボケーっと何の足場も提示せずにアイデア募集しました、そりゃなんもこんわ。
無能なのはいいけど感情的なのはやめて欲しい。意味わからんから。
「クラスの出し物が一定の成果を出せなければ全員死にます」なんていう
マガジンのクソ漫画みたいな状況にあるならまだわかるよキレるの。
みんな自分の命がかかってるのに人任せにするなよ!ってことだよね。
でもそうじゃないじゃん。
そのことで責めてくる奴もいない(もし責められたらLINE見せて「お前もなんもしてへんやろボケェ!」ってキレ返せばいい)。
どういう感情で「実行委員という役割」や「文化祭というイベント」に臨んでるわけ?
「有能な自分がやる以上は何らかの成果を必ず出すのだ」っていう自負があるならそれはいいと思うよ。
そういう自負で取り組んだのに上手く行きませんでした、自分の能力の低さに涙が出ました。
でもこの子ってなんか周りへの恨みみたいなものが見えるじゃん?
いやいやいや、別にクラスメートは文化祭のクラスの出し物にコミットするなんて約束してねえじゃん。
そんな意思表示は一度もしてないわけじゃん。
だから実行委員としてはやるもやらないも自分のコントロールで勝手にやってよって話じゃね?
みんなに合わせて適当に流すのはわかる。
我がこととして主体的に取り組んで失敗して涙もわかる。
でもこの子は変な風に当事者意識は強いのにイベントの行方についてはクラスメートに任せてるんだよね。
でもこういう奴マジでいたよな。
ありもしない責任を捏造して他人を糾弾したがる人間がウザくてたまらん。
実行委員にあるのは(人間にあるのは)自分がやると決めて主体的に取り組んだ時の成功や失敗だけだろ。
実行委員は流すことも出来るしすげー頑張ることも出来る。
だからこの子だけじゃなくて終盤の「いい子になった」描写らしいクラスメートも意味わからん。
黒い子が仮にあんま参加してなかったとして、たぬきちゃんに詫びを入れなきゃいけない理由なんかあるか?
「文化祭のクラスの出し物が成功したらクラスメート全員の口座に100万円ふりこまれます」みたいな
クラス全員、お前も利益を受け取るからにはちゃんと労力分担しろやって感情はわかる。
でもクラスの出し物なんてそうじゃないわけじゃん。
やった人間がまあなんか達成感とか良かったねっていう思い出とかの報酬を受け取るだけ。
どっちも自由であって、どっちかがどっかに怒るとか恨むとか詫びるとかマジで意味がわからん。
黒い子が反省すべき点があるとしたら
LINEで「アイデア募集ー!」ってのは到底コミットが集まるようなアプローチではねーよなとか
やりたそうなやつに目を付けて直で話しに行って折衝すべきだったなとか
全員無理矢理追い込むなら教師を動かして説教させてコミット圧を高める手もあったなとか
そういうことじゃねーの?
俺は学校の出し物のたびに思ってたわ。
ここには感情的にならんといけない要素なんかどこにもねーじゃんと。
楽しく自分の裁量でやったりやらなかったり成功したり挫折したりすりゃいいだけじゃんと。
例えば「私はここで結果出すと内申点よくなると睨んでて私の将来のために協力してほしいの!」ってキレるならそれはよくわかるわけ。
おもしれ―女だなってちょっと協力したくもなる。
でも実際はそんなおもしれ―女もいいなくて、ただぼんやりした他人任せの進捗と挫折があるだけで
なんでそこでいちいち感情を持ち込むの?
あの手の出し物で感情的になる女子を見てた時、或いは俺が直で吠えられた時、
「この低能な生物には何をどうしてあげたらいいのかなあ・・・」という感慨しか湧かなかった。
俺はいい奴だから現実的なアイデア出して付き添ったりしたことがある
最初「大喜利」とか言ってたからこいつらスゲーなどんなバカだよと。
世間にキャラを知られたプロの人気芸人がネタを仕込んで台本組んでようやく面白くなるものをお前等がやってどんな勝算が?
しかももちろんネタも出ないしろくに練習する予定もないうえにネタ候補ってのが内輪ネタばっかなの。
それを誰に見せる気なんですかウギャーと。お前等のことなんか何も知らない人達がくるんですよと。
なのに上手く行きそうにないことや狭い友達以外積極的でないことに感情的なの。
んでえーそれは難しいよーつって何で暴発するかわからん感情を刺激しないよーにやめさせて
元から高校生レベルじゃない芸を持ってるやつがいたのでそいつを頼ることにしてそいつ中心の指導で地獄大喜利改めお遊戯発表会くらいにはなって
高校生がみんなで努力した跡は見れるから結構評判が良くてみんな達成感出ましたねーみたいになった。
軌道に乗って以降のクラスには最後までこの漫画みたいな低能丸出しの感情が横溢してた。
いい人とか悪い人とかじゃなくてその低能さと混乱しきった感情を何とかしてくれってずっと思ってた。
最終的にその女子やそいつの友達から「増田くん有難う!」とか言われちゃったんだけど
この低能な生物達とは最後まで疎通が出来なかったなという挫折が俺の手にしたものだった。
俺にとっては自分のミッションとして頑張った結果の挫折っていう満足のいく成果だったからいいんだけど、
自分が一体何に対して感情的になってるのか、一度でいいからきちんと整理してみて欲しいんだけど
一生そういうこともせずにああいう感じに生きていくんだろうな。
なにが見えてるのだろう。同意できるのはメンヘラと頭が悪そうのみである
つか、これも元増田だろう ↓↓
恋愛をしたり異性の友達がいないとアセクシャルじゃない
https://anond.hatelabo.jp/20221020072136 ←いつもの消す増田
ブサイクのアセクシャルがドンドン出てきてほしい
↓↓↓ 以下再放送 ↓↓↓
アセクシャル(女)のTwitterアカウントを見ると漏れなく地獄で草。高確率で昔の彼氏ガーとかセクハラがーとか男ガーキイイイイイイとかやってる
いやそれアセクシャルじゃなくてただの性嫌悪やんけ・・・っていう
まぁわざわざTwitterで自分のセックスについて世界中に向けて発信しようって言うんだから、
LGBTQAに限らず、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』が原動力になっているのは必然か
人のむちゃくちゃ多い東京に出る機会があったのでせっかくだからセクマイ交流に参加してみようかなと思ったけどなんか難しそうやな
あと人となりがわかって交流がしやすい?ってことなのかTwitterをベースにしてるの多いな
いやいや何が楽しくてTwitterで自分のセックスについて熱心に発信せなアカンねん
さっきも書いた通り、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』があるか、ジェンダーにまつわる活動家じゃないと無理くない?
どうしてもTwitterでやるなら仕事の関係者に見せても大丈夫な『見せる様のネットの自分』を作ってそれに紐づけるかだな
最近、名刺やプロモーション代わりに見せる様のネットの自分があっても良いかなと思い始めている
けどインスタ映えみたいな事に時間を割くのって増田で無為に過ごす以上にどうなの?とも同時に思っている
増田はストレス解消や考えの整理に役立つけど、オンラインサロンみたいのでメシ食う心づもりがあるわけでもないのに
便利かどうかはわからないが、視覚的にはとりあえず新しく、手触り・操作感がいい、
見せる様の自分をゆるくげられるSNS作っても良いかなぁとぼんやり思ったり
マイノリティー向けに限定したSNS作ってもいいかなって一瞬思ったけど、昔作って運営してた時は手間ほど得るものはなかったので、
マイノリティーには限定せず、最初から人に見せていい自分でお願いする
あとメタバースな。1秒も関わってないけど見せる様ならうってつけな気はする
これは決定事項です
需要とはうすぼんやりしたもので確率的です、未来から見たら点です、人によって違います、同じ人でも環境で、気分によってですら変わります
一つ言えるのはノルマがあることです
原則では売れません
結婚もしたいし子供も産みたいな〜(無痛で)って思ってるんだけど、よく考えたら自分は哺乳類を飼ったことすらないことに昨日お風呂で気がついた。カブトムシ(弟が手に入れたものに2回昆虫ゼリーを与えた)とメダカ(小学三年生・理科)(無難に餌をやり、クラス平均ぐらいの寿命で亡くなった)とカイコ(小学四年生・理科)(極小サイズの時に風で飛んで行ったのか永遠に目視できず、ひたすら土の上に漂う虚無に自分のカイコを見出そうとしていた)しか育てたことがない自分が子供を育てられるのか不安で仕方がない。今まで自分が当たり前だと思っていた将来のキャリア像がグラグラと揺れる感覚、今日一日中ぼんやり考えてしまっていた。ただでさえTwitterでは日本の子育て政策はアカン‼️って投稿ばかり流れてくるというのに。
とりあえず鳥類を飼おうと思う。脊椎動物の初手が魚類(メダカ)、次が人間というのは無理がある。友だちが櫻井翔のオタクをしているので、アヒルを想定している。
表題の通りです。
すぐには辞められないけど、次は更新しないと決めている。
私自身世間一般のケアマネジャーからしたら若手になると思う。それでも30代。……30代が若手扱いの業界って何なんだろう。
やめようかなとぼんやり思い始めている。
時間とお金ばかり取られる更新研修(これが地味に辛い、お金もマン単位)
増える利用者様
罵倒されることもある
他の事業者からも家族からも利用者様からも入院先の病院からも何でも屋扱い
休みがなく動いていると思われている。
ケアマネにも人権があるよ、皆が思っているより給与低いし忙しいし時間がないよ、と伝えたい。
深刻なケアマネ不足、ケアマネの高齢化がリアルになっています。
どうすんのこれ?って気持ちです。
一人あたりの受け持ち件数を増やせばいいとか思ってるの?
国がケアマネに求めていることと現実がすごくちぐはぐに感じてしまう。
いずれケアマネ有料化になったら、また色々と大変なことになるんだろうな。
もう何も考えたくなくなる。
自称喪女(もしくは自称だった)、自称喪男(もしくは自称だった)の姫気質のメンヘラがいつもの文章読めない人なの?
文章は読めるようにならないと思うので"鯛"(恋愛したい・モテたい)という概念だけでも覚えてもろて
相当数、下記の方々がいるからな
- 結婚した方が良いを真に受けてなんとなくぼんやり活動しているが、本心では望んでいない
- 尊重され安心できる場が欲しいだけで、本心では妻・夫や恋人や友人が欲しいわけじゃない
- 誰でもなんでもいいから養って欲しい
2001/0721土
先日
柳川氏が
ドラクエⅡを
プレーしていると書いたが
今日は
「ほのおの祠」の在処が分からず
本当に器用だなと思うのが、
すぐに
作曲部屋に戻って
ゴリゴリ作り
しばらくするとまたテレビに向かって
「ほのおの祠~」
と叫び
かと思うと
だいたい計ったように
三十分くらいずつ
あっちをやり
こっちをやり
と大変忙しい。
どっちかをまず
片づければ良いのに、
と思うのだが、
ご本人にとっては
それがいたく快適らしい。
とはいえ、僕も、
柳川氏が
ドラクエに戻るたびに
ぼーっと手を止めて
見ているのだから
人のことは言えないのですが。
と言っているうちに
柳川氏、
とうとう諦めて
「ほのおの祠」の在処を
文明の利器の力で
割り出すことに決めたらしい。
そう。
これだけのキーワードで
どかっとヒットしたらしい。
その内の一つに
明確な攻略が書かれてあったらしく
「ビバ、インターネットゥ」
と雄叫びを上げて
「ほのおの祠」に
到達する柳川氏。
なんだこりゃ
松明が燃えてるだけで
そういうわけじゃ
ねえじゃねえかと
テレビに向かって
そのうち
気が抜けたのか、
タバコに火をつけ、
「それにしてもさぁ」
と半ば
コントローラーを投げ出して
こちらに声をかける
柳川氏。
はあ、
とぼんやり返す僕。
「世界の命運を賭けて
旅立つ一国の王子が」
「身支度するものと言えば」
「ドス(銅の剣)一本と
五十ゴールドだけ
ってのは」
「どうなのよ」
どうなのよと
言われたところで
しょうがないだろうと思い、
じゃないですか」
と適当に
答えたところ
沈黙する
柳川氏。
「そ……」
「そうかぁ」
感慨深く
うなずく柳川氏。
「そうだったんだぁ」
「この王子たち、
鉄砲玉だったんだぁ」
なんだか
しきりと納得する柳川氏。
そりゃねえ
そう考えるしか
ないでしょう、
と調子に乗って合わせる僕。
「道理でさぁ」
と柳川氏が
感得したように言う。
みんながみんな
祈ってくれるんだけど」
「無事に帰って来いとは
言ってくれないんだよ」
「きっともう
城の後継者
決まってるんだよ」
「王様の隣にいる
とかに」
「なんてこった…」
敵を間違えてるよ」
そうかぁ、
なるほどぉ、
なとどしきりに
呟くうちに、
ふと、
「そうか」
と、
膝を叩く柳川氏。
どーしたんですか
と訊く僕。
「国として考えるから
不条理なんだ」
はぁ。
これらは全部組なんだ」
組?
「一番稼いでいた
ムーンブルク組が
食らったために
財政難に陥った
ローレシア組と
サマルトリア組とが
互いに鉄砲玉を出し合ったんだ」
「ハーゴンの
って。
なるほど。
それで
ドス(銅の剣)一本なわけか。
思わず納得する僕。
その途端、
可愛らしいドット絵の
彼らが背負った
耐えがたい悲哀が切々と伝わり
つーんと熱いものが鼻をさす。
腕っ節と人望を買われ、
ムーンブルク組の一人娘は
おとっつぁんの仇を討つため
ちょっと待て。
鉄砲玉なんですか。
切ない任侠道が
かと思いきや
「うまく言いくるめられたに
決まってるじゃないか」
なんとか言われて」
ははぁ。
すぐにまた
納得する僕。
そりゃあ、さぞ、
憂鬱であろう。
なにせ
ドス(銅の剣)一本で
帰れぬ旅路に出た
かと思いきや、
どう見ても現実を
知らされていない
脳天気な男が
旅を続ける横で
えへへ僕、お城に帰ったら
良いでしょ~
繰り返すサマルトリア組の
鉄砲玉。
そりゃ
出るわなぁ。
しかし
なぜかくも緊急な時に
そんなのんき者を
鉄砲玉にするのか。
考えれば考えるほど
ツジツマが合わないではないか。
そう
柳川氏に訊くと
「何を言ってるんだ
決まってるだろう」
と言われた。
僕が要領を得ない
顔をしていると、
「みんな知ってるんだよ」
と言う。
なにを?
とやはり当を得ず、
更に訊く僕
レベルアップをすることで
何を覚えるか」
あ
途端に
思い当たる僕。
メガンテか
そりゃ
鉄砲玉としては
申し分ないな
というか
もはや
鉄砲玉以外の
何者でもないな
全てを知りながらも
あえて何も口に出さぬ
尚武の男
一方で
何も知らされず
へらへらと白昼夢を見ながら
将来への一片の疑いも抱かぬ
また、
一家を皆殺しにされ
犬畜生の苦界に身を落としていたところを
ラーの鏡で身請けされた
この娘が一番
何も失うものとてない
捨て身の人生を
生きてるのであろう。
自暴自棄になる
ムーンブルク組の一人娘を
気がつかぬところで
そっと支える二人の鉄砲玉たち。
いつしか
人間らしさを取り戻す
しかしその頃には
ついにロンダルキアまで
足を踏み入れたのだった。
着実にレベルアップし、
無自覚のうちに
同じくらい着実に
完結させようとする
その軽口が
哀れさ以上に、
時として冒険の
苦しさを和らげて
くれていたことに
ふと気づく
「ようやくここまで来たね~♪
まぁ君達二人も頑張ったけど
僕なんか頑張りすぎだよね~♪」
相も変わらず
底抜けに明るい声で
ダンジョンに入ろうとする
くるりと
こちらを向く
「お前はここで帰れ」
ただでさえ
しかめっつらしい顔立ちを
いっそう厳しく引き締めて告げる
これまでの冒険で
深い皺さえ見えるかのような顔で
「あとは俺たちでやる」
突然そんなことを
言われて
目を丸くする
「またそんなこと言ってぇ~♪」
とおどける
仲良くしてあげるから
心配しないでよ~♪」
この切迫した状況下で
なお、かんに障る明るさを
まき散らす
しかし
頑としてこれ以上の
彼の参加を否定する。
「初めてお前に会ったとき」
ぼそっと
押し殺した声音で言う。
思わず
力の盾で身を守る
「城を出たかと思えば
祠に行く。
祠に行ったかと思えば
ローレシア組の城に行く。
さんざん探し回った挙げ句
の一言で
全て済ませられ、
しまいには
ローレシア組の城にも居ない。
かと思えば
宿屋で
ゴロゴロしているお前を
いっそ叩き切ってやろうかと
何度思ったことか」
冷たい目の
ムーンブルク組の一人娘を背後に
いやぁと
「だいたい」
とこれまでの
憤懣をぶちまける
「明らかに
残りHPが少なくて
呪文で片づけようと
思うモンスターほど
お前が勝手に倒すし」
「中途半端に
すばやさがあるくせに
ターンがずれて
「どうして
じっとしてないんだお前は」
いやぁ、えへへ
と笑ってごまかす
ちらりと
目で助けを求めるが
他人を助ける心の余裕など
犬として暮らす日々のどこかに
置き忘れてきてしまった
氷のような態度の
「そういうわけだ」
ローレシア組の
鉄砲玉の口調は
もはや断定である。
「お前はここで帰れ」
戦力として
一切みとめぬかのような
謂いであるが、
しかし実際、
パーティの一員として
無能かといえば
決してそんなことはない。
なにせ呪文を一切
使えぬ身の
むしろ攻守ともに
なくてはならない
存在と言ってよかった。
それゆえにこそ
武に生きるローレシア組の
鉄砲玉にとって
いつの間にか
傍らにいて当然の存在に
なっていたのだ。
兄弟分として
これほど頼もしく
また心和む相手は
かつていなかった。
もっと言えば、
可愛くて仕方がないのである。
この無邪気で
決して挫けず
辛い冒険にも懸命になって
ついてくるこの鉄砲玉が。
無骨な
じきに
悟るところなど
見たくないのである。
これまで彼が抱いていた
淡い夢が粉々に消し去り
誰からも見捨てられていた
などという
そんな衝撃に、
耐えられるとは、
どうしても思えないのである。
そんな風に思う自分が
意外でもあった。
そしてそれ以上に
この兄弟分が
不憫でもあった。
痛切な真実を知らされる
ことはまだ良い。
しかしそれを抱えて
死にに行くことが
哀れだった。
そうした思いを
仏頂面に堅く秘めながらも
ムーンブルク組の一人娘を見やる
え~、そんなぁ~
などと
かすかにうなずく
実際、
この娘にとっても、
可愛いのだ。
家族を皆殺しにされ、
一人の女としての誇りも
何もかもを失い、
もはやハーゴンと
刺し違えることだけが
生きる目的と化した
ムーンブルク組の一人娘にとって、
生きるということを、
明日を夢見るということを、
ムーンブルク組の一人娘にとって、
この世が滅びることなど、
知ったことではなかった。
それをいうなら、
とうの昔に、
これ以上
誰が不幸になろうが
知ったことではなかった。
むしろ
幸せな街や村を見るたびに
胸が苦しかった。
いっそのこと
城が墜ちたあの日、
怪物たちの手で、
同時に
この世の全てを
滅ぼしてくれれば
良かったのに
とさえ思う。
そんな
ムーンブルク組の一人娘にとって、
ひけらかす明るさは、
自分がまだ本当には
絶望しきっていないことを
思い知らせるものだった。
いっそ全てが
滅んでいれば良かったのに。
そういう思いに押し潰されそうになる
心の奥底で
まだ微かな温もりが
生きているのだ。
その温もりが
言ってよかった。
それがいつしか
冒険を経るうちに
ムーンブルク組に一人娘にとっての
最後の願いとなった。
自分は
そう思えるようになった
だけで十分だった。
瞬きの間に
互いの万感を
込めてうなずき合う
「いのりの指輪を渡しなさい」
腕を叩く
え……
呆然とする
手をとり、
指輪を抜き取る
手をとりつつ
自分の手に
「代わりにこれを渡すわ」
いまや何も付けぬ
キメラの翼を
押し込む
「あなたの妹さん、
なんですってね」
ふいに、
微かな笑みを込めて言う
え……、そうかな
見やる
「のんきなところが
そっくりだった」
合わせて無骨な顔に
笑みを浮かべる。
「お会いしてみたかったわ」
そんなの、
僕が王様になったら
いつでも……
明るく返そうとするが
ムーンブルク組の一人娘の
手がかすかな
力を込めて
自分の手を握るのに、
ふと言葉を失う
「帰りなさい」
ムーンブルク組の一人娘の
手が離れ、
その手に残された
キメラの翼を見つめる
でも、そんな、
僕……
慌てて目を上げたときには
ムーンブルク組の一人娘も
半ば背を向けている。
待って、
もう少しなんだ。
「心配するな」
「お前が無事に戻れば
反対出来ないさ」
「良い王様になりなさい」
ムーンブルク組の一人娘が言う。
「ハーゴンの命は私達が……」
もはや振り返る素振りもみせず
背を向け歩み行く
二人。
その背後で
キメラの翼を握り、
うつむく
ふいに、
きっと
そのおもてを上げ、
もう少しなんだ!
もう少しだから!
21 世紀に入ってからも、911 やリーマンショックや 311 やコロナ禍なんかがあって、こどもの頃は想像できなかったような出来事に立ち会ってきたなあと思うのだけど、それより前の 90 年代はなんだかそらぞらしい空気みたいなものがあった気はする。
一方で、今でも「神戸在住」とか読み返すと阪神淡路大震災の時の非日常感とか思い出すし(受験期だったから大変だった)、地下鉄サリン事件当日の警察無線なんか聞くと今よりずっと不便で情報が手に入りにくかったなとかつい遠い目になってしまう。
その頃の自分は先行き不透明ななか日々ぼんやり過ごしていただけだったけど、今になって当時を振り返ると、世間を騒がせた大きな出来事はわりとクリアに覚えているのでちょっと意外だ。
優れた映画は一行で内容を説明でき、その一行のことをログラインというらしい
そんなもんかねと、dマガジンで「映画」で検索して、出てきた雑誌を読んだ
5月末から6月の公開映画を紹介した「COMING MOVIE」というコーナーを見つけて、あらすじ部分を読んでみた
最初の2Pに6作品紹介されていたが、どのあらすじもあんまり面白そうではない
基本的に1行16文字×7行程度なので、そもそもそんなに長い文を書けるわけではない
また主役級の俳優については、役名の後にかっこで俳優名を入れる決まりがあるらしく、なかなかに文字数制限はきつそうだ
それでもなんだかどのあらすじもぼんやりしていて、興味をひかない
それというのも6作品中、4作品のあらすじが「が……。」で終わるのだ
「舞台設定の説明文。主人公の行動文。主人公の行動は上手く行きかけるのだが……。」という同じ構成のあらすじが並んでいる
きっとあらすじをひねり出した編集者のPCの単語帳には「が」を「が……。」で登録されていて、一発変換できるようにしているのだろうなと思いをはせた
そもそも映画を紹介する雑誌で、映画のうたい文句であるログラインを探そうとするのは間違っていたし、
映画雑誌のあらすじというものは俳句のように制限を楽しむ文学みたいなもんで文末を「が……」で〆るのも季語入れるみたいなもんなんやろと思って納得することにした
そんでページをめくったら、16作品のあらすじが書いてあって、内「というが」や「が…。」で終わっている文は2作だけだった
ページ中の作品数が多いのであらすじ部分はもっと短くなっているのに、制約きつい方がもっと色んな構成のあらすじかけているじゃねえかと思ってしまった
映画の予告編の「新しい一歩を踏み出せないでいるあなたに贈る素敵な物語」みたいな定型文って、個人的には興ざめするのだけれど、色んなところに定型文はありふれているし、