はてなキーワード: 高層ビルとは
4年前、2028年のことだがちょうど仕事で二ヶ月丸々ペルー→パキスタンに出張していて、例の大型アップデートを逃してしまった。
手違いで会社側が不在届を提出しておらず、予備週間にも取りこぼされた。
まあ4年も前のこと、ver2.33の皆さんには思い出さないかもしれないが、4年前のアップデートでマルチタスク能力が格段に強化されたのは知識として知ってる人も多いと思う。
まさに地獄だった。出張から帰ってきたら仕事量は冗談抜きで4倍になっていた。会議を聞きながら書類作成、書類作成しつつも会議で意見を述べたり質問をしたり。って、あたりまえか。まあ今のみんなにはできて当然だし、4倍のさらに倍の仕事もこなせるのが普通のことなのかもしれない。が、アップデートを逃した俺には出来なかった。それまで俺はいわゆるエリートだった。販路開拓のために海外を飛び回る一流サラリーマン。ネイティブと変わらず話せる英語が自分の誇りだった。それが突然「無能」と呼ばれるようになってしまった。当時プライドが高かった俺は苦しんだ。転職を繰り返したが上手くいかず、ついには清掃や警備など昔の俺なら底辺と見下していたような仕事にまでついた。が、そこでもマルチタスクが求められた。同僚は当然のように12枚の監視カメラの映像をさらいながらカップラーメンを食べ、ソシャゲ(ソシャゲといっても昔の人間が考える猿のおもちゃのようなものとは違う)に興じていた。
アプデでクリエイティビティが強化された、正確には大脳皮質がどうたららしいが俺には理解できなかった。ともかく、その強化で周りの趣味がガラリと変わった。俺がそれまで好んでいたバラエティやお笑い、アニメや漫画は低俗で幼稚園児でも見ないくだらないものとなった。代わりに流行り始めたのが、昔なら博士課程でやっていたような学問と研究、抽象芸術、作曲や演奏活動。仕事で打ちひしがれて帰ってきて、テレビをつければ流れるのはわけのわからない数学の証明、それが理解できて当たり前で、むしろわからない俺が馬鹿。音楽も難解になった。音の数が圧倒的に増えて、俺には理解不能な多量の音の羅列になった。でも、俺以外の人間には音楽なのだと言われた。
流れ着いて入った工場の寮では、毎晩仕事仲間が集まって超複雑なルールのボードゲームをやっていた。自分の駒が24種類あって、山札が5種類、伝言ゲーム形式で11の単語を回し、それからサイコロも使うわけのわからないゲームだ。でもみんなそれが出来て当たり前だった。昔で言う将棋みたいに、ちょっと聞けばルールがわかるものという扱いだった。俺はそれを黙って見ていた。プレイできないことがわかると知障扱いされるからだ。
耐えがたかったのは、感覚過敏だ。俺は感覚過敏ではなかった。大型アップデート前は。それが、みんながアップデートしたことによって俺だけが感覚が異常に過敏だということになった。32年では、防疫的観点から全身をラップのようなもので包むのが当たり前だが俺かはこれがめちゃくちゃ辛かった。みんな当たり前だという顔をしていたが。それに、食べ物も味もアプデ後におかしくなった。すっぱいのに辛くてさくらんぼに似たフルーティな香りがついた茄子のような野菜、とか。そんなものばかりが出てきた。俺は焼肉と白米以外食べられなくなった。それでも白米はタバコの煙のような味がしたし、焼肉はメロン香料で味をつけるのが一般的だったが。食べられないことより、何より辛かったのは皆が俺を偏食扱いすることだった。俺は普通の味覚をしていたのに、突然病気のように扱われるようになった。
恋愛なども不可能になった。アプデ前は彼女がいたが、アプデ後に流行った高度な言葉遊びのやり取りに馴染めなかった。俺も昔はハイスペで、彼女もまた才女だったから、彼女は俺がウイットに飛んだ素晴らしい返しをすることを期待していたのに。例えばこうだ。彼女が「縦に並んだ魚のほうが左にあるけれど、地位ある鳥は歌わないものだわ」とか意味不明なことを突然言い出して、それに対して「あるいは薔薇も散る前は」とか言わなくちゃならない。外せば露骨にガッカリされる。適切な答えを出せたら彼女がどう反応するかはわからない。一回も正解したことがないからだ。ともかくこういう暗黙のやり取り?が出来ないせいで俺は生涯独身決定になった。あと性行為中に数字当てゲームをするのも人気らしいができる気がしない。ともかく異性と愛し合うこともできなくなった。
俺がこの増田を書き留めるのは、2.33だか、3.14だか知らない最新の人間に自分の現状を知ってもらいたいからではない。俺のような人間がこの時代にいたことを証明するために書いている。
もう一人落ちこぼれているという辛さも感じなくなった。もう前みたいに働いてないのも大きい。今は国の施設で保育園児みたいな扱いを受けてるよ。3桁掛け3桁の掛け算の暗算の練習をしてる。保育園児でもこれぐらい楽勝なのに、ここの施設の住人は全然出来ないんだよな。ただ毎日虚しくて虚しくてならない。
次のアプデでは有機的肉体の限界を突破することがテーマになるらしいから、見た目まで変わるんだろうな。
ただでさえ言葉が通じない知的障害者扱いされているのに、身体障害者扱いまで加わるんだろうな。各地でエレベータのない高層ビルが立ってるあたり、ジャンプ力が上がるのか?それとも空でも食べるようになるのか?肉体さえ失うのか?ニュースは見てるんだが難しくてわからないから想像しかできない。
ともかく言えることはひとつ、ちゃんとアップデートしないと俺みたいになるぞ。つって、もう俺みたいな取りこぼしは技術的に出てこなくなってるらしいけどな。
果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所で湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下の武士が戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。
旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築の旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館が記載されている。
温泉街は一大経済圏を形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和の恐慌時には各地の農村から子女が年季奉公で旅館に送り込まれ、仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。
温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉の旅館で執筆されており、当時の果名温泉での生活を垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。
戦時中には物資の統制や倹約の奨励で温泉旅館の営業は一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童の集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館は営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリートの高層ビルを建てにくかったことから果名温泉は団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。
今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観と旅館の木造建築が再び脚光を浴びている。経営者の高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域の産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメンを温泉とともに楽しんでもらう行事が現在に至るまで毎年秋に行われている。
1年目:地方都市を田舎と言って怒られる。いやだって人口少ないし高層ビル少ないし電車少ないし給与やすいしXXも無いし○○も無いし。
東京じゃあり得ないレベルの低さの不動産屋と家を貸してやるって態度に驚く。
警察官が東京みたいに無駄な職質をしない。ヤバそうな若者にちゃんと注意する。補導する。
警察官が東京と違ってまともに仕事している印象を受けたが口の聞き方東京じゃあり得ない。ヤクザかな?
2年目:食材や飲食店が23区の平均よりも優れていることに気づく。(除く、高級店)
コンパクトシティーで東京と違って無駄に移動に時間が掛からない事に気づく。
大抵、通販すりゃ何とかなることに気づく。どうにもならなければ飛行機で東京行けばいいだけと気づく。
地域の子どもたちがいつも挨拶していて偉い。バスの乗り降りの時もお礼を言っていて偉い。
3年目:仕事で東京へ帰る度に通勤地獄死ね・人口過密死ねと思う。スーパー行くたびに食材ラインナップ見てなにこれ?と思う。
会社近くにホテルを借りれる案件の場合のみ、会社周辺の有名店にうっきうきする。
神奈川とか都内でも端っこにマンスリーの場合は、実家の方がマシなので実家に滞在するが、周りになんも無いので、
なにをするにも電車に乗るほかなく、休日に電車に乗るの面倒臭いとか言ってた地方出身者の気持ちを理解する。
どう考えても地方のが良いですわ。
4年目:1年目に地方都市を田舎だと言ったことを猛省する。懐中電灯を持たないと夜間は出歩けない地域を田舎というのだな・・・。
地方都市からちょっと外れた地域に残る人情+助け合い話にほっこりしつつ、地獄青年会・地獄婦人会の話にドン引く。
山や海を地元の青年会の方々が整えたりしててホンマ偉いなぁと思う。なんかしたいけどまだ1回しか地域のイベントに貢献出来てない。
10:0 で交通事故に遭うが警察官の対応と口の聞き方態度に腹を立てる。東京じゃ絶対無いな。
5年目:道の駅やJAファーマーズマーケット、なんで銘柄肉があの値段で食えんの?お惣菜もハイパー豪華。幸せ。
地方の都市部を除いたエリアの経済・教育・インフラ格差にドン引く。
東京じゃ大問題になりそうな建築現場などでの事故死や東京じゃまず若者がこんな病気でこんな死に方せんやろ的な話を聞いてドン引く。
そっと闇に葬られる模様。貧しい田舎にこそヤクザはいがちということを理解する。
都市部でもご飯が食べれない子がおる模様、見ず知らずの子どもに500円せびられてビビる。
6年目:気が向いた時に海や山へチャリで行けるし、3万でタクシー貸し切りに出来て数百キロ移動できるのホンマ最高。
けれど、車移動がメインだから東京と違って歩道・自転車専用通行帯の整備が非常に適当。
移住当初は道がデコボコ、自転車専用通行帯が無いくらいならフツーに東京でもあるが?と思ったが、
草に埋もれていて物理的に歩けない・通れないが地方都市内ですらそこそこある。
そして侍る喜び組の一人に眼で指図し、膝下に呼び寄せる。
ホワイトのスーツに身を包んだ喜び組の女は、慣れた手つきでゆっくりと、妹の質の良いパンプスを脱がせ、そして質の良いガーターストッキングを下ろしていく。
妹は素足を組んで、そのつま先を喜び組の女の前へ優しげに突き出す。
喜び組の女は両の手でゆっくりと妹の足を撫ぜ、そして初めの合図かのように足の甲に口づけしてから、妹の足を丁寧に舐め始める。
静かな部屋に、喜び組の女が発する口づけの音だけが短く聞こえる。
いつの間にか、部屋に一人の小太りの男が佇立している。
「兄さん、一体どうしたらいいと思う?」
「おい、なぜだ」
「質問に答えて」
「俺は……」
妹は少しため息をついて、つま先を自分の方へ引き寄せる。
足とともに近づいてきた、喜び組の女の整えられたロングヘアーを撫ぜてやる。
「兄さん」
「なぜだ。なぜ俺を」
「STAP細胞」
「まさか」
「暗殺される直前の兄さんの遺伝子や細胞といったものは、そろっていた。だから生き返らせた」
「俺に何を期待している」
「臨時政府」
「俺の息子、そして俺の家族をどうしたいんだ!」
小太りの男は義理の妹が「民主化」の発音を小馬鹿にするような声で出したのを聞き逃さなかった。
「何を考えている」
「ッ……バカな……」
「選挙よ、選挙。アメリカも共和党と民主党でしょ? 北朝鮮を二大政党制にするの。兄さんの息子がアメリカにいるから、その臨時政府と私の政府と」
「詭弁だ!」
「そう。でもそうすりゃインパクトあるでしょ。徐々に民主主義の皮を被って行けばいい。よーするに、雰囲気民主的にやってけばなんとかなるっていってんの」
「そうだけど? 日本だって自民党がおんなじようなもんじゃない。国民がどう投票しても自民党が勝つように、自民は社会を作り上げてきた。うちでは二大政党制でこれをやるわけ」
「そーいうと思ったけど、兄さんが間に入ってくれたらスムーズなんだけどなー」
「悪いが帰らせてもらう」
「どこに?」
「兄さんらしい。でも、家族に会いたくない?」
「俺の家族は、俺以外のヤツが守ってくれるさ。それに我が義妹よ、お前の考え意外に悪くないな、って思っちゃったよ俺。一応帝王学学んでたしさ」
「んでしょー。散々中国の歴史で短命王朝の最後の流れ勉強してきたからさ、おんなじようになりたくないんだよね」
「俺がどうこうできる話じゃないしな。じゃ、帰るわ」
「えっと、もっかい聞くけど、どこに?」
「どこか、さ」
静かになった部屋で、妹は通信装置を用いて麾下の軍人に指示を与える。
妹の居る高層へも、乾いた銃声が二つ、響いて届いた。
喜び組の女は、震えながら忠心を示して懸命に舌を足に這わせる。滝のような汗が黒髪をうなじに吸い寄せている。
妹はそれを見やりながらわずかに微笑み、紫色したSTAP細胞の試験管を手に取る。
「代わりはいくらでもいる」
高層ビルの入り口。どす黒い鮮血が平壌の排水溝の闇に呑まれていく。
警備のいなくなった死体の周りに、小太りの男が3人佇んでいる。
「そりゃそーだろ」
「残念だ」
「次は俺たちががんばる番だ」
「俺だったら胸ポケットに入れるな」
「俺もそう思う。俺だってそーする」
男たちは死体の胸ポケットから紫色の細胞の入った試験管を取り出し、各人で等分する。
「民主主義ってのは数の暴力だ。STAP細胞でどんどん増えるぞ」
「俺たちの誰かが、家族までたどり着ければいい」
「代わりはいくらでもいる」
退職しないでどうする
マジでどこにでも行けるぞ どうする?
熱海、箱根、北海道、沖縄、田園調布なんかもいい 海外…はいまちょっとキツそうだなあ
とにかくどこにでも思い立ったらすぐ引っ越せるってのはすごい なんせ無限の金だから賃貸の契約期間なんかも実質無視できる 違約金もノーダメージだ
つうか各地に家が持てるんだよな まあご時世的に移動はしにくいけど… でもたとえば徒歩圏内に5個家があって気分によって好きなとこで寝られるみたいなのは憧れるなあ 掃除だって外注すればいいわけだし!
あんま高いもので欲しいものってないんだけど、とりあえずスマホとPC買い換えてでっかいテレビを買うかなあ あとはなんだろう シャワーヘッド…?低温調理機…?そういうQOL品を買う
成城石井とかに行ってムチャクチャ大量に色々買いたい!惣菜も値段無視して買えるからな すごいぞ チーズなんかもバカスカ買えてしまう レジ袋も「大2枚ください」なんてことが可能
ママチャリじゃないチャリ乗ってみたい!電動自転車でもいいな たっけえ電動自転車乗ってその辺走り回ったら楽しいだろうなあ
バブひと風呂に8個くらい入れて入りてえ〜ッ
中学時代ぶりにホルン吹いてみようかな!安いのでも20万くらいするけど、金が無限にあるので1日で飽きてもOK 防音室作って吹きまくってみたいな
買い物にも通じるけど、牛肉とか買って食いてえな いや牛肉なんてケチくさいのか?なんかもっとこう…この店で一番高いものを!みたいな いい素材をふんだんに使ってメシ作って食いたい 分厚いステーキなんか焼くのも楽しそう いろいろ入れた餃子作るなんてのもステキ
コンパウンドボウみたいなの買って自分ちの広大な庭で好きなだけ放ってみたい!当たんないだろうなあ
ペンタブと良い椅子と良いソフト買ってお絵かきしてみたい!すぐ飽きるだろうけど、好きな時に絵が描ける環境は楽しそう
バカでかい金塊買って手に持って「重え〜」とか言って笑いてえ!
キングサイズのベッドに寝てみてえなあ 彼女とシングルの布団に入るの狭すぎる 広さと同衾を両立したらどうなっちゃうの
鉢植えのサボテン買ってチマチマ育ててえ あっでも別荘持って転々とするのと相性悪いな 終の住処を定めたらサボテン飼いてえ
筋トレ器具なんかも買ってみたい トレーニングルームを自宅に設けてみたりして… まあすぐ飽きるだろうけど、ないよりは絶対運動する!
プライベートプール欲しすぎる!プールに入浴剤入れたら楽しそう
模造剣とか模造刀買ってブンブン振り回してえ!技名叫んだりしてさ…
中身が半端に入ったペットボトルをいい感じで投げてえ すげーよく飛ぶんじゃないかなといっつも思うんだけど、もったいないし人に当たりそうだしで投げられん 金があったら解決できる バカ広い庭があるから
モスバーガーとかに行ってこんなん誰が頼むねんって感じのメニューをバンバン頼みてえな そういうところに意外とうまいものがあるから
VR結局一回も試したことない!最高級HMDみたいなの買ってアレやりたい 高層ビルの上で綱渡りみたいなやつ
ああ! 無限の金
金ほしいなあ 金あったらすげえ豊かだぜ
人生のつらさ7割くらい金由来じゃねえか?
乗っかり。好きなもの。
音楽を聞きながらのんびりと料理するのが好き。休日など、時間のたっぷりある時に焦らずにご飯を作るのは素晴らしい。
牛乳パックの注ぎ口から、勢いよく液体が流れ込む姿。コーヒーの中に牛乳が混ざり込む姿。よく使い込まれて、かつ手入れの良い状態の鉄のフライパン。
林の中に入ったときの土の匂い。桜の花が夕日に照らされて赤みを帯びているところ。6月ころ、本当に緑の薄い時の若葉が風にそよいでいる感じ。夏の朝の涼しさ。秋が近づいて空一面にうろこ雲が出ること。冬のうんと寒い日に人気のないところに出かけて、景色の中で人間は自分一人、という原野ごっこをすること。
春と秋、日中の温度差が大きくて草にびっしりと朝露がついている様。ミツバチやハナバチが花の中に頭を突っ込んで、花粉やら蜜やらを集めている姿。
デカパイダーマンは自室で何者かと揉み合いへし合い、まさぐりあったまま地面に落下したと言うのが検死結果だった。
彼女をずりネタにしていた我々ヒーローたちは彼女の死を悼んだ。
50絡みのブロンドの女だった。
近親者には子供もおり、仕事の交流しかなかった我々は彼女の家庭的な面に驚いた。
そのデカパイから繰り出されるビンタや体当たり、色仕掛けはニューヨーク市民の股間を鷲掴みにし、ペプシやホットドックプレスの広告塔も務めて一斉を風靡した。
ファンへのサービスも厚く握手会やデカパイ上映会、ファン感謝祭バスツアーなどサービスも豊富で、言わば80年代を彩るデカパイだったのだ。
葬式に参列したオウルマン、オウルシャッハ、フクロート製薬などのヒーローたちと思い出を語り合ったが、全員がデカパイダーマンは自分に好意があったと言って聞かない。
デカパイから母乳を噴射する「デカパイダービーム・スラッシュ」を何度も浴びてきたミルク臭い仲であるところの我々にも、彼女について去来する様々な思いがあるようだった。
一点気になるのは、高層階からまさぐり合いながら落下した相手が落下後に事件現場から立ち去ったと言うことだ。並の人間にできることではない。
広さ1のマップで全ての建物の内部が作り込まれNPCが生活している。
広さ1のマップで経済がシミュレートされていて、全ての建造物や(場所によっては)地形を破壊できる。NPCが建設したり修復したりする。
広さ100のマップで政治と経済と技術の進化がシミュレートされ、歴史も進み、建物も時代に沿って進化したりする。
広さ10000のマップで上記を達成。戦争もシミュレートされる。
——追記
ブコメで進化が遅いって言われてるけど、GTA5がいつのゲームか考えると、あながち遅くもないと思う。
GTA5が2013年9月発売だから、2023年で10周年だけど、あと3年でそこまで進化したゲームが果たして出るだろうか?
たぶんグラフィックが少し綺麗になって、広さが1.5ぐらいにはなるかもしれないけど、その程度で終わると思う。
本質的には何も進化してない。それを踏まえての上記予想なんだよね。
俺ももっと早く進化して欲しいけど、それは無理だと考えている。
ウォッチドックス3が全てのNPCを仲間にできるという画期的な仕組みを導入するので、それがどの程度のクオリティになるか、今から楽しみだけど、マップの広さは0.5ぐらい(WDは密度で勝負と製作者が言ってるけど、それを考慮してもせいぜい0.7ぐらいが限界じゃない?)だろうし、自動生成のせいで調整しきれてない部分も沢山あるだろうなと予想してる。
でも2030年頃には、そろそろ血の通ったものをある程度自動生成できるようになってるんじゃないかな。
—-更に追記
id: hazardprofile NPCが勝手に行動するのはゲームにならんというのはSTALKERでやったでしょ
chernobyliteというa-lifeが搭載されたゲームが2019年秋に出てて、好評みたいだけど。。。
—-更に追記
広ければいいのか?みたいな意見もあるけど、ここでは密度も含めてるからね。
それを踏まえて、広ければいいのか、という問いにはYesでもありNoでもある。
なおGTA5の面積は資料によって78㎢から125㎢ぐらいなので、間をとってここでは100㎢とすると、
東京都が2188㎢なので面積だけなら約22倍だけど、高層ビルの中や駅の構内なんかを考慮するとGTA5の1000倍ぐらいの情報量はあるんじゃなかろうか?(雑ですまんな。もっと精密な考察は俺も聞きたい)
上記2030年の予想で言ってる、全ての建物の中が作られてるってのは、超高層ビルなら1階に入れたらOK程度のなんちゃってレベルを想定してる。おそらく超高層ビルや新宿レベルの駅なんかが再現されるのは2040年頃でやっとじゃないかな。
で、それは面白いのか?という問いへの答えだけど、もちろんゲームとしての面白さはゲームバランスが重要。
それがダメなら答えはNoになる。でも、ここではそれをクリアした上での話だから、答えは「面白くなるに決まってる」だ。
俺は上記予想のものが実現したら、面白さの次元が変わると思っていて、逆に言うとこれが実現できなければ(グラップリングアクションなどの別の進化?を考慮に入れても)面白さの次元は変わらないと考えている。
なぜここで東京都の情報量について触れたのかというと、俺の言語能力では、上記予想で述べた要素が面白さのパラダイムシフトに貢献するという事をうまく伝えられないからだ。そこを補足すれば、それぞれ各人で少しは想像しやすくなるかなと思い書いてみた。
もう少し言うと、あそぶつり、という物理シミュレーションを題材にしたフリーゲームがある。
以前、さいたま市の保健所長が「病院があふれるのが嫌で(検査対象の)条件を厳しくしていた」と発言したとしてニュースになったり、今日も、4月半ばごろには入院まちが200人以上いたという記事がホッテントリ入りしてたりして、埼玉の医療が結構やばいということは、うっすらと伝わっているとおもうので、その背景みたいなことをド素人なりにつらつら考えてみた。
なお、自分は元埼玉県民、いまは都内に住んでいるが、親族や知り合いに埼玉県民はたくさんいる。
埼玉在住の自分の姉も、4月半ばごろ「これまで経験したことのない風邪」に苦しめられていたらしく(直接あってないので、どれくらい苦しかったかはよくしらない。当人の証言のみ)、何度も電話かけてやっとつながった相談窓口に「とにかく自宅で様子見てくれ」の一点張りに途方にくれていたところ、そのうち症状がなくなったらしい。
で、埼玉の医療事情だが、まず大前提として、埼玉は医師も病床数も全国屈指に足りていない。
これは、自分の子供のころ、つまり昭和のころからいわれていた。
今や全国5位の人口を誇る埼玉県だが、国公立の医大・医学部が存在していない。
いや、正確にいうと、所沢に防衛医科大学校というのがあるのだが、これはやはりちょっと特殊な学校で、卒業生は基本的に自衛隊の医官になってしまうので、地元に医師は供給されないし、防衛医科大の医局が地元の病院を牛耳ることもない。
唯一、埼玉県内で文科省の管轄する医大・医学部は私立の埼玉医科大学だけである。
ずいぶん昔、田中角栄が「1県1医大構想」を掲げたころに、埼玉大学(国立・地元では県庁職員と小中学校教員の供給源として知られる)に医学部を!という話もあったらしいのだが、うまくいかず、その代わりに開設が認可されたのが埼玉医科大学らしい。
一説には、当時の知事と医師会のあれやこれやとか、地元政界の魑魅魍魎話とかいろいろとあるようだが、詳細はしらない。
ただ、埼玉医科大学の創立者一族は、歴代埼玉県議長だったり県議だったりする、というのがあって、そのへんがまたいろんな噂を呼ぶ素地ではあるのだろう。
なお、埼玉医科大系の病院は、ホームページの入院案内をみると何よりも目立つように赤字で「前納金」について書かれていて、まあ、そんな感じらしい。
医大としては歴史が浅いので偏差値は低いのに学費は高く、よってしたがって、学生は「どうしても子供も医者にしたいという開業医の、成績が今一つの子息ばっかり」だとかなんとか。
最近は卒業生の教員もいるようだが、その昔は東大とか慶応から移ってきた教員が、それこそ神様のように扱われていて、一昔前の医学ドラマのようだったという話もよく聞く。
あと、日本で初めて正式に性転換手術をしたことでも有名になった大学でもある。
人口120万を超える政令指定都市にして県庁所在地であるさいたま市には医大はない。
自分は旧浦和市(現さいたま市)の出身なのだが、自分の子供のころ、地元で大きな病院といえば市立病院と社会保険病院しかなく、そこで対処できない「難しい病気」の人は都内の大学病院に通院したり入院したりする、という風習があったように記憶する。
そういえば、亡き父が心臓弁膜症の手術をしたのも都内の某大学病院だった。
そもそも、埼玉南部に住んでる「埼玉都民」は、なにかというと東京にでるのが当然なのである。
医療に限った話ではないが。
なんとかしなければ、とこれまで行政が動いてこなかったわけではなかろう。
平成の初め頃、大宮に自治医大の病院ができたのは、地元では大きなニュースだった。
もともとは高層ビルか埼玉タワー(スカイツリーと誘致を争っていた)の建設を計画をしていた、さいたま新都心の空き地には、県の働きかけによって規模が大きくなった赤十字病院と県立小児医療センターが鎮座することになった。
駅徒歩4分、コンサート会場としても名高い「さいたまアリーナ」の目の前に大病院が建ってるのは、なにやら異様な光景ではあるのだが、まあ、一番必要な施設を建てたということだろう。
サッカーの聖地さいたまスタジアムにほど近い開発地域に、県と市が土地を提供して順天堂大学病院を呼んでくる話も進んでいて、当初計画では今年にはできているはずなのだが、予定地はいまだ空き地。去年だったか、木下サーカスが公演をしていた。
埼玉住み、東京勤務だったりすると、会社の健康診断は都内で受けたりする。そこで異常が見つかって精密検査して治療が必要になると、紹介されるのは都内の病院だったりする。
自分も埼玉の実家から東京に通っていた時期があるのだが、その時期、再検査に引っかかって胃潰瘍がみつかって、薬でピロリ菌除去する治療を受けたりしたのだが、それら全部、都内で済ませる結果になった。
要するに、埼玉県の通勤圏の人たちの医療は、多分に都内に依存してるのであって、だから「一人当たり医師数・病床数全国最悪」であってもこれまでなんとか回っていたのであろう。
ところが、コロナウイルスの対応は、都道府県単位でしきられている。これは、埼玉県にとってはつらい。
昨年の8月に野党系の支持を受けた知事が誕生したこともあって、「知事の無能さ」をたたく人がネットに散見されるが、まあ、飛び切り有能な知事でもないかもしれないが、しかし、知事の能力ではいかんともしがたい構造的問題を抱えていることは理解しておいてよいと思う。
おそらく「テレワークに移行しましょう!」と、スムーズに移行できる一流企業にお勤めのかたはStay Homeしているのだろうが、そうでない埼玉県民はたくさんいる。
そもそも、一流の企業に勤め、一流の給料をもらっている人は、できれば埼玉ではなく都内に住みたいのであって、「そうでない人」の比率は、都民より埼玉県民のほうが多かろう。
安い給料に耐え、通勤電車に耐え、毎日東京で働いて東京の経済を支えている埼玉県民は多いはずだ。
そして、東京から埼玉にコロナウイルスをせっせと運んでくるのである。
もともと、埼玉は「観光で宿泊する人」が全国でも屈指に少ない県である。観光地少ないから。
そんな埼玉に、一番ウイルス運んでるルートは、通勤のほかには考えられない。
そして、マスコミは東京には注目しても、埼玉には注目しない。逆に「福井や石川に持ち込まれた」みたいな話とかならニュース性もあるのだろうが、東京の隣で深く静かに進行した医療崩壊にはなかなか目が向かない。
「一極集中」というと、東京と地方の話になりがちだが、じつは隣の県から見ても、東京にはいろいろ集中しすぎてるのだろう。
で、埼玉県民は仕事も医療も遊びも東京にいく(いかざるをえない)ので、毎日、人は東京に集中してはまた埼玉に帰ってくる。
そんな構造のなかで、「Stay Homeです、移動しないようにしましょう!」という事態に陥って、都や県の単位での対応に迫られたとき、切り離された埼玉が苦悩するのも当然といえば当然な気もしている。
9:00 になったら家で会社のPCを立ち上げるんだけど、実質開店休業状態のまま 17:00 まで。
おれは目黒の下のほうに住んでいるので、自宅から走る時はだいたい多摩サイなんだけど、17:00 からだと堤防のサイクリングロードはちょっと怖い。
まずは環七にでて、内回りを平和島方面に向かう。大井町線の下をくぐり、中原街道を横切ってすすむと下り坂。
リコーのあたりも人が少ない。国道一号線も横切って進み、第一京浜を左折する。
第一京浜を都心方面に向かう。分かってたことだけど第一京浜は路面が汚い。
ハンドルバーに手を置いているだけだと跳ね回るのでちゃんとハンドルを持って走る。
点々と現れる京急の駅を右に見ながら進む。北品川を超えたあたりで右に大きくカーブ。
札ノ辻で左に東京タワーが見える。曲がっちゃえばよかったなと思いつつ直進して、左折するポイントを探す。
三田で左折。日比谷通りに入る。NEC があるけど閑散としてる。
日比谷通りってずっと行くとどこに出るんだっけ。と思いつつ走る。芝公園のそばを通る。
名前がわからないけど面取りしたような高層ビルが左に見えて、きれいなビルだなと思う。
そのうち日比谷公園が現れる。ずっと昔日比谷公園のトイレに入ったらそれらしい男性がたくさんいたのは良い思い出だ。
と思っていると左が皇居になる。皇居の周りは歩いている人がパラパラいた。
しばらく進むと永代通りにあたる。曲がっちゃえばよかった。と思いつつ次の信号を左折。
目の前がお堀の T 字路を右折して内堀通りに入る。車が少ないのですんなり右折レーンから曲がれた。
お堀を見ながら進む。どこかで靖国通りに入らないと。
まっすぐ行けば靖国通りなのに、なぜか右折しないと靖国通りにアクセスできないと思い込んでいて、竹橋を過ぎたところで右折する。
すぐに靖国通りにあたるので、左折。上り坂。武道館を左に見る。当たり前だけどなにもやってないので人は少ない。
ずっとまえここを通った時は凄い数の人がいて、帰って調べたらパフュームだった。
坂を上り切ったあたりで右に靖国神社。市ヶ谷駅の前を右折。川を渡る。
ここの橋の上はいつもと変わらず混んでたので川べりの桜は見られなかった。
靖国通りと外堀通りがわかれるところに分離帯ができてて靖国通りに進みやすくなってた。まあ車が少ないからだけど。
防衛庁を右にみながら進む。毎朝あの階段を登るのは大変そうだけどエレベーターとかあるのか。
いまの職場が新宿なので、いつもの会社帰りと同じく 20 号から環七で帰ろうかと思ったけど、それもつまらないので明治通りで渋谷に向かうことにする。
普段なら絶対避けるルートだけど、これだけ車も人も少ないならアリでしょ。
伊勢丹の前を左折して 20 号に入り、すぐに明治通りにあたるので左折。
思った通り快適に走れる。新宿から原宿あたりは路肩が狭いうえ、結構なスピードで車が流れてるので怖いんだけど、今日はラクラク。
表参道もいつもよりずっと人が少ない。原宿から渋谷にかけては緩く下る。薄暗くて人が少ない。
休みの日は歩道からあふれた人が車道を歩いてたりするのに。まあ平日の夜だからってのが大きいけど。
さらに渋谷駅あたりでは正面にデカいサイネージができてて、入り乱れる空中歩道と相まって 80 年代に想像した近未来っぽい。
246 が渋谷駅の東口側から西口側に抜けるところは、昔と変わらず薄汚くてほっこりする。
246 を池尻方面に向かう。上り坂。この辺りはいつもどおり路駐トラックがうっとおしい。登り切ったあたりで旧山手通りにあたる。
旧山手通りのところで信号に捕まったので、そのまま旧山手通りに入る。
走り出して思い出したのは、この辺りは路駐が多いせいで(そいつらがハンドルをこじるので)路面がガタガタだったって事。
今更思い出しても遅い。三宿から学大に抜けるルートのほうがよかった。。
代官山の交差点を直進すると駒沢通りあたるので、右折。長い下り。
左カーブの見通しが悪いうえにオートバックスの前に必ず路駐がいるのでちょっと怖い。
でも今日は後ろから車が来ないので思いっきり 2 車線の真ん中あたりを走る。
そのまま駒沢通りでおうちに帰る。祐天寺から学芸大学あたりはいつもと変わらない感じだった。
まあ、駅前まで行ってないけど。
家を出てからだいたいちょうど 2 時間ぐらい。シャワーを浴びてからチェーンに油をさそうと思っていたことを思い出す。
シャワー浴びる前にさせばよかったのに。もー。