はてなキーワード: 高層ビルとは
先日メイカーフェアを見に行くために深センへ行ってきた。ニュース記事で「深セン凄い、日本負けた」っていう記事があったりするのでどんなものか確かめてみたくて。でも結論から言うと大したこと無かった。
技術的にそこまで大したこと無いものばっかりで目を見張るようなものは特に無かった。基本動かす系・光らせる系・音鳴らす系って感じ。ロボットを踊らせる展示が多かったかな。
ガンダムを踊らせるとかそういうの。見に来ている人は子供が多く、子供達は夢中になって見てたけど言っちゃ悪いけど子供騙しだな〜と思った。
ようやく先日外国人でもクレジットカード登録すればQR決済使えるようになったんで試してみたけど、日本でもPayPayなどのが普及している中QR決済はもう大して真新しいもんでも無いよね、って印象。
「華強北面白いよ」って絶賛している記事を見てそこも行ってみた。ビルの中はすごく汚くて汚水が溜まってたりパーツが散乱していたりと凄く汚い。
フロアは凄く広いんだけど、同じものを売っている店ばっかりでハシゴして見る意味殆ど無い。秋葉原のラジオ会館みたいな所が好きな人には堪らないのかも知れないけれど、自分はそういうのには興味ないので何が楽しいのか分からなかった。
名前の聞いたこと無いブランドのイヤホンも売ってたので試聴してみたけどゴミみたいな音質だった。Amazonでサクラレビューついている中華系格安イヤホンって現地ではこういう所で販売してんのかなあ。結局何も買わずに帰った。
市民中心の広場で週末に、高層ビル群を利用して行われているライトショーがやっている。正直いうとこれも大したこと無かった。
技術的には「深センスゲー」なのかも知れないんだけど、やっている動画の内容はキャラクターが動いたりだとか、抽象的な模様が動いたりだとかそういうつまらないものだった。感動することは無かった。
多分、東京駅のプロジェクションマッピングだとか表参道のイルミネーションなんかが好きな人には堪らないのかもね。
総じて薄っぺらいなあと思った。深センが歴史が浅い街で文化が無い新しい街だからなのかな。見た目豪華にみせているけど洗練されてないっていうか。
「深センすごい」って言っている人たちって多分、深センでビジネスしている人だったりとか深センビジネスツアーとかで小銭稼いでいる人たちが実態より大きく見せようと必死なのかな? と思いました。
ついこの間までベッドの上で肌を重ねた
米問屋の二代目の男を思い出させた。
周辺に群がるシティホテルも、
ついこの間私と彼が過ごした場所だ。
決して心が繋がっていなかったわけではない。
むしろ、時には親子のように、
時には恋人同士のようにお互いを想い合い、
会っていない時でも心配しあう仲だったと思う。
あの頃の私は、同年代の男の子たちと意味のない遊びをすることよりも、
二回りも歳の離れた大人の男性と関係を持つことのほうに強く興味を惹かれた。
気持ち良さを見出せずにいた私だが、
自然と身をまかせることができた。
私にとっては当たり前のことのように感じられた。
秘部をねぶりながら足首を持ち上げる手、
気持ち良さに浸っていると
初めての経験が日々を塗りかえて、
わたしを変えていく。
しかし、三年が経つ頃に別れは訪れた。
本当にそれは突然だった。
いや、彼にとっては用意していた事だったのかもしれない。
暫くは食事が喉に通らなく、
手足が痺れ、放心状態だった。
頭の中では冷静に判断ができた。
そう思ってなんとか見つけた働き口は
彼と過ごした街を一望できるこの高層ビルだった。
とてもちっぽけに、そして滑稽に感じられた。
きっとあの頃のだれかは
この下でまだ元気にしているのだろう。
被災者にもかかわらず、なぜかやっかみでディスられている武蔵小杉。
最近はタワマン、古くは億ションなど、高級マンションと呼ばれる価格帯の物件もあるが、
ディベロッパーの観点では、タワマンや高級マンションはそんなに良い(=儲かる)商品ではない。
まず、一番儲かるのがオフィスビルだ。そういう点で、三菱地所は他のディベロッパーからやっかまれているんだ。
丸の内もってるって最強でしょ。スクラップアンドビルドを繰り返すだけで儲かります。
そういう意味で、再開発用の大きな土地があった場合、まず第一にオフィスビルを検討します。
なんてったって、オフィステナントと居住者では、金払いが段違いに違うし、流動性も高い。
で、オフィスビルの需要が満たないなぁという場所の場合、次に検討されるのが、オフィス、タワマン等を含めた総合開発なのです。
その次が商業施設とタワマン。さらにダメな場合は単発のタワマン。
というわけで、駅前にオフィス用途の高層ビルがある場合、その駅周辺の土地は更なる需要が見込まれる良い土地です。
逆に、駅前に居住用途の高層ビル(=タワマン)があった場合、その土地はタワマン以外の用途で開発できる見込みがなかった土地というわけです。
つまり、タワマンがニョキニョキ立っている武蔵小杉はベッドタウンとしての用途では需要があったのかもしれませんが、
水害の可能性やら、そういうものを一切取り除いたとしても、経済的な観点からは高級な土地では一切ありません。
そのため、暮らしている人たちが困っていることをやっかんでも、何の意味もないことです。
また、どこかで六本木ヒルズは自前のガスタービンを持っているから停電になっても大丈夫、タワマンも持つべきだ、という狂った言説を見ましたが、
そんなことはありえません。これはファーストクラスではシャンパンとステーキが出てくるから、エコノミーでも出すべきだと同様の意味です。
こんなこともあろうかと、というリスクヘッジには金がかかるのです。
最近、というほどではありませんが、文京区役所前の後楽園・春日周辺の再開発が主としてタワマンであることは個人的にショックでした。
最後にどうでもいいことですが、郊外にある大型ショッピングモール。
よく地元の商店街をつぶすとか、いや古臭い商店街など意味がない、新しいモールこそ最高だ、などといろいろな議論がありますが、
基本的に3年でペイします。最近はもう少しかかりますが、よほどへたくそなディベでなければ、3-5年です。それ以降はただ儲かるだけです。
儲からなくなったらつぶします。こちらからは以上です。
都会の夜景を見るととっても病む。
田舎ではできないこと、田舎では会えない人がいっぱいあってとても泣きたい気持ちになる。
ありがたいことに私の家は田舎の中でも裕福な方なので(東京に引っ越せるほどのお金はないって意味)現場以外でも頻繁に東京へ行く。その時考えるのは自担今どこで何してる?誰といる?ってことばっかり。夜、高層ビルが並ぶ道をとぼとぼ歩いてたらこんなに好きで同じ地にいるのに巡り会えない私の人生くそじゃん死にたいって泣きながら何もしないで帰ったこともあったなあ(めちゃくちゃイタくてびっくり)現場で東京に行った時は大丈夫だけど特に何も無く服や欲しいものを買いに行っただけの時めちゃしんどい。未成年の学生のクソガキが何ほざいてんだって思われると思うけど地図で見たら東京ってめっちゃちっちゃいのになんでいざ自分がそこにいると広いの?すれ違う人をみながら思うのは今すれ違った大人数の中に1人は自担の事務所関係者だったり関係者と知り合いだったりするんだって考える。
よく、○○くんと飲んだことありますとか○○くんの元カノの友達ですとかそんなほぼ2次元的な話をお持ちになられてる方は一体全体何者なんですか?こちとら芸能人に遭遇なんてことすら地元のローカル番組の司会者くらいなんですけども。前世でどんないいことをしたんでしょうか。
そしてまた自担の彼女になった人は自担から好きという言葉を貰った人ってことなわけで。ヲタクが好きだって言ってもありがとうしか返ってこない当たり前だけど(まあまあ私の自担くんはみんなのこと愛してま〜すとか言ってくれちゃう子ですけど)
少女漫画みたいな運命的な出会いとか、そんなバカバカしいこと望んでる訳じゃなくてアイドルであろうと普通のオフの自担くんと出会ってそこら辺の普通のカップルみたいに家でごろごろして平和に幸せに暮らしてただ普通とは違うのが彼はアイドルですっていうだけみたいなそんなんでいいんだよ。(十分な高望み)
世の中には、社会人になったら一生ものとして1つは持っておけと言われる高価格帯のアイテムがいくつかある。高級腕時計、財布、バッグ、礼服、革靴、万年筆などが挙げられるだろうか。これらは一度購入すれば数十年も使用に耐えるものがあるし、ビジネスシーンで有利が取れたり、使えば使うほど味が出てくるなどとさえ言われることがある。しかし私は、ビジネスでは全く役に立たないであろう「高い双眼鏡」を1台買うことを強く勧めたい。それも10万円クラスの、持ち運びしやすいコンパクトなタイプだ。「双眼鏡なんて一生使うことない」「双眼鏡に10万円もかけるとか頭おかしい」というのが一般的な感覚だろうし、「一生ものに10万円は安すぎる」「30万出してスワロやツァイスの40mm買え」というのが双眼狂たちの言い分かもしれない。が、私に言わせれば、あらゆる場所に毎日持ち運びできるコンパクト双眼鏡を持っていない人生はもう考えられない。
他の「一生もの」と比較してみると、高級腕時計や財布は確かに所有欲を満たしてくれ、どこに行っても胸を張って使えるファッション性がある。だが時刻の確認だけならスマートフォンやスマートウォッチでもできる上に、そちらの方がはるかに高機能で、人生をちょっと豊かにしてくれるいろいろな体験ができる。財布は現金やカード類を収納するという機能しか持っておらず、その機能自体が人生を劇的に豊かにすることはない。
一度所持してもらえばわかるのだが、双眼鏡には、双眼鏡でしかできない体験というのがあるし、大事に扱えば親子三代にわたって使えるとまで言われるほど頑丈な機器だ。パソコンやスマートフォンなどの電子機器とは比較にならない寿命の長さであり、またこれらには決して代替ができない道具でもある。
では私がなぜ「新社会人」に双眼鏡を勧めるのか。学生時代よりは高い製品に手を出せるぐらいのお金があり、かつ若くて体力があって、ひとり旅や友人との旅行、何の気なしに街を歩くこと、美術館や博物館巡り、コンサートやライブ、ハイキングや登山などのアウトドア活動といった、双眼鏡が最も活かせるシチュエーションである「外出」がしやすいからだ。「友達いないから旅行とか行かない」「仕事で疲れてて外に出る気がしない」「家でガチャ回してる方が楽しい」という声もあるだろう。逆に考えるんだ、「高い双眼鏡を買ったんだから、せっかくだし外に出てたくさん景色を見よう」と。そうして得られた体験は間違いなく一生の糧になる。家でアニメを見たりガチャで爆死したりするのもいいけれど、たまには外の空気を吸いに出かけてみよう。何も電車や車で何キロも離れたところに出かける必要はない。空を流れる雲や、電線に止まっている鳥、街中の高層ビル、遠くに見える山々、夜になれば月に、双眼鏡を向けてみよう。肉眼では特に何とも思わなかっただろうが、双眼鏡を通して見る世界がとんでもなく豊かなことに驚くはずだ。近所で使うだけでなく、連休の旅行やハイキングで使えば旅が何倍も楽しくなるのは請け合いだ。もちろん、新社会人だけでなく、双眼鏡を1台も持たずになんとなく人生を過ごしてきた人たちにも強くオススメしたい。
「外に出て景色を見るだけなら、双眼鏡なんか使わなくてもいいじゃん」という反論もあるだろう。この点に関しては自分の目で確かめてもらうのが一番なのだが、一度見てもらえれば全てが理解できるはずなので述べておこう。いい双眼鏡で見る景色は、肉眼で見るよりもずっとずっと美しい。いい双眼鏡は、ガラスを通して見ていることを全く感じさせないほど見え方が自然で、なおかつ肉眼で見るよりも透明感があって色彩豊かに感じられ、普通に見ていたのでは気づかないディテールもはっきりとわかる。うまく写真や画像で表現できればいいのだが、自分の目の前に圧倒的な迫力で美しい景色が現れることの素晴らしさは、実際に味わってもらわないとなかなか伝わらないのが歯がゆいところだ。双眼鏡を一度も覗いたことがない人や、地方の電気屋でよく売られている数千円程度の双眼鏡(ほとんどは粗悪品レベル)しか見たことがない人は、ぜひ街中の大きな量販店で、3万円を超えるような双眼鏡を覗いてみて欲しい。それだけでも、きちんと作られた双眼鏡がいかによく見えるかがわかるだろう。
私は記事の冒頭で、「10万円クラスの持ち運びしやすい双眼鏡を買え」と書いた。そしてつい先ほど、「3万円を超えるような双眼鏡を覗いてみろ」とも書いた。実を言うと、3万円クラスの双眼鏡があれば十分にいい景色が見られるし、耐久性もバッチリだと言うのが私の意見だ。しかし3万円クラスで、覗きやすく満足のいく見え味を手に入れようとすると、ある程度筐体が大きく重たい機種(具体的にいうと対物レンズ径30mm以上)から選ぶしかないのが現実なのである。人にもよるが、これぐらい大きな双眼鏡を毎日持ち歩くのは厳しいという人が多いと思う。1万円クラスの小さい双眼鏡にもオススメできる機種はある(後述)のだが、どうしても携帯性・耐久性・防水性・覗きやすさ・見え味のどれかを犠牲にせざるを得なくなってくるし、一生使える相棒とするには少し頼りないところがある。
毎日どこへでも持ち運べるほどコンパクトで、見え方が優れていて、耐久性も高い(防水付き)のものを手に入れようとするとどうしてもコストがかかってしまうのだが、ここでは「せっかく高い買い物をしたのだから毎日使おう」という心理がはたらいて、結果的に人生が豊かになるような買い物をしてもらうため、あえて予算は度外視し、記事執筆時点でコンパクト双眼鏡では世界最高峰と言える機種を紹介しようと思う。
それがCarl Zeiss社から出ている「Victory Pocket 8x25」だ。倍率8倍と10倍のモデルが出ているが、圧倒的に8倍をお勧めする。(低倍率をお勧めするのにはそれなりに理由があるのだが、長くなるので割愛)
光学機器に詳しくない方にとっては聞きなれない会社名かもしれないが、カメラレンズや双眼鏡の世界では超一流と言われているドイツのメーカーであり、その品質は折り紙つきだ。実売価格9万円超えと決して安くはない(むしろ超高い)が、その性能は「この1台を買えば全てがうまくいく」と(私に)言わしめるほどである。メガネのあるなしにかかわらず問題なく使え、独特の折りたたみ機構によって収納時にはとてもコンパクトになる。そして視界の広さ・見え方・解像感は30mm径の大きな双眼鏡に匹敵するか、超えていると感じるほどだ。朝から夕方までの明るい時間帯であれば、どこにでも持っていけてあらゆるものをしっかり捉えてくれる最高の相棒になるだろう。
それ以上の細かいスペックについてはあえて語らない。Google検索すればいくらでもレビューが出てくるし、それらを見るよりも実際に自分で使ってみれば全てわかるはずだ。ただし、どんなに高級な双眼鏡であっても自分の目に合う・合わないという相性問題があるので、できれば実店舗で実物を触ってから購入することをお勧めする。また、意外と双眼鏡の正しい使い方というのは認知されていないので、知らない方はぜひ正しい使い方を調べてから店に行こう。使い方を知らないせいで「全然見えないじゃん」と勘違いし、双眼鏡を買わないで人生を終えてしまうのは本当にもったいない。
それから、もし夜に夜景や星を見るために双眼鏡が欲しくなったという人は、残念ながらZeissの技術をもってしても厳しいので、コンパクトタイプの双眼鏡は諦めたほうがいい。6倍30mmや、8倍40mmクラスのものを別に買おう。そのクラスの双眼鏡の選び方については、日の出光学という日本の小さなメーカーが自社のホームページでたいへん詳しく紹介してくれている。他のメーカーのものを検討している場合も含め、双眼鏡の購入前には目を通しておくといいだろう。https://bino.hinode-opt.jp/column/tsukaimichi.html]
また日の出光学の製品は、比較的低価格かつ性能は最高級品と遜色ないレベルなので、双眼鏡の魅力に取り憑かれた方が2台目以降に手に入れるのにとてもお勧めだ。私は観劇用の低倍率機として「A4」(5倍20mm)、手持ちでの星見用に「B+」(6倍30mm)を所有している。いずれも「Victory Pocket 8x25」よりはかさばってしまうのが難点だが、特定の用途で使うサブ機として持つにはとても優れた製品だ。
いきなり双眼鏡に10万円近く払うのは抵抗があるという人は、日の出光学の「A5」を1台目のメイン機として買うのも大いにありだろう。1万円台なので比較的気軽に買えるはずだし、5倍という低倍率に抑えているおかげで、安くコンパクトな割にとてもよく見える。また5倍という低い倍率はコンサートなどで使い勝手がよく、あとで「Victory Pocket 8x25」のような高倍率機を買い足しても決して無駄にならない。万が一気に入らなかったとしても、注文後1ヶ月は無条件で返品を受け付けているのでほとんどリスクなく購入できる。防水機能がついていないことと、非常に人気なのか頻繁に在庫切れになっているのが惜しいところだ。
長くなってしまったが、とにかく、いい双眼鏡というものは人生をとても豊かにしてくれる。これから40年、50年と続く人生において、最高の双眼鏡は最高の相棒になってくれるはずだ。ぜひ、自分の人生への投資だと思って、まずはCarl Zeissの「Victory Pocket 8x25」を手に入れてみてほしい。いい双眼鏡沼を!
日本では「高層ビル」「高層電波搭」「巨大大仏」は観光資源になるが、高圧送電鉄塔って「風景の邪魔物」扱いで完全に公害扱いだな。
何故?
純粋な構造物として眺めたら、せめて「工場萌え」「ダム萌え」程度には観光扱いされても不思議じゃないのに。
ウィキペディアに「日本の主な高層建築物」なんてカテゴリあるが、高圧送電鉄塔は「無かったことにされて」いて、殆ど掲載もされてない。
高さ100m以上の高圧鉄塔は日本全国に多分1000本はあるのに、ウィキペディアに無視されてる。
高圧送電鉄塔を「観光客に開放(地上100mまで登れる)」したり、コンビナートみたく「夜間ライトアップ」すれば、嫌われモノの高圧鉄塔も、観光資源として評価されないか?
「メンタルが繊細すぎる」みたいな風に取り上げられがちだけど自分が興味あるのは「外的刺激や痛みに敏感」のほう
眩しさが原因で具合が悪くなったり目や耳の痛みや違和感で病院に行って異常なしと言われ医師に嫌な顔をされたり
あとまあ整形外科でも痛みに弱いって言われたりとか色々ある
目はドライアイのせいもあると思うんだけど
人から見ると些細なことで本当に自分ではやばい死ぬ吐く倒れるもう無理みたいな感覚になるんだけど周りに一切理解されないのね
高層ビルのブラインド越しの西日とか それだけが原因とは言わないけど仕事辞める原因のひとつになるくらいにはしんどい(辞めたので今は無職)
まあそういうことがあるので病院で相談とか検査とかできて改善策なんかもあるのかな?と気になるんだけど調べてもよくわからない
体質なはずなのにメンタルがどうこうでHSPにもいいところがみたいなのかレッテルに逃げるなみたいな記事ばっかり出てくる
まあ結局HSPでもそうじゃなくてもなんら解決策とかないんだろうな だから気になるけどきっと知っても意味ない
こんな状態で生きてるのがいけないんだな
連休使っての旅行計画に精を出すうち、気づけば既にリアタイ勢から周回遅れを食らっている今日において今更1話の感想なんて…とは思いつつ感想を書くことにした。1~2話までしか観ていないので、3話以降を既に見ている諸兄においては「何言ってんだこいつ」程度の温情を頂ければ幸いだ。なおニコニコ動画のコメントやツイッターの実況などは敢えて見ずに書いてみた(このあと見るつもり)。ニコ動で観てると、感想がだんだん「ネットミーム紹介文」みたくなっちゃうの難しいよね。
それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信。
~のみ最新話無料…対象サービスでのみ最新話見放題。その他のサービスでは有料配信。
私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
Netflix独占
クリスマス生まれ(多分)と火曜日生まれ(多分)の二人が火星の大都会で一緒に音楽する青春ドラマ。「カウボーイビバップ」等でおなじみナベシン監督の新作。制作はボンズ。 本作で特に目を引くSF描写。都会の中心部はいかにもSFっぽい高層ビル群な街並みなんだけど、周辺に90年代アメリカみたいな町並みが広がってたり、往来する人も含め朝昼晩と色んな表情がある。「大都会だけど金持ちや貧乏人、ホワイトカラー、ブルーカラーが入り交じる都会感」に強いリアリティがあるところが好き。細かい所だと、飲食店の注文が全部スシロー方式(店員呼ばなくておk)なのに、作中の客がみんな店員呼びつけてクレーム入れてたのリアルすぎて笑った。設定こそSFだけど、現代を舞台にしても成立するような話をあえてSF世界で展開するっていうのもリアリティを強める要因っぽい。そんなSF描写の中でも好きなのが「家出ってどうやるの?そんなこと、聞ける人もいなくて。色々とググってみたけど、やってみたら意外と簡単だった」という冒頭のモノローグ。ゆうて火星の話ってことは実質ファンタジーみたいなもんかな、という先入観があっただけにこの一言だけで「実はこの世界はリアル世界と地続きで、しかも遠い未来というわけでもなく、とりわけ若者像はほとんど変わっていないんだよ」というSF世界であることがわかる。似たようなシーンだと、セッション後「私達のはじめての曲が完成しました!イエーイ!」つってインスタにセルフィをアップするシーン。作中何度も語られる「何も特別ではない、リアルの世界にもたくさんいる、何者でもない誰か」て感じをよく表してる。本作の脚本はみんな大好き赤尾でこなんだけど、私はやっぱり彼女の関わる作品に登場する女性が一番好きなのかもしれない。先のクールで言えば「同居人は猫~」「3D彼女」が赤尾でこ脚本。ハルって女の子だよね?特に同居人は脚本・赤尾でこx絵コンテ・佐山聖子タッグによる挿話がたくさんあってめっちゃエモかった。
1話では「二人がなぜ音楽をやっているのか」という部分が中心で、音楽への初期衝動を丁寧に描いてるのが好き。「ふとラジオから流れてきた曲を聞いて涙が出てきた」とか、路上で演奏してるけど歌はなく(ハミングだけ)「ただの音の連なり」を演奏してるだけ、とか。本作に限らず「初めて新入生に軽音部が自己紹介がてら演奏を見せるシーン」とか「生まれて初めてライブハウスでライブを見たシーン」とかめっちゃエモいよね。
セッションも、最初はお互いにそれぞれの初期衝動を持ち寄って始めるんだけど、お互い探り探りから徐々にノッてきて、歩み寄っていく過程がすごく丁寧。途中でやり直してみたりとか、お互いに相手を見つめながらテンポや歌を合わせる感じとか。
それにしても演奏シーンがやばい。最近は演奏シーンに3DCGを駆使してダイナミックな動きを表現する作品が増えてるけど(ピアノの森とか)、本作は演奏シーンに限らず多くが作画アニメーション。ボンズすげえ。ギターの弦を押さえる運指見てるだけで一日が終わりそう、別のカットも、手元だけを映すんじゃなくてチューズデイの上半身全部作画してるし(大抵の楽器は全身使って演奏するものなので、彼女もギター演奏中は体をかなり動かしている。本作はそれを作画で丁寧に表現している)。
加えてギターの作画が凄まじい。まずギターケースを開けるときのアニメーションから既にヤバイ。あえて楽器の持つ神秘的な雰囲気とか、艶やかな反射とかを作画で表現してるのは京アニだけだと思ってた。
SF的大都会、ストリート系の子と一緒にストリートミュージックを、お嬢様ファッションに身を包んだ子がアコギ演奏するっていうギャップは、案外「全力でアコギ演奏シーンをリアルに描きたい」という発想からスタートしてたり?
そしてギターの音ワロタ。開放弦でベヨェーンしたときのボディが響く感じとか、ギターに指が触れたときのギュインッまでちゃんと入ってるし、セッション中なんかギターの音に限らず、服の擦れる音「彼女たちが演奏してる部屋の空気の音」が(おそらく)全部入ってる。演奏シーンは文字通り空気が変わった。
「え、歌くっそうまいやん」と思った人も多いと思うけど、本作はCVと別に歌担当のアーティストがいる。英語圏でオーディションをしたらしく、この人たちがまたとんでもなく歌がうまい。もうハミングの時点でめっちゃうまいってどういうことなの・・・
音楽で言えば劇伴はMocky。R&BやJAZZの人で、軽快なベース音がたまらない。ついビバップの菅野さんを思い出しちゃう。それにしても、音楽がテーマの作品とはいえ劇伴が多彩すぎる。1話を通して音楽アルバム聴いてるみたい。
歌で言えばEDは作詞・作曲・編曲Benny Sings。劇伴から一変してPOPS。カートゥーンっぽい絵と相まってかわいい。
すんでのところでFOD独占を無事回避
浅草の日常アニメ。「さらざんまい」の意味は、ざっくりいえばユニバース感覚のこと。それにしても「さらざんまい」というネーミングセンスよ。幾原邦彦監督による新作。制作は「ユリ熊嵐」に引き続きラパントラックで、本作は共同でMAPPAが参加している。ピングドラムやユリ熊嵐で印象的なピクトグラムを担当した越坂部ワタルや、その2作で劇伴を担当した橋本由香利が本作にも参加していて、「チーム幾原邦彦」が確立されていく感じがある。
俺が本物のかっぱをみせてやるよ!(by幾原邦彦。公式ラジオ番組が毎週配信されていて、MCが諏訪部順一&まさかの監督。制作大丈夫ですか?)とのこと。曰く「かっぱと尻子玉は切っても切れない関係。なのに尻子玉を描かないかっぱ作品が多すぎる」というわけで、本作では尻子玉が重要なモノとして描かれている。これが本物のかっぱだそうです。噂に聞いてはいたけれど、かっぱに尻子玉を抜かれるというのはかくも恐ろしいことだったのか。ちなみにエンタの中の人は「尻子玉が抜かれるときの気分は、痛み8割気持ちよさ2割くらい。あと恥ずかしい」という気持ちで演技したとのこと。ノイタミナのプロデューサーからの「勘弁してください。ノイタミナですよ?」という柔らかい拒否を押し切って作られた尻子玉搾取シーンは割と必見。
1話は「かっぱとは?尻子玉って?」を中心にまとまったお話。ピングドラムやユリ熊嵐と比べてとっつきやすい感じがある。公式あらすじも
「中学2年生の矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人はある日、謎のカッパ型生命体“ケッピ”に出会い、無理やり尻子玉を奪われカッパに変身させられてしまう。『元の姿に戻りたければ“ある方法”でつながり、ゾンビの尻子玉を持ってこい』ケッピにそう告げられる3人。少年たちはつながりあい、ゾンビの尻子玉を奪うことができるのか?!」
といった感じでかなり分かりやすい。とはいえ、本質はピングドラム、ユリ熊嵐に続く群像劇、というか愛憎劇なので結構しんどい系ではある。非常に愛が重い。ピングドラムのストーカーっ子にドン引きした視聴者は多いと思うけど、要はあんな感じ。作画部分でもキャラの表情、特に主人公のアップがすごく綺麗(中性的な顔っていう感じがよく出ていて好き)で、より群像劇みが強い。冒頭の主人公が走るお芝居すごい。
ユリ熊嵐と比べると、あっちが「隔世」なのに対してこっちは「現実世界(浅草)」という舞台設定の違いがある。描かれる浅草の描写もすごくリアルで、いわゆる「世界的な観光地」ではなく「昔ながらの下町っぽさ」に焦点を当てている感じがすき(背景:スタジオパブロ)。ぐちゃぐちゃした看板まで再現してて、三ツ星カラーズ並みに生活感がある。そして登場する場所が、地元民ならではのチョイス。監督自身が若い頃から浅草で遊んでたらしく、その頃のイメージを元にアニメの舞台を浅草に決めたらしい。浅草寺などの観光地より雑踏(街を歩く人、通勤の車とか)によって街の雰囲気を描いているところとか、生活圏にあるテーマパークこと「花やしき」が出てくるとことか、地元民らしい描き方だよね。
そして例の尻子玉(尻子玉と書いて「よくぼう」と読む)搾取から始まる一連のシーン。みんな何回くらい観たんだろう。MAPPAが関わってるだけあって凄まじいアニメーションに仕上がっている。劇中歌とともに欲望搾取~浄化までシームレスに続くシーンの中毒性やばい。過去作と比べ、初めから終わりまでキレイにまとまってて完成度が非常に高い。「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」のレヴューと似たような感動を覚えた。またアクションをするのが人間ではなくかっぱやモンスターなので、より一層爆発力というかファンタジー感が加速しているのも好き。
挿入歌でいうと、ユリ熊嵐と一変して本作はほぼ登場人物が男性なのが印象的で、挿入歌も今の所ボーカルが全員男性。特に2話挿入歌「カワウソイヤァ」がすごい好き。余談だけど、アフレコ時点であのシーンはアニメ化用の実写映像資料だったらしい。ちょっと観てみたい。
EDは「青春ブタ野郎」OPでおなじみThe Peggies。青ブタもこれもしんどい群像劇なので、このバンドサウンドがすごく合っている。
ところで、最後の「フィクションです」的なキャプションは一体どういう意味なんだろう。「まあ、かっぱなんて存在しないんですけどねwww」とか「実際のかっぱはこんなんじゃないんですけどね、へへへ」とか?かっぱが非実在みたいなメッセージに見えるから不適切じゃない?
ゴブリンスレイヤー。英題は”DEMON SLAYER”。エミヤさん家に引き続き、ufotable肝いりの新作(ユーフォーテーブルって読むのね、初めて知った)。テーマは「動く浮世絵」とのこと。大正時代の日本を舞台に、鬼殺しをするお話。制作体制的にはufotableのアニメ「テイルズオブゼスティリアザクロス」の布陣。舞台こそ違えど、壮大なファンタジーっぽく仕上がっている感じは似てる。特に壮大なBGMの使い方とか、映画かな?これ絶対映像に合わせて作曲してるやつでしょ(やってるってラジオで言ってた気がする)。オケ~雅楽までなんでもありな感じが聴いてて楽しい。
近代の日本を舞台にしたアニメの中でも特に地方(山の中)が舞台のアニメといえば「ゴールデンカムイ」が似てるかも。背景美術でいうとあっちは「美しい自然を感じる」っていう印象なんだけど、本作は背景が全体的に黒っぽくて薄灰色に支配された不吉な感じ。闇=鬼の領分、みたいな緊張感がある。そういう意味では「どろろ」に近いのかも。金カムは実質ゆるキャンなので、自然の描き方は趣向がかなり違う。金カムが「自然怖い」なのに対して本作は「鬼怖い」だし。野生の動物が登場しない感じからもそういう意図があるのかな。
で、何その背景の書き込み。ユーフォーテーブルの背景(たぶん自前)って、エフェクトを自然に盛り込んで多角的に映す演出をするけど絵っぽさを残してるというすごい技術を使ってるよね。2話の修行シーンとか特にやばかった。主人公が背景の中にちゃんと存在して、立体的に生えてる木々の中を疾走しているようにしか見えない。でもキャラデザはテイルズオブゼスティリアザクロスと違い、輪郭線に特徴がある平面的なデザインになっている(浮世絵みたいな感じ)。そんなキャラが縦横無尽に画面を駆け巡るアクションシーンすごくない?最近だと「スパイダーバース」とか。あれは更にすごかったけど。
1話はゴブリンスレイヤーで言うところの前日譚で、「鬼って何なん?」みたいな話が中心。いわゆる妖怪等と違い、鬼がゴブリンくらい生き物してる。金カムではヒグマが神様の化身みたいな扱いで人間を襲ってたけど、あれくらい怖い。おまけに人並みに考える上に喋るしほぼ死なない。散発的に現れる感じはゴブスレで言うところの「落ち延びたはぐれゴブリン」なのかな。強烈なヌルヌル作画ゆえ、鬼がとても肉肉しくてキモい。「甲鉄城のカバネリ」のカバネくらいキモい。
そんな厳しい世界を生きる主人公(CV.花江夏樹)の、鬼気迫るセリフや息遣いがめっちゃ好き。ゴブスレさんは鎧に身を包んで常に平坦な口調だったのに対して本作の主人公はすごく感情表現豊か。「4月は君の嘘」を見てから彼の演技が大好きなので、またアレを見れるのが嬉しい。演技で言えば、鬼頭明里演じる禰豆子かわいい。基本的に山田たえ状態なんだけど、呼吸やうーうーだけで感情の起伏(非常にピーキー)や体型の変化を表現する感じとかめっちゃ好き。特に2話の見せ場では音楽とアニメーションによる強烈な緩急も加わってすごいことになってた。ご飯を我慢するシーンすごいよね。癒やされる。
寝台では浅く眠っただけだった。起きるとそこは横浜駅を発車したばかりで、車内は人々がまばらに朝の眠気を横たえていた。
金曜、仕事が定時を少し回って終わった。
エンジニアとして現場研修をしている私は、帰路につくためバスから電車へと乗り換える赤羽駅にいた。
――どこか遠くへ行きたい。
そう思いたち、改札を抜ける前にみどりの窓口へと向かった。
用意されたのは、琴平行きの座席特急券。それを手にしたあと、大宮にある自宅へ一旦戻って、身支度を始めた。
最低限の替えの着替えと、歯ブラシ、タオル、文庫本をリュックサックへ突っ込み、口座から少しだけ金を引き出し、気付くと東京駅9番線ホームでサンライズ瀬戸を待っていた。
入線してきた赤色と薄茶色の車体に乗り込み、間もなく発車したサンライズ瀬戸号の車窓へ目を向ける。
通過する品川駅にはまだ多くの通勤客が帰路を急ぐ。彼らを裏切るかのようにして、私は東京を離れた。
小学生の遠足のときのように、興奮で眠りは浅く、然し心地の良い揺れはまるで子守唄のようだ。
沼津を過ぎるまではそんな調子で、しかし体がいよいよ慣れたのか、それからは岡山で出雲市行きと分割するまでぐっすり眠った。
瀬戸大橋線に入り、車窓には瀬戸の島々が並ぶ。それまで横になっていた私は、その時を待っていたかのようにすぐさま体を起こし、洗面台で丁寧に顔を洗い、歯を磨いた。高松では多くの乗客が下車し、それから延長運転を行う琴平行きの車内は伽藍であった。
定刻で琴平に到着したサンライズ瀬戸は、しばらくホームに身を横たえ、旅を始める我々を見送っていたように思えた。
観光案内所も閉まっている。まだ9時前だった。
急ぐ必要もない私は、とりあえずその足で気の向くままに、初めて足を踏み入れた四国の道を歩き出した。
金比羅山の長大で急な階段参道はやはり足に堪えたが、御本宮からの眺めを見てそれも消えてしまった。
初詣からまだ数週間足らずで再びお参りをするのは変な気分だったが、この旅の無事を願い、参道列に加わり手を合わせる。
いきあたりばったりでこのあとの予定も何一つ決まってはいない。不思議とそれが心地よかった。
来た道をそのまま下り、琴平駅に戻る間に土産の品をいくつか買った。飴、手ぬぐい(今治のものだ)、饅頭。
すれ違う人々は意外にもスーツ姿の団体が多く、1人の私は割に目立った。それもまた不思議と気分を高揚させた。
予讃線に乗り継ぐ多度津駅で近くの食堂に入り、日替わりの昼食を注文した。
予想はしていたが、メニューにはナチュラルにうどんが設定されていた。かき揚げやおにぎりと一緒にいただく。もちろんとても美味しかった。
予讃線下り松山行きの特急いしづち、しおかぜの自由席は半分ほど埋まっていた。
空いている窓側席に腰を下ろし、金比羅山で蓄えた疲労をしばしの間、癒やす。
文庫本を開いてすぐ眠ってしまい、松山駅の到着案内で目を覚ますことになった。
松山駅を降りると、失礼ながら想定していた風景とはだいぶ違った街並みが広がった。
すぐそばに伊予鉄道の路面電車が走り、人々が休日らしい顔持ちで道を往きかっていた。
バスターミナルにて1Dayパスを購入し、中心市街である大街道電停に向かう。
大街道電停は松山城の目と鼻の先にあり、電停を降りる瞬間、目に入った。
琴平駅では松山方面に向かうか、高知方面に向かうか一寸悩んだのだが、松山に来て正解だったようだ。非常に立派な天守閣だった。
城を横目にマンホールカード収集のため坂の上の雲ミュージアムに赴き、1時間ほど観賞したのち、喫茶店に入りたばこを吸った。
道後温泉行きの時刻に合わせて喫茶店を出て、再び路面電車に乗り込む。
きっとこのまま温泉宿に泊まるのだろう。車内は温泉客でほぼ席が埋まっていた。
道後温泉街は本当に賑わっていて、改めて今日が土曜日だということを私に再認識させた。
――少し急がなければ。
人混みを縫うようにアーケードを抜け、道後温泉本館で湯に浸かった。
復路の寝台が高松駅を21時半前に発車する。
琴平駅のみどりの窓口ですでに確保していた、その列車のことを念頭に置きながら、再び路面電車に乗り、JR松山駅前電停で降りる。
駅前のキオスクで少しのビールとつまみを購入し、もうすぐ発車する高松行きの特急に乗り込んだ。
もうこの旅も終わりだ。
余韻と若干の寂しさを感じながら、日が暮れかかっている四国の風景を見て、ビールを飲んだ。
2時間以上瀬戸内海のふちを走りきり、降り立った高松駅は、高層ビルがいくつかそびえ立つ、立派な港町だった。
連絡船時代の面影をほんの少しだけ残したホームでまたうどんを食べ、キオスクでビールとつまみを買い足す。最後の晩餐ともいえるような光景だった。
もう少し、ここにいたかったな。
そんな気持ちを奪い去るようにして、寝台特急サンライズ瀬戸は高松を出発。途中の岡山で出雲市から来た列車と連結し、東京に私を運んだ。
<追記>
「座席特急券」と書いたのは、ノビノビ座席について、寝台券の必要がなく座席として発券される特急券というニュアンスを込める為です。
・高知について
今回でサンライズが大好きになったので、また近いうちに乗って、高知城も見てみたいです。
あと、四万十川も。