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2024-11-14

anond:20241114171046

村落共同体では安定的な一夫一妻制でも村の子どもって意識はあるだろう

欧州キリスト教圏でも前近代なら村の子どもって意識で育ててると思うが

しろ血縁になければよそ者って考えが前近代農村じゃおかし

2024-11-11

anond:20241108003201

兵庫県民です。

あくまでワイの観測範囲の話やが。

斎藤氏再選はあるかも、って感じやな。

増田にしたら納得いかん話かも知れんが、兵庫県いうのは三宮とかの一部を除くと田舎なんよ。地縁血縁コミュニティ結構がっつりあって、そういう繋がりの中には大抵、地元の顔役みたいな人がおる。公共工事がメインの土建屋社長とか、県議後援会長とかやな。そういう人らはマスコミには流れない、議員県庁職員から聞いた裏情報みたいなのを持っとる。それが正しいかどうかは知らんが、選挙に真面目に行くような年寄連中はどっちか言うたらそういう情報を信じる訳やな。

情報の中身についてはここでは触れんが、斎藤氏を支持する人は、とにかく井戸時代体制を変えて欲しいと思っていて、そのためには稲村や清水じゃ弱い、と思ってる。20年も続いたやり方を変えようと思えば、職員に多少はキツめに当たれる人でないと無理やし、当然それをパワハラ扱いする連中もおるやろけど、それをイチイチ聞いとったらキリがない、と。

俺も個人的には受けた側がどう思ったかは別として、客観的パワハラと断定できるような言動はなかったんやないかなと思う。録音が出てこなかったのも、パワハラ発言の録音をし損ねたんではなく、録音はしていたが客観的に聞くとパワハラには聞こえないので出せなかった、ってとこではないかな。まあそれでも嫌な奴なのは間違いないやろうし、告発文が出回った時点で犯人探しをおおっぴらにやったのは悪手だと思うが、稲村や清水の方が上手く県政回せるとも思わんな。

2024-11-10

ハンガリーがやってる少子化対策

出産した女性出産前にもらってた賃金の7割を支給するっていうのは、ハンガリーと同様に日本社会保障制度もすでにやってるわけだけど、

子供がいる女性所得税ゼロにするっていうのは良いね

少子化対策としてバラマキをする問題点として、精神疾患知的障害があるなどして働けない女性お金目当てで子供を産みまくってシングルマザーになり、

その費用負担労働者にかかって、労働に適性がある人の子供ができず、能力的にニートやるしかない女性と孕ませて逃げたDQNの子孫ばっかり残って次世代が壊滅するというのがあるんだけど、

子供がいる女性が働けば働くだけお金がもらえて税金を取られずに丸々生活育児に使えますっていうのはめちゃくちゃ良いじゃん!って思った。

子供を作るとお金がもらえる、にすると、金目当てでニートが群がってニートの子孫ばかり作られてしまうから

子なしだと重税が課される、子ありだと税金や社保など天引き類が合法的免除されるから、親にさえなれば働いたら働いただけ丸々もらえる!っていうゲーム性が一番ちょうどいいように思う。

あと、老人から医療費は3割とるべきだね。無駄に通院して無駄に薬もらって捨ててる人多すぎ。暇で、構ってもらうために病院行ってるよね。

若い男性彼女妊娠させたときに、まだ遊びたいからって堕ろさせようとしたり、逃げようとしたりっていうのもあるわけだけど、

結婚して国に「子供父親であること」を認定してもらったら父親の稼ぎも税金がかからなくなるとかだったら、早期に婚活する男性も増えないかな。

女性を焦らせるアプローチが多いけど、男性を焦らせるとか、男性子供父親になると経済的にとても得するという仕組みもあると良いと思うんだよね。

ただし、ニート生殖する流れ作るのはNG。職がある人を全面的サポートしましょう。そうでないとイギリスの失敗と同じこと繰り返してしまうからね。

ロンドンでは生活保護世帯生活保護受給する子供を作り、「働いている血縁者を見たことがない無職若者」が生まれしかも彼らは暇で不幸でありロンドン暴動を起こした)

皇室関連のニュースコメントしている奴らのキモさについて

小室圭氏の騒動を発端として、やたら秋篠宮家がバッシングされている。

今は紀子さま悠仁東大裏口入学させようとしているという根も葉もない思い込みから悠仁天皇にふさわしくない、愛子さま天皇にというコメントがやたら多い。

そもそも実態や本人の意見などがほとんどわからない天皇家の話にコメントしようとしてる時点でアレである

雅子さま適応障害公務に出られなかった時はサボりだの何だの叩かれてた記憶があるが、そういった声もナルちゃん天皇になり雅子さま皇后になった途端、一切なくなった。結局、立場が変わったら手のひらクルーする連中なのだ

ナルちゃんやらその弟が小さい頃は、美智子妃人気で天皇家は憧れの的であり、血縁職業人生が決まってしまうということに対しても大きな疑問が生じない時代であったと思うが、今はどうか。

まれながらにして国民の注目が集まり自由制限され、週刊誌に好き勝手書かれ、誤解があったとて自分で率直な意見を述べることは許されず、庶民の楽しくて自由暮らし情報は気軽に手に入るのに自分死ぬまで注目されて好きな職業にも就けないとなると自分なら気が狂うと思う。

本人の意見がわからない以上、どうしようもないが、眞子さま天皇から出ていく際、佳子さまハグしていた時の表情は、やっと解放されるね、と言っているように思えた。

皇室ストーカーの方々は、愛子さまの方が天皇に相応しいとやたら主張しているが、愛子さまだってお断りだと思う。「この多様性時代女性というだけで天皇になれないのはおかしい」なんてコメントしていたが、本当に多様性重要なら、職業選択の自由天皇家のメンバーにも与えてあげるべきだろう。

2024-11-07

義父とか元男友達友達の夫とかと同室に泊まる羽目に陥った話

なんかふと思い出したので。

夫、息子、私、義父で旅行にいったことがある。もともともっとメンバーが多かったので二部屋とってたのだが、途中諸事情で減って泊まるのは四人になった。

チェックインしたら、でかい和室一部屋に案内された。間仕切りとかないでかい和室

は?

義父いるのに、でかい和室で寝たり起きたり着替えたりしろと?

人数減ったから、夫が一室キャンセルしたらしいのである

そこでキレたんですけど、普通ですよね?

イヤですよね?

せめて義母がいたら我慢しよう、だが女私一人で血縁は息子だけである

キレちらかしたが他に空きがなく(キャンセルした部屋はどうなったのか知らない)仕方ないので泊まった。

はいつもは常識的人間なのだが。なんだったのか。二度とするなと言っておいた。

時は変わり、女友達三人でホテルに泊まることになった。せっかくなので、広い三人部屋をとった。そしたら直前で、友達の一人の夫が来れることになった。もう一人の友達から、「ということになったらしいから、旦那さんも一緒に泊めてあげてー!」とメールがきた。この旦那さんは、私達の昔から友達である。でも、女三人、一人は妻、っていう部屋に追加で泊まりたいのか?私なら一室取る。または、妻と2人部屋をとる。

だが「一緒に泊めてあげてー!」であるテンション高い上に、私以外の二人はかなり長年の友達なので、意思疎通が取れていてのお願いなのかもしれない。

エキストラベッドを入れてもらって、四人部屋にした。

結果、なんかびっくりしたみたいに言われたのだが、それはこっちのセリフだわ。

一緒にとめてあげてのときにすでにびっくりしてるから

自分の「普通しないよね?!」に自信がないとこういうことになることもある。

めんどくさいので一人旅が一番いい。あーあ。

2024-11-05

anond:20241104201150

独身生活を楽しんでいる人の声ばかり目にすると、結婚に対するモチベーションが下がる気持ち、よく分かります。周りの方々が既婚者ばかりで、少し肩身が狭いと感じているとのこと、ご自身気持ちに正直に向き合っていらっしゃる姿が伝わってきます

結婚に対するモチベーションがなかなか上がらないとのことですので、結婚しなかったことを後悔している人の声も参考にしたいというお気持ち、とても自然なことです。

結婚しなかったことを後悔している人がいる可能性のあること

結婚しなかったことを後悔している人は、様々な理由を挙げているかもしれません。一概にこれだけが理由、ということは言えませんが、一般的に挙げられる後悔の理由としては、以下のようなものが考えられます

老後の生活に対する不安:
孤独感:
  • 特に年齢を重ねるにつれて、寂しさや孤独感を強く感じるようになる可能性があります
  • 大病をしたり、何か辛いことがあった時に、一緒に乗り越えてくれる人がいないという寂しさを感じるかもしれません。
血縁を残したいという気持ち:
社会的なつながりの変化:

結婚メリットデメリットは人それぞれ

結婚には、メリットデメリットもあります結婚生活が必ずしも幸せとは限りませんし、独身生活が必ずしも不幸だとも限りません。

結婚メリットデメリットは、人それぞれ感じ方が異なります。例えば、経済的な安定を求める人にとっては結婚は大きなメリットとなる一方で、自由時間を大切にしたい人にとっては、結婚は束縛に感じるかもしれません。

後悔のない選択をするために

結婚人生の大きな決断です。後悔のない選択をするためには、以下のことを考えてみることをおすすめします。

結婚に対する自分価値観を明確にする:
様々な情報収集をする:
焦らずに自分のペースで考える:
  • 結婚はゴールではなく、その人らしい生き方の一つです。焦らずに自分のペースで、じっくりと考える時間を持ちましょう。

まとめ

結婚は、人それぞれ価値観が異なるため、一概に「結婚した方がいい」とか「結婚しなくてもいい」と断言することはできません。

独身生活を楽しんでいる人もいれば、結婚して幸せを感じている人もいます。大切なのは、ご自身が本当に求めているものは何か、じっくりと自分と向き合い、後悔のない選択をすることです。

もし、結婚について悩んでいるのであれば、信頼できる人に相談したり、専門家アドバイスを受けることも一つの選択肢です。

2024-11-03

anond:20241103234612

選べる場合と選べない場合があるよね

血縁とか、学校会社の同僚とか上司は選べない

2024-11-02

anond:20241102185837

いとことの結婚という時点で相手から見てもいとことの結婚であることが明らか

 ・・・ 俺の従姉妹Aは俺の同級生Bと結婚した。ちなみにBは俺ともAとも一切の血縁関係姻戚関係も何も無い赤の他人である。(親戚関係という点からは)  

  

で、Bの結婚は、俺から見ると従姉妹との結婚なわけだが、結婚当事者(AとB)から見ると「いとことの結婚」には相当しないのであるよ。 

 

  

キミには難し過ぎたかなぁ.....

念のために付け加えると、元増田氏は「いとことの結婚」には言及していないようだね。

2024-11-01

anond:20241101152642

古代日本では「氏(うじ)」は血縁集団呼び名のこと、「姓(かばね)」は天皇が与えた称号のことだったので、「名字」とは異なるものでした。

anond:20241101151909

これは『日本名乗史探究』の著者で歴史学者である佐藤光隆による説に基づいて否定するべき内容です。佐藤氏の著書には、以下のような異なる見解が示されています


1. **「姓」「氏」「名字」の区別について**

 佐藤光隆氏は「姓」「氏」「名字」の区別について、よく知られている理解とは異なる見解を示しています。彼によれば、「姓」(かばね)は実際には古代身分階級を示すものではなく、むしろ特定土地職能に基づく称号として利用されていた可能性が高いと述べています。また、「氏」(うじ)も血縁的な関係を示すというよりは、共同体を表す名前として使われていたとしています。したがって、投稿説明佐藤氏の見解とは異なります

2. **農民と姓について**

 佐藤氏は、「姓」が朝廷から与えられるもの一般農民には存在しなかった、という主張にも異を唱えています佐藤氏の調査によると、地方の村落にも「姓」に相当する称号を持つ農民存在し、その地位は村内の役職職務に応じて変わることがあったとされています。この点で、農民が「姓」を一切持たなかったという主張は、佐藤氏の研究に基づくと必ずしも正確ではありません。

3. **明治期の改革について**

 明治時代の姓氏不称令や苗字必称義務についても、佐藤光隆氏はこの説明に異議を唱えています。彼の見解では、「姓氏不称令」は制度上の変革を明確に指し示すものではなく、むしろ一時的文書上の措置に過ぎないとしています。また、1875年太政官布告1876年苗字必称義務も、実際には広範な周知が不十分で、地域によっては無視されていた例が多かったと述べています。したがって、これらの政策が即座に「公文書での姓の廃止」と結びつけるのは、過大評価であると指摘しています

4. **近世農民苗字について**

 さら佐藤氏は、江戸時代農民苗字の扱いについても異なる見解を持っています。彼によると、江戸時代寺院宗門帳で記載されていた名前は、必ずしも苗字ではなく、集団内でのあだ名仮称であったとしています。これらは法的な家系名とは異なり、通称一種に過ぎなかったと佐藤氏は述べており、この点でも投稿内容とは矛盾が生じます

以上のように、佐藤光隆氏の著書『日本名乗史探究』によれば、この説明歴史的事実と異なるとされています

anond:20241101151449

この説明について、主要な点を検証していきましょう。

「姓」「氏」「名字」の区別について:
正しいです。これらは歴史的に異なる制度でした:
「姓」(かばね)は古代氏族身分を表す称号
「氏」(うじ)は血縁的な族団を表す
「名字」(みょうじ)は後世に一般化した家系を表す呼び名

農民と姓について:
正確です。「姓」は朝廷から与えられる身分標識で、一般農民には与えられませんでした。

明治期の改革について:
ほぼ正確ですが、若干の補足が必要です:
1870年姓氏不称令で確かに公用文から「姓」が廃止されました
しか1875年太政官布告で、平民にも苗字使用正式許可され、1876年には苗字必称義務化されました

近世農民苗字について:
正確です。江戸時代には:
多くの農民は既に苗字を持っていました
それらは寺院過去帳宗門人別帳などで記録されていました
ただし、公的には名乗ることができない「通称」として扱われていました

したがって、この説明は概ね正確で、特に明治政府が農民に新たに苗字をつけた」という一般的な誤解を正す点は重要です。ただし、明治期の改革については、姓氏不称令だけでなく、その後の苗字必称令まで含めて理解する必要があります

2024-10-25

少女コミック史上最も重要マンガ10

少女漫画」というジャンルの話ではなく、誌名の「少女コミックである

現在は「Sho-Comi」と名を改めているので、少女コミック時代に絞る

2000年代には「過激少女漫画」の代表的存在となりネット上では性コミ」の蔑称で呼ばれ、一部地域有害図書指定議員ネットPTAからの抗議を経て名を変えた

少女漫画といえば月刊誌が多いが、少コミは週刊時代も長く、隔週に落ち着き、Sho-Comiも隔週

黎明期には男性作家もちらほらおり、掲載誌彷徨漫画サイボーグ009』が掲載されたこともある

萩尾望都トーマの心臓』(1974)

 ギムナジウム舞台に、自殺した少年トーマを巡り犠牲信仰について描く文学的作品

 やや難しい内容のため連載時は人気がなく打ち切りスレスレだったが、今では少女漫画界を代表する名作の一つとして語られている。

 日本ギムナジウムもの描いてる人は大体萩尾望都を通ってるだろう。

楳図かずお洗礼』(1974-1976)

 時を経てから読んだ者にはピンとこないが、実は少女誌連載作品である

 特に少女向け用に作風を変えた感じはないが、女子小学生主人公(一応)なのは著者なりに少女意識したのかもしれない。

 美への執着と母娘の確執女性向け作品で繰り返し描かれるテーマだ。

竹宮惠子風と木の詩』(1976-1981)

 人種差別同性愛、父子相姦、児童への性暴力などのシリアス描写少女漫画界に大きな衝撃を与えた。

 当時は朝チュン程度でも過激扱いだったため、連載を編集に反対されたという。

 他作品をまず成功させ発言力を得てからようやく連載を許され、連載開始まで6年かかった。

 凄惨な展開の数々は少女たちにトラウマを与え、二次創作幸せにする的な発想のフォロワー作品も生まれた。

藤田和子桃花タイフーン!!』(1987-1989)

 スポ根である同著者の『真コール!』の方と迷うところだが、実写化しているこちらで。

 5人のシスコンイケメン兄貴に溺愛されつつも同級生男子ラブコメするイケメンパラダイス作品で、この手の作品ありがちな「実は兄たちとは血縁がない」展開が発生しなかったところが評価できる。

渡瀬悠宇ふしぎ遊戯』(1992-1996)

 少女漫画界全体としては、外国舞台白人への憧憬現代日本の学園もの、と定番が移り変わったが、本作は中華風異世界がメイン舞台である

 現代日本から転移した少女が神獣を召喚して国を救う巫女となり、召喚必要な七人の戦士たちを集めるため国中を冒険するというファンタジーで、「少女には受けないのでは」と編集が渋ったりもしたが、ヒット作となった。

 少女の手足が棒のように華奢に描かれる作品が多い中で、むちむちとしてエロティックで、アニメは大きなお兄さんからも人気が出た。

 「非処女になったら巫女資格を失う」ため敵のイケメンレイプしようと狙ってくるなど、未遂で終わるがエロ描写が多かった。

篠原千絵天は赤い河のほとり』(1995-2002)

 古代ヒッタイト帝国(現トルコ)に生贄として召喚された現代日本少女が、武人政治家としての才覚を発揮し皇帝と共にオリエント覇権を掴むに至る大河ロマン

 史実エピソードを拾い上げながらニッチロケーションを描き勉強にもなる作品だが、この時期には性コミ化が進んでおり、むやみなセックスシーンも多い。男が意味もなく全裸になるのは女性向け故か。

 現代リア充だった主人公は、元の世界に帰ることを渇望し、だがヒッタイトにも大切な人ができてしまい、どうすべきか葛藤する。最近異世界ものではこの手の葛藤は珍しいぐらいだ。

新條まゆ快感フレーズ』(1997-2000)

 物語の中に性的展開もある前述の作品群と違い、エロこそが主題作品であり性コミ代表的存在

 惜しげもなく少女乳首が出てきて俺様イケメンとのエッチな展開が多発、また敵イケメンに愛のないガチ強姦をされる展開もあった。

 物議を醸す問題作だがヒット作でもあり、エロは著者は嫌々だったが編集主導とのことで、少コミは急激に性コミ化が進んでいく。現代人が読むとそこまでエロくもないが…。

 アニメ版では一切エロがなく、主人公存在せずイケメンたちが切磋琢磨しながらバンドに励む作品になっている。

宮坂香帆『「彼」first love』(2002-2004)

 性コミ化が進んでいく中で、「一見地味女子だが眼鏡を外すと美少女」という古典的設定ながらピュアラブを貫きヒット作となった。

 斬新な設定や凝ったストーリーなわけではないのだが、堅実・丁寧に描写を積み重ね、少女漫画らしい少女漫画である

水波風南蜜×蜜ドロップス』(2004-2006)

 庶民JK上級国民生徒の世話係になりセクハラも甘受させられる話で、エロシーンのために物語が捻り出されるようなエロエロ作品

 相手役が合意なく下半身まさぐってきたりだいぶカスで、逆らうと退学なので主人公は逆らえない。上級国民による性的搾取を許すな!

 前作『レンアイ至上主義』と合わせ性コミ代表的存在の一人である著者だが、後の作品は清純化が進んでいる。

青木琴美僕の初恋をキミに捧ぐ』(2005-2008)

 青木琴美は『僕は妹に恋をする』ではエロエロだったが、本作では一転して「難病を抱えながらも純愛」というピュアラブストーリーを描いた。

 邦画でよくありそうな題材なだけに映画化ドラマ化を果たした。

 エロエロからピュアラブへの回帰を果たした本作が、少女コミックSho-Comiをまたぐ連載となったのは象徴的だった。

妖しのセレス

絶対彼氏。

 これらはメディアミックスもしているが、渡瀬悠宇作品ではやはり『ふしぎ遊戯』が飛び抜けているだろう。

・闇のパープル・アイ

海の闇、月の影

 篠原千絵作品の中では天河が特に人気がある印象。

 闇のパープルアイドラマ化やOVA化しているので、そういう意味では天河より上と思う人もいるかもしれない。

陽あたり良好!あだち充

 少年漫画青年漫画イメージの強い著者が、特にガラッと少女向けに変えることなく「掲載誌少女漫画誌なだけ」というのは『洗礼』があるのでこっちはいいかな?

 知名度はあるので、入れてもいいかもしれない。

いちご物語大島弓子

円舞曲シリーズさいとうちほ

・おしゃべりなアマデウス武内昌美)

・バトルガール藍(飯坂ゆかこ)

ミルククラウン水都あくあ)

池山田剛作品

しがの夷織作品

2024-10-15

親族が原因でパニック障害になった女のその後

2年ほど前にパニック障害の診断がおりた。

幸いにも会社はフルリモートだったので電車は避けられた。

外出は絶対無理!な状況で泣きながら2週間に1度通院。

今はもうすっかり良くなったがまだ服薬は続いている。2年経つのにまだ服薬している。

最初仕事ストレスかと思ったけど、先生と話しながら紐解いていくとどうやら実家由来だった。

というか親。いわゆる毒。家庭環境が悪いとパニック症になるのはよくある話らしい。

なので一言だけ「もう無理!じゃあな!」と連絡入れて親も親族ブロックした。

から会うと具合が悪くなるくらい嫌いだったので清々した。

今思えば会うと具合が悪くなる人間ってなんだよって感じである

親族の中に私より10以上年下とかの子がいる。まだ高校生とかの兄弟だ。

10数歳離れた親族はたまにしか会えない都合のいい姉的存在なので懐いてくれていた。

そんな2人が仕事終わりに久々に電話をかけてきた。元気そうだし、可愛いなと思ったけどその背後に親族、ひいては母も祖母もいると思ったら吐き気が止まらなくなった。

帰ってきて空嘔吐をした。おえって言うだけで何も出ないやつ。これが苦しい。本当に。

の子らに罪は無いし嫌いじゃない。私が親族との交流をぶった切ったことを知らない。

けどあの子らは親族関係がいい。血縁関係が良好なのは良い事だと思う。私は違ったが。

そんなわけで、パニック障害になった女のその後は「関係者をぶった切った代わりに、たまに関係者と電話するだけで具合が悪くなる」に落ち着いた。

電話はセーフだった頃から考えたらまあ悪化した感じ。普段絡まなくなった分、余計にストレスに感じるのかもしれない。

でも今後も交流回復しない。次に会うのは誰かの葬式。その葬式だって香典送って終わりかもね。

お母さん、娘に断絶されてどんな気持ち?私は断絶してからのが人生楽しいよ。

2024-10-07

男女論で語られる「托卵」って托卵じゃないよな

夫婦二人とも血のつながった子供だと思っているのに実際はどちらとも血縁がない、というのが真の托卵だろう

2024-10-04

自助共助公助←これを再び考えると

公助を削減して自助しろと言うのは菅義偉だったが、アレに反発していた人ってだいたい共助に協力している人であったように思うんだよな。

もちろん、中には「税金払ってるんだから公助で全部やれ」というような非現実的な人もいるけれども。

共助を頑張ってるのになぜ反発したのかというと、簡単に言えば、自助ではどうにもならないという現実を知っているからこそ共助のために自分リソースを出している訳わけで、

そこからさら公助最後から自助共助で頑張れと言う話をされたところでどうにもならないという感覚があったのだと思う。


当然、公助100%カバーすることも無理なのも百も承知なのよ。でも、だからといってその原則を曲げられたら困る。

そんなこんなで、左派というか「大きな政府」派の人たちが「自助共助公助の順番ではない、公助が基盤にあってその上で自助と共助があるべきだ」という主張をしたのは、実感としてそうでないと無理だと言うのがあるからだよな


現実どうなっているかというと、だいたいは 公助自助→共助→公助保険的な)って感じで利用し、スタックされる事が多いと思われる。

で、菅義偉自助共助公助と言ったのは、この一番最初の「公助」を最後公助②の手間に持って来るような話だったので、共助で支える活動をしている人たちが主に反発したということになった訳だ。

事実公助で一番金がかかっているのは公助①の方。公助②の方は、割合的にはわずかなので費用的にはたいしたことはない。

報道的にも、公助②に関わるような重度の介護必要な人たちが矢面に立っていたけど、菅義偉財務省系の人々が削減使用としたのは公助①の方。

ところが、いや自助、共助、公助であってるだろ、と言っていた人たちは、公助①の方を認識できていなかった、あるいは水や空気と同じで当たり前と思っている可能性が高いと思われる。

と言うのを、この増田

https://anond.hatelabo.jp/20241003150146

を読んでいて思ったので書いてみた。

2024-09-30

不思議障がい者支援施設

血縁利用者に対して、工賃規定を逸脱した皆勤手当を工賃として支給する障がい者支援施設

そこの事業所利用者作業しなくても利用者に工賃が発生するそうです。

反旗を翻した利用者グループが退所する時には一時金額を減らし、残った利用者で分配する。

他の利用者には残って欲しくて工賃を上げると言い出す始末。

職員が外部で労働した時給を工賃にし、利用者工賃として稼いでくる違法行為をする事業所

お金で釣るしか利用者を抱え込めない。

そんな障がい者福祉施設排除されるべきだと思います

2024-09-29

anond:20240929092619

長老から子飼いの側近に権力が引き継がれるのは跡目承継で、そこに性的関係など個人的な利害はないことが普通組織力学の結果組織の筋が通る形で承継される。愛人とか息子とかに跡目を継がせるのは組織理屈はなくて古代門閥閨閥思想血縁のない長老の敏腕の側近に跡目を継がすのは組織的に認められるし、実際組織運営問題もないことが多いけれど、長老愛人や息子に跡目を継がすと組織的には混乱することが多い。だから長老愛人女性リスクが高く忌避されやすい。

2024-09-22

鉄オタっていうのは胎内回帰欲求から、深入りすると精神年齢幼児に近づいていくんだよね

何故、一部の異常者はあんなにも鉄道に惹かれてしまうのか、それは幼少期の彼らが鉄道を揺り籠として認識し、帰巣本能とも言えるもの鉄道に対して持ってしまたかである

そもそも揺り籠に揺られている赤子はなぜ眠ってしまうのだろうか?

それは揺り籠の振動母親の胎内で羊水に包まれていた頃の日常に近いかである

では何故羊水の中の赤子は眠るのかと言えば、羊水の中で暴れまわった赤子は逆子になりやすいため、羊水の中でゆっくり眠る遺伝子の持ち主が生存競争を生き延びてきたからだ。

鉄道に異常な関心を持たない普通人間であっても、電車の中で強い眠気を感じることがあるが、これは我々が元来そういった類の揺れに対して眠気を感じるような遺伝子の持ち主だからなのだ

まり電車の中で眠ってしまうというのは、ある種の胎内回帰に等しい状態と言えるわけである

では、そこから鉄道に対する狂人的な執着に辿り着く鉄道オタクと、そうでない一般人の違いはどこから来るのか?

これはひとえにに幼児期において親からしっかりと愛情を与えられて育ったかどうかで決まるのだ。

十分な愛情を親から与えられていれば、自分が帰巣本能を感じるべき先は本物の両親や自分の家であることを理解するが、もしも親から愛情が不足していれば、足りない愛情を埋められる相手を常に探し求め、揺り籠のような振動を与えてれくれる鉄道を第二の親と捉えてしまうのである

一部の子供が電車の中で異常にテンション上り暴れ出すのは、電車という第二の親を相手にして甘えようとしているかなのだ

だが鉄道は人の親ではない。

から何も返してはくれない。

それでも、穏やかな揺らぎは与えてくれる。

求めているものの全てが与えられない乾きと、求めているものの一部は与えられる癒やし、それらが緻密に絡み合っていくうちに鉄道への執着はより深まっていく。

鉄道は人の親ではないので一切の巣立ちの機会さえ与えてくれない。

から鉄道に対して血縁認識に近いものを持ってしまった人間鉄道に関わっている間はその精神年齢幼児のままで固定されてしまうのだ。

鉄道に関わっている間、自分がまだ幼い子供であるかのように振る舞うことが、正しい自分のあり方だと本能的に誤解してしまうのである

これはまさに本能によるものなので、本人からしても疑問に持ちにくい。

それこそ「これはそういうものだし、誰にとってもそうなのではないか?」というレベルで、鉄道を前にして幼くなることが異常であることを感じ取れないのである

鉄道趣味とは喜劇であり悲劇だ。

ただ偶然鉄道の揺らぎが胎児を包む羊水の揺らぎに似ていたという偶然が、たまたまそれに出会った時期に両親から愛情に飢えていた幼児に、本能バグとも言える刷り込みを起こした結果として産まれ呪いなのだ

鉄道オタク可哀想な奴らだ。

優しくしてやってほしい。

彼らは永遠幼児なのである

精神人生のごく一部において、永久に成長することが出来ない呪いを埋め込まれ本能被害者なのだ

そんな彼らも寄り集まって共に暮らす中で、機能不全家庭で暮らす長男長女の如くして「大人として振る舞おうとする努力」を始めることもあるが、それでもなおその心には愛情不足に嘆く幼児を抱え続けているのである

2024-09-20

anond:20240919122024

5歳の息子とゲームで遊びたいおじさんが任天堂ファンにならない理由があるなら知りたいですね。

ポケモン大学院生時代(ORAS)に研究そっちのけでレート最終2桁取った程度には好きです。

数字を誇ったり子供と遊ぶための道具として扱ってる人間好き嫌い言ってる時点で噴飯物

子供と遊ぶための道具だからこれすきという理屈血縁のような概念がなければ正当化し得ない略取理屈のものなんだが

2024-09-05

anond:20240905173925

クソジジイナマポ受けるときにも血の縁で扶養確認とかされて

絶対に変えられない、絶対逃げられない血の縁でクソジジイ相手させられる方がキツくない?

望んでそう生まれたわけじゃないのに、クソジジイとの血縁絶対に切れないんだぞ

anond:20240905172428

そりゃ増田にもどうしようもないことなのかもしれんが一番かわいそうなのは血の縁もないのにクソジジイセクハラされる被害者だぞ

血の縁があってクソジジイセクハラされる方がかわいそうかも

クソジジイ血縁として生まれたくて生まれたわけじゃないし

2024-09-03

共同体の変遷と推し

日本社会における共同体形態は、時代とともに大きく変化してきた。かつての故郷を中心とした共同体から会社中心の社会、そして現代の「推し活」に至るまで、その変遷は日本人生活価値観の変化を如実に表している。本稿では、これらの変化を考察し、各時代共同体が持つ特徴と、その基盤となるものの変化について探る。

まず、最も古い形態共同体として、「故郷」に焦点を当てよう。故郷という共同体の最大の特徴は、その「大地」に根ざした不変性にある。人々は同じ土地で生まれ育ち、その土地文化伝統を共有することで強い絆を形成していた。この共同体は、地縁血縁に基づく強固な結びつきを持ち、相互扶助精神根付いていた。自然災害飢饉などの危機に際しても、互いに助け合い、乗り越えていく力を持っていたのである

しかし、明治以降近代化と、特に戦後高度経済成長期において、日本社会は大きな変容を遂げる。地方から都市部への大規模な人口移動が起こり、故郷が担っていた共同体としての機能は徐々に失われていった。その代わりに台頭してきたのが、「会社」という新たな共同体である

会社は、故郷が担っていた共同体機能代替し、終身雇用家族経営など、日本独自の特徴を持つ相互扶助を実現する場となった。ここでの結束の軸は「生産である社員会社生産活動従事することで、安定した収入社会的地位を得ると同時に、会社を通じて新たな人間関係を構築した。会社という共同体は、個人生活を支える基盤となり、そこでの人間関係は時に家族以上に親密なものとなった。

しかし、バブル崩壊後の経済停滞と新自由主義の台頭により、会社という共同体の力は徐々に弱まっていく。終身雇用制度崩壊成果主義の導入により、会社個人関係性は大きく変化し、かつてのような強固な絆は失われていった。日本人は再び連帯を失いかけたのである

そんな中で台頭してきたのが、「推し活」を中心とした新たな共同体である推し活とは、特定アイドルアーティストキャラクターなどを熱心に応援する活動を指す。この新しい形態共同体は、80年代オタクカルチャーとは異なり、より「共同体的」な性質を持っている。

オタクカルチャー個人趣味や嗜好を強調し、それが結果的既存共同体からの逃避や代替の場として機能していたのに対し、推し活はむしろ個人を再び共同体的な枠組みに引き戻す役割果たしている。推し活を通じて人々は、共通の関心を持つ他者との連帯感を感じ、コミュニティ形成している。このコミュニティは、かつての故郷会社が持っていた連帯感に似た役割果たしているのである

しかし、ここで注目すべきは、これらの共同体がそれぞれ何に根ざしているかという点である故郷は「大地」に、会社は「生産」に、そして推し活は「消費」に根ざしている。この変遷は、共同体としての強度が徐々に弱くなっていることを示唆している。

大地に根ざした故郷は、よほどのことがない限りなくならない。生産に根ざした会社も、人が生きている限り必要不可欠なものであり、個々の会社栄枯盛衰はあれど、会社という制度自体はなくならない。会社を移動することで共同体を失うリスクは最低限担保される。

しかし、消費に根ざしている推し活は、消費するための財がなければその共同体に参加することはできない。財とは個人的なものであり、財を失ったときに補完してくれる基盤はほぼない。生活保護などのセーフティネット存在するが、それを受給することは推し活に回す余剰がほぼない状態意味する。

したがって、推し活による共同体は極めて脆弱な基盤の上に成り立っているため、その財を得るために無茶な行為を働きかねないというリスクにつながる。これを読んでいる皆さんの周辺でもそのような現象枚挙にいとまがないであろう。

このように、日本共同体の変遷は、社会近代化個人主義化の過程を反映している。大地から生産、そして消費へと基盤が変化する中で、共同体の強度は弱まり個人が抱えるリスクは増大している。

推し活という新しい共同体の形は、現代人のニーズに応える一方で、社会の安定性という観点から課題を抱えている。今後の社会は、この新たな形の共同体がもたらす利点を活かしつつ、その脆弱性にどう対処していくかが課題となるだろう。

私たちは、これらの課題に対して、どのような社会システム価値観の変革が必要となるのか、真剣に考える必要がある。消費に基づく共同体脆弱性を補完する新たな社会セーフティネットの構築や、消費以外の要素で人々を結びつける新たな共同体の形の模索など、様々な角度からアプローチが求められている。

日本社会が直面するこの構造的変化は、単なる社会現象ではなく、私たち生き方幸福のあり方に深く関わる問題である共同体の変遷を通じて私たちが失ってきたものと、新たに獲得したものを冷静に見極め、より強固で持続可能社会の構築に向けて、一人一人が考え、行動していくことが重要だ。そうすることで初めて、推し活に代表される新しい形の共同体と、伝統的な共同体の良さを両立させた、真に豊かな社会を実現できるのではないだろうか。

2024-08-30

近づいてるんだかなんだかよくわかんない台風

矢のような雨が降ったと思ったらスンと止んだり、けれどぬったりとした湿気がまとわりつく8月締め日の金曜。

今日は朝9時から人生であまり経験することがないハリソン世界住宅ローン契約)に足を踏み入れてきて、246は地面師も溺れるような冠水してるし、仕事ではなんかみんな余裕ないのかな、みたいな塩対応やら激おこされるし、カーテンも無いし花を入れる花瓶もないか港町スーパー銭湯にやってきた。

デカい湯船に浸かってサウナに一回だけ入って、マッサージ意識飛ばしてやってきましたお食事処。

公共私的空間グレーゾーンスーファミゼルダみたいに何台もの配膳猫がぐるぐると哨戒するエリアを潜り抜けて着席注文。

グラスもよく冷えた生ビールを「油淋鶏ソースの冷やしトマト」を舐めながらいただいていると、隣の席に初老の男女と、直毛がそのまま伸びた芝刈りくん13日目くらいの朴訥とした青年の3人グループがやってきた。

それにしても油淋鶏ソースってなんなんだ。油淋鶏主体たる揚げ鶏は不在だけどこれアレだ。油淋鶏の肉抜きだ。玉ねぎサラダポン酢薬味がかかったものを「オニオンスライスの鰹のたたきソース」として提供してるようなものか。マーケティングだ。

隣席の芝刈り青年のはだけた作務衣の胸元からは青々とした光進丸がセイルオンしており、Kちゃん、と母親らしき女性から呼ばれていた。

Kちゃんはその世話の焼かれ方や呼びかけに「僕はチーズに目がないです」と目を合わせずに繰り返している様からちょっとしたハンディキャップを抱えている御仁のようだった。

かいに座った父親らしき男性女性からMさん」と呼ばれており、どうやらこの3人グループ血縁関係ではないようだ。

飲み屋ママとハンディキャップを持った息子、と常連さん、といった関係性なのか、何も考えずにはたから見たら3人家族の睦まじい団欒に見えたがどうやらちょっとイレギュラーな店外デートのようだった。

車で来ているため風呂上がりにビールを浴びたいであろうところを小瓶のノンアルコールビール乾杯するMさんママさん。その横でアツアツのチーズ揚げを手づかみで食べ嗜められるKちゃん

Mさん握り寿司を「食べたいです」と屈託なくおねだりするKちゃん。キレてるのか照れ隠しなのか「いいよいいよ!もう全部食えよ!」とMさん。「ちゃんとごちそうさまを言うんだよ」と訓告するママさん。KちゃんMさんは浴室で男2人きりでどのような会話を交わしたんだろうか。盛りそば握り寿司セットや韓国冷麺やよくばり天丼デザートを注文するたびにスキャンされるMさんリストバンドうまいな、とポツリと呟くMさん。きょとん、としているKちゃん。その景色を横目に見ながら、私は単品650円生搾りレモンサワーの3杯目のレモンを絞りながら、「飲み放題1800円なら単品にしなければよかった」と愁嘆した。

2024-08-27

創価はクソって話

付き合ってる彼氏結婚しようと思ったら学会をやめて欲しい、って話から、色々調べて脱会ってなんでこんな難しいんだ??ってなってる。

今まだ学生から就職で引っ越す時に住所誤魔化して、脱会届も学生の頃の住所で出すかなぁとか考えてる(現住所割れたらまた付きまとわれることになりそうだし…)。でも次に引っ越してくる人に迷惑かな、とか。それならいっそ所属組織はなしで出すかな、とか。なんかいい案あったら教えてください。

正直脱会届だして親との縁が切れるならもう仕方ないかな、とか考えてる。だってその程度でキレてくる親とか、血縁とか育ちよりも宗教大事だってことだし普通に付き合いきれん。無理。

でもなんでこんなめんどくさいんだろうなぁ。親と縁切れるのはもう仕方ないとしても、親と縁を切るって字よりも重いよなぁって思う。あと妹がいるから、妹たちと縁が切れるのは悲しいかも。

正直親戚との関わりはあんまりないし、祖父母ボケておかしくなってるからだいぶ嫌いだし、で切れてもいいとは思うけど、なんかちょっとしかったり悲しかったりはあるんだよな。割り切れてないんだろうし、その程度なら辞める踏ん切りが着いてないんだろうな、とも書いてて思った。

あと彼氏本人から、こんなこと言うDV彼氏とは別れた方がいいと思うよ、って言う謎の自己申告受けた。自覚してるなら改善してくれよ、とは思うんだが、実際これはDVなのかな。学会嫌いなのも、ちゃん理由があっての嫌いだから仕方ないと思うし、わたしがやってるのはしょうがない、って認めてくれてるのはありがたいも思う、あとわたしが昔組織にずっぷりだったから、信用しきれないってのもわかる。だってわたしも別の新興宗教人間と対面したら身構えるし。でもなぁ、信用してくれないのは寂しいなぁ。わたし学会員じゃなかったら、もっと色々と甘えられたりしたのかなぁ、とか考えるとすごく憂鬱になる。とても悲しい。2年一緒にいるけど、信用を得るには足りないのか。当然か。家に入れてくれるだけありがたいと思うことにしている。

この関係健全じゃないのかなぁ、とかわたし蔑ろにされてないか?とか友人には色々言われて、別れた方が…とか言われるけど、お姫様扱いしてくれない男とは別れた方がいい、とかも言ってくるのはよく分からいから7割で聞いてる。最近は説得を諦めたらしいけど。すまんね、悪気はないんよ、頑固なだけで。でも相談しといてアドバイス聞かないのはクソの所業だと自分でも思うから、今度はお金払って占い師に聞くとかしようかなって。

彼氏と付き合い出してから創価ってヤバいのでは?ってはっきり気がついて、色々距離を置くようになった。ていうか今年の春、あまりにもキショ案件にぶつかってしまたか信仰を保つのが無理になった。元々やべーんじゃないか、って大学入ってから思ってたけど。人の不幸と生命危機信仰のチャンスと捉えるの意味からなさすぎて無理。脳みそ腐ってんのかな。振ったらちゃぷちゃぷ言いそう。

やっぱ学会にずっぷりの人類に囲まれ生活してると、ヤバさに気が付けないんだろうなぁ。妹は知った上で距離置いてたかわたしが鈍感で愚かなのかもしれない。ていうかその比重が大きそう。もう1人の方はわたしが説得して阻止したけど。これが何か人生の役に立てばいいなぁと勝手に思う。

とりあえず、親が引越しに関わってきそうな卒業時の引越しまでは仏壇は保持。そのあとは本尊脱会届と一緒に本部に送り付けて、地元組織からの追求も上手に交したい。世帯分離してるし、統監も親じゃなかったはずだから多分親には行かない。バレたらまぁその時はそのときで、って感じかなぁ。親とはあんまり縁切りたくない(金銭支援とか物理的な支援とかそういうの考えるとどうしても親の力はデカイ。まぁ学会に金とか時間とか吸われてるから大して期待はしてないけど。)けど、将来子供が生まれた時のことを考えたら、最低でも学会にかかわらない宣言はした方がいいよな。上手くいくように頑張るしかない。

乱文すぎるけど日記からヨシ。

2024-08-24

日本人男性が「托卵」を嫌うのって統一教会の影響じゃね。教義禁止されてるし

最近、「托卵(夫ではなく他の男性の子供を妊娠して夫の子として出産すること)」って悪いことじゃないって意見が多くなっており

日本人男性の一部が反発してるけど理由を考えた


結果、統一教会の影響では?ということに気づいた


統一教会の教えである統一原理』では托卵は殺人より重い罪だと規定されており厳しく禁止されている


実際日本以外の大韓台湾など統一教会の影響が強い地域では『托卵』は道徳的批判されることが多い

韓国版ヤフコメと言われているイルベでも批判するコメントが多い)


一方で統一教会の影響が薄い中国欧米では托卵については特に批判されるところが少ない

中国では、血縁より誰が育てたかの方が重視される。)

キリスト教でもトップクラス保守派イタリア系アメリカ人日常を描いた『ゴッドファーザー』でも托卵された子供を何も気にせず育てているシーンがある)


まり日本人男性が「托卵」を嫌うのは統一教会の影響ってわけだ

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