公助を削減して自助しろと言うのは菅義偉だったが、アレに反発していた人ってだいたい共助に協力している人であったように思うんだよな。
もちろん、中には「税金払ってるんだから公助で全部やれ」というような非現実的な人もいるけれども。
共助を頑張ってるのになぜ反発したのかというと、簡単に言えば、自助ではどうにもならないという現実を知っているからこそ共助のために自分のリソースを出している訳わけで、
そこからさらに公助は最後だから自助共助で頑張れと言う話をされたところでどうにもならないという感覚があったのだと思う。
当然、公助で100%カバーすることも無理なのも百も承知なのよ。でも、だからといってその原則を曲げられたら困る。
そんなこんなで、左派というか「大きな政府」派の人たちが「自助共助公助の順番ではない、公助が基盤にあってその上で自助と共助があるべきだ」という主張をしたのは、実感としてそうでないと無理だと言うのがあるからだよな
現実どうなっているかというと、だいたいは 公助→自助→共助→公助(保険的な)って感じで利用し、スタックされる事が多いと思われる。
で、菅義偉が自助共助公助と言ったのは、この一番最初の「公助」を最後の公助②の手間に持って来るような話だったので、共助で支える活動をしている人たちが主に反発したということになった訳だ。
事実、公助で一番金がかかっているのは公助①の方。公助②の方は、割合的にはわずかなので費用的にはたいしたことはない。
報道的にも、公助②に関わるような重度の介護が必要な人たちが矢面に立っていたけど、菅義偉や財務省系の人々が削減使用としたのは公助①の方。
ところが、いや自助、共助、公助であってるだろ、と言っていた人たちは、公助①の方を認識できていなかった、あるいは水や空気と同じで当たり前と思っている可能性が高いと思われる。
と言うのを、この増田
https://anond.hatelabo.jp/20241003150146
を読んでいて思ったので書いてみた。
追記 ここから 共産系の嫌いな自助共助じゃん。自民や維新の"公助だけでは救えないものもあるから共助自助も必要"に反発してきて今更言うんかい。イデオロギーに...
公助を削減して自助しろと言うのは菅義偉だったが、アレに反発していた人ってだいたい共助に協力している人であったように思うんだよな。 もちろん、中には「税金払ってるんだから...
前なんかのまとめで読んだんだが 高校生の頃は車内のベビーカー邪魔だったし子供が騒ぐの許せなかったけど 自分が子供産んだら大変さが分かった、あの頃の自分を殴りたい みたい...
そういうのも子供の頃から「親は子供を助けるのが当然で、子供に手伝わせるのは虐待」などとメディアが拡散する社会で育って人間関係が希薄だから発生してしまうのよ。
この界隈はOKY事案とかOKO事案とかってそれなりに発生するよねーって思った。 OKY: お前が、ここで、やってみろ OKO: お前、ここに、おったやろ
共助しろと言うのは統一だけ
一回は都会に出ろ
お前は芦別市にきてみろよ
死んでも行かねーよ
それお前がヨソ者で孤立し取るだけやで 都会で誰も管掌してこなくていいって思い込んでる奴いるけどさ 都会にもちゃんと地域コミュニティがあるから。
こういう人間が地方に残る だから地方は衰退すべくして衰退する
まぁそう思い込むのはいいけど、猿人類の時代から集団作って互助やってる集団が生き残ってるって事実を受け止めた方がいいよ
生き残ってないよ どんどん人口流出してるじゃん
畜生道か修羅道に流出してるらしいな
こういう人間が地方に残る ↑思い込みなのはこれな だから地方は衰退すべくして衰退する ↑これも「人口が流出している」ことを「衰退」と定義して言い換えたに過ぎなくてね?
でもぶっちゃけさあ 誰も助けない いざって時にも役に立たない でもどこか憎めない そういう図々しい恥知らずが生き残るんだよ みんなワンチャンそれ狙ってると思う それが1番コスパ...
典型的な生存バイアスやでそれ
もはや東京は他人は積極的に蹴落とせ見捨てろだからなぁ 溺れる犬は棒で叩けが東京 東京で増田が言うような助け合いが生き残ってる牧歌的な社会が残ってるのは下町と地元民コミュ...