はてなキーワード: 最上とは
増田は研究者なのだが、こんなお下劣なネタでは論文にならない。
ここに考察を残す
・10歳〜60歳まで1日1回、射精を行うと、365*50 = 約15000回の射精となる。
AVでは例えば10本に1本くらいで抜けるものがあるとすると、
つまり、たくさんのエロ動画を見るには、「抜けそうな動画」の閾値を上げるしかない。
しかし、最上位のAVのクオリティは毎年上がっていくので、1射精に要する見るAVの本数は年々減っていくだろう。
人間が抜けるAVを作れば作るほど、生涯射精が消費されていく。
よって、エロのクオリティが、例えば10本で1射精⇨1本で1射精⇨1本で10射精などと上がっていくと、生涯見れるAVの本数も下がっていく。
ここで、寿命脱出速度(LEV)という概念を応用する。寿命脱出速度とは、「1年歳をとるごとに、科学技術で1年平均寿命が伸びるなら、人間は永遠に生きるだろう」という概念だ。
射精脱出速度という概念が考えられる。「1年の射精回数365回を抜くごとに、科学技術で、1本のAVで抜ける射精回数が増えるなら、人間は永遠に1本のAVで抜くのでは」
ポーザーで作ったマンコ剥き出しの姿勢の女の子の3Dモデルをもとに私美大出やからこういうのめっちゃ手が早いんやけどサクサクっと下書きしまくってこれは私の秘伝の技なんやが下地に不透明度25%くらいの紺色のベタを置いて血管とか肌の赤み黄ばみ青みを色々レイヤー重ねてリアルな肌を表現して最上段に不透明度1〜5%の粗めの粒子ブラシでめっちゃリアルな肌の質感とハイライトを描いて最下段のレイヤーに自分のを撮った陰部と角度の合ってる実写の女の顔画像をコラして出力したのをオーバーレイで重ねてハイライトとシャドウ強調したりしてより実写に近づけていったのをうちのベッドとかソファーのちょい加工した写真と合成した画像を今までに200枚くらいは描いてAIに食わせたけど出来の良かった成果物を修正しつつ更にAIに食わして各所が変形してたら手描きで修正したり自分撮りをコラして修正してを繰り返し毎日毎日そんなんやってるからもうその数はねずみ算式に増えて今や何万何十万と私の外陰部と肛門を閲覧して学習した画像生成AIがおるんやけど未だに私の股間部を模した絵は出てこんしお前らどんだけ世界中の人間のチンコマンコアナルをAIに食わせとんねんいつか怒られるでマジで
伸びてて草なんやが前に読んだ松浦寿輝の宝篋って短編小説がおもろくてゲーミングロリマンコにドハマりした男が性病患う話なんやけどじゃあ私もゲーミングマンコにしてみたろ思ってロシアのヤバい粉を大陰唇に少量塗って角度によって色んな色に変わるゲーミングマンコにメイクアップしたことあってしょうもないけど記念に写真撮っとくかって保存しとってそれを描いた絵にコラしてAIに食わせてたんやけどゲーミングマンコなんてこの世に存在せえへんからカラフルな下着の類に判定しよってちゃうねんこれはゲーミングマンコや言うて何度も何度もしつこく学習させてたらある時を境に全く違うパンツに浮き出たリアルな切り傷みたいな出血マンコが出力されよってうわグロいでお前ふざけんな言うてまた何度も何度も修正して学習させてたら普通のマンコっぽいスリットに近づいていったけどゲーミングマンコには二度とならんようになったし未だにパンツの上にマンコっぽい線が描かれてるみたいな描写の域を出んしもしかしたら性器描写はなんか制限かかってるのかもしれんね
Optionとかの影響で例外を投げないことに拘る人がたまによくいるけど、どうせ最上位で捕まえるんだから詳細な情報を詰めた上で例外はむしろ投げろし。— neuecc (@neuecc) June 27, 2023
これなーアジャイルとか大好きWeb系から流れてきたなんちゃってUnity開発者(個人の感想です)ほど例外になるんだけどどうにかしろって騒ぐ
いや例外出るよってxmldocでも書いてるじゃん、みたいな
この手のやつほどチームリーダーとかやりたがるから仕方なく自分の実装レイヤーでエラーコードに変換してやるってことがしばしば
C++でかつコンソールゲーム系の人は例外😬みたいな感じになるけど例外復帰でループから抜けたりするみたいな使い方でなければまあわかってくれる
ワイもやってみたやで
私はダンチの団地に住んでいる。ダンチとは、段違いに優れているという意味だ。この団地は、普通の団地とは違って、一つ一つの部屋が独自の機能を持っている。例えば、私の部屋は、時間を自由に操作できる。時計を進めたり戻したり、止めたりできるのだ。隣の部屋は、重力を変えられる。床や壁や天井に歩けるし、物を浮かせたり落としたりできる。向かいの部屋は、色を変えられる。白黒や虹色にしたり、透明にしたりできる。
私たちは、この団地の住人として、特別なルールに従わなければならない。それは、他の部屋の機能を勝手に使わないことだ。もし使ったら、その部屋の住人に罰を受けることになる。罰の内容は、住人によって違うが、どれも恐ろしいものだ。
私は、このルールを守っていた。しかし、ある日、私は誘惑に負けてしまった。それは、一番奥の部屋の機能だった。その部屋は、夢を見せてくれる部屋だった。私は夢を見たかった。現実から逃げたかった。だから、その部屋に忍び込んで、ベッドに横になった。
すると、私は夢を見た。美しい夢だった。私は幸せだった。しかし、その夢は長く続かなかった。突然、夢が悪夢に変わった。私は恐怖に震えた。そして、目が覚めた。
目が覚めると、そこには一番奥の部屋の住人がいた。彼は怒っていた。「お前、何してるんだ?俺の部屋で夢を見やがって!」彼は私を掴んで引きずった。「お前には罰を与えてやる!」彼は私を連れて行った。
彼が連れて行った先は、ダンチの団地の最上階だった。そこには大きな窓があった。「お前は高所恐怖症だろう?じゃあ、これでどうだ!」彼は私を窓から投げ出した。
私は叫んだ。「助けて!」しかし、誰も聞いてくれなかった。私は落ち続けた。そして、地面に激突した。
私は死んだ。
それが私の最後の夢だった。
言葉の力で男を精神的に傷つけたいって加害欲むき出しの人も檻に入れられたらいいなと思ったわ。
普通の男は女子供といった弱き者は守らねばならないって理念に縛られて本能抑えてそれなりにストレス抱えてるんだわ。
あまり表に出さないけど人が不幸に巻き込まれれば普通に傷つく繊細さも兼ね備えているんだわ。
そういう気苦労も知らないで勝手に危険地帯に踏み込んで事件に遭遇してんのWeb上で公開されても男一般はどうにもできないんだわ。
無力感にさいなまれて苦痛なだけなんだわ。頼むから誰にも守ってもらえないところ行くなら自衛しろよ。
俺ら男にどうせいっちゅうの?何の責任もないのにボランティアでキャンプ場警備しろ女の盾になれっていいたいの?軽んじられてるように感じて傷つくわ。
女に優しくありたい共感したいと思っていた男でもこういうの続くと自分の心を守るために女を見下すしかなくなる。あーやだやだ。
釣り針大きいけど、男がソロキャンで強盗に遭わないのは、安全な日本社会に保護された状態に慣れすぎて「権利」の水準がそこにあっちゃっている話なんだよなぁって言っているのと一緒でアホ過ぎるね。
何を言ってんねん。男だって「安全な日本社会に保護された状態」は一緒やぞ。その感覚のまま海外の治安悪いところ行けば普通に強盗に会うわ。
ソロキャンで男が強盗に合いにくくて女が強盗に合いやすいなんて統計があるのか知らんけど、
そういう事実があるのだとしたら単に見た目や雰囲気が強そうか弱そうかってだけの違いだと思うぞ。
登山なら熊と出会わないように熊鈴鳴らすとか残飯あさりに来ないように残飯ゴミはジップロックに入れるとか自衛せにゃならんしそれでも運が悪ければ熊に遭遇するわ。
キャンプ場だって熊出るわ。熊が出てきて利用中止になることあるし管理者いなくて熊が出てくるけど自己責任でってところもある。
結局自然と自然に接する領域では自衛しなければならないし自衛しても運が悪ければダメっていう覚悟じゃなければならない。
加害側に自制を求めることが行き過ぎた権利なら万人が万人に対する闘争状態に戻るわけで、自衛する女に積極防衛と称してスタンガン打たれても文句は言えないことになるのだが…
自然の中に一人で分け入ろうとするんだから当然自然状態=万人が万人に対する闘争状態になる危険はあるだろ。
そういう最悪の状態にならないようにあいさつ=社交しなければならんのに、話しかけてくる男はハイエナゴキブリとか言って見下して孤立したら助けを借りるのは難しくなるし、人にスタンガン撃つ狂った獣みたいな奴は真っ先に討伐対象になるんじゃないの?
フリーサイトはある程度マナー的な要素はあるかもしれんが、場所指定のサイトはキャンプ場が商品として占有できる「鳥籠」を提供してるんやで。そこにずかずか入ってくるのはおかずスティールくらい無法だと思ってる
6年前、初めて前作に当たるBotWをプレイしたときの思い出は、40年あまりの人生の中でも最も輝かしく、美しい経験として胸に刻まれています。
ゲームを終えるのが惜しくて、クリアしてからもハイラルのすみずみまで見て回り、コログを収集し、何度も同じ敵と戦い、実況プレイ動画を見続けました。
その結果、ほんの少しマンネリを感じるようになりました。記憶を消してもう一度最初から楽しみたいと願っても、出来るはずもありません。
続編の制作が発表されたときは、天にも上る心持ちでした。それからの4年間は、本当に長かった。
一緒にハイラルを駆け回ったとき小学生だった息子は、高校生になりました。
果てしなく期待のハードルが上がる反面、あまりにも任天堂から発表される情報が少なく、飢餓状態は疑心暗鬼を産み、不安が高まってきました。
開発が難航しているのか?飽きるほど遊び尽くした同じハイラルで、同じ主人公、同じ敵、同じゲーム機での同じ遊びではマンネリを感じるのでは?期待と不安が入り交じる中、ついに発売日を迎えました。
5/12午前0時、夜更かしの息子が見守る中、ドキドキしながら起動します。
前作から見事に接続されたストーリーデモのあと、リンクがスカイダイブしながらタイトルロゴが表示されたとき、思わず涙ぐんでしまいました。
降り立った空島での感動は前作での始まりの台地に匹敵するものでした。
息子に早く寝て明日自分の手でプレイするよう告げたあと、私は朝までプレイし続けました。
刷新されたゲームプレイメカニズムの見事さ、それを理解させるチュートリアルの自然さへの称賛は他のレビューに譲るとして、特に目を見張ったのは生きた世界を構築するために貫かれた美意識の高さです。
よく知られるようにスイッチの性能は時代遅れと言ってよく、精細さや滑らかさでは最新のゲームに大きく劣ります。
しかし、限られた性能で何を表現するか、その取捨選択自体に美学が感じられ、見せたいものが散漫にならず明確になっています。
自然の中で朽ちていった壮大な古代遺跡の様式が動植物の生きた風景のなかに垣間見えるさまは、未知の世界を冒険するワクワクに満ちています。
「底抜けの洞窟」に入ったときのワクワクは前作における最上のワクワクと同類のものです。祠内部の意匠と質感は上質な工芸品のようです。
一方で正直に告白すると、空島を飛び出して見慣れたハイラルの大地に降り立ち、あまり変わり映えのしない風景のなかでボコブリンと戦ったとき、既視感と多少の退屈を感じ上述の不安を思い出しました。
一旦ここでプロコンを置いて休もうかと思った矢先、前作にはなかった洞窟を見つけました。
1時間後、私は真暗な深い穴の中で見たこともない奇妙な植物に囲まれていました。
数時間後、私はこの代わり映えのしないハイラルの景色が、今すぐにでも再訪問したい、気になるスポットだけで満たされていることを確信していました。
そこからは、BotWで何度も味わった「行きたいところが次々と見つかり続けて辞め時がわからない」状態のループになります。
生活に破綻をきたし、妻の機嫌が悪化していきますが、この上なく自由で幸福な時間です。
発売前に私を不安にさせたのも、いったん既視感と退屈さを感じさせたのも、全てはこここからの感動の前フリでしかなかった。
何より嬉しいのは、この状態があと数十時間は続くことが保証されていることです。
限られた人生の時間を消費するに値する、無駄と感じないゲーム体験には、中年を過ぎると滅多に出会えなくなります。
そんな身勝手な私の高過ぎる期待のハードルを軽々とクリアし、想像もしていなかった驚きを次々と体験させてくる制作チームの偉業にはいくら賛辞の言葉を並べても足りません。
こんにち世界中で途方もない費用と時間と人材を費やして作られているAAAゲームでさえ、このようなワクワクと達成感と感動(人生において最も大切なもの)を与えてくれることは極めて稀であることを考えると、このチームがクリエイティブの魔法を維持し続けていることは奇跡としか思えません。
再び息子とハイラルでの出来事や発見を語り合える日が訪れたことが嬉しくてたまりません。
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タイトルの通りなのだが、嫁が式前日、前泊のホテルの部屋で思いっ切りうんこを漏らした。
もう10年以上前の出来事なので記憶があいまいなのだが、それでも事の衝撃のでかさである程度の記憶はまだ残っている。
その事件当日のながれから説明すると、俺と嫁は式を行うホテルに前泊を行っていた。(しかも会場ホテルの取り計らいでスーパースイートルーム的なところ)
ある程度の準備を済ませ、ホテルのレストランで食事を済ませてあとは寝るだけにしようと思いレストランは向かった。
式の打ち合わせで何度か訪れたことのあるホテルだったのである程度のメニューは把握しており、前食べた~のパスタがおいしかったけど量が少なめだったからコースメニューにしようかと2人で話していた。
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しかしここで一つ誤算があった。
打ち合わせの際に利用したときはランチメニューであり、コースのボリューム感は全く把握していなかったことである。
2人して頼んだコースはとんでもないボリュームで、おしゃれな雰囲気の中残すわけにもいかず何とかして食べ切ったが2人ともグロッキーな状態だった。
ここの段階では腹痛などはなく「多かったね・・・」と2人で話す余裕があったのだが、さあ部屋に上がろうかと立ち上がった直後から異変が起きる。
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立って歩くと同時に「やばい・・・」とつぶやく嫁、え、どうした?と聞き返すも、一瞬立ち止まっただけで歩き出し、「いや、大丈夫、早く戻ろう」と言うのでそれに従いエレベーターに向かう。
早く上がってゆっくりさせてあげようと思っていたのだがエントランスから明日の式の為に前泊しに来た友人たちの姿が、あちらから気付かれそのまま談笑タイムへ。
みるみるうちに顔が青くなる嫁、それに気づきながらも友人の話が止まらず焦る俺。
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やっとのことでその場を後にし、エレベーターに乗ったとたんお腹を押さえて体を傾けだした嫁。
俺「部屋まで耐えられる?スイートルームだからちょっと遠いし途中のトイレかやっぱ戻って1階のトイレ行く?」
俺「そっか、、、」
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なんせスイートルーム、最上階にある上にフロアの一番奥(エレベーターから50m以上は歩くかな?くらい)なのだ。
そう感じていた。
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エレベーターが着いてドアが開く、明らかに嫁の歩くスピードが遅い。リクガメのようだった。
全然平気だから部屋に先に行っておけと言われたのでそれじゃあと部屋に入り、なるべくすぐ入れるようにと扉を全て開放し電気をつけ、便座のフタを開けておいた。
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その瞬間は突然だった。
嫁が部屋に入る影が見え、これで一安心、とテレビを付けてひと段落していた瞬間だった。
部屋に響く情けない声「あぁあ無理。。。。。」
え?何?と扉を開け様子を見ると、トイレを目前にしてその場でへたばる嫁の姿。
「もしかして、だめだった?」
「うん、、ごめん」
.
そこからが大変だった、号泣しながら処理する嫁とそれを励ましながら風呂をためて脱いだ服を洗う俺。
最終的に下半身の服は全てだめになってしまい。ある程度洗った後に袋に詰めてごみ箱のそばに置いておいた。
次の日スタッフがごみを回収したときに臭いで気付かないかがとても心配で、今でも気になっている。
(もしかしたら式前日に漏らした人がいるいう噂になっているかもしれない)
完全に自信を無くした嫁は目を腫らすまで泣き続け、次の日の式でも少し腫れが残った目で執り行ってしまい、今でもたまに話題に上がる。
ただそのおかげかとても充実した日々を過ごせていると思うし、巻きグソのように固く結ばれた愛がある。
.
ここで話すことで人に話したくなる欲が少しでも薄まればと思い、書き記すものとする。
愛してるよマイハニー
tiktokでもyoutubeのショートでもツイッターのおすすめでも、顔の良い男女、セクシーな女のバズった画像や動画が次々に流れてくる。
LGBTだのなんだのと、表向きの世界でどんなに言い訳しようとも、現在の世の中は人類史上最大限に見た目の良さが評価される時代になっている。
インターネット、それもSNSがなかった時代には、見た目の良さだけで有名になれるのは「メディア」と言うフィルターをくぐった芸能人だけだった。
ある意味それは平和な時代で、「画面の向こう側」の人間が見目麗しいことで得をしていても誰もなんとも思わなかった、なぜなら彼らは選ばれた一部の特別な人、別世界の人々だったからだ。
しかしモバイルインターネットが普及して、誰もがインターネットで繋がるようになるとこれが地獄と化した。
本来自分たちと同じであったはずのごく普通の人々が、たまたま見た目が良かったというだけで得をするシーンをそこここで見せつけられるようになり始めた。
勉強ができる人、運動が得意な人、芸術に打ち込む人、その他なんでもいいが、地道な努力の果てに一芸を獲得することが、見た目の良さに圧倒され駆逐されていく。
この世界観における生殖活動では、見た目の良い遺伝子を手に入れることが他の要素を押しのけて最上位の優先事項となる。
見た目以外の才能は、生まれた後にでも磨いてどうにかなるという「希望」がある。
実際にはまだ解明されていないだけで、全て先天的に決まっているのかもしれないが、今のところ努力でどうにかなるという共通認識が残っている。
だが見た目だけはそうはいかない、性格は顔に出るなどと言う通り環境によって多少の変化の余地があることは認めるが、しかしベースとなるものは生まれた時点で定まっている。
そういう要素を世界が最も評価するようになったのだから、人は見た目に劣る遺伝子をわざわざ残そうとはしなくなる。
そうやって最適化すれば、一部の美男美女以外は滅んだ方が良いと結論にしかならない。
政府がどんな働きかけをしようとも、このルッキズム至上主義が続く限り、婚姻率の低下は適応の結果なので変わることはないだろうし、それが日本特有の事象にはとどまらないだろう。
修行の一環で色々試してみたので、まとめてみる。毎日、下腹部の精力を体感で測った結果なので、長持ちするかとか聞かれても知らない。試しているときに精力を漏らしてないはずなので(スポーツを除く)、それによるずれはないはず。
50日ぐらい修行したので、あと最低50日ぐらいは修行しているはずなので、もう少し色々試してみる予定。何かあったら教えてください。
ゼナ キング活精・・・・・・名前に恥じず、明確に効果を実感できた唯一の栄養ドリンク。値段(1700円前後)も最上位というわけではないのでおすすめ
高麗人参・・・・・・これもわかりやすく精がつく。生は今度届くのでまだ試せてないが、乾燥、冷凍でも問題ない。バナナジュースか棗と煮て飲むのが楽。やる気があれば、参鶏湯とかに入れてた食べる
ユンケルの高いやつ・・・・・・値段相応には良い。ただ、ゼナ キング活精と大差はないのでややコスパが落ちる。ユンケルはカフェイン入ってないやつが便利。
高麗人参系の栄養ドリンクの高いやつ・・・・・・あんまり自信ないけど、効果あった気がする
生姜・・・・・・甘酢づけとか色々な形で食べやすい。自分で料理すると味がきついのが悩み(そこまででもないが)
にんにく・・・・・・ラーメン屋で食べやすいのが良い。生の方が効果は強い
にら・・・・・・効果がある気がするが、生で食べる勇気はない。レバーと一緒に食べれるのが良い
枸杞、棗・・・・・・食べやすいし、お茶に入れればいいから効率が良い。効果はちょっとあるぐらい
高麗人参系の栄養食品・・・・・・効果はあるが、値段(数万〜数十万円と幅はある)の価値があるかは正直わからない。時間があるなら自分で加工した方が良い気がしてきているが、手間は少ないので補給には良いかもしれない
その他栄養ドリンク・・・・・・ないよりは効果がある。高いやつほど効果がある?気はする(特にユンケル系)
生玉ねぎ・・・・・・効果はあるが、腹痛が起きることが多い。ハイリスクハイリターン
はとむぎ+甘草・・・・・・効果がありそうな気はしたが、毎日30分煮詰めて食べるのが本当に辛かった。もう夏だから、真似しても意味ないと思う
ねぎ・・・・・・食べやすいが、めちゃくちゃ効果があるというほどでもない
牡蠣・・・・・・もう時期ハズレだからかもだけど、わかりやすい感じ方はなかった
長芋、山の芋・・・・・・実感できるほどはない。自然薯はよかった記憶があるが、高い
マカとか推している精力ドリンク・・・・・・期待は大きかったが、効果は正直わからなかった
漢方の錠剤・・・・・・これも1万円超えてたわりに本当に効果があるのか?ってなってる
その他・・・・・・ほうれん草や納豆と書いている人もいたけど、そこまで差はない気がした。栄養学的にはそうなのかもしれんが......
生の高麗人参
旬の自然薯
旬の牡蠣
桑の実
榛実
カヤの実
修行の一環で色々試してみたので、まとめてみる。毎日、下腹部の精力を体感で測った結果なので、長持ちするかとか聞かれても知らない。試しているときに精力を漏らしてないはずなので(スポーツを除く)、それによるずれはないはず。
50日ぐらい修行したので、あと最低50日ぐらいは修行しているはずなので、もう少し色々試してみる予定。何かあったら教えてください。
ゼナ キング活精・・・・・・名前に恥じず、明確に効果を実感できた唯一の栄養ドリンク。値段(1700円前後)も最上位というわけではないのでおすすめ
高麗人参・・・・・・これもわかりやすく精がつく。生は今度届くのでまだ試せてないが、乾燥、冷凍でも問題ない。バナナジュースか棗と煮て飲むのが楽。やる気があれば、参鶏湯とかに入れてた食べる
ユンケルの高いやつ・・・・・・値段相応には良い。ただ、ゼナ キング活精と大差はないのでややコスパが落ちる。ユンケルはカフェイン入ってないやつが便利。
高麗人参系の栄養ドリンクの高いやつ・・・・・・あんまり自信ないけど、効果あった気がする
生姜・・・・・・甘酢づけとか色々な形で食べやすい。自分で料理すると味がきついのが悩み(そこまででもないが)
にんにく・・・・・・ラーメン屋で食べやすいのが良い。生の方が効果は強い
にら・・・・・・効果がある気がするが、生で食べる勇気はない。レバーと一緒に食べれるのが良い
枸杞、棗・・・・・・食べやすいし、お茶に入れればいいから効率が良い。効果はちょっとあるぐらい
高麗人参系の栄養食品・・・・・・効果はあるが、値段(数万〜数十万円と幅はある)の価値があるかは正直わからない。時間があるなら自分で加工した方が良い気がしてきているが、手間は少ないので補給には良いかもしれない
その他栄養ドリンク・・・・・・ないよりは効果がある。高いやつほど効果がある?気はする(特にユンケル系)
生玉ねぎ・・・・・・効果はあるが、腹痛が起きることが多い。ハイリスクハイリターン
はとむぎ+甘草・・・・・・効果がありそうな気はしたが、毎日30分煮詰めて食べるのが本当に辛かった。もう夏だから、真似しても意味ないと思う
ねぎ・・・・・・食べやすいが、めちゃくちゃ効果があるというほどでもない
牡蠣・・・・・・もう時期ハズレだからかもだけど、わかりやすい感じ方はなかった
長芋、山の芋・・・・・・実感できるほどはない。自然薯はよかった記憶があるが、高い
マカとか推している精力ドリンク・・・・・・期待は大きかったが、効果は正直わからなかった
漢方の錠剤・・・・・・これも1万円超えてたわりに本当に効果があるのか?ってなってる
その他・・・・・・ほうれん草や納豆と書いている人もいたけど、そこまで差はない気がした。栄養学的にはそうなのかもしれんが......
生の高麗人参
旬の自然薯
旬の牡蠣
桑の実
榛実
カヤの実
いじめや友達のいないことなど、少しばかりでしょうが増田さんと私には似ているところがあったので参考になるか分かりませんが私の人生を語らせてください。
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幼稚園時代のことはあまり覚えていませんが中のいい友人が1人おりましたので子供らしい時間を過ごせていたと思います。
よく「◯◯ちゃんと結婚する」などと友人と言い合っていたのを今でも覚えています。
親が教育指導に熱心なタイプだったため、小学校での学業成績は悪くありませんでした。
1~3年生ぐらいは平和に暮らせていたと思います、しかし、仲のいい友人というのはおりませんでした。
4年生ぐらいになると、粗暴な子供達がクラス内で権力を効かせるようになってきており、身体が細く運動神経に恵まれなかった私はいじめのターゲットとなってしまいました。
朝教室に入ると、クラスメイトが声を揃えて私をバカにする歌を歌いだしたりするのは本当に屈辱でした。
小学校5年生ぐらいではあまりの屈辱に耐えきれず、いじめを行っていた、粗暴な子供のグループの中でも最上位に属しているクラスメイトを殴って階段から突き落としたことがあります。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、突き落としたクラスメイトに大きな怪我はなくその問題は学校内で内々にもみ消されることとなります。
その後、クラスメイト全員からの嘲笑は無くなったものの階段から突き落とした子供のいるグループから執拗なリンチを受けることになります、
学校の先生については、私は全く信用していなかったので相談することはありませんでしたし、親にはいじめられていることが申し訳なくて相談することが出来ませんでした。
中学校時代、小学生のころにいじめを行っていたグループは地域の不良グループ(暴走族のようなものだと思う)に取り込まれていって学校内では特定の誰かをターゲットにした目立ったいじめを行うのではなく、
自分たち以外のグループをおもちゃのように見立てているようで、彼らの気分で暴力などをふるっていました。
小学校の頃と比べると比較的穏やかに過ごせるようになりました。
穏やかではありましたが彼らの遊びの中で彼らがおもちゃと思っているクラスメイト同士に殴り合いをさせる遊びがあり、これは今でも到底許しがたいものだと記憶しています。
私はそのターゲットに選ばれてしまったとき、嫌いでもない人間を殴るぐらいならと不良グループの1人に殴りかかったところ返りうちにあい、その後地域の不良グループも含められた集団からリンチを受けました。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、このリンチは継続するものではなく一度限りで終わりました。
さすがにこのときの怪我で親にも学校のことがバレたのですが、親は「生きていればいいから無茶はしないで」と泣きながら言われたのは今でもとても胸に残っています。
当時の私としては彼らの言いなりになるぐらいなら死んだほうがましだと考えていましたが、親となった今ならあのときの言葉の意味が分かる気がします。
私の地域では高校の進学は、不良、就職、進学組にキレイに分かれる風習があり中学までの不良は殆どが不良の行く高校へと進学していきました。
勿論、不良の中でも就職、進学組の高校に進むものもいましたが、これまでの仲間を失ったかれらはとても大人しいものでした。
さて、私は親の教育方針もあって進学組の高校に進むことになります。
高校に入って驚いたことは、皆非常に穏やかな人間だったということです、私にとってはその光景が異常なように移りました。
これまでは、いじめなり、不良グループに目を付けられないように怯えながら暮らしていました、高校ではそれがないのです!
友達は相変わらずおりませんので、体育の授業では誰ともペアを組むことが出来なかったり、偶数でちょうどペアを組む相手はなんだか気まずそうな雰囲気を出しておりました。
(それでも露骨に嫌な顔はしませんので、悪い人間ではないのです)
学校の先生も非常に親切で、あまりにものんびり過ごしている私にも根気を持って指導してくださり、このときに親以外の大人でも信用出来る人間はいるのだなと認識を改めました。
私はこの暮らしの中で安穏と日々を過ごしてしまい、学業を疎かにしてしまったことであまり良い成績ではありませんでした。
大学の進学は希望した大学には入学出来ず滑り止めで受けた大学に入学することになります。
アルバイトは短期間のものを数ヶ月おきにこなす程度で余暇を多く持て余していました。
幸いにも住居のそばに図書館があったことから学生時代の余暇は本を読むことに費やしていました。
友達がいないとせっかくよんだ本の感想を誰に共有することも出来ずもどかしい思いを抱えますので、当時の携帯電話(いわゆるガラケー)で読書した感想などを適当なサイトにつらつらと書いてはアップロードしていました。
(当時の携帯電はが文字を打ち込むために同じ物理ボタンを数回押さなければならないのですが、文章を入力するためにボタンを押しすぎたおかげか殆のボタンにはヒビが入ったり欠けたりしていました。)
友達がおりませんので就職活動のための情報というのが自分の元には全く集まりませんから大学卒業後は就職すること叶わず派遣労働者として過ごすことになります。
この時期からようやく手元にある程度の資金が貯まるようになり念願のPCを自宅に導入することが出来るようになりました。
PCが手に入ると友達がいなくても情報を手に入れることが出来るようになったため、就職に関する様々な情報を得られるようになります。
第二新卒というものの存在を知り、卒業後すぐに就職出来なくてもまだチャンスはあるのだと知ることが出来ました。
そこからは就職に向けて情報を集め、必要な知識を得るために自習を行い、なんとか正社員として就職することに成功します。
最初の会社は就職のための対策をして臨んだため面接時のコミュニケーション能力の高さを評価されてしまいました。
本来、私は友達のいない人間なので日常のコミュニケーション能力は皆無に等しいのです。
私の本性を知った会社は私を試用期間中に能力が至らなかったということで解雇します。
非常に落ち込みはしたのですが、業務内容自体は私の適正に合っていたようで(勿論、就職活動時に自分の適正を考えて合いそうな業界を選んだというのはあるのですが)、
解雇されはするものの取引先の会社にツテを作ってもらいそこに入社することになりました。
次の会社でも業務内容自体は同じでそれをこなす能力自体は評価していただけましたが、そこから出世していくにはコミュニケーション能力が必要だと常々言われておりました。
私としては業務能力を持って勝負していきたいと考えており、せっかくのツテを作ってもらった中で申し訳無さもあるのですが次の会社に転職することを決めました。
このようなコミュニケーション能力の無い人間がツテもなく転職出来る会社は社会的にもまっとうな会社ではないのですが、それは反面、私の人間性も無視してくれるということです。
次の会社は非常に労働時間が長く、業務量が異常に多かったのですが、それを求めて入ったということもあり、この頃の私は仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
同僚も私のように何らかの欠陥がある人間が多く所属しており、私のコミュニケーション能力というのを咎められることがなかったのも良かったと思っております。
(尤も、私のいない場所で私に対するかなりの誹謗中傷があったらしいのですが…)
業務能力や馬車馬のように働くことを評価して頂いたのか、幹部候補としての待遇を打診されました。
しかし、社会的には悪影響をあたえるような会社でしたのでその中で幹部になることに後ろめたさがあり転職することになります。
この会社で得た経験がこの次の転職に活きており、簡単に転職することが出来ました。
次の会社では私のコミュニケーションに関するコンプレックスを取り払ってくれる上司に出会います。
彼はコミュニケーションのことを「業務を遂行するために最善の状況を作るのがコミュニケーションであり、日曜日にバーベキューに行って楽しむものではない」という信条を持っており、
この考え方のお陰で、人と仲のよい距離をわざわざ作る必要などないのだいう自信を持つことが出来るようになりました。
もともと、知識を仕入れた上で自身がどのように振る舞えば効果が高いのか?というのを考えて行動するタイプでしたので、上司の言う考え方は私の考え方に非常に相性が良かったのです。
知識の仕入れや引き出しというのは大学時代に大量の読書を行ったことで下地が出来上がっていたというのもあります。
自信を持てば人生は上手く回るもので、今では自分の感性に合う伴侶を得て、子供にも恵まれ、大きなストレスもなく平均的な収入を得られる仕事に就けています。
最初の仕事を解雇されたときは人生は積んだのだろうと絶望したものですが、時代の背景や運の要素もあったかもしれませんが、何とかなるものです。
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さて、長々と書きましたが大学生活を楽しむためのコツでしたね?
私の場合は本を読むことが大学生活の楽しみでした、それは自分の人生を好転させる材料の1つにもなりました。
読書は1億円の投資などとも言われますが、本を読む、つまり知る、考える楽しさを知ることは人生を上手く過ごす方法の1つなのかもしれません。
なんとなく、まあこういう考えの人は多くいるよなあと思う。みんな自分の好きなように生きる選択をして、それでも社会が成り立っていくようにするにはどうしたらいいんだろう。
私は人間1人あたりが新しい人間1人を生み出さないと、次の世代の負担が爆増してもっともっと厳しい貧しさが到来するぞと思ってすぐ悲しい気持ちになってしまうのだけど(既に私たちの世代が厳しい貧しさを体験している)、次の世代の痛みなど知らぬ、という人もそりゃいるか。とは思った。確かに。でもそれってあんまり大人らしい態度じゃないなと思った。自分が属するグループ、組織、社会の将来を良くする=人類を良くするために生きるのが、人間ってもんじゃないのか。もちろん、次の世代の苦しみが少なくなるように政治でなんとかしようという動きが今後出てくるかもしれない。ただ、団塊、そしてその次に団塊Jrの世代が死に絶えてやっと人口分布がまともになり、若い世代が苦しまなくなる、という、その時代到来までの半世紀くらいで、日本人の貧しさによる精神ズタボロ度はすごいことになってしまうんじゃないか。心配である。
私は人口が漸減していくことには概ね賛成だが(そんなに多くの子供をかかえる余地はもはやこの国にはないし、実際的に仕事に必要な人間の数はこれからどんどん減っていく)、ドデカい退役世代を、細々とした現役世代が養うというのは、無理があるし、つらい。
今の退役世代はまだ貯蓄があるからいいが、団塊Jrが退職し非労働人口になった時に、彼らの生活を金銭面でも身体面でも、現役世代が支え切れるのかは本当にわからない。年金制度の崩壊と言われる2025年は2年後に迫っていて、そこから本当の地獄が始まると思う。
すごく極端で非倫理的な話をすれば、老人達が長生きしすぎで、これは現行の年金制度を作った時には想定されていなかったと思う。そして、老人というのは家や車を新しく買うことはないので、まとまったお金があってもそれを経済に返還できない。子世代の建てる家や土地にどんどん老人たちがお金を出してやればいいと思うのだが、それはそれでしがらみになりそうで、難しい問題だと思う。そうして遺産相続の時が来る頃には、子世代ももはや退役している。長生きしすぎである。頼むから70くらいで死んでくれ。私も70くらいで死にたい。
70くらいなら子世代もまだ40とか50のはずで、孫世代の教育費に遺産を宛てたり、新たに家を建てたりできる。ただ、孫の世話をまかされている祖父母を考えた時に、70は早すぎる。かもしれない。私の祖父は80で死んだ。祖母は認知症を発症し、施設でまだ生きているが90を過ぎ、これは生きすぎだと思う。ただ、戦前生まれの体が頑丈なのであって、敗戦後に生まれた人々はもっと軟弱で、そんなに長生きはしないと思うし、生活習慣が変わったことによる病気も多いと思うので、平均寿命は現実的には80弱くらいになって欲しいと思う。介護現場の人手不足は国の縮図で、少ない現役世代が、自分たちの数倍の人数の入居者の世話をしている。
下の世代が苦しみながら、「もうじゅうぶん生きた、早く死にたい」と言っている世代を支え続ける構図は続く。ただでさえ老人の数が多いところに、出生率1.3というのは、「1.3人の人間の働きで(金銭的にも身体的にも)2人の老人を養う」ことであるから、国が必死になって子供を産ませようとしているのは確かに理論としてはスタンダードだ。
しかし、子供を産み育てる土壌があまりにも貧しくなってしまったために、子供を持つことはかなり難しく、私にはもはや特権化しているように見える。経済面、また、身体面および精神面で一定の条件をクリアし、他人(異性)と生計を一にすることができる人、というのが、現在この国で子供を持つ権利がある人々である。ここがもうかなり狭き門のように思える。異性愛者または子供のために異性と性交することができる人、かつ、健康で共働き+家事+育児ができ、子供の教育費を過不足なく捻出できる人。で、できねェ〜〜〜〜〜。こんな…ハードモードすぎるってばよ。
加えて出産(初産)は30までに済ませておいた方が体の負担が少ないので(と私は思っている)、20代で仕事をしながら、人生のパートナーが誰なのかを見極め、その人と着実な関係を構築しなければならない。ウワーーー!難しいよ。私は友人からもきつく「お前は子供を持ってはならない」と言い含められているとおり、そもそも治療薬の関係で妊娠ができないし、おそらくこの病状では育児にも耐ええないだろう。その前にパートナーがいないことも大きな問題だ。私のような「外れ物」が子供を持てないのはまあ当然として(本当は「家族」というものが欲しかったが…)、それなりに普通の生き方をしている多くの人が、上述のなんらかの条件をクリアしていないために、40年前なら結婚出産をしていたであろう結構なボリューム層が、非婚のままである。
ただ、40年前のように誰でも彼でも結婚出産しましょう、という風潮だと、本来その能力のない人が親になり、私のようなアダルトチルドレンおよび精神障害者が大量発生してしまう。正直、親世代の雑な育児のツケが回って「結婚できない」という人もかなり多いと思う。それを言い出したらキリが無いかもしれないが、ちょうど戦後に生まれた人達というのは、目まぐるしく変わった価値観を土台にする社会を生きながら、親は戦前の四角四面な道徳観念をもっており、それによって躾けられるという、かなり不安定な人達なのである。既にこの世代からして。大人の「未成熟」というのは、敗戦後生まれた人達から始まる問題だと思う。「未成熟」という言い方はよくないかもしれないが、大人としての役割のひとつだと私が思っている、「子供が1人で生きていけるように育てる能力」を有していない人が、この辺りから大量に出てくる。
または、戦前はそこまで個人の責によらず、社会全体でなんとか、どんな子も生きられるようにしよう、という、厳しさ前提の優しさがあったのかもしれない。たとえば子供がだめでも、孫が優秀かもしれない。そうやって、とにかく世代を繋いでいくことが優先されていたのは、日本古来の習慣(家制度)である。敗戦により、新自由主義、個人主義が「日本人なりに」受け入れられた結果、家制度は解体され、本人の希望によってパートナーを見つける形に変わった。それが時代の進歩というもので、これが「自由」である。どんなに下の世代が辛い思いをしようと、私たちは「自由」を手放してはならない。破れ鍋に綴じ蓋だったり、不均衡だったり、時には大きな問題のある相手を宛てがわれてする結婚は終わり、自分にとっての最上の相手を探す時代が訪れた。
そこで、今まで「宛てがわれて」結婚していた層の「問題のある人達」は結婚できなくなり、子供の数は減っている。これは、その人たちの遺伝子が淘汰されるならいいのでは?と一瞬思うが、遺伝というのはそう単純なものではなく、最悪な親からでもまともな子供が生まれたりするので、とりあえず宛てがって産ませよう作戦は、生物の生存戦略としては優秀賞だと思う。
ただし私たちは人間なので、やはり「自由」を捨ててはならない。子供を持たない人間たちは、その仕事によって次世代になんらかのものを残すしか手がない。私たちは「自由」だと体を張って証明すること、そして、自分より後に生まれる命のために、少しでも貧困の構造や社会制度をよりよいものに作り替えておくこと。これは子供を持っている人ももちろんやっていると思うが。私は結局子供は社会で育てるものだと思っているので(親個人の責任はそこまで重くするべきではない)、実際に子を持たない人でも、その働きはひいては次世代のためのものなのだから、誰が子供を持っているとか持っていないとかで揉めるべきではないと思う。
地方で出生率高いのに出生数が増えないのは、子育でできない低収入の男性と余剰の大量の女性を東京にひたすら捨てて上積みだけを残してるからそりゃそうよねーって思うんだよね
なるほどな…。地方(というか田舎)は仕事っつったら介護か中古車ディーラーというイメージだったけど(これは親戚のせい)、むしろそれすらもパイが無くなってきてるという感じなのかな…。
地方で最上位の上澄も東京行くとせいぜい中の中から下で、暴騰した不動産を共働きじゃないと買えないから結局家族残すのがハードモードなのよね
確かにここ数年での東京の不動産暴騰はヤバい。これは少子化にガッツリ影響するわと思う。
まあ東京って言っても、墨田区や荒川区の色んな意味で微妙な区域とか、あるいは千葉埼玉の人気のない地区に行けば今でも4000万くらいでファミリー向け中古マンション買えるから、全く不可能というわけではないけどね。しかし地元で(そこそこ)トップ張ってたような人達が、東京で子供持つためにわざわざそんな生活をするかって言うと…って感じなんだろうなあ。
地方で出生率高いのに出生数が増えないのは、子育でできない低収入の男性と余剰の大量の女性を東京にひたすら捨てて上積みだけを残してるからそりゃそうよねーって思うんだよね
地方で最上位の上澄も東京行くとせいぜい中の中から下で、暴騰した不動産を共働きじゃないと買えないから結局家族残すのがハードモードなのよね
ここ数年で情勢が変わり、前は東京くれば頑張れば子供作れたし地方の上の上も中の上以上の生活できたけど変わって来たよね
産まれた時点で子供残せるかどうかある程度決まって来てしまってる
あ、あとは地方で男性のゆるキャリがありうるとしたら女性ケアワーカーが大黒柱になって男性が自営やるしかないだろうね、このケースはしばしば見る
稼ぎとしては
男性の大企業ホワイトワーカーと強い自営>>>男性大企業ブルーワーカー>>零細自営=女性ケアワーカー>>>その他女性
だから