はてなキーワード: 中学校とは
いま話題になっている南青山の児童相談所。その学区である青南小に通っていたので経験を書きたい。もう20年以上前になる。我が家は、私が小学校にあがる時期に合わせて南青山(5丁目)に引っ越した。卒業後は、他県の私立中に入ったので、引っ越したし、私は今は別の区に住んでいるので、最近の南青山事情は知らない。この話は、表参道の駅が綺麗になる前のことだ。(いまは本当に綺麗な駅だよね)
だいぶ昔なので、いまは少々事情が異なるかもしれない。はじめに結論を書くと、“貧乏な子”たちは児相云々以前に青南小に存在していたし、家庭に事情を抱えている子もある程度いた。そして、私はそういった子たちを受け入れられるような教育を受けた。
児相が出来てもし青南に通うことがあったら、恐らく学校の中で受容されて社会になじめるようになるだろうし、“金持ち”の子たちも多様性を理解できるようになると思う。特に、中学校受験をして私立に通えばそういうバックグラウンドを持った人たちと関わることはほぼ無くなるので教育上プラスに働くのではないか。私はプラスになったと、いま感じている。
さて、青南小学校に通っていた頃、私の学年には100人弱の生徒がいた。その内、4割が越境(近場はガーデンヒルズ。あとは世田谷が多かった)、2割が地元に元々住んでいた人、4割が私のように小学校に合わせて南青山に引っ越してきたり公務員住宅に住んでいた人だったと思う(引越民)。越境の割合はほぼ間違いないが、地元民と引越民の割合はすこし違うかもしれない。
そう、越境が意外と多い。そして越境はだいたい金持ちだ。緊急時の下校班みたいのがあって、帰る路線別に班になっていたので、学校の先生たちも越境前提だったと思う。いまは越境のハードルが下がったと聞くので、もっと多いかもしれない。
また、校舎の目の前とフロムファーストの裏の2箇所に官舎が有り(当時)、財務省が外務省などの役人の子息が多かったように思う。彼らも金持ちだったし、親がプライド高いのか、本人らもプライドが高い子が多かった。とは言え、根は優しいので少なくとも表向きは皆と仲良くしていた。
地元民は意外と質素な暮らしをしていた。彼らは北青山の団地や、根津美術館の脇から西麻布に抜けるエリアに住んでいた。家に遊びに行くと築40以上の一軒家に住んでおり、車も持ってなかったり、持っていても国産車だったりした。家の中も取り立てて豪華でもない。共働きも多かった。団地の子たちは片親だったり、何かしら事情がある子だった。そう、児相に駆け込まざるを得ない子たちと同じ背景を持った子たちである。
そうした子達が問題を抱えていることは教師が生徒たちに説明することもあり、ある子が不登校になった時は(いじめはなかった)、皆で解決策を考えて受け入れられるように環境を変えたこともあった。
私は“金持ち”の部類だったと思う。だが、“貧乏な子”たちも遊んだ。小さい公園が西麻布の手前にあるのだが、その公園でなわとびをしたりしてよく遊んだ。赤坂の米軍基地の裏のサッカー場でみんなでボールを持って行って遊んだりもした。こどもの城のラウンジでカードゲームをして1日中過ごしたりした。子供の間では親の所得や職業などは知っているが特に意識せず、それによって階層が出来たり、仲間はずれができたりしたことはなかった。
過半数の“金持ち”の子は育ちの良いので素直だ。まだ自意識などが固まらないうちに、多様な背景を持つ子と生活することで、損得や利己的な感情ではなく、人と人として向き合えるようになると思う。
いま児相建設に反対している親は他人の子が「かわいそう」などと思わず、自分の子が将来心の広い人物になれるように、児相建設に賛成するようになってほしい。
親の都合で中学校を3回転校して、3つ目の学校できっちりいじめられた。
私以外にも何人かターゲットになっている子がいて授業中泣き出した子もいたし、たまりかねていじめのグループのボスみたいな子に椅子を投げつけた子もいた。
学校に来なくなった子もいた。
私は適度に仮病を使って休んだりはしたけど、それなりに学校には通っていた。
こういう事で不登校になって進学に差し障る方が将来自分が困る、と思った。
いじめのグループの子たちは勉強が全くできなかったので、自分はそれなりに勉強しようと決めた。
そんな時はいじめのグループの子たちをどうやって殺すか、1人ずつ細かく細かくノートに書く、という事で乗り切っていた。
こう書いてても「病んでるなー」と思うけど、自分が死にたいとか自殺したいとかは全く思わなかった。
本当にどうしようもなく辛くなって耐えられなくなった時にはノートに書いた事を実行しよう、と思っていた。
それを心の支えにしていた。
職場は病院だけど先日出勤すると自分が働く病棟にあのいじめのグループのボスが入院していた。
私は整形疑惑を持たれるほど顔が激変したし仕事中はマスクを着用しているので向こうは全く気がついてない様子だった。
ひさしぶりに見たその子はガンでもう歩けなくなっていて車椅子生活になっていた。
まさかこんなところで再会するとは思ってなかった。
何もかもがたまたまだと思う。
たまたまだけど、やっぱり思った。
ざまぁみろ、と。
東大外の人が東大内のイベントに勝手に来て勝手にキレてるのクッッソウケる。
「ディティールは大事じゃない、これは小説だから~~」みたいな意見言う輩、だったら東大生全員のこと悪く言うのやめてほしいんだよ。
悪人は実際の事件の加害者と、小説の中の男達だろ。あの小説を根拠に「東大生の傲慢さの理由を理解した」とか言ってる奴メチャクチャ見かけて嫌になったわ。
東大生が普通の人間だってこと忘れてない??実在する人間が嫌な気持ちになるのわかる??
とか言うと、どーせレイプ犯の描写として一般的な話で~~とか話を逸らされる。じゃあその本の感想書くときにとにかく「東大生は~~」から始めるのをやめろ。つばさは~~とか男は~~って書けよ。
瀬地山角が怒ったのを【マンスプレイング】って言われたのも一緒。東大生や男は強者だから、弱者側の自分は何言っても良いと思ってんだろ。
東大生がこれまでどれだけ勉強しかできない、とか、人間性がゴミとか言い続けられてきたか。小学校中学校とか勉強のせいでイジメられるんだぞ。何が強者だよ、マイノリティに決まってんじゃねえか。
自分のこと貶されて怒ってんのに、言い返したら【女性蔑視】だもんな。正論返したら態度がコワいとか暴力だとか不満タラタラ。そんなんだったら一生、弱者女性としてのアイデンティティ守ってろよ。
瀬地山があれで女性蔑視してるとか被害者意識強すぎてなんも言えねえわ。女性蔑視の現状と小説がそぐわないからキレたんだろ。
ノットオールメンとかノットオール東大生って言いたくなる気持ちわかんねえのかな。
美咲がバカな女として描写されてるからって、女一般をバカだと言われたらどんな気持ちになるか、とか自分に置き換えて考えられねえのかな。
イスラム過激派がテロ起こしても、イスラム教徒が悪いわけではない、OK?
仮定的すぎる話だけど、日本人が犯罪を行う小説が欧米で流行って、日本人丸ごと叩かれても傷つかないの??
しかもその架空の小説中で日本人がチマチョゴリ着てたり、ヨガファイヤーしてたら?本筋じゃなかろうと指摘したくなるじゃん。
東大生が身近にいないからって相手の気持ち考えてなさすぎじゃない??考えてもルサンチマンで正当化するから結論一緒か。
このフェミとか、東大を北斗の拳的世紀末か何かだと勝手に思ってるし。
https://twitter.com/mariasan/status/1073085162479484928
東大の女子は平気ですっぴんで大学来るし、自分の意見バンバン言うわ。
女子が少なくて友人作りづらいとか、そういう辛さはあるんだろうけど、少なくとも俺の研究室や身のまわりではコンパニオンさせられることなんて無い。同期の女は自分でガンガン注いで自分でガンガン飲んでる。
こういうフェミって、女らしい生き方を認められたいのか、女っぽくなくても生きていけるようになりたいのかどっちだよ。
現実知らずに小説を全部信じて論を展開する人アタマ大丈夫かな~~。
あと、フィクションだから描写が正確じゃなくていいんだとか言ってる奴も頭パー。
じゃあこんなテーマ選んで小説書くなよって話な。この小説に意義があるとするなら、実際に事件を起こした東大生らの心理を描写できてこそだろ。それが足りてねえから東大生がただただ冒涜だけされてキレてんだろ。
試験の方式とか学生にしかわかんないようなネタに突っ込む気はねえし、登場人物たちの行動が必ずしも現実通りである必要は全くない。でも、東大生に流れる価値観が狂ってたら全部終わりだろ。
事件の描写は報道された事実に基づいてるのに、東大生の心理描写が残念過ぎて話にならない。普通逆だろ。こんなお花畑思考の東大生見たことねえわ。漫画に出てくる優等生キャラって大体こういうタイプの悪役にされるよな。こんなありきたりな漫画キャラで実際の事件を語った気になってるのウンコすぎる。
大量の非モテとか、彼女出来ただけですげー調子乗る陰キャとか、男女比がおかしいから必然的に自分よりバカな女としか付き合えないとか、現実の方が小説より面白いんだわ。
なんで東大内のイベントに外部の人があんなに来たのか知らないけどさ、どうせ単純な勧善懲悪ストーリー期待してたんじゃないですかー。
東大生の男が自分の加害性を自覚して項垂れる様子を見たかったのかな?
なんで俺らが勝手に自虐しなきゃいけないんだよ。なんで俺らが萎縮してないと気が済まないんだよ。
何もやってない人間が謝れるわけないだろ。
他につけくわえるなら、海外のアニメオタクとの結節点を挙げる。
インターネット上で爆発的にハルヒのミームが増大したので海外アニオタと日本のアニオタの流行が徐々に重なり始めたと記憶している。
それまでは日本の海賊版を輸入したり、ローカライズ版を購入していたためにだいぶ遅れていた海外のオタクがこの時期を境に急速に日本のムーブメントと時を同じくし始める。
https://www.youtube.com/watch?v=5Xx4tszZ-DE&gl=JP&hl=ja
フィリピンの刑務所でハルヒダンスを踊っている動画の投稿日は2007/11/15日だ。
俺は初期からYoutubeで活躍してる人になぜかたまにアニメオタクとかが混じってる理由はこれが原因だと思ってる(PewDiePieとか)
あとどうでもいい自分語りだが、小学生の時からオタクを自覚していた俺は当時は世間的にはオタクは少数派だとなんとなく感じていた。
宮崎勤世代ほど逼迫されていたとは思わないがあまり友人感で話題にすることはなかった。
ただハルヒを及びニコニコを核としてあの辺りからクラスメート間で徐々にアニメの話題をし始める同級生が露骨に増え始めた(もちろん俺の観測範囲内の話だ)
大学は情報系の大学に行ったので入学後はオタク話が半ば当たり前になっていて俺は周囲と同期できなくて逆に困惑していた(ゼミに入った後はオタク仲間が増えて楽しかったが)
そして真にオタクが同年代間で浸透したのだと確信するに至ったのは中学校の同窓会だ。
毎晩、寝る前に自分が遊戯王で一番好きなカード「D-HERO ダイヤモンドガイ」と相性が良いカードを頭の中で作ってはVジャンプに基本紹介的に書かれるようなコンボをレビューしている。
わからない人に説明すると、遊戯王カードの「通常魔法カード」という他のゲームでいう呪文(スペル)とかインスタンスとかいうもので、基本的には「コスト」を払って「効果」を得る。(もちろんノーコストのものもある。)
ダイヤモンドガイはこの「コスト」を踏み倒して「効果」だけを得るぶっ壊れカードで、これに魅せられた私は、遊戯王をすでにやっていないにも関わらず、遊戯王Wikiで通常魔法カードだけをみてダイヤモンドガイが確実に出来ることが増えるのを楽しみにしている。
でも、物足りない。
「D-HERO ダイヤモンドガイ」というのは、2006年だったかに出た。その時の主人公のライバルとして出てきたエド・フェニックス(CV:石田彰)が使うモンスターとして出てきたのが「D-HERO ダイヤモンドガイ」だ。
当時の友達は「D-HERO ダイヤモンドガイってなんて馬鹿げたカードなんだ。普通に使えばいい魔法カードをわざわざ1ターン後に使う意味がない。」という意見だった。
しかし、当時の遊戯王プレイヤーは違った。自分は景品のカードが欲しくて小さいおもちゃ屋の遊戯王の大会に毎週通っていた。
そこでその店のTCGオタクの長である高校生のYさん(遊戯王カードのことを聞いたら何でも教えてくれる)に「D-HERO ダイヤモンドガイ」はどう使えば良いのか?というのを聞いた。
そうして、天啓を得て、少年は「D-HERO ダイヤモンドガイ」に執着するようになる。
だが、仲間内では遊戯王の公式ルールをあまり把握していないものも多く、正式な「D-HERO ダイヤモンドガイ」は増田の勝手な解釈として封じられることになる。
そうして、中学校にあがり部活に勤しむことで実際のカードを買ったり、アニメを見なくなった。
それでも、毎日のように「D-HERO ダイヤモンドガイ」のことは忘れなかった。
毎日毎日、寝る前に必ず「D-HERO ダイヤモンドガイ」はどうすればもっと活躍できるかを考える。
考えるパターンは主に3つだ。
1.「コスト」がおもすぎるかわりに「効果」が大きい通常魔法カード
これは単純に「D-HERO ダイヤモンドガイ」がコストを踏み倒せることに注目したカードである。これが5割を占める。
2.「D-HERO ダイヤモンドガイ」の発動をサポートするカード
つまり「デッキの一番上を操作する」カードであったり、相手のターンを限定的にスキップして即時的に効果を得るカードである。これはバランスブレイカーになりやすいので考える事はかなり多いが採用率は1割に満たない。
遊戯王はシリーズを重ねる度に新しい召喚方法が出るのが遊戯王5d'sというアニメからお約束らしいので、その召喚方法に合ったダイヤモンドガイを作る。これが4割。
このカードが召喚に成功した時、デッキの上からカードを3枚確認する。
確認したカードの中に儀式モンスターまたは儀式魔法カードがあった場合、
その1枚を相手に見せて手札に加える事ができる。
本当にびびった。実際考えていたのは戦士族で同じカテゴリーのD-HEROという名前をもたせたいたが、効果にいたっては
「このカードが召喚に成功した時、デッキの上からカードを3枚確認する。
という感じで儀式関係が全く抜けているがほぼそのまんまだった。3枚というのも一致している。詳しくは省くが3枚はダイヤモンドガイにとって丁度いいのだ。
《終まりの始まり/The Beginning of the End》
通常魔法
自分の墓地に闇属性モンスターが7体以上存在する場合に発動する事ができる。
当時は、「デステニー・ドロー」というカードがあり、そのカードで2枚ドローするというのが「D-HERO ダイヤモンドガイ」の主な使い方だったのだが、
3枚ドローできれば流石にみんな使うんじゃないかと思い、物凄く重いコストで、3枚ドローを何個も考えた。
そのうち一つが「終わりの始まり」にそこそこ近く、考えていたのは「墓地の5枚のD-HEROをデッキに戻して3ドロー」という「墓地を参照して墓地コストで3ドロー」効果だった。これは貪欲な壺というカードのD-HERO限定版だから3ドローしてもいいだろうという判断だったが、後にこういう効果にすると「墓地の5枚のD-HEROをデッキに戻し」はコストではない判定になるので無理だということを知ることになる。
小中学校ではそれなりにいじめられていた。太り気味で走るのが遅かったし。頭はそこそこ回ったので勉強教えてやったりして自尊心を保っていた。だが勉強せずとも授業だけでイケる、みたいな間違った自負を持ってしまったせいで勉強の習慣がつかなかった。
成績ランクに基づいて高校に進学してから、ついていけない科目が出てきた。特に数学。1年の1学期中間テストでは満点近かったのが、期末テストでは30点台にまで落ち込んだ。壁にぶち当たった。だが勉強はしなかった。親は家庭教師をつけようとしたが拒んだ。とにかく勉強が嫌いで、大学に行こうなんて気には全くならなかった。ゲームプログラマーになろうと思って専門学校に進学した。
専門学校の授業内容は簡単すぎた。中学生のときにゲームプログラミングの教科書だけ与えてくれれば、半年で2年分の知識を身につけられただろうと思う。だが楽しかった。ひたすらゲームを作りまくった。ネットゲームを作ろうとして挫折し、3Dプログラミングにも挫折したが、2Dゲームを作りまくった。
卒業が近づいたが、就職しようという気持ちにあまりならなかった。好きだったゲーム会社に1社だけ申し込んでみたが、書類で落ちた。ところで、その頃はエロゲーブームだった。高校の時から憧れていたエロゲークリエイターがいたので、その人の会社に電話してみた。ゲームエンジンを作ってもってこいと言われた。作った。そのときには卒業から半年経っていた。
続く
悪文の見本。添削する。
「かつて」の誤字なのはわかるが「かつ」が並列の接続詞と誤認する。「立憲か、~するか」の「か」を同様に並列表現と錯覚する。
「かつては自民党支持者でしたが、今は野党を支持しています。次は立憲と共産どちらに投票するか……。」
ブルーカラー職で最高の贅沢の昼寝。
ここではイデオロギーなど捨てて今すぐ!ガン寝したい!
「ブルーカラー職」ってあまり聞きなれない。「の」連続はやめろ。「ここ」ってどこだ。
「ブルーカラーにとって最高の贅沢は昼寝。休憩室ではイデオロギーなんか捨てて今すぐ!ガン寝したい!」
この文章の主語と述語を答えろ。何書いてるかマジでわからん。ここでの「すら」の意図はなんだ。
「職場の昼休憩では朝ドラの再放送が人気で、国会放送はその後だ。俺は自分の入眠力を信じてわざわざチャンネル争いはしない。」
お前は本当に助詞の使い方が下手だな。あとここでの「打算」の使い方間違ってるだろ。この行動がどのような意味で「打算」なのか説明してみろ。めんどくさいから放置。
「いや、他に見たいものもないのに国会中継を切るのもノンポリ過ぎてダサいという打算もあってのことだけど。」
イザ寝ようとして安倍総理が何か話していると……無視できる(どーせロクな内容じゃないんだろうなぁ)とか決めつけつつ、睡眠浴のため雑音として処理できる。
仮定の話をするなら仮定とわかる表現をしろ。句点を抜くな。助詞を雑に抜くな。
「イザ寝ようとしたときに話しているのがもし安倍総理なら、それは無視できる。(どーせロクな内容じゃないんだろうなぁ)と決めつけて、睡眠浴のための雑音として処理できる。」
対して野党の主張
ここで安部総理と対比されてるのは「主張」じゃなくて「話し方」だろう。「安眠の妨げ」が意味的に前者2つと並列関係になってない。「内容は」「最近は」と同じ助詞を連続するな。あと「内容は」の述語ない。「善戦している」の主語は「野党」。
「それに対して野党の話し方はどうか。耳に付くし、感情的。安眠の妨げでしかない。発言内容は悪くないし、最近は善戦しているって聞くから応援したいけど、この声をBGMにして昼寝するのはキツい……。」
主語と述語がぐっちゃぐちゃ。「視る」じゃなくて「観る」。なんの入門なんだ。ここで例にしてるのってお前だけだろ、勝手に主語を大きくするなを
「そもそも、日本の国会中継ってどんな人が観ると野党は思ってるのでしょうか?
少なくとも、俺みたいなノンポリから一歩進もうとしている「国会中継入門勢」や、前番組からの流し見してるだけでチャンネル変えるのも億劫な「ながら作業勢」。
そういう人たちにとっては、何となく目に映った野党の姿が「他人を激しく糾弾している様子」ということだけで、印象が悪いです。
今、未来の日本のために野党の意見を直接聞くのは大事だろう。ただ、毎日が控えの休憩室、テレビを付けながらの家事。必死に一日生活している中で、がみがみがみがみ聞こえてくると、内容無視して自民に入れたくなる気持、分かるなぁ。
この「今」って要らんでしょ。お前「直接」聞いてねーだろ。「控えの休憩室」ってなんだよ。お前中学校で文法の勉強雑にこなしただろ。
「日本の未来ために野党の意見をちゃんと聞くのは大事なことだ。ただ、毎日必死に生活している国民が、仕事の休憩時間や家事をしている最中に、野党の政治家の声がみがみがみがみ聞こえてくるとしたら、内容を無視して自民に入れたくもなるだろう。その気持ち、俺には分かるなぁ。」
自民は大人しいなあ。余裕で無視してねむれる。これで、午後の仕事も何とかポカやらず終えられるぞ!やった!派遣期間延長が、見えてきた!
「大人しい」は所作への表現だからここで言及すべきは音に対する感想。
「自民の答弁はうるさくないなぁ。簡単に無視して眠れる。これで、午後の仕事も何とかポカらず終えられそうだ。やった!派遣期間延長が見えてきた!」
私は面接が苦手だ。志望理由とかそういうのを書くのも嫌だ。でもやっぱり面接が一番嫌だ。ほとんどトラウマと言っていいかもしれない。
忌避感は中学生の経験がおそらく原因だと思う。そのころももちろん面接が嫌だった。周囲の高校はほとんど入試に面接があったが、少し遠いところに面接の代わりに小論文を課す高校があったので、私はそこを志望した。他を受けるつもりはなかった。
ところが中学校で突然学年全体で模擬面接の時間が設けられた。私は拒否したが、先生には「将来、絶対面接の機会があるんだから」と無理矢理参加させられた。
多目的室に学年主任とか教頭が座っていて、そこに生徒が4,5人入った。みんなすらすら答えていた。私は面接を受けるつもりがなかったから当然対策も何もしておらず呆然としていた。
私に質問が来た。たしか「最近気になったニュースは?」とかだった。世間話ならなんとか頭を回転させて答えられたかもしれない。でも無理だった。何も言えなかった。教頭か誰かが「おいおい、練習してきたの?」と苦笑いで言った。するわけない。する必要がないのだから。涙が出た。模擬面接が終わって、部屋の外で大泣きした。嫌だった。面接そのものも嫌だったが、なによりも、自分で嫌なものを回避する道を発見したのに、たいしたことのない理由で直面させられたのが本当に悔しかった。
いま私は無職だ。ほぼ奇跡的に面接を乗り越え入社した会社を4ヶ月で辞めた結果の今の境遇だが、再就職ができない。
退職の理由はいろいろ面倒なので割愛するが、概ね上司から理不尽な指導を受けたからということに起因する。理不尽。本当に理不尽が無理だ。
人と人が関わる中で自分は悪くなくても飲み込んでいかなければならない不条理もたびたびあるだろう。それは百歩譲ってよしとする。だけど、どうしてそれを「社会ではそういうこともある」と許容しなければならないのだろう。その態度の問題だ。理不尽なことには怒りをもって改善の道に向かいたいのに、なぜそれを許してくれないのだろう。
それは、きっと皆が疲弊しているからだ。環境が、それを許さないからだ。怒るにはエネルギーが要る。理不尽なことがあっても「世の中そういうこともある」と流してしまったほうが明日も生きていきやすくなる。
けれどそれは、どちらかといえば病んでいる、と私は思う。そして社会には、というか私がいた職場には改善へ向かう怒りを疎む空気があった。現場が回っているのだから、なぜ新人が口を挟むのかと。だから、辞めた。
仕事をしていた頃、駅までの行き帰りで何度も泣いた。中学生の頃感じた理不尽さがまた私の前に現れていたから。
上のような怒りを知り合いに表明すると「あなたはまだ若いからそう思うんだよ」と言われる。年をとるから、あんな風になるのか。それは、イコールではないはずだ。あれはただ、心が摩耗しただけのはずだから。私はなるべく心を摩耗させたくない。理不尽さに怒るのをやめたくないし、そもそも理不尽に出会いたくない。
せめて、理不尽さを無くすことに心を砕きたくても、それすら理解を得られない。
頑なに心がすり減るのを拒んだら、きっと何年も精神科に通う羽目になるのだろう。そんな人たちが周りにたくさんいる。
病むか、病む前に心を殺すか、結局その二択しか私の前にはないのだと思う。
レコードの針には、大きく分けてMMカートリッジというものとMCカートリッジというものがある。
レコード針は小さな発電機の様なもので、簡単に言うと、レコードの溝に合わせて針が動くことでコイルと磁石がスコスコと出入りして電流が流れて、その電流がアンプで増幅されてスピーカーを揺らす、と行った感じで音が出る。
中学校の理科で習ったフレミングの法則とか誘導起電力とか、あの原理だ。
ちなみにMMというのはムービングマグネット、つまり磁石の方がスコスコと動く。これに対してMCというのはムービングコイル、つまりコイルの方がスコスコと動く。
メーカーやクラスによっても違うので一概には言えないが、一般にMCカートリッジの方がMMカートリッジよりもレコードの溝から音を再現する能力が高い、と言われていて、30kHzとか40kHzの高音をちゃんと出すためにはMCカートリッジの方がいい、と言われている。
(もちろんそのためにはアンプもスピーカーもカートリッジ以上の十分な性能がなければいけない)
…
ところで、私こと増田はMCカートリッジを愛用してたのだが、最近針がヘタって調子が悪いなあと感じながらもなかなか新しいカートリッジを変えずにいた(※正確には針ではなくカンチレバーというバネの様な部分がへたってきているみたいだった)。
調子の悪い針を使うとレコード盤を痛める心配もあるので、ここ半年くらいは思う存分レコードを聴けずにいた。
しかしふと谷山浩子の古いレコードを聴きたくなり、思い立って、一応保管してたプレイヤー付属のMMカートリッジを取り付けて聴き始めた。
…
その、音の良いことときたらなかった。ここ二、三年で聴いたレコードの中で、間違いなく一番良い音だった。
小学校や中学校に通っていた頃、そいつはどこででも吐く奴だった。
下校中も登校中も教室でも吐いていた。
ただの体調不良ならばまだ不憫なやつということで良かったのだが、そいつは吐いた後にそれを嫌がらせのように人に擦りつけたりしようとする人間だった。
彼は転校してきたのだが、徐々に有名になって学校中で避けられていて、それというのも、年齢すらも無差別に吐瀉物を擦りつけようとしにくるからだった。
ただ、狙っているのは女子が多かったから全く知能がないわけではなかったように思う。
この男子生徒について、噂で聞いたところによると
「母親が息子の知的障害を認めたくなくて特別学級にすら入れるのを拒んだ」そうだ。
それは、彼にとって大変不運なことに思った。
もう彼は20を越えた頃だろうか。
高校生になった頃、自分は引っ越してしまったので彼のことはもうそれ以来見たことがない。
中学生の頃ですらまだ吐き続け、避けられていた彼は、いまどう暮らしているのだろうか。
彼は知的障害者だったのだろうか?
まぁそりゃそうですけどね。どこの時代もそんな奴おるでしょ。
夫と学生時代に不良居たかどうかの話をしてたんだけど(30代半ば)
そういやちょっとケバくて先生に注意されてた女子が中学生のとき一人おったくらいで(
茶髪・ピアス、休日見かけた時化粧してた(明らかに顔が子供なので浮いてるw)くらい)
あとは見たことないなあという事に気づいたわ
転校前の地域だと、
埋め立て地で超住宅街でダイエーとコープと公園と警察署と消防署しかなくて
幼稚園からうっすら子供が全員顔見知りな環境でグレるの難しいよね
中学で7組くらいまであった
みんないい意味で子供っぽくて女子中学生が校内で鬼ごっこ遊びして怒られていたという
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
Twitterで元記事が流れてきて、自分も同じような境遇だったからちょっと書きたくなった。
自分も両親がヤンキーで(父親は高卒で的屋の元締め、母親は中卒で水商売してた。)、教育に金を掛けるなんて発想は全くなかった。
父親はアル中でDV気味だし、母親はひたすら週刊誌を読んでるだけの人だから文化的に良い影響を受け継ぐこともできなかった。(というかそもそも無いし)
生まれた所は港湾労働者が集まる町で団地も多くて、小学校で運動会とかあれば金髪の父兄がひたすら飲酒しながら怒号をあげて応援しているような地域だった。
大卒なんてもちろん近所にいなかったから、自分は高校を出たら働くんだと幼い頃から思っていた。
でも中学校の時にすごく教え方の上手い数学の先生と出会って、その人のおかげで勉強が楽しくなった。
どうせ家に帰っても地獄だし、ずっと図書館で参考書漁りながら勉強してた。
そのおかげか高校は県内で一番の進学校に進むことができたんだけど、友達はだいたい工業高校か私立の誰でも入れる高校に行ったから新しく友達を作らないといけなかった。
だから入学してから色々な人に話しかけてたんだけど、みんなが当たり前のようにする話についていけなくてびっくりした。
習い事でピアノをするとか、海外旅行に行くとか、ほんとにそんな人いるんだって初めて知った。
でも、よく考えると目の前にいる恵まれた子たちも祖先の誰かが頑張って身を立てたから今があるんだなって思って、自分がその祖先になった気持ちで頑張ろうと思った。
そうやって惨めな気持ちがありつつもとりあえず頑張ることにしたおかげで、なんとかゴリラが現総長をしている大学に入ることができた。(当時はカレー好きの人が総長だった)
大学ではもっと上流の人たちがうじゃうじゃいて惨めな気持ちは加速したけど、色々と頑張ったおかげで学生生活を楽しいものにすることができた。
未だに実家に帰るたびにキツい家だなとは思うけど、努力したおかげでなんとか楽しい人生にはできた。
自分も「努力すれば解決する」価値観は無かったけど、とりあえずやってみたらどうにかなったし、やっぱり今までの諸々を赦した上で自分が何かを始めるしかないんだと思う。
今までの環境を赦すには本当に辛いものがあると思うけど、理想を持って信じて行動できるのが人間のいいところだよ。
多分ドリルとかの文物よりもランニングとかそういう身体的なものから入った方が話のネタにもできるし周囲と関わりやすいしオススメ。
0歳 誕生と同時に就活。つかまり立ちができるようになった頃、社長から直接、入社のオファー。母乳で乾杯。
3歳 10日連続、特許を取得。特許許可局からもお褒めの言葉。パパの収入を超える。おねしょを治す特許も視野に。
7歳 会議後、思わずスカートめくりをしてしまい、女子社員に泣かれる。アフリカに左遷。パパから始めてぶたれる。
10歳 朝の散歩道に落ちていたダイヤモンドが鉱山発見のきっかけに。すったもんだの冒険活劇の後、イタリアマフィアの親分と義兄弟に。
15歳 子会社Docomoの神田駅店に呼び戻される。経営方針についてハゲデブ店長(後のソフトバンク社長)と揉めるが和解。AVを貸し借りする仲に。
20歳 30日連続特許取得。同じ部署のボンキュボン(実は、au社長の一人娘)に言い寄られ陥落。年収は億に到達。ゴーンとランチ仲間になる。
25歳 デスクで昼寝中うんこをもらす。社内いじめの標的に。カウンセリングに通い、薬の服用も。ドクターコパをdisった罰だと思い当たる。
29歳 そういえば、小学校も中学校も高校も大学も行ってないことに気づく。母親にくってかかる。一日中ゲームに入り浸る。
30歳 出社したデスクに乗っていた花瓶を見て退職を決意。せめて係長を殴ってからと思ったが極真黒帯なので断念。退職金はQUOカード5000円
https://anond.hatelabo.jp/20181128191150
この一文で増田が人でなしのように言われてるけど
地域によっては実際にあるよね
10~15年前の中学校の話
叔父さんの葬儀で部活を欠席した女子がいちゃもんつけられて顧問の男性教師に突き飛ばされて机に頭をぶつけた事件があって
傷や痣ができるほどじゃなかったから表沙汰にはならなかったけど
もうこいつクビにしろよって思ってたら次の年養護学校に異動になってて本当に愕然とした
そりゃあ熱心ないい先生もいるけど「30人学級を担当する力量のない人」が選ばれることも多いかなという印象
人数が多かったり難しい生徒が多かったりする学年は実力ある先生が振り分けられて消去法でちょっとアレな人が残ったり……
はてなーって凄くいいところに住んでるんだろうなあって思う案件がまたひとつ増えた
いや私が住んでるところが民度低いだけか