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2016-03-07

おまえたちに@コスメは見えているか

先日ホッテントリになった、メルカリすげーという記事。それに、現実リンクしたウェブサービスは強いと書いてありそれが斬新な意見のように受け止められていたが、ウェブ界隈で働いてる奴らはその程度の認識すらなく飯を食っていたのかとびっくりした。現実を便利にするウェブサービスマジョリティに届くし、ウェブを便利にするウェブサービスメジャー化しない。それは10年前から常識じゃなかったのか?

まぁいい。そんなおまえたちに@コスメは見えているのか聞きたい。

コスメクックパッドと並ぶくらいに成功しているウェブサービスだと思っている。クックパッド技術ブログを出している。だからウェブばっかり見ているおまえたちでも気づくサービスだ。だが、@コスメ技術ブログを出さない。だからおまえたちは気づいてない。…のだろうなぁと思っている。

コスメの何がやばいのか?特に渋谷新宿上野など、都内各地にある@コスメストアの存在やばい口コミの力を背景に、今まで出来なかった形態化粧品販売できてるのがやばい

ここでおまえたちの大半を占めるであろう男性に軽く説明すると、コスメには主に3つのランク存在する。プチプラコスメDSコスメ、デパコス、だ。順に、〜1000円代化粧品、〜3000円代化粧品、それ以上の青天井、と、このランクは主に値段別で決まるが、もう一つ重要な要素がある。ブランド感だ。ブランド感を維持するために、プチプラコスメとデパコスが同じ場所販売されることはない。それが常識だった。

だが@コスメストアは違う。口コミで人気があるなら、それがプチプラだろうとデパコスだろうと同じ店頭に並ぶ。これは正直革命と言っていい。一つのウェブサイトユーザーの支持を背景にここまでできるようになったのだからメーカー販売戦略を、トップダウンからボトムアップへ転換させたのだ。何度も言うがやばい

当然、@コスメは@コスメストア以外の基本的ウェブサービスにおけるマネタイズにも手を出している。人気順ソート口コミの詳細な絞り込み、口コミされた商品通販、各メーカーとのコマーシャル契約。正直詳しい数字は知らんが、もう10年以上サービスが続いているのだ。これらにおいてもある程度の成功はおさめているだろう。

ギークの目に届かないところで大きな成功をおさめているサービスはある。おまえたちがウェブに詳しくアーリーアダプターを気取っていようと、そもそも客層が違えば見えないものはある。そのウェブ企業ギークの方を向いていない、それだけでそのウェブ企業が巨大化し無視できなくなるまで気付かないのは、あまりに寂しい。

まぁウェブなんて現状使えば使うほど個人にカスタマイズされていって、自分の興味のないものは見えなくなるタコツボ化する方向に向かっているから仕方ないが、そこで自分と違うものを引っ掛けるアンテナを持っていてほしい。そして私のような技術わからん人間にも持てるようにしてほしい。

ウェブが見たいものしか見えない世界になるのは、心地よいけど緩慢に死にそうでスッゲー怖いよ!

2015-08-07

「おいしい」ってさ

http://anond.hatelabo.jp/20150807092025

『とっても美味しいです!』

6畳程の小さな店に響き渡る様に叫んでしまったことがある。他のお客さんがいるのに。

そんな高給取りじゃないけど、一人暮らしだと全く困らないくらいの収入があって、都心にすんでて、女性モテたいからちょっとこじゃれている店を廻って、dancyu読んだり、肉を美味しく焼くためにcooking for geeksとか読んでるとさ、なんとなく「美味しさ」って何かわかってきた。ような気がする。

好きな異性と一緒に食べると美味いっていうのは間違いないけど、間違いだよね。

セックスのことばかり考えてたらそりゃ味もわからなくなる。今目の前にある飯なんてどうでもいいんだもん。相手の女の子がどこに住んでで、何時終電で、今食べる場所から徒歩5分以内にちょっと薄暗いけれども気後れしない程度のBARがあって、そこからホテルまでどう移動するかを相手にストレスなく完遂することが重要から、味なんてどうでもよくなってしまう。

そら何食べても”美味い”以外の感想ないよね。

冒頭の叫びは、創作フレンチのお店なんだけど、いままで食べたことがなかった旨味だった気がする。それが最初から最後まで綺麗に整えらていて、ストーリーがあって、ワインべらぼうに美味しくなって、もう何食べてるかわからない状態だった。

そこのお店は食べログではそこまで評価が高くないから、その旨味、味付け、コスパが気に入らない方たちがいらっしゃったようだ。

だけど俺は連れて行く女の子を変えても、セックスできるか微妙な子を連れて行っても、全然そのお店の味は『とっても美味しい』。

んで、気に入って年に何回か食べに行く。

そこくらい美味しいお店がないか、探す。

そうすると、味覚がボトムアップしているのに気がついた。

今まで”そこそこ美味しい”と思っていたものが”あまり美味しくない”になる。

このお金だして、この味はないな〜とか思ってしまう。

一番味覚のボトムアップを感じたことが、母親料理がそんなに美味しいと思わなくなったことだった。

母親はどこかで料理修行をしたことはないけど、高校生の頃から家族全員のご飯を作ってきた人らしく、俺が友人を家に連れてきて母親が食事を振る舞うと、全員もれなく絶賛していた。俺も美味いと思っていたし、他のお家で頂くご飯とか、彼女手料理自分母親より美味しいと思ったことがなかった。

それが久しぶりに実家に帰る。母親嬉しい。ご飯張りきって作る。

なのに”美味しい”から、”そこそこ美味しい”になっていた。

表現としては、深みがないというか、ボディが弱いというか。

なんか食べてて物足りない気がした。

味が薄いということもないし、変な雑味があるわけでもないんだけどね。

安心の味付けで、懐かしいという感情は変わらないんだけど、口の中ではどうも『うぅん?』という、物足りなさを感じた。

その物足りなさを感じたとき

『おいしい』がわかると思うと、俺は思う。

2015-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20150526100205

逆だよ。

その形態だとメリットがない。

メリットというのはお金がキチンと手に入ることで、デメリット不安定さやコケた時の悲惨さ。

ダメ出しだけだと何なので、後でそのアイデアに載る形の話は広げるけど、まずツッコミからね)

完成したアニメオンデマンドで販売。価格は216円。

これを繰り返し、当たるまで続ける。当たったらキャッシュが入ってくるので、現場の単価を上げていき、人材を囲い込む。次作の制作。以下繰り返し

多分気がついてると思うけど、これ売れたの100本だった時、2万1600円だよね。

マイナス597万。一本目で潰れるところ多数だと思う。

600万円x当たるまでの本数、延々と赤字が続く。

そもそも金払わないと動画も受け取れないので、「先に」金が必要になる。

で、資金クラウドファンディングで募るって言ってる所に矛盾があるけど、

クラウドファンディング出資する人達も216円払うの?

お金払ったんだから、当然タダで観たいよね。

そうすると「クラウドファンディング出資する素人」+「それで出来たアニメを買う素人」を確保する必要がある。

ここまで行くと判るだろうけど、だったら知財を手放して、製作委員会方式で金だけ貰ったほうがメリットが大きい。

独自で売ってのくのが難しい&単価が安い

そもそも論として、邦画アニメ崩壊Xデーが近いっていうのは、散々言われてる通り単価が安いから

キチンと賃金を確保した上で、やり方を考えるという、積み上げ式にならないといけない。

トップダウンじゃダメで、ボトムアップ式っていうのかな。

DIY声優とか一番やっちゃいけないんだよ。

そうやって考えると、同じアイデアでも、真逆の考え方をしないといけない。

動画12人月で111万「だからアニメ崩壊するって言われてるわけだ。

原画マン候補の動画マンを2年、原画、何れは作監という流れに乗せる。

動画月産500枚は、20日働くなら日産25枚。1時間3枚を8時間延々と続けられる必要がある。

これって、アガリに近い状態で、原画に行けるぐらいの「継続して持続可能枚数の限界」に近い。

そうやって考えると、最初1年は月産250枚、2~3年目で500枚ってところで、平均で考えて350枚程度が基準

さらフリーランスなら最低でも年収300万という状態でないと継続して人が来ないだろう。

これをまず土台にして、積み上げないとダメ

そうすると、アニメ1回分やって動画枚数3500枚なら、10人月動画マンを「雇える」。

まともな雇用を生み出さないのであれば、ブラック一直線ゴールは崩壊から解決しない。

産業として成り立つには、この「雇う」という感覚大事

単価を設定したら積み上げ

動画

単価715円、動画月産350枚で1人動画マン養成できると考えると、これを最低2年は継続しなきゃイカン

新規手法に全力で行けるところはないだろうから、月1回アニメってのはラインとしてはアリだと思う。

こうすると、月1回アニメ動画3500枚、動画マン10人を養成できる。全24回、2年。

原画

で、原画も月産50枚が継続限界値とすると、同じく月35枚程度を基準に考えるのが無難

原画を雑に350枚(若しくは増えた分は単価から削る)とするなら、月10原画マンを雇える。

で、以後面倒だから繰り返さないが、要は関わる人間全員が年収300万確保できるようにしないとイカンのよ。

作監、背景&美術シナリオ絵コンテ制作進行

まあ、4人とかちょっとどうかと思うが、新人育成の為と思って我慢してもらって月25万。

制作進行は、後で述べるクラウドファンディング周りの事務方兼用な。

声優音響

まあ、どう考えてもアニメにして声無しは厳しい。

アニメ(ーター)見本市で2人で回してるけど、うーん。無理じゃないか。

倍の4人と見て、音響周り全部やってもらって+1人。

この時点の小計

動画マン10人、原画マン10人、声優4人、その他5人。計29人。月725万

まだ人件費だけな。

機材家賃交通費諸経費諸々限界で月50万ってトコだろう。月775万。

クラウドファンディングだって無料じゃないから手数料諸々込みで10%載せて、月850万は集めたい。

月850万を、2年間継続してクラウドファンディングで集め続けるんだぜ。

総計2億4百万。ここまで行けば、後続もついてくるし、関連グッズも売れるだろ。

まとめに変えたポイント

要は、いかに金を集めるかがポイントで、それで「年収300万円動画マンを雇う」のが全て。

関係者全員が年収300万円状態のプロジェクトなら、たぶんガンガン人が集まるからそこは心配しなくて良い。

サラッとクラウドファンディングとか書いてたけど、そこの「集金」がほとんど全てだよ。

でさ、この29人がまとまって頑張るために金を集めるっていうのは、まんまスポンサーを探してアニメ作るのと同じな。

そこが難しいし金出す側からすると旨味が無いから製作委員会方式になったわけで。

逆に言えば、「新作アニメが月1回分見られれば500円出しても良い」ってヒトを1万7千人集められれば、行ける。

日本アニメ崩壊させないために、2年越しのプロジェクトで月1回だけアニメの新作が見られます

それに1万2千円出してくれるヒトを1万7千人集めてやっと、10人の動画マンを年収300万円で雇える。

しかもこれ概算で、たぶん手弁当でももっと金かかるんだよね。しかも儲けは関連グッズ頼み。

面白いかどうかもわからないアニメに、先に1万2千円出すやつを2万人近く集められるかな。

それでもすべての基礎になる動画マンはたったの10しか雇えない。

どうよ、資金出してくれるトコ探すの難しいの判るだろ。

アニメを作るのが難しいんじゃないのよ、先立つモノが無いのよ。

しかも、製作委員会からすると、上の単価の1/3程度でいくらでも代わりの制作会社がいる現状よ)

(まあ良く考えると、上の計算ってカネの出所と単価以外は、OVA連作映画アニメとおなじになるのかな?)

2014-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20141104113539

給料物価も少しづつ上げていこう、

要はインフレ進めて行きましょうって話だよね。

目新しい話じゃない、いまの政府もだいたい同じ方向だとおもうけど。うまくいってないだけで。

どっちかというと

最低賃金の引き下げor撤廃のが効くんじゃない?

最低賃金が枷になって人を雇えなかった分野、林業とか農業とかで雇用できるようになる。

街中でもいままで1人しか雇えなかったところが2人、3人雇えるようになる。

地方の職不足も解消する。つか圧倒的な人手不足

老若男女、働き口が無く収入ゼロなんてのがなくなる。

わずかなりとも収入があれば、わずかなりとも消費を生む。

国全体でみれば相当なものになるだろう。

人件費圧縮できるので、物価サービス料金の低下も見込まれる。

いまでもエブリデイロープライスで1000円あれば3食賄うに充分だし、地方なら月3万で住む家も見つけられる。

給料は安くても物価も下がるのであれば生活には問題ない。

収入少なければ税金も安く付く。

働き口に困らない、わずかなりとも収入が途絶えないって前提があればチャレンジへの敷居も下がるだろう。

ボトムアップ社会流動性が高まれば、それは利益率高い分野にも波及する。

問題としては

海外から輸入するもの、具体的には石油が高いままってところかな。

2014-04-09

オブジェクト指向 v.s. 関数型プログラミング

近年、関数型プログラミング重要はいろんなところで叫ばれています

Javaの最新バージョン関数型プログラミングに関する新機能が加わりました。

Rubyも昨今、関数型プログラミングへのサポートが手厚くなってきています

プログラミング教科書大手オライリーからJavascript関数型プログラミングを行うための解説書が発行されました。

関数型プログラミングへの注目度は高まってきています

おそらく、みなさんは既にオブジェクト指向が何か、を知っています

でも関数型プログラミングとは何か、胸を張って語れる人は、周りに見当たらないかと思います

実際、オブジェクト指向によってプログラミングする方法は、わかりやすい解説があちこちにある一方で、

関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、ということについての、よいまとめは見つけることはできませんでした。

この記事を読む方の中で、「関数型プログラミングを取り入れるか・取り入れないか」で切実に悩んでいる人は、おそらくいないでしょう。

この記事はあまりかいところに立ち入りません。関数型プログラミングを使う側の立場に立って、利点や向き・不向き、それが導くスタイルを書きました。

みなさんは鳥のように飛んで、高い空から関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、を見渡してください。

ふたつのアプローチ比較

オブジェクト指向アプローチは、名前をつけてプログラムを整理する

関数型プログラミングアプローチは、汎用部品でなんとかする

オブジェクト指向アプローチ

Googleが近年リリースした言語、Goには、”継承”を直接サポートする仕組みが無いことが話題になりました。

また、Mac OSXの基幹ライブラリCore Foundationは、ライブラリ自体C言語で書かれているにもかかわらず、その設計方針は明確にオブジェクト指向です。

継承クラスは、オブジェクト指向必須条件ではありません。

オブジェクト指向本質とは、何でしょうか。

その本質とは"名前をつけて対象を識別し、それを扱うこと"、にあります

最もプリミティブなオブジェクト指向対象は、ファイルハンドラです。あるファイルを開いて、読み込んで、あるいは書き込んで、ファイルを閉じる。

これらの処理をまとめたら、わかりやすいですよね?

対象に関する処理を、対象の周りにまとめる。これがオブジェクト指向の基礎的な理念です。

識別することとイコール比較できることは、とても良く似ています

イコールによる比較は、オブジェクト指向では鬼門であることが知られています

PointクラスインスタンスとColoredPointクラスイコール演算をどう決めればいいかに、正解はありません(詳しくは"effective java"をご参照ください)。

また名前をつけて識別する対象は、フワフワしていてはいけません。

たとえば、"軍人階級"をオブジェクトにしたとしましょう。"大佐"クラスのある兵士名前フィールドや、性別フィールドを持っているでしょう。

ところで彼が昇格したときに何が起こるでしょうか。

新たに"少将"クラスインスタンスが作られます。"大佐"クラスを破棄する前に、名前性別、その他沢山のデータを引き継がなくてはいけません。フィールドを増やしたい場合はその都度コード修正を加える必要があります(*)。

なるべくイコール比較を避けたい。対象不安定なものはいけない。では何に名前をつけて、識別するか。そこにオブジェクト指向技術者の熟練度が現れるのです。

関数型プログラミングアプローチ

一方、関数型プログラミングでは、特定の何かに名前をつけるより、極力、汎用部品でなんとかしようとしま

さな関数を、集めて撚り合わせて、新しい関数を作る。

関数自体リストなどのデータ構造に詰めることもよく行われます

実は、関数型プログラミングというのは本質を表していません。

その真の名は、"値指向プログラミング"です。

関数をはじめとして、リスト・ツリーのようなコンテナ手続きを抽象化したもの、回路を抽象化したもの

あらゆる対象を値として、合成し、ときに分解し、新しい値を作ります

変数という概念必要ありません。

変数適用する処理を作りあげることが、とても簡単だからです。

四則演算定義されたデータを詰めたデータ構造もまた、四則演算可能だったり。

値をイコール比較することも、なんのそのです。

誤解を恐れずに言うと、オブジェクト指向トップダウンなのに対し、関数型プログラミングボトムアップです。

関数型プログラミングの利点

読みやすい・理解やす

関数型プログラミングサポートする言語には、沢山の汎用部品定義されています

このような構造インターフェイスとして、様々なライブラリが組まれているので、

たとえばモナドを知っていれば、30分程度でパーサー(解析機)を理解することができて、

パーサーを理解できれば、JSONパーサー・ XMLパーサー・markdownパーサー・C++パーサー ... などを理解するのはとても容易です。

理解やすいこと。これが関数型プログラミングの大きな利点です。

追記:

また、汎用部品と型のお陰で、ライブラリドキュメントが圧倒的にひきやすい、というメリットも有ります

Haskellな人がPythonにトライした結果 - Togetterまとめ

書きやす

関数型プログラミングは「厳密な事前設計必要とするため、簡単なことをやるのにも時間が掛かる」。

よく誤解されていますが、これはウソです。

スクラッチプログラムするのは、非常に手軽です。

>> map (*2) [1,2,3]
[2,4,6]

邪魔な”儀式”や、"おまじない"のコードが徹底的に撤廃されているためです。

関数型プログラミングコードは、潔癖かつ濃密です。

たとえばC言語でint hoge(int x,int y)が定義されているときhoge(3)はなんの意味も持ちませんが(コンパイルコケますが)、関数型プログラミングでは意味があり、実際に有用です。

上の例では、「掛け算をする」(*)関数は、二引数関数ですが、それに引数を渡して作られた「2を掛ける」関数(*2)は、一引数関数になります

関数型プログラミングでは、「簡単なことは簡単にでき、複雑なことは複雑にできる。ただし、間違ったことは殆どできないか、全くできない」。

多くのバグは、コンパイルエラーとして検出されます

また、静的型付けの力によって、コード補完は非常に強力になっていますインテリセンスの比ではないです。

たとえば、関数中のある表記の型を任意に表示できます(GHC/TypedHoles - HaskellWiki)。

やがてやってくる未来には、プログラムテキストエディタで書くことは時代遅れになっているでしょう。

統合環境サポートで、バグミスの少ない、スムーズプログラミングができます

そしてその環境で動くプログラミング言語は、関数型プログラミングサポートした言語なのです。

いつ関数型プログラミング

以下の様な兆候を感じたら、あなたはそのプログラム関数型プログラミングで書くべきです。

一般に、オブジェクト同士の相互作用が複雑になるほど、オブジェクト指向では手に負えなくなっていきます

そういうときは、オブジェクトを直接扱わず、替わりにその"相互作用"を扱うことで、複雑さを軽減するアプローチ有効です。

それこそが関数型プログラミングアプローチです。

オブジェクト指向の利点

初心者にとっては読みやすい・理解やす

特にオブジェクト指向有効なのはプログラミング初心者がそのコードをいじるかもしれないときです。

関数型プログラミングは、強固さと柔軟さの代償として、高い学習コストを伴います

そのため、初学者にとってはハードルが高いのです。

扱う対象があまり複雑でない時は、書きやす

オブジェクト間の相互作用が複雑でなく、着目している(名前をつけている)概念が安定しているとき

そして、プログラムをいじる人たちの間で共通理解が図れているならば、オブジェクト指向が有利です。

関数型プログラミングの得意分野はなにか

数値計算

遅延評価という機能によって、レガシー言語で扱えなかった、巨大な数を扱うことができます

分数を扱うことができます虚数もです。

関数型プログラミングで書かれたプログラムは、正確さが要求される、金融関連の業界で使われています

テキスト処理

手続きとしてパーサーを記述できるので、テキスト処理プログラムはより理解やすく、メンテナンスやすものになります

関数型プログラミングを知らない人は、「正規表現おk」と言いますが、

彼の書いた複雑な正規表現は、半年後には(書いた本人でさえ)理解できなくなっていることでしょう。

並行処理

手続き一般を扱うことができるので、途中で割り込みのある手続きの表現も容易です。

関数型プログラミングサポートしていない言語ではコルーチン(ファイバー)などをつかってなんとかするしかありません。

さもなくば、非並行処理では普通に関数として記述できるところを、並行処理のために、Builder,Strategy,Command,Interpreterパターンを駆使して書き直すことになります

Javascript使いの方は、Deferredなどの構造を使うでしょう(http://qiita.com/KDKTN/items/4c6986049d204f0645d8)。

C++使いの方はBoostで頑張りましょう。破滅的に解りにくいコンパイルエラーメッセージと格闘してください。

レシピ

もう少し簡単な例をあげます

あなたは、あるレシピにしたがって、自動的料理を行うマシン制御プログラムを書いているとしましょう。

料理レシピは、"手続き"ですよね?たとえば、カレー

1. まず玉ねぎを炒める。

2. 飴色になったら、肉を加えて炒める。

3. 野菜を加える。

4. 水を加えて煮る。

5. スパイスを加える。

しかあなたはこの手続きを関数として表現できるでしょうか。

…できませんよね?何故ならば、各ステップの"間に"、マシンのロボアームの位置や動きを調整する処理が必要からです。

これをオブジェクト指向でやろうとすると、各ステップ副作用として、それらの処理を行うことになります

そうすると、マシンが二機に増えた時などの変更量は、絶望的なものになります

あるいは関数として表現するのを諦め、手順全体をDSL記述できるようにします。

このアプローチ関数型プログラミング的です。しか関数型プログラミングサポートした言語の助けなしでは、そのDSL記述するために沢山のユーティリティコードを書かなくてはならないでしょう。

オブジェクト指向アプローチでこの問題をエレガントに解こうとすると、クラス化の粒度を上げる事になります

野菜クラスフライパンクラス、ボイルクラスフライクラス、焼き加減クラス、アームクラス野菜の大きさクラス、切り方クラス、焼き方クラス、"焦げたよ"クラスetc...

こうすると早晩レシピプログラムコードから消え去ることになります。上記のたった5行は、依存性注入のオブジェクトグラフを構築するコードに取って代わることになります。そこには沢山の挙動制御オプションとして付記されているのです。

カレーなど、ある種のレシピ限定することで、見た目の理解やすさを得ることができますが、一方それは表現力を損なうことを意味します。

C言語などではマクロを使うこともできますが、それは結局、関数型プログラミングアプローチ意味するところと同じになります。すなわち、補助のために沢山のコードを書くことになるでしょう。

GUI

iOSのAppstoreアプリは、"無料"と書かれたボタンを押すと、それが"インストール"ボタンに変わり、それをもう一度押すと、ダウンロードの進捗を表すインジケータに変わり、それを押すとダウンロードキャンセルできます

このように、位置は同じなのに、ステートに依って見た目と機能が変わるボタンは複雑です。

これをオブジェクト指向で実現しようとすると、

1. 三つの異なるボタンを同じ位置に置くか

2. 同じボタンが三つの異なる機能を持つか

という下らない問題にぶつかります

一方関数型では、"機能"、"見た目"、"状態"、を独立に扱って、それらを合成してボタンを作るので、迷うことはありません。

「同じ位置にあるUIオブジェクトは、コード上で(インスタンスとして)独立して、他から干渉を受けない」

この条件が満たされているうちは、オブジェクト指向GUIを実現することに無理はありません。

しかし、携帯端末のような小さい画面で、多くの機能を達成するためには、UI要素はコンテキスト依存的に複雑になりがちです。

近年、PCのディスプレイの大きさは、頭打ちになってきました。

画素数は増えているのですが、MacにおけるRetinaのように、複数ピクセルひとつドットを表すようになってきています

これは、ひとつの画面に置かれるボタンなどのUI要素の数は、これから先の未来で増えることはない、ということを意味します。

したがって、未来GUIプログラミングは、注意深く機能ピックアップして制限するというデザイナー努力を脇におけば、

関数型プログラミングの力を頼るしか無いでしょう。

はじめよう、関数型プログラミング

まり

Haskell さいこうなのおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! おしっこ漏れちゃうのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

1. google:すごいHaskellたのしく学ぼう を注文する。

2. Download Haskell自分のPCに導入する。

3. コンソールghciと入力して、対話コンソールを立ち上げる。

4. 次の関数コンソールに打ち込んで、結果を見る。即値で書かれているところとかをいろいろ変更してみて、感動する。

take 4 $ map (*2) [1..]

5. ステップ1で買った教科書を読んで、学ぶ。


追記:

いかがでしたか

ちまたには、関数型プログラミングの利点は変数が無いことだ、とか、より安全から、とか、より速いから、などという妄言が満ち溢れています

オブジェクト指向関数型プログラミングは、水と油ではありません。プログラマ自分プログラムに最適なアプローチを選ぶことができます

一般にはあまり知られていないことですが、Haskellにもオブジェクト指向へのサポートがあるんです(Lensライブラリ、これを使用したサードパーティライブラリ最近増えてきています)。

この記事を読んだオブジェクト指向プログラマあなたが、少しでも関数型プログラミングに(そしてHaskell)興味を持ってくださって、ホームセンター大人用オシメのコーナーが大賑わいになれば幸いです。。

2014-02-27

紙とペンの使い方

さいきんのゆとりは、と言われそうなので、三十代半ばと年齢を先に申告しておく。

僕は大学に入るまでほとんどノートをとったことがない。

試験ノートを持ち込めるわけでないし、教科書に書いてあることを黒板に写して、それをノートに写すなんてどうして?と思ってた。

流石に、大学では「データを残すために」紙に記録することにしたけれども、紙に書くことが理解の助けになるとか、記憶の助けになるとは思わない。

忘れてしまうことはノートメモに残すけど、忘れてしまう前提だから残すのだ。

インプットに手を動かすことは無意味だと思う。

逆に、アウトプットのために、紙にかくことはとても有用だと思う。

文章を作る前、数式をたてる前、スライドを作る前、出来上がりのイメージを図にしてから始める。

あれをつくるためには、この順番で組み立てて、それぞれの部品はこうやって表現して、そのためにはあれが必要で、ということを考えるためには、紙とペンはとても有用だと思う。

学校教育では、アウトプットのための紙とペンの使い方をもう少し教えた方がいい。

と、ここまで書いておもったのだが、僕の思考は、まずはアウトラインを決めて、そこに合うように部品を嵌めこむ「トップダウン型」だ。

対して、学校教育は往々にして、知の積み重ね、「ボトムアップ型」だ。

たとえば、乗法交換法則証明を終えてはじめて、掛け算の順序問題から開放されるというように。

それはある意味では正しいと思うんだけどね。

2014-02-12

何でソフトウェア開発の手法って上手くいかないの?

私は大規模・小規模、それこそものすごい人数でのチームや、自分一人のプロジェクトまで経験してきた。化石のような連邦事務局でもクールシリコンバレー会社でも働いたことがある。私は12種類以上のプログラミング言語を学び使っていた。私の時代には ウォーターフォール/BDUF (big design up front), 構造プログラミング, トップダウン, ボトムアップ, モジュラーデザイン, コンポーネント, アジャイル, スクラム, エクストリーム, TDD, OOP, ラピッドプロトタイピング, RAD, その他思い出せない様々な手法が生まれた。 でもそれらで上手くいってると思えるものは一つもなかった。

( 注:ここで書いてある「ソフトウェア開発手法が上手くかない」の意味について説明させてほしい。それらはソフトウェア開発のプロセスや、ソフトウェア開発そのものについて予測性や再現性を提供していないという意味だ。ほとんどのソフトウェア開発手法プログラミング工学風のプロセス提供してくれる。しかし、上記の理由でそれだけでは不十分だ )

ソフトウェア開発手法が上手くいってる」っていつ言うことが出来るの?

チーム生産性幸福度メンバーのつながり・1日あたりのコード量・人月コード品質・製造された成果物、、、そういったもの以外でソフトウェア開発手法が上手くいってるか、いってないかを図るものはあるのだろうか?

もちろんどんな手法だって、それに合わせた正しい指標を使えば上手くいってるか・いってないかが計測できる。しかし一番肝心の問題  ーー予算と期限内で要求を満たす事ーー について定常的に結果を図れる開発手法を見たことがない。

上記は私の経験則だけど、僕の知ってる殆どプログラマは同じような事を経験している。それらの話から言えるのは「ソフトウェア開発手法について厳密な研究存在しない。なぜならソフトウェア開発上のすべての要素をコントロール事が出来ないからだ」

こんな思考実験をしてみよう、

つのプログラマのチームがある。どちらも要求・期間・予算はしっかり確定していて、同じ開発環境プログラミング言語・開発ツールを使うとする。一つのチームはウォーターフォール/BDUFをつかう。もう一つのチームはアジャイルテクニックを使う。

この思考実験にはもちろん意味がない。メンバー一人ひとりのスキル性格、お互いにどんなコミュニケーションを取るか、そういったことの方が開発手法よりも大きな影響を与えるのは明らかだ。

アリスター・コッバーンが2003年に"People and methodologies in software development" (http://alistair.cockburn.us/People+and+methodologies+in+software+development) という記事でまとめている。

" 人と人の間で、更には刻々と経過する時間の中で変化するメンバーキャラクターこそがチームの振る舞い、結果に影響する最初の要因だ。 "

私達の最大の敵

私がプログラミングを始めた1970年当時、開発体制プロジェクトマネージャービジネスアナリストシニアプログラマと言った階層構造ガッチリ管理されていた。開発言語やツールを選ぶことは許されていなかった。私はいくつかの大きく複雑なプロジェクトに関わっていたが大体上記の様な働き方だった。成功したプロジェクトもあれば上手くいかないものもあった。

今は開発言語やツールに合わせて、開発手法・働き方をプログラマが選ぶのが当たり前になっている。アナリストやらがプログラマ監査することは殆どなくなった。プロジェクトマネージャーは"リーダー"・"スクラムマスター"という形で矮小化され、管理職権限は無力化され「チームの意見をまとめる事」以外は何も出来なくなっている。

ガントチャートスケジュールドキュメントを使った「厳格なマネジメント」は"ユーザー"や"ステークホルダー"の関与を省かせて、"ユーザーストーリー"を要約していた。今や私の周りではまともな大人が監督してるとは思えないプロジェクトばかりだ。プログラマのカウボーイスタイルコーディングを放っておいてるのに、彼らは自分好きな手法適用するか作るかさせて、1980年代以上に決め事・儀式だらけだ。 

実際、今のプログラマは1970年代COBOL現場以上に手法論について厳格で、盲信している。実際私が最近関わるプロジェクトは、大体の場合何も価値を生み出さないのに一人か二人のメンバーが開発したプロセスや"ベストプラクティス"を背負わされてるものばかりだ。

プログラミングチームが手法論を採用する(多くの場合チームの数名か、一人のいじめっ子が決めるのだが)と、やがて厳格に従うように要求を始め、やがてそれは宗教になる。そうなることではじまる無自覚な攻撃が、手法論やテクノロジー生産性を高めるより早く、チームの生産性を下げてしまう。

で、何がうまくいくの?

私の経験から言わせると、アリスター・コッバーン論文やフレデリックブロックスの「銀の弾丸はない」http://www.cs.nott.ac.uk/~cah/G51ISS/Documents/NoSilverBullet.html で述べられているように、プロジェクト成功させるにはチームメンバーが共通のビジョンを共有する事(その本では「コンセプトの統合」と呼ばれている)が必要だ。特に何かの手法論を指しているのではなく、これと言ったプロセスがない場合でも同じだ。私はプロジェクト管理ツールの「完了ボタンクリックするだけのチームで働いことがあるが、何故か分からないがBDUFアナリスト監査の元で働いていた昔よりも気分が悪いものだった。

私はプログラマ様式やツールにこだわるより、同僚の話にもっと耳を傾け、もっと一緒に働くことに注力したほうが良いとおもう。そしてプログラマ手法論やプロセスについてもっと疑って掛かった方が良いと思う。そうすればみんな魔法の様に生産性が上がる、間違いない。多分プログラマが社交的なスキルを高めるのは他の職業より大変な事だと思う。(私は必ずしもそうだと思っていないが。)でもそういったスキルを鍛える事は、手法論を試すより事よりはるかに元が取れる、間違いない。

これの翻訳です。

http://typicalprogrammer.com/why-dont-software-development-methodologies-work/

注1 '14/02/11 まだ半分しか翻訳してません。(明日完成予定)

注2 '14/02/12 翻訳完了しました。コメントの指摘に対応して文章を一部直しました。ありがとうございます

2014-02-10

ガッチャマンクラウズに見る正義

今更だけどガッチャマンクラウズ見たので感じたことを書きたい。(ネタバレ注意)

このアニメは登場する主要なキャラクターがそれぞれに異なる正義観というかポリシーみたいなものを持っていて、それぞれがいわゆる典型的ヒーロー像を象徴していたように思う。

今回はそういった個々のキャラクターは置いておいて、大筋のストーリーから勝手メッセージを読み取ってみる。

ガッチャマンクラウズには典型的正義観を持った2つの陣営が登場する。それはガッチャマン陣営と爾乃美家累であるガッチャマン陣営(はじめ除く)は各々の考え方の違いはあれど基本的には勧善懲悪的なスタンスである。一部の優秀な人間がその他多くの言ってしまえば愚かな民衆を導く必要があるという考え方を持っている。それに対して累はヒーロー社会必要ではなく、民衆全体の働きかけによってより良い社会を実現しようと考えている。しかしこの理想性善説的な考え方に大きく寄与している。

ここにはじめとカッツェといういわゆるジョーカー的な存在が登場する。2人はこれら2つの陣営にそれぞれの正義観に対する不備を突きつける。

はじめは何事に対しても先入観なくフラットに接し、自らの価値判断基準に則って行動することで今まで悪だと思っていた存在がそうでないこともあるということを突きつけた。一部の優秀な人間が舵取りを間違えたらあかんよねという事例である。カッツェは累に対してあえて困難な状況を作り出し、自らが与えた力を使わなくては結局民衆による正義など実現できないという矛盾を突きつける。更に後半はGALAXとNOTEを累から奪うことでクラウズを使って人間性悪説的な側面を増幅させる。これは民衆による正義は結局易きに流れる為不可能と象徴的に示しているといえる。

はじめとカッツェによる引っ掻き回しによって2つの陣営共に自身の正義観を変容させていく。ガッチャマン陣営清音を筆頭としてはじめを受け入れることで、一方的に先導するだけが正義ではないということを理解してく。累については人々の内発的な動機による助け合いではなく、社会の仕組みによって外発的に動機づけを行うことではじめて理想社会が実現できると考えを改める。以前の累は多くの民衆に対して自身の正義観を押し付ける側面が少なからずあった。それはHUNDRED No.26 梅田 光一を説得する場面からも読み取ることができる。人々が内に秘める助け合い精神を信じていた結果としてそのような正義押し付けにつながっていたといえる。それが最終的には各個人の考えを矯正するという発想をやめ、システムとして人を誘導するという発想に至る。「立川市で何をするかはみんなの自由」という発言は、人の性善説的な側面を無批判に信じて出たものではなく、民衆を正しく先導する覚悟を決めての発言であったんだと思う。

インターネットの普及、ソーシャルネットワークの出現によって今まで以上に群衆の声、力が大きくなってきた社会は、特定リーダーが多くの群衆を先導するには複雑すぎる。そういった状況の中で現代社会はどうあるべきか?それがこの作品を通して伝えたいテーマであると思う。

恐らくあのラスト表現したいことというのは、「荒らし」をするような人たちは規制や否定ではなくならないということ。(殺さない・殺せない)自分たちが世界の楽しみ方(ゲーミフィケーション等)をみせることでしか、変えることができないということではないでしょうか。

世界ポジティブに捉え、行動したほうが合理的と思わせるような体験を見せることでしか、変わらないということを言いたかったのではないかと思います

http://d.hatena.ne.jp/loki16185/20130929/1380428729

この疑問に対して作中での答えはゲーミフィケーションであり、人間本質的に易きに流れる生き物であるならそれを肯定し、社会全体としてより良くなる方向にインセンティブを与えることでボトムアップ社会運営していこう、という発想であるガッチャマン陣営と累がはじめとカッツェにそれぞれ自分たちの正義観の不備をつきつけられ、互いに価値観を共有し合ったことでこのような発想に至ったと考えられる。

しかし、この考え方には未だ危険も潜んでいる。インセンティブを与える基準、いわゆる「いいこと」の評価関数の決め方次第では結局正義押し付けになってしまう。この評価関数の決め方という部分まで踏み込んではじめてこれから社会正義のあり方という問題の答えになるのではないか?と感想を抱いた。

2014-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20140124180930

学生と知って一気に萎えたんだけどがんばるぼくえらい。うそ。書類待ちでひまなんだなう

>どういう設計が正しいと言えるのかよくわからないです。何を根拠にそういうことが言えてるのか。

絶対的に正しいことなんてねえよ。人生設計の正しさに根拠や保証が欲しいの?悪いけどそんなものないよ。

100万人が選択した人生から正しいと思うのか?それって当事者意識薄くない?

誰かが答えを運んできてなんかくれないよ。お前が自分で探して自分で受け入れるしかない。

個人的に言えば、死ぬとき自分幸せだったなーって思える人生が正しい設計だと思うよ。

んで、幸せとは何を考え続けるのが人生なんじゃねーのかなあ。と思う。

>私はなんで親の勝手設計図で子供が手順通りに成長すればそれが良しとされるのか、それを親が良しとするのかが理解できないです。

良しと判断してるのは誰?お前がイメージしてる「世間の人」が言ってるんだろ。手順通りに成長すればよしとはされないよ。てか手順ってなに?

設計図って何?そんなトップダウンのものなんてないよ。子育てボトムアップでの積み重ねだと思うよ。

なにお前って、自分がセッティングした合コンがうまくいってカップル出来ても、ダメだ!修羅場がないからダメだ!って言うタイプなの?

親が良しとする理由を言ったんだよ。念のため。

>えー。それはすごいですね。頑張ってください。

自分が納得出来ないならその根拠を言えよwww自分だけ根拠求めといて自分曖昧にするとかwww

>これね。ポケモンですか... 育成ゲームあるしそっちでいいんじゃないですかね。

本気で言ってるの?または現実ゲームを同一視するほど現実世界に居場所がないの?

おまえ設計図とかゲームとか”誰か”に作られたものを信じ過ぎだし、常に使用者だったり消費者立場しか物言えないのな。

子育てを育成ゲームと同等にしか考えられないのが若さなのか?はたまた単なる想像力の欠如か。

>親のこと喜ばすのに子供作る他ないんですかね。

なんでこの文脈で他のこと書く必要あるんですかね。

>あとセックスに関しては、気持ち良いですし快楽目的でならご自由にしてもらって構わないのです。

童貞乙wwwwwという煽りしかできないごめん。そこはかとない上から目線ありがとうございます。自由にさせていただいております

疲れたお。不毛だとは思うけど一生懸命書いたから許してください。

2014-01-15

プログラマ会社的には

プログラマと呼べるようなスペシャリストが不在で、

多少書けるけど絶対に「プログラマです」とは名乗れないゼネラリストたちで構成されている会社

そんな会社だと、プログラムでなるべく解決する(コードが業務プロセスを頑張っちゃう)ために頑張るよりも、

業務プロセス開発プロセス全体で最適化するよう頑張った方が、

たいていはハッピーであることに気づいた。

プログラムで頑張ろうとすると、

学習コストがかかりすぎるか、

外注するのに設計しようにも結局学習コストがかかりすぎるとか、

外注とのスムーズな協力関係無駄に気を使うとか、

外注が逃げるとか、

引き継ぎ先がいなくて死ぬとか、

そんな余計なことが多かった。

反復性・正確性が求められるものプログラム化に適しているけれど、プログラムは解決の一手段だし、一分野にしか過ぎない。

プログラムによる生産物を主要な糧にして事業をやっていると、

ともすればプログラムスペシャリストでないことに大きなコンプレックスを抱くけど、

生産物割合ライト公共性も低い(例えばエンタメスマホアプリ)だったら、

無理にスペシャリスト風にやる必要はない。

身の程わきまえて、他の業務パラメータも見て総合的に結果を最大化しようというシンプルな結論に至る。

オブジェクト指向の本を読むのも結構だけど、もっと大きな見地から比較して

ライトフレームワークを選択して、ライト開発プロセスでやる選択がもっと歓迎されていいと思う。

そして、アジャイルとかTDD/BDDとかももちろんいいんだけど、開発現場からボトムアップ的な思想やツールでなく、

マネジメント視点経営視点から自分たちがライト層として開発するなら、という発想がもっとあっていいと思う。

プログラマ経営層になっての話は近年よく聞くけど、非プログラマ経営層でかつ開発もある程度やるよ、というスタイルもそれなりにあるのに。

こういう情報が出回りにくい理由は、そもそも人数が少ないか、文章に書く魅力/余裕がないか、文章化が難しいか、まだ分野的にこなれていないか、のどれか。

暇ができたらまとめたいなあ。。

その前に売上UP(白目)

2012-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20120716221302

コミュ力ない技術者はすぐ詳細から入ってボトムアップ式に喋るんだよな。

まず全体像を話せ。子供でもできるシーケンシャルな説明すんな。人間の脳の働きを意識して喋れ。

ちなみに俺はガチ技術屋だからね。

2012-01-19

Python vs Ruby vs PHP vs HaskellRubyistネクラオタクキモメン」 part2

Python vs Ruby vs PHP vs Haskell プログラミング言語バトル part1

http://anond.hatelabo.jp/20120118220204

441 : デフォルト名無しさん : 2011/12/14(水) 00:34:54.13

Rubyistってなんであんな小学校の図書室で毎日読書してそうな

いじめられっこネクラチビメガネみたいな色黒とかキモオタ

顔面オジサン、オバサンばっかなの?

445 : デフォルト名無しさん : 2011/12/14(水) 00:47:59.11

Javaer: 傲慢プライド高い、土方

Scalaer: 鼻持ちならない、モヒカン

Lisper: マジキチ

Rubyist: ネクラオタクキモメンいじめられっこネクラチビメガネ、色黒、キモオタ、顔面オジサン、オバサン

PHPer: 土方、DQN

Pythonista: イケメンリア充

473 : デフォルト名無しさん : 2011/12/16(金) 22:06:14.45

Python厨のRubyネガキャンは異常だなwww

608 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 09:29:20.74

Rubyブロックが便利すぎて、Pythonをやめたくなった。

いちいちtemporaryな関数作成してから目的関数に渡していたのがばからしくなった。

609 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 09:43:17.83

リストやジェネレータ式の内包表記が便利過ぎて

PythonからRubyには移行できないな

610 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 11:03:14.91

日本人が開発の中枢にいるような言語はやめとけ。

どうせ廃れる。

611 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 11:58:14.38

Pythonさんは、どうしてこう排他的かなぁ

626 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 15:08:51.86

609

リストやジェネレータ式の内包表記が便利過ぎて

おれもそう信じてたけど、Rubyの、メソッド呼び出しを続けて書けるほうが便利だわ。

まるでjQueryみたい。といってもjQueryのほうが後発だけど。

たとえば「xsから0以上のものを選んで、その二乗の和を求める」場合

sum([ x*x for x in xs if x > 0 ])

これだと、後ろから読まないといけないんだよね。でも

xs.select{|x| x > 0}.map{|x| x*x }.sum

これなら頭からひとつずつ読めばいいから、わかりやすいし、考えたとおりに書きやすい。

まさにスクリプトって感じがする。

629 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 15:55:19.77

Rubyメソッドチェーンって内包表記より弱いと思う

ネストするmapとかflattenとかわかりくいよ

Python: [[x,y] for x in xs for y in xs]

Ruby: xs.map{|x| xs.map{|y| [x,y] } }.flatten(1)

632 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 17:25:29.75

いっぽうメソッドチェーンは

orz.sage().hage().hoge().hige() タイプの問題には向いている

まり向いている方向がちがう

(まあHaskellなら hige . hoge . hage . sage と書くだけだというのは置いといて)

強い弱いということで言うと、問題を解くのに必要な一番能力が弱い

(限定された)道具を使うという考え方があるようだよ

ベタ再帰は強い(汎用的)、がそれゆえ読むのに注意を必要とする

foldrは再帰よりは弱いが、foldrで表現可能な問題のクラス(原始再帰)はかなり

広いので、mapやfilterで済むならもちろんそのほうが望ましい

ではこの問題は弱いmapやfilterを結合させるほうがいいかというと、

俺はlist comprehensionのほうが集合表記そのもの=whatを表現していて好きだな

Pythonのlist comprehensionのsyntaxはあまり好きではないが

それは大きな問題じゃない

640 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 19:56:09.23

メソッドチェーンってバグをわかりにくくするだけだと思うなあ。もちろん性能面もあるし。linqとかは良いと思うけど。

642 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 20:28:45.92

同じメソッドチェーンでも、linqなら良いけどrubyなら悪い .....

一言で言うと「俺はRubyが大嫌いなんだぁーー」ということですな

663 : デフォルト名無しさん : 2011/12/28(水) 22:45:30.53

メソッドチェインなんてライブラリ設計次第でどうにでもなる

PythonどころかJavaでもできる

内包表記は構文でサポートしないと難しい(マクロがあれば別だが)

680 : デフォルト名無しさん : 2011/12/29(木) 00:07:41.77

メソッドチェーンが関数型の方法に比べて特に優れている点があるようには思えないが

パイプ順に書きたければ書けるし

682 : デフォルト名無しさん : 2011/12/29(木) 00:30:35.72

680,663

Pythonには関数型として致命的な弱点があるからメソッドチェーンでは簡潔なコードが書けない

たとえば「(1) Rubyは 条件判定が(文ではなく)式」だから以下のようなコードが書ける

 ys = xs.select { |x|

   if test

     if test_1 then test_1_1 else test_1_2 end

   else

     if test_2 then test_2_1 else test_2_2 end

   end

 }

あるいは「(2) Rubyブロック内で局所宣言が可能」だから上のコードを以下のように書き換えてもいい

 ys = xs.select { |x|

   cond_1 = if test_1 then test_1_1 else test_1_2 end

   cond_2 = if test_2 then test_2_1 else test_2_2 end

   if test then cond_1 else cond_2 end

 }

関数型言語であれば「(1) 条件判定(if/case)が式」で「(2) 局所宣言(let .. in .. end)が可能」なの当たり前

ところが残念な事に、どちらもPythonには欠落しているから、上の例はストレートコード化できない

からPythonではメソッドチェーンは使われないし、「酸っぱい葡萄」に見える

684 : デフォルト名無しさん : 2011/12/29(木) 00:37:06.68

Rubyでもリスト内包表記が言語として組み込まれてくれると嬉しい

リスト内包表記はトップダウン思考

メソッドチェーンはボトムアップ思考

だと思う

頭に浮かんだロジックをすばやくコード化するのはメソッドチェーンが適しているし、

じっくり腰を据えてコード設計するならリスト内包表記のほうが美しい

自分は、たぶんこのスレRubyコアの中の人も見ているだろうから

そのうちRubyにもリスト内包表記が実装されるんじゃないかと期待しているw

766 : デフォルト名無しさん : 2011/12/30(金) 10:04:41.40

メソッドチェーンは書き易い

内包表記は見た目が整ってて綺麗、最終的な型がわかり易い

いじょ。

2011-10-25

日本ITはなぜ終わったのか』を読んで

http://ascii.jp/elem/000/000/643/643497/index-2.html

↓はその通りだと思う。

 このような日本新陳代謝グローバル化の遅れの背景には、日本企業組織特性がある。日本製造業戦後、高度成長したときは、欧米技術をまねて、低賃金生産することができた。

ただ、↓と言ってしまうのは微妙に思える。

首相や閣僚に実質的な決定権がなく、官僚が「ボトムアップ」で決めたことを承認することしかできない。

首相決断」により郵政民営化も、原発の上からヘリで水を撒く事も出来た。首相レベルの決定権は今も強大なものが有ると思う。

官僚が優秀であるはいえ、ここを縦横無尽に使いこなせるような立場にある政治家など近頃では皆無に見えてしまう。


誤解を恐れずに言えば、なぜ決定権を持つ人間が決定できなくなってしまっているのかというのが、


現状の「女性の風潮」に逆らえない


からではないかと私は邪推している。

現状の女性からすれば負け犬にはなれないし、

婚活に勝ち残らなければならず、

村のようなコミュニティ破壊されたので一人で子育てせざるを得ず、

旦那給料を【未来永劫として確固としたもの】に仕上げさせなければならないプレッシャーが有り、

ご近所様からも【ちょっと上の立ち位置を築かなければならぬ】プレッシャーすら有る中で、

養育費、お受験代、年金、老後の資金を工面するために

旦那には【絶対に冒険してもらっては困る】のであって、

まだ高度経済成長期に築かれた【幻想成功神話】を再び旦那に具現してもらわなければ困るのであり、

ゆえに日本社会的に【挑戦】してもらっては困る世界が出来上がる。

(近所やら知り合いに偉そうに出来なくなるから


女性収入を得るとか、

女性同士で血みどろの自慢合戦を辞めるとか、

男性としてもそういった女性に騙されない方向へ進み

「寝た子を起こさない」発想から「協力」というコミュニケーションとして高い次元へ進まなければ

単なる中国属国になってしまいかねない。

今、勝ち組でも10年後に負け組と同一の立場に置かれてしまうかもしれないという算段を持って今後の方向を検討出来る場が欲しいと思う今日この頃でした。

今はもうグローバル経済戦争に負けちゃった、という認識で、

戦後焼け野原というゼロからスタートと割り切った感覚で進められないものでしょうかね・・甘いかな。

2011-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20110725152431

それはただのホウレンソウの不徹底でしょ。

ボトムアップってのはトップダウンがあってはじめて機能する。

日本人が大好きなボトムアップってのはマスメディアがトップを叩いて首を挿げ替える方のボトムアップ

正しいボトムアップはトップへ情報を正しく伝達してトップの判断を仰ぐ相補関係。

2011-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20110725132020

とは言っても、トップダウンのみの組織ボトムアップ不可能な組織って今のところ失敗してるだろ。

NASAだってボトムアップされなかった情報のために結構事故が起きてる。

必要なのはトップダウンの強制ではなく、きちんとボトムアップできる人材システムを構築することだと思うが?

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110718230638

協会や代表の発端について言えばボトムアップだったのかもしれないけど、

Jリーグに関して言えば、プロ化の主目的は「試合レベル向上による代表強化」だったし、

クラブも元々サッカー文化があまりない所に町おこし目的設立した例も多いから、

どちらかといえばトップダウン的に進められてきた部分のほうが大きいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20110718223442

スポーツ日本代表って、そもそもはまず最初国内各地でプレイする競技者たちがいて、地域国内でのスポーツ活動をとりまとめる協会みたいなのが生まれて、

そこから国内にいる強い選手が選出されて代表になって、みたいなボトムアップ的なもんだと思ってたんだけど、違うのかな?

まり、身びいき感情とか我らが代表となるチームを作るとかそういうモチベーションから成立したというよりも、

海外に行かないとプレイできないってのは競技者にとって不便だしファンも観戦しにくいので国内スポーツ界があり、その頂点たる代表があるんじゃないのかな、と

これは単純に実際の経緯はどうなのかなって話だから、俺の認識が間違ってたらごめんね

2011-03-02

ゲーム規制はバカげてるって言うけどさ

アホな家庭やアホでなくても放任しきりな家庭にゲームがあると子供は際限なく勉強もせずゲームをするし、友達が家に上がりこんで何時間ゲームってのはあるんだよね。

特にゲーム以上の娯楽を見いだせない、はてなのみなさんが差別目線を隠そうともしない「低偏差値」な層に多い。

で、ゲーム自体が有害はなくとも、そういう親の教育なり友人関係において不全である状況ってのを放置するのはよくないことだと思う。

パチンコ中毒も似たようなもんで、時間だけ浪費する分ゲームのほうがまだマシだとは思うけど、突き詰めれば違いはそこしかないと思う。

ボトムアップ的な目線で公教育なり高等教育重要性を主張する人ってはてな内外でそれなりに見るけど、彼らの主張って自制心ある家庭とかが前提なんだわ。

つまり彼らは端から本当に底上げすべき家庭は無視している。

で、そういう家庭を底上げしてはじめてボトムアップと言えるんだけども、彼らはそれを放棄しているからやってることは不安商売のそれと同じ。

そういう形骸化した家庭を無視して、それなりに機能している家庭にばかり「底上げは大事ですよー」なんて声かけたって聞こえるわけねーだろばーか


というわけで、僕個人としてはバカの底上げのために娯楽は規制すべきだという立場を取ります

悪平等を肯定します。

エリートで、みんなが嫌がる勉強さえ好きになれたり好奇心を持って取り組めるはてなーのみなさんに置かれましては、たかゲームパチンコ規制されたぐらいで娯楽には事欠かないでしょうから、そういう悪平等を甘受いただきたいですね。

いや、「そこまで糞な環境の家庭はもう無視して構わんよ。自業自得。甘え」という立場のみなさんにまで強制はしません。


ただ、先に挙げた家庭モデルってのは、お受験のない学校ではごく当たり前のケースだってことは理解してください。まあ数にして全世帯の半数以上でしょうか。

2010-12-09

即戦力になるための教育プラン

小学校から情報科を設置し、

中学校では、

また、情報高校を新設し、

C言語エクセルVBAを通したさらなるプログラミングの奥深さ、また、情報学など、より高度な情報分野への学習をする。

設置の動機は、我が国日本のIT後進ぶりの打破である

まず、IT業界というのはそれ以外では喰っていけない、職人のようなものである

しかし、そこに多くの人材たかだか四年程度の情報科を出て、すぐ戦力に回される事態である

それが僅かな人材で高度なことをするエリート的なものではないのが、問題だ。エリート的な少数精鋭なら、学部教育で間に合う。

そこで、ボトムアップをしなければならない。

小学校から少しずつ積み上げ、高校時点で専門化する。

小中9年間の教育は大変重要であり、その9年はとてつもなく長い。

その9年で少しずつ今の高校情報レベルまで押し上げ、高校からは完全に専門的な学習へ移行させるのだ。

教員情報教員枠として小学校から専属の、必修の社会人経験を積んだPGSESIerが受け持つ。

つまり現場ノウハウをもとに実用的な教育ができるということだ。

私の提案したプログラムじゃ駄目だろうが、必要なことであることは間違いないので、ぜひここを見ているカンリョーさんは検討いただきたい

2010-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20100924192440

参照URLが間違っていたので返信されていたことに気づかず,

気づいてそうか納得できないかーと思っていたら,こちらですでに納得していたんですね.

これまた参照URLが間違っていたので気づかず..

すでに納得できたようなので特に返信することもないのですが,

質問の回答を書いてしまったので貼り付けておきます.

http://anond.hatelabo.jp/20100922183732

また言いますが、それこそがGTD本質なのではないのですか?

GTDについてはあんまり良く知らないのでなんとも言えませんが,

こんな風に書いているので,人生目標GTDで探すのは不適切なのでしょう.

http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0812/31/news002.html

しかしデビッドアレンさんはここで彼の経験に基づくアドバイスをしてくれています。それは「日々の仕事を片付けられないと、将来の目標など見えてこない」というものです。日々仕事に追われていたり、ストレスにさらされていると将来のビジョンは描きにくくなります。疲れた頭では自由に未来創造することは難しいでしょう。日々の仕事コントロールする術をまずは身につけることによってのみ、トップダウンアプローチが可能になるのです。

将来の目標価値観について考えをめぐらせることは悪いことではないですが、ボトムアップから始めたほうが結果的に自由な思考が可能になるかと思います。

やるとしたら,おそらく「人生目標を探す」というプロジェクトを登録し,

次のアクションとして「○○を読む」「○○について考えをまとめる」とか登録するのではないかと.

具体的に将来の目標を考えるための手段としては他の方法を試すべきなのでしょう.

下記は目標達成可能性最大化を実践している知り合い(東大卒)から薦められた本です.

「20代から始める」とあるので,受験勉強邪魔にならない程度にどうぞ.

http://www.amazon.co.jp/dp/4479791167

2010-07-31

目標の行き着く先

よく自己啓発系の本とかを読むと目標をたててそれに向かって行動することが重要だと書いてあります。成功者の本とか読んでも大体同じようなこと書いてあるし真理なんだと思うし、特に疑う余地はないと思っています。

僕も実際に中長期の目標を立てるということは以前からやっていたのだけれども、何かうまくいかないというか、なんで自分はこの目標を達成するためにがんばってるんだろうという気持ちがずっとありました。

そういったことをお皿を洗いながら考えたとき、ふとその理由を説明できるロジックにいきつきました。

それは、人が目標をたてるときに中長期の目標や、今日一日の目標、もしくは人生の指針とかも含めて色々あるけど、それらをボトムアップしていって最後にいきつくところは全部一緒なんではなかろうかということ。

結論からいうと、人の目標というのは「人生を楽しむ」というところにいきつくのではないかと思ったのです。

目標ボトムアップしていった結果これが最後にあるのではないかと。「なぜ人生を楽しみたいのか」という質問は存在しないのではないかということです(人生を楽しむことを諦めていたらそもそも目標とかたてないという見解です)。何を当たり前のことを思う方もいると思いますけど、以外とこれは気付いてなかったなと思いました。

これを説明するには、中長期の目標や願望を探してそれをボトムアップしていくとわかりやすいです。

例えば、僕は4年くらい前に社長になりたいという目標をたてました(このころは目標というよりは願望だったかもしれません)。でもそれ以上のところは何も考えてなかった。つまりなぜ社長になりたいのかという理由が説明できなかったんです。だから現実みもなくてあまりその目標に対して真摯になれなかったと思っています。

でも半年くらい前になぜそうなりたいかという理由を説明できないとダメだなということに気付いて、人生ビジョンというものを立てました。自分人生はこうでありたいという指針です。それは中長期の目標や願望を元に考えます。僕なら、なぜ社長になりたいのかということです。もちろん願望はそれ一つではないですから、願望を洗い出して3つの人生ビジョンを立てました。

すべての目標はこれに向かってなければいけないし、行動もこれを基準にすることができます。で、さらにこれをボトムアップすると、それは「人生を楽しむ」というところにいきつくのえはないかと思ったのです。そしてそれはほとんどの人にとって同じなのではないだろうかと。何を楽しいと思うのは人それぞれ違うでしょうから、ここで例としてあげたビジョンというのは人によってかわってくると思います。

目標を持ってない人や、目標を立ててもいまいちしっくりこない人は、自分は何をもって楽しいと思うのか考えてみるといいかもしれません。僕は欲張りなので仕事プライベートもどっちも楽しくして、さらに人から「この人はすごい!」と思われたいという願望があります。

人によっては家族幸せであれば仕事はなんでもいいという人や、大企業社長になって日本を牛耳りたいという願望の人もいると思います。それらのいきつく先はすべて「人生を楽しくする」ということに向かっているのがわかればすべての目標と行動を説明できるようにり、目標を達成するためのモチベーションになるのではないかと思います。

以下余談。

これを企業に当てはめるときにどうかと考えたときに、経営理念というのはここでいうビジョンに当たるのかなと思いました。例えば「よりよい製品をつくって社会を豊かにする」という経営理念があったときに、じゃあ何ために社会を豊かにしたいのか、という質問は成り立つと思うのです。その企業はなぜ活動を続けるのかという理由をもっと明確に説明できるようにならないといけないのかなと。でもそれはそれほど簡単じゃないのかな。それについては何かわかったらまたまとめたいと思います。

2010-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20100619153521

ルールの問題かなあ。

社会的慣習まで含んでいるならまあそうだろうけど。

アンチ社畜はまず自分が雇われの身であって立場は常に下であるって現実と向きあうことから始めればいいんじゃないかなあ。

ボトムアップなんて言うけど、トップが裁量権を持っていれば常にトップダウン式にならざるを得ないし。革命がしたいならまず仕事辞めればいい(というかボトムアップなんてのは下克上革命以外に適用できるのかねえ)

格差是正にしろ、その生活で満足できないから湧き上がるボトムアップ的主張なわけで。でも是正するのはトップだってこと、わかってるのかなあ。

2010-06-04

参加型PCM盲点はふたつある。

多くの場合、問題の原因は内部ではなく外部にあると認知される。

プロジェクト組織がうまく回らないのは、人・物・金がなく、そのうえ政治が悪いからである、といったperceptionである。

したがって問題系図はどのプロジェクトでも同じような構図になり、投入計画もありきたりなものになる。

もうひとつ盲点は、当事者が必ずしも問題と認知していないポイントは欠落しつづける、という問題。

よく考えれば当然の帰結だが、当事者の問題意識の欠落はPCMだけでフォローすることは難しい。

ボトムアップ

雨漏り理論

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