はてなキーワード: ボトムアップとは
【インタビュー】署名サイトを運営した東京大学医科学研究所病院・湯地晃一郎氏
ttp://www.yakuji.co.jp/entry17692.html
――今回、事業仕分けに端を発した一連の漢方薬保険外し問題について、どのような感想を持っていますか。
湯地 電子署名に関して言えば、歴史的な革命的事象が起こったと思っている。患者さんにとどまらず、漢方薬を服用していない10~40歳代のインターネット利用者が,危機感を共有し、自分の住所、氏名という個人情報を、自発的に善意で第三者である漢方薬の署名サイトに提供し、意見表明したという行動が、厚生労働行政に対し大きな力となったことは、今までの日本の政治史上に見られなかった動きだ。
――電子署名の約9万5000通という数字については、どう見ていますか。
湯地 約10日間という短期間で,10万通近い電子署名が集まったことは、かつてなかった事象であり、画期的な数字だと思っている。
今回の特徴として、漢方薬を服用している患者さん・ご家族に加えて、漢方薬や医療と全く関係ないと想定される一般のインターネット利用者層から,多くの署名があったことが、署名数の爆発につながったと想定される。インターネットの巨大掲示板(2ちゃんねる、まとめサイトのハムスター速報)、SNSのmixi、ミニブログのtwitterなどのメディアが大きく寄与した。
医療や漢方薬に対する市民の関心の高さ、あるいはネット利用者への情報提供が、医療や漢方薬に対する関心を高めたことを反映していると考えられる。
――その中で、最大の牽引力となったメディアは何だったと見ていますか。
湯地 起爆剤となったのはtwitterである。11月27日金曜日早朝(木曜日深夜)、午前1~3時に署名数・署名サイトアクセス数が急増したという,極めて特異な現象が生じた。漢方薬の保険外しに危機感を持った患者さんのブログをきっかけに、一気にtwitterで話題が広がり、署名の起爆剤となった。twitterの高いリアルタイム性、伝播性が遺憾なく発揮されたと考えられる。その後、掲示板やSNS、ブログ、メーリングリストでの署名呼びかけなど、様々な電子媒体が大きな推進力となって、約9万5000通の署名につながった。
なお、漢方署名運動に先立ち、twitter内で勝間和代氏がデフレ脱却署名運動を11月4日に開始していた。これは、twitterのアカウント(@anti_deflation)に賛同者のフォロー(追従)を募るものである。12月17日現在、3000人強のフォロアー(賛同追従者)を数えているが、漢方署名運動は、9万5000人という圧倒的数、そしてネット利用者が、住所・実名という個人情報を提供したという点で、質量とも全く異なる。ネット世界が、現実世界に大きな影響を与えたのである。
湯地 11月28日に某有名ブログに、漢方薬の保険外しはデマとの記事が出た。この記事が,電子署名の撤回につながるのではないかと,事務局は危機感を持った。ところが、その後にすぐ良識を持ったブロガーが反論して,デマ説を一蹴するという揺り戻しも来た。ネット上では賛否両論に意見が寄せられたが、読んでおかしいと思った人が,逆に署名してくれたという要因もあり得る。それだけ,今回の漢方問題は大きな現象になった証である。
――今回のネット市民による電子署名の盛り上がりを通じて得た教訓については,どう考えていますか。
湯地 今回事業仕分けで様々な項目が,予算の削減、廃止対象になり、多方面で反対運動が行われた。この反対運動の方法は、大きく二つに分けられると分析している。
一つは、ノーベル賞受賞者、オリンピックのメダリストなどによる有名人を動員したトップダウン式の反対運動。これはメディアで報道され、大きな世論を盛り上げる影響力がある。仕分け関連団体が単に反対声明を出し陳情を行っても、全くメディアが取り上げないため,世論への影響力は乏しい。
もう一つは、われわれが取ったボトムアップ方式である。以前から財務省が漢方薬の保険外しを狙い、そのたびに署名を集めたという歴史的な経緯もあり、民意を総集する手法を取った。その結果、わずか10日間で約27万人、3週間で約92万人という署名数を集め、厚生労働大臣宛てに提出することができた。さすがに政権与党の民主党も、これは無視できないということで、役員会で漢方薬の保険継続を正式決定し、12月17日に与党3党の予算要望の3項目に盛り込まれた。
われわれはボトムアップの手法で民意を総集したため、最終的に政権与党を動かすことが可能となった。漢方薬を保険で継続使用したいという患者さん、ご家族、一般市民の総意が政権与党、政府に伝わったが、83万人弱の書式署名に加え、インターネットという媒体を通じた約9万5000通の電子署名活動も大きく寄与したと考えられる。
――今回、改めて漢方医療のあり方がクローズアップされたわけですが、一連の署名活動を通じて、漢方医療の進展にどう生かしていったらいいとお考えですか。
湯地 民主党はそもそも,マニフェストで統合医療、漢方を推進するとうたっており、財務省の意向で保険から外すという文言が入ったが、そこから強力な押し戻しが起こり、約92万通という多くの民意が集まった。逆にこの民意が、政府が国策として漢方医療を推進する後押しとなれば幸いである。<<
天下りって、一概に悪いように言われるけどさ、
もともとは頭のいい人たちなわけ。
官僚だからさ。
一部にはクソも混じってるだろうけど。
そんな人がさ、他団体の理事について、
「ああ、○○だけど、△△君(長官)いるかね」
って電話一本かけるだけで
業務が超スムーズに進んだりするわけ。
フツーなら書類用意したりなんだりかんだり
ボトムアップで一週間はかかるようなところを
天下りの人たちもすごい存在意義がある、
業務上有難い存在でもあるわけよ。
いわばホットライン。
で、せっかくクソみたいなじじいたちが死んでいって
ようやく若手つーか、戦後生まれの人たちが
クリーンにしつつあったのに・・・・・。
木っ端微塵ですよ、これで。
役に立たないじじいに何千万も払ってる、
官僚ら許すまじと
わっかりやすい構図を描いたやつは誰なんだ??
くたたんは「フルスクラッチ指向」で、任天堂は「枯れた技術の水平思考」だ。だから、任天堂が正義だ。妊娠大勝利!ということを言いたい訳ではないのだが。
とは言え、素人が妄想するに、もし、「成功から没落への流れ」があるならば、以下のような物ではないかと思った。
(1)先端業界ではなく、"周辺"業界において、何らかの商品企画が立ち上がる。もちろん、金がないので、技術的には、チープな既存技術の組み合わせである。日本の場合、開発者の現場感覚のアイディアの妙が問われる。「枯れた技術の水平思考」。米国の場合、壮大な未来的ビジョンの中の尖兵としての立ち位置である。前者の場合、会社の上層部は大して理解も期待もしていない。後者の場合、理解も期待もある程度している。ただ、両者とも、安い掛け金を賭ける分散投資の駒の一つでしかないし、"周辺"業界なので、一癖も二癖もある屈折した人材が集まっているのは変わらないかも。
(2)日本の場合:「たまたま当たる」。当たったので、ゴテゴテと付加機能をつけて、バージョンアップしながら商品の寿命を延命する。当たらなかったら、次の商品開発に向かう。米国の場合:地道に理想に向かってバージョンアップが続けられる。ある日、追加した付加機能がユーザーから素晴らしく評価され、いきなり「歯車がかみ合う」。それでも、当初の壮大な未来的ビジョンに向かってバージョンアップしていく。いくらバージョンアップしても、ユーザーに評価されず、兵站が尽きたら、次の商品開発に向かう。
(3)日米共通だが、徐々に部分部分をフルスクラッチ化していき、他者が追いつけないようにする。
(4)日本:付加機能をつけすぎて、ゴテゴテしてくる。一般的に、日本の場合、ボトムアップ型であり、ビジョンがそもそも明確でない場合が多い。右往左往しながら進んでいく。ウリに出来るような付加機能がなくなったら商品寿命はおしまいに近い。米国:米国の場合は、トップダウン型で、当初の計画のビジョンが達成されたならば、日本と同じようにゴテゴテと余計な機能をつけ、迷走する場合が多い。逆に言えば、任天堂は、「枯れた技術の水平思考」の本家だけあって、フルスクラッチのリスクの罠からうまく逃げているように見えるし、アップルは、そのたびに新しいビジョンを提示するという逃げ方をしているように見える。細かいバージョンアップの積み重ねと比較的リスクを抑えた許容範囲内の冒険/実験をするのが大切であり、トレンドになっているような気がする。良く悪口を言われているSCEでも、ファームウェアの細かいバージョンアップは評価されているし、MSのフリーの開発環境などもかなり評価されていると思う。
(5)その商品を打倒するような「イノベーションのジレンマ」が起こり、打倒される(可能性が高い)。
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)
http://anond.hatelabo.jp/20090920004141
官僚だけでなく族議員も目の敵にして議員立法すらさせないで党に拒否権はないとか言う人までいるわけだから、これを政治主導と称すること自体ミスリードと思う。昔の自民党が族議員が各業界各地域の要望をボトムアップで政策作ってて、大臣が名誉職的な位置づけでその分野の能力も必要とされてなかったから、大臣とか内閣からすれば、指導力を発揮しようとしても族議員の意向を受けて動いてる官僚に邪魔されて自分達の政策が骨抜きになってるのが官僚主導のように見えてただけの話で実際は議員主導といったほうが正しい。責任の所在を明確にするには内閣主導で形式的な責任者が実質的な責任者であるべきというのは正しいと思うが、トップダウンで決める弊害が気がかり。
なんなんでしょうか、いったい。
ものすごく立派だということにしときますか。
>04年に「日本のアルファブロガーを探せ」を始めた時は、今日のように人気ブログのランキングはありませんでした
実際には04年はじめには現在もある主要なブログランキングがサービスをすでに開始しており、アルファブロガーイベントは後発であり、それらの、乱立するブログランキングと違って目立たないイベントでした。
http://mainichi.jp/feature/blog/archive/news/2007/20071128mog00m300017000c.html
>無名だけど影響力のあるアルファブロガーをボトムアップで探してリストを作り、紹介するのが目的でした。
「無名で影響力がある」って日本語なのでしょうか?
無名なブロガーを選んだと現在では認めていますが、著書では、ぜんぜん違う宣伝の仕方をしてきました。
著書で宣伝してきた内容はまったく違うものでした。
著書の副題は「11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣」というものです。
>日本を代表するようなウェブログを書いているスゴいブロガーの方々です 。ほかのウェブログからいつも参照されているようなブロ
>グ、ネットでの世論形成に大きな影響力を持っているようなウェブログ、そういうごく少数のパワーブロガーだけが「アルファブロ
>ガー」と呼ばれるのです。
徳力基彦の連載で宣伝されたブログや、氏が主催したブログ企画で選び出されたブログには、
さまざまな問題を指摘されてまとめサイトを作られたり、捏造が発覚してニュースとして報道されたようなブロガーまで含まれています。
徳力基彦氏は自分のしてきたことに対してのケジメはないのでしょうか。
底上げの意味でボトムアップという言葉を使うのはどうなんだろう。
bottom upは意思伝達の方向やらをあらわすと思うのだけど。
近隣住民が頑張ればもっと人が助かったのかもしれない。自衛隊ももうちょっと機敏に動けばもっと人が助かったのかもしれない。勿論両方頑張ってたらもっともっと多くの人が助かったかもしれない。それだけの話だろ。両者は択一の問題じゃない。両立できるし、するべきだ。
自衛隊が出動する事で救われる命がある。それなのに糞下らん政治的主張でそれを否定するのは、助かる命を切り捨てる事と同じで、人殺しも同然だ。
http://anond.hatelabo.jp/20070429020539
で書いたことの補足なんですが。
まず択一問題を立てている論者は誰なのか、というのが一点。
両立できないと考えている人はいませんよね。ここには。そこは少し冷静になっていただいて。
要は、トップダウンとボトムアップは両立する。別にそこに議論があるわけではないように思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070429013850
は被災者として多少感情的になった一面はあるにせよ、大方正論といっていいと思います。
国家防災計画にあたって、自衛隊や消防隊の初動すなわち公助をいかにシステマティックに組み立てるかがきわめて重要であることはいうまでもありません。
しかし、いかに人命を救助しえたかを議論する場合、死亡との因果関係の分析を欠かすことはできません。
被災者の死因の分析から救助手段として防災計画を考えると、やはりキーになるのは、瓦礫の下にいるかもしれない人たちの発見、救出をどうするのかという問題です。
あなたがおっしゃるライフライン復旧の問題、それは確かに重要ですが、死因とのかかわりからいうと、優先順位としてはどうでしょうか。
さらにいえば、消防庁や自衛隊の災害派遣部隊の初動を迅速に進めるべきであるということに全く異議はありませんが、しかし、どうしてもスポット的にならざるを得ません。
都市型震災というのは航空機墜落などの人災や土砂災害などと違って、面的なハザードです。
広大な被災エリアに闇雲に点を投入する形にならざるを得ないわけです。
つまり、これが神戸の知事さんたちが問題にしている、公助には限界がある、という論点です。
彼らの主張は、自衛隊がもっと早く投入されていれば2000人助かったという分析は楽観的すぎるのではないか、ということですよね。自衛隊の役割の中心はおそらくそこではなく、ボトムアップの努力を前提としたうえでのインフラの復旧や食料住環境の提供を主体としたバックアップ体制なんじゃないでしょうか。
地域住民がここに社会的弱者がいるよと救助エキスパートに伝達できる体制、その連携といいますか。
そこで地域住民の防災意識とかいう話になってくる。
ただ、余談ですが、ボトムアップが重要だという教訓は、その阪神大震災以降、いろいろな防災関連の法整備のなかで多少ゆがんだ形でも現れてきたように私は感じていまして、例えば、先のリンクで紹介した毎日新聞の記事のなかで次のような結語があります。
人命救助は「自助」「共助」「公助」の順に進むものである。
これ自体は、近代法の原則からいって論理的に全くそのとおり、といいたいところなのですが、しかし、公助には限界がある→自助(自己責任)でお願いね、と強調されると困ったことになるのも事実。例えば、これまでハード面で提供してきた公助をやめようという話があるわけですよ。もう防災公共事業は沢山だ、と。これ以上日本の山河を鉄とコンクリートで固めてもしょうがない。リスクに関する情報を的確に住民に提供するからあとは自己責任でやってくれ、と。土砂災害防止法が典型なのですが、これは実務に関わっていて、疑問に感じるところがないわけではないですね。
最初の学生さんじゃないけど反応
相手の立場も考えて、自分の利益も考えて、行動してごらん。
組織の体質が自分にとって不利な構造なら変えようとするとか。
これさ、とても正論でごもっとも、最初の彼に対してはまあまあ良いアドバイスなんだけど、今の時代にヒラの従業員に要求するのって昔と違ってとても難しくなってると思う。従業員がこうしてくれれば上はとっても助かるけど。
確固たる終身雇用制度があった流動性の低い時代だと、権限が全くないところからでもボトムアップでアラートが上がってきて組織を改善することを期待できた。だって会社は「終の棲家」だから、自分で積極的に居心地よくしないといけないものね。
だけど、流動化の進んでる現代、自分の属している会社を手間隙かけて改善するよりも自分だけ磨いて転職しちゃったほうが早いケースが出てくる。そういう場合アラートがあがんなくて、サイレントに人がどんどん入れ替わる。転職する時ってのは「ベンチがアホやから野球がでけへん」とか言わない。「もっとやりたいことができました」とか「家庭の都合で田舎に帰ります」とか「給与の面で高く評価していただけたので」とか「オーストラリアに行ってプロサーファーになります」とか無難な理由をつけて転職するから、組織が腐っていても管理部門が気づくのはとても難しい。
今後、管理部門や管理職から見て一般の従業員は「身内」や「味方」ではなくなると思う。「食客」であったり「設備」であるようになる。不都合があればすぐいなくなったり壊れたりするわけだ。
注意深く観察して積極的にケアしないと、「えっなんで部署まるごとやめちゃうの?」「みんなで会社作ります」となったりする。従業員が組織を改善してくれるなんて幻想になっちゃうかもよ。
(台詞はベンチが云々以外は実際に見聞きしたものです。ちなみに過去聞いた中で最も奇妙な転職の言い訳は「寮の周りに蝉が多いので」)
しかし、自動化やマネージメントは、本質的には、あらゆる業務の能率を上げていく
メタスキルであり、とくに日々の業務のなかで発生するちょっとした繰り返し作業は、
その業務分野の専門知識に乏しいプログラマーにアウトソースすると、
プログラマに業務内容を説明するオーバーヘッドの方が大きくなってしまうだろう。
大多数が余裕を持って暮らせる豊かな社会の作り方
でも非プログラマはプログラミング知識がないため、プログラマが長い時間をかけてヒアリングして仕様を起こしコードに落とし込む。でもそこまでのしきいがコスト面時間面で高いため、簡単な業務はいつまでも自動化されない。
自動化とはちょっと違うけど、情報共有でいえばTuigwaaが解法のひとつとなりうる。
Tuigwaa を使えば、現場で働く人たちが、自分たちの業務効率を向上させる為に 自分たちで DB と連動する Web アプリケーションシステムを作ることができます。
つまり、Tuigwaa はボトムアップで企業の生産性向上を実現するためのツールを目指しています。
WebUDA Tuigwaaとは
http://tuigwaa.sandbox.seasar.org/index.html#WebUDA_Tuigwaa%E3%81%A8%E3%81%AF
生徒A「どうして答えだけじゃダメなの?」
教師「先生は過程が見たいのだよ」
生徒A「だってさ、どうする?」
生徒C「あたし過程はあってたけど答え間違ってたから部分点なかったけど」
生徒A「うーん。総合すると、答えがあっててかつ答案用紙てきとうに埋めときゃいいわけね」
生徒C「なんだ、結局答えがすべてなんじゃん。馬鹿らし」
生徒A「そりゃそうでしょ。マニュアル主義的には妥当な態度だし」
生徒C「納得いかねー」
生徒A「だから、採点マニュアルにそう書いてあるんだよたぶん。答えがあってても他が空欄なら×とせよ、みたいな」
生徒C「あー納得」
生徒B「あ、そうか、現実忘れてアカデミックな方向に引きずられるからわけわかんなくなるだけか」
生徒A「そうそ。あたしたちにとっては点数がすべて。教師にとっては理由あるいは言い訳がすべて。理念なんてどうでもいいわけ」
生徒C「なら攻略法もあるわ」
生徒B「国語なんか思いっきりそうだけど数学も例外じゃないのか。あーあ」
生徒A「学校は教育する場所じゃなくて、教育したっていう既成事実をつくるための場所なのよ。勉強したいなら一人でしなさいってこと」
生徒C「そこまで極端なのはちょっと」
生徒B「でもこの学校のあの教師について考えたとき、その言い分は正しいと思うな。あたしたちがおかれてる状況を充分説明できてる」
生徒C「p⇒q? 日本語でいうと、えっと」
生徒A「あの教師にしてこの教育あり?」
生徒B「んーでも集合論的におかしくない? 教師は教育の部分集合でしょ?」
生徒A「教育現場はボトムアップでもないしね。たしかに因果律が不自然だ」
生徒C「じゃあ、こんな状況になった十分条件なんて定義できる? あの教師ってのは必要条件てことになるけど」
生徒B「うーん、マニュアル主義の功罪ってやつ?」
生徒A「あたしわかるよ」
生徒C「なに?」
生徒A「過程なんて毎回考えるの面倒だから、結果だけコピペしちゃおうって姿勢の帰結」
生徒B「なるほどねー。必要外のことに注力できるのは熱意あるアマチュアだけだし」
生徒C「じゃあ国語と数学以外もそうだね。教師が点を与えてもきちんと言い逃れできるだけの回答をすればいいわけだ」
生徒A「これ定理だね。正しいだけじゃほしいままにならない」
生徒B「対偶取ると、ほしいままにしたいなら正しさ以外にも目を向けよ、か」
生徒C「この場合、ほしいままってのは良い成績取ることだから、綺麗事に目を背けず、やるべきことをやらないと」
生徒A「てことで、この正答だけが書いてある答案に点数つけるにはどうすればいい?」
生徒B「論破すれば?」
生徒C「さっきの定理によれば、それ以外にも、たとえば教師の逃げ道が必要だよ」
生徒A「じゃあこうしよう。『この問題文には答えよとあるだけで、証明せよ、求めよ、といった過程に対する言及が見られない。にもかかわらず後になって過程も見せよとはどういうことか。これは問題文の不備か教師の恣意的な受け答えに過ぎない』ここまでが論破部分ね。んで『なのでいま私にこの問題を実際に解かせ、その過程を見ていてもらいたい。その上できちんと採点していただきたい』」
生徒B「それをあの教師にもわかる口調にしたら終わりだね」
生徒C「しっかし、ここまでしなきゃならんもんかね」
生徒A「仕方ないでしょ。あいつだって、答えコピペして成り上がってきたようなやつだし」
生徒C「まーね。それにしても過程の重要性を知らない人間はほんと疲れるわ」