はてなキーワード: チームメイトとは
未経験の業種で人手不足もあり、入社7ヶ月でチームサブリーダーの席を用意してもらった。
期待されたことを誇りに思ったし頑張る糧になる上、時給もあがると聞き喜んで受けて、3ヶ月。
まだまだ出来ないことも、リーダーから指摘を受けることも多い。
指摘されたことは二度と間違えないように、資料にまとめ、いつでも見られる自分だけの冊子を作って、どんなに遅くなっても帰宅後には翌日のスケジュールと朝礼の周知事項を用意して、寝る。
それでも毎日毎日指摘と出来ないことだらけで、自分のやっていることが果たして正しいのか分からなくなってきてしまった。
毎日やることはたくさんある。言われたとおりにやろうとしても、都度起こるチームメイトからの相談やトラブル報告にはまってしまうと、やろうとしていたことが手付かずで定時間際になってしまう。
出来なかったことを「出来なかったの?」と確認されることが辛く、出来なかった理由を言うことすら申し訳なくて、自分の段取りの悪さを再認識する。
言われたことが出来ない自分が情けなくて悔しくて、解決などしないのに涙が出て止まらなくなる。
当然パフォーマンスは落ちて、計画していたことがまた遅れる。遅れて残業になる、残業すれば咎められる、残業の理由は業務圧迫ではなく自分自身の問題であることにまた苦しくなる。
出来ている人がいる限り、私が出来ない理由はない。出来ない理由があるとすれば私自身に問題がある。
やっぱり自分は人の上に立つ器ではなかったんだと心底思った。
誰かに指示されたことに従うくらいしか出来ない。
3ヶ月やってきて、もう私には能力がないことを十分に思い知った。
誰か、代わって欲しい。
「サッカー人生を10年前からやり直したい」。海外組の意識の高さに大きな衝撃を受けた前田遼一
http://www.footballchannel.jp/2014/01/06/post19855/
>引用すると
30歳近くなって新たなモチベーションを抱くことができたのも、日本代表で本田や香川、長友佑都ら年下の海外組と再び一緒にプレーしたことが大きい。前田はこんな言葉を漏らしている。
「自分のサッカー人生を10年前からもう1回やり直したい。それができたら、本田や香川たちみたいに海外へ行くことを目指して高い意識を持ってプレーできたはず。彼らを見ていると目標にしているところが自分と違いすぎる。10年前の僕にはそんなことは考えられなかった。彼らはホントにすごい」と。
要するに
2、海外にいくことが代表では当たり前の常識的な価値観になっていて
3、主要メンバーがそういうやつらだから意見を聞かざるを得なくなって
4、そういう状況になって初めて意見を受け入れるようになって
ゴンの世代の人がそういうことを言うなら、分かる。海外でプレーすること自体想像することも難しかっただろう。でも、前田は中田がローマに移籍した年に、ジュビロにデビュー。別に意識を変える機会なんていくらでもあった。小野やら俊輔やら高原もいた。
なんつーか、お前じゃやり直しても変わらねーよ。海外移籍が当たり前の時代に10代を過ごしても海外移籍は出来たとしても日本代表の主力にはなれねえよ。甘っちょろいんだよ。
まあ、前田だけじゃないけどな。他にもたくさんいっぱいいる。だから、2006年のドイツワールドカップのような事態になったんだろうよ。むしろ中田のほうが10年前からやり直してお前らのような意識じゃないやつらの占める代表でやりたかっただろうよ。まあ、中田が可哀想とかは思わないけどな。だけど、2006年ドイツワールドカップの失態はお前らみたいなやつらの意識のせいだからな。
バイバイ、お前らの時代じゃないんだ。せいぜい一生後悔してろや。
お前何様だよって意見が来そうだが、大丈夫だ、俺もお前何様だよって文章みて思ったわ。
あと、香川で日本人評価上がって移籍しやすくなったんだよとか、移籍金が以前は高かったんだよとか、世の中のサッカーがパスサッカーの流れになって活躍しやすくなったんだよとか、そういう話じゃないからな。意識の話な。
<追記という名の蛇足 1/6 22:35>
中田なんてワールドカップ出場が日本サッカーの夢だった頃から、高校時代からイタリア語を勉強していたからな。カズがセリエで全く通用しないで、移籍することも活躍することも想像すること自体が難しい時代にな。
香川なんか21歳か22歳くらいで「もう若くないので焦っている」ってインタビューで言っている。危機感が違うよな。まあ、18でドイツで大活躍していたゲッツェというチームメイトがいたというのもあると思うが。ただ、次移籍するチームで全盛期を過ごすことになるだろうみたいなこと言ってたから、馬鹿だろうけどしっかり考えてるんだよ。だから、応援したくなる。
本田も長友も意識の高いことは有名だろう。その二人も周りがついてこないから、二人だけでよく話していたりするって前はインタビューで言ってたしな。体幹の話をしても圭佑しか聞いてくれないって。ああ、あと本田の小学校の卒業文集に将来セリエで10番を背負って20億稼ぎますやら、ワールドカップ優勝しますって書いてあったりな。小学校で隣のやつに笑われたってよ。だけど、今でもそれを言い続けているだろ。
俺も正直中田と本田の二人に関しては、将来の夢だったり目標に向かう意識は別格だと思うよ。イチローの小学校の卒業文集も凄かった。
ただ、中田や本田に限らず、香川も長友も環境を言い訳にしないし、お前みたいな腑抜けたことは言わねえし、そんな腑抜けた意識でサッカーに人生捧げてないんだよ。
沢山お好きな方、ファンの方、もう絶望的に好きな人、色々いますが、
もうだいぶ、いろんな漫画を読んできたものとして、思っていることを書きたいなと思います。
まず前提として、私はは「黒子のバスケは面白い漫画ではある」と思っています。
どちらがという点においては個人的にはスラムダンクの方が面白いと思っています。
ただこれは、個人的な好みの問題もあって、必殺技とかない漫画が好きなのかとか、
そもそもの思い入れが違うというのもあるので、個人差だと思っています。
黒子のバスケ(以下黒バス)もフラットに見て面白いと思います。
ただ、穴があくほどスラムダンクを読んでセリフや構図や絵なんかもほとんど頭に入ってる
私にとって黒バスにはあまりある程に似ている所があります。セリフや構図なんか。
高校バスケ漫画において、弱小チーム対強豪チームっていう設定はいい。これをパクリとは思わない。
そしてキャプテン翼やテニぷりごとく必殺技のオンパレードもジャンプとしては楽しい。
おそらくこの辺りがパクリじゃない!!って言う人の根源にもなるところだと思う。
キャラもそこそこ立っているしね。
じゃあ何か?っていうと、登場人物の背景とか、試合展開とか試合中の内容とかが恐ろしく似ている。
そしてそれを元に出てくる各シーンが本当にスラムダンクにあったシーン(構図含め)と似ている。
再度前提言っておくけど私は黒バスは面白いと思って読んでます。
単行本買ってないけど。
さて思いつく限りの似てる個所、アリーウープ決めたシーン?かリバウンドダンク決めたシーンかわからないけど、
そこは山王戦のアリーウープを桜木が決めた見開きページの構図にそっくりです。
次、確かどっかの強豪と戦った後のロッカーで寝るシーンは、翔陽との戦い後にそっくりです。
木吉がタイムアウト中に涙を流したシーンは山王戦の赤木が涙するシーンにそっくりです。
黒子のビザーブーターのシュートの構図が山王戦の桜木のビザーブーターのシーンにそっくりです。
とまぁ、、上げれば他にもあぁ・・・ここ見たわ。スラムダンクで。って思う所が、結構、
いやかなりあるのです。これほんと。
でもね、試合展開とかさ、人物の背景とかさ、けがによる影響とかさ、いろいろあるけど、
その表現の仕方が悪いと思っている。
パクリというか、ギリギリ「フューチャーしてる」って言おうかな?
多分こっちがしっくりくる。きっと黒バスの作者もスラムダンクが大好きだということが作品を通して
伝わってくる。。。伝わるけど、やっぱり、頭をよぎるのはパクリの3文字。
オリジナル漫画を描いてのだからやっぱり、フューチャーしてもいいけどやっぱり、
こだわっては欲しいと思うのは読者のわがままでしょうかね。
いいよ?別に木吉がタイムアウト中に涙しても、でもその背景とかさ、
周りの反応とかさ、そこまで似せる?っていうくらいなんですよ。
いろんな試合展開とかきっとバスケたくさん試合見てるって感じがします。
黒バスはやっぱりどうしてもスラムダンク大好きな人がスラムダンクをフィーチャーして、
キャラに必殺技持たせてすったもんだやってるようにしか見えない。。。
見えない。。。
時があるんですよ。そう、前提としては面白い漫画だと思ってるので。
ただ、もう少し考えてほしい。試合展開とか、そんなに似せなくても・・・熱い試合は書けると思うよ?マジで。
まぁ、それは置いといて、ちゃんとジャンプの勝利友情努力は描けているわけでさ。
シーンやら人物背景やら、試合展開のパクリがなければもっといいなと思います。
最近はだいぶそういうシーンが減ってきて安心して読んでいます。
特に過去編とか、やっとキャラクター達が勝手に動き出してきたって感じでしょうかね?
スラムダンクを読んだことない人があれはパクリ(フィーチャー)じゃない!っていうのは基本受け付けない。絶対。
でも、基本応援姿勢です。
頑張ってほしいし、バスケ人気に火がついて競技人口が増えてほしいし、
■食欲なくなったり眠れなくなったりしはじめるとやばいので、手を打ちましょう。
派遣先変えるようにお願いしてみて、ダメなら辞めちゃうのも手です。
あと、フリーは誰でもできるから、気になるなら一度やってみるといいです。
■「口だしすると云々」
あなたのいう「口出し」ってのが本当にお客様のためになるか、冷静に考えましょう。
その上で「口出し」がお客様のメリットになると判断できる場合、口出しするタイミングを考えましょう。
もっとも「口出し」しやすいタイミングをみはからって口出しをするのです。
たとえば、無理な要求(例:徹夜とか)があった後などは意見を通し易いです。
「今回大変でしたね。次回から〜〜〜すればいいじゃないでしょうか」的な作戦です。
あと、チームに貢献しない状態で何かをいうのはいけません。
他のだれよりも、貢献している状態でいうのがベストです。
これは嫌な仕事を率先してやったり、他のチームメイトが困っているときに一緒に困ってやったりして貢献度をあげてください。
実際、問題が解決しなくても、苦しい時に一緒に苦しむってのは、信頼を勝ち得る1つの方法です。
次に、「口出し」する場も考えましょう。
もし、直属の派遣先の上司がボトルネックになっていると仮定します。
これは会議の時もあるでしょう。
あるいは、うちあげなどの飲み会の時に、酒をつぎにいったついでに言うのです。
そういうときは辞めちゃいましょう。
一般には、プロ野球はアメリカではマイナー3Aに位置づけている。
なので、メジャーリーグの水準で公式記録であれば問題ないが、マイナー3Aレベルのプロ野球で為した1000本はあくまで参考記録に過ぎない。
それはアメリカではプロ野球がメジャーより下だと見ているからだと言われている。
事実、メジャー挑戦を表明するプロ野球選手はどの選手も1ランク上のフィールド(夢の舞台)と考えているからだ(イチロー、野茂、新庄、松井など)。
このような背景があり、プロ野球の水準をメジャーに宛がうのはむしろ失礼にあたる。
それほどメジャーリーグというのは世界中の野球ファンから神聖化された場所であり、小国のベースボールが大国の、様々な人種の集まる最高のベースボールに比較されるものではない。
これは恐らくイチローも理解していると思う。
実際、3999本安打を打った時のインタビューでは騒ぐことのものではないといった旨の発言をしており、プロ野球で打った1000本とは切り離した見方をしているのが分かる。
イチローですら疑問を感じている日米通算4000本安打の価値は、チームメイトジーターの“4000本ならリトルリーグの記録でもすごい”の発言でも分かる通り一部メディアを除いて多くの人は“日米通算記録”に拘ってる事が分かる。
お前の発言は、脱水症状で倒れた高校生に
「立て!根性が足りない!走り込み30本だ!お前の事を思って言ってるんだぞ!
練習の時間が無くなる!チームメイトに迷惑を掛けてるぞ!お前はそんなに偉いのか?」
ってのを肯定するのと同じなんだが。
全く違います。
まず、親たちは自分たちが出来る限りでは尽くして来てることが殆だろう。
その尽くす、ってのが足りない、とか、逆効果だ、とかふざけたことを言う奴が居るが、
その他の子を育てるのに比べて、余計に頑張って尽くしてることは確実だ。
それは理解できるよな?
それで、どうしたら良いか、はずっと考えてるし、
こんなんは100も承知な事が殆だろ。
それだって、ずっとそんな状況が続いたらできることに限界はあるんだよ、親だって人間なんだから。
言いたいのは、そういう状況で、親を否定して、親がこんな風に俺をした、社会が悪い、と周りを否定する事が
ひきこもりの最大にして最悪の原因であって、
そこを肯定して、そうだ、周りが悪いんだ、って言って自尊心を満たして、一時的に回復したとしても
直ぐに同じ様に躓いて引きこもるだろう、ということ。
難しいかもしれないけども、周りに対する感謝というか、まずは否定することを変えるのが一番大事だってこと
だから、ここらで、そういったひきこもりの気持を考えないで頑張れだのいってるのが悪い、
って言ってる奴らが気持ち悪いし、そうやって周りを否定して何になるんだ?って言いたいわけ。
それでも、ひきこもり様が大事で、周りがどんなに犠牲になろうとひきこもり様のために全力で尽くし、
死んでいけばいい、っていう立場ならもうどうにでもしてくれ。
職場での昼休憩は1人でご飯食べたいのよ。というか昔から、中学のころからたまに1人で昼食べてることあったんだよ。
いじめとかじゃないよ。普通に友達もいる。職場でプライベートで遊ぶ仲いいヒトもいる。
一応、職場では「昼は1人でぼんやり食べるの好きなんです」って言ってるから大丈夫なんだけど
それでもまだたまに心配されてるのか、奇怪扱いされてるのか「1人でいないほうがいい」と言われる。
一人の時、挙動不審なのかな?
業務中でもプライベートでもちゃんと話してるのになー
どちらかと言うと自分から喋るタイプなんだけど、そのギャップのせいもあるのかな
たまーに1人になりたいときあるじゃない。
それがたまたま昼間なだけなんだけど、さすがに仕事中は一人になれないから休憩中に一人になってるだけなのにな。
小学校では全く喋らないし友達もいないけど、サッカークラブのチームメイトとは笑顔でおしゃべりできる
例になってないかもしれないが、そんなヒトいてもいいじゃないですか。
もう二年たったし、この間元いたところの人と飲むことができたので記念に。
新卒の就職で盛大にこけて、くりえいちぶ業界でのアルバイトで一年がんばって契約になれそうだったところで盛大に体調崩し退職。
体調崩しながらも家が厳しい状態なのと、病気で就活をまともに再開する体力が無かったのと、他にもいろいろあって派遣に登録し、さくっときまった某有名外資系派遣先がクソ。マジクソだった。
何がクソかっていうと、その部署のAという男(当時三十代前半)とそれを取り巻く人間関係。
このAって男は、常に人をいじめていたいタイプで、新しく入ってきて気に入らない奴をとにかくいじめまくる。
一緒に入った子を優遇して、もう一方の子を自分のお気に入りと比べてみんなの前でさらしあげたりする。あと仕事できないって毎日責める。仕事の否定、人格否定はもちろんのこと、気に入らない奴のメールを隅々までチェックして、一単語を出し入れさせて都度チェックをもとめ、「何でこの単語入れたの?」「なんでこの単語入れないの?」を延々繰り返すというという異常ぶり。
その部署のクソ部長はAをむちゅこのようにかわいがっており、あまりにも酷いことを言ってきたと相談しても「それは貴方が全部悪い」みたいな言い方するタイプ。そのうえAの腰巾着のような女二人がこれまたびっくりするほどクソ。便乗していじめる上に、ちくり魔。まともな人もいたけど、基本的にその4人の所為でびっくりするほど腐った職場だった。気に入っている人の退職は盛大にやり、気に入らない人の退職はほとんど何もしない、というAの気分に乗っ取ったルールが完全にまかり通っていた。気に入らない奴は朝礼でミスの数をさらしたりする癖に、お気に入りの奴のフォローをみんなで全力でしよう!みたいなこと平気で言うとか。
おまけにAの奥さんも同じ職場で、特に彼女には何もしていないのにたまに雑用で彼女の元に行くと彼女の方も無視決め込んでくるクソ女。夫婦間でそう言うこと話すって言うのもキモいし、30代にもなって新人をいじめているような男に賛同して自分もそれに便乗してくるほんとのクソ女ぶり。ほんと似たもの同士。
最終的に私はAが私のことをいびりやすいように、そして怒声を浴びせやすいように一人だけ離れ小島の席に配置され(クソ部長からも席が遠くなった)、隣にいる他の部署の人の同情まで買う始末。最終的に私の仕事はゴミ捨て(業務契約にない)とコピー(業務契約にない)だけになる。
4ヶ月間毎日嘘つき・仕事できないのに何でいるの・ほんとコミュニケーション能力のかけらもない・馬鹿で間抜け役立たず、と繰り返し4人に大声で罵られ、8時間ずっと同じ単語について注意を受け、話しかけると常に無視されるみたいなことをされ続けた結果、自分でも本当のこと言っているのかわからなくなってきて、自我という物が本当に消失した。
話しかけられると頭真っ白になるみたいな感じだった。もう何を言われるのか怖い、という感情しか無くなった。常に頭の中がパニックで、ちょっとしたことで涙が出た。で、そんな状態を「会社で泣くとか社会人失格」(私も本当にそうだとは思うけど)とか「仕事しないで感情的とかどんなヒス女だよ」みたいに笑われた。家に帰っても毎日泣いてた。両親にも弟にも犬にも心配されていた。
申し訳なかったけど派遣元の営業さんにもう限界ですって言って、4ヶ月でやめた。4ヶ月でやめてしまうとかどんだけ自分弱いんだろう、次の会社できっといわれちゃうな、とかいろいろ考えたけど、そんなこと言ってたら多分廃人になっちゃうなって思った。
やめた直後とかもう、ほんと人間として最低な感じだった。友達に慰められてもそれを信じることができないし、人に話しかけるときもすっごい勇気必要だった。逆に話しかけられるだけでびくびくしたし。でも前述の理由で早く次の就職場所見つけなきゃなんなかったから、同じ派遣元で次の会社に移った。
会社というものがひたすら怖かったので、会社用の自分をなんとか繕って、超ハイテンションな女で行くことにした。じゃないと話しかけられてキョドるのとかびくっとしちゃうのとかうまく隠せなかったし。本当にコミュ障丸出しで恥ずかしかったけど、新しい職場の人にこのことがばれて、またいじめられるのが怖かった。
でもそこでは拍子抜けするくらいかわいがられた。私の上司となった社長秘書の方はとても優しいし、私がいてくれてとっても助かっている、私がいるから安心して会社休めるようになった、と言っていつもよくしてくれる人だった。あと、私は秘書アシスタント兼部長秘書だったから、関わる人もみんなおじさんで助かった。子会社とはいえ大きな会社から出向してくる人がほとんどで、基本的に年齢層高かった。Aの所為で若い男駄目になってた私には非常によかった。まぁおじさんはおじさんでうざいけど、なかなかかわいい生き物だと思えないこともない。
やっぱり仕事で無くした自我は仕事で戻ってゆくんだなって思った。みんなおじさんでパソコンに疎かったから、いろいろ教えたりして頼りにされたり、仕事をほめられたりとかして、やっと私はこれからも仕事できる、最初は声だけで本当に怖くて無理矢理ハイテンションにしてないと泣きそうになってたけど、男の人とも何となく関わってゆける、って思った。
いろいろあってその会社も契約満了、今の職場に移って今派遣三社目、超幸せ。一年以上たつけど先輩にはすっごくかわいがってもらってるし、一緒に仕事しているチームメイトからはいてくれないと困ります!これからもよろしくお願いします!って言ってもらえるし、自分が年取ったのもあって、A位の歳の男もなんとか普通に話せるようになった。仲良しな同僚もできたし、なにせ職場であんな暴言を受けることがない。ここ半年くらいになってようやくお化粧したり、かわいい洋服着たりすることができるようになった。関係ないと思うかもしれないけど、全てはこういうことをして会社に行こう! っていうモチベーションなんだ。形からでも人生を謳歌しているOLみたいになって、ランチ後にお友達とトイレで化粧したり、仕事帰りに飲みに行こうって誘ったり誘われたりしている。
そしてようやっと無理にハイテンションしなくても、知らない男の人に普通に話しかけられても大丈夫な位になったので、あのクソ職場で数少ないながらも友人でいてくれた人の誘いに乗って飲みにいった。(ほんとは何回か誘われてたんだけど、思い出すのが怖くて全部無視してた)
友人はまだもとの職場にいたんだけど、このたびAが退職したそうで。しかも砂かけ退社。私の他にも27〜28人Aの所為でやめていった人がいるらしい(何人かは鬱になったらしい)。しかも私のいない、たった2年で! クソ部長も左遷人事されたって言うし、早くクビになれ。
しかしクソってほんとクソしかひりだせないんだな……。今人数足りないのに派遣元ももう紹介する人がいませんってさじを投げたらしい。派遣元だって(まぁ価値としては奴隷かもしれないけど)派遣のスタッフが商品なんだもの。使い回しがきく商品なのに、使い物にならない鬱を製造されたら困るよね。
まだクソの次の就職先は決まっていないようなので、もうずっと決まりませんように。奥さんの方のクソ女もクビ退職してしまえばいい。だけど子供に罪はないから生まれた子供は幸せになれ。そしてクソみたいな人間であるところの自分の両親を軽蔑するといい。そして腰巾着だったクソ女どもも失業しろ。特殊な仕事だから再就職先もなかなか決まらないといい。
あぁ、ざまあ見ろ。たいしておしゃれでも無い癖に洋服に興味があるようだったのでそちら方面への転職を考えているようだ。一生決まるな。そして洋服も買えない生活おくるといい。
増田の言うことは全部正しいです。
でも、それは、卒業して、仕事をして、「指導者」も一つの職業だと理解できるようになった大人の論理だと思うですよ。
顧問の「指摘」自体は正しいです。
「相手をよく見」て、「ボールを拾いに行く」のは基本。
生徒は余裕がなくなったりバテたりするとそれができなくなる選手だった。
それを克服するのが彼の課題だった。
それは彼自身もわかっていたし、チームメイトもわかっていた。だから黙ってきいた。
「欠点」の分析自体は適切だった。だから反論できなかった、のではないかと思うのですよ。向上心のある選手なら、なおさら。
「なぜ、相手を見ない」「なぜ、飛びつかない」
「やるのかやらないのか」
「簡単なことを言っても、たたいても分からんようだし、どうすればいいんだ」
あーこの流れ、デジャブだなあ、と。
私もよく言われた。
「なぜ」「なぜ」を繰り返し(反語的叱責)、「やる気はあるか」(まさに増田の指摘どおり「やります」以外の答えは許されない)
「たたかれてするのは動物。それでいいのか」→「動物でいいのか。お前は人間だろう。自分で選んだことなら自分から動け」
「どうすればいいんだ」→ちょっとわからないけどおそらく「お前の問題なんだからお前しか決めるやつはいない。さあ、どうする」
「これからも怒ったり、たたいたりするかもしれない。それでやれるか」→「きつくてもやるという覚悟がほしい。自分の弱さを乗り越えてほしい」
こんな感じかと。
選手は自分の課題はわかりすぎるほどわかっているので、克服しないといけない、克服しないといけない、と思ってる。実際、自分でも克服したい。だから殴られても逆らわないんですわ。
けどまあ、そういうことしてると「殴られる俺が悪い」「なんどやっても言われることできない俺が悪い」になって、悲しいですわね。
2番目のエントリで書いたように、それを突き抜ける瞬間っていうのも確かにあって、それができるとすごく自信になるんだけど、萎縮しちゃうともう悪循環、頭がぐるぐるするだけでなんもできなくなっちゃう。私がそうで、みんなの前で晒し上げられて叱責されると全然だめだった。
「やります」とは、怒られるたびに言ってたけど、それはまあ「お約束」だったなあ。できない自分っていうのは事実で、否定できない、でも言われたってできない、でも言われるし殴られる、うへえ、なので、「終わらせる」ためには、やりたくなくたって「やります」言わないとだめだったなあ。もうまったくの「儀式」。
そういう「お約束」「建前」ってのはスポーツの世界でけっこう横行してんじゃないのかなあ。確かに、それ突き抜けた先に成長ってあるんだけど、その瞬間って、1年でいくらもないし。
その可能性を信じて指導者は殴り続けるし詰問し続ける。善意と熱意で殴り続ける。けど、多分逆効果。
でも克服すべき欠点への指摘が正しくて、「やる気を持て、自主的に動け」というのも正しければ、生徒は向上心があればあるほど逆らえないですよ。周りの生徒も、その欠点は見ててわかるし、彼自身が克服しないといけないことはわかるから。そして「キャプテン」という重責のある役職もわかるし、彼自身で立候補した以上それも彼が克服すべきかと思うから。だから「止める」という選択ではなく「みんなで助けよう」ということになる。
…いろいろと、今考えることも多い。
ここまで書いてなんだけど、これ全部推測。
うちの部だったら、って当てはめて考えたことだから。あの学校のことはよく知らない。
で、練習試合とかでいろんな学校と対戦した経験から、この顧問のやってることはかなり普通。多くの学校でやってること。もっとすごい体罰はたくさん見てきた。
まあそういうの見てるから、なおさら「殴られるのは普通」になっちゃうんだけどね。
だからね、思うわけです。多くの学校で、「生徒を伸ばしたい」という「善意」で体罰する教師は多いと思う。極悪教師とか言われてるけど、全然異常者じゃないわけですよ。かなりの決められた型に沿ってやってる。だから、彼一人のクビ切ったって意味ない。法律化したって意味ない。
彼を含め、学会なんかで研究、議論(矯正じゃなくね)して新しい指導法を自分たちで見つけないとだめ。それこそ「自主的に」ね。
補足
この記事ね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130125-00000008-jct-soci&p=1
真偽わからんけど、そういうのは可能性はある。やる気のある生徒のほかに、もういやでいやで仕方ない生徒もいたのかもしれない。もしかしたら他の部員も、やる気のあるフリはすべて「演技」で、みんなやめたかったのかもしれない。このあたりは、きいてみないとわからない。
けど、ここまで書いて矛盾するようだけど、あんまり生徒の心に土足で踏み入るのも、今どうなのとかも思う。
矛盾してるんだけど。
元増田です。
前の記事http://anond.hatelabo.jp/20130124080522を書いて一晩たって、またちょっと考えた。
朝日の記事をもう一回読み直してみることにする。
自殺前日学校で起きた事実に関することのみ抜粋。著作権の範囲を超えてはいるが、必要なことなので。関係者の方のクレームあったら削ります。
生徒がボールを取りにいかなかったり、パスを受ける際に相手の守備側選手を見ていなかったりするミスがあった。
「なぜ、相手を見ない」。顧問は試合中、生徒を呼び戻して、まず顔を平手でたたいた。さらに「なぜ、飛びつかない」などと、たたくたびに詰問。平手打ちは計4発ほどになった。
その後も、「やるのかやらないのか」などと質問を繰り返し、頭を6発ほど指先ではたいた。生徒は無言で耐えていたが、最後に「やります」と大声で返事し、顧問も「行け」とコートに送り出したという。
その後のタイムアウト(休憩・作戦タイム)でも、ばてて足元がふらついていた生徒に、「しっかりやれ」と3発ほど顔をたたいた。「たたかれてするのは動物。それでいいのか」と叱りつけたとされる。
生徒はさらにミスをしたとされる。顧問が再び「なぜ相手を見ないんだ」としかると、「余裕がありません」と答えた。
顧問は試合後、生徒を呼んで体育教官室に。話し合いは約1時間に及んだ。
「簡単なことを言っても、たたいても分からんようだし、どうすればいいんだ」と顧問は尋ねたという。
この日は試合以外でも、生徒が顧問の質問に口ごもる場面があった。「質問の意味がわかる者はいるか」。顧問がそう尋ねると、多くの部員が挙手した。顧問は「みんなが選んだキャプテンなんだから、教えてあげなさい」と促したという。
解散は午後7時40分ごろ。直前に部員だけのミーティングがあり、生徒が顧問とのやり取りを打ち明けたという。
「キャプテンを続けるのはつらい」
考え直した生徒は「(引き続き)キャプテンをやらせてください」。
「これからも怒ったり、たたいたりするかもしれない。それでやれるか」
「やります」
生徒はミーティングで部員に「覚悟を決めて、頑張るわ」と話した。
部員から「チームのために怒られているんやから、全員でカバーだ」「助けてやろう」と、励ましの声があがった。
帰り道。生徒は親しい部員に手を振って別れた。暗い感じはなかったという。
顧問の教師の指摘は正しい。
そして多分多くの学校でこういう指導がなされているだろう。桜宮高校を評して「犯罪空間」と言った人もいるが、これが犯罪空間なら、運動部を持っているほとんどの学校が犯罪空間だ、と感じた。
そして、チームメイトの言動も、正しい。
何で引っかかるんだろう、と、もう一回記事を読み返した。で、なぜ引っかかるかわかった。
教師も正しい。
チームメイトも正しい。
正しすぎるのだ。
正しいことしか言わない。
教師は、その時々に「なぜ」と問いかけている。
自分で考えさせるためだ。
「どうするか」とも問いかけている。
でも。
それは、はじめから答えが決まっている。
「いや」という答えは、許されていない。
別の社の記事では生徒は、なぜキャプテンをしているか、と言われ、「進学のためです」と答えたという。
そういう「立派でない」答えは許されなかった。
生徒はミーティングで部員に「覚悟を決めて、頑張るわ」と話したという。
それは、本音の言葉だっただろうか。
チームメイトも「みんなで助けていこう」と言った。
いい仲間だ。でもそこは、「おれもむかつくんだよな」とか、「間違ったこと」を言える場だったのだろうか?
*
私の先生は、いつも私たちに「スポーツマンらしく」、礼儀正しくしろと言っていた。
前にも書いたが、それは私たちが「そうしたい」と思ってやっていたわけではない。やらなければ怒られるし、それが「先生に言われた正しい振舞だから」だ。「やりたいから」やっていたわけではない。
「やる気」に関してもそうだ。
先生は、もうあらゆる機会を捉えて、私たちにやる気があるか、を試していた。ちょっとした言葉尻を捉えて、「やる気」があるかのチェックをしていた。
そこで怒られたわけではないんだけど、そこで「やる気がない自分」が表出してしまうと、今まで言ってたことは嘘じゃないかい、ってことになってしまう。
その「一貫した自分」を守るために、どんなことがあっても「やる気」がなきゃならないんだった。
だから、一挙一動を気にしていたのは私たちの方だった。この先生の問いかけは、「そう」であるか、「そう」でないか。
今でもそういうところがある。
この言説は、人間として不誠実か(と他人に思われるか)、「お前が言うな」とブーメランが飛んでこないか、「社会的に」間違ってないか。
言いたいことを言っているようだが、どこかでそれを気にしている。時々「あっこれを言ったら前の言説と矛盾する」と、消すことさえある。
若いうちの「訓練」というのは根強いもんだな、と、ため息が出てしまう。
そういうのがだんだんめんどくさくなってきたので、この頃はいやがられそうな言説でも「わざと」出すことがあるのだけど。
で。
朝日の記事を見ると、みんな「間違って」ない。
愛情と熱意にあふれた先生と、やる気と思いやりにあふれた仲間。
みんな「正しい」。
生徒だけが「間違って」いる。
正確に言うと、「正しくないことを考えちゃう生徒だけが」間違っている。
こりゃ、息が詰まるわ、と思う。
やる気に満ち溢れて、信頼によってつながれている仲間と一緒にやれば、確かに成長する。
けど、それは、「本当に思った」時だけだ。
「決められたことだから」やってるのって、本当につらい。
周りが正しいとなおつらい。
何回頑張っても「正しく」なれないのは、一番つらい。
こういうこと言うと、またマズーなのかもしれないが、今回生徒が自殺したのって、本当に体罰によるものか、自分的には疑問がある。
リンチに至るほどの暴力ならそれ自体がきついが、生徒の遺書から見えるのは「何で自分だけ」という不公平感のような気がするからだ。
個人的に体罰がきつかったのは、みんなの前でさらし者になって、「お前は間違ってる、間違ってる、速く答えを出せ」とせかされたからだ。考える時間はない。「正しい」答えは決まっている。でもそうできない。でも答えないといけない。早くしないと殴られる。
でも、わかんないのだ。
でも、「私なら」つらいのは体罰じゃなかった。「体罰によって」「正しい答えを」せかされることだった。
「これで自由に料理を作ってください」
と言われると、たいていの人が刺身を作る。
答えは、渡された時から決まっているのだ。
それは、「自分で考える」ことにならない。
「自分で考えた」ことでもない答えをせかされると、つらいのだ。
生徒と私とは違う。
体育科という特殊なところにいたこともない。
でも、高校のときの、あの「正しい自分」「やる気がある自分」を求められたつらさを思うと、この子、「正しすぎる」ところにいてつらかっただろうなあ、と感じてしまうのだ。
*
部活にいて、私はたった一つ嘘をついた。
やめる時、「親が進学のためやめろと言ってる。ケンカして抵抗しているがどうしようもない」という口実でやめたのだった。
もちろん、方便だ(親は知らない)。
引退試合前にやめることは無理だと思っていたので、ケンカして意思を通しているがやむをえない、という設定ならやめられる、と思ったのだ。先生は、「本気ならケンカしてでも意志を通せ」とよく言っていたから、「そういう設定」なら受け入れられると思ったのだ。
ちゃんと本音を話してやめる「べき」だったかなあ、と今考えるが、本音は言えなかった。
嘘をついてよろしくない行為ではあったが、多分それは、私が部活でたった一つ自分の意志を通した行為だったのだ。
人として不誠実だったし、間違ってはいたが、結果的に、私は残りの高校生活、大変大変幸せだった。
ダラダラ過ごせる自分のクラスが大好きだったし、たくさん笑ってたくさん勉強してたくさんの人と話せた。
やめてよかった、と今でも思う。
追記
現在の事件に関する考察はすべて推測であり、どなたかに責任があると指摘するものではありません。
ご友人を亡くされてつらい思いをなさっている方々について配慮が足りなかった部分がありました。
元増田です。
桜宮高校の場合は、今日の朝日の記事を見るに、チームメイトからはいじめられてなかったみたい。だからこそプレッシャーがきつかった、ってのはあるんだろうけどね。。。。
体罰怖がっていた生徒は他にもいたらしいので、今は一息ついてるだろうけど、生徒自身から正確に聞き取りして、「どうしたいか」きいてほしいとは思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130122033549
元増田です。
トラバとブクマ、ありがとう。いろいろ考えさせられて思い出すことも多かったです。
それでちょっと重要なことをいくつか書き忘れていたので、以下に補足します。
前にも増して読みづらいかもです。そして、前のエントリと印象違うかもしれないので「用心深く」読んでください。お願いします。
*
前のエントリで毎日体罰を受けていたような書き方をしてしまったが、何日かたって思い返すに、そんなに頻繁には殴られていなかった。ことに私に対してはそれほどむけられることはなかった。
私は心身ともにヘタレだったので、こいつを叩くとつぶれる、と思われていたのだろう。先生も人を見て叩いていたのだ。
バレーボールというスポーツの構造上、エースは「トスが上がったら必ず打たなければならない」宿命を担っている。
セッターはその時点のアタッカーの状態、あちらのチームのブロックの状態、ゲームの流れなどを考慮して、その時点で一番点が取れるアタッカーにトスを上げる。エースはレフトから、補助アタッカーはライト、センターから。
補助アタッカーにはクイック攻撃もあるが、エースはほとんど高いトスを打つオープン攻撃。どっかん大砲を撃つ役目だ。
ゲームの中盤くらいまではクイック攻撃なども使えるが、ラリーが続くと必ずボールはエースに上がる。
上がったら打たなければならない。どんなに疲れていても飛んで、打たなければならない。ラリーが続く限り、なん10発でも。打って、決めなければならない。それができるから「エース」なのだ。
もちろんほかのアタッカーを使うこともできるのだが、ゲームの流れで、「どうしてもエースしか通用しない場面」ってあるのだ。
だから、エースってきつい。昔は後衛に回れば休めたが、いまはバックアタックも打つから休みなし。本人が自覚しなくても、構造上チームを引っ張らなければならない。それが「エース」だ。
チーム全員で拾って拾って拾いまくって、粘って敵失を誘うというチームもあるけど、身体能力に優れた選手が一人いればやはりその選手に集中する構造になるだろうと思う。
「キャプテン」もそうだ。
ゲームで、チームの期待が集中したときにそれを受けて結果を出さなければならない。
だから、「エース」や「キャプテン」を練習でいじめぬく指導者は多い。ほかのメンバーがミスしても怒られないような場面でエースが気のないプレイをしたりするとそれはもう怒られる。「自覚」をたたき込むことが練習でのかなりのウエイトを占めているのではないかと思う。
そこにはかなりの不公平感が漂う。不公平であるのはほかの部員もよくわかっている。あるいは、自分たちのミスをかわりに怒られることもある。そんなとき、メンバーは
「ああ申し訳ない、自分たちがふがいないせいで、自分たちがミスしたせいで、エース(キャプテン)が怒られている。次は絶対にエースに負担をかけないようにしなくては」
と考える。こうやってチームのつながりは少しずつ強くなっていく。
体罰が起きていたときに、なぜほかの部員が止めに入らなかったか、といわれている。他ではわからないが、うちではこうだった。
そしてまた、体罰というのはたいていが理由がある。
記事でもあったが、「怒られるのは気のないプレイをしたとき」。理由はちゃんとあるし、その理由は常に筋が通っている。
うちのチームでは、エースがラリーで相手に拾われた、あるいはブロックで止められたときは怒られることはなかった。打ち損ねたとかタッチネットしたとかで、相手にポイントが行ってしまったときでも怒られることはなかった。
でも、苦しくてフェイントでごまかそうとしたり、ただ相手コートに入れるだけだったりするとものすごい勢いで怒られた。「そういう姑息なことをするな」と言われた。
力一杯ぶつかってだめだったらそれは仕方ない。が小手先でごまかしたり逃げたりすることに対しては非常に厳しかった。
大人になって働くようになってから、その意味はちょっと分かる。苦しい中ごまかさず、妥協せず頑張りとおす、みたいなことだった。
いい指導だった、と思う。
*
これって、どう感じられるだろうか。
ゲームでは、時に一人が重責を担わなくてはならないときがある。それに耐えるためにはどうするか。支える周りの人間はどうするか。
試合に負けたっていいのだ。大切なのはそれに立ち向かうことだ。
与えられた役割を担うこと。そして彼/彼女を信頼してサポートし、最後のボールをゆだねること。
それは悪いことではない。
だけど。
それじゃあ身体能力に優れて、夢を持って入学してきた生徒が自殺するのはなぜなんだろう。
だめな人だったんだろうか。
私の先生はいろいろとトラップを仕掛けて私たちの自主性を試していた。見捨てられても食いついてくるか。先生の意図を乗り越えて、自分の意志を通すか。
しかしヘタレであるところの私たちは、その意図を知りつつ、演技をした。自主性をもって動いているかのような演技。だから、空気を読むことは大変うまくなった。先生が望んでいるものを演じるようになった。表面は大変「スポーツマンらしく」なった。が、内面ではもう気力はつき、早くやめたいと思っていた。
今考えると、ため息が出る。
でも、これが現実だ。
もし、このとき先生が「善意」で、どこまでも私たちの演技を許さず、追及していたら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは克己の物語を「美しい」と感じる文化の中に住んでいる。一方、頑張れ頑張れと強いられたあげく、追い詰められた末の死というものの悲惨さもよく知っている。
だからこそその双方を知る人々は口ごもる。
この矛盾は多分、誰でも持っている。そして明確に解決できていない。
だから、思う。
一人を責めても解決しない。
*
教師と生徒が一緒になったいじめを受けていたという増田もいる。
http://anond.hatelabo.jp/20130123190802
http://www.asahi.com/national/update/0124/OSK201301230152.html
生徒はミーティングで部員に「覚悟を決めて、頑張るわ」と話した。 部員から「チームのために怒られているんやから、全員でカバーだ」「助けてやろう」と、励ましの声があがった
いい、チームではないだろうか。
「いいチーム」なのになぜ死んだのか。
「いい人」だからだ。
本気で生徒を伸ばしてあげたいと思い、「本気で」体罰が彼らをよくすると思い込んでいるからだ。困難を克服することが、彼らにどうしても必要だと思っているからだ。
体罰を「誰かをスケープゴートのようにして恐怖の支配をする」という記者もいる。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130118k0000e070251000c.html
私はこれに強い違和感を覚える。
「いい人」だから、善意にあふれているから、何回注意しても体罰を繰り返すのだ。自分のことではなく、相手のことしか考えていないからだ。相手がよくなればそれでいい、と考えているからだ。それがチームの結束を強め、自分で考える力、自分で解決する力をつけると思っているからだ。実際は、そうじゃないのに。
ここが理解されない限り、世間は「体罰いけない」と「現場では体罰あっても仕方ない。頑張れば克服できるはず」のダブルスタンダードを繰り返す。
体罰が法律で禁じられていることは、建前だと思っている。生徒にわからせるには体罰が一番通じると思っている。だから、殴る。善意で。
だから、異常者を切っても解決しない。桜宮高校だけではない。日本全国に法律違反をしてでも生徒を指導しようという「熱くて」「いい先生」はいるのだから。
「いい先生」と、「いいチーム」。
生徒は、「部員の信頼を失うので『キャプテンを辞めたい』とは言い出せない」と言っていたそうだ。
http://mainichi.jp/feature/news/20130110ddm041040111000c.html
信頼を裏切ることは、ときに侮られるよりつらいことだ。
教師もきつそうだと、キャプテンを辞めさせようかと何回か提案していたが、そのたびに「やります」というやり取りを繰り返していたらしい。
折れそうなところを起き上がって、また折れて、起き上がって。
生徒が弱かったのではない。
休まなければならなかっただけだ。
全員部活参加の体育科で、進路に非常に重要な影響を持つ部活動、そして迫っている新人戦。練習試合のたびの詰問、体罰。
「体罰は、やらない方がいい」という結論は同じなのだけど、それは誰かに責任を覆いかぶせるとか、ましてや一つの学校を潰してすむことではないと思う。
大阪市立桜宮高校の体罰事件が毎日伝えられている。生徒はキャプテンになってから毎日しかられ、体罰を受けて参っていたという。教師は体罰を辞めます、といった数日後の練習試合でまた生徒を殴り、キャプテンを辞めるならBチーム、やめないなら殴ってもええんやな、といったという。
ネットでは頭がおかしい、とか、クズだとかさんざん言われている。
でも、それは違うんじゃないか、という気が私にはする。あんまり整理できてなくてちょっとわかりづらいかもしれないけど、私の体験を書いてみる。参考になるかもしれないので。
*
私は中高6年間バレーボール部にいた。
今でも小さいがそのときも小さかったので中学ではずっと補欠だった。
最後の試合に出してもらったが、ミスをして交代となった。そのとき顧問の先生が何を思ったのか「出すのはおまえでなくてもよかったんだ」とつぶやいた。今でもどういう意味かわからないが、そんなこというなら高校でがっつりレギュラーになってやる、と高校でバレー部に入ることにした。
バレーはそこそこ好きだったが、そんなに上昇志向もなかった。体格も素質もなかったし、全国大会に行きたいとか、ましてやプロになりたいとかは全く思ってなかった。ただ中学の先生にいわれたことが悔しかったので見返したい。すごく単純な動機だった。
高校で入ったバレー部は体育大卒の若い先生が顧問で、熱心に指導していた。都立高校にしてはかなり厳しい練習をしていたし、実際わりといいとこまでいっていた。
都立は今でもそうだと思うけど、運動部の顧問は誰もがいやがった。ただでさえ大変な教職のほかの事務仕事をやらねばならず、その上に時間、体力、気力を使う運動部の顧問なんてみんなヤッテランナカッタのだった。
その先生は指導の最中にアキレス腱を切ったことがあるという。それも2回も。それを押してやってくれてるのだから感謝しないといけないよね、みたいな空気が生徒の中にはあった。
同時にそれはそこまでしてくれてるのだから、言うこと聞かないと悪いよね、期待に応えないと申し訳ないよね、みたいなものでもあった。
練習は厳しかったし、時々平手打ちもされた。
夜の7時、8時までやっていた。家に帰ると疲れて何もできない。食事をしながら寝てしまったこともある。
いやだったしきつかったのだが、「その辺のお遊びの運動部と私らはひと味ちがうのよフフフ」みたいな訳の分からないプライドみたいなものが部の中にはあって、苦しいのを耐えれば耐えるほど偉いのだ、みたいなところはあった。(でないとヤッテラレナイところはあった)
私には変な癖があったらしくて(自分ではわからない)、それを矯正するためにやらされたのだがなかなかうまくできなかった。
「手を下から出すように」
自分ではその通りやってるつもりだったが何回やっても違うといわれる。先輩後輩あわせチーム中が注目してるし、自分が練習を中断しているというプレッシャーもあった。違う違うといわれ続け、もうなんにもわからなくなってアンダーサーブをした。
「俺はおまえに手を下から出せとはいったがアンダーサーブをしろなんて言ってないぞ」
じゃあどうしろっつうんだよ、と思ったがさすがにそれは言えなかった。
厳しい練習はぜんぜん私の精神を鍛えることにはならなかった。先生に本音で質問することさえ出来なかったのだった。かといって自分で考えろ、というのは、その状態ではなおさら無理だった。それ以来、前から苦手だったサーブはまったく嫌いになった。
こう書くとがちがちの管理教育だったように見えるかもしれない。がしかし、先生としては自主性を持った選手になってほしかったようだった。
生徒がやる気がない態度を見せると、先生はたびたびボールを投げ出して帰っていくという振りをした。
「俺がやりたくてやってるわけじゃない。おまえたちがやりたいって言うからやってるんだ。おまえたちがやる気がないならやめる」というポーズだった。
それを追っていって、
「お願いします!」
と生徒全員で頭を下げるのがいつもの習慣だった。
「楽しくやりたいだけならそれでいいんだ。それならそういう風にやるから。でも本気でやりたいならそういう風にする」ともよく言われた。
生徒が望むなら、やりたいという気持ちがあるなら一緒にやりたい。そういう選手になってほしい、という気持ちの先生だった。
追っていったのは「先生がいなくなると困る」という気持ちだったし、見捨てられるのが怖い、とも思っていた。先生に見捨てられればその時点でダメダメなやる気のない私たち、という烙印を押されてしまうからだ。
そういう状態になりたくないという気持ちだけで「お願いします!」と毎日言いに言った。こうなるともはや意味のないお約束、儀式のようである。
そもそも、本当に自主性のある生徒であれば、先生が帰ってしまっても自分たちで練習すりゃよかったのである。でも自分たちで、これをやりたい!というものが私たちにはあんまりなかった。ただ日々の練習を修行のようにこなしていく。先のことは考えられなかった。ただ今の苦しさを耐え抜くことだけだった。ぶっちゃけ、自主性もへったくれもなかった。受け身で、受け身で、過ごしてきた。まじめでミスをしなければ、ボールが飛んでくることも、たたかれることもなかったから。
*
今回のことがあって、「私、バレーって好きだったかなあ」と思い返した。確かに好きではあった。レシーブがきれいにあがるとうれしい。難しいボールを拾えるとうれしい。トスをきれいに上げられればうれしい。アタックを気持ちよく打てるとうれしい。
で、ここまで考えてはたと気づいた。
全部個人技だったのだ。
バレーという団体競技をやってながら、私はチームプレイを楽しいと思った記憶がない。
団体競技をずっとやってきたのだから自分では協調性がある、他人と一緒にプレイするのが好きなのだと思いこんでいたがいやいや完全なヲタクじゃないか。自分で呆れて笑った。
でも。
コンビネーションプレイをうまくこなしたり相手と競う楽しさ、ゲームを運ぶ楽しさ、みたいなものは、たぶんバレーという競技にはあるのだと思う。
私にはそう感じる余裕はなかった。
日々の練習をこなすだけで精一杯だった。
日々の練習が修行のようになり、それをクリアすること自体が目的となってしまっていて、ほかのことは考えられなかった。もっとこういうことをしたいとか、こうなると楽しいとか、そんなことは全く頭になかった。
私に関して言えば、試合に勝つことさえどうでもよかった。試合は義務であり「ミスをしない」ことが第一目的であって、結果はあとでついてくるという感覚があった。
もったいなかったな、と自分でも思う。
*
が。もし私の先生であれば、たぶんこういう意味の発言だったかと思う。
「キャプテンを辞めるということは第一線で活動するのは無理です、ということなので、楽しくやりたいだけならBチームでやればいい。でももし、第一線で活動する意志があるなら厳しい指導もするし、体罰もある。自主性をもって立ち向かってほしい。覚悟がほしい」
先生はよく「意地を見せろ」と言っていた。
苦しくてもやりたいことならやりぬけ、ということだったのだと思う。
でも。
人間って、そんなに強くないのだ。
いくら好きであっても苦しい練習を続けさせられればそれ自体が目的となって、自分のスキルを伸ばすとか、何かに挑戦するとか言う余裕はなくなってくる。「好き」と言う気持ちはしぼむ。ただ「早く終わってくれればいい」になる。
まじめにやっていれば、受け身でもそれなりのスキルや体力は身に付くから、やる気がなくても勝ててしまう。
そういうのもありかもしれない。
でも、そういうのって、長く続かないのだ。
負荷が強くなっていけば、「義務」だけではきつくなる。「やらされてる」感が強くなり、「何で自分だけ」という気持ちが大きくなっていく。
ぱあんと破裂する。
悪いことに、「我慢」にたけた人間は限界点を越えても我慢するので、傷はより深くなる。
「我慢」はいらない。「やりたい」が一番。それがないと頑張れない。力が出ない。
試合で役に立ったことは皆無だった。もちろん「訓練」として体に染み着いてるので体は無意識のうちに動く。だから勝てる。でもそれがうれしいとはあんまり思えなかった。苦しいときにそれを思い出して頑張れる、ということもなかった。
うまくなってうれしい、自分の力を出し切った、というよりは、3年間耐え抜いた、という方が実感として正しい。
*
最後の試合、私は初めて結果を出した。苦手だったサーブでなぜか連続ポイントを上げたのだった。ストレートと、対角線上に打てばポイントをとりやすいというセオリーを単純に実行したら相手がミスってくれた。不思議なことに、そこに私の中学の先生が来賓として招かれていた。その場で結果を出せた。
それで気がすんでしまった。
まだ引退までには期間があったが、3年でもあったし、さっさと部をやめてしまった。
今思うと、「先生を見返したい」という意地だけでやっていたのだと思う。だからそれが達せられたらもういいのだった。
それはそれで初志貫徹といえるかもしれないけど、我ながら矮小な目的のために時間とエネルギーを使ってしまったなあ、と今は思う。
一応一つのことをやりきったのだし、「辞め癖」がつかなくてよかったんじゃないの、という人もいるかもしれない。でも、ポジティブな意味での達成感はなかった。やっと終われる!という解放感だけだった。
私は3年間を無駄にした。今思い返して、素直にそう思う。
*
今回の事件、生徒は義務とか責任感とか期待とかでぐるぐるになって「好き」という気持ち、自分がこうなりたい、という気持ちはもうぜんぜんなくなっていたのではないかと思う。
そういう状態になると人間は惨めだ。そういう身に暴力は堪える。
悪意とか、支配欲とか、そういうことは教師にはなかったとは思う。葬儀の席で親御さんに指摘されてすぐさま謝ったことを見ても悪人ではない。普通の人だ。
ほかの生徒も先生をかばっている。道を教えるのでも、ちゃんとついていってあげないとだめだぞ、と、普段の振る舞いを教えてくれた、と感謝する子供もいる。礼儀を教えてくれた、という子供もいる。かといって、べったり先生の側に立って、生徒の死を悼んでいないわけではない。校門に「キャプテンに捧ぐ」と幼い字で書かれたメモを添えた花束があった。
進路とか戦績とか、お互い保身はあったかもしれないが、生徒への愛情はあったと思う。でなければほとんど毎日、家庭まで巻き込んできつい指導はできない。
が。だからこそ逆らえない。情で縛られるところはある、と思う。
*
好きだった勉強を一生懸命できた。それについての専門書を読む時間もできた。その延長で大学に行って好きな研究もできた。早くやめてりゃよかったと今でも思う。
部活の影響は、今でも残っている。
負荷を耐えることは得意だ。が、ぎりぎりまで我慢するから限界を超えるとその負荷の影響を二倍三倍にも受けてしまう。
好きなことをしていてもなぜか途中からつらくなる。義務になる。理由はよくわからないが、たぶん何か「厳しくなくてはホンモノではない」という意識があって、「楽しむ」ということをどこかで軽蔑していたり、その結果思い切り楽しむことができなくなったりするんじゃないかと思う。あるいは自分のやることに自信が持ちきれなくて、先生のような絶対者の評価がほしくなったり、反対に他人の評価で自信を失ったり。
先生については、慕っていたかと言われれば、うーん、お世話になったので大変大変申し訳ないのだけど、ちょっと苦手だったような気がする。
先生はいつも「スポーツマンらしく」、礼儀正しくしろと言っていた。
「力」や「技術」に偏りがちなスポーツで、礼儀とか人のことを考えるとかは、重要なことだ。人としてたいせつなことを教えていただいたと思う。
が、それはなんというか、自主的にやる、と言うより、訓練のようなものだった。やらなければ怒られるし、手が飛んでくるような気がしていた。
私は先生の前でかなり礼儀正しく振舞っていたが、それはかなりの部分「演技」だったような気がする。「それが(先生に言われた)正しい振舞だから」やっていたのであって、「やりたいから」やっていたわけではない、と思う。
そういう「型」ではめられた振舞を厳しく求められたので、本音で接することはできなかった。本音で話せないので、自分の克服すべき問題を一緒に考えてもらうとかは考えられなかった。
いま先生について思うことは、「なんかうまくいかなかったね」「お互い失敗しちゃったね」という感じだ。
自分の意志で動く選手になってもらいたい、という先生の意図は分かっていたけど、少なくとも私に関してはもう疲れちゃっていた。自分の能力を伸ばすという気力はとうにつきていた。ただ自分の目的があったし、期待を裏切るのも悪いので3年間続けてしまった。
一回休んでいれば気力が回復することはあったのかな、と思うが、狭い学校生活の中で、一回レールをはずれるというのはなかなかできないことでもあった。
こういうの、「罪悪感を持たせて逆らえないようにする」「カルトだ」という人もいるかもしれないけど、それは日々の人間関係のすごく曖昧な線上にある。その渦中にいるとなかなかわからない。善意と、思いやりと、慕わしさと、依存心と、打算と、不満と、夢と、絶望と、責任感と、プレッシャーと、見栄と、もういろんなものがある。
単純じゃないし、それを理解せずに顧問をアクマ扱いしても問題は現場の教師にずっと残されると思う。
*
部活やその中での体罰を体験した人のことばがあんまりなかったので書いてみた。体罰がなされて、愛情ある指導がされて、生徒たちも先生を受容している環境で、それでもどうして体罰よくないかっていうのを、説明してみたかった。増田に書いたのは、何となく増田っぽかったので。
ひとつ。今顧問の先生をたたく人はすごく多いけど、今たたいても無駄だと思う。
葬儀の席で土下座したとあったけど、彼の頭の中はどうしよう、どうしよう、すみません、すみません、で、意味なく(そう、意味なく)ぐるぐるしてて、冷静に反省するどころじゃないと思うから。
責め殺したいならそれでもいいけど、たぶんそれじゃ自分のしたことが過不足なく理解されることはないと思う。そんな中じゃ何が問題かわからない。
自分はこれから何をしようとしているのか、何をしたいのか、それが世の中にどう繋がっていくのか、どれほど価値があるのか、自信を持って取り組んでいきたいですよね。仕事に手をつける前あるいは頑張っている途中でもちょっと立ち止まって、問い直してみませんか。
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端的かつ精確に、的を絞ったゴールが設定できているか
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苦労しそうな点を理解しているか、計画に見落としはないか、リスクやトラブルを予想しているか、そしてトラブルに代案を準備しているか
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より大きなビジョンを持って仕事に臨んでいるか、プロジェクトの将来性を見据えているか、自分自身の成長に繋がるか、より多くの人を巻き込んでいく魅力が生み出せるか
卒研生へといいつつ、本当は自分自身に問う為に書き出しているもので、過不足あり未消化あり、完成には遠い。でも、答えることよりも、どこに注意を向けるべきかが重要と考えていて、それを整理する為の覚え書きです。いずれ自分が学生の卒業研究を指導する立場になるまでには、使用に耐えるよう仕上げたい。この質問表を埋めていくプロセスを通じて、自分の研究に対するスタンスや熱意を学生さんやラボチームへうまく伝えることができれば、という狙い。それを受けたチームメイトのモチベーションを少しでも促進できるならば、価値はあると考えます。その為に、まず自分自身が自らの仕事に対し答えを用意していること、またこの質問がいつでもどんな場面でも適切に取り出せるようになっていること、を今から自分に課していくところ。
そいつがドリブルを始めると誰も止められない。特にキックフェイントが絶妙で、分かっていても引っかかる。存在しないボールの軌跡を目で追ってしまう。まるで手品のようだった。紅白戦では、そいつがいる側が絶対勝ってしまうため、もう一方のチームを一人増やす、そんなレベル。
そいつは地元の強豪校に進学した。我々チームメイトは「あいつならすぐにエースになるだろう」と話していた。
しかし、強豪校とはそんなに甘いレベルではなかった。彼はエースどころかレギュラーも掴めず、3年間二軍暮らしだったらしい。技術は悪くなかったが、体の小ささが災いしたのだという。
さて、その強豪校。さぞかし全国に名を轟かせたか、というとそうでもない。我々の代では選手権に一度も出られなかった。なぜなら、ライバル校に『怪物』と呼ばれる程の選手が加入し、予選でことごとく蹴散らされたから。
では、そのライバル校は全国で……いや、まったく。せいぜい二回戦どまり。とはいえ、その『怪物』は目立っていて、その後プロ入りする。
その『怪物』はプロの世界でも暴れまわ……ったりはしなかった。レギュラーを掴んだ時期もあったが、後から入ってきた年代別代表の常連にポジションを奪われ、その後は鳴かず飛ばずのままひっそりと引退した。
その年代別代表常連はクラブにおいては重要な選手となったが、それもやはり、あくまでローカルヒーロー。A代表に呼ばれることはついぞなかった。
そんな化け物の中の化け物が集結する我らが日本代表も、ワールドカップではベスト16が最高成績。FIFAランクでは30位前後。相手によっては子供扱いされてしまうわけだ。
で、結局、何が言いたいかというとだね、
という事です。以上。
こんばんは、今日は君たちにSNSやTwitterのちょっとだけ先輩である、お兄さんから2点ほどアドバイスをしたいと思うんだ、退屈だと思うけど少しの間だけ我慢してお兄さんの話を聞いてほしい。お兄さんからのお願いだ。
さて、加齢臭のするくさい大人たちが帰ったところでお話を始めるね。
SNSやTwitterというのはいつも誰かが見張ってるような場所なんだ、そうで無い場所もあるんだけど、見張ってる場所の方がいっぱいある。
そんな場所でイケナイ発言をしてしまうと大変なことになってしまうから注意しよう。
例えば、君はおそらく思春期だから色々と悪い事もしてしまうかもしれない、だけどそんな時にSNSやTwitterで簡単にそんな悪い事を書いたら駄目なんだ。
何故かというとインターネットの世界にいる大人たちはみんなアンパンマンみたいな正義の心に溢れた人ばかりなんだ。
だから君が悪い事をしていると怒ったり、制服のおじさんを家に向かわせたり、学校の先生や、えらい人にチクったりするんだ。
お兄さんがインターネットをやってきてイケナイ発言をして制服のおじさんに連れて行かれた人は何人も見てきてる。
だからこれからSNSやTwitterを始める君たちにはいつも誰かが見張ってるという事を覚えてて欲しいんだ。
これが実はそうでも無いんだ、ここがお兄さんが今日、君たちに伝えたい大事なポイントだからしっかり聞いて欲しい。
サッカー部のリーダーの君はとても人気者で隣の学校にも名前が知られてるんだ。
そんな時、隣の学校のサッカー部のリーダーが君のところにやってきて、『お願いがあるんだ、今度の日曜日に君のチームと練習試合をさせてくれないか?』と言ってきたとしよう。
この時きみは隣のサッカー部のリーダーにお願いされた事でちょっと気分が良くてチームメイトに相談しないでオッケーしてしまうんだ。
ここで重要なのは2つ、君がサッカー部のリーダーという事とチームメイトにちゃんと相談しなかったという点なんだ。
君がサッカー部のリーダーではなく野球部のリーダーだったら、隣の学校の人は野球部のリーダーの君に聞くよりもサッカー部のリーダーに聞くだろ?
君が練習試合の返事をする前にちゃんとチームメイト相談していたら、日曜日には全員、揃ったかもしれない。
君がサッカー部のリーダーでとても人気者で天狗になっちゃったばっかりにこんな大変な目にあってしまったんだ。
例え話が長くなっちゃったけど、お話に戻るね(ごめんね、後もうちょっとでお兄さんのお話終わるから、お話終わっら遊びにいっていいからね)
このサッカー部の話はSNSやTwitterにも当てはまるんだ、だから君が大人なってお兄さんよりも、もっともーっとえらい人になった時に責任と相談を忘れないように注意して欲しいんだ。
以上でお兄さんからのお話はおしまいです。みんな長い時間聞いてくれてありがとね。
まぁ誰とは言わないけどね…
いきなり見ず知らずの人が現れて「○○県民の勝利だな!」とか言ってきたとき、
「いままで俺たちのこと知りもしなかったくせに」なんて思わない?
それはあなたがわざと異様な感じに書いてるからそうなるんであって
わがことのように喜んでくれる地元のおじさん達の気持ちはとってもうれしかったよ。
あと全国大会では初戦敗退なので「○○県民の勝利だな!」はありえませんでしたすんませんでしたすんませんでした。
君のチームメイトも、君と戦った他校の選手も、監督も教師も家族たちも、
あなたは誰かと繋がってると感じられることが少なかったり
何かを達成して祝福される体験が今までなかったりするのだと思う。
誰とも関係のない俺一人の手柄だ!なんて言えるようなものじゃないし
なにより人と共有しても減らないものなんだよ。
飲み会のメンツとは関係無いチームメイトや監督に、精神的ダメージを与える行為が駄目
飲み会で文句言われてましたと文句言われてた人に伝言ゲームでチクルようなもの。
みんなが見ているTwitterで画像の保存や文句言われたたことをつぶやいて、上着無し画像撮られた人や文句
言われた人を周囲の好奇の目に晒し、なでしこの人間関係に危機をもたらした。(これが問題)
1.「飲み会での他人の文句をチクリツイートして拡散されやすい場所にわざわざ晒した」
※このエントリは私の大好きな「スポーツ見るもの語る者~フモフモコラム」のパクrもといリスペクトです。
http://blog.livedoor.jp/vitaminw/
心を整えたい!
女子サッカーワールドカップの準々決勝、日本対ドイツの試合開始前およびハーフタイム中のインタビューで「あの男」が繰り返
「あの男」そう、サッカー日本代表の主将、長谷部誠選手です。なでしこJAPANが歴史を創った陰で彼が暗躍していたことはもっと
知られても良いでしょう。
今回はそんなサムライブルーキャプテン長谷部選手の動きについてチェックしていきましょう。
長谷部選手と言えば日本代表の中では主将として、真面目に誠実にメンバーとコミュニケーションをとり曲者揃いのチームをまと
め上げている名キャプテンで、
若手選手は真面目な発言をした人に「長谷部か!」というツッコミをするほど、チームメイトからの尊敬を集めています。
そして先日発売した著書「心を整える。」はベストセラーとなっています。
世の中の女性に対しても、そのイケメンではないがさわやかなルックス、日本代表キャプテンというステータス、海外で活躍する
ことによる高い給料と、モテモテ要素を全て備えており、その圧倒的アピール力に寄ってくる女性は後を絶ちません。
そんな状況で浮かれ立たない男などいるはずもなく、長谷部選手も日本との遠距離恋愛でなかなか会えない某本田アナと別れ女遊
びモードに入ります。しかもフリーであることを天下に示すために、シーズン終了後の帰国時に「The End Of LOVE」と書かれたT
シャツで全世界の女性にウェルカムを表明した事は記憶にも新しいですね。
そんな誰でも来い状態の長谷部選手、日本では散々テレビに出まくって、女子アナ、アイドル、グラドルとメール交換しまくった
の良いものの、オフが終わりドイツに帰国。ヴォルフスブルクという北部のド田舎町では全然女遊びができません。が、そこに朗
報が!ドイツで開催されている女子ワールドカップの試合がヴォルフスブルクで組まれたのです。
しかも見事に勝ち進んだ「なでしこJAPAN」がやってきたのです。勝手知ったるホームタウンに大量の女子。長谷部選手は自らのプ
レースタイルのように労を惜しまず縦横無尽に動き始めたのです。
…言いたい事はわかります。なでしこJAPANなんて不器量の集まりではないかと。モテモテ長谷部選手のお口に合うのかと。確かに
サッカーに青春を捧げた彼女たちは、ヘディング練習のしすぎで顔が潰れてしまった澤選手を筆頭にお世辞にも美人揃いとは言え
ません。しかし、何人かは見られる顔の選手がいらっしゃるのです。個人的には鮫島選手、超タイプです。
・安藤 梢
http://matome.naver.jp/odai/2125351445532140015
http://matome.naver.jp/odai/2126559444013016401
・鮫島 彩
http://matome.naver.jp/odai/2126524399704137901
もちろん、極上のルックスとはいえませんが、彼女たちはサッカー選手として純粋に長谷部選手を尊敬しています。ウェルカム状
態の長谷部さんにとってはまさにお手軽なのではないでしょうか。
しかし問題はどうやって彼女たちに近づくか。ワールドカップ中の選手へは安易に近づけませんし、通常は関係者以外は男子禁制
です。しかし、ピンポイントの早いパスでディフェンスラインの穴を通すのも長谷部選手の得意プレー。それは、NHKBS1で日本全
国民に明かされました。試合直前にピッチサイドでインタビューを受ける長谷部選手。
「大アウェーだけど頑張ってほしい」
「昨晩、宿舎におじゃましたのですが雰囲気が良かった」
え?普通に宿舎におじゃましちゃったの?さすが長谷部選手。日本代表主将という肩書をフルに発揮して、試合前日の夜という、
極めてセンシティブな時間に宿舎に突入していました。宿舎ですから当然シャワーもベッドもあります。連戦のストレスと男子不
足で飢えた女子選手とウェルカム長谷部。どうなるかは火を見るより明らかですね。
こんなこと私の下種な妄想であって欲しい。そう思いスポニチを見ると、下記の報道が。
『試合前夜に宿舎を訪れた男子主将に、同じく浦和からドイツに渡ったFW安藤梢(29)=デュイスブルク=らが奮起。』
http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/sports/ssp20110711008.html
『丸山は長谷部の著書「心を整える」に引っかけて「お会いできて、すごく心が整いました!」と感謝した。』
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/07/11/kiji/K20110711001185890.html
見事に「見られる顔の選手」に手を出しとるやないかい!さすがの戦術眼です長谷部選手。
試合前日に手を出された方はというと、前半積極的なチェイシングで守備を助けた安藤選手を後半に丸山選手に交代。監督は、期せずして姉妹となってしまった2人が同時にピッチに立たないようにする気遣いで、2人の奮起を促します。丸山選手の感動的な決勝点はこうして生まれたのですね。ありがとう長谷部選手!
しかし、一晩に2人お相手とはさすが無尽蔵のスタミナを持つ長谷部選手ですね。いやいや彼のスタミナを持ってすればさらに…
…はっ、我らが鮫島選手にも手を出したのでは!?そう思って試合中継のビデオを見直すと、長谷部選手のおでこに大きな絆創膏が。
そう、完全に返り討ちにあっているではありませんか。良かった、鮫島選手のの貞操は守られたんだ!
今回の経緯を見るに、現役の日本代表選手が女子宿舎を訪れるのは、なでしこJAPANにとってプラスの様です。準決勝はフランクフルトで開催されます。クラブチームにはかつて高原選手や稲本選手が所属していました。現在は日本人選手の所属はありませんが、槙野選手のケルンからならアウトバーンをひとっ走りです。
※まともな観戦記を読みたい方は本家 フモフモコラムをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/2011-07.html#20110710
「たけしー ご飯よー」
母さんの声が階段の下から響いてくる。人が落ち込んでるってのに、うるさいな…
「いらないってば!」と俺は怒鳴った。
俺は8番サードで出場。ここ最近の試合で打率.022の俺だが、今日は気合が入っていた。
なぜなら、どういうことか俺の好きな綾香ちゃんが観戦に来ているからだ!
俺はこの試合で活躍したら綾香ちゃんに告白するつもりでいた。そのことをチームメイトに伝えようと
バーッターズサークルに行く前に「おれ・・・この戦争が終わったら・・・結婚するんだ 」
と少々オーバーに伝えた。仲間は「え?」とキョトンとしていたが。
さて、俺の前のバッターは『田代砲』と恐れられている田代正樹。
カキィーン!!
見事ヒット!さすがだ。ワンナウト一塁で、バッター俺。脳内で「8番、サード吉田君」と
ガキンッ
ボテボテのピッチャーゴロ。オワタ…と思いきや!意外と難しいコースに転がっているので
ゲッツーを逃れる可能性が!俺は全力で一塁に向かい激走!そしてヘッドスライディーング!!
その瞬間、俺のズボンとパンツが脱げ、すべすべなお尻が丸出しに。
ざわ・・ざわ・・となる球場。そして判定は…!
「アウトッ!」