大阪市立桜宮高校の体罰事件が毎日伝えられている。生徒はキャプテンになってから毎日しかられ、体罰を受けて参っていたという。教師は体罰を辞めます、といった数日後の練習試合でまた生徒を殴り、キャプテンを辞めるならBチーム、やめないなら殴ってもええんやな、といったという。
ネットでは頭がおかしい、とか、クズだとかさんざん言われている。
でも、それは違うんじゃないか、という気が私にはする。あんまり整理できてなくてちょっとわかりづらいかもしれないけど、私の体験を書いてみる。参考になるかもしれないので。
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私は中高6年間バレーボール部にいた。
今でも小さいがそのときも小さかったので中学ではずっと補欠だった。
最後の試合に出してもらったが、ミスをして交代となった。そのとき顧問の先生が何を思ったのか「出すのはおまえでなくてもよかったんだ」とつぶやいた。今でもどういう意味かわからないが、そんなこというなら高校でがっつりレギュラーになってやる、と高校でバレー部に入ることにした。
バレーはそこそこ好きだったが、そんなに上昇志向もなかった。体格も素質もなかったし、全国大会に行きたいとか、ましてやプロになりたいとかは全く思ってなかった。ただ中学の先生にいわれたことが悔しかったので見返したい。すごく単純な動機だった。
高校で入ったバレー部は体育大卒の若い先生が顧問で、熱心に指導していた。都立高校にしてはかなり厳しい練習をしていたし、実際わりといいとこまでいっていた。
都立は今でもそうだと思うけど、運動部の顧問は誰もがいやがった。ただでさえ大変な教職のほかの事務仕事をやらねばならず、その上に時間、体力、気力を使う運動部の顧問なんてみんなヤッテランナカッタのだった。
その先生は指導の最中にアキレス腱を切ったことがあるという。それも2回も。それを押してやってくれてるのだから感謝しないといけないよね、みたいな空気が生徒の中にはあった。
同時にそれはそこまでしてくれてるのだから、言うこと聞かないと悪いよね、期待に応えないと申し訳ないよね、みたいなものでもあった。
練習は厳しかったし、時々平手打ちもされた。
夜の7時、8時までやっていた。家に帰ると疲れて何もできない。食事をしながら寝てしまったこともある。
いやだったしきつかったのだが、「その辺のお遊びの運動部と私らはひと味ちがうのよフフフ」みたいな訳の分からないプライドみたいなものが部の中にはあって、苦しいのを耐えれば耐えるほど偉いのだ、みたいなところはあった。(でないとヤッテラレナイところはあった)
私には変な癖があったらしくて(自分ではわからない)、それを矯正するためにやらされたのだがなかなかうまくできなかった。
「手を下から出すように」
自分ではその通りやってるつもりだったが何回やっても違うといわれる。先輩後輩あわせチーム中が注目してるし、自分が練習を中断しているというプレッシャーもあった。違う違うといわれ続け、もうなんにもわからなくなってアンダーサーブをした。
「俺はおまえに手を下から出せとはいったがアンダーサーブをしろなんて言ってないぞ」
じゃあどうしろっつうんだよ、と思ったがさすがにそれは言えなかった。
厳しい練習はぜんぜん私の精神を鍛えることにはならなかった。先生に本音で質問することさえ出来なかったのだった。かといって自分で考えろ、というのは、その状態ではなおさら無理だった。それ以来、前から苦手だったサーブはまったく嫌いになった。
こう書くとがちがちの管理教育だったように見えるかもしれない。がしかし、先生としては自主性を持った選手になってほしかったようだった。
生徒がやる気がない態度を見せると、先生はたびたびボールを投げ出して帰っていくという振りをした。
「俺がやりたくてやってるわけじゃない。おまえたちがやりたいって言うからやってるんだ。おまえたちがやる気がないならやめる」というポーズだった。
それを追っていって、
「お願いします!」
と生徒全員で頭を下げるのがいつもの習慣だった。
「楽しくやりたいだけならそれでいいんだ。それならそういう風にやるから。でも本気でやりたいならそういう風にする」ともよく言われた。
生徒が望むなら、やりたいという気持ちがあるなら一緒にやりたい。そういう選手になってほしい、という気持ちの先生だった。
追っていったのは「先生がいなくなると困る」という気持ちだったし、見捨てられるのが怖い、とも思っていた。先生に見捨てられればその時点でダメダメなやる気のない私たち、という烙印を押されてしまうからだ。
そういう状態になりたくないという気持ちだけで「お願いします!」と毎日言いに言った。こうなるともはや意味のないお約束、儀式のようである。
そもそも、本当に自主性のある生徒であれば、先生が帰ってしまっても自分たちで練習すりゃよかったのである。でも自分たちで、これをやりたい!というものが私たちにはあんまりなかった。ただ日々の練習を修行のようにこなしていく。先のことは考えられなかった。ただ今の苦しさを耐え抜くことだけだった。ぶっちゃけ、自主性もへったくれもなかった。受け身で、受け身で、過ごしてきた。まじめでミスをしなければ、ボールが飛んでくることも、たたかれることもなかったから。
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今回のことがあって、「私、バレーって好きだったかなあ」と思い返した。確かに好きではあった。レシーブがきれいにあがるとうれしい。難しいボールを拾えるとうれしい。トスをきれいに上げられればうれしい。アタックを気持ちよく打てるとうれしい。
で、ここまで考えてはたと気づいた。
全部個人技だったのだ。
バレーという団体競技をやってながら、私はチームプレイを楽しいと思った記憶がない。
団体競技をずっとやってきたのだから自分では協調性がある、他人と一緒にプレイするのが好きなのだと思いこんでいたがいやいや完全なヲタクじゃないか。自分で呆れて笑った。
でも。
コンビネーションプレイをうまくこなしたり相手と競う楽しさ、ゲームを運ぶ楽しさ、みたいなものは、たぶんバレーという競技にはあるのだと思う。
私にはそう感じる余裕はなかった。
日々の練習をこなすだけで精一杯だった。
日々の練習が修行のようになり、それをクリアすること自体が目的となってしまっていて、ほかのことは考えられなかった。もっとこういうことをしたいとか、こうなると楽しいとか、そんなことは全く頭になかった。
私に関して言えば、試合に勝つことさえどうでもよかった。試合は義務であり「ミスをしない」ことが第一目的であって、結果はあとでついてくるという感覚があった。
もったいなかったな、と自分でも思う。
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が。もし私の先生であれば、たぶんこういう意味の発言だったかと思う。
「キャプテンを辞めるということは第一線で活動するのは無理です、ということなので、楽しくやりたいだけならBチームでやればいい。でももし、第一線で活動する意志があるなら厳しい指導もするし、体罰もある。自主性をもって立ち向かってほしい。覚悟がほしい」
先生はよく「意地を見せろ」と言っていた。
苦しくてもやりたいことならやりぬけ、ということだったのだと思う。
でも。
人間って、そんなに強くないのだ。
いくら好きであっても苦しい練習を続けさせられればそれ自体が目的となって、自分のスキルを伸ばすとか、何かに挑戦するとか言う余裕はなくなってくる。「好き」と言う気持ちはしぼむ。ただ「早く終わってくれればいい」になる。
まじめにやっていれば、受け身でもそれなりのスキルや体力は身に付くから、やる気がなくても勝ててしまう。
そういうのもありかもしれない。
でも、そういうのって、長く続かないのだ。
負荷が強くなっていけば、「義務」だけではきつくなる。「やらされてる」感が強くなり、「何で自分だけ」という気持ちが大きくなっていく。
ぱあんと破裂する。
悪いことに、「我慢」にたけた人間は限界点を越えても我慢するので、傷はより深くなる。
「我慢」はいらない。「やりたい」が一番。それがないと頑張れない。力が出ない。
試合で役に立ったことは皆無だった。もちろん「訓練」として体に染み着いてるので体は無意識のうちに動く。だから勝てる。でもそれがうれしいとはあんまり思えなかった。苦しいときにそれを思い出して頑張れる、ということもなかった。
うまくなってうれしい、自分の力を出し切った、というよりは、3年間耐え抜いた、という方が実感として正しい。
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最後の試合、私は初めて結果を出した。苦手だったサーブでなぜか連続ポイントを上げたのだった。ストレートと、対角線上に打てばポイントをとりやすいというセオリーを単純に実行したら相手がミスってくれた。不思議なことに、そこに私の中学の先生が来賓として招かれていた。その場で結果を出せた。
それで気がすんでしまった。
まだ引退までには期間があったが、3年でもあったし、さっさと部をやめてしまった。
今思うと、「先生を見返したい」という意地だけでやっていたのだと思う。だからそれが達せられたらもういいのだった。
それはそれで初志貫徹といえるかもしれないけど、我ながら矮小な目的のために時間とエネルギーを使ってしまったなあ、と今は思う。
一応一つのことをやりきったのだし、「辞め癖」がつかなくてよかったんじゃないの、という人もいるかもしれない。でも、ポジティブな意味での達成感はなかった。やっと終われる!という解放感だけだった。
私は3年間を無駄にした。今思い返して、素直にそう思う。
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今回の事件、生徒は義務とか責任感とか期待とかでぐるぐるになって「好き」という気持ち、自分がこうなりたい、という気持ちはもうぜんぜんなくなっていたのではないかと思う。
そういう状態になると人間は惨めだ。そういう身に暴力は堪える。
悪意とか、支配欲とか、そういうことは教師にはなかったとは思う。葬儀の席で親御さんに指摘されてすぐさま謝ったことを見ても悪人ではない。普通の人だ。
ほかの生徒も先生をかばっている。道を教えるのでも、ちゃんとついていってあげないとだめだぞ、と、普段の振る舞いを教えてくれた、と感謝する子供もいる。礼儀を教えてくれた、という子供もいる。かといって、べったり先生の側に立って、生徒の死を悼んでいないわけではない。校門に「キャプテンに捧ぐ」と幼い字で書かれたメモを添えた花束があった。
進路とか戦績とか、お互い保身はあったかもしれないが、生徒への愛情はあったと思う。でなければほとんど毎日、家庭まで巻き込んできつい指導はできない。
が。だからこそ逆らえない。情で縛られるところはある、と思う。
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好きだった勉強を一生懸命できた。それについての専門書を読む時間もできた。その延長で大学に行って好きな研究もできた。早くやめてりゃよかったと今でも思う。
部活の影響は、今でも残っている。
負荷を耐えることは得意だ。が、ぎりぎりまで我慢するから限界を超えるとその負荷の影響を二倍三倍にも受けてしまう。
好きなことをしていてもなぜか途中からつらくなる。義務になる。理由はよくわからないが、たぶん何か「厳しくなくてはホンモノではない」という意識があって、「楽しむ」ということをどこかで軽蔑していたり、その結果思い切り楽しむことができなくなったりするんじゃないかと思う。あるいは自分のやることに自信が持ちきれなくて、先生のような絶対者の評価がほしくなったり、反対に他人の評価で自信を失ったり。
先生については、慕っていたかと言われれば、うーん、お世話になったので大変大変申し訳ないのだけど、ちょっと苦手だったような気がする。
先生はいつも「スポーツマンらしく」、礼儀正しくしろと言っていた。
「力」や「技術」に偏りがちなスポーツで、礼儀とか人のことを考えるとかは、重要なことだ。人としてたいせつなことを教えていただいたと思う。
が、それはなんというか、自主的にやる、と言うより、訓練のようなものだった。やらなければ怒られるし、手が飛んでくるような気がしていた。
私は先生の前でかなり礼儀正しく振舞っていたが、それはかなりの部分「演技」だったような気がする。「それが(先生に言われた)正しい振舞だから」やっていたのであって、「やりたいから」やっていたわけではない、と思う。
そういう「型」ではめられた振舞を厳しく求められたので、本音で接することはできなかった。本音で話せないので、自分の克服すべき問題を一緒に考えてもらうとかは考えられなかった。
いま先生について思うことは、「なんかうまくいかなかったね」「お互い失敗しちゃったね」という感じだ。
自分の意志で動く選手になってもらいたい、という先生の意図は分かっていたけど、少なくとも私に関してはもう疲れちゃっていた。自分の能力を伸ばすという気力はとうにつきていた。ただ自分の目的があったし、期待を裏切るのも悪いので3年間続けてしまった。
一回休んでいれば気力が回復することはあったのかな、と思うが、狭い学校生活の中で、一回レールをはずれるというのはなかなかできないことでもあった。
こういうの、「罪悪感を持たせて逆らえないようにする」「カルトだ」という人もいるかもしれないけど、それは日々の人間関係のすごく曖昧な線上にある。その渦中にいるとなかなかわからない。善意と、思いやりと、慕わしさと、依存心と、打算と、不満と、夢と、絶望と、責任感と、プレッシャーと、見栄と、もういろんなものがある。
単純じゃないし、それを理解せずに顧問をアクマ扱いしても問題は現場の教師にずっと残されると思う。
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部活やその中での体罰を体験した人のことばがあんまりなかったので書いてみた。体罰がなされて、愛情ある指導がされて、生徒たちも先生を受容している環境で、それでもどうして体罰よくないかっていうのを、説明してみたかった。増田に書いたのは、何となく増田っぽかったので。
ひとつ。今顧問の先生をたたく人はすごく多いけど、今たたいても無駄だと思う。
葬儀の席で土下座したとあったけど、彼の頭の中はどうしよう、どうしよう、すみません、すみません、で、意味なく(そう、意味なく)ぐるぐるしてて、冷静に反省するどころじゃないと思うから。
責め殺したいならそれでもいいけど、たぶんそれじゃ自分のしたことが過不足なく理解されることはないと思う。そんな中じゃ何が問題かわからない。
言っちゃあなんだが、その顧問の水準はそんなに高いとは思えない。下から数えた方が早い方なんじゃないか。
元増田です。 うーん、そうかもしれない。 生徒があまりやる気を持って動いてくれないので悩んでいたっぽい。 私たちの代だけじゃなく、その後もいろいろあって、定年まで待たずに...
なんかスポーツの指導って難しいね。 むしろ難しいのが当然だろう。例の顧問くらいのキャリアで簡単に上達させられるなら今頃NBAは日本人選手で溢れかえってる。 俺の母校のバスケ...
あなたはバスケットボールと関係ないんですよね…(小声)
へー。そんなもんなんだねえ。 試合とかでも割とアレな例ばっかり見てるからなー、そういう例があるとなるほどーと思う
内柴ですらかばう人いたのだものなぁ。 私は先生にレイプされて嬉しかった、あれは愛情だった、訴えるなんて許せない。
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元増田です。 なんかいろんな方に読んでいただいてうれしいす。 しかし、これは自分の能力の問題なのですが、やっぱり説明しきれてないっぽいところがあって、今頭を抱えています。...