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はてなキーワード: アナログとは

2018-03-20

anond:20180320165635

まだコントローラに関しては黎明期からなあ…

スマホVRにはコントローラが無いのは当たり前になってるし、PCVRのコントローラ

各社棒をイメージしたのやら握り拳をイメージしたのやらバラバラ

共通仕様とはなり辛い。

未だにアナログスティック装備してるしな。(それがまた使いやすいってのも悲しい所)

おそらく今後3年くらいは操作方法確立なんてせえへんやろなあ。

anond:20180320141727

何となく分かる気がする。

時間を考えるときアナログデジタルどちらを先に思い浮かべるかといわれたら

デジタルかもしれない。身近にあるのはデジタルだし。

anond:20180320134655

これ、普段アナログ時計見てるかデジタル時計(現代ならスマホだろう)を見てるかによって

感覚が変わってくるという話。デジタル時計が普及し始めた数十年前にも同様の論議があった。

○時○分前というのはアナログ時計なら感覚にわかやすいのだがデジタル時計だと引き算しなければならないので

感覚的でないという話。

「○時○分前なんてわかんねー」という人が出てくるのはやはり時代だよ。

ここは若い人に合わせた方がいいと思う。

そもそも仕事であるなら「○時○分前」という言い方は間違って解釈される可能性を考えるべきなので、

この上司ちょっといけてないと思う。

2018-03-18

海野つなみ『回転銀河』の復刊によせて

ドラマ逃げるは恥だが役に立つ』の原作者として

一躍その知名度を上げた海野つなみ氏は、

さまざまなインタビューで語られる通り

決してヒット作に恵まれ作家ではなかった。

ここにきて過去作品が見直され、知る人ぞ知る作品ではなくなっていることを

子供時代からの一読者として、心から嬉しく思っている。

今回の復刊版の帯には「恋と多様性を描き続けて30年」のコピーがついた。

実際、この『回転銀河』はある高校を主な舞台としたオムニバス作品で、

一巻に収録されているのは、

姉と弟の恋に始まり男子から男子への感情女子から女子への感情…などなどさまざまだ。

ただ、「多様性を描く作家」といわれると、

その「多様性」という言葉の重さに、私個人は少し圧倒されてしまいそうになる。

海野作品の「地味さ」について

海野つなみ作品は、いつも「地味」だ。

姉と弟の恋、みたいな題材を扱っても、

恋にならないごく微妙感情の揺れ動きを描いても、

なんとなく、いつも、地味だ。

そして、それが彼女作品の一番いいところだと思っている。

姉と弟の恋のエピソードは、読者のおたより欄で

「弟にドキドキしてしまった」という投稿から

「そういうことはあるよなあ」と思ったところから始まったという。

この「そういうこと、あるよね」というごく軽い肯定

海野つなみ作品の最大の魅力であって、

そして「なんか地味」な原因でもあると思う。

から弟への想いも、

男子から男子への想いも、

女子から女子への想いも、

彼等はみんな、「私とは違うそういう人たち」として描かれない。

「そういうこと、あるよね」

そういう視点のまま進められる。

それは「多様性を描いている」といえば確かにそうかもしれないのだが、

あなたと私は違う、そして認めあおう」という描きかたというよりは、

「私はたまたまそうじゃなかったけどさ、そういう感じになるの、あるよね」

という、まるで友達雑談しているみたいな、とてもニュートラル肯定だと思う。

多様性を祝ぐような派手さはない。

地味に、私たち生活の地続きとして、また私自身のある選択肢として「多様性」はある。

そこに単純にある。

そういう描きかたをする作家だと思う。

そして、それこそが海野つなみという作家稀有な美点であると思う。

(余談なのだが、2話目の主人公であるイズミという底抜けにいいやつな男子がいる。

 めちゃくちゃ落ち込んで半泣きで家に帰って部屋に閉じ籠ってるのに、「にいちゃん!俺のじゃがりこ食べただろ!」と弟にキレられたりする。

 そのごく短い家での場面で、隅っこの目立たないところに「ママは後妻」って書かれてある。

 彼の家庭環境はそれ以降ぜんぜん話に絡んでこない。

 けど、あ、わかる、と少し思った。

 イズミという少年の優しさや性格の奥行きが育まれた背景があるんだ、とふと思わされる。

 家庭環境が複雑な子は優しい、とか言うステレオタイプな話でなく、ただ、そこに地続きの「多様性」を思わされる)

海野つなみ作品スクールカーストについて

海野つなみは目の前のことを否定しない人だ、と思っている。

あるじゃん、こういうこと、という感じで描く。

『回転銀河』にはスクールカースト描写がたびたび登場する。

立ち向かうべき悪習としてでもなく、

陰惨ないじめとしてでもなく、

ただ、あるよね、こういうこと、として描かれる。

海野つなみ作品は地味だ、と私は書いたが、

その意味ではこの『回転銀河』では三巻くらいか

「美しき悪魔のような双子」という全然地味じゃないキャラクターが出てくる。

成績優秀冷静沈着、自分達以外に価値を認めない、少女漫画萌えキャラ煮詰めたみたいなやつらだ。

けれど、彼等も結局この海野ワールドのなかの住人だなーと思ったのは、

彼らの行動はこのスクールカーストにえらく縛られているのだ。

それをしなければ、彼等は自分達の生活を守れないと感じている。

海野つなみスクールカーストを「そんなのくだらない」と喝破したりしない。

あるよね、そしてそうやって自分を守る人もいるよね。

海野つなみという人は少女漫画をずっとかいてきたひとで、

そこで繰り広げられるのは確かに主人公ヒーロー恋愛なのだけど、

いつもその片隅に、学校という生活のままならなさ、人が人と関わりながら生きていることを描いてきた人だと思う。

恋がすべてにはならないし、恋がうまくいけば生活すべてがうまく回りだしたりもしない。

そういう、どこか突き放したような距離感描写してきた人だ(だから地味なのだが)(そして地味だから好きなのだが)。



海野つなみ社会派作家

海野つなみ作品は、恋愛はこうであるべきだ、からも遠く、

同時に学校生活とは社会とはこうであるべきだ、からも遠い。

逃げ恥」は社会派コメディだと言われたが、

それはたまたま彼女の描いてきたものにそういうメッセージを読み取ることもできたというだけだと思っている。

(めっちゃかいところではそれっぽいのあるけど、炊飯器Amazonで買わないくだりとか)

ただ、少女漫画の基本文法では捨象されがちなことを、

するっとごくさりげなく描くことができる。

社会派なのではなくて、ただ、人間関係というもの

近視眼的ではなく一歩引いた距離で描くことができるだけなんだとおもう。

そこにはスクールカーストがあるし、

少しだけ家庭環境の複雑な少年がいるし、

地味で恋愛物語主人公エントリーしない少女もいるし、

同性愛者もいるけど「同性愛ににている名前のつかない感情」もあるし、

男女の間にも恋に似ている恋ではない感情がある。

だって、いるのだ。そういう人は。いるじゃん。

そして海野つなみは彼らを無視しないし、

センセーショナルスポットをあてたりもしない。

ただ、いるよね、って描く。

ひどくさりげなくふつうに、いる。

海野つなみを語るときに絵が硬い、と言われることがある。

それはわかる(『回転銀河』はアナログ時代作画と思われるため、『逃げ恥』とはすこし感じが違うと思うが)。

けれど、もし海野つなみの絵が恐ろしく緻密な書き込みであったり、生々しく柔らかい描線であったら、

きっと「いるよね、こんな人」のようなある種心地のよい距離感はなかったと思う。

あのどこか生硬な絵柄だからこそ、すっと受け入れられるのだと私は思っている。

そして、あの絵柄だからこそ、時々ぎゅっと心を掴まれるような清潔でうつくしいコマがあることを言い添えたい。


【追記】

ごw本w人wにw見られたwwwww

地味地味かいすみません…好きです…

(センセーショナルに、ことさらお話のために感情煽り立てたりしない、地に足の着いた視点で描かれている、というようなことを伝えたかったのです)

kiss事情ロマンスたまごと学園宝島と西園寺さんと山田くんゴールデンデリシャスアップルシャーベットと豚飼い王子と小煌女が好きです…

レスコープダイアリーズの補完または映像化待ってます………

2018-03-13

ペンタブ太すぎ問題

持ちにくい。

ワコム内で一番細いやつでもだめ。

アナログではすらすら速くかけるのに板タブで遅い理由をずっと考えてて、やっと見つけた。

私はシャーペンの持ち方が少し変で垂直気味に持つ。これが一番描きやすいので。

でもペンタブペンは太すぎて斜め持ちになってしまうのだ。

これがとにかく作画時間が伸びる。

ワコムは一刻も早くApple Pencilレベルの細さのペンを出して欲しい。

板タブでアポーペン使えるならペンだけ即買うのになぁ、

2018-03-12

anond:20180312180157

Yahoo!BBバリュプラン

NTTアナログ固定電話(1450円~1700円)+ ADSL12M(約1800円)- 5年間割引(約540円)

=約2900円


なくなるADSLで十分。ネトゲもまあ普通にできる。

2018-03-10

さっさとITしろ

選挙かいつまであんな古臭い方法投票してるわけ?さっさとネット投票に切り替えろよ

大学の授業もなんでアナログでやってんの?録画スタイルでいいだろ、東進あるんだし

レジュメPDFで配れよ

ありとあらゆることがIT化遅れすぎ

特に国とか公的機関

2018-03-09

男たちは呪われているのか-「アナ雪」のクリストフに見る脱ヒーロー

若干話題が古いけど、こういう対談がある。

アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html

ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。

この対談、女の自分から見ると「???」なところが多くて、

>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデル攻撃しないといけないのかと」

というくだりには被害妄想めいたものを感じてしまった。

クリストフ王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独変人だけど、仕事家族を大切にしている。

そこらの王子モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま人間らしく描かれていると思う。

ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。

そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性心理っていったい何なんだろう???

個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。

そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)

そんな感じで「脱プリンセスありのままわたし運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーローありのままのおれ」運動全然進まないように見える。

こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、

あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。

日本では特にその傾向が強いのではないかと思う。

からそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。

男性社会最高神であるヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。

ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。

かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。

だけど、すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀アナログすぎる。

から多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

ヒーローにならなくていいし、「ありのままのおれ」でいい。

多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会解体が、今世界的なムーブメントになっている。

ただここからがやっかいで、男女関係や性の問題だ。

男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。

まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。

より多くの美しい女を取得することを自己価値バロメータとして、他者と比べあい自分いじめるみたいな悪癖がある。

女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解範疇を超えてくる。

そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。

そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。

そもそも自尊心自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。

やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。

そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャル価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。

社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。

社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。

脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性意識問題なのだと思う。

ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。

クリストフみたいなキャラクター否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者尊重すること。

旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやか自分自身の中に自尊心を見出すこと。

そのへんが大事なんだと思う。

ツイッター観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。

男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷解放だって女性社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)

そういう引き算がこれから時代大事なんだろうな。

呪いをひもとく面白プレゼン動画

マイケル・キンメルatTEDWomen 2015

なぜジェンダー平等が皆のためになるか―男性を含めて

https://ted.com/talks/michael_kimmel_why_gender_equality_is_good_for_everyone_men_included?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=tedspread

2018-03-08

[]レトロニム

新しくできたもののために、古いもの呼称が変わること、その呼称を指す。

たとえば「アナログ時計」――デジタル時計ができる前は「時計」とだけ呼ばれていた――や、

「白黒テレビ」――カラーテレビができる前はただの「テレビ」だった――などがレトロニムである

2018-03-05

金庫を選ぶポイント

何年か前に耐火金庫を買ったけど失敗したので書いておく

・大きめのものを選ぶ

 書類が入ればいいと思ってそんなに大きな物は買わなかったけど保険証書とかバインダー入りのやつは曲げないと入らなかった。

電子式のはやめてアナログダイヤル式にする

 たまに開けようとして電池切れだったら電池買ってこないといけない。おまけに自分の買ったのは電池の交換がけっこう面倒くさいタイプだった。

アナログデジタル転換期くらいの会社転職したけど、社内のITリテラシーが低すぎてシステム管理毎日バタバタしてる。

「~っていう動画プレイヤー入れてほしいんだけど(普通にDLしてインストールするだけ)」ってさすがに自分でやれよと思った。

しかシス管側も満更でもないんだろうなって感じがなんだかなぁ

2018-03-04

twitterネタマジレスが白けるんだが

twitterでさ、

アナログの1chにこんな画像が映ってるんです!こわい!→それは昔のアナログ回線電波飛ばしている装置がなんたらかんたら~

いやそうだけどさ。

ちょっとこのネタでわいわいしたいところなのに、あっという間に現れて、つまんない事実突きつけられるとぶっちゃけ萎えるんだよな

もうちょっと寝かせてから語ってくれよ

anond:20180304101633

リクナビなんて無い時代から普通に学歴性別フィルタかけられてたんだが。

当時は手紙だの電話だのと言ったアナログ手段学生側が申し込んだり企業側がDM送ったり

個人情報保護法なんて無い時代普通に学生の名簿が出回ってそれを元に企業学生アプローチするのも当たり前だった)してたけど

名大学生には説明会の案内届くけど無名大だと届かないとか

同じ大学でも男子学生には届くけど女子学生には届かないってのはごく普通の事だったよ。

2018-03-02

anond:20180302190847

はてな架空神話を作ってる奴らはいるよ。

ゆらぎの神話ってやつだけど。

それをもとに小説を書いてプロデビューしてる人もいる。

あと作家長谷敏司アナログハック・オープンリソースってSFの設定を公開してる。

設定だけなら商業利用でも自由に使えたはず。

そういうところから名前だけ拝借するとか?

10年前、日記を見つけてスレを立てた。

10年前、大学生時代に友人に会うため帰省し何となしに部屋を整理していたら日記が出てきた。

当時、電車男からの流れで語り系のスレ流行っており、俺はその日記ネタに軽い気持ちスレを立てた。

クソスレだって言われてすぐに終わるかと思ったけど、意外と住人たちは俺の話を聞いてくれて、俺は当時の記憶日記を頼りに昔話をどんどんと書いていった。


あれからまたずっとアナログ日記を書いている。中学から始めた日記は今ではもう50冊近く溜まった。

最近人生の大きなイベントが起こったか日記を読み返したんだが、当時スレ立てしたことが書いてあり、何だかものすごく懐かしい気持ちになった。

当時立てたスレ名前検索すれば、まだまとめられたサイトが出てきたりして、あの時住民たちとわいわい盛り上がった数日間が思い返された。

今ではもうすっかりあの界隈から卒業してしまい、仕事に追われる日々を過ごしていたのだが、スレ立てしたいな なんて思ってしまうほど気持ちは当時に戻ってた。

まぁ、できるわけもないんですけど。チキンなので。

でも、どっかで言いたいなって思って、今これを書いた。

10年前のあの日あの時付き合ってくれたみんな、

俺、昨日結婚しました。

みんなが好きだって言ってくれたM本はもうM本って苗字じゃなくなったけど、これからもM本を幸せにしていきたいと思います

みんなは今何してんのかな。幸せになれよ。

またどこかで。



もやっちょ

2018-03-01

anond:20180301211215

宇宙人がまず、地球語を何語と定義しているかにもよる。

人口比率で言うなら中国語かもしれない。

中国の動向も観察はしているだろう。

仮に自分が他の惑星に偵察にいくとしたらだ。

まず現地人への擬態化を考える。

これからいうのは偵察にきた来客が、酸素によって活動可能な1Gに耐えうる生物であることを前提としたはなしだが。

1.に関する話

ワープを使いこなす宇宙人が、まず見返りなしに科学技術提供してくれるか、というところから、考えた。

提供してくれるとしたら、何かを要求してくると思う。

地球通貨地球上でしか使用できない。これはない。

だとすると?

地球上にあるもの生物もしくは来客が持ち得なかった発明品、文化産物など。

未開の地といえど、来客とまったく同じ発明品は有り得ない。

絶対に物珍しいはずだ。

あと、人間進化を止めてしまうかどうか、思慮してくれるかも分からない。



2.

なぜ侵略してこないか

手間がかかる。

欲しい何らかのサンプルがあるとしたら、持ち帰るのに地球人許可は、はっきり言っていらない。

少量、仮に人間一人誘拐する程度の量なら、強奪してしまえばいい。

あとは、地球のものが気に入って、少数なら移住してくる線もあり得る。

デジタル疲れた人間アナログに帰るように。

もうどこかにいるかも。

地球まるごと手に入れたいという話なら、はっきり言って来客は居住地を求めているか、ここを資源のものとみているか。このどちらか。

母星を失った一民族郎党ぐらいでないと、侵略する意味がない気がする。

ただ、母星を失ったなら、そう人数は多く残っていない気がする。

資源として見ているなら、地球を傷つけたくはないはずだ。


3.

統一国家はできるか、現段階ではわからない。

各国ごとに決別して宇宙に散る方が早いかもしれない。

こちらを観察はしていると思う。

記録もとっていると思う。

しかし、どれくらいの惑星からどの程度の人数きているか不明

友好的かもしれないし支配的かもしれない。

どういった目的で来ているかにもよるが、支配するにも手間がかかる。

あくまで観察者であるだけで、干渉してこないだろうことは同意見。

膠着状態は続く。これも同意見。

すでに居住者がいるなら、ここもみているだろうか。

地球の片隅の島国に興味を持ってくれた来客も、居るだろうか。



侵略目的なら日本には恐らく来ない。

居住目的ならすでにいる可能性は否定できない。

日本日本語を気に入ってくれていれば、だが。

侵略目的ならアメリカ中国ぐらいじゃないかな、観察されてるのは。

2018-02-27

若者の死の原因一位は自殺ネットで見たが

理由生活が便利すぎて能動的にやることが少ないから、うまく時間を消化できなくて余計なことを考えてしまうんだ。だから貧乏アナログ生活はいい。いい時間潰しになる。わざと面倒臭いことをやるという事が余計なことを考えなくなる最良の方法だ。そしてそこに楽しみを見出すこともある。そこから枝分かれして様々なことに興味を持ち始める。

2018-02-22

「働き方改革」にデメリットはある?

国会裁量労働制についてゴッタゴタしていて、これに関しては素直に野党応援したいのだけれど、

一方で政府主導の「働き方改革」そのものに疑問というか、不安がなくもない。

即ち「もしこのままトップダウンホワイト厳守の働き方改革を浸透させたら、最悪、日本企業があっちこち倒産しない?」と。


はてなではしばしば「日本人労働生産性世界最低クラス」とか「管理職無能」とか色々見掛けるけれど、これらは働き方改革が浸透すれば急激に改善されるのだろうか?

もし日本人が働き方改革と共に急に覚醒して、ホワイト環境下でも従来の生産力を維持できる所まで労働生産性を上げられるなら良いのだけれど、

恐らく、パソコンが普及しても依然として非効率な旧式のアナログ作業的な感覚に捕われている職場も多いように、

日本企業労働環境ホワイトにしても急には労働生産性改善されず、単純に時間の減少に比例して生産力のみ低下する方が、確率は高いのではないかと思う。

物凄く酷い話ではあるけれど「サビ残にきっちり給与を支払ったら倒産してしまう」って企業もあると思う(正直こういう企業はさっさと淘汰された方が良いとも思うけれど、そんな企業比率が全体の何割位なのかが問題。)

勿論、法整備によって皆の生産力が一斉に下がるのであれば相対的には然程問題にはならないのだけれど、

良くも悪くも今はグローバル社会故、日本企業競争力が落ちても競合他社である海外企業競争力は落ちない訳で、軒並み日本企業駆逐される可能性も十分あると思う。

政府官僚裁量労働制に拘りを見せてるのも、実はその辺りに対する懸念があるから茶を濁そうとしているのではないかとも思う。


一応念のために言っておくと、私個人としては働き方改革方針には“長期的には”賛成だし、現状の裁量労働制野党に頑張って潰して欲しいと思っている。

だけれども、そこに至るまでの過程問題で、急激に変化を促す政府主導トップダウン方式ではなく、

時間は掛かるけれど、労働生産性を重視したホワイト企業既存ブラック(グレー?)企業との競争に打ち勝ち、

経営者が自ずから「うちも働き方改革した方が良いじゃん」と検討するようなボトムアップ方式で、ソフトランディングさせる必要があるのではないかとも思っている。

それこそ、今の新入社員が定年前になるくらいまで、それくらい人が入れ替わらないと、日本人労働生産性はそう改善されないのではないかとも懸念している。


…のだけれど、その辺りのことをはてなーの皆様はどうお考えなのでしょうか?

働き方改革さえ徹底させれば、現状ボロクソに叩いている日本人管理職も急激に覚醒してくれるだろうという考え?

眼前の労働環境改善されるなら、別に後々勤め先の企業倒産して路頭に迷っても良いやという考え?

ブラック日本企業なんて駆逐されて滅べば良いんだよっていう破滅願望的な考え?

まぁなんとかなるでしょっていう楽観的な考え?

それとも「それを何とかするのが政治仕事だろ!」って言って上手く行かなきゃ「政治が悪い」って言ういつもの流れ?

2018-02-21

静かな部屋にアナログ時計を2つ以上置いて耳を澄ますと、重なり合った秒針の音がリズミカル面白い

2018-02-14

anond:20180214140046

すごく狭い範囲の話になるけど、ときどき

「愚かなるFAX!! 今すぐFAXを打ち壊せ!! FAXを用いる旧人類ごと焼き滅ぼすのだ!!!

みたいな流れでなることたまにあるけど、不寛容だよなあと思う。

デジタル機器使用が極度に苦手だから昭和アナログ方法使用しつづけたいという層がいるんだよ。

それは当然おじさんおばさんに多いだろうし、見えないだけで若い世代にもいるんじゃないか

発達障害鉛筆ノートをとることが極度に苦手だからデジタル機器使用許可されてる児童がいる。

その逆も許容しようよって話・

アマゾンアップル等を分割すべき、という記事翻訳(続きあり)

アマゾングーグルフェイスブックアップルが巨大になりすぎて健全な競争を阻害しているので分割すべきだ、という記事が一部で話題になっていそうなので訳してみました。

かなり長文です。

原文は http://www.esquire.com/news-politics/a15895746/bust-big-tech-silicon-valley/

図表中の文章などは訳していません。

あまり目新しいことを言っているようには感じませんでしたが、(長いおかげで)論点がまとまっているのは良いところかもしれません。

誤訳等の指摘あればお願いします。

あと、増田を使うのははじめてなのでその他変なところがあればごめんなさい。

(文字数制限に引っかかったみたいなので途中で切ります。続きは https://anond.hatelabo.jp/20180214160914https://anond.hatelabo.jp/20180214161344)

シリコンバレーの脱税・雇用破壊・中毒性マシーン

4つの会社が人類史上かつてないほど我々の日常生活を支配してしまっている。アマゾンアップルフェイスブックグーグルのことだ。私たちがみんな素敵なスマートフォンクリック一発のサービスに夢中になっている一方で、この4つのモンスターは縛られることなく経済を独占し、ギルドの時代以降ありえなかったほどのスケールで富を溜め込んでいる。この状況に対して論理的にどんな結論がありうるだろう?巨大テクノロジー企業を分割するべきだ。

スコット・ギャロウェイ 2018.02.08


001: パーカージーンズ姿の泥棒男爵たち

私は巨大テクノロジー企業にはとてもお世話になってきた。1992年に私が共同設立したコンサルタントファームであるプロフェットがしてきたのは、グーグルが変えてしまった後の新たな環境で顧客の会社が生き抜くための手助けだ。1997年に共同設立した高所得者向けeコマース企業であるレッドエンベロープも、アマゾンeコマースに対するマーケットの関心に火をつけていなかったとしたら、成功をおさめることはなかっただろう。もっと近い例でいうと、2010年に設立したL2は、モバイルソーシャルの波の中から、つまり企業が新しいプラットフォームの中での自分たちパフォーマンスベンチマークする方法を必要としている時代に生まれたものだ。

もちろん巨大テクノロジー企業は、別のレベルでも私に利益をもたらしてくれた。投資ポートフォリオの中のアマゾンアップルの株の価格上昇は、リーマンショックメチャクチャになった後の私の家計に経済的安定を取戻してくれた。最後に、アマゾンは私が教えているNYUのスターンスクール・オブ・ビジネスブランド戦略・デジタルマーケティングコースの生徒たちの今や最大のリクルーターでもある。こうした会社は素晴らしいパートナークライアント、投資先、そしてリクルーターでもある。20年にわたるこうした会社に関する経験と研究のすえに私がたどり着いたのは、奇妙な結論だ。今や巨大テクノロジー企業を分割するときだ、ということだ。

過去10年で、アマゾンアップルフェイスブックグーグル――私は「四大企業」と呼んでいるが――は、歴史上他のどの商業体も成し得なかったほどの経済的価値と影響力を集積してしまった。この4つの企業を合わせると、2.8兆ドル(フランスのGDPに等しい)の時価総額、なんとS&P500トップ50の24%におよび、2001年のナスダックで取引された全株価に等しい金額にもなってしまう。

この金額はどれほど莫大なのだろうか?アマゾンを例にとってみると、5910億ドルの時価総額ウォルマートコストコ・T.J.マックスターゲット・ロス・ベストバイ・アルタ・コールズ・ノードストリーム・メイシーズ・ベッドバスアンドビヨンドサックス/ロードアンドテイラー・ディラーズ・JCペニー・そしてシアーズを足したよりもまだ高い

フェイスブックグーグル(今はアルファベットになっている)は合わせて1.3兆ドルだ。世界の5大広告会社(WPP、オムニコムパブリシス、IPG、電通)に、5大メディア企業(ディズニータイムワーナー、21センチュリーフォックス、CBS、バイアコム)、更に5大コミュニケーション企業(AT&Tベライゾンコムキャストチャーターディッシュ)を加えてもグーグルフェイスブックを合わせた90%の価値しか無い。

アップルはどうか?時価総額9000億ドルのアップルは、世界でもっと企業価値の高い企業だ。さらに驚くべきことに、アップルは32%の利益率を誇るが、これはエレクトロニクス企業というよりエルメス(35%)やフェラーリ(29%)といったラグジュアリーブランドに近い。2016年アップルは460億ドルの利益を出したが、これはJPモルガンジョンソンアンドジョンソンウェルズファーゴを含む全アメリカ企業より大きい数字だ。もっと言うと、アップルの利益はコカコーラフェイスブック総収入より大きい。この四半期にはアマゾンが創業以来生み出した利益の2倍に達する数字を叩き出すだろう。

四大企業の富と影響力には驚かされる。どうしてこんな状況が生まれたのだろう。

“The Four(四大企業)”で私が描いたとおり、グーグルアマゾンフェイスブックアップルのような、独占と大衆への影響力を持つ企業を作るための唯一の方法は、人間のコアな器官に訴えかけることでプラットフォームを本能的に受容させてしまうことだ。


グーグル: 精神を変容させる

私たちの脳は極めて複雑な問を投げかける程度には洗練されているが、そういった問に答えられるほど優れてはいない。ホモサピエンスがほら穴から出てきて以降、そのギャップを埋めるために我々が頼ってきたのは祈りだった。視線を天に向け、問を投げかけ、より知性のある存在からの反応を待つ。「子供は大丈夫でしょうか?」「私たちを攻撃する可能性があるのは誰でしょう?」

西欧諸国が豊かになるにつれ、体系的な宗教が我々の生活において占める役割は小さくなっていった。しかし問と答えの間の空白は残され、そこにチャンスが生まれた。伝統的な宗教から離れる人が増えてくると、我々は下らないことから深遠な問題まですぐになんでも答えてくれる全能の預言者としてグーグルを見るようになった。グーグルは現代の神なのだ。グーグルは脳にアピールし、バックグラウンドや教育レベルに関わらず誰にでも知識を提供する。スマートフォンを持っているかインターネットに接続出来るだけで、祈りは全て聞き届けられる。「子供は大丈夫でしょうか?」「クループ症候群の症状と治療法は…」「私たちを攻撃する可能性があるのは誰でしょうか?」「核兵器開発のプログラムを今でも行っている国…」。

自分がグーグルに告白したことのある恐怖、希望、欲望を全部振り返って、自分自身に尋ねてみよう。自分がグーグル以上に秘密を託した相手が他にいるだろうか。グーグル以上に私について知っている人間が他にいるだろうか?

フェイスブック: 心の真実

フェイスブックは心にアピールする。愛されているという感覚は幸福への鍵だ。ルーマニアの孤児院で身体・精神の成長が阻害されている子供を研究したところ、発達の遅れは当初原因として想定されたような栄養失調のためではなく、他人の愛情の不足によるものだとわかった。しかし私たちの種の特徴は、愛されることを必要とするのと同じくらい、他人を愛することも必要とすることだ。発達心理学者のスーザン・ピンカーは百才を超える人の人数がイタリア本島の6倍・北アメリカの10倍にも上るイタリアサルディニア島を研究した。ピンカーは、遺伝・ライフスタイル的な要因の中でも、人と人との間の近しい関係や対面での交流を重んじるサルディニアの習慣が長寿の鍵であることを発見した。遺伝よりもライフスタイル、特に社会的繋がりの強さが長寿の決定的な要因であるとする他の研究もある

フェイスブックが21億の月間アクティブユーザーに提供しているのは、他人を愛したいという欲望に火をつけるためのツールだ。高校の同級生をもう一度見つけるのは素晴らしい。引っ越してしまった友達と連絡を取り続けられることを知るのも良いことだ。赤ちゃんの写真に「いいね」をつけたり、友達の心からの投稿に短いコメントをつけて、私たちの大事な友情や家族の絆を固くするのには数分あれば良いのだ。

アマゾン: 常に消費を

眼にとっての風景、耳にとっての音にあたるのが、本能にとっての「まだ足りない」という感覚、飢餓感だ。胃袋が素晴らしい食事の後でもさらに砂糖や炭水化物を求めるように、私たちの心は更なるモノを欲望する。本来この本能は自己保存のために機能していたものだ。つまり、食べる量が足りないことが飢餓と確実な死を意味するのに対して、食べ過ぎはそもそも珍しく、腹が膨れたり二日酔いになるだけだ。しかし今あなたが自分のクローゼットや戸棚を空けてみると、たぶん必要の10から100倍ものモノを持っていることがわかるだろう。私たちは理屈ではこれが馬鹿馬鹿しいことをわかっているが、社会や高次脳機能は我々のどこまでも欲望するという本能に追いついていないのだ。

アマゾンは消費する我々の巨大な消化管だ。アマゾンは栄養を蓄え、それをプライムメンバーになっているアメリカの64%の家庭の心臓や血管に供給する。アマゾンが採用したのはビジネスの歴史の中で最高の戦略だ――「少なく与えて多く受け取る」――そしてその戦略を歴史上のどんな会社より効果的・効率的に実行している。

アップル: 感動への準備万端

生存本能についで二番目に強力な本能は繁殖だ。性をもつ動物である私たちは、自分がいかに洗練されて賢く、クリエーティブであるアピールしたいと思う。私たちは力を示したい。性も贅沢も理屈では説明できないが、アップルは、広告をヴォーグに載せ、スーパーモデルをプロダクトのローンチに呼び、店舗を自分たちブランドのガラス張りの神殿にすることが、人の魅力的になりたいという欲望にアピールし、そして自分たちの利益率を向上させることに極めて早くから気づいていた。

デルのコンピューターは性能は良いかもしれないが、マックブックエアと違って、イノベーション階級のメンバー証にはなってくれない。同様に、アイフォンは単なる電話やスマートフォンではないのだ。顧客がiPhoneXに1000ドル払うのは、顔認証の大ファンだからではない。彼らは自分たちいい生活を送り、芸術を理解し、自由に使える収入があるというメッセージを送っているのだ。それは他人へのサインだ。もし君が僕とつがいになってくれたら、君の子供はアンドロイドを持っているやつとつがいになるより生存確率が高まるよ、ということなのだ。実際、iPhoneユーザーアンドロイドユーザーより平均40%収入が高い。iOSプラットフォームの上にいる人間とつがいになるのは、良い生活への近道なのだ。脳、心、消化管、生殖器。この4つの器官にアピールすることで、4大企業は自分たちサービスや製品、OSを私たちの精神深くまで潜り込ませてしまった。彼らのおかげで、我々はより賢く、目利きのできる消費者になることができた。そして消費者にとって良いことは社会にとっても良い、はず、だろうか?

答えはイエスでもありノーでもある。四大企業は我々の生活にあまりにも大きな影響を持っているので、もし彼らのうちどれか一つでも無くなってしまったら、ほとんどの人は心底動揺するだろう。iPhoneを持てなくなり、検索にYahooかBingを使わざるをえず、フェイスブックに投稿した何年分もの思い出を失ってしまったときのことを想像してみるといい。アマゾンアプリからワンクリックで明日までになんでも注文することが出来なくってしまったらどうしよう。

一方で、自分たちの生活の相当な部分を一握りのシリコンバレーエグゼクティブに預けてしまったせいで、我々はすでにこうした会社の負の部分についても語りはじめている。四大企業の独占が進むにつれ、懸念や、ときには怒りのささやきさえも聞こえはじめている。長年の欺瞞のあとで、我々はついに政府か、あるいは誰かがブレーキを踏むべきだという提案について考え始めたのだ。

こうした議論のすべてが説得力を持っているわけではないが、巨大テクノロジー企業を分割するべき真の理由であると私が信じる議論に行く前に、もう一度確認してみる価値はある。


002: 悪を成さず?

巨大テクノロジー企業は、最初のギャングスターであるマイクロソフトの罪から学習した。このかつての巨人は当時自分たちの力を過信して、監督官庁や社会の中での自分たちイメージをやわらげるためにPRキャンペーンロビイストといった手段に頼る必要はないと考えているように見えた。対照的に、四大企業は若さと理想主義イメージを売り込み、また世界を救うことの出来るテクノロジーの可能性を布教して回っている。

その気持ちは真剣なものだが、ほとんどが抜け目のない動機から来ているものでもある。単純な利益以上の何かにアピールすることで、四大企業は従業員の間で高まっている、いわゆる「理想追求型」企業への欲求を満足させることができている。四大企業の「ガレージ発明家」神話は、マンハッタン計画アポロ計画の昔に遡るアメリカサイエンスエンジニアリングに対する敬意を上手く利用している。何よりも、これらの会社の漠然とした、それでいて理想主義的な宣言――”Think different”, “Don’t be evil”――が、最高の幻想を与えてくれる。政治的な進歩主義者は一般的に善意だが立場の弱い人々と見られがちで、ますます強力になりつづける企業にとって最高の隠れ蓑となってくれるイメージだ。

フェイスブックシェリル・サンドバーグが女性たちに「一歩踏み出そう(“lean in”)」といったのは本心からだが、彼女は女性へのエンパワーメントに関する自分のメッセージが持つアイロニーについても触れざるをえなかった。彼女の会社はもともとハーバードの学部生の魅力をランク付けするためのサイトから生まれ、ましてや比較的多数の女性従業員を擁する産業――メディアコミュニケーション産業――の数万の雇用を今も破壊しているのだから。

こうしたPRの努力は効果的だが、一方で彼ら企業にとって大転落を準備するものでもある。完璧な紳士に見えた人間が実はオピオイド中毒で、自分の母親に対しても酷い態度を取っていたことを知るのは大きな失望だ。紳士があなたと付き合ってくれるのが単なる金(クリック数)目当てだということを知るのはなお酷い。

初期にいくつかのインターネット企業を創業した人間としての私の経験では、四大企業ではたらく人々が他の成功している企業で働く人々と比べて特に邪悪だということはない。彼らは少しだけ教育程度が高く、少しだけ賢く、極めて幸運だが、彼らの親の世代と同様に、ほとんどの人はなんとか生計をたてようとしているだけだ。多くの人は人助けだって喜んでするだろう。ただ社会を良くすることとテスラの車の二択を迫られれば、ほとんどはテスラを選ぶだろう、というだけだ。そしてパロアルドテスラ販売店の業績は好調、極めて好調なのだ。だからといって彼らが悪人だということになるだろうか?もちろんそんなことはない。ある資本主義社会における一営利企業の従業員にすぎない、というただそれだけだ。

我々の政府はGDPのおよそ21%にあたる年間予算で活動している。つまりこれが公園を開き、軍隊の装備を整えるためのお金だ。では巨大テクノロジー企業は公平な負担を支払っているのだろうか。ほとんどの人はノーというだろう。2007年から2015年の間にアマゾンは利益のうち13%しか税を払っていない。アップルは17%、グーグルは16%、そしてフェイスブックは4%しか払っていない。これに対して、S&P500平均では27%の税金を払っている。

そう、つまり四大企業は税金逃れをしているということだ、つまりあなたたちと同様に。ただやり方が上手いだけだ。例えばアップルは利益をアイルランドのような地域に移すという会計上のトリックを使っており、結果として世界で最も利益を挙げている企業が最低の税負担しかしないという事態が生じているというわけだ。2017年9月時点で、アップルは海外に2500億ドルを保有しているが、これはほとんど課税されない、そもそも最初から海外に持ち出されるべきではなかった財産だ。別の言い方をすれば、ディズニーネットフリックスを買えるだけの資産をアメリカの一企業が海外に持っているということだ。

アップルだけではない。GEも巨額の税金逃れに手を染めている。しかし我々がそのことに腹を立てることがないのは、そもそも我々がGEを愛していないからだ。この責任は我々に、そして我々の民主的に選ばれた政府にある。我々は税法をシンプルにする必要がある――複雑なルールはそれを利用することのできる能力に恵まれた人々に有利に働きがちだ――し、それを実施できる人間を選挙で選ぶべきだ。

四大企業による雇用の破壊もすさまじく、恐ろしくなるほどだ。フェイスブックグーグルの収入は2017年に290億ドル増えそうだが、この新しいビジネスを行うために彼らは20000人の新しい、高収入の雇用を生み出すだろう。

だがコインの裏側はそれほど輝かしいものではない。広告業デジタルであれアナログであれ低成長の(ますます成長が鈍っている)ビジネスであり、このセクターがほとんどゼロサムであることを意味している。グーグルマーケットを成長させることで新しい収入を得ているわけではない。他の会社のドルを奪っているだけだ。もし我々が五大メディアサービス(WPP、オムニコムパブリシス、IPG、電通)をグーグルフェイスブックの代わりに使えば、290億ドルの収入を得るためには219000人の旧来型の広告プロフェッショナルが必要になっていただろう。つまり、年間199000人のクリエイティヴディレクターコピーライター、代理店幹部が「家族との時間を増やす」ことを選択していることを意味する――ヤンキースタジアムほぼ4つ分が解雇通知を握りしめた黒スーツの人間で一杯になってしまっているということだ。

これまでのビジネスサクセスストーリー例では、今注目の的になっている企業たちよりも多くの従業員を雇用している。P&G2017年の株価の急上昇を受けて時価総額2330億ドルとなったが、95000人の人間を雇用している。言い換えれば従業員一人あたり240万ドルだ。インテルニューエコノミー企業でその資本があればより効率化を図れそうなところ、時価総額2090億ドルで102000人を雇用、一人あたり210万ドルだ。これに対してフェイスブックは14年前に創業された企業だが、5420億ドルの時価総額を誇り、一方で従業員は23000人しかいない。これは一人あたり2340万ドルということで、P&Gインテルの10倍だ。

たしかに、これまでも雇用の破壊はあった。しかしこれほど上手くやる企業が出てきたことはない。ウーバーは新しい(低い)680億ドルという基準を設定したが、これがカバーする従業員は12000人しかいない。従業員一人あたりでいえば570万ドルだ。実際の道路と実際のドライバーを必要とするはずのライドシェア企業が、墓の中のヘンリー・フォードを激怒させかねないようなフーディーニばりのトリックを駆使して中間階級のサヤ抜きをしようとはなかなか想像できまい。

しかしウーバーは新しい区別を設けて、二種類の労働力を作り出すことでこれを成し遂げてしまった。「ドライバーパートナー」、わかりやすく言えば請負業者ということだ。彼らを従業員名簿から締め出すことは、ウーバーの投資家と12000人のホワイトカラー従業員が680億ドルを「パートナー」たちと公平に分配しなくてよいということを意味する。これに加えて、ウーバーは200万人のドライバー労働者健康保険雇用保険有給休暇も与えなくてよいのだ。

巨大テクノロジー企業の雇用破壊は、こうした企業に対して公平な税負担をさせるべきだという主張の強い論拠になる。政府はそれを職業訓練社会福祉にあてることでその被害を抑えることができるからだ。しかし、雇用の破壊を政府による介入の促進剤とだけ考えないようには気をつけるべきだ。職の置き換えと生産性の向上――農民から工場労働者へ、工場労働者からサービス労働者へ、サービス労働者から技術労働者へ――はアメリカイノベーションストーリーの一部だ。我々の 成功フリークたちに戦わせつづけることも大事なのだ。

核心に近づいてきた。外国の敵に自分の会社を、自国の民主的な選挙プロセスを傷つけるための武器として使わせることは問題、とても深刻な問題だ。2016年の選挙中、フェイスブック上のロシアのトロールページは金を払っておよそ3万件の政治広告を打った。でっち上げコンテンツを見たユーザーは1億2600万人におよんだ。事態はこれでは止まらなかった。GRU――ロシアの軍事・諜報機関――は最近では混乱の種を蒔くためにより超党派的な方法を採用している。選挙の後も、GRUはフェイスブックグーグルツィッターを利用して人種差別由来の暴力を扇動した。こういったことを防止するために、プラットフォーム事業者たちはほとんどあるいはまったく投資を行わなかった。GRUはフェイスブックの広告をルーブルで支払った。文字通りにも、象徴的にも赤旗だったというわけだ。

あなたがビーチかプールつきのカントリークラブを経営している場合、短期的にはライフガードをおかないことが利益につながる。主にアルゴリズムに依存しているフェイスブックがそうであるように、そういったビジネスモデルにはリスクがあるが、かなりの金額を節約できるからだ。巨大テクノロジー企業が社会的な利益のために、必要なリソースを自発的に投資するだろうと期待するのは、エクソン地球温暖化の問題に対してリーダーシップを発揮することを期待するようなものだ。そんなことは起きるはずがないのだ。

しかし、単なる規制ではなくトラストの分割が必要だというアイデアを私が思いついたのは11月に、上院情報委員会チェアマンであるリチャード・バーがフェイスブックグーグルツイッターの相談役に泣きついたときだった。「国民国家に我々の未来を台無しにさせないでくれ。君たちが防衛の最前線なのだ」。まさにこの瞬間、選挙で選ばれた我々の代表が自国の防衛を、今買おうとしていた靴についてしつこく宣伝したり、友達の誕生日を思い出させることをビジネスモデルにしている会社に委ねようとした瞬間こそ、歴史における転換点だったのだ。

「あいつら」が我々の防衛の最前線だって

はっきり言っておこう。我々の防衛の最前線はこれまでずっと陸軍・海軍・空軍・海兵隊だったし、これからもそうあるべきだ。「ザック」軍団なんかじゃない。(https://anond.hatelabo.jp/20180214160914に続く)

2018-02-12

底辺中年絵師愚痴

なんだか同人活動での苦悩の吐露が多いようなので便乗して。

はいえ誰も共感してくれない話になるだろう。ごめんなさい。

 

俺は昔からPCで絵を描く事を趣味にしていた。

昔は絵を描く趣味イラスト漫画普通だったが、俺はドット絵や16色CGを描いていた。昔のパソコンファミコン以下の絵しか描けなかった。使える色も少ないし制限も多い。しかしその制限の中で絵を描くのが面白かった。制限がその機種の個性にもなっていた。使える色は多いけど解像度の低い機種、解像度は高いけど16色をやりくりする都合でセピア風っぽくなりがちな機種、CG性能は良いけどFDDでは役不足な機種、簡易アニメが作りやすい機種などなど。FDDが普及してCGが保存しやすくなり、高級品だったマウスも安売りで買った。

 

イラスト漫画ではなくドット絵CGを好んだのは、何度でもやり直しが出来る事と、画材の出費が無いからだ。当時のCGソフトのアンドゥ機能は1回しか後戻りできないものが多かったが、そもそも解像度の低いCGなので時間さえかければ幾らでも描き直せた。実は紙のイラスト練習してカラーインクなどを買ったりもしたが、失敗すれば紙1枚が無駄になる事が大きなプレッシャーに感じた。ホワイトなどで修正するほど仕上がりは汚くなっていく。CGならばやり直せるしゴミも出ない。

 

就職先もゲーム会社を選んだが技量もなく不採用で、しかCGをやめるという発想はなく、同人CG集を買うようになり、俺も同人ドット絵CGを描くようになっていった。

…ここまでインターネットのイの字も無かった頃の話。

 

90年代の中ごろには「草の根BBS」というものも増えて、電話代を気にしながら上手い絵師CGダウンロードした。

恥ずかしながら俺も幾つのサークルさんにお声をかけて頂き、ドット絵CGや素材を作った。

 

90年代同人事情というと、絵柄には個性があって当然という時代だった。絵を見れば作者がわかる。芸風とも言えるほどだ。デッサンの歪みなどはさほど神経質ではなかった大らかな時代で、初心者がしばしば眉毛を描き忘れたアニメ絵を描いているのも微笑ましかった。当時の同人でのアニメ絵趣味性と個性を主張するアイコンだったように思う。

当時の同人での絵師はまだCGより紙に描くほうが普通で、マウスをカチカチ鳴らして絵を描く人は案外と少なかったようにも思う。上手い人はとんでもなく上手くて真似できないレベルだったのと、俺より下手な絵師も多かったので、俺は落ち込む事もなくCGを続ける事が出来た。

 

90年代半ば、Windows話題となりインターネット流行し始めた。この頃ようやく現在CGイラストの元となる環境が世の中に広まったわけだ。解像度制限が(殆ど)無いフルカラー(最低でも256色)のCGイラストが描ける環境が整った黎明期だった。FDDには圧縮しても10枚程度しか保存できなかった事もHDDが当たり前になった事で解消された。

当時ようやくスキャナ一般的になり始めた頃でもあったが、まだまだ高級品で、アナログ画材の出費も惜しんでいた俺には手が出なかった。ハンディスキャナを買ったが歪んで使い物にならなかった。

 

この頃からCGイラストを描く事の楽しさが薄れ、苦労が付きまとうようになった。

そもそもWindowsが動くPCが高級品だった。専用ソフトも高いし、フリーソフト殆どなかった。CGソフトイラスト専用のものは少なく機能も貧弱だった。

俺の個人的事情では同人での活動が次々とトラブルに見舞われる事が続いた。参加したゲーム制作の中止が複数重なったり、同人ゴロ被害にあったりした。

 

しかし一番の苦労のひとつは、理解され難い事だったのかもしれない。

PCで絵を描いてもPCが無ければ見れない。親からは1日中パソコンに向かっているうようにしか見えない。世間ではしばしばアニメオタク趣味悪者として魔女狩りが繰り返され、時代アニメ絵ではなくポリゴン絵に移り変わっていった。…自分以外の何かを言い訳にしたい気持ちも大きいが、理解されない事をする苦痛結構大きい事も事実だ。

そしてもうひとつの苦労は、他ならぬ俺自身の才能の無さだ。

16色とかの制限の多い時代には才能の乏しさはあまり目立たなかった。描ける絵には限界があり、その最適解を探し出す事がドット絵だった。カラーパレットをどのように振り分けるか、どの色をタイリングで済ませて色数を増やすか、1ドット未満の線をジャギー消しの手法で描き、ブラウン管の光度差で滲ませる、才能ではなく技術でどうにかできた。しかし色数がフルカラーになった事で俺は途方に暮れた。CG技術ではなく才能こそが全ての世界になった。インターネットがどんどん一般的になって、上手い絵師けが評価される世界になった。…それが当たり前だという事を認めるのに何年もかかった。

 

00年代になると、90年代に人気だった絵師の多くが姿を消した。フルカラー90年代彩度の高いイラストは古臭いものとなりつつあったし、個性もさほど求められなくなったからだろうと思っている。90年代に人気だったプロイラストレーターの苦労も時々目にするので、90年代に人気だった同人絵師が姿を消したのも必然なのだろう。

00年代の俺は才能の無さは自覚していたので、当時流行していた3D-CGを始めた。当時の宣伝文句は概ね「絵の描けない人でも出来る!」だ。貯金を切り崩して六角大王海外製3Dソフトを買い相当練習したが、結果は失敗だった。数年我慢してMMDを学べばよかった。俺は才能だけでなく時代を読む目もなかった。

 

2010年代ドット絵需要懐古趣味しか無くなり、CGイラスト毎日毎日物凄く上手い人が出現し、俺はCG-TIPSを検索しては真似をしてなんとか時代に取り残されないよう苦労し続けた。しかCG-TIPSを学んでいて気付いたのは、CGの塗り方の流行結構短いスパンで変わってしまうという事だった。俺がなんとか使いこなせるようにあった頃には他の誰もがもっと上手く使いこなしていて、なんとか追いつこうとしているうちに次の流行に変わっている。CGネット上に溢れかえっているから、目新しいものが求められ、俺のような才能の無い微妙な絵はネットノイズしかなかった。

 

最近では長年CGを見続けてきた俺には誰が描いたのかまったく判別できない絵が増えてきてゾッとしている。とてつもなく上手いけど他の上手い人の絵と見分けがつかない絵。これはテレビアニメの多くがそういった傾向なので誰のせいでもない事だが、。

そして物凄く薄く繊細な塗り。フルカラーなのに明度差が微妙しか違わない繊細なグラデーションは16色のカラーパレットCGを覚えた俺には到底無理だ。こんな絵を目指さなければ人目を惹かないのかと思うと心が折れそうになる。しか他人CGからスポイトでカラーパレット拝借なんて出来ない。絵の才能だけでなく色彩センスもない俺自身が恨めしい。

 

上手い絵師には嫉妬心もわかず、ただ自分の才能の無さを思い知らされるばかりだ。

真似をしたところで言葉通りの劣化コピーしかならない。

本当に絵の上手い人の特徴はとにかく早い事だろう。イメージを迷うことなく描画する才能がある人ほど上手い。

俺はイメージが貧相だしラフを描いている時も悩んで時間がかかる。出来上がるのはピンボケの絵にしかならない。

 

俺にとってCGは既に同人ではなく個人的趣味しかなく、楽しいという気持ちも無い。苦労であり苦痛しかない。しかしいまさらやめるわけにはいかない。色々な事を犠牲にしてきたのに、やめたら本当に何も残らなくなってしまう。同世代の人はみんな趣味はほどほどに、結婚したり出世してしっかりした人生を歩んでいる。いまさらCGやめたって人生で得られなかったものが手に入るわけでもない。歳を取って健康不安が付きまとうようになってきた。いつ死んでもおかしくないが、死ぬ前に下手糞な絵の制作データは消去したい。

 

最近は愚直にデッサン練習をしているが、デッサン固執すると絵の魅力が薄れる感じもあって苦労している。正直に言うともう絵を描く事が好きではない。そんな底辺中年絵師の俺が誰に向けて描けばいいのか。ネットには上手い絵が溢れすぎていて需要なんてない。上には上がいる世界では下の物は叩かれるだけの存在だ。自分の為に描こうにも、俺が見たい絵さえググれば出てくる時代だ。

じゃあやめろよと言われるだろう。やめたら俺どうすればいい? 他には何もないんだ。

 

いつか自分が気に入る絵を描けたらいいなと思う。おっぱい

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