はてなキーワード: アナログとは
はじめに断っておきますが、私はどちらのファンでもなければ、アンチでもありません。
したがってこの記事には「夢女きもいw」とか「外野は引っ込んでろ」といった内容は一切出てきません。
今回の炎上元の写真を見ました。きついですね。きついです。特にお風呂写真。いろんなところで「お風呂でイチャイチャしている写真」と表現されていますが。
でも、もっと言えば、「2人の間にほぼ間違いなく肉体関係があることを明示している写真」であり、何ならこの写真の前後にセックスしているかもしれないと想像させられてしまう写真なんですよ。
ちょっと暴論かもしれませんが、「推しがポルノ流出した」状態を擬似体験させられてるわけです。これはほんとにきつい。
キス写真の方も、お風呂写真ほどではないにしろ、朝チュンを連想してしまい、やっぱりきついです。
財木さんはアイドル売りしている若手俳優、橋本さんは元アイドルの女優。双方にとって一番流出してはいけないタイプの写真が、彼女バレ/彼氏バレと共に流出してしまった。何でこんなことになっちゃったんでしょうね。
いや、いいんですよ。
双方合意の上で、法律に違反しない方法で撮影を行い、それをきちんと管理できるならば。
キス写真だろうがお風呂写真だろうが、特殊性癖の写真だろうがハメ撮り写真だろうが動画だろうが、撮るのは自由です。管理できてさえいれば。
私は、お二人とも、ネットリテラシーが低いんだなあと思いました。
記憶力の良い人と勘の良い人は、ケツg…まで言えば分かると思いますが、PCがウィルスに感染したことで、画像共有ソフトを経由し、交際相手のPCから一般女性のポルノ画像が流出した事件がありましたよね。
たとえSNSやネット上の共有ツールにアップロードしなくても、ネット回線がつながる機器の中にデータを保存している以上は、流出する可能性はゼロではないです。
動画だったらアナログテープで撮影する、写真だったらデジカメと決してネットに接続しない閲覧端末との間でしかデータをやりとりしない。(これだってゼロとは言い切れないけれど)これ以外は全て流出する可能性が高いと考えた方がいい。
そのぐらいきちんと管理できないなら、そんなもの撮らない方がいい。
…ってことを、1回目の時点で、財木さんは事務所の方から教わらなかったんですかねえ。
橋本さんも、テレビバラエティ出身なのに、アイドル出身のはずなのに、教わって来なかったのか。
こういう写真の流出は、未だ男根社会的な日本において、女性よりは男性の方が傷が浅く済みます。だから財木さんの方が、2度目とは言え傷は浅いです。
橋本さんは今後どうなるんでしょうね。
バラエティー寄りのグループではあったものの、元アイドルですし、解散からまだ2年程度しか経っていませんから、事務所は売り出すにあたって色々なNGを設けてるんじゃないでしょうか。
例えば過度の露出NGとか、下品な深夜番組の出演NGとか。下手するとそれらのNGが適用できなくなっちゃうと思うんですけど。
加えて、他の方も書いてる通り、芸能活動続けようが引退しようが、あの写真と彼女の名前はセットで残り続けます。妻になっても母になっても。本人はどう思うのかな。
あとどうせ検索予測で絶対引っかかるんで書いちゃいますけど、彼女、同じグループだった妹さんいるじゃないですか。妹さんも芸能活動続けてるのに、飛び火しそうだなあ…
以上をざっっっくり要約すると、「本人たちの自己管理ももちろん甘いけれど、事務所の管理・教育も甘かったんだなあ、不幸だなあ」というのが私の感想です。
彼女バレ彼氏バレ、役者としてのプロ意識、ってより以前に、現代の情報社会に生きる人間としての甘さが露呈してしまった一件でした。
まあ極めてプライベートな写真の流出については、芸能人だろうと一般人だろうとみんな気をつけなきゃいけないことなので、我々もネットリテラシーを身につけなきゃいけませんね。
あと最後に、こんな記事読んでるか分かりませんがファンの方々へ。
気をしっかり持って、そして逃げてください。
ぶっちゃけ私も同類というか、ドルオタ、しかもガチ恋勢だったことがあるんですけども。
ガチ恋しつつも心の奥底には「本当は彼女いるだろ」って思いが薄々ありました。考えないようにして追っかけをやってたら、ちょっとトラウマになる一件があって、担降りどころかアイドルというジャンル自体がダメになってしまいました。
楽しい思い出はいっぱいある、憎む気持ちはない、でももうしんどくて戻れない。別のアイドルグループを見て、素敵だなと思っても、あの頃ほどの熱量が出せない。そうならないで欲しいんです。
俳優沼の方って、俳優一本の方が多いですよね。つまりそれは支えが一本しか無いということ。
たった一本の柱が折れる前に、何か別のものに逃げてください。アニメでも漫画でもいい、スポーツをはじめてみてもいい。
美味しいものをいっぱい食べて、楽しいことをして、心を休めてください。
同人活動やめようかな、という迷いの話
タイトルも含めて、とりとめなく自分の同人活動を振り返ったり脱線したりするだけの話です。
ありきたりな前置きですが本当にまっとうな思考の人間による文章ではありません。
小中学生の頃は、好きな作品に触発されながら、毎日のようにノートやコピー用紙に絵を描いていた。多いときは週に10作品以上ビデオ録画をしてアニメを観て、絵を描いていた。
当時SNSがあったのか知らないけれど(それこそ2chしか記憶がないし、2chはSNSではない)、とにかく今のようにSNSが当たり前の時代ではなく、また家族にも友人にも、誰にも披露するわけでもないのにアニメの感想やゲームレポをイラスト付きでたくさんかいていた。多少、「アニメディア」や「ファンロード」の影響があった。
はじめて二次創作の本らしきものを作ったのは中学2年の頃だった。鉛筆で描いた漫画をコピー用紙に印刷して、ホチキスで留めただけのもので、しかも複製せず一冊しか作らなかった。
次に本を作ったのは高校1年の頃で、友人3人と合同誌を作った。その時はペン入れしたりトーンも使ったりしてアナログ原稿を作った。オンデマンド印刷本だった。はじめてイベントに出て本やラミカを頒布した。
ほぼ同時に、その頃から徐々に界隈に広がりはじめたデジタル原稿にも挑戦して、これもオンデマンド印刷ではじめての個人誌を作った。
どちらも、自分の漫画はネタも作画も本当に拙くて酷かったのを覚えている。
漫画を描くのは普通にイラストを描くよりも、何倍も難しかった。
それからしばらく受験や何やらで忙しくなって、本は出さなかった。暇を作ってはイラストを描いたり、鉛筆描きの短い漫画くらいは描いていた。
高校を卒業したあたりからpixiv、Twitterを始めて、二次創作の世界を広がりを感じた。自分はpixivにらくがき程度のものを少量しかアップせず、ほとんど見る専と言ってもよかった。
大学生になり、大きなジャンルにハマって、描く量が一気に増えた。人生で最大級に大きなハマりっぷりで、グッズにも相当お金を使ったし、それまであまり買っていなかった同人誌もたくさん買うようになった。大学生で時間もあったのか、熱に浮かされたようにずっとそのジャンルのことを考えていたし、ずっと絵を描いていた。Twitterの二次創作アカウントも作り、大学2年か3年のあたりだったか、ついにそのジャンルで本を出し始め、イベントにも出はじめた。
大学院に入ってからは、1年目はびっくりするほどイベントに出ていた。2~3ヵ月に一度はイベントに出ていた。これは自分にとっては驚くべき頻度だった。ジャンルがとても盛り上がっていたこと、また院生の研究生活がわりと孤独だったことも大きな要因だったと思う。いろいろなご縁をいただいて、アンソロジーに寄稿させていただくことも何度かあった。
この頃——というよりずっと昔からだったが、自分は本当に締切が守れない人間だった。個人誌についてはそれが顕著で、新刊を落とすか、割増入稿をするか、常に二択だった。
ただ本当にだらしないせいだと思うけれど、病気か?と本気で疑いたくなるくらい、ギリギリになるまで原稿に手をつけなかった。心を改めるどころか、年々それは酷くなっていった。
さすがに研究論文の執筆が佳境を迎えたころは同人活動を控え、修了までの1年間は本を出さなかった。イラストはたくさん描いていたけれど。
社会人になってから、以前よりずっと絵を描く時間が減った。社会人になってからの同人活動は大変だと聞いてはいたものの、身にしみてそれを感じた。社会人1,2年目は本は出せないだろうな、と学生を終える前にも思っていたけれど、いざその状況になってみると、それでも本を出したい、という思いが湧いてきた。同人活動をしばらく抑えていた反動だった。
久々に本を出した。……酷かった。
全然時間が足りず、というよりは原稿計画がしっかりしておらず、後半の作画は目も当てられなかった。ストーリーも読み返すと良くなかった。
かなり、後悔した。
それでも買ってくれる人や、感想を送ってくれる人がいて、とても励みになったし、次は頑張ろうと思った。
わりと昔から自分の作品を貶したくなる癖があった。癖というか、実際本当に、自分は話作りが下手だったし、それを補うほどの努力もできていなかった。
それでも、見てくれる人、買ってくれる人がいる中で自分の作品を貶すのは失礼だと思って、なんとかこらえてきた。
また新しい本を出した。
……前よりもっと、酷かった。
あんなに前回後悔したのに、まるで活かされていない。反省できていない。明らかに時間をかけられなかった。努力できなかった。
イベントから日が経つほど心は冷え冷えとしてきて、多少通販もしたが、これ以上世に出すのが耐えられない、と感じて、早々に打ち切った。
最低限、きちんとした本——手抜きせず、自分が納得できるもの——を出すことができなくて、自分の所業ながらただただショックだった。
「何がなんでも出さなきゃ」、という思いだけがあまりに強かった。
納得できないならどうして無理矢理出してしまったのか。落とす、という選択肢はなかったのか。いつもすべて過ぎてから、後悔が襲ってくる。
今はかなりマイナーなCPを描いていて、こんな自堕落ぶりで同じ界隈の人にも申し訳なくなったし、自意識過剰かもしれないけれど、CPのイメージが悪くなるのではないかとまで思っている。それでもまだ、好きだから描きたいという思いはある。
しばらく、休んだほうがいいんじゃないかと自分でも思う。実質最近は大きな仕事を任されていて、同人活動は休止状態に近い。
でも今までの休止期間以上に極端に絵を描かなくなっていて、それが少し怖い。
もしこのまま、絵が描けなくなってしまったらと思うと、漠然とした不安が頭を埋める。
絵を描くこと、同人活動をすることは、自分の人生においていつの間にかとても大事なことになっていた。10年くらい前は、なんとなくいつかは絵を描くこと、同人活動をやめる日が来るんじゃないかなと思っていた。「こういう職に就いてこういうことをしたい、それに打ち込みたい」と、自分の創作とは関係しない夢を当時は持っていて、同人活動の時間が自然に淘汰されるのだろうという予感があった。けれど今になって、これからもしばらく同人活動を続けていきたいと思ったし、その終わりが見えてしまうのが怖くなった。
同人活動は趣味に過ぎないと思う。つらいなら、できないなら、やめてしまえばいいと思う。
休止じゃなくて、……本当にもうやめてしまおうか?
そう思う時もある。でもそれがやっぱり怖い。
自分の不甲斐なさで好きだったことがつらくなって、自滅以外のなにものでもなくて、本当に馬鹿だなあと思う。
いい年になりつつあるが、浮いた話もとくにない。結婚というのも、同人活動をやめるきっかけとしてよくあることなのだろうか。知り合いでは結婚しても同人活動してる人がたくさんいるけれど。
仕事をして、日々が、月が、年が過ぎていく。仕事は嫌いではなく、むしろ好きだ。でも絵を描かない日々は、少しずつ自分の心を色褪せさせている気がする。
これからどうするかは、まだ決められていない。
「同人活動続けようよ、あなたの作品は素敵だよ」と言ってくれる人よりも、「あなたの作品はこういうところがダメ。活動姿勢もダメ。改められないなら、つらいならやめてしまえば?」と言いきってくれる人がほしい。
でもそれも独りよがりで、続けるきっかけ、またはやめるきっかけが他人からほしいだけなのだと自分で思う。方向はどうあれ、背中を押すか蹴るかしてほしいだけなんだと思う。
よしなしごとは、以上です。
弱気なこと、不安なことを言える機会がなかったので、ついここにしたためてしまいました。
読んでくださりありがとうございます。
タイトルの通りだけど、ああいう人ってどういう心理してるんだろうね
「最初は誰もが下手」「下手でも人に見せないと上達しない」とかよく言われるけどさ
ほら、そういうレベルじゃないド下手な絵を公開してる人っているじゃない
数描いてもいっこうに上達しないタイプ
そういう人たちに共通する傾向としては、
・「下手な絵ですが……」みたいな謙遜はまずない
それてもエロだったら性欲がほとばしった結果なんだろうなと察することはできるけど、非エロなことも多いじゃん
こういうこと言うと「下手な絵をアップようが勝手だろ」って非難されるだろうけど、そういうおまえらだって、ド下手な絵描いてるあいつらをやべーやつと思ってたいがいスルーしてるじゃねえかよ
小学生のいとこが親から買い与えられたnintendo や家電やハムスターやお菓子を粗雑に扱うのが嫌いだった。俺なんか安月給でSwitch買う余裕もねえのに世の中のガキはふてえ。菓子も喰いくさしのまま新しいの空けるし。去年まで熱中して俺のスマホ奪い取ってまでやってたpokemonGoもいまや興味なければ3DSもアナログパット引きちぎれて折り畳み部分が割れたまんま部屋の隅でホコリかぶってる。乱暴で浅はかだガキって。
このNintendo Laboに期待するのは、親にくみたててもらった段ボールでしこたま乱暴に遊んだあげくぶっこわして、目の前にソフトはあるのにプレイできなくなって絶望するいとこの顔を見せてくれそうなとこだな。
雑食なサブカル寄りライトオタアラサーメンズ増田の独断と偏見で書く。
5分アニメや朝アニメ、続きモノ以外はたぶん全部観た。今期結構豊作っぽいので選ぶ参考になれば。
1話だけでいいから観たほうがいい。京アニありがとう。京アニの監督は山田尚子だけじゃなく石立太一も推せる。
一番ノーマークっぽい?演出が95点くらいでヤバイ。いしづかあつこ監督は最高。
設定はわりかし普通の現実女子高生ものなんだけど、観てるとすぐ終わるくらいテンポがいい。
人間ドラマが好きなんだよ。原作の雰囲気をより強調しててもくどくなくていい。主人公の声優が良い感じ。
設定バッキバキSFで水島精二の時点で。kzの音楽が良い。小説作者が設定をオープンソースにしてるので要チェックな。
アナログハック・オープンリソース:https://www63.atwiki.jp/analoghack/
ボーイミーツガールでSFだったらBEATLESSよりこっちのがよさげ。でもセカイ系っぽい。
湯浅監督の作品が観れるかつ題材がデビルマンの時点で、ある方面では優勝してるでしょ。
1話面白くなかったけど2話はそこそこ。AC部観たいのと、ネットの教養として。
1話からヤバイ飛ばし方をしてるが大丈夫か?国立アンニュイ学園のためか?
思ってたより良かった。癒される。
これも思ってたより良かった。デュラララ的な感じ?
まだ面白くないんだけどOPとEDいいし。梅津泰臣が好きなだけか。
ラーメン店のチョイスが素晴らしい。
記憶がない。
記憶がない。
もうちょい絵がオシャレで百合百合しいのかと思ってたら少女漫画チックなのね。
あんま良くない感じで古いんだよな。1話で惹きつけられないし。
相当暇だったら見るんだけど。可愛いし。
1.5倍速にしたら見やすかった。
畳の上でヒールを履くな。
主人公が「さあ、デスマーチのはじまりだ」と言ったところで動悸が。主人公最強系好きならいいんじゃない。
記憶がない。
記憶がない。
こういうやつに限ってデジタルとアナログの定義とか聞いてもあやふやな答えが帰って来るんだろうな
たぶんあなたの思っているアナログは結局はあなたにとって都合のいいものでしかなくて,実際はデジタルもアナログも関係ないと思うよ
どうせそこら辺で便利そうな道具を見知ったor見かけたんだけどあなたが使いこなせなくってそれが悔しくてアナログだとかデジタルだとかそれっぽい言葉で発散させてるだけでしょう?
デジタルって性に合わない。
いまやスマフォが当たり前でガラケーが好きだった私としては、どうして携帯とパソコンが一体化する必要性があるのかいまだに理解出来ない。
若い人たちのためにはそういうのもあって良いんだと思う。
けれど若くない私からしたら、どこででもインターネットに繋がれるデバイスなんて扱いにくくて仕方ない。
執念深くガラケーに固執していたら、故障した途端に部品の製造がストップしていますと言われ、今でもガラケーの新機種が出ているのを知っているけれど修理不可能と言われては新しいガラケーに乗り換える気力がなく、携帯がなければ仕事にならないので仕方なくAndroidに変えたけれど、ずっとガラケーで居たかったし、テレビだって地デジなんかにならない方が便利だった。
それが時代の流れなんだろうけど、少数派にも選択肢を残してて欲しかった。
アナログの方が良いなんて少数派だとわかってるけれど、そう言えばMVNOのフリーテルが楽天に買収されたとか、民事再生するとか、楽天が第4のキャリアに参入するとかのニュースを昨年よく見たけれど、楽天ではガラケー取り扱ったりしないんだろうか。
例えが下手だけど、一冊で完結するような日記が出来ないかなと悩んでおります。
・買い物行ったら、xxがセールだった
・誰々と喧嘩した
・階段で躓いた
何気ないこと、出来れば時間軸も合わせて。
ブログや日報みたく、しっかりまとめるものではなくて単なる日々の記録。
重要視したいのは、
・記録しやすさ(軽量、即記録)
カレンダーから「この日あったこと」みたいな事がみれたりしたら最高
アナログ、デジタルは関係なくwebサービスでも使い易ければ是非とも教えて頂きたいです。
IFTTTなんかも使いこなせばできそうだけど、知識が足りなかった…。
【今まで利用したもの】
・紙、ノート
使い易さはダントツ。
これも数が膨大、数年前の検索で手数が掛かりすぎる。
管理する上では素晴らしい。
アプリでの処理が重い(個人的感想)、さっと記録し辛い、腰を据える感じで。
現状利用している。
起動、記入が高速。
マークダウンも利用できる。
◆◇◆ 追記 ◆◇◆
わがまま言うと長文記入する際に、メモ欄に記入ことになるので、毎回予定を開いて確認しないと…という部分はありますが。
しかしAndroid端末やwindowsPCなど環境が変化した際に、記録が持ち出せない・共有できないという事態に遭遇したため、固有のアプリは長期的にみると恐ろしいです。
コンデナスト・ジャパンが発行する雑誌『WIRED』日本版は、2017年12月9日発行のVOL.30を最後に、刊行を休止いたします。読者の皆さま、定期購読者の皆さまへ、編集長・若林恵から休刊と退任のご案内です。
──『WIRED』日本版のプリント版はどうなるのでしょうか?
少なくとも2018年3月発売号は刊行いたしません。その時点で定期購読も終了し、定期購読いただいている読者の皆さまにはは返金させていただきます。現時点では、プリント版の継続については白紙となっています。
──なぜ休刊するのでしょうか。
──退任されるんですね!なぜ編集長の交代ではなく、休刊なのでしょうか?
ぼくが短気を起こしました。
──短気を起こして編集長を辞めるなんて……。
ぼくは子どものころから癇癪(かんしゃく)もちで、40歳を超えたあたりから、その沸点がどんどん低くなってきて。とはいっても、クオリティについて真剣に考えると怒らないわけにはいかない。相手が誰であれ。そうしたら、なぜか最近、やたらと「アンガーマネジメント」に関するメールが来るようになりました(笑)。
この間「おっさんの話」というテーマでウェブの記事に書いたんですが、あの半分は自分の話です(笑)。
──いきなり休刊とは、急な話ですね。
外資の会社ですから、契約が切れる5営業日前に通達があって、休刊が決まりました。とはいえ、プリント版の一時休止と定期購読の停止については、なるべく早く読者の皆さんにアナウンスしなければならないので、急いでこの原稿を作ることになったんです。「最後のおつとめ」ですね。
【一周した感じ】
──最終号はちょうど30号できりがいいように感じますね。
ぼくが編集長として携わったのは、30号のうち実質28号分ですね。結果としては良い区切りだったのかもしれません。最後の特集は「アイデンティティ」で、自分の役目はおしまいです。特にこの2年くらいは、特集がそれぞれ単体として存在するというよりは、「一連の流れ」のようになっていて、どんどん深みにハマっている感じはありましたし、途中からは『WIRED』のテーマであるはずのテクノロジーの話題ですらなくなってきていましたし(苦笑)。
──確かに「アイデンティティ」という特集はデッドエンドのような趣があります。
そう設計したというよりは、どんぶらこと流れに乗っていたら流れ着いてしまったという感じなんですけどね。
──次号以降の特集のラインアップなどは既に決まっていたんですか?
もちろんやりたいことはいっぱいありました。次号は「発注」というテーマでやろうとしていましたし、その後は「ロボット」「物流」「ニュー・アナログ」というテーマのプロットはしていました。あと、2017年に「アフリカ」特集でやったようなことを、コーカサス地方に置き換えてやれないかな、と。
──突然「コーカサス」ですか?
他にはアルメニアやジョージア、アゼルバイジャンなどですね。テクノロジー面でも進んでいると聞きますし、地政学的にも面白いエリアだから、取り上げたいと思っていました。
──雑誌としては売れ行きがよくなさそうな特集ですね(苦笑)。
そうですか? 定期購読も順調に増えてきていましたし、広告もうまく回り始めて、全体としてビジネスそのものはかなり好調になっていたんです。
2017年から本格的に始めた旅のプログラム「WIRED Real World」というものがあるんですが、これは本当に面白いんですよ。参加してくれるお客さまも面白い。お客さま同士で新たなプロジェクトが生まれたり、参加してくれた方々からお仕事をいただくようになったり。かなりグルーヴ感がありました。それをちゃんと育て上げられずに終わるのは、残念といえば残念です。そういう面白い人たちと一緒にコーカサスに行ったらきっと面白くなると思っていたんですけどね。とはいえコミュニティは残るので、継続してみんなでわいわいやれるといいなと思っています。
はい。どの事業もお客さまは本当に面白い方ばかりでした。そういう方々のために、結構苦労してノウハウを積み重ねて、やっとビジネスとしても芽が出るところでしたね。毎年秋に実施していた「WIREDカンファレンス」も、年々企画の精度が上がっていて、自分で言うのもなんですが、2017年は驚くくらい面白い内容にできたんです。
──ただ、いわゆる「テックイノベーション」からは外れている感じですよね。
周りからは唐突に見えたかもしれませんね。そうはいっても、「注目のスタートアップ情報」などを最初から重点的に掲載してきたわけではありません。「死」「ことば」などの切り口は継続して存在していましたし。
──そうですね。
その上、ある時期から「スタートアップわっしょい!」のような気分も収束し始めて、面白い話も大して出てこなくなってきていたと思います。シリコンバレーはトランプ米大統領の就任以降、完全に逆風を受けてしまっているし、AIや自律走行車などの話も、いよいよ実装の段階になってくると、完全に政治と法律の話になってしまうので。
──それで飽きてしまったということでしょうか?
そうではなくて、時代が大きくまた変わろうとしているということだと思います。おそらく『WIRED』の発行元であるアメリカのコンデナストを見てみても、時代のフロントラインにいるのは『Teen Vogue』なんですよね。LGBTQメディア『them.』がローンチされたり、『Vogue』が『VICE』と組んだり。それ以外でも、「アイデンティティ」特集でも紹介した『Refinery29』のようなファッション・カルチャーメディアが旧来のメディアエスタブリッシュメントを圧して、新しい言論空間になり始めているという、面白い状況にあります。
──なるほど。
デジタルイノベーションやデジタルメディアのダウンサイドが明らかになってきた中で、それを突破するために必要なのは、やっぱり新しいカルチャーをどう作っていくのか、という話じゃないかと。そういう意味でいうと、結局いま面白いのってインディーズのブランド、ミュージシャンやクリエイター同士のオーガニックなつながりみたいなことだったりするわけです。技術がどうこうという話だけではどこにも行かない、という感じが、もうここ3年くらいずっとありますね。
──AIだ、ロボットだ、ブロックチェーンだ、VRだって、だいぶ前から要件は出揃っていて、それではそこからどうするのか?という感じでしょうか。
そう思いませんか?
──何かが一周した感じはあります。
2017年は、SXSWでTwitterが「アプリ大賞」を取ってからちょうど10年目です。その間、いろいろな期待、それこそアラブの春や、日本でも東日本大震災を経て、デジタルテクノロジーによって民主化された「よりよい世界」が夢見られてきたわけですが、そう簡単に世界は変わりません。むしろ、新しい困難が出てきてしまった。しかもそれは、テックでは解決できない困難だということも明らかになってきています。問い自体が、より複雑な人文的なものになってきているから、哲学やアート、ファッション、音楽、文学などは、いまの時代本当に大事だと思うんです。
──『WIRED』では「テクノロジーだ」「未来だ」と取り上げていませんでしたか?
でも、そう言ってきたのと同じ分、「テクノロジー」という言葉も「未来」という言葉も好きじゃないということも言ってきたつもりです。「未来」というコンセプト自体が、いかに20世紀的なものか、ということについてもずいぶん語ってきました。
──それは冗談だと受け止められていたんじゃないでしょうか?
変な言い方になりますが、「未来」というもの捉え方を変えることでしか、新しい未来は見えてこない。それが、端的に言うと『WIRED』で考えようとしてきたことだったはずだったんです。
──お疲れ様でした。
我ながら遅咲きすぎるって自覚はあるけど、ステージに立つのはいつも楽しい。
始めたての頃、とにかくつらかったのが人間関係を制限されたこと。
アイドルを始める前から、ちょっと頼まれて歌ったりすることがあったけど、その頃の友人との連絡はすべて絶たされた。
ちょうどその頃彼氏とも別れて、友人たちが心のよすがだったのに、マネージャーから「あいつらは人間のクズだ!!!」と言われ続けて病んだ。
グループの公式アカウントのブロックリストに、友人たちの名前がずらっと並んでいて、より一層病んだ。
それでもこっそり手紙(アナログなやつ)を自宅に送ってくれる友人などもいて、どうにか私はギリギリを保てた。
事務所の社長は「もう少し、君の好きなようにやってみてもいいよ」と言ってくれている。
アイドルとしての私じゃない私を見たい人なんて、今いる数少ない友人たち以外もう見つけられない気がする。
あんなに縛って縛り付けて私の頭をおかしくさせておいて、今になって好きにしろって、なんなんだよ。
おかしくなりそう。