はてなキーワード: 闘争心とは
私はボイスもない、総選挙はいつも圏外のアイドルを推している。
彼女は美しく気高い。妥協を許さず自分を魅せるために努力し続けている。
しかし、このまま彼女に投票し続けていても未来がないように思えて仕方なかった。
彼女はどうしても人気が出ない。
いきなりお気持ち表明ブログの定型文を使ってしまって申し訳ない。
このブログは夢見りあむdisではない。それだけは最初に述べておく。
たくさんのプロデューサー達がその場のノリで投票するような雰囲気を作り出さなければ、ボイスなしの圏外アイドルはシンデレラにはなれない。
例えば7thの時のウサミンが良い例だろう。
しかしそれは非常に難しい。
ウサミンには元々ある程度の人気があったからこそ成しえた偉業だ。
総勢200人近いアイドルの中から頭一つ飛びぬけるような魅力が彼女にあるだろうか。
そうは言いつつも三桁近く担当に放り込んだ。
今回は本田未央あたりがシンデレラになるんだろう、と諦めや嫉妬を感じつつ中間発表を見て驚いた。
あれだけ好みが分かれると言われていた夢見りあむが全体3位に輝いていたのだ。
確かに選挙が始まってからもじわじわとイラストも増え、彼女を肯定的に捉える雰囲気が出てきていた。
正直私は夢見りあむのことがあまり好きではなかった。
何故そんな私が夢見りあむを推すに至ったのか、ということについて書いていきたいと思う。
まず、下世話な話にはなるが夢見りあむは胸がデカい。私はそれだけでもう好きになってしまう。かなしい。
また、ただのメンヘラかと思ったら予想以上に強メンタルというギャップにハマってしまった人もいるのではないか。
私は中間発表のあとすぐ夢見りあむをモバマス、デレステ両方でプロデュースした。
「Pサマだけはりあむがいいって言って!推し変せずずっとずっとりあむを推してほしい!」という彼女の叫びに私は屈してしまった。
ああ、夢見りあむならこの腐った総選挙に革命をもたらすことが出来るのではないかと。
それが運営の思うツボだったとしても私は構わない。
アイドルは使い捨てられると分かっていてなおアイドルに夢見る夢見りあむなら、我々の醜い嫉妬心を理解して許してくれるのではないか。
いや、許してほしい。
夢見りあむへそんな汚い票を入れないでくれ、というプロデューサーのブログも読んだ。言いたいことはよく分かる。
汚れたガラスの靴は履かせたくないと、そのプロデューサーは言う。
しかし私が今まで推してきたアイドルはどう転んでも汚いガラスの靴ですら履くことが叶わないのだ。
汚い票を入れるな?そんなのは贅沢だ。夢見りあむは今しかシンデレラにはなれない。
彼女はどうしたってブームが過ぎたら使い捨てられるアイドルだ。
ならば一度くらいは夢見りあむの夢想を現実にしてやってもいいじゃないか。
童話のシンデレラは謙虚な姫だ。姉たちにいじめられ、お城へ行けなくても文句ひとつ言わず黙って家事をする。そして偶然に偶然が重なり王子と結婚する。
彼女は何一つ努力していない。魔女と出会い、王子に一目惚れされたという偶然に甘え、醜い闘争心嫉妬心を見せもしない。私は昔からシンデレラが大嫌いだ。
シンデレラストーリーを日本で実現した女と言えば洞松院だろう。
洞松院は細川勝元の娘として生まれたにもかかわらずあまりにも顔が不器量だったために尼として寺に放り込まれてしまう。
しかし偶然にも30歳を過ぎたころ還俗し、他の家へ嫁ぐことになる。当時30歳で嫁ぐこと自体が珍しかった。そこからが彼女の始まりだ。
詳しいことは長くなってしまうので省くが、彼女は自らの手腕や実家の権力という持てる力を生かし最終的に一国の主へと登り詰める。
この闘争心丸出しのシンデレラストーリーこそ現代に求められているのではないか、と私は思う。
もっと自分を認めてほしい、見捨てないでほしい。とここまで自分をさらけ出したアイドルが他にいただろうか。
チヤホヤされたいと欲望を丸出しにしたアイドルが他にいただろうか。
夢見りあむはそんな現代のシンデレラストーリーを実現してくれる希望ではないか。
私が本当に推しているアイドルはそんな醜い姿は決して見せない。彼女は高潔だ。
正直なところ夢を見れない本当の担当アイドルを推し続けることに疲れたのだ。
同担達は口にこそ出さないが、今回も総選挙は無理じゃないかという絶望感が漂っている。
もう限界だろう。私は限界が一足早く来てしまった。本当に申し訳ない。同担はリムった。
我々の醜い嫉妬心が詰まった票も、純粋な気持ちで夢見りあむに入れた票も、票は票だ。
夢見りあむならそんな票に後押しされてシンデレラになったとしても「オタクはチョロいな!もっとぼくをすこれ!」と笑い飛ばしてくれるだろう。
絶望を知っている彼女ならば我々の嫉妬も、諦めも、そして本当に推しているアイドルを応援し続けられなかった弱い心も許してくれるはずだ。
私が通ってるスポーツジムにある自転車は、漕ぎながらテレビやネットが見れるようになっている。
私は、闘争心をかきたてるためにアフリカのサバンナの動物達を(自転車をこぎながら)検索した。
ハイエナがヌーを生きたまま喰らうという内容だ。私は動画にのめり込み、時間が経つのがあっという間だった。
だが問題が一つ発覚した。他のお客さんが私の次に自転車を利用した時に再度それが再生されてしまうという仕様に気づいてしまった。つまり、次の人がyoutubeを見た時、前の人が最後に見た動画が再生されるのだ。
動画はあまりにもグロすぎる内容なので、私は最悪なケースとして、店舗にクレームが入ってしまう可能性を想定した。
さらに悪いことに、私が見終わった動画の後にも関連動画として、グロいやつが次々と出てきてしまった。
早く全然違うキーワードで検索して、グロい動画の痕跡を消さなければと私は自転車をこぎながら焦った。
そして、苦し紛れに出てきたキーワードが「リラックマ」だった。ここは若い女性もそこそこ利用するので、リラックマなら悪くないだろうと思った。
検索結果からネットフィリックスの「リラックマとカオルさん」の予告動画を再生した。
まあこれで、グロい動画を見つけた利用者が店舗にクレームを入れるという最悪の事態は避けられた。
リラックマはダラダラしてばっかりだし「週に一度はがんばらない時間を」なんていうキャッチフレーズまで出てきてしまうのだ。
今頑張らなくて、いつ頑張るんだよ?
ということになってしまう。
日頃からオタクを小馬鹿にし、表現の自由を奪おうとしてる自称リベラルの言うことなんか信用しないから肉屋を支持
自称リベラルは信用されてなくて信用に値する行動もとってないから肉屋を支持
こうですか?
どうでしょうムカついてきましたよね
では自称リベラルがこんなひどい事言ってたよというまとめでも作って表現の自由戦士(笑)の闘争心に火をつけて団結力を高める運動でもしますか?
毎回これやってるよねお前ら例えばこういうやつ
「表現の自由に関してあんだけ偉そうな事抜かしてた赤松健がスクショ禁止の危機になったら、お上に逆らうのは怖いので竹宮先生に丸投げしてましたって・・・ネットの自称表現の自由戦士ってこんなんばっかだな」
https://togetter.com/li/1322037
展開が違うんだよ!
1対1の柔道とかは好きだな。相撲は……イマイチ。案外好きな種目はフェンシングとスキー。あいつら……跳ぶぞ……!?
体の動かし方とかに芸術性を感じているのかもしれない。男子のプロレスはイマイチだけど女子プロ好きだしなんかトリッキーなのを見てるとおわああああ!!いけぇぇぇぇぇぇ!!!やっちまえええ!!!!的なまあ、闘争心の強引な感情移入?もあるかもなぁ。古来から決闘は娯楽な訳ですし(その点男子プロレスは遅い、自選的でも芸術的でもない所が刺さらないのかも?)
まあ、ジェットコースター好き?嫌い?みたいなもんだよ。日常に足りてるもしくは過剰な感情を呼び起こすものは好きになれない。ジェットコースターは恐怖感等のストレスが足りてない人間が楽しめるらしい。人間はストレス無くしてはストレスが溜まる訳の分からない構造なんだな~コレ
つまりストレス社会において「あいつとあいつはこういう特技があるからこう連携して行けば……!」とか考えるのは娯楽足りえない人は多いのでは?
「パソコンのエミュレータでの操作には制限があるか、アカウント作成がNGでスマホで普段使ってるアカウントで遊ぶのは良いとか、線引きはあるのか」
・一人が持てるアカウントは機種問わず3アカウントまで(同サーバ内)
とのこと
まず、パソコンのエミュレータは禁止してない、エミュにも広告出してるアプリ
特定ユーザーによる大量の無料アカウント作成を禁止したいのはその通り
Google認証、フェイスブック認証、アップルIDでの認証に対応しているゲームで
どうやって判定できるんだろう
また課金要素が非常に強いゲームで、アイテムの価値下落も激しい
このようなゲームアプリで同一ユーザー3アカウント制限というのは可能なんだろうか
SNSやゲームコミュニティサイトアプリで情報を探すもまとまったものは見つからない
ただ、BANはそのアカウントの行動パターンによるらしい、間違いBANを以前くらった という書き込みがあった
私は良く言えば穏便、真実に近い表現としては闘争心のない腑抜けなのでその感覚を理解したことがなかったのですが、
悲しみからもその心境に至ることに身をもって実感したのでここに今の気持ちを記したいと思い筆を取りました。
こうなるまで気が付かなかったのですが、自分は自分が思っていたよりも、同人活動の理想があったのだと知りました。
そして今自分がいるカプの村の空気は、自分にとって生きやすい環境でなくなっていたことに気が付きました。
しばらくそのことに気が付かず、なぜカプのことは好きなのにこんなに創作活動についてネガティブになってしまうのだろうと悩んで苦しんでいました。
単純に自分がカプの村の雰囲気にそぐわない存在になっていたからなのだと理解した記録です。
私はアンソロを好みません。
二次創作の醍醐味は個人の濃密な公式の解釈を作品を通じて読み取れることだと考えているからです。
軽い言い回しを使うとアホエロ本だとしても、作者がどこまで公式の作品や人物、カプについて拗らせた結果か伝わってくるものと信じています。
Twitterで自分の好きなシチュエーションだけをいくつもツリーでつないでTLを占領することを好みません。
同じ理由で140字SSも好きではありません。
イラストと違い小説はある程度の分量を持ってこそ強みを発揮すると思うからです。
もちろん頻度の問題ですが、あまりに大量になると、意図せず他者のネタつぶしにつながると思うことも理由です。
投稿している本人はそのようなことは気にしないのかも知れませんが、既に書かれてるなら、とリスクを回避する人も少なくないと思います。
いつも同じメンバーで形成された身内感の強い企画に引いてしまいます。
自分が決してそのメンバーに選ばれないことへの嫉妬ももちろんあります。
それでも、同人活動を介して仲良し度をアピールする場になっているように見えるのは格好のいいこととは思えません。
それを外から見た時に、身内色の激しい界隈なのだと見られることも、必ずしも良いことと思えないからです。
過度のパロディを好みません。
作品が発表され時間が経ち、やることをやり尽くしたあとでしたらそういった作風への模索も納得出来ますしむしろ好きです。
ですがまだまだ現役で公式が動いていて、語り尽くされていない余白の多い作品の二次創作で
理由のない性別転換や、キャラクターの設定からかけ離れた職業設定にされた作品に胸を痛めます。
(例えばスポーツを題材にした作品で大会の優勝を核とした物語の登場人物が生粋の犯罪者に変換されているようなレベルを指します)
そして別にこれらの作品が自カプの村に存在していても、個人の同人活動には本来何ら影響を及ぼしません。
ただ、今、自分がいる(いた)村は、これらがその村のすべてになってしまった(ように見える)結果、
その村の輪の中にいられないと感じた、それだけのことです。
そうなった時、黙ってカプから離れて新たにハマれる作品やカプに活路を見出すことが健全な解決法なのでしょう。
しかしまだ作品が、カプが好きで好きで仕方ない、まだまだ作品の行く末を楽しみたい、
何よりもまだ、書き残したことがある、そう感じた時、人は村を焼くのだと思いました。
単純化出来ないことは承知の上で、同人活動には2つのタイプがあると考えます。
個人の発想を発表し、楽しそう!と共鳴した人々の間で含まらせて盛り上げていくスタイル。
アンソロや局地的非公式設定はこの共鳴が結実した結果と思います。
どちらに優劣がある理由でも、是非がある理由でも、善悪がある理由でもありません。
好き好きだと思います。
現状の村の活動は、もちろん、100%の善意で行われています。
これはとても素晴らしいことだと、本当に思います。
ただ、いつからかこの活動に馴染めず違和感を感じていたところ、底辺作家であることもあり、いつの間にかいないものとして扱われるようになっていました。
少し前に、公式に疑問を感じるようになったのは、その作品のターゲットでなくなっただけ、という議論が話題になりました。
その表現を借りれば、私はカプの村のターゲットから外れてしまっただけなのだと思います。
ここに至るまで自分も、村の雰囲気を楽しみ、Twitterでの萌え語りやコラボカフェなどのリアルイベント、即売会でのアフターに混ぜてもらったり、充実した時間を過ごして来ました。
今は日々と投下される公式からの燃料に村人と盛り上がったりすることも、もう出来ないことの喪失感に苛まれています。
私が村を追われても世界は何も失いません。
自分のためにそのことを忘れないでいたいです。
(「好き」とは正確に言うと「落としたい、惚れさせたい」という意味にすぎないのだが)
知り合った当初から見た目もかわいくて好みで、話しているうちに思考や行動の特性も似通っている部分があることがわかり、お互いに多少なりとも親近感を感じた…はず。
一見しっかりしていて自分をもっている風に見えるため、「俺なんかいなくても生きていけそう」という類の「あるある」を突き付けられ、過去の恋愛はうまくいかないことが多かったようだが、実際には話していれば間違いなく弱い部分も垣間見え、それを守ってあげたい、包み込んであげたいと強く思う。
本人はプライドも恥ずかしさもあってなかなか簡単には受け入れないだろうけど、守ってもらいたいと渇望しているであろうことも見て取れるんだ。。
さらに最近わかったことは、それでいて彼女は俺がのどから手が出るほどほしいものを既にいくつも持っていたのだ。
ただただうらやましく、妬ましく、憎らしいとさえ思うほどに。
なんとしてでもそれらを分かち合いたい、共有したいと思った。
自分にないものを持っている人に惹かれやすいってのは事実なのだろうな。
彼女をものにしたいという狩猟本能、闘争心にますます火がついた。
連絡先は話の流れで俺ではなくむこうから尋ねてきたのだけど、むこうからLINEが来るのは全体の1割程度で、他は俺からの発信、それもラリーも2~3回程度で終わってしまう。
一体何のために連絡先交換したのかとむなしくなる。
ちなみにこちらからデート等のお誘いをしたことはまだ一度しかなく、その一度は断られてしまった。
もっとこちらから積極的に誘ってみることは必要と考える一方で、目的はあくまで落とす・惚れさせることであってデートすることではないから、どうせデートするならむこうから誘わせたい。
むこうが落ちた・惚れた"証"の1つとして。
…などと悠長なフリをしていることにそろそろ我慢がきかなくなりそう。
それだけ彼女に対する想いが大きく強くなり、なりふり構わずなんとしてでも彼女をものにしたいと思うようになってきた。
玉砕覚悟で行動してもいいが砕かれたとき一番惨めで無様なのは自分だけだからな。
そして玉砕してしまえば次のチャンスはもう二度とないから、失敗は許されない。
毎晩のように脳裏に去来するから書き捨てておく。脳のメモリの節約になるだろう。
当方スペックは30代男。年上の妻と子供が1人いる。数年前、子供の手がかからなくなってきた頃、ネズミ講みたいなのにハマりだしたけど、自己実現の機会は必要だろうと思って静観してたら、結局ネズミ講システムで成り上がれないことがわかってきて荒れ始めた。そうこうするうちに証券の営業をしたいとか言い始めた。なんぼなんでも主婦上がりには務まらんやろと賛成も反対もせず静観してたら、採用までトントン拍子だった。挙げ句のうちに日本の証券営業は私が変えるとか凄いことを言い始めた。こういのって、反対しちゃダメなんだよね。かといって、聞き役に徹するのは中々キツいなぁ、と思っていたら、段々外出勝ちになって帰宅も遅くなり、着るもの、特に下着とかが派手になり始めた。幾ら鈍感な俺でも色々疑ってしまう。ただ、その時は悪気無かったんだが、妻がよく携帯を無くすのでその対策にGPS追跡をOnにしてた。ある晩、翌日になっても帰ってこなくなった。嫌な予感がしてGPSを確認するとラブホ街ど真ん中だった。現場に急行してホテル出入りの現場を押さえた。ただ、これ、ホントに情事の現場を押さえないと証拠にならないらしいね。
妻はヤッてないの一点張りだった。こっちとしてはまぁそこを追求しても埒があかないから「どっちでもいいよ。」と言っておいた。キツかったのは家族のために働いてるつもりだったのが、モチベが瓦解してしまったことかな。最初は、妻をそんな状態に追い込んだ自分が悪いんだろう、と考えた。あまり家事をしない方だったが、この日を境にまぁまぁやるようになった。というか後述の理由でせざるを得なくなったのだが。一方で妻には「もう朝帰りはするな。」と約束させたが、その約束は再三破られた。証券会社からはノルマが課され、営業のためにむしろ連日深夜帰宅となった。約束を守らない妻を詰ることが増え、家の雰囲気は険悪になった。ここで、けじめをつけるために離婚するかどうかをかなり真剣に考えたが子供から母親を奪うことに踏み切れなかった。しかし、子供は敏感だ。荒れ始めた。
ただ、妻の浮気はその一晩だけで継続的なものではおそらく無かったのだろう、新しい職場で死ぬほど働いたお陰で頭角を現し、同性顧客を多く獲得して営業成績トップを争うようになった。仕事が落ち着くにつれて帰宅時間が常識的な時間になってきた。それは結構なことだが、家で自分の金融商品が如何に素晴らしいかを営業してくるのには閉口した。正直なところ、惚れた女房だから妻にも未練があったし、子供には尚更未練があった。離婚となればこのような場合でも子供は妻に持っていかれて養育費を払わねばならない可能性が高い。今戦うのは損だ。自分にそう言い聞かせた。だが、10年後、20年後になればこの女も若さを失い、ただの金に汚い人になる。子供達も善悪の区別がつくようになるだろう。だが、妻の不義は墓場に持っていって、将来は性格の不一致で決着をつけよう。短期戦から長期戦に切り替え、将来の安息ではなく将来の戦いのために現在も仕事で戦うという変なモチベを自分に湧かせて生きる気力を維持した。
しかし、こんなモチベが長続きするわけ無い。何もかも馬鹿らしくなってきて、仕事に対する熱意が冷めてきた。こんなに闘争心のない俺、将来戦えるのと自問自答する毎日だった。妻はそろそろ家を買おうよとか言ってきたが、信じられない奴と共同名義で大きな買い物をするなんて馬鹿げてるので生返事ばかりしてた。
こういうクソみたいな状況に異変が生じた。妻が大病を患い、余命数ヶ月と宣告された。この時生じたのはザマミロという感情よりも子供のためにも今死なれるのは困るという打算だった。そのころには感情が摩滅してたので悲しいとかいう感情はほぼなかった。数ヶ月、治療と看病を頑張った結果、5年後の生存率4割というところまで状態が持ち直した。
この間、妻の私に対する態度は大きく変わった。頭というか勘は元々いいから、私との間に未来がない、ということも薄々察してたようで、病気する前は家族写真から私を除外するとか、嫌がらせがひどかった。それが、気持ち悪いぐらい私に対して甲斐甲斐しくなった。
私の方は、貯蓄の何割かは離婚の係争費用にあてるつもりだったのが多少拍子抜けした。将来こんな半病人相手に俺は全力で闘えるのか? というか、妻は戦意ゼロ。ただ、勝ち負けというよりも完全に人間不信に陥ってるから、それを拭えない。例えば、私が病気して妻より弱ったら逆に見捨てられるんじゃね? とか。ごくごく客観的に見ると妻は地頭はいいが、信じられるかどうかで言うと信用できない人間だ。将来私が病気したりして強弱関係が再逆転するとどう出るかわからない。
そういうわけで将来設計は和戦両方を考えねばならない状況があんまり変わったように思えない。世間の人の多くはもうちょっと配偶者を信じることができてるんだろうと考えると、自分の人を見る目の無さには笑うしかない。別に今すぐ死のうとは思わないけど、とにかく生きるモチベが上がらないのはどうしたらいいのかな。
どんな競技でもいるじゃん、才能はあるのにいまいち結果がでない人。
練習では物凄いテクニシャンなのに本番では緊張しすぎてしまう人。勝負へのこだわりがあまりなく少し不利になるとすぐ諦めてしまう人。相手の闘争心に気後れして萎縮してしまう人。
そういう才能はあるのにメンタルが弱くて結果がだせない人たちは「実力はあるのに惜しいね」と残念がられこそすれ、強いプレイヤーと見なされることはないよね。
それは、個人の資質や家庭環境のせいであっても、コーチの指導の問題であっても変わらない。
チェスや将棋で女性が勝てないのは『男社会な環境のせいで萎縮しちゃうから』みたいなこと言う人たちって、そのへんどう思ってるの?
対戦相手の性別が分からない環境なら互角なんて言ってみたところで、そういう環境をお膳立てしてあげないと実力が発揮できないのならば、それは上手いけど弱い人としか言いようがないと思うんだけど。
前I都知事の言葉をそのまま借りると、ある性質をもつ人たちは「遺伝的に何か足りない(≒欠陥をもつ)人間」だそうだ。
本当に足りていないのか、足りているのか、どれだけ考えても結論は出てこない。
ただ、自身では「あ、俺、足りていないな」と実感することも多々あるので、そのたびに「欠陥なりに謙虚に生きよう」とは思っている。
そう、俺は欠陥人間だ。
そんな俺は、普段の生活ではむやみに人を好きになってはいけない(と考えてきた)ため、
物心つく頃から、気持ちをどうにか自身で操作したり、押し殺したりしてきた。
それがクセになってしまったのか、人を好きになる感覚が分からなくなってしまった。
また、心にぐさりと突き刺さりながらも、嘘をつきながら同意したり、笑ったりすることがある。
それもクセになってしまったのか、もう一人の自分に罪を負わせるような感覚で、どんな誹謗中傷をされようとも気にならなくなってしまった。
…これも何だか寂しい。
誹謗中傷は、はじめは抵抗感があったのだけれども、
中傷している人が過去に受けた嫌がらせの話を聞くと、同情する気持ちにもなるのだ。
その人も苦しいことをされたのだな、と。
それを考えると、俺からは何も言えなくなる。
さて、普段の生活では(ありがたいことに)遊んでくれる知人はいるが、さすがに嗜好の話までは出来ない。
同じ性質をもつ知人たちと、そんな話をしたり、遊んだりすることで寂しさを紛らわしている。
それが、翌日からの活力にもなっている。
ただ、やはり彼らを好きになる感覚はない。
…「ない」はずだったが、感覚が麻痺していただけなのかもしれない。
あるとき、同じ性質をもつ人で、新たに知り合いとなった人がいた。
初めてその人と会ったとき、何か心が高揚してくる感覚を覚えた。
そして、会うたびに「その人を知りたい」欲求が出てきた。
その人は俺に「また遊びたい」と言ってくれるようになった。
(今振り返ると、すでにこのとき、俺は彼を想っていたのだろう。)
何回か会ったあとに、俺は仕事で数ヶ月間住まいを離れることになった。
「戻ったらまた会いましょう」と言い残して。
また会えて当たり前だと思っていた。
約束通り、彼を誘った。
返事がない。
忙しいのだろうか。
数週間経ったあと、再び誘った。
やはり、返事はない。
…。
俺は、彼に会いたい一心で焦っていた。
その後、半年間にわたり、しつこく思われないことを願いつつ、誘い続けた。
彼は、一方的に誘いが来るものだから、しだいに不快に思ったのに違いない。
ついに返事が来た。
「今までありがとうございました。」
と。
俺のなかで「近づきたい」と思っていた人が、離れていってしまった。
本当に、もう二度と会えないのだろうか。
そして、そのことが、もう1年近く、頭にこびりついて離れない。
その人を想うたびに、俺に非は無かったのか、ほかに出来ることはなかったのかと自省している。
気分を紛らわすため、別の知人に打ち明けた。
メンタル面を強くすれば前向きになれると決めつけ、俺には似つかないが、格闘技を始めた。
そして、闘争心へ昇華できないくらい、気が弱っていることを自覚した。
これまで、どんなことでも時間が経てば忘れられたのに。
一日に何回も思いだすようなことはなかったのに。
今回ばかりは違うようだ。
そもそも、なぜ彼を欲しているのか考えた。
おそらく、彼のもって生まれたものが自分にとって「憧れ」なのだ。
彼と近くにいるだけで「安心」できたのだ。
ただ、彼を求め続けていても、心は暗闇のなかに閉ざされたままだろう。
悲しい。
苦しい。
この欲から逃れたい。
そう思っているのに、なぜ考え続けてしまうのか。
なぜ彼なのか。
なぜ同じ性の人なのか。
代わりのものはないのだ。
早く忘れたい。
でも、ふと想ってしまう。
またどこかで逢いたい。
どうにか振り向かせたい。
欠陥は、欠陥なりに、考え続けなければならないのだ。
横からだけど、一般有権者への語り掛けでもその微妙な政治的言い方をするのはあんまよくないと思う。
安易に政敵を褒めると既存支持層の中でも頑固で闘争心溢れる奴らががっかりする、ってのはわかるんだけど、野党は既存支持層が少ないから野党なわけじゃないですか。
だったら勢力拡大には、既存支持層を逃がさないことより、無党派層、或いはどちらかと言えば与党支持かなあくらいの層を取り込むことに注力した方がいいし、
そのためには「一定程度は褒めてもいい与党の成果だと認識してるけど、素直に褒めるのはやめて、批判の舌鋒を普段よりやや緩めることで表現する」みたいな、無党派層と消極的与党支持層には伝わりづらい話法はやめた方がいいと思うんだよね。
めんどくさすぎるツンデレじゃねーんだし。
30才になってしまった。
つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。
誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。
2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日本人、ヒスパニック。
日本酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。
大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。
まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江戸川乱歩と京極夏彦に傾倒していた。将来は図書館司書になるつもりだった。顔は青白く、ひどい猫背だった。ある女性との出会いが僕を大きく変えた。
そうだ、あの子について書こう。
最初に彼女と遭遇したのは、高校に入ってまもない頃だった。校庭と校舎をつなぐ階段の途中ですれ違った。彼女はジャージ姿だった。背が高く、涼しげな目が印象的だった。かっこいい人だと思った。一瞬だけ目が合い、僕はあわてて逸らした。
当時の僕は最低だった。勉強も出来ないし、スポーツも苦手。しかもクラスではパシリだった。どういう経緯でパシリになったのか、まったく思い出せない。梅雨の訪れのように自然な成り行きだった。
僕をパシリに任命したのはNというクラスメートで、彼は教室内の権力を一手に握っていた。髪を金色に染め、足首に蛇のタトゥーをいれていた。15才の僕にとって、蛇のタトゥーはかなりの脅威だった。
昼休みになると、僕はNを含む数人分のパンとジュースを買いに行かされた。金を渡され、学校の近くのコンビニまで走らされる。帰りが遅かったり、品切れだったりすると怒鳴られる。そういう時はヘラヘラ笑いながら謝った。歯向かう勇気はなかった。そんなことをすればさらに面倒なことになるのは目に見えていた。
いじめられていないだけマシだ、パシリに甘んじてるのもひとつの戦略だ、そう自分に言い聞かせていた。
ある日、いつものようにパンとジュースを買って裏門から教室に戻ろうとした時、また彼女とすれ違った。相変わらずクールな表情。今度は制服姿だ。ジャージの時より断然かっこいい。ネクタイをゆるく結び、黒いチョーカーをつけていた。目が合う。すぐに逸らす。前と同じだ。
僕はすっかり彼女に魅了されてしまった。教室に戻るのが遅れて、Nに尻を蹴られた。いつも通りヘラヘラ笑いながら謝った。
それからも広場や廊下で何度か彼女を見かけた。一人だったり、何人かと一緒だったりした。彼女は常にクールだった。それにどんどん美しくなっていくようだった。どうしても視線が吸い寄せられてしまう。そのくせ目が合いそうになると、僕はすぐに逸らした。
彼女のことをもっと知りたいと思った。気を抜くとすぐに彼女のことが頭に浮かんだ。できれば話してみたい。でも僕ごときにそんな資格は無い。きっと冷たくあしらわれて終わりだろう。遠くから眺めているのがちょうどいい気がした。
なんだか出来損ないの私小説みたいになってきた。こんなことが書きたかったんだっけ? まぁいいか。もう少し続けてみよう。
30才になった今、少年時代の気持ちを思い返すのはとてもむずかしい。あの頃は恋と憧れの区別もついていなかった。おまけに僕は根っからの小心者だった。彼女の目を見つめ返す勇気もなかった。世界は恐怖に満ちていた。蛇のタトゥーが恐怖のシンボルだった。
1学期の最後の日に転機が訪れた。大げさじゃなく、あれが人生の転機だった。
よく晴れた日の朝。バスターミナルに夏の光が溢れていた。まぶしくて時刻表の文字が見えなかった。僕はいつものように通学のために市営バスに乗り、2人掛けのシートに座った。本当は電車の方が早いのだが、僕は満員電車が嫌いだった。それにバスなら座れるし、仮眠も取れる。僕は窓に頭をあずけて目を閉じた。
発車する寸前に誰かが隣に座った。僕は目を閉じたまま腰をずらしてスペースを空けた。香水の匂いが鼻をくすぐった。
ふと隣を見ると、彼女が座っていた。目が合った。今度は逸らすことができなかった。彼女がにっこり微笑んだのだ。彼女は気さくに話しかけてきた。
校内でよく僕のことを見かけると彼女は言った。その時の驚きをどう表現すればいいだろう。うまく言葉にできない。
さらに彼女は僕の頭を指して「髪切ればいいのに」と言った。たしかに僕の髪は無造作だった。でもそんなに長いわけでもなかった。わけがわからなかった。彼女が僕の髪型を気にかけるなんて。
彼女はひとつ上の2年生だった。ふだんは電車で通学しているが、初めてバスに乗ってみたという。色々なことを話した。幸福なひとときだった。なぜだろう、初めて喋るのに僕はとてもリラックスしていた。きっと彼女のおかげだと思う。人を安心させる力があるのだ。
車窓から見える景色がいつもと違った。こんなにきれいな街並みは見たことが無かった。行き先を間違えたのだろうか。ふたりであてのない旅に出るのか。落ち着け。そんなはずはない。もういちど景色を確認してみる。いつもの道だ。たまに彼女の肘が僕の脇腹に触れた。スカートから伸びるすらりとした足が目の前にあった。目眩がした。
特に印象に残っているのは、彼女が小学生の時に"あること"で日本一になったという話だ。でもそれが何なのか、頑なに言おうとしないのだ。絶対に笑うから教えたくないという。それでも僕が粘り続けると、ようやく白状した。それは「一輪車」だった。
一輪車駅伝の全国大会というものがあり、彼女はジュニアの部で最終走者を務めた。その時に日本一になったらしい。僕はそんな競技があることすら知らなかった。
あまりに想定外だったので、どう反応すればいいかわからなかった。でもこれだけは言える。彼女が恥ずかしそうに「一輪車」とつぶやき、はにかんだ瞬間、僕は本当に恋に落ちた。
彼女は一輪車で燃え尽きて、中学から一切スポーツをやらなくなった。部活に入らないのも体育を休みがちなのも、すべて「一輪車で燃え尽きたから」。ずいぶん勝手な理屈だ。なんだか笑えた。そんなことを真顔で語る彼女がたまらなくチャーミングに見えた。だいぶイメージが変わった。
会話が途切れると彼女はバッグからイヤホンを取り出して、片方を自分の耳に差し、もう片方を僕の耳に差した。ヒップホップが流れてきた。ジェイZだった。いちばん好きなアーティストだと教えてくれた。
僕はジェイZを知らなかった。そもそもヒップホップをあまり聴いたことがなかった。素晴らしいと思った。リリックなんてひとつもわからなかったが、極上のラブソングだった。本当はドラッグの売人についてラップしていたのかもしれない。でも僕にとってはラブソングだった。
あの日のバスは僕を新しい世界へと導く特別な乗り物だった。バスを降りて、校門で彼女と手を振って別れた瞬間から、あらゆる景色が違って見えた。すべてが輝いていた。空は広くなり、緑は深さを増していた。
次に彼女と目が合った時は必ず微笑み返そう。蛇のタトゥーはただのファッションだ。この世界はちっとも怖い場所じゃない。
新しい世界の始まりは、夏休みの始まりでもあった。僕は16才になった。(14年前の今日だ!)人生が一気に加速した。そう、書きたかったのはここから先の話だ。ようやく佳境に入れそうだ。やっと辿り着いた。
僕は髪を切った。坊主にした。そして体を鍛え始めた。近所の区民センターのトレーニングルームで筋トレに励んだ。それから英語の勉強に没頭した。図書館の自習室で閉館まで英語と格闘した。単語、熟語、文法、構文、長文読解。最初は暗号のように見えていた文字の羅列が、だんだんと意味を紡ぐようになっていった。
英語と筋トレ。なぜこの2つに邁進したのか。理由は至ってシンプルだ。ジェイZになろうと思ったのだ。彼女がいちばん好きなジェイZだ。
①僕がジェイZになる
②彼女は僕に夢中になる
できれば夏休みの間にジェイZに変身したかったが、さすがにそれは現実的では無かった。でもとにかくやれるところまでやろうと思った。僕は筋トレと英語に励み、ジェイZの曲を聴きまくり、真似しまくった。日差しの強い日には近所の川べりで体を焼いた。
夏休みが終わった時、僕の見た目はジェイZにはほど遠かった。当然だ。そう簡単に変われるわけがない。日焼けして、少しだけ健康的になっただけだった。でも内面は違った。ヒップホップマインドが根付いていた。誇りがあり、野心があった。闘争心に溢れていた。
僕はパシリを断った。特に勇気を振り絞ったという感覚もない。単純に時間がもったいなかった。昼休みは英文のリーディングに充てたかった。誰かのパンやジュースを買いに行ってる暇はない。
パシリを断ると、彼らは一瞬どよめいた。こいつマジかよ、という顔をした。Nが笑いながら尻を蹴ってきたので、笑いながら蹴り返した。教室全体がざわついた。Nはそこで引き下がった。
それからしばらくの間、 嫌がらせが続いた。机や椅子が倒された。黒板には僕を揶揄する言葉が書かれた。でも相手にしている暇はなかった。早くジェイZにならなければ。僕は黙って机を立て直し、Nをにらみつけながら微笑んで見せた。Nの表情にわずかな怯えが走るのを僕は見逃さなかった。
筋トレ、英語、ラップ、筋トレ、英語、ラップ。その繰り返しだった。僕は少しずつ、でも着実に変わっていった。あの日からいちども彼女と会っていなかった。校内でも見かけなかった。でも焦ってはいけない。どうせ会うなら完全にジェイZになってからの方が良い。
そんなある日、柔道の授業でNと乱取りをすることになった。たまたま順番が当たってしまったのだ。組み合ってすぐにわかった。こいつは全然強くない。いつも余裕ぶった笑みを浮かべてるが、体はペラペラだ。とんだハッタリ野郎だ。絶対に勝てる。
Nが薄ら笑いを浮かべながら、足でドンと床を踏んで挑発してきた。腹の底から猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜこんなやつのパシリをしていたのだろう。さっさとぶちのめすべきではなかったのか?
僕はNを払い腰で倒して、裸締めにした。Nはすぐにタップしたらしいが、僕はまるで気付かなかった。先生があわてて引き離した。Nは気絶しかけていた。僕は先生にこっぴどく叱られたが、その日から誰も嫌がらせをしなくなった。勝ったのだ。
でも連戦連勝というわけにはいかない。ヒップホップの神様は残酷だ。僕は恋に敗れた。いや、勝負すら出来なかった。なんと彼女は夏休みの間に引っ越していたのだ。僕はそれをずいぶんあとになってから知った。
彼女とは二度と会えなかった。筋肉と英語とヒップホップだけが残った。なんのための努力だったんだろう。せっかく坊主にして、体つきも変わってきたというのに。仮装パーティーで会場を間違えた男みたいだ。マヌケ過ぎる。しかし、そんなマヌケな彷徨の果てに今の僕がいる。
高校を卒業して、さらに英語を極めるために外語大に入った。それからNYに留学して、今の仕事仲間と知り合い、色々あって現在に至る。仲間達はみんなヒップホップを愛している。それだけが共通点だ。すべてのスタートがあの日のバスの中にある。
ずいぶん長くなってしまった。まさかこんな長文になるとは思わなかった。そろそろ止めよう。
僕は今でも週に3回は筋トレをしている。当時よりずっと効果的なトレーニング方法も身に付けた。知識も格段に増えた。でも本当に必要なのは、あの頃のような闇雲な熱意だ。
30才になってしまった。
フレッドは、5人の子どもたちに、非情なまでの競争心と闘争心を持てと教えた。特に、幼いころから自分に似ていたドナルドには、お前は「食う側」になり、「王」になるのだと言い聞かせた。そして、将来の王にふさわしく、運転手付きの大型リムジンで新聞配達の仕事をさせた。ドナルドが、いじめっ子体質で暴力的な少年になったのも当然かもしれない。
http://toyokeizai.net/articles/-/138993?page=3
こういう価値観に囚われ、対等な人間関係を築いた経験が無いんじゃないだろうか。
それでもあんなに強い自己を持っているのは、父親の価値観とどっか共鳴するところがあったんだろうな。
「自分に似ていた」って感じたらしいし、上昇志向とかトリッキーさは遺伝したのかもしれない。
多分、何かが欠損してるってことにも気づいてないんだろうな。
父親の教えを忠実に守ってきたから、高い自己肯定感が確立され、他者を顧みることなく自分本位に生きれてる。
相当生きやすいと思うよ。
アドラー心理学では「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と定義づけられているけど、これに基づいて考えれば他者のこと気にしないから悩みも無いんじゃないかな。
リーダーシップ・アグレッシブさ・決断力など、この人に惹きつけられる人が居るのはよくわかるよ。
一国の未来を担うリーダーとして、国民の様々な声を受け止めることは義務。
自分のやり方を否定されたからと言って、個人の容姿や性格をバカにするとか、あまりにもレベルが低い。
これまでも気に入らない相手はこうやって攻撃してきたんだろうなっていうのが、透けて見えるよ。
この人にとって批判する国民は敵、支持する国民は都合のいい格下の人間。
この人は大統領になるべきではなかった。権力を与えていい人ではなかった。
私は親に否定されて生きてきて、自己肯定感がほぼ無いってことに最近気が付いた。
というか肯定する自己が無い。主体性が無く、全力で他人本位で生きてきた。
情けなくて恥ずかしくて罪の意識に潰されそうだけど、私は今それに気づくことができた。
だから、時間はかかるかもしれないけど、絶対に克服して、人生をやり直せるんだ。
「生きづらさ」を感じていないから。
余計なお世話かもしれないけど、このまま死んでくの本当に勿体ないと思う。
煽りな感じでごめんね。
毎日クロスバイクでのんびり通勤(ママチャリと同じかそれより少し速い)している時に、
ママチャリに遭遇するとこちらが少し速いので追い越さないと横並びな感じになって通行の邪魔になってしまう。
だからその時だけグッとペダルに力を入れて追い越そうとするのだが、
その存在に気付くと同じようにスピートを上げて抜かさせないようにするのが大体オタクっぽくて、
抜かさないようにスピードを上げるオタクっぽい人に遭遇すると、
私は一気にスピードを落とす。
そして彼らはチラチラとこちらを見る。
あの闘争心は一体何なんだろうか?
少しだけやめてほしいなーと思いつつも、
微笑ましい気持ちもある。