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『知り合いがクビらしい』anond:20190213153645
をしつこく書いていたわけだが、昨日そのクビの彼から電話がかかってきた。話を聞いて、こちらも返答に困ってしまったのだった。
いくつかの求人で書類選考が通り、面接を受けている今日この頃らしいのだが、ダメモトで出していた某学校の教官の書類選考が通ったらしい。おーそれはよかったじゃん、と言うと、
「いや……それがね……」
聞いてみると、筆記試験の日程を決めるメールが来たらしい。一般的な職務経歴書だけでなく、いわゆる CV(Character Voice じゃないぞ、Curriculum Vitae な……海外ではまさに職務経歴書を表すわけだが、ここでの意味はちょっと違う)等を準備するのが面倒だなあ……などと言っていたのだが、
「……そう言えば、そこ、どんな学校なんだ」
「うーん……何か留学生も多いところらしいんだが……自分がエントリーできそうな分野だったんでポチって、その後忘れてたんだよな」
「何かテキトーな話だなあ。じゃあとりあえずググろう。話はそれからだ」
とググってみたわけだ。すると……うーむ……これは……マズいかも。
口コミサイトみたいなところにその学校に関するページがあったのだが、それによると、ネパールとベトナムの留学生を大量に(全学生の9割以上)受け入れているという。これは平成20年に文科省が主導でブチあげた「留学生30万人計画」というのがあって、それまで留学生が全学生の半数以下になるようになっていたものが、2010年にその枠が撤廃された結果らしい。そのほとんどは専門学校だが、2017年に通った改正学校教育法によって「専門職大学」に格上げされる可能性もある。専門学校と大学を持つ学校法人もあるから、大学だと思った求人で専門学校行きになる可能性もあるかもしれない。
当然だけど、この手の学校の実態は教育機関と程遠いものだ。学生は日本への永住権欲しさにやってくる。その学生を定員無視で大量に受け入れ、やっつけのカリキュラムで授業を行う。学生の質が下がる結果学校の質も下がり、日本人学生はますます入ってこなくなる。大量の外国人学生への就職指導もままならない。それでも構わない、永住権のためのアリバイが得られればそれで良い……そういう留学生を迎え続ける。都道府県は一応指導は入れてくるが、「日本人学生獲得の為の努力はしております」とでも言っておけば、所詮は指導は指導。何とでも言い逃れられてしまう。
このような状況だと、入管もさすがに学生の在留許可を出せないという話になる。まさにその結果起きたのが、去年秋の大阪での専門学校の一件だ:
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018092500568&g=soc
こういう実態の学校の中のひとつが、今回彼がポチったところらしいのだ。先の口コミサイトのコメントはこう言っている。
「正義感のある人には向かない。勤務して数日で気づくはず。どちらかと言えば楽な仕事であるにも関わらず離職率が非常に高いのは、通常の神経では参ってしまうからだろう。」
この手のコメントがずらーっと並んでいる。
彼はまだ未練を完全に断ち切れない模様。返事の期限ぎりぎりまで考えようか、などと言っている。しかしなあ。どうなのよこれ。
anond:20190301200621 自分の場合のことを書いておきます。説明会は絶対必須ってほどでもないかなと。
軽度の身体障害者です。四大卒で約40歳の氷河期世代。現在、派遣社員として一般企業で勤務(障害があることは伝えていない)。
昨年、障害を抱えることになって、就労にクリティカルな影響は出ていないけど、派遣の身分で安定性に不安もあり、今回の選考試験を受験。その記録をざっくり残しておきます。
基礎能力試験はかなり平易な印象。内容的には中学卒業程度では。転職活動でSPIとかやったことある人なら数的推理は十分かと。内角の和とか「知識」が必要な設問はほとんどなく、連立方程式ぐらいまで出来てれば十分。社会、理科は知識問題だし範囲広すぎて対策無理だと思うので、分かんなかったら適当に選ぶ、で。
作文はよく分からない(お題は「誠実とは」)けど、よっぽど支離滅裂なこと書かなければ大丈夫なんじゃないかなと。
ここからが、すでに話題になっている、阿鼻叫喚の地獄となった面接試験である。
二次選考のルールは「いずれの機関からも採用内定を受けられなかった場合は、不合格となります」であり、「全員に二次面接を課します」というルールではない。(参考→http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/senkou/2jichuijikou.pdf)
つまり、「面接のアポを取る」ところから、もう二次選考は始まってしまっているのだ。
一次試験の合格がWEBで発表された2月22日金曜AM10時をもって面接予約解禁、事前にルールをよく読んでいた志望者は志望省庁に速攻で予約をメールまたは電話で入れたが、「インターネット見れないから合格通知が来たらやろう」「平日で仕事中なので、帰ったらやろう」という人間はここで大きく出遅れることになってしまう。
これは、おそらく国家公務員一般職試験の官庁訪問のスタイルを踏襲したためだと思われるが、「面接の機会は合格者に等しく与えられるのだろう」と思っていた人にとっては、わけがわからなかったのではなかろうか。でもまあ、お役所の仕事ってそんなもんで、都道府県や市役所のホームページ見てても、「決まりを淡々と掲載」はしてても、「懇切丁寧に誰にでも分かりやすく紹介」なんてサービスはしてくれないんですよね。そういうところを受けているんだ、という意識は、持っておいた方が良いと思う。今後ふたたび受験する人も。
ただまあ、このやり方だと「在職中でバリバリ働いてくれそうな人」が出遅れてしまうので、省庁にとっても望ましくないのでは?とは思う。
私はその日職場に午前休を予め申請しており、午前中にメールで志望省庁2つを予約。また、予定していなかった省庁から電話で面接の案内がかかってきたので、そこも受けることにした。正直、リクルーティングの電話があるとは全く思っていなかったのでびっくりしたが、5ちゃんねるのスレッドやTwitterを見るとちらほら報告があった。受験票から読み取れる情報は
なので、おそらく大卒で就労に支障の少なそうな障害者を合格者リストから各省庁でリストアップしていたではないだろうか。
週明け、2月26日に開催された合同説明会に参加。「一次試験合格者対象」となっていたが、出入り自由だったので関係ない人もいそうだった(明らかに受験対象年齢を超えてるお年寄りとかもいた)。概ねどこの省庁も受け入れ準備は全く出来ていない(そもそも「障害者採用枠」などというものが今まではなかったわけで)ことが伝わってきた。配属先や職務内容もまちまちで、
といった感じ。(外務省、国税庁はホームページの募集要項に上記内容が記載されていた)
説明会で、「就労経験を生かした仕事に配属されますか」という質問に対し、「そうですね、全く仕事したことがない人だと困っちゃいますけど」などと口走ってしまう担当者もおり、中途採用なのか新人採用なのかの整理もついていないようだった。(係員級の採用でそれは流石にどうかと思うのだが)
私が聞いたすべての省庁で、「新卒採用と同様の研修を受けさせる予定はない」という回答だった(国税庁のように最初から研修前提の告知を出している場合を除いて)。軽作業オンリーならそれでもいいが、普通の仕事も出来るならやらせる、なら同様に研修・教育も必要ではと思うが、これも「単に準備が出来てない(障害者の参加を想定した研修になってない)」部分も大きそうだった。
また、「障害の状態に配慮した勤務は可能ですか」という質問に対し、「フレックスやテレワークがあります」と回答していたが、今回の常勤採用では普通にフルタイムでの勤務が前提で、フレックスやテレワークといった配慮も一般の公務員が利用できるものと同等。「障害に配慮した勤務形態」などというものは存在しないようだった(そういうのは「非常勤」に寄せているのだろう)。
これは内閣府の担当者が言っていたことだが、「(フルタイムでの)勤務に不安がある方や、今回の採用で漏れてしまった方は、非常勤での採用も検討してほしい。今後、非常勤から常勤へステップアップする制度も用意されるので、働いてみて『大丈夫そう』だと思ってからでもいいのでは」とのこと。
面接は、非常に順調に進んだ。というか、最初に受けた第一志望の省庁に即日内定をもらった。
聞かれることは
と、まあ割と普通のことであった。個人的には一番最後の項目が問題で、今回の採用は国家公務員一般職係員級、「国家公務員 俸給表(一)」の一級からのスタートとなる。要するに、一般職の一番下からだ。ここに、民間での職歴16年くらいを加算すると、年収としては400万円ぐらいで、正直結構下がる。ただまあ、冒頭に書いたとおり、今の待遇に不安があるので、問題ありません、と回答した。
続いて、同じ日に設定していたリクルーティング電話のあった省庁とも面接。2時間ぐらい間が空いていたので、時間を潰すのに苦労した。こちらも大体同じような質問内容だったが、「年齢的に若い人間の下に立つことになるが大丈夫か」といったことも聞かれた。現職も派遣で職場の年齢的上下と関係なく仕事しているので、問題ないですと回答。やはり給与面のことは指摘され、「基本的に一定の間隔で昇級昇格していくので、すごく仕事が出来たからといってスピード出世があるわけでもないけど大丈夫か?」と言われた。まあそりゃしゃあないでしょという気持ちで、「大丈夫です」と回答。
内定をもらって、3月いっぱいで今の会社も退職か、と感慨深くなっていたところ、派遣先から正規雇用されることになり(並行して採用面接を受けていたのだ)、流石に長年働いていた先からの採用を断るわけにも行かず(給与もいいし)、内定先省庁へお詫びと内定辞退の連絡をした。私が辞退したことで内定された方は、ご自身と国民のために精一杯働いてほしい。私もこれからも頑張って働いていく。
人事院・各省庁側に期待したいこと
これは全くその通りだと思います。今回の選考対象となる「障害者」は、「障害者手帳」(身体障害者手帳、療育手帳(=知的障害者用)、精神障害者保健福祉手帳の総称)を持っている、またはその基準を満たす診断書が出せることが条件なのですが、これはもうピンキリなわけで。障害の程度・就労に及ぼす影響も千差万別ですし、就労経験自体も同じなわけで。あくまで、合格者の一サンプルとしてとらえていただければと思います。
それはそのとおりだと思います。自分も、今の派遣雇用継続なら(年収ガクッと落ちても)納得して公務員やるつもりでした。ちなみに、経験ゼロで高卒だと年収300万弱ぐらいからのスタートになるんじゃないかと。大卒だともう20万くらい乗るかな?
まあそういうことなんだろうな、とは思いました。こればっかりは、あくまで受け入れ側の基準だし、(もうちょっと配慮があってもいいとは思いつつ)「あらゆる障害者の面倒を見れられる体制を作れ」とまでは正直思っていません。
アンマーは沖縄の貧困シングルマザー問題を象徴なのかもしれない。
察するに母子家庭。
その仕事が終われば2件目の低賃金労働に向かうのかもしれない。
親の社会的弱者により親から与えられる有形無形の資産が少ない。
この歌詞を書いた人は音楽で成功しているらしいので少なくともお金には困っていないだろう。
が、この事例はかなり例外的と言わざるを得ないのが現実だろう。
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何もせずにただ毎日を
だらだらと過ごし続け
浴びる程に飲んだ私が
明け方眠りに落ちる頃
まだ薄暗い朝の街へ
母は出ていくのでした
http://uutann49.com/kariyusi58-anmaa
さらに深刻といえるのが、子どもの貧困だ。2016年4月、沖縄県は子どもの貧困率29.9%という衝撃の発表をした。全都道府県では6人に1人といわれた子どもの貧困は、沖縄は約2倍の数値であり、3人に1人が貧困状態で暮らしている。
新垣さんは母子家庭で育った。離婚と出来ちゃった婚が多い沖縄では、決して珍しくない母子家庭ともいえる。出身中学校では「母子家庭が半数を超えた年度もあった」という。
平成30年度(2018年)行政書士試験に不合格。事前にLEC、TAC、アガルートの(記述式含む)自己採点・予備校採点では合格点を超えていたため、特に記述式の内容を確認するため、自分の解答用紙を取り寄せてみました。
行政書士試験研究センター(試験実施機関)のサイトに詳細が書いてある。
https://gyosei-shiken.or.jp/doc/about/privacy_bessi.html
発送時は82円切手を貼りますが、392円+82円の計474円で請求が出来ます。ワンコイン請求です。
但し時間はかかります。私は2月1日に発送したのですが、開示されてそれが到着するまでに1ヶ月かかり、3月1日着。
行政書士試験研究センターによると、本来の試験実施団体は都道府県であり、そこから委託を受けているため、一応開示について各都道府県に確認なりをしているからでそうです。
返送されたのは、(1)保有個人情報開示通知書と(2)自己の解答用紙。気になる(2)はA4一枚の用紙に、表面がマークシート部分、裏面が記述式部分のシンプルなもの。採点部分などは記載されずに、シンプルに自分の回答(をコピーしたような質感)のみ。
私の回答はマークミスはなく、記述式も問題用紙に控えた回答とほぼ変わらず(てにおはレベルが変わっている程度)。
ではなんで不合格かというと・・・、記述式部分の試験官の裁量・当たり外れになると思われる。まあ記述式でブレがないよう、キチッと正確に文言や用語を書くことも大事ということは分かりました。
行政書士試験研究センターは、没問や回答紛失やをよくやらかしているので、マークミスや記述式の自分の回答を再確認したい人は、どんどん請求を行ってみるべきだと思います。
24歳女です。ネトストに使うのはFacebook、mixi、Twitter、Instagramです。
先ずはターゲットのフルネームが分からないHNのみのTwitterのアカウントから絞っていきます。鍵垢であっても、鍵垢ではないアカウントからのリプライはID検索で誰でも見えるので検索をかけて誕生日や地域を絞っていきます。稀にこの時点で「下の名前」とかも分かっちゃったりします。
ターゲットのフルネーム、又は苗字等が分かったところで次のステップに移ります。分からない場合はここで試合終了になります。
増田様たちのネトストライフ、お力になれず申し訳ございません。
地域を絞るのに苦労した方が多くいらっしゃるかと思いますが、古典的なIPを抜くといったようなリンクを踏ませるなどのハイリスクなやり方がしたくない方はSkype、discord、LINE等で音声通話が可能であれば仲良く通話をして親睦を深めつつ探っていきましょう。ターゲットの自宅付近の外で通話する機会を作ってフライトレーダー(https://www.flightradar24.com/60,15/6)で照らし合わせて行きましょう。
フルネームがわかる場合先ずはFacebookで平仮名、ローマ字、漢字で検索をかけて行きます。この時点で住んでいる都道府県くらいは分かっているとネトストしやすいです。田舎の方で〇〇郡とかに住んでいる場合は小学校や中学校が少なくて出身校の特定がスムーズに進むので、Facebookの時点でターゲットのページは掴めると思います。
次は親しい友達の特定です。同じ生まれの年で同じ出身校でmixiを始めます。すると20代より上の人間は大抵mixiをやっているのでターゲットが出てきます。紹介文から親しい友達から元恋人まで漁りましょう。あとはFacebook、mixi、Twitterで別のアカウントで周りから鍵垢の異性を中心にフォローしていき身辺調査のスタート(ネトストライフ)が始められます。
私は5年付き合っていた人のgmailにログインすることに成功し、閲覧履歴や再生履歴を漁っていたところバレて振られてしまったので今の彼氏では脱ネトストに専念しています。
「児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitterで実名発信すら行っている。
彼らの主張と、裁判所の認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。
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判 決
(第1,第2 省略)
第3 争点に対する判断
前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校に入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。
原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。
(甲4,75,原告Q1本人)
イ(ア)Q9の所属するクラスの担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったことから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。
Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分で学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。
原告らは,同月31日,本件小学校の担任教諭と保護者との間での連絡帳に,Q9から,先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言の真意の確認を求める旨の記載をした。
(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪を要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。
Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。
(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。
また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭が原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたことから原告Q2が殴った,私も人間だから感情的になると述べた。
原告Q1は,同月3日,本件小学校に架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。
(エ)Q12教諭は,同月4日,原告らから,本件小学校の教育方針等についての意見が記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭が居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。
その後,本件小学校のQ14校長,教務主任及び生徒指導主任が原告ら宅を訪れ,原告Q1から,学校で行う教育と家庭で行う教育の区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長がガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。
(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)
(2)本件一時保護に関する経緯
ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会(児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。
イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所に架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。
静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所等作成の家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事(ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告らからは,Q9が時間を守らないという理由で毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からはおもちゃのバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護が必要となる「AA」と判定された。
静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告らから殴られていることを認めたこと,本件小学校から,家庭訪問をした後も原告らからの虐待が継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護をしたことを告げた。
Q9は,同日,静岡市立静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成の診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。
静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護を委託した。
(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)
(3)本件一時保護開始後の経緯
ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰は虐待ではなく,親である原告らの意思を無視して本件一時保護を継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。
原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行が肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的な感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰は体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分の憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。
静岡市児童相談所のQ19主任主事(心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置の承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。
静岡市児童相談所のQ20所長は,上記の原告らの発言,心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力が継続される可能性が高く,Q9も帰宅を拒否していることから,児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置の承認を求める申立て(本件申立て)をした。
(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)
イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事(平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたものと判断していると説明したが,原告らは,「体罰と虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。
(甲9,10,乙ろ7の10)
ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所で面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から,虐待に及ばない体罰については容認されたものと解釈している,体罰を主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体を否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子どもに心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所からの原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。
静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記の提案として,Q9と原告らの家族再統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接を実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ちを確認し,写真やビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ちを確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望を確認し,児童相談所所員による家庭訪問を実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。
Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所で面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士が支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告を無視したものである,原告らは体罰をしているのであって虐待や暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。
Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所で面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所は原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである,静岡市児童相談所が原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。
(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)
エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。
静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。
(乙ろ1)
オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告を申し立てた旨伝えるとともに,親権を行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル,体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑
1 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。
2 前項の規定による通告は、児童福祉法第25条の規定による通告とみなして、同法の規定を適用する。
3 刑法の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第1項の規定による通告をする義務の尊守を妨げるものと解釈してはならない。
平成16年児童虐待防止法改正法により、通告の対象が「児童虐待を受けた児童」から「児童虐待を受けたと思われる児童」に拡大された。これにより虐待の事実が必ずしも明らかでなくても、子どもの福祉に関わる専門家の知見によって児童虐待が疑われる場合はもちろんのこと、一般の人の目から見れば主観的に児童虐待があったと思うであろうという場合であれば、通告義務が生じる
もし良かったら読んでください。
私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。
髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことはほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。
(背中のニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)
小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。
今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識も攻撃性もなく、学校の先生が家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まいで5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。
家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜や冷凍食品ばかりだし誕生日もほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテストや定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲームや必要なものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。
母の少女趣味で、4歳からバレエやピアノの習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。
そんな子供だったから、小学3年生のとき、給食の牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。
私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識がシフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめのパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。
いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由で土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。
運悪く、担任の先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちらから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児とクラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。
たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分の下駄箱に他の男児の上履きが突っ込んであった。
これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履きを適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。
そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。
「何してるんだぁ!」と担任が一喝すると、クラス中の注目が集まった。
みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。
担任に話を聞いてもらい、事態は理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。
私は他のクラスメイトとは自分と感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。
自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。
友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。
成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導をいただき、都道府県で公立トップの高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分をいじめなかった。とても驚いた。廊下で男子にぶつかったとき、気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。
中学生ぐらいからは、部活の友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通に友達や仲間ができた。
しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分は高校生からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。
流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。
頭の中の時間感覚がおかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。
結局ほとんど絵も学問も勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生の身分となった。
浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系の勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。
高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年間ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。
それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市の地方公務員として働いている。
陰険な上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれて毎日が過ごしやすい。
20歳頃からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正をマメにかけるようになり、あれほど男子に不細工、キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代の男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。
過去のことは忘れないと思う。
というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。
幸せな子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。
今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。10〜20年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分の人生を大切にすべきだった。
ブギーポップのアニメ見てて、マンティコアが普通に薬物作って人間を集めようとしてたけれど、
確かに身近ではなくても割とその辺にありそうな空気はあった気がしてきたので、
実際どうだったか、電撃25周年なんで25年前、「平成5年 薬物 学生 検挙数」でググった。以下抜粋
https://www.npa.go.jp/hakusyo/h06/h060600.html
平成6年警察白書 2 薬物乱用の現状と対策1) 我が国の薬物乱用の現況 ア 覚せい剤事犯
(イ) 青少年への浸透が顕著
5年に覚せい剤事犯で検挙された30歳未満の者は6,997人(前年比299人(4.4%)増)で、覚せい剤事犯の総検挙人員の45.9%(1.4ポイント増)を占めており、青少年への乱用の浸透が一層進んでいることがうかがわれる。特に、学生、生徒の検挙人員は、2年以降増加傾向にあり、5年は135人(前年比23人(20.5%)増)である。
〔事例1〕 覚せい剤の乱用によって顔にゴミが付いているとの幻覚に陥り、顔中をかきむしり、血だらけになってはいかいしていた男子高校生(17)を検挙。さらに、同高校生と一緒に覚せい剤を使用していた、男子高校生2人を逮捕(福島)
〔事例2〕 暴力団から覚せい剤を仕入れ、友人らに密売していた女子高校生(17)ら4人を検挙(神奈川
(ウ) 覚せい剤の品薄傾向
5年10月、全国13の都道府県警察において、覚せい剤事犯被疑者の供述等から覚せい剤の密売状況を調査したところ、全国的に覚せい剤が品薄状態となり、密売価格が高騰している状況がうかがわれた。
〔事例1〕 以前は1グラム当たり約10万円であったものが約20万円に値上がりした(北海道)。
〔事例2〕 これまで密売価格が1キログラム200万円前後といわれていたものが500~600万円になっており、弱小組織では購入できなくなってきた(神奈川)。
〔事例3〕 これまで卸売価格が1キログラム約400万円であったものが、最近では800~1,000万円に値上がりした(福岡)。
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/yakuzyuu/data/h27_yakujyuu_jousei.pdf
覚醒剤事犯の検挙人員は 11,022人(前年比+64 人、+0.6%)と、戦後の第三次覚醒剤乱用期のピークである平成9年以降、長期的には減少傾向にあるが、依然として1万人を超えている。