はてなキーワード: 過去問とは
賢いやつと友達になるんだ
この賢いっていうのは
って意味だ
バイトだけにしても必ず学びに繋がる,貴重な経験を得られるバイトをやっとけ
就活で何も言えなくなるうえに,俺なにやってきたんだろうっていう虚無感しか残らんぞ?
そいつらの考えてること,言ってることは疑い半分で聞いてみろ
踏み出すことを恐れるな,まだ学生,失敗したっていいじゃないか
世界を旅するでもいい
人のための活動するのでもいい
休学だっていいと思う
いじめなどあなたの置かれた環境の厳しさ困難さは伝わってきますが、そのことがわかっていれば、男子学生が隠れる理由もわかりそうなものだけど。
彼が隠れて自分が傷ついたという感想しか出てこないところや男子学生のことが早い段階から少し迷惑だったが過去問の誘惑と自分が弱っていたから関係を断てなかったというところ、卒業後に自分が人並みに幸せになったことと、男子学生のその後をわざわざ比べるように取りあげるところを見ると、立場さえ違っていたら虐める側にいたんじゃないかと思ってしまう。
その男子学生も過去にいじめられていたかも知れないし、その時にも程度の差はあれいじめられていたかも知れない。あなたがいじめられていなくて誰かがいじめられていたとき、男子学生のようにみんなに隠れてであっても助けようとしたかどうか。
当時はそんな余裕は無かったけど今振り替えると男子学生に同情するとか、許せなくなくても理解はできるという気持ちがあるかどうか。
今でも当時を思いだして苦しくなるのは案外、そういう自分の悪さを認められないからかも知れない。
いじめた人が悪いのは間違いないのに、彼らはそんなことを反省するような機会もなくて、いじめられた人間が心の傷を癒す為に自分の汚さを見つめて認める作業をしなければならないのは、理不尽なことだけれど。
とある理由から、私は地方の田舎の私立大学に編入してぼっちになって浮きました。
その大学は車で通学できるのでいつも車で私は通っていました。
ぼっちになってから、友達ができない理由より過去問入手不可のため、精一杯自力で勉強しある年に賞をもらいました。
すると急にある男子学生が私によく声をかけてくるようになったのです。
「なにか情報が入ったら教えてあげる」
と親切にも言ってくれるので、わたしも過去問があるならやりやすいかなと思いつつ見せてもらうことが2回ほどありました。
特に親しいわけではありませんが、試験時期になるとよく声をかけてくるので恐縮しつつコピーさせてもらうことをしていました。
それが1年ほど続き、たまにメールで学内の試験情報連絡を交わしている状態が続きました。
ところが、ある夏の日に思案していたことが明確に起こりました。
編入2年後に、私はある難病にかかって通院しながら大学にかよう日々をすごしていたのですが、出席日数はぎりぎりになった状態になりました。
そして、ある実習中に継続して立っていられず倒れてしまったり、早退したりという日々が続いたのです。
服薬すればなんとかたてるので我慢しながら、出席していたのですが、前年度に学内で成績優秀賞のある賞を受賞していたこともあり、周りの人たちがとても中傷したりいやがらせをはじめてきました。
気にすることなく、気丈にふるまいがんばっていたのですが、いじめ(班実習で私にだけ材料を渡さない。物品を潰してくる。ノートを捨てられる)なども耐えて単位のために頑張っていきました。
もともとぼっちではありましたが、いじめや噂話、病気をもっていることの差別、中傷が顕著になり、私はかなり学内で浮いてしまいました。
ですから、私と一緒にいる人はみんな私と同類になると周りから判断されてしまうことになるのです。
私は、みんなの前を通行しただけで鼻で笑われたりクスクス笑われるような存在でした。
そんな折、ある夏期試験の試験問題についてコピーをさせてくれるとかいうあの男子学生はとても私の予想どうりの行動をしました。
彼は、私に話しかけるときは人のいる学内では堂々と話しかけてはきません。
こそっと誰にもわからないように話しかけてきて味方のような小声をこぼしてきます。
過去問を手渡しするときも、学内でぜったい人のいないとこを指定してきます。(病気のこともあり、あまりに冷房のない暑い物置小屋や隣町のコンビニまではタクシーで取りに行ったり等会うのが
だんだん苦痛になったので、このあたりでもう連絡を取り合うのをやめたほうが良かったのかもしれません。何度もそう思いましたが、過去問資料めあてに応じてしまった私も精神的にかなり弱っていたと思います。実際、貰う資料はあまり有用なものでなかったので、独学で良かったのは後から感じた印象でしたが・・・交友関係のないぼっちにはそれがわからなかったのです)
彼は資料を渡すとき、彼自身の友人にすら気取られてはいけない細心の注意を払います。
私はぼんやりと、精神的にも当時はボロボロだったのでやさしい言葉や気配りに「配慮してくれてるんだな」と勘違いしていました。
しかし結局はそれは彼自身がいじめのターゲットにならないようにするための手段だったのでした。
ある夏の日、炎天下の駐車場の車内でコピーさせてもらう資料の情報を教えてもらっていました。
おそらく、学内で私も見知った顔の人たちで、彼の知り合いだと思います。
エンジンをかけてフロントガラスにサンシェード(銀色のやつ)をかけたままクーラー全開にしてるけど、私は運転席に座ったまま見つかることはないだろうと思い、資料を目にしていました。
(当時、たまに具合が悪くてよく駐車場でクーラーをかけて休憩していたことの多い私だったので)
しかしその時、彼は私のうしろの席で縮こまっていったのです。慌ててひっくりかえった声でやばいやばいと愚痴っていきました。
「見つかるから。あいつすごく言いふらす奴なんだ!言いふらされる!」
焦った様子で、後ろに置いていた予備のサンシェードや雨よけのレインコート(私が後部座席においていたもの)を頭からかぶって20分くらい彼は身を隠していったのです。
私は、見つかるから、言いふらされるっていう被害めいた言葉にドキンっとしました。
胸が痛くなったのです。
私と一緒にいることで自分は被害を受けるんだっていう彼の本心がうしろの席から聞こえてきて目に涙が滲んで行きました。
20分後、駐車場の男子学生らが車にのっていなくなったあと、うしろの席の彼は汗まみれになりながらため息をついて安心した様子で起き上がってきました。
私はその間、すごく悲しくて不愉快でした。
たしかに過去問、情報や資料を教えてくれるのは助かるけど、逆にわたしもまとめた学内試験ノートやまとめ表を作成し、彼に提供していたのです。
そのまとめ表を複写して周りの人にもこっそり配ってるんだって彼は言ってたことも耳にしていたので、私のノートがみんなに役立ってくれてるんだなって密かに嬉しく思っていたのはたしかです。
(でも、周りはあいかわらず私を中傷したりクスクス笑っていたのでこの辺で私自身の精神はある意味、それ以上考えないよう麻痺していたようです)
だからこっそりと、人目をはばかるほうがよいかなと思い、こうして会っていたのですが、これほどまで身近で私と一緒にいるのを人に知られることに恐怖する彼の行動に気分が悪くなりました。
特に好きでもない相手なので思わせぶりな対応をどこかでしてしまったのかもしれないけど、私と一緒にいることをこんなに嫌がられるのを目の当たりにして、涙がとまりませんでした。
運転席からホッとした顔で、冷や汗を垂らしながら「またね」っていうかれに、私は涙を拭って笑顔で「ありがとう」って言って帰宅しました。
以後、私は彼とは連絡を立ちました。
病気の治療の方に専念し、きちんと出席して単位をとることのほうを選択したからです。
風の便りで彼はまだ卒業していないそうです。
けれど・・・たまに、当時のあの彼の態度からショックを受けた日々をこうして思い起こしてしまいます。
いじめ、中傷されてたり、ぼっちになっている人と一緒にいることを、周りに知られることをとても恐怖する人は確かにいました。
狭い団体とはこんなものだと今はわりきっていますが、当時の記憶は今でも苦しいです。
いまの友人たちや恋人にも私と一緒にいることをすごく嫌なんじゃないのかって不安になる時もありますが、やはり当時の行動が奇特すぎる環境なんだったんだなって思えるようにしたいです。
高校までいじめは経験したことなかったので、大学で本当に戸惑い辛い思い出ばかりの日々となりましたが、みなさんはいじめられたことはありますか?
初めて喋ったのが生後6ヶ月。九九を覚えたのが2歳。幼稚園に入る頃には小6レベルの算数をマスター。幼稚園卒業時には公文式で高校数学を修了。小3まではひたすら大学受験の数学の問題を解き、東大京大をはじめとする主要大学の過去問をほぼ解き尽くす。小1から物理、化学、生物、地学の学習も始め、小2で高校程度の物理、化学、生物、地学をマスター。小4までに主要大学の理科の過去問を解き尽くす。中学、高校は大学の教科書や専門書を読み続けて過ごす。しかし高2の春に家庭が崩壊。精神的ショックが大きく、1年間まるまる引きこもり、高校を辞める。仕方なく高卒認定を取得し、勉強を再開。現役で海外の某大学に合格。この人生、敗北を知りたい。
かつて前期東大落ち、後期阪大基礎工に合格したものです(昔は後期試験があったのです)。
データにもとづいていない主観情報で恐縮ですが思うところがあったので書いてみます。
まず、センター試験おつかれさまでした。
あなたが一番よく知っているだろうけれど、東大も京大も試験が独特で傾向の対策を十分受けている人がライバルになる。あと1ヶ月でそれに太刀打ちできるようになるかは自分と相談。B判定なら射程距離内だけれど、リスクはある(10回受けたら何回合格するか?7回なら受けるべきかもしれないけれど3回なら自粛・・・)。出願期間まで2週間、各模試の過去問など受けて考えてもよいかも。阪大を受けるのに、東大京大の過去問をやっておくことは損ではない。
今回のご質問の趣旨とは異なるけれど、卒業後、人生の多くをどこで過ごすかは考えておいたほうがいい
結論からいうと、結局、あなたが現時点で一番魅力を感じているところに行くのが一番よいと思う。
というかはっきり言って、志望学科も志望動機も書かれていないこんな文章では、正直なところアドバイスといったってまともなことは何も書けないんだよね。あなたがどういう人で、なぜ阪大基礎工を志望するに至ったのかということがわからない以上、どこの大学があなたに合っているとも言いようがない。これでは誰も有効な助言はできないと思うよ。
仕方ないから適当に思いついたことを散漫に書き殴らせてもらう。なお、元増田の文章から立地に関する制約(有り体に言えば親御さんの懐具合とか、あるいは自宅通学圏内にせよとのお考え)はないものと判断させてもらった。もし東大・京大・阪大のうち実際には通学が叶わない大学があるなら、そこは除外して読んで欲しい(というかその場合はそもそも選択肢として提示すべきじゃない)。
まず、大学選びの基準という意味ではこれが王道と考えるのが普通だと思う。でも、これは誤り。はっきり言って工学部と言っても守備範囲は広いし、このレベルの大学になってくると研究レベルは研究室単位で違うので、どの大学が本当に実力があるかなんて判断はおそらく誰にもできない。
もし研究レベルありきで大学を選びたいのなら、それは学部入試じゃなくて大学院入試の段階にすべきだと思う。それも多分、実際にそれを判断できる能力が付くのは博士進学(もしするのならば)の頃だろう。というわけで、そんなことは気にしなくて良い。
ただ敢えて言うのならば、東大は研究室が多いので選択の幅が広いような気がする。ただそれは私の分野に限った印象だろうからなんとも言えない。
これについては私は京大しか行ったことがないので周囲の人を見ての不正確な印象論だけれども。
・東大は一番カリキュラムがしっかりしていて良くも悪くも強制的に勉強させられる。進振りがあるからテストの点も重視。
・京大はカリキュラムの縛りが緩い。自分で「何を学ぶか」をかなり自由に設計できるが、際限なく堕落することもできてしまう。
まあ、京大と阪大の比較は高校か塾の先輩にでも電話かけて訊いてみるのが一番早くて正確と思うよ。阪大志望するような人の周囲には大抵そんな先輩がいると思うけど。
実はこれが重要。大学時代というのは、特に独り暮らしをする場合、生活全てをどのように過ごすかによって大きく変わる。
・京大:観光都市の端っこ。良くも悪くも俗世間から隔離された空間。求道から堕落までお好きにどうぞ。
当然、京大に行けば世間に煩わされずに済む代わりに疎くなる。東大にいれば良くも悪くも世慣れする。阪大はその中間。
今のあなたにとってどれが合うか、だね。それは自分で判断するしかない。
あなたが関西人だと想定して言っておくけど、関西の外に出ると阪大ブランドは暴落するので注意すること。あなたは多分早稲田や慶応なんて阪大の滑り止めだと思ってるだろうし受験という観点ではそれは正しいのだけれど、ところが世間の認識はさにあらず、たとえば東京の人間は阪大なんて早稲田や慶応のずっと下だと思ってるからね。京大でもようやく早稲田や慶応と同格かちょっと下かっていう位置づけ。
この認識の差は、文系就職するのでない限り就職活動なんかで不利に働くことはないけれども(技術職の人は阪大の研究レベルの高さを熟知している)、あなたの性格によってはその後の人生で誇りを傷つけられることになるかもしれない。そのことをどれだけ重大に考えるかはあなた次第。
浪人は必ずしも悪いことではなくて、特にあなたが社会的成熟よりも知的成熟の方が先行したタイプなら、浪人という逆境を経験することは前者を後者に追いつかせる機会にもなり得る。そういう意味で、もしあなたが浪人を必要以上に怖がっているのなら、それは一面的な見方であるとは言っておく。
ただ、経済的には浪人の負担は意外なほど大きい。これは親御さんだけでなくてあなた自身にも言えることで、同い年の人よりもスタートが1年遅れるということは、将来的にリタイアするまでに稼げる年月が1年短くなるということになる。そして大抵の人はキャリアの晩年近くに収入のピークが来て、阪大卒だとおそらくその頃にはかなりの確率で年収1000万円ぐらいになっているから、浪人することは1000万円損することだとも言える。その辺をどう考えるかだね。
これについて私が個人的に問題を感じるのは、センター試験と模試の点数だけで合格できるかどうかを考えていること。
そうじゃなくて、実際に過去問を解いてみてその手応えで考えるべきなんじゃないの?センター試験と二次試験じゃ問題のレベルが余りにも違うし、合格点も違う。このレベルの大学は、センターの問題なんて朝飯前にこなせる人が受けるところ。模試なんて数ヶ月前の実力の目安にすぎないし問題も所詮は模造品にすぎない。
過去問をやってみることが一番大きな判断材料になるはずなのに、それをやらないでどうするの?
はっきり言って、目の前の課題に対する自分の客観的な実力を測ってみようという発想がないのはちょっと心配だよ。そういう問題解決能力はどこに行っても重要だよ。
・京都大学は簡単に学科を移れるので、京都大学の一番簡単に入れるところを受験するのが得です。
・東京はまだ放射性物質に汚染されていますが学生生活は楽しいかもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20150119185257
点数と志望しか書いてないけど、ご両親はどういう意見なのかな。
一人暮らしはありなのかとか、浪人はありなのかとか(どっちもお金がかかるよね)、その辺の事情は軽視できないと思うんだけど。
あと志望を変えることをそもそも視野に入れていたのかどうかというのも。
志望変更は視野に入っていなかったという前提で書くと、個人的には志望を変えない方が安全だと思う。
これまで阪大基礎工目指してきたなら、二次対策だってそのためにやってきたと思うのだけど、今から志望を変えるとそっちに向けた対策を相当な急ピッチですることになる。
たぶんそれなりに情熱がないと難しい。
とりあえず私は京大のことしか知らない(おまけに文系だし受験生だったのは10年以上前なので間違ってるかもしれないけど)のでその話をしてみよう。
二次試験は文系だろうと理系だろうと国英数があって、そこに文系なら地歴、理系なら化物生から選択だったかと思う。
基本的にどの科目も記述がメインなので、もしそれに慣れていない場合にはまず記述形式で答案を書く訓練が必要になる。
それと同時に過去問の傾向も把握しないといけないわけだ。
センター後から二次試験までにそれができるかどうか。正直あんまり分のいい賭けじゃない気はする。
あと京大工は桂キャンパスにおいやられてしまったので楽しい学生生活という意味では条件はよくないかもしれない。
おおむねネガティブなことを書いてしまったけど、あくまで「その方が安全」という観点からの意見なので、もしもやってみたいと思うんならそれはそれでいいし、あんまりその気になれないけど先生の顔を立てた方がいいというなら後期で記念受験という手段もある。
もしも志望変更も視野に入れて二次試験の勉強してたのであれば、B判定が出てればそこまで無理ゲーってこともないと思う(自分もセンターでようやくB判定出たけど受かったし)。
いずれにしても、自分にとって何が重要なのか考えて選ぶのが大事じゃないかな(家から通える方がいいとかでもそれは全く問題ない。人によってそんなのは違うし)。
第49回の試験が先週有った。年2回という事だから、25年ぐらいの歴史のある検定試験という事なのか。
2級制御を受けてみて、まぁ、それなりにこんなもんか、と思われる所もあるのだけれども、どうしても我慢ならない事を言わせてほしい。
びっくりだね。過去問にも1つも出てこないし、今回も無し。私の場合、独学と会社の講習会で勉強した。確かに学校では習わなかったが、デジタル回路に関する学科で、現在も未だに同期回路設計の考え方を教えてない学校があるのかしらん?嘘でしょ?
考えてみると、末端の回路設計者に於いて非同期設計が普通だった時代から、同期設計が主流に切り替わった時期というのが、だいたい25年ぐらい前なのな。20年前の時点で、少なくとも自分の周りでは「非同期設計は禁止!」だった。それが驚いたね。未だに数年前の過去問でTフリップフロップとか出てくるし、2014年の試験問題でRSフリップフロップが出てきちゃったよ。あのな、15年前にはもう、Dフリップフロップ以外、使用禁止になってるからな。過去の歴史を勉強する上で、まずい設計の引き合いに出されるのならともかく、まるでそれが今も現役であるかのようにRSフリップフロップが出題されるって、これに金払ってる人に対する詐欺だと思うよ。どれぐらいイケてないかって、N88-BASICのGOTO文が試験に出てくるぐらいのレベルでイケてない。例えが古すぎて若い人には意味わからんレベル。そんなのが未だに出題されてるんだぜ。
(2) GHz帯の高周波を取り扱う為に必要な基礎知識が出題範囲に含まれない!
日本のデジタルICが総崩れで海外に惨敗する結果になった敗因の1つがこれだと思うんだが、未だにその反省が無いのな。マクスウェルの電磁方程式を完璧にマスターしろとは言わないまでも、同軸ケーブルとかインピーダンスマッチングの意義とか、マイクロストリップラインの基本的な考え方ぐらいは出題範囲に含まれてないと、今どき戦えないよ。
日本の失われた20年が、こんな所にも有ったよ。
講義を真面目に受け、成績も悪くない(過去問が手に入らないのは少々面倒だが)。
昼食はコンビニ、食堂、牛丼屋、ファミレス、定食屋、弁当などその日の気分で決め、
家に帰ってからはネットで評判のいいレトロゲームをやったり、録画したアニメを見たり、また本を読んだり。
運動不足にならないよう近くの公園で習慣的に走り、最近は軽い筋トレも始めた。
ザ・充実ライフ。
だったんだけど、ある日同じ講義を取っていたらしい同級生に話し掛けられてしまった。
対応するのは正直面倒だったけど、無視したり嫌な顔をするのも失礼なので普通に対応していたら、
昼食を一緒に食べたり、休み時間になんとなく一緒にいる流れになった。
悪い人じゃないんだけど、別に話すことが面白い訳でもないし、昼食の場所も相手に気を使わなきゃならないしで、
正直、一緒にいるメリットが見出せない。
だからと言って、一緒にいてもつまんないから、本読みたいとか言える訳もなく困っている。
常に一人でいて可哀想だから構ってやるかとか思われてるのか、
ぼっち脱却のための仲間を見つけたとか思ったのかしらないけど、
別の人のところに行ってくれると正直な話助かる。
自分のコミュニケーション能力にそれほど問題があるとは思ってなかったけど、
本当に能力ある人は穏便に突き放せるのかなー?
俺が公共の福祉による人権制限をフリーハンドに近い形で容認してると理解したのだとすれば、残念すぎる読解力だな、ということをまず言っておく。
実務系の大半の人間の憲法理解なんてたかが知れてて、俺自身もその例にもれない。
それでも、留保もつけずに「人権」を十把一絡げにして、これに対する「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」などという各権利の性質をおよそ無視したような主張をするお前よりははるかに「人権」についての理解は深いと思うぞ。
これまで勉強してきた内容として、ぱっと思いつくのは以下のようなものだ。
まず当然条文。一言一句とは言えないが、○○条と言われて内容が出る程度には覚えた。今となっては統治のあたりが少し怪しいが……。
基本書として、芦部憲法といわゆる4人組。前者は3周くらい。後者は通読はしてない。前者を補完する感じでつかった。
百選掲載判例約200+相当数の判例理解。事案の概要と判旨の重要部分程度しか押さえてないのもあるが、重要判例についてはきちんと判例の射程なんかについても検討してる。
ケースブックとして、名前は忘れたがあずき色のでかいやつ。たしか3冊だったか。人にやったので今は手元にない。
受験対策として、論証の暗記、答練、過去問演習等。こういうのを「勉強してきた内容」として挙げるのはどうかという気もするが、暗記や演習等を通じて基礎的な知識の定着や論理の筋道の理解が深まるという側面も確かにあるし、実際問題こうした受験対策に半分くらいの時間を費やしている以上無視するわけにもいくまい。
その他、適宜コンメンタールや関連書籍も参照してるはずだが、いちいちタイトルは覚えてないし煩瑣になるので省略する。あ、唯一タイトル覚えてるのが憲法上の権利の作法。あれはなかなか参考になった。
で、俺に対して皮肉らしき的外れなトラバをつけたお前は今までにいったいどれだけの勉強をしてきたんだ?
読んだ本の量や費やした時間が学問的理解に直結するなどと言うつもりはないが、間違いなく一つの指標にはなるだろうから、ぜひ教えてくれよ、なあおい
自分への戒めとして記しておくことにする。
いわゆる「理系女子」の略語である。私はこの言葉がなんとなく嫌いだ。
進路は文系の私立大学を選択した。だがこれは不本意のものだった。
私は小学生の頃から数学が苦手で、定期試験の大問1の単純な計算問題すら満点を取れないような子供だった。
中学に上がり学習塾にも通ったが、私は中学3年の冬の出来事を一生忘れないと思う。
入学試験を控え塾では勉強合宿が行われ、朝から晩まで過去問を解かせられていた。
周りが高得点を取って上のクラスへと上がる中、私は不安と焦燥感でまったく頭が回らず、目の前の数列をただ目で追うことしかできなかった。
空欄が多い解答用紙を見て、鉛筆の音だけが響く静かな教室で、先生は言った。
今まで学校に通ってきた中で、そんな言葉をかけられた生徒は私以外にいなかった。
模試の結果と相談する中で、私は文系以外の道は選択できなかった。
私は理系への憧れを今だ捨て切れていない。
試験としての「数学」は苦手だったが、学問としての「数学」は好きだった。
どのような構造をしているのか。
どんな反応をするのか。
こういった身近な疑問から、果てには宇宙の遠い星々への距離まで計算できるのだから、
それに反して、私がいまやっていることは何なんだろう。
古典の文法を覚えて、昔に書かれた文章を読んで、一体何になるんだろう?
古典作品を研究することはとても有意義なことだと思う。昔の人がどんな生活をしていたか知ることによって、
私達の未来へ役立てることもできるだろう。
でも私がしたいことはそれじゃない。
古典の学習が自分の身の周りに還元されていくことはあるのだろうか?
今私が使っているiPhoneだって、エアコンだって、電灯だって
偉大な先人が発明したからその恩恵を賜ることができているのだ。
今私が学んでいることは、私にとって全く役に立たない。
私は「リケジョ」が心底羨ましい。
そして自分の発見が巡り巡って私の友人達に素晴らしい将来を提供する様を見届けたかった。
多分一生この想いを抱えたまま、私は鬱屈とした日々を送っていくのだと思う。
運指どころか五線譜読めない奴に
『原典』みたいな「古典的な曲や練習方法」をいきなりやりこませてどうすんの?
それこそ、「アプリオリ」って何?って奴に「カント読め」って言ってるようなもんでしょ。
技術習得の一番効率の良いメソッドを与えりゃいいだけのお話。それがこの場合の「基礎」。
おまえらあれだけの言語バリエーションを全部原語で読んでるの?って思うわ。
訳書でよんでるなら、和訳した用語がどのように使われてるか先に理解しないと
絶対読めないと思うんだけど。頭の良さとは無関係に。
ちなみに、専門家・研究者としての「基礎」って意味なら、原典読んでるだけじゃ全く不足でしょ。
その原典を取り巻く文脈や歴史的背景、そこから起きてきた議論や現状での統一理解と、解釈が割れてる部分まで
理解してやっと「基礎」じゃない?
あなたの仰る基礎って、初学者にとっては最高に効率の悪いクソみたいな学問の修め方だし
高校生までは正直勉強しなくても勉強ができたタイプで、社会はセンターだけ政治経済みたいなごまかしみたいな分野で乗り切って。英語は読解はできるけど知識問題はまったくできない。数学や物理や化学でトップくらいの点数で受かる。という感じだった。そういえば高校受験も社会は0点近くだった、『徳川家康』の漢字がかけないレベルでほぼひらがなで書いたから。
暗記が超絶苦手で本当に覚えられない。ずーっと学年最下位近かった。医学部は進級するのがかなり大変で勉強できなきゃ即落とされる。
周りの先生たちは、患者さんの気持ちを考えられるのが大事とか、卒業したら学生の頃の順位は関係ないという。が、1回留年した時は本当に地獄だった、2留即退学、これまでの人生パーという不安がヤバカッタが、とにかく暗期ができない。こんな苦しいのに横できれいごと言われると全てが腹の底から嘘に感じられた。
とにかく、子供の頃から勉強なんて全然してこなかった。暗期なんてまったくできない。教科書の厚さに閉口してしまう。本当に辞書みたいな厚さなんだよ1冊1冊が。それが酷いと10冊、20冊くらいでやってくる。それをこなしていけと。
もう死ぬほどきつかった。本当に、簡単な血管すら覚えられない。心臓の膜って4つあるんだけどそれすら入らない。きつくってきつくってどうしようもなかった。退学なるかなと思いながら必死コイテ覚えていた。
で、そんな中でも人間追い詰められたら覚醒するもので、詰め込み&過去問からの山張りで学年の真ん中くらいの順位で合格した。教科書と過去問を7周したんだよ本当に。
4年生もキツイと聴いていたので、3年生は死ぬほど勉強だけした。4年生も死ぬほど勉強したら最下位近くで受かった。
なんつーか、「暗記は繰り返さないとできないよ」という単純な話ができなかったんだけど。もう本当に、勉強なんてしたことないし暗記なんてしたことないのにやったから死ぬほどきつかった。カイジで『ボーっとするな、ここ30分だけ真剣になれば向こう5年は何にもせずボーっとしていいから!』って命かかった場面で言ってたけど。まさにあれ。
そんなわけで、5,6年はひたすら楽に過ごした。申し訳ないがそのくらい自分にはキツカッタ。暗記が本当に無理だった。 就職とか、将来とか、医者としてのメンタルとか全部無くしてボーっとしていた。国試はひたすら何も考えずに過去問と対応する教科書のページを回し続けた、勉強法がわかっていたのか、はたまた8割は受かる試験なのでたまたま受かったのか。なんとなく受かった。
もうニヒルになっていた。ただただ繰り返し教科書を読み続ける。これが全てなんだと悟った。理解とかどうこうっていうのもあるけど、まずは繰り返し繰り返し読んで脳みそにしみこませる。これを知らなかった。もうほんと今ならなんだそんなことかって感じだけど。なぜ周りの皆はテストの点数が取れてるのに、俺が教科書で常識で知ってる基礎すらテスト後は分からないんだ?と思っていたが、なんのことはない。テスト前に理解どうこうでなく覚えていたのだ。
俺は、どーも理解が得意で。数学みたいな1つ知ってれば全部つながって理解できる、その場で公式を証明して使う、みたいな、『公式なんて暗記しなくてもええやん』みたいなのばっかりだった。
英語で「has」ってのは「haveの三単現ですよ」ってのも暗記できなくて、だけど文章ででてくれば、「この単語には『所有する』っていう意味が適当やし、haveに似てるから、多分その三単現だろうなあ」って感じで毎回りかいする感じ。
だから、解剖とか生理とか理由のないものを覚えるのができないし。解剖や生理の知識がないと理解できないからと思って病気を覚えられなかった。
がしかし、普通は解剖生理から覚えるのでなく、テストに出ている病気について頭から覚えつつ理解→解剖生理や余裕があったら。みたいな感じだった。自分はまったく暗記できないタイプだからそもそも病気の症状という結果を(理解しつつも)ゴリゴリ暗記するというのが眼からうろこだった。だって病気の症状を覚えるのすら俺には不可能に思えたから。
理由の無いものを覚えるというのができないまま医学部に入ったので、これは本当にきつかった。そして、医者の倫理観とか信じられなくなった。
患者に尽くそうと思うなら勉強できるだろ?みたいな考えがどうしても実感が湧かなかったから。どれだけ医学自体に興味を持っても、そういう病気の症状を暗記するという欲求にはつながらないと感じた。
そういう方法論を知ってればそういう風になるかもしれないが、知らないままやったこともない大量暗記をかされて、できなかったら「患者思いじゃないんだね」といわれてもまったく納得できなかった。俺は患者さんのためになる医療ってのは本当にすばらしいと心から思っているのに暗記だけはできないんだ……。という劣等感がヤバカッタ。
しかし、医者になってみると自分は医者に向いてるなと感じる。暗記方法のカラクリが分かったのと、患者さんへの思いを持っていれば勉強が苦にならないし担当した疾患になら相当深く学べている。やはりメンタルだけなら向いていた。
大学生の間に私は成長したのだろうか。 生まれたときから世界には完璧という概念が存在しており 人間が人間であることを放棄しない限り、人間は成長することはないと思っていたので 成長という表現を聞いたときは不快感がずっと存在しておりました。 私の頭の中は、相対評価ではなくて絶対評価であっても、小学生のときがピークでして それから10年以上、ずっと退化するのに耐え抜くだけの時間を過ごしました。 中学受験塾という環境で過ごして、中学受験をしました。 入学した学校は、とある物差しでは関西で5番目くらいの学校 希学園の偏差値表で、灘が63、東大寺が61、甲陽が59、洛南(併願)が58、大阪星光が55 (当時は西大和は52、今はもう少し大きな数字だと思います)(女子は神戸女学院が54) 星光の入試配点は国語120数学120理科80社会80の(傾斜)配点で、合格最低点は7割 7割というのは高い方(6割が平均的)で、得意不得意が日本一レベルだった私には無駄な難関でしかない。 母数のレベルが低いテストによる合否判定は、得意不得意が異常な私は生涯を通して最高でもE判定しか出ないシステムであり 私は当時からその仕組みが理解できたけど、まわりにいた無能たちはそれすらも理解できなくて話が通じることはありませんでした。 そしてその成績の私には、言及するには心理的抵抗が大きかったのですが、灘や甲陽の配点は国語200算数200理科100で合格最低は6割 私の心の奥底には、星光よりも灘の方が簡単ではないのか(妥協して甲陽)と思ったこともあったのですが 灘も甲陽も兵庫県で、非常に残念なことに星光は家の近所にあるという環境の違いもあったりしまして。 当時の私のテストの答案はいつも同じでして 算数は冒頭から順番にすべて正解、一番最後の問題は時間切れ。テストは毎週ありましたが、計算ミスもしないのですべてがその結果になります。 社会も冒頭から比較的には正解率が高かったのですが、正解に自信が持てないので非常に時間がかかり、100点中後半50点ほどは常に白紙での提出でした。 理科は物理と化学は算数に同じ。生物と地学は興味がなかったので社会と同じ。 国語は文章問題2題が多くて、いつも片方しか読む時間がありませんでした。そして常にクラスで最下位。塾全体の公開テストでも下から数人目。 公開テストは600人ほど受けていて、上から10位までは名前が公開されます。(科目ごと+3科目合計+4科目合計) 当時4科目合計で名前が載ってた人は、国際科学オリンピックでメダルをとっていたり、当然のように東大医学部に行ったことまでは把握しています。 そして名前が載るのは「S1クラス」という能力別クラスでの1番目のクラスばかりになるのですが、 算数で時間が足りたことがあって、そのときに「H1」という平均以下のクラス所属で私の名前が載ったことがあります。 すごくどうでもいいですが、能力別クラスでは定期的にクラス替えが行われるのですが、私の成績が算数はクラストップ、国語はクラスビリで安定していて 「H1」という所属クラスってふつうは変動するのですが、なぜか入塾時から小6の途中まですべてH1のままで動くことがありませんでした。 小5までは谷町九丁目教室ではS1からS5とH1からH3、小6からはS0からS8とH1からH6でした。つまりH1っていうのは偏差値では50以下です。 なので志望校として決定されるのは星光になるわけですね。また星光合格者の中では、私が一番下のクラス所属でした。 自分の記憶力が残念なので想定外に長くなりました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 さて、小6の3月から2年間にもなる長期間、虐待の日々がはじまりました。 その結果、定期テストの前に、勉強するということもしたことがありません。 中3の時の、通知表の成績は、高校への内部進学の基準になります。 全科目の平均が60点が条件で、テストの点数そのままが通知表の点数になる科目もありますが、 平常点を用意したり、救済措置を用意して下駄を大量に用意すう教師もいます。 学年人数は200人で、毎年学校を追い出されるのは10人とか。他の学校よりも多いと思います。 中学受験での話を想定外に長く書いたので、少しここは省略します。 日本語を話してくれない教師への反発もあって、中3での通知表成績はビリから2番目の人(50よりは上)よりも10点くらい下です。 T野(体罰数学教師)の数学で、一番はじめて満点を達成したのは、M君ではなくて私だったりします。 名前が汚いからという減点は毎回受けていましたが。 英語のS水(中1中2での担任)も相当無能でゴミだったし、 国語の学年主任(中3での担任)もゴミだった。愛のかけらなどどこにもなかった。 テストのために勉強する、という行為はしたことがなかったですが、テストの最中は中学受験時代での私の哲学をただただ耐え抜く日々でした。 そして、私の中には中学受験での自己評価をもとにした学力観というものがありまして 勉強したと言えるような時間は、授業中に教師が答える前に自分の脳内で答える予習的学習と テスト時間中における、問題作成者との、問題を通したコミュニケーション、その2つだけ。 私は私自身の美しい過去を尊敬しており、またそう言えるためだけに命をかけております。 信じるかどうかは好きにすればいいと思いますが、勉強したと言えるような時間は上記以外には特にないまま 高校入試を受験するみたいでした。(受け身) 甲陽の高校入試の配点は英語200数学200国語200理科150で、合格最低点は脅威の5割。 西大和の高校入試の配点は忘れました5科目で、合格最低点は7割。 西大和の高校入試の数学はレベルが高くても小6レベル以下の問題でびっくりしました。(過去問とかも知らない)計算用紙にポエムを書きました。(計算用紙も提出です) そういえば、テストの最中にはテストに向かい続けるという呪縛を本当に無駄に守り耐えてきたのですが さすがにあれなので、問題用紙に脳内ポエムを絞り出す習慣が発生していました。 私の問題用紙に書かれた脳内ポエムの絞り出し、見たことある人いるでしょうか。 その一部は高校時代にやっていたブログに模写投稿されていたりします。 といいますか、私は言葉から行動に移すような経験が一切ないと思います。 国語という科目が全くわからなくて、表現能力は障害者でしかないのです。 表現というものに、全く価値を感じる機会が今までずっとなかったのです。 (相手の意思とは関係ない)教えてくれる人間が自分視点の環境には存在しなかったってことです。 この世に信頼できる人間が1人もいなかった。 そうすれば、こうなります。 存在する存在空間の、表面結果が表現されるだけで、それだけでしょ。 伝えたいと本気で思える人間が私の前に現れることがなかった。 脱線しましたけど、西大和は不合格になりました。人生初の不合格です。計算用紙になんだこの数学はアホかやるきあんのか、って書いたのが相手を激怒させたのかもしれません。 入試の科目で満点とれてるのは西大和の数学が人生初だと思う。(大学入試では同志社物理とセンター物理が満点。センター物理って小学生でもry) (大学入試数学は私は全く訓練がされてないので、同志社レベルでさえ時間足りないです) そして、甲陽おちた場合、出願は2校しかしていないので、いく高校がないです。 けど合格してた。勉強して合格したわけではないので、何も感じなかった。 自分の人生は他人事で、どうでもよかった。 人は過去を美化するという表現を見かけることがあります。 この表現の意図はこうです。 そんなわけがない、人間をなめるな。しかしすべてを説明するのは一生かけてもできない膨大さ。情報を努力して絞り、本質的な情報を簡略に表現する意図がある。 人間が人間であるための努力だ。 そして過去が存在しない人たちからの言及をそらし、内心ほくそ笑むための表現です。 人間であることを放棄した人が、人間を舐めるな。 人間は、人間を人間だと信じている人たちだけで暮らせばいいです。(そう信じることしかできないんです。) 脱線の方が長くなってしまいました。ごめんなさい。 高校。高3で人生で初めて、通知表に0がつきました。 英語の定期テストで選択問題が初めて0問で、(授業でやった)東大京大等の英訳和訳問題のみだったのです。がんばったけど0点でした。 けど留年とかされても高校にとって迷惑になるので、卒業という形で平和に追い出されました。 中学では宿題をだす教師はいて、平常点が存在しました。 高校では宿題をだす教師はおらず、自分で勉強する人たちが自分の意志で医学部とかにいってた。 東工大の大学入試の配点は理数系が68パーセントで、合格最低点は忘れました。(ふつうの東大生であれば英語国語0点にしても東工大には合格する程度の合格最低点です) ちなみに早稲田理工は理数系67パーセントで慶応理工は70パーセントです センター試験本番は現役時が47パーセントで、物理に関しても波長って何?λってなんてよむの?らむだってなに?って思いながら知恵とセンスを絞って問題に正解してました。 浪人した時は、波長とはなにか、λがらむだってよむんだって知りました。 一切の本も読まずに、微分とか極限の解釈でただ単に考え事をしていたら、テイラー展開って表現されているものが発見されました。 数学は自分で問題をつくって遊ぶことしかしてなくて、浪人時代の1月も2月も一回も過去問とかやらずに 自分で問題つくっては遊んでました。 (1)30!の一の位は0である。ここから始めて十の位百の位と順に左に見ていく。最初に0でない数字が現れるまでに連続していくつの0が並ぶか。 (2)(1)において最初に現れる0でない数字を求めよ。 (3)ここで「n!は10^kの倍数である」これをみたす自然数kのうち最大のものをpとしてf(n)=10^pとする。このとき以下の数の一の位の数字を求めよ。 (イ)100!÷f(100) (ロ)100000!÷f(100000) (4)100兆の階乗を10進法で表示したとき右から数えて25兆番目にある数字は偶数であるか奇数であるか調べよ。 問題を読んでほしいためこのようにしてみた →方法論は省略して 100兆(10進法)=101101400兆(5進法) 100兆!÷10^(25兆-2)≡2^(25兆-2)×4!1!1!1!1!≡6 …□6が4の倍数なので□は奇数です 普通の電卓を使用して 2の常用対数の小数第10位の値を求めよ。 とかに関しては、あるごりずむとかいうやつっぽい。 AA>Bと同値はA>√BまたはA<-√BまたはB<0(A実数)または-√(-B)<Ai<√(-B)である。ではAA<Bは? とかに関してはすうがくっぽい。 大学に入ってからも痛感しますが、勉強したことがないので、勉強のやりかたが全くわからない。 環境というものは目には見えない力なのです。 クソみたいな社会に適合してたまるか、という環境も世の中には存在します。 社会に適合化された言葉を使ってしまうのは屈辱でもあります。 なにが世界を破綻させているのか。それは現実主義者の存在です。 「数学に対する価値観は、誤答を解答として提出したのであれば死刑にすべき」 の意図している意識が共通認識となれば、世界は平和になるのではないかと思います。 共通認識と共通認識における努力さえあれば、別に死刑にする必要はないです。 いつかきっと、人類が私の意図を理解することができればいいなって。 おなかがすきましたね。 http://anond.hatelabo.jp/20140617174318
一部の空母娘が使っている弓から、弓道に興味を持った人が読んでくれればなーという感じです。
さて、艦これはDMMのゲームである以上、18歳以上しかプレイできないのですが、同人から興味持った学生もいると思うので(あと大学生もいるだろうし)、まず学生向けのお話。
結論から言うと、もし学校に弓道部があるなら、そこに入るのが一番。
弓は教えられたことを身につけるために、ある程度の回数は反復練習しないとなかなか上達しないので、毎日放課後すぐに弓を引ける環境が最高なのです。
ちなみに道場はアメリカ空母も真っ青の開放型格納庫状態なので、防暑・防寒に注意して快適な弓道ライフを送ってください。
若いからといって、何でもかんでも気合いと根性だけでどうにかなるほど現実は甘くないので、「努力より工夫」をキーワードにするといいかもしれません。
あとは「意味もなく年長ぶる間抜けな先輩には気をつけろ」「先輩になったからって小天狗になるな」というのも重要ですが、これはまあ部活全般に言えることなので。
次に学校に弓道部がない人や学生じゃなくなった人向けの話。むしろこっちが本題。
学校で弓道が出来ないとなると、社会人向けの弓道サークルに入ることになるのですが、「生意気だと思われないよう年長者は敬え、できれば可愛がられろ」だけでは済まない、ちょっと初心者が入りにくい所を解説。
弓道というのは、弓を引く技術である「射法」と、弓を持った時の立ち振る舞い全般を規定した「礼法」によって成り立っています。
それで問題になるのが礼法。
社会人弓道は一般的に礼法偏重で、初心者に教える場合も礼法から入る傾向があります。
初心者にしてみると
「弓を習いに来たのに、今日は弓も持たずに座り方と立ち方・歩き方しかやらなかった」
「弓は持ったけど、取り回し方ばっかりで、いつまで経っても矢を放つところを教えてくれない」
とはいえ、これを習得しないと先に進ませてくれないと思うので、ひたすら覚えてしまうしかないのが現実。
もちろん全く使わないかと言えばそんなことはなく、昇段審査とかでは覚えているのが前提ですが。
では何故そこまで礼法にうるさいのか?
そもそも弓道は明治年間に生まれた歴史の浅い武道で、女子の礼法に至っては戦後に作られた新しいもの。
そんな弓道の成立時に問題になったのが
「鉄砲が登場し武器としての歴史を終えて久しい弓を、武道として続ける意義は?」
というもので、その回答が今の弓道の、あらゆる流派のごった煮状態に近い「射法と礼法の融合」だったと。
とはいえ、そんな哲学的命題に興味を持って入門する初心者はまずいないと思うので(オイゲン・ヘリゲルでも読んでいれば別ですが)、最初は
「的に当てるスポーツだもん、当たらなかったら面白くないじゃん」
くらいのノリでいいと思います。
それにいくら礼法偏重だって、いざ試合になれば的中数が全てだし、審査にしたってある程度段位が上がれば「当たって当たり前」が要求されるわけで。
まあ礼法は、歳を取って思うように当たらなくなった時でも、ライフワークとして弓を続けるための予習くらいのつもりで学べばいいんじゃないですかね。
これは竹弓といって、弓が武器として活用されていた頃からあるというか、弓も矢も元はといえば竹製なんです。
しかし現代弓道では、安くて壊れにくいグラスファイバーの弓にジュラルミン製の矢が主流で、竹弓竹矢を若いうちから使っている人は殆どいなかったり。
医学部は、1年か2年はクッソ楽。普通の学部と変わらない。普通にドイツ語とかフランス語だけやっとけば普通に受かる。
エグイ。確かに、医学を学ぶにはまず人体を知らなければ。という理屈は分かるのだが、とにかく量が多くてびっくりした。広辞苑みたいな教科書がドカドカと数冊積まれて、「この量を覚えるんだよ」と言われる。パニックになる。
周りが「この学年の勉強はキツい!ガチでやらないと普通に留年する!」と焦るのだが、何をしていいのか分からない。暗記をしてみるもとてもじゃないが追いつかない。覚えられるはずがない!となる。
まず始まるのが、過去問や授業資料の取引。先輩などからもらった資料を元手に他の友達からも資料を交換しまくる。
また、仲がいい奴らで集まって、効果的な勉強法なり、周りとの足を揃えて知らず知らずに処置無し状態にならないように必死になる。先輩などからどの時期に何を勉強するのか必死に情報を手に入れる。
「暗記は無理」→「過去問から1割くらいは出るし、勉強すべき分野が絞れるぞ」→「そうやっても全然覚えられない」→「できるやつがまとめノートなり、全体のオリエンテーションをつける講義をやってくれる」→「全然覚えられない!!!」→「テスト2ヶ月前にガンガンひたすら覚える」→「1ヶ月前に2周目に入ったでも全然覚えてない!」→「2週間前に3周目、なんとかなるかな???過去問もなんとか合格点超えるなあ」→「テスト直前に長文などブーストが効く奴をやりつつ短期記憶に詰め込みまくる」→「なんとか受かる」
多分、このパターンが一番多いと思う。ちなみに、2ヶ月は無いと受からない。前期後期とテストがあるなら1年の内4ヶ月は受験生より勉強することとなる。1日15時間という勉強量に焦るが、周りも普通にやっており、やらないと終わらない。
ここで気づかずに2ヶ月残せない状態でノーベンだと、だいたい留年する。
次の学年くらいから、一般的な病気にかかわるものを学んでくいく。
このあたりから勉強法が自分に合ったものを採用したり、効率がよい勉強を覚えていくようになる。なにしろ高校までの勉強とは明らかに異質な暗記マシーンとなるので、自分を変えなければならない。
「全く臨床に関係無いものにどうやって興味持つんだ無理だ」→「書くと覚えやすいかなオレは」→「質より量で長時間の勉強でできるだけストレスをかけないのがいいから音楽聴きながらやるといいな」→「とにかく学校で友達とやると肝外しな勉強にならずにすむ」→「とりあえず3周すると忘れにくいかな」→「授業の参考資料+成書での深い記述+とりあえずまとまりがいい資料の3コンボでまわすのが覚えやすいな」→「むしろ出題者の意図を読めば選択脚が覚えやすいな」→「友達とやらないと、出題者特有のその問題ごとの攻略の仕方が膨大すぎてとらえられない」→「コツコツ1年ずっと勉強するのは不可能だ」
まあ、いろいろ工夫をしだす。
ハッキリ言って、マトモにやったら絶対無理な量をこなすこととなる。「試験って次何教科?→18教科かな→(゜Д゜)」リアルである。全員ものすごく焦る。信じられないからだ。2ヶ月で終わるのか?と思う。
しかし、一応この学年まで生き残った人々、それなりに勉強法は心得ている。が、それでもキツい。ほぼ1年、勉強に費やすというのも普通。
頭では、「実際の患者さんの為に、ここが本番なんだ」となるが、そんなもの、人格を破壊するかのような学習量にズタズタになる。何も考えられないほど1日勉強でつぶれるなんてざらである。10日風呂に入ってない、ありがちである。
ところで、ここまでで気づいた人もいるかもしれない。「2ヶ月なんて毎日勉強とか時間取れるの?」当然だが、夏休み、冬休みを突っ込むことになる。再試にならなければ、1,2週間は遊ぶことはできるが、再試にかかるとその年の夏休みは終了。
④さあ、臨床の場へ!
正直楽だった。テストが無く、ひたすら目の前の患者さんと臨床に尽くすだけでいいからだ。勉強はそりゃほぼ毎日する。目の前で横行する臨床を見て、知識が足りない!と焦って学校の後に知識を補充すべく勉強する。
ああ、これが本当の勉強だよなあ、と感動する。
⑤国家試験
正直楽だった。臨床の場で得た体験が結びつけば覚えやすいなあという感じであった。それに、1回やったことの繰り返しの部分も多かった。また、コレまでに比べて考えればなんとかなる問題も多く暗記量を理解で減らしまくれた。
思えば①~③までの勉強がキツかった理由を考えると
Ⅰ 勉強方法が明らかに高校までのものと違い勉強法が分からない
Ⅱ 2ヶ月前からずーっと1日10時間以上勉強する、などという経験がなく合宿みたいで辛い
Ⅲ 暗記量が尋常でなく、数学や物理みたいな暗記いらずの分野で稼ぎまくったタイプかつ、歴史など暗記がまったくできなかった自分の能力特性が悪すぎた
Ⅳ 試験前に病気や怪我をしたことが多く、それでも勉強しなきゃという現実が辛かった
Ⅴ 理解して暗記するというプロセスの有効さや復習の有効さが理解できていなかった
Ⅵ 先生の趣味みたいな問題が多く、しかも出題する先生が1教科15人×10教科など多すぎて過去問を見ても出題傾向がつかみにくい
Ⅶ とにかく先生の趣味みたいな問題でまったく取れない分野が多い
といったことがあげられる。
試験の攻略方法は色々あるが、その中で自分が最も嫌いなのは過去問の活用だったりする。
これ、受験勉強ならまだ諦めがつくが、仕事に関係する資格試験にまで持ち出されると、それだけでもう辟易してしまう。
とはいえ、論述式かつ実際の仕事で直面しそうな問題を解く、即ち問題文や図表から当たりを付け、それを言語化するような問題はさほど苦にならない。
嫌なのは重箱の隅をつつく的な、広範な知識を問う問題で、しかもマークシート方式とかの場合。
普通に正攻法で挑んだらとても網羅しきれないので、極端な話、過去問とその正解の紐付けだけを暗記するのが最も効率良いのは、頭では理解している。
「言語化は得意」といったそばから言うのも何だが、上手く言い表せないけど反射的に拒絶感があるというか、どうしても「なんでこんなこと覚えなきゃなんねーの、バカバカしい」というのが先に立ってしまう感じ。
それに、そんな暗記前提でやり過ごすみたいなテクニックを心得ていることが、果たしてその資格に必要な能力を問うていることになるのか?という疑問もあったり。
最近も何も20年前でも理系の大体の学科は東大は学部より院のが枠でかいから東大の内部生と戦わなくて済む分、馬鹿でも受かる。
東工大とかで優秀な人間は逆に東大なんて行かずに東工大の中の研究室でやりたいことやるから。大学院レベルなら東大も東工大も変わらんし。
結局ロンダに来る様な人間はやりたいこともよく分からずに東大、って名前だけで来たがるよな馬鹿しか居ないし。
実際、東大に東工大から来る人は少ない。京大からの人は多いけど、それは京大の院の枠が少なくて普通に落ちるのですべり止めで受けることもあるから。
勿論、試験あるし、勉強もしない馬鹿は落ちるけど、内部生は院試の勉強なんてほとんどしないで(やっても過去問をちょっと解くくらい)で受かるのに
外部から来る人は前の年から「受験勉強」をしてたりするらしいし。。。
「馬鹿」って別に何もやらない馬鹿のことではないけど、お前ら一体大学で何してたんだ?で、その受験勉強の時間、無駄じゃね?っていう馬鹿、の意味。
せっかく(恥のかきついで)なので、バカなおっさんに教えて下さい。
一応、おっさんのスペックは、日本ベスト5内の理系の修士試験は余裕でうかったのですが、
体制が合わず、かつ、本質的にバカなので、途中で辞めてしまいました。
昔を知らないと、比較はしづらいかもしれないけれども、「どうちがうのか?」是非、ご教授ください。
※受験からは20年以上、離れているのと、子供がいるため、認識違いがあれば、子供が大学入学までに修正しておきたい。
インターネットが広まってから、「高速道路」という議論はあったけれども、
受験生の上位には、これと同じような現象が起きているって理解ぐらいしかできない。
http://japan.cnet.com/blog/umeda/2004/12/06/entry_post_203/
これは、誤字ですよね?