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2022-08-23

N君は夜行バスに乗って

anond:20220822215327

夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラル呼称であり、実名イニシャルではない。

N君は、高校同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。

ここでド田舎高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部所属し、体育会系集団と校内オタク集団の間を、コウモリのようにフラフラしていた。

そんな風にド田舎同調圧力に屈していた俺から見ると、校内のどのようなコミュニティにも属していないように見えるN君は、孤高というか不思議存在だった。

N君は、俺を含めた同級生との休み時間放課後の会話に、自ら積極的に加わったりすることは無かったものの、会話をする機会が有れば、分け隔てなくフランクに接して明るく話す程度には社交的だった。俺も他の同級生も、N君を特別に好きだったかどうかはともかく、特別に嫌ったりはしていなかった。帰宅部にも関わらず、運動部所属する生徒たちから見下されたりするということがN君はなかった。優等生でもなかったとは書いたが、話し方や物腰を思い浮かべるとN君の頭が悪いとも決して思えず、むしろ頭は良さそうに俺には見えた。

特にしかったわけでもない俺の、N君に関する記憶や印象は、おおむね以上のようなものだった。

在校中の特筆すべき思い出を残すことも無く、高校卒業して実家を出た俺は、田舎の度合いが出身地と五十歩百歩ぐらいの、他県にある大学へと進学した。

大学夏休み実家帰省してゴロゴロして怠惰に過ごしていた俺に、親は「在校中にお世話になった顧問先生に、挨拶ぐらいしに行け」と言った。仕方なく俺は、運動部OBとして母校に顔を出し、OBらしく後輩たちにアイスクリーム差し入れを振る舞ったりした。母校での野暮用を済ませ、帰宅するために母校から最寄りの駅へと向かった俺は、その途中で、偶然にもN君に再会した。市外から汽車(ディーゼル列車田舎ではこう呼ぶ)で片道一時間強かけて通学していた俺と異なり、N君の家は母校と同じ市内だった。

特にしかったわけでもないが「久しぶり」ということで、俺たちは喫茶店アイスコーヒーでも飲もうということになった。高校時代校則入店禁止されていた喫茶店に、今では堂々と入店できるということに、俺は開放感を覚えたが、その時のN君はどうだったのだろうか。

「今どうしてる?」という話になり、大学生としての暮らしについて、俺は適当に話した。昔も今もコミュニケーション能力に乏しい俺は、大学生になっても彼女もいなかったどころか、友人もろくにいなかった。だから、決して薔薇色の生活というわけでもなかったし、そんなに明るい話のネタも持ってはいなかった。しかし、そんな俺のつまらない話でも、N君は「良いなあ」と相槌を打ちながら聞いていた。ひとしきり俺のことは話したので、今度は俺が、N君のことについて訊いてみることにした。しかし、聞けば、大学専門学校などに進学するでもなし、働くでもなし、N君は何もしていないと言った。

少し言い淀んだ後、N君は俺に「悩んでいることがある」と切り出した。今でも、この時の話題をN君が特に親しくもなかった俺に切り出した、本当の理由はよく分からない。喫茶店自由に入れるようになった開放感からだったのだろうか。あるいは、田舎を捨てて他県の大学へと進学した俺のことを、進歩的偏見が少ない人間だとN君は見たのだろうか。単に、親しくもなかった赤の他人からこそ、却って話せたというだけかもしれない。

N君の悩みというのは、彼の恋の対象が、女性ではなく男性であるというものだった。

N君の話を聞いて、俺は驚いた。

N君が同性愛者であったことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、N君が彼自身以外に「男性恋愛感情を抱く男性」の存在を知らなかったかであるストレートの俺ですら存在を知っていた、雑誌さぶ』や『薔薇族』などの存在も知らなかったと言われたが、その時の俺は、俄にはN君の言葉を信じ難いと思った。

しかし、後になって思い返した俺は、それほど有り得ない話でもないのではないかと思うようになった。同性愛であることを子供からカミングアウトされた親の中には、同性愛治療可能な病と考えて、何とか"治そう"と試みる人間が少なくないという。だから、もしかしたらN君の親も、そんなふうに"治そう"とか"悪化を防ごう"とかするために、N君が彼以外の同性愛者や性的マイノリティに関する情報へとアクセスする機会を、奪っていたのではないだろうか。スマホインターネットも無かった時代のド田舎で、子供経済的支配している親の立場ならば、情報遮断もある程度は可能だったと思う。N君がどうだったかは覚えていないが、俺の同級生の中には、テレビお笑い番組を観ることを、親から禁じられている人間が何人もいた。お笑い番組などでは笑いのタネ同性愛者が持ち出されることは珍しくなかったが、そういった俗悪番組などを観ることを禁じられていたとしたら、自分以外の同性愛者の存在を知らなかったということも有り得るかもしれない。

「えっ、そんな雑誌があるの?!」

「そうだよ、男の人を恋愛として好きになる男の人は、なにも世の中でN君だけじゃないよ」

逆にN君の方こそ、俺の言うことが信じられない、自分の他に男性恋愛感情を抱く男性存在するなんて信じられない、という表情だった。

別に俺は、高邁な思想の持ち主などではなかったし、世の中の差別を無くすために戦う人間でもなかった。過去形表現したが、現在形で表現しても俺は「そのような人間ではない」。しかし、そんな俺でも、N君が理不尽に苦しんだり悩んだりする必要は何も無いとは思った。とはいえ、若くて馬鹿大学生だった俺に、まともなアドバイスや励ましをN君に与えることが出来るはずも無かった。『さぶ』とか『薔薇族』の存在の他に、何か俺がN君に教えられることが有るかと、無い知恵を絞って出てきたのは、俺が夜行バス東京に行った時に、新宿駅の雑踏で見た、今風の言葉で言えばオネエと言われる人たちの集団のことだった。俺は馬鹿である

新宿二丁目には、そういう人たちが集まるお店が、沢山有るんだよ。俺、東京に行った時に新宿駅で、そういう人たちの集団を見たよ」

実際に新宿二丁目に行ったことも無いくせに半可通の知識から発した、今から思えば我ながら馬鹿発言だ。それでも、その時の俺は、馬鹿なりに「N君は『独りぼっち』ではない」と言って励ましたかったのだ。とはいえ、当時のN君との会話の中で、俺は「オカマ」や「オカマバー」という言葉を頻繁に使ったと記憶している。励ましたいと思いながら差別表現を使っていたのだから、今でも俺は恥ずかしくなる。その上、明るくひょうきんなオネエたちと、同性愛者とを安直イコールで結びつけるという思考は、粗雑で乱暴ものだったと言うほかない。

兎に角そういった話を聞いたN君は『さぶ』や『薔薇族』の存在以上に、俺が新宿駅で見たという人たちの存在実在に驚いたようだった。その人たちの様子を訊かれたので、俺は、思い出せる範囲で、彼女たちの服装とかメイクとか、かしまし面白おかしい会話の様子とか、堂々とした態度とかをN君に話した。特に彼女たちが明るく堂々とした様子だったところ、自由に見えたところに、N君は深い感銘を受けたように俺の目には見えた。

そろそろ俺の帰宅するのに乗る汽車の発車時刻が近いという理由で、喫茶店でのお喋りを切り上げると、別れ際にN君は俺に「ありがとう、色々と教えてくれて」と言った。大袈裟なぐらいに何度も、N君は「ありがとう」と言った。駅へと向かう俺を、N君は喫茶店の前で見送ってくれていた。

その後、N君と会ったり連絡を取ったりというドラマチックな出来事特に無い。だから、その後のN君がどうしたのか、どうなったのか、故郷に残ったのか、それとも出て行ったのか、俺は何も知らない。

俺の勝手空想の中では、その後のN君は、故郷を出て、何処かの都市部リベラル場所で、仲間と出会うことが出来て、孤独ではなくなったという筋書きになっている。その俺の空想の中で、故郷を出て都市へと向かうN君は、夜行バスに乗っている。俺がN君のことを、勝手に俺自身と重ねているからだ。

たか夜行バスに乗って、何回か東京その他の場所に出掛けたからといって、田舎っぺで馬鹿な俺が、顕著な人間的成長を遂げたりするはずもない。また、故郷を出て東京その他の場所に移り住んだからといって、必ずしも薔薇色の人生が待ち受けているとは限らないことも、今では俺も理解している。

それでも。

それでも、夜行バスの旅は、若くて井の中の蛙の俺に、新鮮な風景を見せ、田舎では触れることのできなかった、新鮮な空気文化的産物に触れる機会を与えてくれた。たか新宿駅でオネエの人たちを見ただけにすぎないという体験ですらも、若くて田舎者だった俺にとっては、貴重な体験機会の一つだった。俺にとって夜行バスは、そういう思い出と結びついている。

から俺は、その後のN君が、彼にとっての夜行バスを拾うことが出来ていれば良いなと、今でも思わずはいられないのだ。

2022-08-22

いつもお決まりの悩みのタネ

様々な人生選択のなかでウン百円損しただけでもかなり傷つく

経済的完璧手段取れないと苦しむというか

友人とか彼女とメシ食ったりする時はかなりアバウトにしてるけど一人でいる時は常に経済的クールかどうかが基準で生きてるわ

んで今日は先々月に買った定期一駅先に設定しても同じ値段だと気付いて発狂してる

マジで数日元気がないかもしれん 幸い3ヶ月定期にしなかっただけマシだしその一駅先に用事があるのは8月下旬からだし

いやーでも最短最安ルート捨ててるなら一駅伸ばせばよかったのになぁ 寄り道ルートであれば一駅伸ばせるのかぁ

大雑把な距離通勤定期の値段ってキマるもんな 一段階上がったらその分距離に余裕ができる

いやーなんか最悪だなぁ

とかこんな感じでずっと後悔している

こういう悩みってみんな無い?自分の頭で考えれば防げた損失だったんだがって悩まない?

高齢出産して、「若い時に産んでおけばよかった」と後悔する女性なんて存在するの?

高齢出産して、「若い時に産んでおけばよかった」と後悔する女性って、本当に存在するの?仮に存在するとしてもごくごく少数じゃない?

だって若い時に産んでおけばよかった」と後悔するって事は、その女性若い頃に伴侶がいて経済的にも余裕があって

産もうと思えばいくらでも産める状況にあったけれど敢えて産まずに高齢出産を選んだって事でしょう?

……そんな人いる?

いや自分自身高齢出産すら出来てない就職氷河期独身ですけれど「若い時に産んでおけばよかった」とは全く思ってない

思っているのは「若い時に産めるようにして欲しかった」っていう、国や企業に対する不満だよ

だって自分が二十代の頃には今のような育休産休児童手当の制度なんて全然整ってなくて

就活面接の際には必ずと言っていいほど、今交際している人はいますかとか結婚の予定はありますかと訊かれて、暗に女は要らないと意思表示されてたし

とにかく就職難の上に働きながら子供を育てるような制度殆ど企業で整ってなくて、相当狭き門ホワイト大企業就職するか公務員になれるか

あるいは首尾よく高給取りの旦那を見つけて専業主婦にでもならない限り、二十代のうちの出産なんて到底無理な状況だった

勿論、社会制度がどうあれ自分自身モテないので結婚できなかったっていうのはあるけどさ。

でも同級生や同世代の同僚や友人には、結婚だけなら出来たけれど経済的に余裕がないので子供は諦めたって人が何人もいるし

そういう女性存在ってかなり多いと思うんだよね

現在高齢出産した女性やそれすらしていない女性殆どは、「若い時に産まなかった」ではなく、「産めなかった」だと思うよ?

anond:20220821104130

わりと妊娠デリケート特に人間女性にとって正常に妊娠して出産して健康長生きすることはかなり難しい

アフリカなどだと12歳くらいか妊娠出産できる、が、あまりに低年齢で経腟出産すると圧で膣壁に穴が開いて膣と膀胱がつながったまま癒着する、膣には校門括約筋もないので一生尿がダダ漏れのままになる。子供によって成熟の早い遅いはあるから、無理なく性交できる骨盤をもった年齢を個別判断するしかない。(昭和だと結婚前に婦人科にいくという行事があったらしい。男性勘違いしているように処女かどうかを検査するのではなく、まず子宮とか卵巣はありますか、双角子宮とかじゃないですか、経腟分娩できるくらいに骨盤がでかく成長してますかってとこをみる。)

・適齢期であっても低栄養体脂肪低すぎだと排卵がまともにおこらないので妊娠しづらい。だが先進国では男女とも恋愛至上かつルッキズム優先なので飢餓寸前のダイエット流行妊娠しづらい。特に女性オリンピック選手体脂肪一桁とかにして10年間ずっと生理排卵が来ないとかある。

・適齢期であっても過労だと妊娠しづらい。特に精神的に鬱状態だと男性と付き合うどころではない。薬を飲めば多少回復するが副作用で性欲が落ちるしデブる。男性にとっても「理解ある彼くん」役はつらい。

 一番うまくいくのが全く興奮しない相手でも抱ける・自分も起たないので見てるだけでいいとかいうおじさんとの不倫援助交際だがそのうち捨てられて性欲もないのに性産業に走ることになる。入門ドラッグみたいなもん。もちろん子育てなにそれ?だよ。これ以上手のかかる子供なんか要る?無理!

・性に忌避感がないし健康に性欲もある場合、性産業従事することが多い。これは経済的妊娠子育てができないため避妊するし性病危険性もある。今流行ってるのは梅毒放置すると目や脳に原虫が入りよだれをたらしながら手足を震わせて死ぬ。他に肝炎ウィルスHIVもある。

まり夜の電灯云々より清純さもなくば性産業というのがダメ

中学校くらいかお見合いでもしてろ、そのとき出産経験である親や婦人科から子供がうめる相手そうかどうかを口出しさせろ、産んでから大学に復学して子育てしながら社長になるマクド社長みたいなおばさんをバンバンつくれよって話。

2022-08-21

女が男にスペック要求するのは当たり前なんだよなあ


https://president.jp/articles/-/29351?page=1

もちろん、いままで女性男性経済データを重視しなかったわけではありません。そうではなくて、経済データを重視せざるを得ない状況ができてしまったということです。


30年前の被雇用者は、経済的に安定していました。ところがいまは、経済的に不安定若い男性が増えているので、経済データ結婚相手の条件に挙げる女性が増えてきたわけです。



経済データほどではないにしろ容姿身長男性が選別されるデータになっています拙著モテる構造男と女社会学』(ちくま新書2016年)に詳しく書きましたが、それは、じつは子どものためなのです。娘だったらルックスがいいほうがいいし、息子だったら身長が高いほうがいいので、自分のためというよりもやがて生まれ子どものために、男性経済データだけでなく、外見つまり遺伝子データでも選別される傾向が強くなっています

2022-08-20

自由主義者はどうやって政治的もの回避してきたか

自由主義は、政治やその舵取りをする国家と相性が悪いとされている。

何らかの対立が極度に達すると政治闘争に発展し、それには物理闘争暴力)の可能性を内包しているからだ。

そして国家には、その闘争正当化し、命じることができる交戦権がある。

暴力は、自由による競争個人財産侵害するため、自由主義者としては回避したい。

から自由主義者は、政治国家に対して自由の妨げになるようなものは扱わないでほしいと思っている。

また、特定思想宗教などに肩入れすると自由にも偏りができるため、それも批判対象によくしている。

だが、政治対立から逃れながら社会を維持し続けるなんて無理がないだろうか。

そこで自由主義者はあらゆる問題を「非政治化」する。

経済的だったり、倫理的だったり、個人的だったり、つまり政治的ではない何らかの領域」に押し込める。

戦争は損得の問題にしたり、信仰個人問題にしたりする。

これで政治的な問題言及されても、「これはそーいう問題ではなく、こーいう問題だ」というロジック回避できるわけだ。

はてブコメントでも、似たようなロジックを使う人はちょくちょく見かけるから何となく分かる。

ただ物事ってのは往々にして多側面的であるため、都合の悪い指摘を回避するために多用しすぎると詭弁になりやすい。

シュミットとかも「政治的なもの回避するために、結局は闘争に加担していないか」といった様なことを指摘している。

(まあシュミットが嫌っているのは自由主義のものではなく、政治闘争に加担していながら政治否定する姿勢のほうらしいけど)

ざっくり文献を読み漁った限りでは、こんな感じの解釈だけど、これをどうまとめればいいか

2022-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20220818053625

子供を産んだ方が経済的に得をする社会」って、少なくとも20年くらい前からはそうなってるよね

児童手当が配られて、保育園には入れるようになって、パパママともに育休を取れるようになって……

ベビーカーはいつでもどこでも畳まなくていいしTwitterで声を上げただけでカルディも動いてくれる

世の中どんどん子持ちに優しくなってる

なのに少子化は止まるどころか加速してるって事は

そのやり方そのもの問題があるんだっていい加減気付いて良さそうなものなんだが

まだまだ優遇が足りない!優遇は足りないか少子化が止まらないんだ!……ってカルトだよ

こっちがいくらそもそも子持ち優遇少子化対策になっているのか?」と尋ねても

少子化は深刻だから仕方がない」というズレた返答しか返してこないし

からさー、こっちは少子化解消という『目的』じゃなくてそのための『手段』の話をしてんの

なんでこうも日本語が通じないんだよ

主夫扶養控除対象にする意味がわからない

扶養控除って経済的生活力のない人のために、それを扶養する人のことは優遇しましょうねーってことであると。だから老人とか子供とか女性はわかるんだよね。

でも男は仕事できるじゃん?仕事できるのにあえて仕事選択してない人のことまで税金ケアするっておかしくない?働けよ。

当たり前だけど病気とかは除くよ。仕事できないんだから。でもそれ以外の男は仕事できるのにしないってことだよね?仕事できるのにしない人を扶養するから扶養控除もらうってそれもはや詐欺じゃん。

anond:20220819122635

現状はガチャを回す人より回さない人の方が経済的にずっと有利で問題から国はガチャ費用全額出せ

みたいな

ワイド団信落ちた日本死ね

さんざっぱら言われた事だけど、診断済みASD二次障害うつ病告知したらワイド団信落ちた。貯金と安定収入そこそこある正社員でもだ。

ニューロダイバーシティだの包摂だのキラキラ綺麗事をほざいても、所詮金融機関発達障害を拒絶する。

経済的に受容もしないなら、受精卵の時点で出生前診断スクリーニングしされたかったよ。

発達障害で悩んでるみなさん、ホワイト大企業に入れるように死ぬほど勉強面接練習しましょう。そして保険住宅ローンが通るまでは、絶対に、絶対に、絶対に、精神科受診するのはやめましょう。歯を食いしばって頑張りましょう。

団信は言外に発達障害を拒絶するのです。

anond:20220818053625

成人した子に親を養う義務を負わせれば、子供を産むことは経済的に得になるぞ

昭和前半までは長い間そうなっていた

それがなくなったからといって、公的資金で得させろといわれてもな

anond:20220818053625

これはガチリアルな話だが、昭和30年ごろまで本当に

基本的子供を産んだ方が経済的に得をする社会 」だった(実話)

何が得だったかって? {家内労働力が増える」だよ!!!

20世紀の中期までほとんどの世帯農家自営業個人商店漁師とか)

みたいな「家業」だったから家父長を中心に妻も子供も一緒に働くものだった

そしたら当然タダで使える従業員は多いほうがいいよね

それでどこの家も子供を5人も6人も生んだ(乳児死亡率も高かったし)

……しかぁし! 高度経済成長期以降、みんなサラリーマン世帯になった

子供は働かせるものではなく20歳ぐらいまで長々と学校に通わせるものになった

だって学歴がないと就職できない、おかげで養育費がかかって仕方ないのが現代

まり産業構造農村社会に戻すのが少子化解決の最大の策!!

実際にアフリカ最貧国は今でも一世帯に子供が5人も6人もいるではないか

ただし、それでは国際的経済競争にはついて行けずに国全体が貧しくなる

独身や子無しは別に好んでやってるぜいたくじゃねえんだよ

産業構造が変わって子供を持つことの損益基準が昔と変わったのが原因

これは近代個人主義思想とかフェミとか左翼かいっさい関係ない

文句なら蒸気機関株式会社発明した奴に言ってくれ(英国元凶

2022-08-18

anond:20220818221225

ところがどっこい、この国の国民移民も好きじゃないんだ、たぶん。

加えて、日本は目下、他所から移民に来てくれるほどの経済的魅力が急激に減衰している最中

なので、すでにほぼ詰んでる。

労働力不足は移民解決する

これが日本国民の総意

anond:20220818213043

増田は何か勘違いしている。婚姻制度ってのは、本質的には排他的性的接触約束する契約なんよ。

私たち社会では、結婚は、二人の人間の間の排他的性的接触契約である社会的に言えば、二人は、お互いに自分たち身体性的所有物として交換しているのである

常識社会学第二版 p.198

経済的社会関係を伴う男女の性的結合を制度化したもので,当事者所属する社会集団の規範により成立する。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

anond:20220817122615

経済的理由結婚できない人間もいるというのに金取ろうとは鬼かな。

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

anond:20220818111100

経済的余裕がないなら寄付ではなく献血とか無料で貢献できる方にシフトした方が良いと思う……

年寄りになれば体のどこかおかしくなるのは当たり前だし、週に何度もあっちこっち病院行くのもわからんでもないが

それでも今のあり方がいずれ経済的に成り立たなくなるのはもう目に見えているからなあ

どうせ自分恩恵与れる前には崩れているようなもの必死で守って、いったい何の意味があるんだろうって感じ

ひろゆき流行るの、みんな自分だけは上手いことやって助かると思ってるから

日本沈没している

経済的にもここ20年ばかり没落する一方だし、安全保障面でも周囲のキナ臭い空気に対して危機感がない

もう何年も国全体で共有できるような明るいニュースほとんど無く、大多数の人間生活が予想通り悪くなっていっている

ひろゆきインフルエンサーとして大衆の支持を集めている根本には

みんなの上手いことやれば自分は助かるんじゃないかという願望がある

世の中の隙をついて良い感じに立ち回れば、この沈みゆ大国から利益を吸い上げて逃げ切れるんじゃないか

そういう欲望ひろゆき人気を支えている

ひろゆき逆張り言説が受けるのもそのためだ

真っ当に考えればこの国の予後が悪いのは誰の目にも明らかだから、どこかに自分だけでも助かるための希望を見出さなければならない

その願望に入り込むのが、ひろゆき逆張り言説というわけだ

2022-08-17

ポリコレ金持ち陰謀

鬱陶しいフェミニスト自己中なBLM、そんなポリコレは全て金持ち目眩ましなんです。本質的問題は富の偏在、経済的格差社会階級固定化、こういったところにあるのです。そこから目を背けさせるためにジェンダーがどうの人種がどうのといった取るに足らない問題大事にさせているのです。頭の悪い人達簡単洗脳されるのでこういった取るに足らない問題に熱を出してしまうのです。本当の敵は金持ちです。金持ちを焼くしかないのです。ポリコレ金持ち陰謀なのです。まだ分からないんですか。

2022-08-15

anond:20220814061641

増田子供に産まれたこと後悔させるような親からまれしまったのかわいそう

わりと親ガチャ勝ち人生から生殖被害とか思ったことないな

ちな将来的に子ども作ろと思ってるけど、それは遺伝子経済的に優れた親からまれ幸せ人生を少しでも多くこの世に残すためや

生活習慣病」という言葉自体は悪くないと思うんだよなあ

よく、「生活習慣病」という言葉槍玉に挙げられるけれど、

個人的には生活習慣病というネーミングそれ自体は悪くないと思うんだよな

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/life-style-disease-hashimoto-1

ここにあるように、

『むしろ時間生活の余裕があるかどうかだと思います糖尿病や高血圧のための食事はそれなりに注意して用意しなければならない。

時間も手間もかかるのに、その時間が買える人と買えない人がいる。

お金だけでなく機会や時間など多次元的な意味で「貧困」が健康を左右しているのです。』

こういう関係性を把握する事自体有意義だと思う。

問題なのは生活習慣は個人自己責任である」という考え方にあるんじゃない?

だって普通に考えたら生活習慣って労働時間経済的余裕に大きく左右される事が簡単に分かるだろうし、

それは元を辿れば当人にはどうにもできない親ガチャという要素が大きく絡んで来る

貧乏人の方が生活習慣が悪い、金持ちの方がバランスが取れた食生活が出来る、とはもはや定説になっている訳で…。

生活習慣」に焦点を当てる事自体別に悪くないよね。

そこから貧困をなくそうとか賃金を上げて所得格差を減らそうとかいう方向に行くべきだったんだ。必要なのはけして個人に対する医師による「指導」なんかではない。

必要なのは生活習慣病」という病名をなくす事ではなく、「生活習慣は個人努力で全てが決まる」という考え方をやめる事だと思う

2022-08-14

anond:20220814162704

仕事家事もまるでできないタイプから仕事パートギリギリ扶養に入らない程度しか稼いでないし、

家事は失敗ばかりでフォローするのが大変。そのくせ他人には厳しいかこちらのやり残しにはずーっと文句言ってくる。

しかセックスレスめっちゃいらん。一応経済的にはプラスから・・・我慢してたけどいなくなっていないことのありがたみがよくわかった。

「早く孫の顔をみたい」と「非出生主義」

上手くまとまるかはわからぬが、言いたい放題言われるがままの状況に辟易しているので、この場で気持ちの整理をしたい。

非出生主義とタイトルには挙げたが、それに絡むだけで単なる日記にすぎないのだが、無論、昨今はその話題世間では言語化

が達成されていない状況にあるように思われるので、その点も解決することを主眼においた内容になることと思う。

推敲はしないいわゆる殴り書きにはなるのだが、それで十分である

最近、早く孫の顔を見たい、淋しいと親に言われることがあった。まあ、お盆なので、どこでもよく見る光景なのだろうが、

正直、毒親育ちだと仮に、子供が生まれても、親にはできるだけ会わせたくないと思っている。

どうして、わざわざ病質的環境大事な人を巻き込まないといけないのか皆目、私にはその理由がわからないのだ。

しろ嫌悪しており、阻止しなくてはいけないと言う使命感さえ持っている。子供は敏感にそういった、異常性を察知するものでもある。

から侮蔑眼差しを受けていることを目の当たりにしては、親も狂いそうになるのではないかという憐れみの念があることも忘れないでいてほしい。

「いやいや、そういうことではないのだよ」という所詮子供の分際でバカにするなというものもいるだろう。(随分とふてぶてしいとは思うが)

まあこの手合でもあるのだが、これは答えが明白だ、親の権威性を振りかざしたいだけ、そして耄碌しているだけなのだから底が知れている。この件は以降触れない。

また、「単にに孫の顔がみたいのだよ」と食い下がるものもいるだろう。

なぜそのように考えるのだろうか。

すっとぼけてみたものの、まあ、いうまでもない。

単に生物的な本能として、生殖連鎖確認したいということに違いない。それが安心なのだ

まず、この私の内心と親の心情の間にある距離感はいわばヒリヒリとした長年の確執の賜物と思わずはいられない。

私の関心事は個人(ここでは子供)の尊厳にある一方で、親はより本能的な生物欲求立脚する主張となっている。

概して、孫は見込めないと思っている前提で親は話しているのだろうが、私は子供は作るつもりでいる点は異なる前提にあるのだし、

自身子供を作ったのにお前はという強迫も含意しているように思うと、言われる筋合いはないという苛立ちとともに、

「ああ、こちらの思っていることもまた理解できずにいるのだな」と、自身が抱く親に対する恨みの思いは正しかったのだと、

やはり毒親はどこまでも変わらないのだなあという絶望感が増す一方なのだ。これまで同様、距離を置き、狂気から逃れる他ない。

毒親問題というのは本人にとっても苦悩するものだが、往々にして、毒親の親も毒親であることを疑ってかかるとよく当たる。

毒親が私と同じ境遇の時にどう感じていた所までは私と同様であるから改めて書くまでもないだろう。

ただ、親と私は強迫に対する解決方法が違っている。それだけのことという代物ではなく、それこそが本源的な違いなのだと私は思っていて、

この認識の断絶に隔てられているままでは解決不可能なのだと思う。深い絶望がここにはある。

これは一人の人間としての尊厳・生きる意味問題である。その場のお気持ちだとか世間体だとかで支配強迫したところで、尊厳は奪おうとするのは

虐待しかない、非道い話なのである。(この支配から解放を願うというのはウクライナ戦争にあるウクライナ人も同じ心地にちがいない。余談だが。)

とはいえ、ここまで私を苦しめる親とは一体何者なのであろうか。何様なのだろうか。私の友人もこうした苦労をしているのだろうか。

この答えは私は持ち合わせていないが、私のような立場であればこうして心から叫びを発せざる得ないほど追い込まれる状況になるかもしれないことを思い

配慮批判することだけはしないでほしいと思うし、心にもない世論形成には加担せず、無視せず、信念に基づいて行動してほしい。

なぜなら、この、人間関係の構造は今話題山上と同じなのだから

そして、こうしたいきさつを各々が抱えているというのも、出生率低下の副因になっていると思う。勿論、経済的理由もあるのだろうが、貧しいのは金銭的なものではなく、精神的な側面にも潜んでいることを見落としてはならない。公園に苦情する地域社会というのも良い例である

またも、「いやいや、私はそれでも産んだ」という上から目線のものも出るだろうが、正直言うが、そんなあなた自分毒親確率がだいぶあると思う。

しろ、教えてもらいたいのだ、毒親でなく、不信感なく親の言うことが正しいと信じられるその理由が。

毒親に何を聞いても間違えたことばかり教えられていると、毎日が辛いのだ。

お前いくつだよというかも知れないが、それは良い指摘である。いくつになっても親は親、子は子なのだ

どんな間違った親で、洗脳が解けない親であっても、いくつになっても親のためを思っていることは根底にあって、

そこはしっかり外していないことを思い出してほしい。

このもつれた情念和解の道に通じる希望見出したいものだ。ただ、今はそれに気づけただけで良しとして、筆を置くとしよう。

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