はてなキーワード: 疾走とは
(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)
(ネタバレ注意。)
そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。
スター・ウォーズの世界は、その全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている。
ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。
だから、正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき、大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じにしかならなそうなのに、どうすんだと。
何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。
そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。
全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。
スターウォーズの世界設定では、ジェダイは世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛や結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界の歴史においてはep4~ep6の出来事が例外的なのである。
また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルークの家系が代々続くジェダイの家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖を比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。
ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代のライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいるから、おまえいらない」と言われる心配が無い。
ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別なジェダイなのである。
ジェダイだのフォースだのも、ルークの活躍を支援するために存在する。
ジェダイの思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルークは師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)
ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)
反乱軍の兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。
ライトセイバーやビームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。
このように、ルークの活躍をストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。
そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。
ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。
そんな退屈な平和。映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和。
ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。
観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。
カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆でジェダイになるなんて話が見たいか?
みんな大好き「血統の物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。
ベン・ソロがダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。
無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。
ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。
マスクの扱いが象徴的である。ダースベイダーにとって、マスクは生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスクは特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。
ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。
ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。
みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統の物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズは血統の物語じゃなくてもいいんだよ。
ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。
ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。
ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロがダークサイドに転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイの出自とか、レイロ(レイ/カイロ・レンのカップリング)とかは良かった。
特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。
なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去の正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。
みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るからに威圧的で尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。
ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。
カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから、自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。
レイはシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通のライトセイバー戦で終わってしまった。
で、キスしちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味なキスシーンよりはマシだったし。)
レイは自分のことを「レイ・スカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。
ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。
かといって、レイ・パルパティーンとか名乗られても、銀河に悪名高いシスの名前だからちょっと不穏すぎる。
このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロのファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイ・ソロって名乗るも、やっぱり違う。
書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。
まあ、ぶっちゃけスターウォーズに人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだから。スターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙を疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞。
ep7で、レイがスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーのマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージを言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。
ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。
ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススターの設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。
ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。
帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。
面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティブデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。
あと、バトルドロイドの可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎドロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。
だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。
で、囲み盗撮に遭遇した。
囲み撮影というのは、あまりにもコスプレ撮影のカメラマン待機列が長くなると、大勢で囲んで一気に撮影するというアレだ。
で囲んで撮影するわけだが、周囲を囲んでる前列があまりにも近い。したから明らかにスカートの中身を撮影している奴が多数いた。レイヤーさんはやめてといってもまるで収拾がつかない状況だった。外から状況を見ていて、こらあかんな、と判断し、周囲のスタッフを探した。だがここで問題が一つ。スタッフが見当たらない。大声でスタッフを呼ぶも、どこにもいない。他にしようがないので、全力疾走し、防災公園のコスプレ本部に報告し、状況を説明し、スタッフを件の囲み撮影の盗撮のところまで連れて行った。
その後の顛末はその場をすぐに離れたので知らない。遠くからみるとスタッフが迷惑撮影禁止の看板を高く掲げて警戒していたようだった。しかし、未だにあんな盗撮を堂々とする人間が多数いるのかと唖然としてしまった。
で、ここからが本題。
まず1番最初に頭をよぎったのは「見なかったことにしよう」だった。そこで、無理やり囲みの中に入っていって、無理やり盗撮をやめさせれば格好いいのだろうが、そんな度胸も腕力も持ち合わせてはいない。スタッフを呼ぶというのは、まあ及第点の対応だったのだろうかとは思う。しかし、盗撮連中は罰を受けずに明日も明後日も防災公園で撮影を続けるかもしれない。やっていたのは4-5人だが、少なくとも数人は犯罪者がゴロゴロいて、レイヤーさんが被害にあったことは間違いない。スタッフを呼ぼうにも、防災公園は広すぎてスタッフの数が足りてない。こういうときにどう対応すべきなのか、どうしたら予防できるのかよくわからない。盗撮屋の顔を動画撮影して警察に持っていくべきなのだろうか?
初めてまともにボス練習してノーダメージで倒せるようになったボスなので一番心に残ってる。なのでこのBGMが流れてくると頭の中にコーラルリフの攻略パターンが浮かぶ。
キングコンガのBGMも大好きなんだけど、キングコンガ自体があっさり倒せることもあって、心に残るのは断然コーラルリフのBGMだと思う。
あと、リズムに乗って動く関係上綺麗に楽器を処理できた時の爽快感が最高。
当時プレイしてた時、ホットペッパーのCMが流行っていたので「ホットペッパーホットペッパー」と歌詞をつけていたぐらい好き。
他のチャンピオンも荘厳な感じで威圧感を感じるんだけど、ダイゴのBGMは疾走感があって「強大な壁を超える」といよりは「お助けキャラ(兄貴分)を超える」ようなイメージがあって良い。(フレンドリーなチャンピオンって多分ダイゴからだとおもう。)
実際、初めて戦った時はラグラージのじしんのPPが尽きていたので苦戦した。ほのおタイプのポケモンもつれていなかったし。
死ぬほど聞いた(比喩ではない)。発売日からプレイしてたが、ちょうど発売日の夜からPSNが不調になったので白に助けてもらうことも出来ず、ソラールもどこにいるのかわからないので最後はオーンスタインが柱にハマってくれたおかげで矢をありったけ打ち込んで倒した。
ダークソウルやったことある人ならだいたいこのBGMかグウィン戦が好きっていいそう。でも、2番目に自分が好きなのは鐘のガーゴイル戦。
最初はこのステージが本当に苦手でスピードランでもこのステージだけはどうやっても安定しなくて(ドローンがいるところ全般)、色んな人の動画みて少しづつ攻略を練って、スムーズにノーミス走破出来るようになった時に初めて「このBGMいいな」ってなった。
ここ最近やったゲームのBGMで多分1番好き。これ流しながら車走らせると気持ちが良い。トラックシミュレーターでもだいたいこれ流してる。
常に良い人でありたい。他人から不快に思われたくない。一時的でもいいから居場所を確保したい。
自己承認のキャパが足りない。どうしようもない疎外感。「ここにいてはいけない」という気持ちが細胞の核、奥にまで染み付いて離れない。
理解されない。自分の人生を肯定できない。それでもいいと言われたい。
実際話して、それでもいいと言われ、一瞬の居場所を得たけど一瞬だった。
やはりその人たちも「良い人」「都合のいい人」の私が「それでもいい」のだった。一番近くにいる人だけど、もう本音は話せない。
普通を演じている。自分の半径十数メートルかが世間、とはよく言ったものだとおもう。何の弊害もなく学校に行けた過去があって、化粧もできて好きなものに囲まれて毎日楽しくて、仕事にやりがいも誠意もあって、やる気に満ちてます、ご飯が美味しいですね、大丈夫です、次は何をしましょうか?
そんな過去も気持ちも微塵もないのに虚無に笑顔貼り付けても全然問題ないのはどうかと思ったけど、別にどうでもいいのだろう。
少し前まで頑張れてた。
普通の中に自分が組み込まれている感じがした。安心感、充足感、安堵感に満たされた。毎日全力疾走で、体力がなくなろうとも普通の中に居られるのが嬉しくて頑張れてた。一瞬の居場所は疎外感を忘れさせてくれた。
普通でいるとそれだけで承認される。人は共通点に惹かれるものだから、やはり普通で居た方が理解されやすい。偽った普通でもいいのだろう。
私はあなたのような充足感に包まれた人生を送り、何度か挫折したもののやっと立ち直っていま頑張ってるところなんです。
普通の人は私を「わかる」といってくれる。わかる?他人をそんな簡単に理解できる?生い立ちから人間関係を踏まえ、積み上げていった思考回路と感情は想像がたやすい?それとも普通の人は少し話しただけで他人を理解できる能力があるのだろうか?
ここにきて自分がなんども「普通」という単語を出していることに気づく。
わからない。普通がなんなのかももはやわからない。ただ自分以外の他人と、自分との間にはどうしようもない溝、格差があるように思えて仕方ない。そう思った方が楽だからそう思ってるのかもしれない。
きっとこれは他人にとってどうでもいいのだ。
大事なのは自分以外の他人が「不快」でないか「無害」でないか「いい人」であるか。
人間関係は結局そこに起因していく。本音がどうであれ、どうでもいいのだ。
私なんて、どうでもいいのだ。
https://note.mu/satonao310/n/nd7256bae4a27
この記事とブコメが酷いのと、サッカーのファウルについて勘違いしている人が多い。
まず、サッカーは審判の言うことを聞かない、とかいうこの記事は何か勘違いしていて
サッカーでレフェリーを欺くようなプレー(シミュレーション)をすると、一発でレッドカード退場になります。
有名どころではかの有名な2002年ワールドカップのイタリア・韓国戦で
当時のイタリアのエースだったトッティがペナルティエリアで倒れたのをシミュレーションとして一発退場になりました。
(まぁアレが本当にシミュレーションだったと思ってる人はほぼ居ない気がするけど)
ともあれ、審判に口答えしたら基本的にはイエローカード、もしくはレッドカードなので
審判の言うことを聞かないとか欺くとかいうことは誰もしません。
というか、残念ながらほぼ全てのスポーツで審判の言うことを聞かない奴なんかいません。
ベースボールも審判の言うことは絶対で、昔の日本の野球では審判の言うことを聞かないことが多く、外国人助っ人が驚いたっていう話はよく聞きました。
で、ごくごくたまーにそういう奴がいて、たいていの場合はレッドカード退場とかになるんだけど
「あんなんで転ぶなよwwww」
みたいなのをよく見ますが、全力で走ってる人の足を引っかけたら転びます。当たり前です。
歩いてるときならリカバリできたとしても、全力で走ってる人間は転びます。
しかもだいたい後ろから引っかけられるので気付かずに転びます。
そもそもスライディングに来るのが見えたら避けようと無理な体勢になるので場合によっては転びます。
野球のボールなんてスローなら打てるでしょ、とか、イレギュラーバウンドも捕れるでしょ、とかいうぐらい意味が無いです。
てか、ラグビーも転んでるよね?そりゃタックルされたら転ぶけど、ちょっと触られただけで転んでるよ。
ラグビーは転んでラックに持って行くから誰も指摘しないけどね。
倒れた後になかなか起きないとか、イタイイタイしているのはどうかっていうのを聞くけど
で、しばらくしたら元気に走ってて「なんだあいつは!」みたいに言われることもあるけど
痛いのに頑張ってピッチに戻って「本当は痛くないんじゃ無いの?」とか言われることほど悲しいことは無いよね。
ただ、サッカーファンからしても中東の時間稼ぎ作戦は本当に見るに堪えなくて
FIFAは本当にどうにかして欲しいと思う。最近はマシになってきてるけれど。
どちらにしろ、スポーツのチーム同士や選手を批判することは百歩譲っても
スポーツそのものを批判するのはいい大人のやることじゃないよね。
20代半ばを過ぎ仕事に自信がつき始めた頃、現役で東京大学に通う男性の筆下ろしをした。3本。手前味噌だが私は容姿に優れている。胸こそ味気ないCカップだが、顔面や頭身の良さには自信がある。有名私大卒業後、外資系企業に勤め現在の年収は900万。正直何も苦労したことはないし、自分にも自信がある。モテる。
困ったことに、童貞が好きで仕方ない。どれだけ社会的にステータスが高かろうが、心が優しかろうが、性行未経験の男性には全く敵わない。なぜ童貞たちは童貞であることを恥じるのか。ああ、その恥じらいさえも愛おしい。
童貞であれば誰でも愛おしく思える訳ではない。大きく3つのポイントがある。まず一つ目は「今現在、童貞である」という状態を説明するに十分なエピソードを有していることだ。具体的には、湧き上がって仕方がない性欲を我慢してまで何に時間とエネルギーを費やしていたのか、いかにこの対象に価値があるかを語れるかが重要になる。私が嗜好する東大生の場合はそれが勉強だ。デートの際、行為に移る前は必ず、どれだけ勉強を頑張ったのか、それはどれだけ大変なことだったのかを話してもらう。自分が頑張ったことを話し褒められると、自然と彼らは自信を持ち始める。お姉さん褒めて、と言わんばかりに模試の順位自慢まで始められた日にはたまらなかった。
2つ目は圧倒的な最高体験を積んでいることだ。申し訳ないが自堕落な生活や平凡な人生を歩んできた童貞には、一切の愛情が湧かない。自他共に「凄い」と思える成功を納め、一見誰もが羨む人生を歩み始めているものの、「童貞」である自分を恥じながら生きる。このコントラストがたまらない。お姉さんはついつい「そんなことで悩んでいたの?可愛いね」と、内腿を濡らしながらハグしてしまう。
3つ目は上手くSEXが出来ないことだ。技術革新に繋がる高度な研究をしている彼や宇宙の流れを解析している彼も、難しい数式や言語を扱えても自分のおちんちんはハンドルできない。いざ行かん!と張り切って出陣するものの、結局最後はお姉さんに手綱を委ね甘えん坊やになってしまうんだからたまったものではない。これもある意味コントラストだろう。一生懸命な様子で初めてを経験しているこの子の頭の中には、たくさんの学が詰め込まれている。それなのに上手く自分を扱えないなんて!お姉さんがお手伝いしてあげる!と、我慢できなくなる。
男は竿ではない、才能と努力だ。これは竿的な意味ではなく、これまでの人生でいかに自分と向き合い研鑽を重ねたかということだ。貴重な青春時代に全力で何かに挑戦しその成果を納めた竿君たちは童貞であることを恥じる必要は全くない。恥を知らなければいけないのは努力を怠り自分に甘く生きてきただらしのない男たちだけだ。努力出来る人間と自分に甘い人間、どちらの方が多くの女性にとって魅力的であろうか。これは決して童貞に限った話ではないのだ。
エリート童貞好きは大変だ。私は歳をとるためいつまでも若い男の子に相手にしてもらえない。また、無事筆下ろしをしてしまったら彼はnot anymoreだ。自分で自分の宝物を手放す寂しさを感じ続けなければいけない。いつまでも続けることができない有限性も熱くなってしまう理由の一つかもしれない。
童貞のみんなには女の子を気持ちよくさせる方法を調べる前に、目の前にある自分がやらなければいけないことを確実に行い、旗を高く掲げ、そこへ全力疾走してほしい。ゴールについた時にはきっとステキな女の子があなたの隣にいるから。
ニンジャスレイヤーこそが現代日本のリアル忍者だということを主張したい。
ニンジャスレイヤーは一見奇天烈な道化師を装っているがその実徹底してネットユーザーの逆鱗に触れぬよう賢く立ち回っている。
あたかも儀礼的チャドーのイエモトがムラハチトラップをかいくぐる様のようだ。
ちなみに私は一部とwikiを読んだだけのにわかヘッズなので新章では以下の駄論が否定される展開があるかもしれないことをここに断っておく。
私は原作者が本当にアメリカ人かどうか怪しんでいるが、というのも普通欧米人は日本の物と朝鮮の物を区別できないからだ。
愛国者の方々からすれば憤懣やるかたないであろうが外国人からはアジア諸国の区別などつかないし日本人が信じているほど特別扱いしてもいない。
アメリカ人も日本について全然知らない。スシと日本車の国でしかない。重要なパートナーという思い込みは日本人の片思いなのだ。
カラテやその他の武術にはあらゆる流派が含まれているがテコンドーだけは省かれている。
テコンドーはアメリカではかなりメジャーな武術で軍隊の教本でも言及されているほどだ。
日本のネット事情をわかっていて意図的に省いたとみるべきだろう。
それも有名すぎるほど有名なマジックモンキーとか鉄拳などでおなじみのポンパンチ(崩拳)のような『安牌』に限っている。
日本人がギリギリ許す線をイアイドのタツジンのごとく完全に見切っているのだ。
第二にパチンコの扱い。
パチンコ店が襲撃されるシーンがあるがこれも日本のネットユーザーの怨嗟の対象を知った上でのことだろう。
企業批判という大義名分を装うことで差別性がないことを弁明しつつネットユーザーの留飲を下げる展開に持っていくのだ。
ヨゴレ役も我らがニンジャスレイヤーではなくキリステ可能な戯画的な共産主義者であるイッキウチコワシに押し付けているという点もワザマエ。
はっきり言えばニンジャスレイヤーは日本ネットユーザーに媚びているのだが、しかし差別性はなるべく出さないように注意が払われている。
ただ媚びたいだけなら数多あるヘイトコンテンツの後を追えばよいが、それは客層を狭める上に炎上の危険が付きまとうゆえに避けられているのだろう。
ニンジャスレイヤーで悪役を務めるのは大企業だがこれはサイバーパンクの伝統というだけでなく『安全に批判できる』対象であるという点も大きいのだろう。
一方かませ犬役にはヤクザ、ジョック、無軌道ヤンク、カルトなどのネットユーザーの敵を的確に選んでいる。
ここでも彼らがカチグミまたは横暴であることを強調して差別性を薄れさせる細工を怠らない。
マケグミたちは地の分で同情しつつ弄ぶことで観客の嗜虐心を満たしつつ涙させる感動ポルノの王道を行っている。
日本批判的な文言は少なくないのだがいずれも『効きすぎない』程度の物、日本人自身が自虐的に言及できるものに限っている。
あるヘッズが「ニンジャスレイヤーを楽しめる俺たちは寛容。韓国版があったら大炎上していたことだろう」と言っていた。
彼は完全にジツ中にはめられている。
あたかも道化師が王が耐えられる程度に嘲ることで王の寛容さを衆目に喧伝するかのようだ。
ニンジャスレイヤーは破天荒な展開と素っ頓狂な忍殺語を吐きつつも『誰も敵に回さないように』綱渡りの曲芸師のごとく的確に立ち回っている。
ネオサイタマは炎上させてもニンジャスレイヤーは決して炎上しない。
普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくらい典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。
選挙権を与えられて初めての選挙のときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一と中田考のせいだと思う。
特に外山恒一の2007年東京都知事選の政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。
イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一元管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。
消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。
私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。
しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰な人間が唯一可能な意思表示であり、一種の反射であるからだ。
多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。
投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。
それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。
投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的な判断を正しく下せるとは思えない。
しかしまあノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。
さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。
顔出しアイコンがインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民の意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者よ選挙へ行けと叫びだす。
選挙へ行かない人間は非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。
こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人に押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。
選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。
単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義に時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党や個人が存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間に選択を委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。
結果的にそれが自分に不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義は愚行権を正当化したのではなかったか。投票を棄権することそれ自体が社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。
もしあなたが特定の団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物やマニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか。
少なくとも私はそういう人間である。選挙自体を否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対に選挙に行きたくないと思う。
なぜ若者は選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。
この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。
タヌキチは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の王、カポエイライオンオーを除かなければならぬと決意した。
タヌキチは駆け出した。
必ず、かの酒池肉林の王宮ピィアールへと向かわねばならぬと決心した。
タヌキチには道順がわからぬ。
けれども、タヌキチが道を尋ねた人々は、人一倍に親切であった。
タヌキチは苦悩した。
必ず、かの悪逆無道の王を倒すと決意したのに。
けれども、タヌキチは、強くなることには、人一倍に貪欲であった。
タヌキチは奔走した。
必ず、かの深山幽谷に住む伝説の武術家に教えを請わねばならぬと思案した。
タヌキチは、その武術家、サイキックマスターの居場所もわからぬ。
タヌキチは修行した。
必ず、艱難辛苦を耐えて強くならねばならぬと我慢した。
タヌキチの全身は、タヌキ血に塗れ、もはや時間の感覚もわからぬ。
けれども、師匠の指導に対しては、人一倍に努力したのであった。
タヌキチは疾走した。
まずは残忍酷薄の部下を倒さねばならぬと疾駆した。
強くなったタヌキチには、メスイタチの門番をはじめ、部下は誰もかなわぬ。
けれども、王は、人一倍に強いと言われていた。
タヌキチは対峙した。
タヌキチは、修行の際、何度サイキックマスターに蹴られたかわからぬ。
王が蹴れども蹴れども、その攻撃は、人一倍に敏捷なタヌキチには当たらなかった。
タヌキチは退治した。
王は二度と民衆を虐げられぬ。
けれども、人一倍に繊細なタヌキチの心中には、一抹の不安が残った。
タヌキチは失踪した。
以暴易暴のタヌキチが、過度に賞賛されてはならぬと熟慮したのだ。
けれども、その姿と蹴りの力強さ、美しさは、人一倍に記憶に残った。
人々は、名も知らぬ英雄をこう呼んだ。
時短復帰の前、総務から「他の社員より勤務時間を少なくさせてもらってるのだから、しぬほどがんばれ(大意)」みたいな説明されたときは正直クソだなと思ったんだよね。
勤務時間少ない分給与は減ってるわけで、ちゃんと代償は払ってんだからトントンじゃないん??なんでより頑張らないかんの?同じ頑張りじゃだめなん???て思ってたんだけど。
でも実務はどうしたって「急な今日中のタスク」が発生するし、自分が早めに上がるぶん、それは他の社員にやってもらわないといけないんだよ。
ごめんね、申し訳ない、ありがとう、って言ってなるたけのフォローはしてくけど、どうしたって不公平だよね。もしかしたらその社員だって口には出さないだけで「今日早めに上がれたら映画でもみよっかな」て思ってたかもしれないじゃん。でも保育園のお迎えのほうが正当な理由として通っちゃうんだよ。
日々の仕事は集中して効率化もできるけど、それって毎日全力疾走ってことでけっこうしんどい。今日気が抜けちゃったから残業してくかー、てのもできない。
支え合いとも言うけどさ、うちの子の手が離れて他の社員が時短復帰したらそりゃあ全力でフォローするつもりだよ。でも子供持たなかったら?ずーっと独身の社員はいつまでも割りを食うだろどうすんだよ、て言われると、まじで良い案が思いつかないんだよ。どうすりゃいいの。
しかも昨日は2年目の社員が当日必須の作業ほっぽって帰っちゃったから(お迎え遅刻してまでフォローしてったのに)、わたしにはその人にちゃんと注意するタスクと、翌日作業するタスクと、各方面にごめんなさいと再作業の調整するタスクが一気に乗るんだよ。毎日効率化(笑)で作業ギリギリなのにね。そこまでしても結局「やっぱ時短の社員は時間の融通効かないし使いづれーな」って思われたら?
しかもさ、真の理由は時短じゃないんだよ。こなせない自分の能力不足なんだよ。できる人もいるんだよ。でもそれで完結しちゃっていいんか?できる人に照準合わせて後を切るのはいまの時代に合ってるん?でもそれってただの自己弁護?
よくわかんないよ、どうすんだよもう。7億円当たりたい。
シュ~ビドゥビドゥビパパヤ~
あのさ
店員さん当たるまでクジ引かせようとさせたり、
カップ麺が当たっても飲み物がいいんじゃない?って飲み物を当て引くまでクジ引かせたり、
私はちゃんと断ってるのよ。
そんなことさせようとするのを。
私は景品が欲しいんじゃ無くて、
GLAYクジ引きを単純に楽しみたいのよ!
そう運試し!
カップ麺が当たっても今日のカップ麺運が強まっててよかったわ!って言いたいだけで、
別に悲しいときじゃなくてもがぶ飲みしたいビタミンフルーツウォーラーが欲しいわけじゃ無いのよ。
今度正直に言ってみるわ。
景品が欲しいんじゃない!1等のGLAYクリアファイルが欲しいんだ!って
この果てしない北の大地で思うの!
GLAYの曲かけながらジャスコまであと256kmって道しるべの看板がある日本一長い直線を菅原文太さんのトラック野郎一番星ブルースばりに疾走してみたいわ。
まあでも
そんなことよりさ
もうさ
今日雨がざーざー降りで超鬱陶しいんですけど。
洗濯機フル回転よ!
うふふ。
おにぎり買ってきてあったけど、
お昼かお夜食にするわね。
ドラゴンフルーツの白と赤が手に入ったので
こいつは縁起が良いわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ブラック企業でどんなに理不尽な仕打ちを受け続けても転職を考えないのは、自分なんて他の会社で働けるわけがないと卑下してしまったり、他の選択肢があることを考えもしなかったり、お前はいまここで恵まれているのだと上司や同僚に吹き込まれたことを固く信じ込んでしまったり、などの理由が挙げられる。あるいはまた、配偶者からひどい身体的・精神的な暴力を受けている人が逃げようとしないのは、逃げたところで今より状況が良くなる保証もないと考えてしまったり、自分を愛してくれる人が他にはいないと思ってしまったり、そもそも自分がいま受けているのはDVではないのだと信じ込むことで乗り切ろうとしていたり、などがある。本当は、現在の環境を「変える」ことは、ただ「変える」ことに過ぎないのだけど、それが逃げ癖と呼ばれてしまったり現実を直視できない人間だと批難されたりする。世の中は基本的にトライアンドエラー、試行錯誤というものが許されていない。環境を次々と変えていって、より良い場所を見つける、より良い方法を編み出すことが良しとされない社会では、いつまでも人はブラック企業に残って心身を病んでしまい、ブラック企業は末永くいつまでも栄える一方で、健全な企業が競争に敗れて消えていく。あるいは暴力や暴言で人を支配するような酷い人間によって人が縛り付けられて、どこかに必ず存在する優しい人に出会えないままで時間が過ぎ去っていく。不遇のときを過ごしている人が自ら呪縛を脱ぎ捨てて今とはまったく異なる選択肢に踏み出していくのは容易ではないようにも思えるけれど、だいたいの場合において人は疾走するトロッコ列車に載せられている訳ではなく、ただ単に自分の足で歩いているだけなのだから、いつでも曲がり角を曲がって異なる方向へ進むことができる。水際に向かって下り坂を全力疾走するネズミの群れではないのだから、いつでも自分ひとりで方向を変えて、下り坂から横道へ入ることができる。ひどく長い前置きのあとに政治の話をすると白けるだろうなと思いつつ政治の話をするのだけど、いまの自公政権を支持するのは、DV加害者やブラック企業から離れられない心理に近い。「俺と別れたらお前はひどい目にあう」「他の会社でやっていける訳がない」という言葉が、そのまま「野党はだらしない」「民主党時代は悪夢だった」という言葉に等しい。いまの状況が恵まれているのだと百回や千回繰り返すことで、そうかたしかに今が一番恵まれているよなと刷り込まれて行き、自分の生活を苦しめる政権を支持し続けることになる。今も苦しいけど他の政権に変えるなんてできない、という思考になる。だけど自分の行動は自分で変えられるのだし、変な言い方をすれば、配偶者を変えることに比べれば政権を替えることは容易い。自分の心や経歴に傷がつくことはないし、いつでも何度でも取り替えていける。だから、DVをふるう現在の政権からは、いったん縁を切ろう。6年も付き合って駄目だったんだから、もう我慢しなくていい。
みんな事件だ聞いてくれ。
とにかく話を聞いてくれ。
夏色
アクビだけで一日が終わってるわけじゃないよね? たまたまあなたが猫を見たときにアクビをしていたから「こいつ一日アクビしてるwww」って決めつけてる。サイコパスだよね。
>何も変わらない 穏やかな街並
歌う時は「何も変わらなっアアッアァーイ!」と歌います。明らかに歌詞が足りてない。
>みんな夏が来たって浮かれ気分なのに 君は一人さえない顔してるネ
「みんな」って誰ですか? あなただけでは?
>そうだ君に見せたい物があるんだ
「君に見せたい」んじゃなくてあなたが見たいだけでは?(これは後に証明される)
>大きな五時半の夕やけ 子供の頃と同じように
「五時半に見た大きな夕焼け」ですよね? 倒置法乙。
「子どもの頃と同じような 五時半に見た大きな夕焼け」ですよね? 倒置法の二重使い乙。
ほら「君」に見せたいんじゃなく、自分が見たいだけだろ
>海も空も雲も僕等でさえも 染めてゆくから
海と空と雲と「ぼくら」を比べている時点で比較の対象が違う。「さえも」って遜れば比較しても良いだろう、というのは間違い。「金もプラチナもダイヤモンドも、ゴミさえも」とは言わない。
「君」は荷物か何かかよwww 「乗って頂いて」だろ?
疾走感あるメロディのくせに実際はブレーキ握りまくりでノロノロ運転www 時速5キロも出てないチキン野郎www
>風鈴の音でウトウトしながら 夢見ごこちでヨダレをたらしてる
汚い
>Oh いつもと同じ網戸ごしの風の匂い
>休日でみんなもゴロゴロしてるのに 君はずいぶん忙しい顔をしてるネ
だから決めつけるなって。ゴロゴロなんてしてないかもしれないだろ。「君」は「忙しい顔をしてる」んじゃなくてほんとに「忙しい」んだっつの
>そうだいつかあの場所へ行こう
どこ?
>少しだけ全て忘れて波の音の中 包みこまれてゆく
>この細い細いうら道を抜けて 誰もいない大きな夜の海見ながら
海に行ったんですね、そういうことになってるんですね、ああはいわかりました
ゆっくりやってたら火、つかねーよwww
>いつか君の泪がこぼれおちそうおになったら何もしてあげられないけど
何もしてあげられない宣言するなよwww
>少しでもそばにいるよ
ほんっとにチキンだな! 下り坂くらい一気に下れよ!! 風も切れねーのかよww
以上です。
ご清聴ありがとうございました。