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はてなキーワード: 活字とは

2022-04-04

anond:20220404144556

出版社写植打つ段階でこのページにはこの活字、ってレイヤーデータ残しといて電子出版社に渡してくれればできなくはないのか…?

2022-03-31

anond:20220331203933

鬱のとき謎に活字が読めなくなるんよな。そのくせWebのなろうなんかは読めたりするから謎だったわ。

休むって何をすればいいっていうのは睡眠時間を増やすのがおすすめよ。

わかるだろうが普通にしてたら眠れないから、入眠活動を頑張る必要がある。

2022-03-15

小説読まなくなって10年経ってた

学生時代、それも高校生くらいまでは結構小説とか読んでいたけど、最近めっきり読まなくなってしまった。買わないこともないんだけれど、なかなか手が出なくて読まない感じ。

文章自体はこうやってネットとかを見ていると読んでいる……と言えなくもないけれど、小説を読むってのはほんとにしなくなってしまった。あんなに好きだったのに。

他に何もなかったから読んでいただけだったのか?と思うとなんかちょっと複雑な気がする。

大学生になってスマホを持つようになって小説に触れる機会が減ったというのはある。暇つぶしネットを眺めるとかSNSを眺めるとか当たり前になった。そんな風になってからもう10年くらいたつけれど、10年前は小説が主戦場というか本拠地だったのが嘘のように全然活字を紙で読まなくなった。さみしい。さみしいなら読めばいいじゃんと思うけれど、買ってもなんか全然手が出ない。

なんというかこう、興味はあるし読んだら面白いのはわかっているんだけど、とにかく気が進まなくなった。お風呂に入るのめんどくせえ、みたいなのとずっと同じ気持ち義務で読むものでもないから、そのまま積んでいる。極々稀に気が進んで読み始めると面白いんだけどな。ほんと。なんか身構えちゃうのかな。

絶対面白いのわかってても、いや絶対面白いとわかっているときほどシチュエーションとか舞台というか環境を整えようとして挫折する感じはある。どうせなら最高の状態で読まないと損だ、みたいな感覚。だからこそ面倒になっちゃうんだろうか。

2022-03-02

anond:20220302173342

なんでそこで漫画という表現媒体名に対して話を展開するのか。

問題漫画という表現媒体ではなく、そこで描かれる内容ににある。

フィクション現実戦争と結びつけて宣伝するなという主張の仕方をすべきであり、

これは表現媒体漫画だろうが活字だろうが実写映像であろうがアニメであろうが変わらないはずだ。

2022-02-18

 定期的に電子書籍と紙の本どっちがいいみたいな話題が出てくる。

 俺はいくつかの観点から電子書籍一本槍である

 まずスペースの問題だ。これはまっさきにだれもが思い浮かぶところだろう。実際、自分マンガやらラノベで2万近いとこまで行って、これはもう人間生活として限界だと思って、あるとき全部処分した。内田善美の本とか、もう二度と電書で入手できないこと確定みたいなもん以外、すべて。そしたら、信じられないことにモノがものすごく少なくなりました。びっくりしました。要するに俺の持ち物のほとんどは本かCDでした。あとエロゲの箱。

 で、万を超える物量感を体験している人間としては、もう二度とあの状態にはなりたくない。もちろん歩いてる本屋とかは見てしまうわけで、そうするとふらふらと入ってしまう。紙の本ってそれ単体が「モノ」であり、モノとして訴求する力を持っている。ゆえに買いそうになってしまう。1冊くらいまあいいか。そこが地獄入口だ。禁煙なんかと一緒である

 これだけの本を読んでいるということは、とうぜん活字中毒的ななにかである。出先で本を切らしたときになんでもいいか活字がないと死ぬと思って本を買った経験は一度や二度ではない。ある程度の期間の旅行ともなれば、10冊くらいは本を持っていくしかなかった。ついでにいうと音楽も切らすわけにはいかないので、かつてはカセットテープを10本とか20本持ち歩いていた。いまやこれがスマホひとつである。もうアラフィフなので思う存分老人仕草をすることにするが、いい時代になったもんだ。もっとも、これおっさんにけっこう多いと思うんだけど、ガジェットを単機能で持ちたがる癖があって、電書はKindle端末だし、音楽は、サブスク用のスマホ別に持って歩いてたりするんだが、まあそれでも本を10冊持ち歩くよりははるかにましだ。最低でも未読の本を5冊くらいは持ち歩いてないと落ち着かない。「この小さな端末のなかに文庫が100冊!」という安心感はなにものにもかえがたい。

 さら老眼の進行である。俺はドがつく近眼であり、かつ老眼もだいぶ速やかに訪問くださりやがったので、裸眼で見えるスイートスポットが異常に狭い。日常生活で使えて手元も見える遠近両用とか頭痛するし、肉体的に文庫活字を読むのがきついのである。その点、電子書籍なら安心だ。小1の教科書よりもでかい活字で表示できる。ディスプレーを見続けることによる目の疲れもKindle端末ならそれほど問題にならない。

 俺にとって本は消耗品であるスナック菓子を食うみたいに活字を食う。あるいはトイレットペーパーみたいなものだ。この手の人間にとって所有権がどうこうとか、貸し借りが云々とか、子供が親の背中を見てとか、そういうのはいっさい問題にならない。読めればいい。本屋営業時間を気にすることもない。なんならうんこしてる最中でも続きが買える。すばらしい。せめてそこはうんこ終わるまで待てないのか。

 もちろん電書にもデメリットはある。

 ブコメで頻出だった閲覧性、参照性の問題。これは絶対に紙に軍配が上がる。紙の本の「確かこのへん」でなんとなく探り当てるような探しかたって、シークバーではまず同じことができない。ただこれは単なるUIの問題である気もする。閲覧性でいうと、本棚よりも特定の本にアクセスするのが難しいというのもある。もちろん検索対応できないこともないのだが「確かあれ、あの、なんだっけ、海辺ボーイミーツガールで……あれだ、あのエモいやつを読みたいんだ。20年前に読んだきり本棚のどこかに放り込んだあれを」みたいなときに、電書の3000冊とかのなかから探すのはかなり骨が折れる。Kindle端末本体ではどうにもならないし、いざパソコンの前に座って購入履歴を、と思ってもあれなんか妙に目が滑りません? やっぱりこういうとき「モノ」が厳然として存在している、というのは非常に強い。実際、紙の本で持ってたときに「確かあのへんに置いた」で見つからなかったことってあまりなかったと思う。

 あとマンガな……。老眼に電書のマンガまじきつい。パソコンディスプレーで見る以外の手がない。マンガのながら読みっていうか、部屋でぼけーっと寝転がってるときにそのへんのマンガを手に取ってなんとなく読む、という行動は激減した。10インチくらいのタブレットで解消できる問題ではあるけど、これ以上ハード増やしてどうすんだ的な感じもある。

 電源切れとかは経験がない。そもそもモバイルバッテリーを持ち歩いてるし。あと端末の故障に備えて新品の予備は常に一台キープしてある。

 俺が思う電書の最大のデメリットは「すべての読書行動を電書のみに絞り込むことができない」ということだ。これはほんとでかいいちばん多いパターンが、新書なんか読んでて参考資料とか引用先で出てきたおもしろそうな本を買おうと思うと電書化されてなかった、というやつだ。またそういうのに限ってやたらおもしろそうだったりする。アマゾンで調べてる場合だと、1クリックでそのおもしろそうな本が(紙でなら)買えてしまうので、なおのこと心が揺らぐ。

 これは読書に限らず調べものなんかもそうなのだが、一定レベルよりも深堀りしようとすると、最後は紙の書籍に頼るしかない、という場面が頻出する。たとえば東ローマ帝国について調べていて、まあざっとした歴史の流れだとか、政治体制だとか、要するに概要を掴むくらいならネットでの調べもので充分だし、電書でも通史のたぐいはいくつも出ている。しかしもし、東ローマ帝国庶民食生活について知りたくなったら、電書ではどうにもならない。そこは学術書領域で、論文探してヒットすりゃいいけど、こういうニッチ研究ってたとえば1960年くらいに書かれた本がいまだに最新の研究だったりすることもよくあって、こうなるとお手上げだ。紙の本しか選択肢がない。

 これに限らず、マイナーな作者の小説だとか、古いタレント本だとか、古い時刻表だとか、とにかく紙の書籍資産が膨大であり、とうてい電書ではカバーできない。そして今後もおそらくは電書化はされない。要するに紙の本から完全に足を洗いたくても洗えない、というのが電書一本槍にしたときに最大の障壁となる。

 ま、図書館行けって話なんすけどね。なんでまあ、現状は「購入はほぼ電書、足りない分は図書館で」というかたちになっている。

 あと最後に、電書のデメリットとして日常的に多く使ってる人は感じてると思うんですけど、無駄に買いすぎますね……。講談社学術文庫とかよく50%ポイント還元やってますけど、ああいときやばい

 ついでですけど、アンリミは「なんでもいいかラノベ読めればいい」みたいな人間にとっては、けっこうよい状況になってるので、おすすめです。ただし1巻だけ対象でそれがおもしろかった場合地獄みる。向こうも商売から、まあ考えるわな。

2022-02-01

https://anond.hatelabo.jp/20220131170855

かもめ來よ天金の書を開くたび 三橋敏雄

蛤も虹も虫扁砂吐かす 伊藤白潮

夜長人わけても活字拾ふ人 高橋睦郎

草餅を焼く天平の色に焼く 有馬朗人

花冷えの底まで落ちて眠るかな 古館曹人

にんげんはもういやふくろうといる 石牟礼道子

闇汁の杓子を逃げしものや何 高浜虚子

https://anond.hatelabo.jp/20220130195853

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く 奥村晃作

履歴書写真がどう見ても菩薩いちど手を合わせて封筒へ 山川

校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中夕焼け 穂村弘

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て 東直子

濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ 齋藤

もういやだ死にたいそしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい 岡野大嗣

われの一生(ひとよ)に殺(せつ)なく盗なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は 坪野哲久

家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな 大滝和子

たそがれの空は希望のいれもの外套ビスケットを投げあげて 寺山修司

賞味期限消費期限のいとはしき冷蔵庫内だいこんズドーン 大松達知

ざっと思い浮かんだ好きなのを羅列してみた。ムーオカルト短歌も好き。

2022-01-09

人と話したら話した時間分の活字を読みたくなる

これ分かる?

家族は平気だけど、それ以外ならわりと親しい人でも2時間一緒に飯食って話したら、2時間一人でスマホ雑誌小説かなんでもいいか文字を読みたくなる

文章を書くのでも可。ちなみに今もその作業の一環

それがないと通常の自分に戻れない

同僚や客と職場仕事の話は平気だけど、同僚と飲みになるとやはり飲んだ時間分の読書的なのが必要

2021-12-21

anond:20211221144023

虐殺器官個人的にはとても良かった。アニメクオリティも高いし。

言語には、文法には力が有るのだ!ってギミックは。活字好きな人達がほっこりするよね。

そりゃあまっすぐエンタメしてるわけじゃないから何が良かったのって言うのも分らんくは無いけど

面白く無くてもSF読んでる人たちが歓喜する程度には最高だったよ。

2021-12-11

anond:20211211150442

飯田一史@cattower

書評は高尚だから存在できてるんじゃなくて版元やメディアにとって利用価値があるからその枠が用意されて金銭が支払われているにすぎない。紹介した本が売れるかその媒体に客が来るかという効果がありそうかどうかで判断されている。影響力のあるTikTokの本紹介動画をくさすのはお門違い。

午前5:50 · 2021年12月11日

まぁわかりやす煽りだ。元ツイにそんな言は無い。豊崎自身書評を高尚とポジショニングしたことがあったか

豊崎の該当ツイートに連なっているリプライを見るとわかるが、(豊崎書評を読んだことがないであろう人々が)活字書評にはPR効果がない、それに比べてTikTokはPRとして強力だ、という趣旨批判が多い。

豊崎書評  活字 古い  評論 PR弱 高尚と思い込んでいる

vs

TikTok    動画 新しい 広告 PR強 中高生が見ている

という見事なアングルになっている。

飯田としてはしてやったりであろう。

anond:20211211150442

豊崎由美老害老害呼ばわりしている連中、豊崎のことをなんだと思っているのだ?

無名? TikTokerに比べて影響力が無い? だったらSNS好き嫌いを語っただけで悪影響はないだろ。

本紹介TikTokerに影響があたえるほど有名な書評なのだとしたら、それはそれでTikTokとは別の活字書評での存在意義はあるだろう。全否定するほどではない。

どっちなんだよ。

そしてけんごがすぐに休止を宣言したことはOKなのか?

比較するのは失礼だが、

ある男性ミュージシャン週刊誌不倫報道不倫否定し妻との関係を強調し休業宣言週刊誌批判殺到

というかつてあった、休業といえば「被害者」扱いされ世論を味方につけるとこができるという戦術彷彿とさせるものがある。

(ちなみにそのミュージシャンはその後妻との離婚で揉めており、特に休業はしていない)

錚々たる面子SNSでけんごを擁護、慰め発言しているではないか

TikTokを休むが「Instagramでの小説紹介は続けていきます。」と発言している点には触れないのかよ。

けんごは「PR動画を1本も上げたことないです。」と述べていて、それは偉いのだが、もし本紹介TikTokerの影響力が強まるとすれば、行きつく先は化粧品ファッション等と同じ道である

インフルエンサーPRとしてメーカー代理店から金をもらい、SNSステルスだったりステルスじゃなかったりして宣伝しまくる、そんな道だ。

それでいいの?

つーか、はてブの連中、豊崎叩き(豊崎書評を読んだことある人も無い人も入り混じって)で盛り上がっているが、当の本紹介TikTokを見ている参考にしているとコメントしている人、全然いないじゃねぇか。年齢層がバレるぞ。

2021-11-24

第2章 HELL OR WORLD

前回 https://anond.hatelabo.jp/20211123000849

言うまでもないが私は小学生の頃からずっと自殺をしたがっていた。

住んでいたマンションベランダから飛び降りれば、途中で運悪く引っかかったり突然車がやってきて転がり落ちない限りはまずもって死ねる高さがあった。

そこから飛び降りればいつだって自分人生は終わる。

ある意味でそれが最高の精神安定剤だった。

もしも人生が失敗続きでも死ねばいい。

死ねば終わる。

から大丈夫だ。

そう自分に言い聞かせ、言い聞かせられて育っていった。

中学校に入って私にも友達らしいものは出来た。

やはりというか、その学校には「人付き合いが苦手だから勉強する時間が取れただけの自閉症もどき」が沢山詰め込まれていた。

私はその中で比較漫画アニメ趣味が合う相手友達付き合いをした。

とはいえお互いに結局は一人が好きなので寄り道もせず通学路を通り、電車が別の方向に向かったら振り返りもしなかった。

あくま学校生活で孤立せず、退屈を紛らわすための道具程度の距離感であった。

結局彼らとはその後連絡も取り合っていない。

私には幼馴染は一人も居ない。

中学受験が終わった辺りから将来についていよいよ考える必要が出てきた。

普通にサラリーマンになったのでは、どう考えても私は潰れることが分かっていた。

なにか手に職をつけよう。

そう考えて私はひとまず身近なものを考えた。

中学受験終了後、私はずっとゲームをやっていた。

活字はなんとなく勉強っぽいから関わりたくなかったし、漫画学習まんがの読み過ぎでちょっと苦手になっていた。

一時期はいじめっ子の方が上手いからと嫌いだったゲームも、RPGとかだったらレベルゴリ押しすればいいか自分でも出来ると思ってよく遊んでいた。

ゲームを作ろう。

当時の子供の夢としては比較的よくあるものだ。

ゲームクリエーター

何をやるのかも分かっていない。

分業すら考えていない。

一人でゲームが作れると思っていた。

かにFC時代とかであったなら、プログラミングが出来てちょっとドット絵がやれて、あとはピコピコ鳴らしていればゲームになっただろう。

現代のようなインディーでさえ音楽や絵に求められるクオリティイカれたゲームを一人を作れるクリエーターはいるが、それがどれほど化け物かは分かっていなかった。

そうして私は、ゲーム研究会に入ることにした。

次回 https://anond.hatelabo.jp/20211124223202

2021-11-22

anond:20211117184420

活字方言見たっちゃなんかしょうしかない?

おれだけかや

2021-11-21

日本語の原郷」についての論文を読んでみた

歴史言語学についてはまったくの素人だけど、最近話題になった「日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表 | 毎日新聞」(はてブ)っていう記事の元になったロベーツらの論文(Robbeets et al. 2021)を読んでみたよ!

結論

うさんくさい

前提知識

うさんくさい理由1:その系統は正しいの?

トランスユーラシア語族系統関係、ちっとも証明されてなくね?

著者のロベーツは過去に著書(Robbeets 2015)を出版して、そちらでトランスユーラシア語族系統関係証明したとしているようである。残念ながら増田はその著書を読めていないので、著書の方では厳格な比較言語学手法系統関係証明されているというなら恐れ入谷鬼子母神シャッポを脱ぐしかないのだが、正直言ってめちゃめちゃ怪しく見えるよ……この論文では農業関係の語に絞って借用も含めた系統が論じられているんだけど、正直かなり無謀な気がするし、なんでこれでトランスユーラシア語族証明された扱いになってるのかちっともわからん。さすがに著書の方では基礎語彙の対応に基づいた議論してるんだよね? うーん……

かいツッコミになるけど、論文のSupplementary Informationで、お米を表す「まい」という語について論じている。著者らは琉球祖語に*maïを再建するんだけど、そこから派生した語形として与論語mai、沖縄語のmeeやmeと並んで奄美語misiやmiisɨを挙げている。いやいやどう考えても後者「めし」転訛だろ(標準日本語のエ段に対応する母音琉球諸語だとしばしばイ段になる)。まさかとは思うけど「まい」と「めし」区別がつかないで日琉語の系統を論じてるの?

追記:「それそもそも呉音じゃね?」というid:nagaichiさんの指摘を受けて追記。この論文ではちゃんと「The Chinese loan morpheme is also found in Sino-Japanese mai and entered Proto-Ryukyuan as *maï ‘rice’」と書かれていて、漢語から借用語であることは前提になってます。これは日本語の「早稲(わせ)」が朝鮮祖語*pʌsalから来てるんじゃね? っていうことを説明してるパートに付け足された部分で、借用語であることが誰の目にも明らかな「まい」に言及するのは蛇足じゃねーのと思うんですが……)

っていうか日琉祖語や琉球祖語の「土」が*mutaになってるけど何これ? *mitaじゃないの? 日本語方言形にmutaがあるから*mutaを再構したのかな? でも先行研究(ヴォヴィン 2009: 11)で指摘されてるように祖語形は*mitaだよね……(cf. 八丈語mizya)(なお標準語「つち」は先行研究によれば朝鮮から借用語

さらに、著者は3年前の論文の中でトランスユーラシア語族系統推定しているが、その系統樹では、南琉球語群(先島諸島の諸方言)のうち、まず八重山語分岐して、次に宮古語与那国語が分かれたということになっている(Robbeets and Bouckaert 2018: 158)。……なんていうか地図見ておかしいと思わないのかな。もちろんそんな分岐絶対にありえないと言うことはできないけど、こんな分岐はこれまでの琉球研究提唱されたこともない。もっと言えば、ウェイン・ローレンス2000; 2006)の言語学的な研究によって、宮古語には見られない改新与那国語八重山諸語が共有していることが明らかにされている(つまり琉球祖語がまず宮古八重山に分かれ、八重山祖語から与那国語分岐したと推定される)。大丈夫? 日本語の先行研究ちゃんと読んでる?

余談。本論文はやたらと琉球諸語から例を引っ張ってきてるけど、個人的には「本土日本語」は側系統であって琉球諸語は薩隅方言姉妹関係にある南日本語派の一分岐だという五十嵐陽介(2021)の分析妥当だと思うので、根本的に日本語琉球語を姉妹群とするかのような系統樹には納得できないんだよな(ちなみに五十嵐研究活字になったのは今年だけど5年ほど前から活発にあちこちで発表されててレジュメはresearchmapで誰でも読める状態だった。まあプレプリント以前の発表原稿の段階のもの引用しろというのは酷だと思うのでロベーツが参照してないのは仕方ない)。考古学的・人類学証拠からは、琉球列島へのヒトや言語流入比較的遅いことが推測されるけど、その頃にはとっくに日琉語は複数系統分岐してるはずなんだからcf.万葉集』の東国語)、琉球語が日琉祖語まで遡る古い系統か? っていうとどう考えても違うわけで。

うさんくさい理由2:他の研究からの評判が微妙

ロベーツらの研究依拠しているソースの1つに、セルゲイ・スタロスチンというロシア研究者による語源辞典がある。しかしこのスタロスチンという研究者は、日本語が「アルタイ語族」に属すという証明のために色々と強引な当てはめをやっているのだ。アレクサンドル・ヴォヴィンは、スタロスチンがいかにテキトーなことを書いているか検討している(Vovin 2005; ボビン 2003: 19–26)。たとえば、スタロスチンは日本語に基づいてアルタイ祖語に*u「卵」を再構するのだが、これはどう見ても「卯」と「卵」の取り違えである。また、スタロスチンは日本祖語に*situ「湿っぽい」を再構するが、「湿」をシツと読むのは音読み(=漢語からの借用)であることは説明するまでもないだろう。こんないい加減な「語源辞典」を使って日琉語の系統を論じるってかなり勇者だと思わない?

(っていうか、スタロスチンをはじめとする「アルタイ語族」説の支持者、与那国語標準語のyにdが対応する(cf. duru「夜」;dama「山」)のを祖語形の残存だと主張してるのか(Vovin 2010: 40)。思ってた以上にやべーな)

案の定、ロベーツの著書も他の研究からボロクソ言われているようだ。ホセ・アロンソ・デ・ラ・フエンテは、彼女の著書に対する書評で、「Throughout the book there are inconsistencies which may stem from a lack of familiarity with the languages involved and their scholarly traditions」(Alonso de la Fuente 2016: 535)として、彼女満洲語転写が実にテキトーであることを指摘している。前述のヴォヴィンはさら辛辣なことを書いている(Vovin 2017。出典表記は省略)。

The recent attempts to prove that Japanese is related not only to Korean, but also to the “Altaic” languages fare even worse. In spite of the devastating critique that has been leveled at these quasischolarly publications, they [Starostin and Robbeets] still continue to sprout like mushrooms after the rain, greeted, of course, by yet another round of devastating critique...

こんなこと書かれたら僕だったら泣いちゃうな……

なおこの論文朝鮮祖語の再建にも問題があるらしい。以下の連ツイを参照>https://twitter.com/ian_joo_korea/status/1458706979870838788

まとめ

少なくとも言語学の側面からは非常にうさんくさい

増田素人なので確信を持って間違いだと言い切ることはできないけど、論文全体から信頼できない香りがプンプン漂ってきてる。

考古学とかそういう方向から考察は知らんけど、言語学的な根拠については賭けろと言われたら間違ってる方に賭けるね。

追記:こっちの増田anond:20211121201022も見てね)

蛇足だけど

このへんの言語史については、古代朝鮮半島には幅広く日琉語(大陸倭語;Penninsular Japonic)が分布してたんだけど、北方から朝鮮話者が進入してきて言語が置き換わった、という説(Vovin 2013)が個人的には面白いなぁと思う(大陸倭語については、Vovin 2017; 伊藤 2019; 2021も参照)。いや、素人の考えだからひょっとしたら大間いかもしれないけど。ただ、仮に大陸倭語の存在を認めるなら、日琉語の故地(Urheimat)が列島の外にある可能性もあるわけで、故地をめぐる議論どうしようかっていう議論は生まれてくるところだと思う。

あと、この増田で「標準語」って言葉を使ってるのにツッコミが入るかもしれないけど、国が言語規範を決め全国に普及させているというのを無視して「共通語」と呼ぶのは国家による言語政策権力性を覆い隠すから良くないと思うので「標準語」と呼ぶ派です。

ところで

著者のRobbeetsさん名字を「ロッベエツ」と書いてる新聞があったけど、日本語表記するなら「ロベーツ」じゃない? ベルギー研究者らしいけど、bが重なってるのは詰まって読むこと(促音)を示してるんじゃなくて、その前にある母音が短母音である(「ローベーツ」ではない)ことを示すためのものでしょ、オランダ語的に考えて……。

それにしてもマンチュリア(いわゆる満州)を「中国東北部」と呼ぶの、ヤウンモシㇼを「日本北部」と呼ぶようなもので、先住民族である満洲人の存在を透明化し漢人の入植を自明のものとする植民地主義的な用法から政治的に正しくないと思うんだよな。ちゃんマンチュリア or 満州と呼ぶべきでは。

Q. 増田って賭けに強いの?

A. スプリンターズSではダノンスマッシュ秋華賞ではユーバーレーベン、菊花賞ではステラヴェローチェ天皇賞(秋)ではコントレイルエリザベス女王杯ではアカトリノムスメの勝利を予想していました。マイルCSではグランアレグリアに賭けてますジャパンカップは今度こそコントレイルが勝つはず。

追記

niwaradi そもそも著者が多く日本大学学者が共著者に10人以上いてNature編集部レビュワー賛同したはずなので学会で揉めてる分野なのかな?日本語朝鮮語の共通祖先はどこかにあると思うが。

共著者が多いのは、色んな分野にまたがって調査してる理系論文だとよくあることだと思いますNature基本的理系雑誌なんで言語学みたいな文系領域事情にはあんまり明るくなかったんじゃないでしょうか。ちなみにその「日本語朝鮮語の共通祖先はある」って考え方にめっちゃ反対してるのが本文で言及したヴォヴィンです。最新の論文(Vovin 2021)では日本語起源は「アルタイ語族」じゃなくてオーストロアジア語族だーって気炎を上げてます(ほんとかよ)。

behuckleberry02 大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

大野晋日本語タミル語起源説はただのトンデモです。結論どうこうじゃなくて方法論の時点でおかしい。詳しくは長田(1998)や山下(1998)を参照してください。

c_shiika 令和の騎馬民族征服王朝説だったか…… / ウマ増田さんはウマの記事ちゃん増田投稿するべきだと思うの

手持ちのジュエルを全部つぎ込んだけどメジロドーベル引けませんでした!!1!(代わりにすり抜けでナリタタイシンが来た)

mori99 話は逸れるが、恐れ入谷鬼子母神とか、増田、何歳だよ。※あるいは寅さんフリーク

ナウでヤングなガラスの十代だっちゅーの

参考文献

2021-11-20

Youtube検索するだけで日本が凄い国なのが分かる。活字時代には日本が凄いのが全然書かれなかったけど、日本はすごかったんだ

海外の反応日本郊外をただ歩くだけの動画が50万再生され母国との違いに衝撃を受ける海外の人々!→「日本人はなんて恵まれているんだ」(すごいぞJAPAN!)

海外の反応日本の新兵器中国ロシアが大慌て!「まさか実現するなんて…」【日本すごいですねTV

海外の反応】衝撃‼︎「マジで凄い国だ…」日本世界トップクラスの国であるつの理由外国人大ショック…!

海外の反応】「そんなに凄いのか…」日本人も知らない天皇陛下世界での序列外国人衝撃…‼【世界の反応ちゃんねる】

海外の反応日本バングラデシュの橋を短期間で修復、さらにその後の対応に現地から感謝の声が殺到!「もう国ごと日本に任せたい」

日本凄い!!!!!!!!!!!!

2021-11-04

明朝体って活字にしやすい(木版に掘りやすい)ように工夫した字体なんで、手書きには向いてないんだよなあ。

2021-10-29

モラハラ彼氏を振った話

先週のことだ。

1年半交際していた相手に「さようなら」と別れを告げた。

知り合ったのは3年ほど前。

趣味で通っていたライブハウスわたしたち出会い半年ほどの彼からの猛烈なアプローチわたしが半ば折れるような形で交際を始めた。

現在もう20代も半ばのわたし自身中学生の頃に不登校経験してからずっと心療内科にかかっていることもあって、人を信じるということに対するハードルが上がっていた。そして自分恋愛なんて向いていないと思っていて今まで避けてきていたし、ましてや趣味で知り合った人を異性として見るなんて以ての外だと思っていた。

それでも半年わたしがまともに相手をしなかったのに熱心にアプローチを続けてきたこと、忙しいはずなのに時間や労力を割いてでもわたしのような存在に費やしてくれたことを考えたら、この人のことは信じたいと思うようになった。

気がついたら2日に1回は会うようになっていたし、結婚を前提に同棲をしたいと頻繁に迫られるようになった。育った環境から結婚というものにあまりいいイメージがないだけに、「それは将来的に実現させられるといいね」と流していたけれど。


別れの原因になったのは他でもないモラハラだった。

彼はわたしより4歳年上で、どこか自分に自信がない様子を醸す人だった。

そのため自分以外の人間必要以上に見下し、必死に優位に立つことでプライドを保っていたのだと思う。そのため共通の知人のことはもちろん、自分の思い通りにならなかった際はわたしのことをも必要以上にこき下ろしてきた。わたしが軽度の自閉症スペクトラムであることを説明した際に「幸せにしたい」と言ったのなんて真っ赤な嘘だったんじゃないかと思うぐらい、障害者蔑視とみられる発言も多かった。

自分の思い通りにいかないようならすぐに日本語が通じない、理解能力がないと言われる。確かにわたしIQに偏りがあるし定型発達の人たちと比較すると頭の回転が早くはないと思う。しかし自慢ではないが論理力だけは平均値を大幅に上回っているし、幼少期から友達が少なかったこともあって活字友達だと言っても過言ではない。それでも、彼が書いた文章がどんなに読みにくくて分かりにくい表現をしていても思っていることが伝わらないのはわたし理解能力がないだけだという見解をされる日々が続いていた。そんなこと人生で一度も言われたことのない言葉であっただけに、それをどんどん気にするようになった。

そして隙があれば重箱の隅をつつくような感じで粗捜しされ、自分が取った行動であろうがわたしを責める。直接話していても、LINEでも、乾いた笑いが何度出たことかわからない。彼は必死自分正当化し、わたし責任転嫁をすることでしか自分自身を認められなかった人なのだろうとすら思うまでである。ちなみに、この逆の行動をわたしが取ると激怒するのは言うまでもない。

おかげでどこかへ行こうと言っても心の底から楽しめなくなったし、気がついたら彼と一緒にいる時に大量の蕁麻疹が出るようになっていた。


しかしながら二度としないと言った約束は何度も何度も同じ形で繰り返された。それもすべて、わたしが知ったら傷つくような形で。三度目の正直、仏の顔も三度まで、と伝えてももちろん4度目があった。何なら2度目以降は持病の喘息の発作を引き起こすようになっていた。

そこまで約束をするほどに嫌がっていたことは、わたしが知らないと思って複数女の子(しかもそのうちひとりは共通の知人である)にSNS口説くことだった。この人にとっての「好き」の気持ちは、こんなにも薄っぺらくて誰にでも言えるものなんだ。そう思うと嫉妬なんていう気持ちは一切なくて、気がついたらバカバカしくなったことも正直数え切れない。どんどん自分への自信を喪失していったし、自分が彼を満足させられるような相手ではないからだろうと完全な自己嫌悪に陥った。今になって改めて思えば、カサンドラ症候群の気があったようにも感じる。


口説かれていた相手女の子(先述の共通の知り合い)が彼の言動を嫌がっていた様子を含め証拠スクショをもらい、それを突きつけても言い訳しか返ってこない。そして挙句の果てには「お前の言い方が悪い」「日本語理解能力がない」「お前が嫉妬してくれないから遊び半分でやった」と感情的に何度も繰り返される。それでも彼にとっては冷静さを保っているつもりだったようで「感情的になって声を荒らげられるのは苦手だ」と何度伝えても続いた。

思えば揉めごとが起きる度に気がついたらなぜかわたしが泣いていたし、気がついたらなぜか彼に諭されていた。冷静に考えるとわけがからない。時に彼の言葉ナイフのようで、身体的な危害を加えられないDVか何かのようだと感じた。

最終的にわたしが別れを告げた先週までは、前回揉めたことが共通の知り合いへの浮気だったというのもありまさに関係を修復している段階であった。

さすがに100%、とは言い切れなかったが、少しずつでも着実に前に進めていると思っていた。でもそう思っていたのは自分だけで、彼に一方的に期待をしていただけだったことに気がついた。


自分自身心療内科に通っていることもあり精神疾患について勉強する機会も多々あったために彼はきっと自己愛性人格障害なのだから仕方ないと妥協していたが、それでも我慢限界は来ていた。

前回喧嘩をした時に関係を戻したい、どうしても他の相手ではだめだと言って許しを乞うた人が関係を修復している真っ最中に同じことを繰り返せるのか、どんな理由があっても行動として出ている以上は簡単に欲に負けてしまえる程度の約束相手だったということが示されたようなものである幸せにしたい、大切にするという言葉は何だったのだろうか。

それでいて感情的に逆上される。喘息の発作が出るほどのトラウマがあってもう会いたくないとまで言っても、なぜかわたし意見わがままとして捉えられ1日でも早く話がしたいと執拗に責められる。挙句の果てには過去自分の行動を恩を着せるかのように言われた。取った行動が約束を守っていない以上どこにも説得力なんてないし、何ならすべてが思い出話でしかないというのに。


そしてわたしは、別れを切り出した。

もう会いたいと思えない旨とさようならを告げ、LINETwitterブロックした。

電話ももちろん着信拒否の設定をした。

趣味きっかけで知り合ったこともあり、共通の知人が多かったために特に親しい人たちやわたしたち関係を知っている人たちにはすべて事情説明し、わたしについて何か聞かれても何も答えないようにしてほしいと連絡して回った。

それでも彼はTwitter捨て垢を作って執拗に連絡を続けてきた。それも何度も。

中にはリベンジポルノを仄めかすような脅しの文章もあった。晒されても困るような写真は幸い撮っていないが、プライバシー侵害脅迫という概念が抜け落ちている人なんだなと思った。まあそうでもなければモラハラなんて日常的に起こらないわけだが。

まりにも何度も何度もブロックしても連絡が来るため、「何度も二度と会いたくないと伝えているし、これ以上関わるなら然るべき措置を取ります」と返した。ここで一段落ついた。


と思ったのが、間違いだった。

唯一フレンドになっていたソシャゲの公開チャットに、その返信が送られてきていた。頭が真っ白になった。時間を置くとは言っていてもこの期に及んでまだ執拗に会って話がしたいという文章にも、ソシャゲの公開チャットなんて不特定多数が閲覧できるのにそんなことが書かれていたことにも、理解にしばらくの時間を費やしたことは言うまでもない。

その後、案の定共通の知人のもとには彼がわたしについて聞く内容の連絡が次々と来ていた。事情は知っているからもう諦めるべきだとアドバイスする人、返信を送らない人。ありがたいことに、わたしはその人たちに守られた。

そのうちのひとりが事情を知らない前提で話を聞き出したところ、「どうしても会って話をして、何とかして説得したい。それで直接話をしても駄目なら諦める」と返信が来たそうだ。何度ももう会いたくないと伝えているはずなのに。

理解能力がない、日本語が通じないなどと散々罵っていた相手であるわたしの書いた文章理解できていないのは他でもない彼だった。わたし自分が書いた文章アラビア語タイ語などの専門的な知識がないと読めない言語や何かだったのか確認したが、デフォルト日本語を使っていた。


彼と会わなくなって1週間。

日々の悩みだった蕁麻疹が出なくなった。

そして、自分自身無意識に心身をすり減らしながらも生きることを自分なりに、必死に頑張っていたと気がついた。

彼はというと共通の知人いわくSNS失恋ソング歌詞や病んでいることを匂わせる投稿を連日しているようだが、わたしの知ったこっちゃない。

別れても寂しくない恋が存在するんだと思った。

既に前を向けている。

そして、少しでもわたしと同じ境遇に立っている人が、少しでもいなくなってほしいという気持ちいちばんに強くなった。

きっと、モラハラを受けていた時よりもちょっとだけ強くなれたんだと思う。


この件で連日眠れない夜を過ごしたり、物理的な胸の痛みを感じたり、拒食気味になってきたりもしているので、そろそろ警察相談に行くか悩んでいる。しかし幸いにもこちらの住所(実家暮らし友達を容易に呼べる環境ではないことにこれほど安堵したことはない)や自宅の電話番号、仕事先といったものは知られていないために、警察相談するのも次に何かしらのアクションが起きてからでないとさすがに彼の今後の人生に影響が出てしまうのではないかと思う。さすがにわたしのせいで彼の将来が暗いものとなっても、わたしには責任が取れるものではない。それに何より、別に人生をめちゃくちゃにしてやろうとは思わない。気力がもうない。


それほどまでに、もう関わりたくないのだ。

2021-10-23

anond:20211023001649

自分の一番古い記憶母親ひらがなの読み方を教えてもらってる記憶。母は専業主婦で週1くらいの頻度で図書館に連れてってくれたし、家でも常に本読んでる人だった。いつの間にか自分食事中も読書、授業中も読書放課後図書室みたいな人間になっていた。家にテレビゲーム機もなくて、漫画ほとんど読んだ事ないので学校ではときどき話についていけずに困った。そしてその疎外感からか余計に本の世界にのめり込んで活字依存悪化する一方だった。大人になっても常に活字を見ていないと落ち着かない。遺伝的な要素もあるかもしれないけれど、親が図書館に行かず本を読まない環境だったらこうはなってなかったと思う。これらをしたくないとしたら、できることは他の娯楽を制限しつつ家に面白い本をたくさん揃えるくらいだと思う。

2021-10-11

日記

ほんとに2日に一回がデフォになりつつある

忙しくしていたかと言うとそんなことはない

今日11:15にワクチン2回目。

その後は何事もなく。

楽しみにしていたwebイベント満喫し、ゲームレベル上げしてた。

活字が読めなくなってる。小説も、それ以外も。

ちょこっと読んで、自分の頭でグルルルルって考え事始まって、先に進まない。

晩御飯すごく美味しかった。

23から入浴。全身に痛み?張り?変な感じ。

入浴後、突然の寒気。

急いで髪乾かした頃にはカーッと発熱

うおー来た来た。37.9

ベットサイドに水置いて寝る

2021-10-09

自分語り

他の人よりも何かに興味が出にくかったり、感情が揺さぶられることがなかったりする。例えで言えば、視界がぼやけてる感じ。だから本もまともに読めなかった。大学受験勉強によりかなり視界は良くなった。プライドが高いこと、いい子でいたいこと、生存本能大学受験前は自分にとっても周りにとっても迷惑ものだった時が多かった。悪いやつとして振る舞うにも中途半端で、優等生になろうとしてもなれない。優等生になりたいか勉強しようとしてたけど、アドバイスをもらってもそれをいかせはしなかった。そもそも教科書に書いてあることが頭に残らないということを相談しても先生たちは困るだけだった。本は読んではいたけれど、読めているか微妙だった。断片的に自分が印象づいたものの身を覚えていた状態で読解力はついていない。自分があまりいい立場でないことをネットで知って、宿題をすることから始まった。

そして今平均くらいの大学にいる。ADHD寄りなんだなと思う。(アスペかもしれない)危機感を覚えるのが早くはなった。だけど不安の方が多い。早いうちに予習するのが難しい。活字になると読んでいくうちにどんな内容かわからなくなってくる。オンデマンド動画を流しても時間が経つにつれ、頭に入らず時間無駄じゃんと思う。時間を限れば割といける。個人的に無理のない時間割りを心がけてる。復習はギリギリ間に合いそうだけど、今後どうなるかはわからない。

2021-10-08

私は活字は苦手だ。本を読まないというわけではない。だけど、本は斜め読みするタイプだった。小さい子供の頃はそれでなんとかなったけど今は厳しい。今は昔よりもまともに読めるけど、途中で内容がわからなくなったりする。読書界隈的には私のような存在はどう思われるんだろう。読書が嫌いなわけではないけど読解力がない人は。

2021-10-01

ボツ記事

何が言いたいのかわからなくなってしまったのでボツしました




昨今のインターネット環境を考えると、

統一協会への危機感を語る人たちの説明は、下手すぎるということになるのかもしれません。

統一協会への危機感を語る人たち」、気持ちは凄くよくわかります

私も「統一教会」絡みについてはもっと警戒すべきだとおもってます

ただ、警鐘を鳴らしたいのであれば「統一教会のやばさを知らない人」に対して、そのやばさを説明するべきだと思うんですよ。

でも実際は、「知ってる人向け」に語っていて、知らない人をバカにするような語りばかりが目立ちます

これ、2015年くらいまでのインターネットならそれでもよかったと思うんですけど、

今って多分これは「限界集落村」のやり方であって、それだとただの愚痴しかなってないし、

もっと言えば批判してるつもりで、その目的に逆行して敵を作ってしまうだけになりがちなんじゃないかなと。

やばさをよく知ってる人からすると、もうそのやばさって説明不要ものなんですよね。

から「これだけやばいやばいって言っておけば自分で調べてやばさを実感するだろ」って期待しちゃう

でも、それは「今の」インターネットユーザーの標準レベルを考えると、期待しすぎなんだと思います

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210930/1633010640

これとか、もう完全に老害戯言くらいに処理されちゃうんじゃないかな。

















最近YouTubeをよく見ているのだけれど、

YouTubeの人気動画って、本当にわかってる人間からしたら

「え、そこから?そこから説明するのか?」って感じちゃうレベルのところからめちゃくちゃ丁寧に説明するんですよね。

こういう記事もありましたが、「わかってる人」にとってみたら

20分くらいの動画で、「そんなん知ってるわ」って内容しか語られてない、みたいなことが結構あります

https://togetter.com/li/1781714

そういう意味情報密度はすごく低いです。活字情報摂取する人からしたら「効率悪すぎてつらい」っていう感想が出るのはよくわかります

逆にいうと「死ぬほど丁寧」なんですよね。

文章と違って、テレビと同じようにぼーっと見てるだけで向こうから情報が来てくれることもあり

特に興味がない人」や「今まで何も知らなかった人」への入り口としては圧倒的に強いなと感じます

「すごく初歩的なこと」ほど時間をかけて丁寧に説明することが大事だと思うんですが、

特に興味がない人」や「今まで何も知らなかった人」、勉強したくない人って文章で長々と書かれてたらやる気でないじゃないですか

から、この部分ってどんなに頑張ってもブログではカバーしきれない部分があったんだと思います

でも今はこうやって動画コンテンツという形でその人たちにもリーチできる。

キーワード単位しか興味を持ってない無関心層を取り込める。

YouTubeブログよりもはるかに多くのアクセスや反応を得てるの凄くよくわかります

今まではそのあたり、金儲けにつながるものであれば

いかがでしたか?」ブログとかアフィリエイター一生懸命頑張って解説記事を書いてたわけですが

そういうアフィリエイターの人ほど、YouTube動画有効活用することを考えてる。








タチが悪いのは、YouTubeを見てる層が今のインターネットの主力になってしまっているということ

この人たちは今まで自分たちがモノを知らないことは自覚して

そもそも話題に興味がなかったので、あんまり政治とか宗教とかみたいなめんどくさい問題意見を述べることはしなかったのですが

今はこういう人たちが入門コンテンツだけに触れて意見を述べるなんてのが当たり前になってきました。

こうなってくると、この人たちは「自分たちがネットの標準だ」と思ってふるまうようになってきます

現状において特定話題について「知ってることを前提で話す」ということ自体がすでに傲慢という扱いになる。

まして「知らないこと」や「自分意見と違うこと」をけなすような発言をする人間憎悪対象にすらなりうる。

「知らないこと」「基礎的な事すらわかってないこと」に対して寛容になりその人たちにもアピールしていかないと、

中途半端に警告を発しても「かえって敵を作る」ことになりかねない……。

こういう状況だと、開きなおって「知ってる人だけ読めばいい」スタイルか「0から丁寧に説明するね」のどちらかでないとやっていけないのかなという気持ちになります









正直、オープンな場でものをかくの、もうほんとにしんどいよね

そりゃもうブログなんかやってられませんわ。

ある程度自分たちが選んだ人たち、「少なくとも話のレベルに差がありすぎなくて、いちから説明しなくても良い相手」にだけ情報を発信できるSNSにこもりたくなります

環境地位感性まで一緒の人が良い、までいけばFacebookになりますよね……。

2021-09-27

anond:20210927114735

間違ってないとしても書き言葉として避けるべきなのは教育を受けてたり活字に親しんでいるなら明らか。

それにも関わらず書き言葉として使っているので、そこに”違和感を感じない”タイプ馬鹿であることが明らかなんだぞ。

2021-09-18

鬼滅の刃』と嗅覚聴覚・触覚

 竈門炭治郎は嗅覚が、我妻善逸は聴覚が、嘴平伊之助は触覚が優れているが、この3つの感覚の組み合わせについて書かれた文章を、何処かで読んだ記憶が有った。それが判明したのでメモしておく。

引用ここから

 男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本的女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。

引用ここまで=

小松和彦『神々の精神史』「屍愛譚をめぐってーーー伊弉諾伊弉冉の冥界譚を中心に」より

 念の為に言うと、作者のネタ元がこの本・論文であると断定しようというのではない。

 私が門外漢から詳しく知らなかっただけで、国文学世界では、それに明るい人たちにとって「夜の世界嗅覚聴覚・触覚の結び付き」という認識が共有されているらしく、そのことを私が上の本で知ったというだけの話である

 『鬼滅の刃』の作者は、和の文学文化をかなり学んだと推測される(コメントの数々を読むと、非常に活字に親しんでいるように推測される)ので「夜と3つの感覚関係」も何らかの文献などで学んでいたのだろう。

 テレビアニメ第一期の再放送をしていたので、その記念にメモ

 なお、上の小松和彦の本は『鬼滅の刃』と関係なく、非常に面白いのでお勧めである

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